のら猫の三文小説

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新しい子猫たち No.1893

2021-06-22 00:23:05 | 新しい子猫たち 
洋太郎は単に新聞社のトップから頼まれた ある棋戦の主催の一角に加わっただけではなかった。元々 洋太郎は 主催による 金銭的なメリット 宣伝効果 なんか ほとんど信用してはいなかった。どこまで応援していけるか それによって紡績自身がどう変われるかを本当は期待していた。社会基盤の一つとしての自覚、社会にどう貢献していけるかを考えていたと云うと大袈裟かもしれないが。


そして 紡績は 洋太郎の期待していたよりも大きく変わったのだ


清太郎も棋戦のスポンサーに加わるのは、洋太郎の趣味程度しか 初めは思っていなかった。息子の事もあって 利用したのに過ぎなかったが 企業と社会との関係性、そして社会にどのように貢献していくのかについて考えると 企業も自ずと変わっていく事に初めて 気が付いた


洋太郎は奨励会 研修会の人たちにもサポートしていた。初めは洋太郎の個人的な資産から、そしてそれは別の組織に変わり、今ではジブシティーの将棋道場を核とした組織がそれを担っていた。遠くから奨励会 そして研修会に出る人たちの 交通費のサポートから その後の人生相談、棋士になれなかった人たちのサポートなど。


化学の会長も手を変え品を変えて 低段で生活自体が危ない棋士の仕事を斡旋する組織、囲碁の後援組織をつくった、各囲碁サロンに棋士を派遣したり指導碁をする機会を調整したりする組織を作っていた


単に棋戦の主催の一角に加わるのは 宣伝効果だけで 見ていないのは 主催の一角に入る時から考えていたのだ


そして それぞれの会長室は それを利用して儲ける手段、宣伝効果を考えていた、そして紡績に根付いていた 愛の精神 つまり 社員に対して会社は愛の精神で臨み、社員は社会そして顧客に対して 愛の精神を発揮してほしい が 結局会社を変えたのだ


それは紡績だけでなく 化学も影響された。金銭目的の多い筈の 化学の中国子会社まで 色々なゼニ金目的でもあったが、結局は中国各地で棋士の卵たちの育成に支援していた。


中国法人のオッサンが日本の化学に来て、 話をしている時に 会長室の奴 が 会長が単に囲碁が好きだから 始まったと当時は思ったが、結局は まさしく情けは人の為ならず でしたね。と云っているのに感心してしまったのだ。


色々な理由があって した 筈の 地域の医療を支える運動もこれを支えた。将棋とか囲碁だけでは当然なかった。