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忙しいほうがいい。でも本当は・・・

時間が止まってしまうと、いろんなことを
考えてしまいます。
だから忙しいほうがいい。

でも、本当は・・・

いきるEhime 創刊

2010-04-13 00:51:03 | こころの問題
苦労しました。 画像サイズが大きすぎてUPできない、という・・・。

縮小ファイルというやつがあるんですね。

で、何をUPしたのか、というと・・・。


NPO法人松山自殺防止センターの皆さんが作成した自殺問題への関心促すために作成
した冊子です。

実は、県からの委託助成を受け、HPも新しく作成しなおしていたりするのですが、HPは
まだもう少し手直しが必要です。

とはいえ、データ的にはほぼ揃っているので、見ていただく上では問題ないか、と思いま
す。(冊子に収録されている情報とほぼ同じものとなっています)

自殺問題っていうと、多くの方が目を背けてしまいがちで、「自分には関係のない問題だ」
とか、「自分には何もできない問題だ」などと考える方がたくさんいらっしゃいます。
だけど。果たして本当にそんなに難しい問題なのでしょうか。

例えば、考えてみてほしいんです。

自分には友達が一人もいなくて、家族もいない。毎日話し相手もなく、家ですることといえ
ば、じ~っとテレビを見ることくらい。

ふと外へ出てみれば、み~んな仲がよさそうで、笑って話をしてる。だけど自分に声を掛け
てくれる人は一人もいない。

そんな状況が仮に1ヶ月くらい続いたとしましょう。

この状況に耐えられる人がどのくらいいるでしょうか。

「何いってんだよ~。じゃあ誰かに会いに行くとか、仕事探す、とかすりゃぁいいじゃん

ひよこさん。 ごめんなさい。ちょっと悪役をお願いしちゃいましたね。

友達をつくるのが得意な人とか、話し上手な人。能力があって、人に認められることの多い
人とか、すこぶる体が健康だったり、明るい家族に囲まれていたり・・・。

だけど、そうじゃない人もいるんだ、ということに気づいてほしいんです。

自殺問題を少しでもよりよい方向へもっていく、最良の手段は、「彼」もしくは「彼女」
そこに存在しているんだ、っていうことに、誰かが気づいてあげること。

たったそれだけのことだと思うんです。

自殺問題を考えるとき、よく「うつ病」が取り上げられます。だけど、実は自殺する人の9
割近くが皆「うつ病」を発症します。

だって、それこそ変な新興宗教にかぶれてでもいない限り、喜んで自殺する人なんて一人も
いないでしょう、普通。

では、「うつ病」の人にだけ対処しておけば、自殺はなくなるのか、というと、これもま
た、Noです。だってこの世の中には「うつ病予備軍」の人たちが実際にうつ病を発症して
いる人たちの何倍も存在するんですから。

だとすると、一番大切なのは「うつ病予備軍」の人たちが、どうすれば立ち直ることができ
るのか。そもそも彼ら、彼女らが抱えている悩みとは何なのか、ということ。そちらに視点
を当てることの方が大切な問題なのだということに気づかされます。

自殺をする人たちの中には、実は幼少期、もしくは成育過程において、家庭環境や周辺の環
境に関して、何らかの問題を有している人が多く存在します。

暴力・ことばによる虐待・ネグレクト・過剰な愛情を受け続けること・父親と母親の思想が
全く異なっていたり・・・etc。

これら様々な問題が要因で、うつ病を初め、躁鬱、パニック、過呼吸、統合失調症であった
り、その他様々な精神的疾患を発症したりします。

社会に入って、うまく組織に適合することが出来なかったりすることの遠因にも、これらの
要因が大きく影響しているのではないか、と思われます。

また、職場の上司で自分のやり方を強引に押し付けるような上司や、父親や母親で虐待を
行ったり、育児放棄をしたり、恋人間でもDVを働いたり、様々な「自殺の原因となる行
為」を働く人たちにもまた、自殺を試みる人と同様な問題を抱えている人が多く存在しま
す。

「コミュニケーション能力の欠落」。

一言で言ってしまえばそういうことでしょうか。

ねぇ。 これだけ表現するだけでも、自死に至る問題として、様々なことが原因に
あることが分かるでしょう?

寂しさを紛らわす為、アルコールに逃げたり、またギャンブル依存に走ったり。

実は自殺者のうち、70%近くはアルコール依存症なのだそうです。

たとえ借金苦に陥ったとしても、きちんと問題解決能力のある人は自らの力でこの問題を解
決できます。

問題なのは借金をする理由。買い物依存症であったり、金を借りることそのものに依存して
いたり、それこそギャンブルであったり、アルコールであったり。

金銭的な問題が希死念慮の要因なのであれば、金銭的な問題さえ片付けば死を選ぶことはあ
りません。そこに本質的な問題が隠されているからこそ、彼らは金銭苦を抱え込んでいるの
です。

こうやって書いてみると、一つ一つの問題が、バラバラのようでいて、実は一本の線でつながっているんだ、なんてこともご理解いただけるかと思います。それぞれの段階において、
様々な人が関わりあうことが、この問題を解決に導いていく近道なんだと思います。

おっと。またダラダラと長く書いてしまいましたね。

もし、この冊子、HPでも見れるけど、実際に手にとって見てみたいな~、なんて方がい
らっしゃいましたら、何気にのんきまで、こっそりとメッセージを送ってみてください。

きっと、後日松山自殺防止センターの人からご連絡がいくと思います。

一応、2000部ほど用意してあるらしいです。きっとその中から一部、お手元まで発送される
と思います。「すごい活動してる人たちやな~」なんて共感しいただけたらきっと松山自殺
防止センターの皆さんは嬉しく思うと思います。


ってことで、宣伝でした~。


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目に見えぬ社会の裏側で・・・

2009-08-30 00:27:37 | こころの問題
ちょっと看過することのできない記事を目にしました。

1~7月の自死1万9859人=すべての月で昨年上回る-警察庁

7月の自死者数が2753人なのだそうです。

9.11での死者数が2ヶ所あわせて2,973人。
阪神大震災の死者数が6,434人。

1970年の交通事故死亡者数が1万6765人
2007年の交通事故死亡者数が5744人。


比較するのはよくないと思います。ですが、これらの数字と見比べても、今回の
記事が表す問題が、いかに深刻であるか、慮っていただけると思います。

原因は誰もが良くわかっているでしょう。・・・リーマンの崩壊から連なる「不況」
です。

「景気が悪い」ことが問題なのでしょうか。

・・・実は、厳密に言うと少し違うように思います。「不景気だという空気で国が満た
されてしまったこと」が問題であった思うのです。

リーマンが崩壊した。輸出産業が大打撃を受けた。大手企業による大規模な派遣切
りが行われた。

だから暗い報道ばかり行っていたのでは、やはり国民の心は憔悴してしまいます。
・・・こういった問題に政治を絡ませるのもどうかとは思うのですが、例えば報道が、
派遣切りにあって苦しんでいる人たちのために、必死で頑張っている首相の姿を
報道していたらどうだったでしょうか。

「この国の首相は私たちの国のために何もしてくれないのか」
という雰囲気を作ることと、

「総理は私たちのために必死で頑張ってくれている。ひょっとすると私たちの暮ら
しも何とかなるんじゃないか」
という雰囲気を作るのと、どちらが良かったのか。

突然の不景気で国中が大変な状況に陥った時に、明るい空気を注入するのもマスコ
ミの役目であったのではないでしょうか。

金融機能強化法
小沢一郎によってこの成立が2ヶ月も遅らされたことは、この問題にも少なからず影
響を与えているはずです。

雇用調整強化 デフレ加速 失業率最悪5.7% 求人は最低

・・・言いたいことは沢山あります。しかしここで述べることはしません。
一日でも早く、このような状況が改善される日の来ることを望みます。


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病理

2009-07-04 23:42:52 | こころの問題
今日はちょっとばかし重たい話題をば。

長い間テーマにするのは避けてたんですけどね。久しぶりに。

まあまあ露骨に表現しますけど、最近テレビでも良く見るようになりましたよね、

「自殺問題」。

これが社会問題として捉えられ始めたということは、傾向として、良い傾向にある、
といえるかも知れません。

実際、のんきの地元である愛媛県にも、自殺対策のための予算として、国から1億5
千万の交付金が支給されました。

愛媛県は、自殺対策のモデル事業地区でもあるので、これだけの予算配分がされた
わけですが、もちろんこれまでも対策費として、予算が組まれていなかったわけで
はありません。

昨年度で、愛媛県では300万近い自殺対策に対する予算が組まれていたのですが・・・
きっと、愛媛県に居住している人で、その予算が一体なんのために使われたか、な
んてことを知っている人なんてほとんどいないと思うのです。

で、じゃあ何に対して使われたの~、っていうと、実はこれ、ほとんどが「鬱対
策」のために用いられているのです。

うつ病の為の講演であったり、講習であったり、こういったことをする為に300万
もの予算がもちいられているわけです。じゃあ、実際効果があるのか、というと、
恐らく愛媛県が現在行っている対応では、略効果がない、といっても過言ではない
と思うのです。300万もの予算が、講演や講習の主催者であったり、自殺対策会議
を開いて、会議への参加者に支給されたり、だとか・・・。

と・・・。今日ののんきの記事は、別にそう言った予算の使い方を責めよう、とかそう
いう趣旨の記事ではありません。

ただ、県の対策への批判的要素が含まれる、というのは事実です。

というのも、やはり県の対策が、この「うつ」という問題に余りに集約されすぎて
いることは問題だと思うからなのです。

「うつ病」に対する対策さえしておけば充分だろう。そんな捨て鉢な考えが透けて
見えすぎるんです。

皆さんの、「うつ病」に対するイメージってどんなものでしょう。

例えば、こんなニュースを見て、どう感じるでしょうか。

自殺の原因、「うつ病」が最多


これは、ある意味で正しいといえます。ですが・・・、のんきは「そうじゃないだろ
う」と感じてしまうのです。

というのも、「自殺」にいたる人は、恐らくそのほとんどが「うつ病」を発症して
しまうと考えるからです。

自殺にいたる人のほとんどがうつ病を発症してしまうわけだから、当然、調査結果
として、「自殺の原因はうつ病が最多である」という結果が出てくるのは至極最も
な話。それでは、「うつ病」の人は自殺に対するリスクが一番高い状態にあるわけ
だから、その症状の人にさえ焦点をあてて、うつから回復させたり、それ以上酷く
成らないようにするような対処さえしておけば、この問題は解決するのか。

違いますよね。大切なのは、

「なぜうつ病が発症するのか」

ということ。勿論、更年期うつに代表されるように、ホルモンのバランスの変化な
どを理由として直接的な原因がないにも関わらず、うつを発症する人もいるかと思
います。

ですが、その「病理」はもっと別のところにある・・・。

これは、「社会構造が抱える、潜在的なうつの発症にいたるリスク」に他ならない
と思うのです。

県の対応は、ここに対する対策が極端に欠落していると思うのです。

ここに手を加えなければ、たとえ現状としてうつを発症している人に対する対策を
取って、実際にその数を減らすことに成功したとしても、また別の人が同じように
うつを発症してしまう。この螺旋構造に手を加えなければ、自殺問題に対するリス
クを軽減することは不可能だと思うわけです。

つまり、国や地域が本来その対策の対象とすべきは、うつを発症した人たちはもち
ろんなのですが、それ以外の人たち・・・。

2種類あると思います。

一つはうつ病の予備軍に当たる人たち。

もう一つは、潜在的にうつを発症させる原因となる恐れのある人たち。

会社の上司。学校の教師や同級生。地域の親御さんたち。ご近所さんや、果ては病
院の医師に至るまで、様々なところにこういったリスクは潜んでいます。

せっかく自殺問題が、その遺族問題にまで関心が寄せられるようになったのですか
ら、つぎはその病理がどこにあるのか。

問題はプロセスとしてのうつではなく、その前段階。うつを発症させてしまう社会
のメカニズムにこそ、その原因があるのだ、ということに社会全体が気付き始めれ
ば、またもう少し違った結果がうまれてくるような気がするのですが。


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「老いる」

2009-03-16 00:34:59 | こころの問題
最近、考えさせられることの多い問題です。

幼い頃って、子どもですから、「知っていること」の量ってものすごく限られてい
ますよね。当然、親の方が物事を良く知っていますし、子に教えられることもたく
さんあるわけです。

親だって、何も学ばないわけではありませんから、子が成長するのと同じように成
長してゆきます。だけど…。

最近感じるんです。のんきが関わる人たちの中に、「情報」が「停滞」してしまっ
ている人たちがいるということを。

近年、インターネット環境が普及するにつれ、世の中の情報が変化するスピードっ
て、とても早くなっていますよね。ある程度年を取ってしまうと、この変化する情
報のスピードについていけなくなるようなのです。

ちょっと切なくなるのは、「昔尊敬していた人」の中にこそそういう人が多いとい
うこと。

どんなにすごい人でも、向上心を失ってしまうともろいものだなと思います。
自分の周りに自分より物を知っている人がいなくなってしまう(と思ってしまう)
と、人は学ぼうとしなくなる傾向があるようです。若しくは自身の価値観の範疇
から出ることが出来なくなってしまい…何時しか自身の考え方がもはや世間一般で
は通用しなくなってしまっていることにすら気付けなくなってしまうようです。

特に男性にその傾向は顕著に見られ、社会人として、一家の大黒柱として家庭を支
え(ていたつもりで)、いざ定年を迎えてしまうと、自分の周りには自分を支えて
くれる人は誰もいなくなってしまっている…。

子も、弟子も、物事を学びます。最初は教える立場であった人も、いつかは逆転
し、子や弟子から学ぶことも多くなる。これが当たり前の姿だと思うのです。

いつまでも親という立場、師匠という立場にしがみつき、子や弟子の成長に気付け
ないままいると、その成れの果ては無残なものです。

のんきもそうならぬよう、若い今のうちに心しておきたいと思います。


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「逆差別」

2009-02-07 00:26:08 | こころの問題
こんなことを記事にしてしまうと、色んなところから批判を受けてしまいそうな気
もするのでちょっと恐ろしいところでもあるのですが…。

よく耳にする話として、「ジェンダー」や「差別」などがありますよね。
女性は男性に比べて力が弱いですから、古来、様々なリージョンにおいて差別を受
けてきました。

ですが、アメリカやヨーロッパなどから輸入された、この「ジェンダー」に関連す
る考え方。女性にも男性と同様の権利を与えるべきだ、という考え方です。

ですが、余りに女性の権利が強調されすぎたため、たとえば「ジェンダー」に関す
る意識の低い男性を逆に蔑視したり、この言葉を盾に過剰な権利を主張したり、と
いった逆転の現象が起こったりします。

問題もそう。江戸時代以前の身分制度の名残で差別を受けてきた人々が、自分
達が社会から受けてきた差別を盾に、「自分達のような者にまだ差別をする気なの
か」と、必要以上の権利を主張し、言葉通り「法外」な優遇を受けていたり…。

このように社会的に弱い立場、または不遇な立場にある人、人たちが、保身のため
に今まで自分達を差別してきた存在に対して必要以上の壁を作り、逆に差別意識を
持つようになってしまう現象を「逆差別」と呼ぶわけです。

日韓、日中、対北朝鮮などに対する問題にも同じようなことがいえます。

で、のんきが言わんとしていることは、現在世間で大きな関心を寄せつつある、と
ある社会問題に対して、この「逆差別」的な現象が起きている、って言うことなん
です。

本来行政を挙げて取り組んでいくべき問題。地域の人々が手を取り合って、自分達
の問題として取り組んでいくべき問題なのですが、その対象とされる人に関連のあ
る人たちが、どうもこの「逆差別」を行う傾向があるようなのです。

これをやってしまうと、せっかく「深刻な社会問題」として関心を寄せ始めたの
に、今までとは全く異なる理由で社会から目を背けさせてしまいます。

「ああ、この人たちはこんな態度をとるのか」と。
「それなら自分達だけで勝手にすれば? もう私達は手を貸さないから」と。

あえて「バリアフリー」という言葉を使用します(障害者問題ではないので誤解し
ないでいただきたいのです)が、「心のバリアフリー」が必要なのは、差別する側
だけでなく、差別される側にも必要なんです。

「自分達は特別な境遇にある存在なんだ」

なんて特別視せず、オープンにして関心を持ってもらうことこそ本来差別する側と
される人たちに対するべき姿だと思うのですが…。


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疑うべきものは・・・

2009-01-19 22:31:26 | こころの問題
さーて…

すみません、真面目な記事が続きます。だって仕方ないのだ のんきの中に降りて
くる神がこんな記事を記せと命ずるので

次回こそは、思いっきり不真面目な、のんきのマニアック記事にしてみせます

「覚悟」の続編です。
「覚悟」の中で、ある人から「人は信頼しなさい」と教わった、とお伝えしたと思います。
そのために、「裏切られない為の工夫」と「裏切られたときの覚悟」を予めしておくのだ、
と。

だけど、のんきはそうしながらも、いつも疑っているものが一つだけあります。
それは…

「自分の中に生まれる感情」

なのです。阿頼耶識の中でご紹介した、「末那識(まなしき)」に相当するものです。

もちろんこれは、「自分の中に起きている感情」に気付くことが出来ることが前提
となるのですが、特に自分の中にネガティブな感情がおきているとき。

腹が立った。むっとした。相手のことが許せない。あの人とは意見が合わない。

のんきは基本的に、これらの感情を疑っています。

「腹が立っているのはあの人のせい?」
「むっとしたのはあの人が話した言葉が原因なの?」
「相手が間違っているから相手のことが許せないの?」
「あの人の意見が間違っているからあの人と意見が合わないの?」

実は、おそらく例外なく、それはすべて「No」なのです。

腹が立つのは自分があの人の意見を受け入れることが出来ないから腹が立ちます。

むっとするのは実は図星を突かれたからなんです。

自分の意見を客観的に受け止めることが出来ないから、相手のことが許せなくなり
ます。

自分の意見と相手の意見のどの部分に相違点があるのかがわからないからあの人と
意見が合わないと感じるんです。

原因はすべて自分の中にあります。とどのつまり、自分自身が有する価値観、価値
基準こそがその原因なのです。人は多かれ少なかれ、これと相手が有する(と思い
込んでいる)価値観、価値基準を比較してしまうことからこれらのフラストレーション
は生まれます。

相手が考えていることが100%わかることなどまずありません。だからこそ、偏
見や先入観を持たず、「今、その時」の相手の感情に耳を傾けることこそが必要と
なってきます。

結論はというと。

相手に自分の価値観、価値基準を押し付けようとすると不和が生まれます。
だからこそ、相手と交渉することが大切なのだと思います。もし自分の主張が受け
入れられない時は、自分の価値観や価値基準を相手が受け入れやすいものに加工し
て、再度相手に差し出してみることも大切です。

その結果生まれるものこそ、「シナジー効果」と呼ばれるものだと思います。


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「親離れ」「子離れ」

2009-01-18 19:42:54 | こころの問題
さてさて。本当の愛情の続きです。

前回の記事の中で、一つだけ放ったらかしにしているフレーズがありますね。

「自分が産んだ子どもです。とくに母親には、まるで子どもが自分の所有物であるか
のような感覚が生まれる」

まあ、少々拾ってはいるんですが

子どもの身の回りの環境って、最初は「お母さん」。次は、「家族」。次は「ご近
所」。次は「保育園や幼稚園」。「小学校」。「中学校」。「高校」。

段々範囲が広がってゆきます。最初のうちはお母さんや家族しか知りませんから、
自分のやっていることが正しいことなのか、間違っていることなのか。その判断基
準は家族の話しかありません。どんな無茶苦茶なことでも、ルールを決めているの
は家族、特に親御さんなんです。
当然、最初は子どもは親の言うとおりにに動きます。たとえヤンチャ(死後?
な親の言うことを聞こうとしない子どもでも、所詮は親の掌の上の孫悟空に過ぎま
せん。怒ったりなだめたりすれば、最終的には親の言葉に従います。

だけど、行動範囲が広がるにつれ、自分と同じ立場にいながら、自分とは全く異な
る価値観の中で生きている人がいることに気づき始めます。子どもの中に疑問符が
浮かび始めるんです。そして、やがて迎える「思春期」。

特に、今まで親、特に母親に従順で、母親の言葉に従い続けた「良い子」が急に自
己主張を始めた時、母親はものすごいショックを受けます。

中には、たったそれだけのことで、「自らの死」すら意識してしまう人がいるほど
です。だけど、そういう人たちの話によくよく耳を傾けてみると、あることに気付
きます。

そうです。子どものころ、親御さんに充分に愛情を与えてもらっていない人が多い
ようなのです。

「アダルトチルドレン」と呼ばれる人たちです。

充分な愛情を与えられていない、または誤った愛情の与えられ方をした人たち。
充分な愛情を受けていないわけですから、当然のようにして子どもに対してどのよ
うに愛情を与えればよいかがわかりません。

方や、手を上げて暴力に訴えようとする人もいるようですが、逆に愛情を与えすぎ
ようとしてしまう人もいるようです。ですが、子どもがそれを愛情と認識しなけれ
ば、言い方を変えると、子どもにとってそれは、「いらぬおせっかい」「余計なお
世話」でしかないのです。

子どもたちはそれを「重たい」と感じ、やがて親から離れていきます。

「充分な愛情を与えているはずなのに」
子どもたちは親から離れ、場合によっては二度と親元に戻らないと意識する子ども
までいるようなのです

「わが子」は子どもではなく、一人の「人間」。しかも自分より早く変化し、やがては自分自身をも越えていく存在かもしれません。

「わが子」を「パートナー」であると意識できれば・・・変化していく子どもを支え続
けることもできるのではないかと思うのですが。


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本当の愛情

2009-01-17 23:42:16 | こころの問題
のんきが昔、スーパーマーケットの店員さんをしていたことは過去に記事にしたこと
があると思うのですが、その時のお客さんで、ちょっと印象に残っているお客さんが
います。

小学校に上がるか上がらないかくらいの年齢の子と、小学校中学年頃と思しき子の
姉妹と、そのお母さん。場所はお菓子売り場でした。

母「どれでもいいから好きなお菓子を選びなさい」
妹「じゃあ、これ」
母「それは大きいから他のにしなさい」
妹「じゃあ、これ」
母「それはオマケが付いているから他のにしなさい」
妹「じゃあ、これ」
母「それも大きいからダメ」
姉「もう。○○ちゃん。結局お母さんが言ったとおりのやつになるんやけん、これ
にしとき!!」

思わず吹き出してしまいました。お母さんはどんな気持ちだったでしょうね。
皆さんはいかがでしょうか。「うちは違うよ

ひよこさん。 本当にそうですか?
大人って、結構こういう傾向があると思うんです。

自分が産んだ子どもです。とくに母親には、まるで子どもが自分の所有物であるか
のような感覚が生まれるんですね。

小さい頃は特に、子どもはまだ自分の意思で着るものを選んだり、選べたとしても
支払うのは自分ではないから、結局親が代わりに衣服を選んで着せたりします。

だけど、例えばどうでしょう。親が、「いいな」と思う服を2つ選んで、
「○○ちゃん。服を買おうと思うんだけど、○○ちゃんはどっちの服が好きかな」

悩むかもしれません。でも、子どもは必ずどちらかの服を選ぶと思うんです。
自分が選んだ服ですから、子どもには当然その服に愛着が湧くと思います。きっと
その服をとても大切にするでしょう。

ところが、こんなケースはどうでしょう。

子どもに内緒で服を買いました。家に帰った後、その子どもにその服を見せて、
「○○ちゃん。実はね~。服を買ってあげたのよ」

袋を開けて子どもに見てもらいます。親は子どもの喜ぶ顔が見たくてたまりませ
ん。子どもは親に気を使って、「ありがとう」

だけど・・・本心では好みの服ではないかもしれません。また、そうでないとしても、
その子どもの心には、「服は親が買ってくれるもの」という意識が芽生えてしまい
ます。

愛着も湧きませんから、その服を大切にしません。それどころか、何時までたって
も自分で衣服を選ぶ習慣が身に付きません。どんな格好をしていても気になりませ
んし、何よりコーディネイトをするだけのセンスが何時までたっても身に付きませ
ん。親は子どもが大きくなった時にこう言います。

「あんたっていっつもビンダレね。たまにはきちんとしなさい」

親は気付いていないんです。自分が子どもをそうしてしまったんだということに。
お菓子の件でも同じなんですが、子どもに自分で選ぶ習慣を身に付けさせることっ
て、本当に大切だと思うんです。その代わり、条件をつけます。

「お菓子は一つしか買ったらいかんよ」

たった一つだけしか買えないんです。子どもはきっと、一生懸命探して、やっと
決めたお菓子を、嬉しそうに持ってくるはずです。

「お母さん、これ

「自分が産んだ子ども」であっても、やっぱり子どもは「一人の人間」なんです。
一人の人間としてのわが子の「人間性」を尊重することが出来れば・・・。

さて・・・。この話、次回に続けてみます。


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言葉に出して外に出す

2009-01-13 21:16:40 | こころの問題
「涙」の続きです^^

「涙」が持っている浄化作用。
涙だけでなく、言葉とか、悲しみとか、怒りとか、ネガティブな感情をすべて外に出
すことは、それだけでどうやらこころの状態を正常に戻す作用があるようなのです。

「涙」もそうなのですが、「言葉」を外に出すという行為の持つ作用。

最初は独り言でも良いかもしれませんが、できれば誰か他者に対して放つほうが良
いのかもしれません。

例えば英単語や年号などを覚える時、皆さんはどのようにして覚えたでしょうか。
声にして外に出したりしませんでしたか? ただ文字にして書いてみる行為より、
より効果があったかと思います。

何故でしょう。「声に出したから」なのでしょうか。いいえ
実は、自分が出した声を、「耳で聞いていたから」なんです。文字にして書いてみ
る。目で見たものを言葉にしてみる。言葉にしたものを耳で聞く。

そうなんですねぇ 記憶する時に大切なのは、声にして出すことではな
く、ちゃんと外に出した声を自分の耳で聞くことなのです。

涙が出なくても、言葉って外に出せます。自分が何に悩んでいるのか。最初は独り
言でも良いと思うんです。きちんと言葉にして外に出すことで、自分の悩み事を確
認することができます。だけど、出来れば誰かに来てもらったほうがいいですよ
ね。

悩んでいる時って、頭の中がぐちゃぐちゃになっています。まるで本棚から出した
本やノートが、分別されることなく、整理されることもなく、ただ闇雲に散らかっ
ているような感じです。独り言を言うってことは、どちらかというと、

「ああ、この本がここにおいてあるな」とか、
「ああ、あんなところにノートが置いてある」

というような感じで、ただ悩み事を確認しているだけにすぎません。
ところが、その悩みを人に話すことで、

「ああ、この本にはこんなことが書かれてあったのか」とか、
「ああ、このノートはこんな風に利用していたんだな」

というように、その悩みがどんな悩みかということを確認することが出来ます。
また、何度も何度も同じことを人に話すことで、まるで本やノートが本棚に目的別
に整理されていくように悩み事が整理されていきます。やがて、本やノートが整理
された後、今まで見つけることが出来なかった本やノートを見つけることもできる
かも知れません。

そうです。新しい解決方法が見つけられるかもしれないんですねぇ

言葉にして「アウトプット」したものを、耳で聞くことによって「インプットす
る」。さらに誰かに聞いてもらって、反芻してもらったり質問してもらったりする
ことで、いつの間にか頭の中が整然と整理されていく・・・。

もうこれ以上入らないと思っていた本棚に、まだ沢山の隙間があることに気付くん
です。

・・・そうなんですよねぇ・・・。わかっちゃいるんです。だけど、やっぱり言葉にでき
ないことって沢山ありますよねぇ・・・って、のんき自身の話に一方的にすりかえちゃ
います。

隠し事はいけないと思うのですが、人に伝えるには恥かしい話もあるわけです。
そのことが原因で解消できない問題事もあったりします。

のんきの能力や知識、バイタリティだけで何とかできる問題なら良いわけです。だ
けど、のんきの能力も、知識も、バイタリティも関連さすことが一切できない問題
ごと・・・。ただひたすら心配し、神に祈るしかありません
神を信じない男なのに・・・。


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「覚悟」

2009-01-02 21:54:36 | こころの問題
一年のしょっぱなからこんな記事ですみません
正月はネタが少ないので・・・。

のんきは、時々自分のこころの中に沸き起こる「感情」のことを記事にすることが
あるのですが、今日はそんな話です。

自律2でもお伝えした、「感情をコントロールする為の方法」の中の一つとして、「人
を信頼する覚悟」をしておくことがあげられます。

変な話でしょう、「人を信頼する覚悟」なんて。

ここには、「人は常に100%ではない」ってことが関連してきます。

のんきは、いろんな人と関わるとき、常に相手のことを「信頼するかどうか」とい
うことを自分自身の中で決めてから関わるようにしています。

ひょっとすると過去の日記の中で、同じようなことをテーマにしているかもしれま
せんね。まあ、改めて、ってことで。

人って強くないですからね・・・。どんなに普段穏やかで優しい人でも、状況により、
意外と弱い部分を見せたりします。

昔、ある人からこんなことを教わったことがあります。
「人は信頼しなさい」と。

人間ですから、時として裏切ることもあります。肝心なのは、裏切られたときに、
それでもその人を信頼できるかどうか、ということなんです。

「裏切られても、裏切られても、信頼しなさい」と。
そして、もう一つ。
「最終的に裏切られたとき、その人のことを許しなさい」と。

この覚悟ができるかどうかによって、他者との関わり方は大きく異なってきます。
少し宗教チックですが、この覚悟をすることによって、最終的にどのような結果に
なったとしても、他者のせいにすることがなくなるんです。

その代わり、同時に自分自身の行動にも責任感が生まれます。組織的な意味での責
任感ではなく、変な話、「自分がトラブルごとに巻き込まれないための責任感」。
自分自身の能力を把握し、一つ一つの行動を慎重に決めるようになります。
巻き込まれてしまうと、どうしても相手に責任を転嫁してしまいますからねぇ。
それは、自分自身も追い込んでしまいますが、同時に相手のことも不幸にしてしま
いかねないわけです。

自分が信頼すると決めた相手ですから、その人とより良い人間関係を長い間継続し
ていくためにも、「裏切られない為の工夫」と「裏切られたときの覚悟」をあらか
じめ行っておくことが必要になります。

まあ、のんきが行っているこの覚悟は、「裏切られること」が前提となっています
から・・・。

ちょっとばかりのんきの「こころの小ささ」も感じたりますね

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