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忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

自律2

2008-12-25 00:34:01 | こころの問題
さて。前回の日記のテーマでは、短いスパンでの「感情の乱れ」が実はテーマだったり
したのですが、今回は長いスパンでの「感情の乱れ」をテーマにしたいと思います。

そう。腹が立ったりしたとき、いかにその感情を処理するのか、ということもまた一
つの「自律」なのですが、こういった感情は、実は知らず知らずのうちに蓄積された
りしています。そして、うまく処理することが出来ないまま、その感情を蓄積し、気
がつくといつのまにか顕在化してしまい、どうしても前向きに考えたりすることが出
来なくなったりします。

って、多分このネタも何処かで用いているとは思うのですが
で、よく耳にします。「どうしたら前向きに物事を考えられるようになるのか」と。

こう見えて、のんきも基本的にはネガティブシンキングです。だけど、この感情と
うまくお付き合いする為に、のんきが身に付けたやり方が、「自分の中に起きてい
る感情に気付く」という方法。

例えば、自分が腹を立てているとします。
普通の人は、まるで瞬間湯沸かし器のように、自分が腹を立てていることに気付か
ずに、感情のままに自分の気持ちを表に出してしまいます。

だけど、ここで、「あ、今自分は腹を立てたな」ということに気付くことができる
と、少し違います。自分の中に起きた感情に振り回されることがなくなるのです。
自分は何に対して腹を立てているのか、どうすれば腹が立たなくなるのか。そもそ
も自分はいま何故腹が立っているのか。

分析し、自分が何に対して腹を立てているのか、ということを相手に伝えるだけで
も、充分に自分の感情をコントロールする為の手段となります。

同じように、自分がネガティブな考え方になっているとき、「今自分はネガティブ
な考え方をしているな」と気付くことができれば、その感情を自分の中で処理する
ことができたりします。

とは言え、それも十重二十重に襲い掛かられてしまうと、中々コントロールするこ
とそのものが難しくもなったりするのですが・・・。のんきも時々あります

大切なのは、その感情溜めないうちに、少しずつ処理することが出来るようになる
こと。多分世の中の人すべてがこれが出来るようになれば、世の中から喧嘩やいじ
めなどは消えてなくなると思うんですが。

中々そうは行かないのもまた、世の中ですよね


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「自律」

2008-12-23 21:29:34 | こころの問題
簡単なようでいて、意外と難しいもの。

「自律」。

色んな自律があると思います。生活だったり、人間関係だったり、スケジュール管理
だったり、・・・感情だったり。

のんきは、基本的に生活を律するのは苦手です。何よりも朝が・・・弱い
だけど、自分が朝に弱い、ということを知っていれば、意外とその他の事情を調整す
ることで、コントロールできたりするものです。

しかし、意外とコントロールするのが難しいもの。それは「感情」だと思います。

感情の「自律」。

人は生まれながらにして「善」なのか、「悪」なのか。様々な捉え方はあると思う
のですが、多分、一番正解に近いのは、「善でも悪でもない」というところだと思
います。

だけど、賢く生きていこうと思えば、「悪」であると考えたほうが無難です。
「善」だと考えているから、裏切られたときに簡単に動揺してしまうし、人を恨ん
だり憎んだりしてしまいます。

何より、人は基本的に、「善」でも「悪」でもないかも知れませんが、「自分勝手」
な生き物であることは間違いないと考えています。より早い段階で、「自分勝手」
な自分をコントロールするすべを身に付けた者が、より早く大人になっていくので
しょう。このことに関しては実質的な年齢は関係ないと思います。

何度か同じような内容を記事テーマにしたこともあるのですが、改めて記してみよ
う、と思ったのも、結局そう感じるようなことがあったから。しかも今回はのんき
自体がそのコントロールに失敗してしまったこと。

すぐに修正したので、相手はそれを感じ取ることはできなかったと思うのですが、
一瞬とは言え、ついやっちゃいましたね。のんきもまだまだです。

まあ、人間は神でも天使でもありませんからね・・・。パーフェクトにコントロールす
るのは意外と難しい。日々、修行ですね

ついでなので、次回はもう一つの「感情の自律」を綴ってみたいと思います。


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男子三日会わざれば・・・

2008-11-04 12:44:41 | こころの問題
子どもから大人へ成長する段階で誰もが迎える「思春期」。

外見だけでなく、内面もまた、この時期に大きな変化を迎えます。
親御さんたちにとって、今まで自分の言うとおりに動いていた子どもたちが、
急に自分の言うことに反発をしたり、言うことを聞かなくなったりして、特に
母親の中には、このことが原因でうつ病になったりする人までいるほどです。

母親、と限定しましたが、これは別に女親であることが原因だとか、そういうわけ
ではなく、父親に比べると比較的子どもと接している時間が長く、また、そのせい
で子どもは、父親よりも母親を信頼する傾向があることが原因です。

だからこそ、余計にそのショックも大きいのでしょう。
しかし、これは何も思春期を迎える子どもに限ったことだけではないように感じ
ます。

子どもはやがて成人し、社会人となります。
社会人になりたてのころは、その子どももまだまだ青臭く、社会人の先輩として、
父親はその立場から子どもたちに接しようとします。

ですが、そんな子どもたちも、やがて社会の中で経験を積み、青臭さが抜け、社会
人らしさも兼ねそろえてゆくこととなります。

そして、その頃に、ちょうど父親は定年を迎え、社会人という枠組みを引退する
こととなります。男親は、会社組織一本やりになる傾向があるため、退職して
しまうと一気に人間関係の幅が狭まり、そこから再び成長していくことが難しい
状況に陥ってしまいます。

ですが、子どもたちは成長を続けるわけですから、やがてそんな父親に追いつい
て、ともすれば追い抜いてしまうことすらあるわけです。

そして、やはり同じようなことは、会社など、組織という枠の中でも起こりうるこ
とです。若い人材が成長し、伸びていくことは、組織としては好ましいと思いま
すし、実際そうでなければ組織は衰退し、潰れていくものだとも思います。

ですが、こういった組織を運営し、または管理する立場にある人たちにとっては、
自分より経験の浅い人間が、自分位置まで上り詰めてきた、または追い越そうとし
ている、と感じることは、そうはいっても心穏やかではないわけです。

そこまで来ることを望んでいたはずなんです。本当は喜ばしいはずなんです。
だけど、それを享受することのできる人は、意外と少ないのではないでしょうか。

病院の先生だったり、大学の教授であったり巨大企業のトップであったり・・・。
肩書きが大きくなればなるほど、プライドが邪魔をして、せっかく育ってきた人材
の頭を押さえつけようとするのです。

「男子三日会わざれば、剋目して見よ」

三国志に登場する、孫権に使えた武将、呂蒙が、魯粛の後任として荊州に赴任して
きた際、呂蒙に送った言葉「呉下の阿蒙に非ず」という言葉に対して返した言葉
です。

正確には、「士別れて三日、即ち更に刮目して相待すべし」です。

つまり、「日々鍛錬を行っている者は、三日もあれば見違えるほどに変わっている
ものです」という意味。「呉下の阿蒙」は、昔の蒙ちゃん、というような意味で
使われ、転じて何時まで経っても進歩がない人に対しても用いられる言葉です。

人を見るときは、いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見た
ほうがよいですよ、という意味で現在では用いられる言葉ですが、こと、ずっと
身近で見守ってきた人に対してこれを行うことは、本当に難しいことだと思い
ます。

結局、それが出来るか出来ないかが、器の大小を図る天秤にもなるのでしょう。
僕自身に照らし合わせたとき、最近入ったばかりの若者が経験を積み、僕の位置
まで登ってきたときに、このことができるかどうか、実際にそうなってみなければ
できる、という自信はありません。

少なくとも、すぐに全てを受け入れることは難しいのではないでしょうか。
切り替えができるかどうか。本当に難しい問題だと思います。
*************************************************************
昨日も家に帰ったのは朝の2時
帰ってからこのようなブログを作っていたのですが、途中で誤って消してしまい

改めて作り直す体力はなく、トボトボとベッドに入りました。
負けないぞ~~。ペースは最低一日1日記ダァー。
それでは仕事に戻りマース。

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常識の数

2008-10-21 00:48:51 | こころの問題
(グリムスくん gremz エコマーク)

さて。のんきは今日一日ダルダルでした。

仕事で会社から様々な方向へ車を何往復もしないといけなかったりしたことも
あるのですが、何しろ昨日の就寝時間が朝の3時。

もちろん今までだって、4時に寝たりしたこともあるわけですが・・・。

土曜日の疲れが抜け切らない状態での午前様は結構辛かったです

昨日、お昼間は母の還暦のお祝いをしたのですが、同じ頃、松山市内の某場所
では、のんきの大学時代の後輩の結婚式が行われていました。

いつもなら式の2次会があって、そこから呼ばれるパターンが多かったのですが、
今回は披露宴のみで2次会は行わない、とのこと。ならば、ということで、大学
時代の友人たちの考えることがまたスゴイ・・・

先日結婚したばかりの、別のサークル仲間のお披露目が終わっていないので、
彼とその奥さんのお披露目を行おう、ということで、これが2次会の代わりに
なりました。1次会の主役と2次会の主役が違う・・・。初めてのパターンでした。

さて。そもそもなぜのんきが家に帰るのが遅くなったのか、というと、2次会で
解散した後、一部の仲間を自宅までのんきの車で送っていったことが原因です。

働いていれば皆、色んな悩みがあるもので・・・。途中、どうしても語りたい、と
いうことで、途中、車を止めてその話を聴いていました。

詳しくは話せませんが、ポイントだけ掻い摘んで話をすると、教育における
体罰の臨界点について、です。

そもそも、なぜ子どもたちに手を上げてはいけないのか。あるはずなんです。
どうしても気持ちを抑えきれずに、思わず手を上げてしまうこと・・・。

現在の教育システムの中では、手をあげてしまうと、それはすべて体罰として
認識され、下手な親御さんに当ってしまうと、簡単に訴えられてしまいます。
しかも過去の判例がありますから、敗訴する確率の方が高い。

語りだすと日本でなぜ民主主義がうまくいかないのか、なんて話まで飛躍させて
しまいそうなのですが(きっとのんきのことだから、近々別の日記で飛躍させる
はずですが)、でも、やはりそこを抜きにしては語れない問題でもあるとは思い
ます。

なんにせよ、現在の小学生、中学生たちの精神的な基盤は、非常に脆くなって
しまっています。ですから、ちょっとしたことで、簡単に傷ついたり、また親御
さんが顔を出してしまったり・・・。

「体罰」と表現してしまうとあたかもそれが非人道的なものであるかのように
聞こえてしまうかも知れませんが、それでもやっぱりあると思うんです。

どうしても気持ちを抑えきれずに、思わず手を上げてしまうこと・・・。

大切なのは、そこへ至るまでの気持ち。手法ではなく、本当にこころの底から
にじみ出たもの。これが相手に伝わるかどうかが一番の違いだと思います。

のんきは基本的に穏健派。非暴力主義ですから、まず手を上げることはありま
せん。だけど、つい手を上げてしまう人がいる、ということは認識しています。

これを否定することはしませんし、一つの方法としてないわけでもないとも
思っています。だけど、やはりそこに至るまでの気持ち。これを大切にして
もらいたいと思っています。

本当は、後一つ記したいことがあるのですが、それでは今日もまた寝る時間が
遅くなってしまいますので、また次の記事で。

と・・・・じつは、こうやって記事を書いている間に、なにやら不気味な物音が
します。神棚においてある陶器がこすれる物音。庭で何かがガサガサと移動する
ような物音・・・。ひぇぇぇぇぇ!!!。 多分、小動物の仕業とは思うのですが、
ひょっとしてポルターガイスト!!?? こぇぇよぉぉぉぉ!!


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ジョハリの窓

2008-08-26 20:17:48 | こころの問題
う~ん・・・、改めてみてみると、手書きはよくないですね。

次に同じような手を使うときは、工夫しなきゃなぁ。

ジョハリの窓は、ジョセフ・ルフト とハリー・インガムという
アメリカの心理学者が共同で考えたこころのモデルケースです。
自己分析をするために使われます。

略して、「ジョハリ」の窓。

前回の日記に書いたあまりにも乱雑な図形のように、人間の
こころを、

�.自分が知っていて他人も知っている自分
�.自分が知っていて他人も知らない自分
�.他人が知っていて、自分が知らない自分
�.自分も、他人も知らない自分

の4つに分けます。
�は、既に誰もが知っているわけですから、あえてどうこうする
必要のない部分です。
�は、言ってしまえば「潜在能力」であるわけですから、どう
こう出来る部分ではありません。

多くの人が、パーソナリティ、つまり人間性の向上を図りたいと、
様々なことにチャレンジすると思うのですが、以外と、�の部分
をどうにかしよう、なんて考える人が多いのではないでしょうか。

それはそれで大切なことだと思うのですが、こと人対人という部分
においては、�の部分と�の部分を広げることがとても重要になる
ようです。

自分のことをひたすらに隠して、こころの内を人に見せようとしない
人は、かっこよく言えば「神秘のヴェールに包まれた」なんてことに
なるのでしょうが、言い方を変えれば、何を考えているのかわからな
い、「得体の知れない人」でしかありません。人がその人から遠ざか
ってしまいます。
つまり、隠し事が多い人は人に信用してもらい辛いということです。

結果、他人もその人に対しては心を開こうとせず、情報を手に入れる
ことが、とても困難になってしまいます。

そして、�の部分が狭い人は、実は、「器の小さい人」だと思うのです。
どうしてと思う人もいるでしょう。

�に関して前記した部分とも重なるのですが、�の部分を広げようと
すれば、自分が知らないわけですから、結局人から指摘してもらうしか
ありません。
普段から高飛車だったり、上から物を言うようなタイプの人、人の
話に耳を貸さず、何を言っても、「でも、自分は」とばかり言う人、
そして前記したような「何を考えているのかよくわからない人」の
下へは、こと、その人のパーソナリティに関してはとくに、情報が
手に入りにくい状況ができてしまいます。

結局、他人の目に自分がどう映っているのか、ということがわからない
のですから、自分自身の行動を改善することができません。

こうして考えてみると、普段から話しかけやすい雰囲気を作り、人の
話によく耳を傾けることは、とても大切だということがよくわかります。

是非、皆さんが自分自身のことを見直す一つの手段として使ってみて
くださいね                    

4つの窓

2008-08-26 00:24:43 | こころの問題
�自分が知っている自分
�自分の知らない自分

�他人が知っている自分
�他人が知らない自分

この4つを組み合わせて、人間の心を捉える考え方を、

『ジョハリーの窓』

といいます。

ブログというのは、時として、�と�の組み合わせの部分を表現して
しまうようです。

つまり、自分が知っていて、他人の知らない自分・・・。

人間的なパーソナリティのレベルを上げるときは、この部分を広げる
ことはとても大切なことなのですが、それでも、どうしても知られたく
ない部分はありますよね。

基本的に、僕は自分がどのような人間だと思われても気にすることは
ないし、身体的な特徴で人に知られたくないと思うものもありません。
物の怪をごらんになった方はご存知でしょうが、僕は身体障害者
です。
ですが、これを隠そうと思ったことは現実社会の中でも、一度も有りません)

だけど、だけど、何です。やっぱり知られたくないことはあります

「There is in my mind...」

ひょっとすると、自分がこの気持ちを認めても良いときが近づいて
いるんじゃないかと思うんです。

わかりません。まだ確信は持てません。だけど・・・。

確認できる日も近いかもしれません。


今日はわかりにくい表現で申し訳ありません
たまにはこんな日記もいいでしょう?
って、ときどきこんな日記も載せてますけどね。

ちなみに・・・。人間的なレベルを上げようととしたときは、
�・�の部分と、�・�の部分を広げる必要があります。

次回はこのことで少し話題を広げてみますね。

あそび

2008-08-24 00:09:24 | こころの問題
現代、この世界には、ものすごい数の宗教が存在します。

世界三大宗教と呼ばれるキリスト教、イスラム教、仏教で
すら、現代は様々な宗派に別れ、その数は数え切れないほど。

そして中東近辺を中心として、これらの宗教が原因となって
現在も紛争が続いています。

だけど、キリストも、マホメットも、本当は戦争をしてほし
くて宗教を創設したわけではないはずなんです。きっと、民
が平和に暮らせることを願って、教えを広めようとしたのだ
と思います。

では、そもそも何故宗教は生まれたのか。

考えてみると、最初から神様が存在したわけではないですよ
ね。最初は、「自然崇拝」、次が「精霊崇拝」。つまり、目
に見えない、言葉では説明できない、人間の力ではどうしよ
うもないものに対して、畏怖の念から生まれたものこそが、
崇拝という宗教的観念の走りであったと思うのです。

では、少し頭が良かったりして、人と違うことに気づけたり、
人が出来ないことが出来たりする人がいたりしたら、どうで
しょう。天気を予測したり、奇術まがいのことを行ったり・・・。

人々はその人を崇拝したはずです。そして、その人たちの言葉
であれば、信用し、実行しようとしたはずなのです。

国家を統治するためには、とても便利な存在であったと思い
ます。彼らの口から法律を述べさせ、遵守することを約束させ
れば、これほど効果的なものはありません。

つまり、宗教は=法律であったように思うのです。

現代の民主国家の法律には必ず「あそび」があります。

例えば、時速40km制限の道路を、真面目に40kmで走行す
るとどうなるでしょうか。勿論、その速度で走ったほうが安全な
通りもあるでしょうが、幹線道路の場合、おそらく50km~
60kmで走ったほうが、道路はスムーズに流れ、結果的に事故も
起こりにくくなるでしょう。

赤信号に気づかずに交差点を通過してしまったら、たとえ後でその
ことに気づいたとしても、そのことは忘れてしまって、次の動作
に移らなければ、却って危険な事態を招きます。

本来、法律はそういうものであったはずなのです。
人にとって、本当に必要なルールは、成文化されたルールより、

「信義則」。

道徳やマナーとよばれるものです。これを破り、平然とルールを
破壊する人々が随分増えてきました。

結果、ルールはどんどんと詳細に決定され、「あそび」の範囲が
どんどん少なくなっていきます。

結果、社会はおかしくなり、人の心にまで「あそび」がなくなり
つつあります。

「それでもいい社会」

が再生することを願っています。

こころの病

2008-08-21 00:44:24 | こころの問題
人と人との関わりあいのなかで、今、多くの人がそのこころに
解決のできない問題を抱いています。

大人になってから、ちょっとしたことで・・・
子どものころから、自らの力ではどうしようもないことで・・・。

構成する要素が1種類だけはないだけに、名前をつけることも、
とても難しいようです。

専門家でも、これを正しく正確に判断できるかどうかは、紙一重。
だけど、名前は付いていたほうが楽です。

ケアするひとも、その本人も。

ですから、簡単に名前がついてしまいます(比ゆ的な表現です。
簡単な問題ではないこともわかっていて、あえて行った表現です)

「うつ病」そして「統合失調症」

医師によっては、原因がわからない病気に、簡単に名前をつけて、
本来その病気ではないにも関わらず、その付けられた名前のための
治療や薬の処方を行ってしまい、大変な結果に陥ってしまうことも
稀にあるようです。

この記事をごらんの方で、
「私は本当にうつ病なの?」「私は本当にこんな名前の病気なの?」

そんな疑問を抱いているかたがいたら、一度このホームページを
覗いてみてください。↓
精神科セカンドオピニオン

また、下に紹介する本は、このホームページの掲示板から生まれた書籍です。

精神科セカンドオピニオン―正しい診断と処方を求めて
誤診・誤処方を受けた患者とその家族たち,笠 陽一郎
シーニュ

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この先生と出会うことで、病の苦しみから立ち直った人も、少なからずいる
ようです。

あなたに行われている処方は、本当に正しいのでしょうか。

一度目を通してみませんか?

モチベーション

2008-08-18 23:41:17 | こころの問題
少し前回の記事内容ともかぶるのですが・・・。

オリンピックを目標として必死に努力している人たちで、一番すごいな、
と感じるのは、そのモチベーションを4年もの間維持し続けることができる
こと。

特に、一つのオリンピックで、屈辱的な敗退を喫して、いっぺんにその
モチベーションの基盤を打ち砕かれた人が、特にたった一人の気持ちだ
けで(勿論、周りに支えてくれる人はいるでしょうが)、4年後にまで
そのモチベーションを維持し続けるということ。

僕たちは、たった1日や2日で、簡単にモチベーションを落としてしま
います。

お盆という期間は、僕にとっては決して好ましいものではありませんで
した。とくに何があった、というわけではありませんが、やはり世間が
止まっている期間だということ。

どうしようもないのですが、やはり僕の時間も少し止まってしまいます。

それは、必然的に、僕に考えなくても良いことを考える時間を与えてし
まいます。

お盆があけて、今日からまた、時間が動き始めました。

「人と会い、人と関わるということ」。
これは、僕にとって何よりの栄養剤です。

さてさて。また忙しい日々が始まります。

こころ

2008-08-15 00:04:59 | こころの問題
同じ、「こころ」でも、ひらがなで記すのと、漢字で記すのとでは、
そのイメージがことなりますよね。

漢字で記す「心」も、実際に書き表してみると、形は丸くて、柔ら
かいイメージがあるのですが、これをひらがなにしてみると、空間
がたくさんできて、まるで包み込んでくれるようなイメージができ
あがります。

よく、「心はどこにあるのか」という問いかけを耳にすることがあ
りますよね。

よくよく考えると、心は心臓を抽象化して表現したものであって、
あくまでも心臓を意味するわけです。

しかし、昔の人が、心が役割を担っていたと考えていた「感情」。
心には、この「感情」という意味も含まれています。

心という言葉の持つ、「感情」というニュアンスには、なぜかネガ
ティブなイメージを感じることがありません。むしろ温かくて、
柔らかい、どこかホッとするようなイメージを感じます。

では、その「心」がどこにあるのか、というと・・・。
やはり、それは「脳」であると思うのです。

腹を立てて怒ったり、悲しくて涙を流したり、楽しくて喜んだり・・・
みんな、脳からの指令によって起きる反応なんですよね。

反射神経と呼ばれるものは、いわゆる「五感(視覚・嗅覚・聴覚・味覚
・触覚)」で感じたものが、脳を経由せずに、脊髄からの指令で、身体
の反応が起きるものが呼ばれるわけですが・・・。
感情が由来となって起きる反応は、おそらく全て脳を経由している、と
思っています。つまり、「考え」てるんですよね。

考えている、つまり自分自身で判断している・・・「決めている」という
ことに気づけば、感情をコントロールできるようになります。

ムカッときたり、ホロッときたり、反射神経が原因で起こるものもある
と思います。ですが、自分の癖をよく把握しておくと、自分がどんなと
きにムカッときたり、ホロッときたりするのかということがわかるよう
になります。あらかじめ五感を通じて、これらの情報を脳に伝えておく
と、いざそういうケースが生じたときに、必ず脳を経由するようになり
ます。

このときに、「腹を立てる」のか、「立てないのか」、自分で決めること
が出来るようになると・・・。

自分自身が傷つかなくて済むようになります。

簡単ではないと思います。ですが、ぜひ、それこそ、「脳のかたすみ」
でかまいませんから、置いておいて見てください。

ああ、このことかと気づいたそのとき、それはきっとあなたの糧となって
いるでしょうから。