飲んでもブログ

飲んでいる時に付けたタイトルで間違いではありません。
趣味は山登りやハイキングとDVD映画の収集です。

境川の左馬神社巡り(その2)

2014年01月12日 | Weblog
 1月11日(土)は大喝!で気になっていた「境川の左馬神社巡り」のリベンジをしました。
 1月4日(土)の左馬神社巡りは、最後の飯田神社からはバスで相鉄線「いずみ野駅」に行ってしまったので今日は隣駅の「いずみ中央駅」から再スタートしました。
 尚、12社ある左馬神社の内、4日は4社回ったので今日は残りの8社全部は回ってみるつもりです。

<佐婆神社>

 「いずみ中央駅」から和泉川沿いに10分位北上すると左側に鳥居を見つけました(今日は幸先が良いみたいです)。
 尚、和泉川は境川の支流で横浜市戸塚区で境川に合流しています。
 

 横浜市泉区和泉町神田4811にある佐婆神社は相模の七鯖の一つで、祭神は源満仲です。源義朝でない別の祭神だったので調べてみました。
 源満仲(912年~997年)は、第56代清和天皇(858年~876年)の曾孫、清和源氏の祖と云われる源経基(未詳~961年)の嫡男みたいです。
 そして源満仲の子孫に源義朝(1123年~1160年)がいました。
 

 社殿の隣に横浜市の名木古木に指定されているタブノキの古木がありましたが、大きくて写真に入りきれませんでした。
 尚、奥に写っているのは相鉄いずみ野線の高架です。




 佐婆神社には由来板もなく何故このような名前が付いたのか判りませんが・・・
 佐婆神社は【お婆さん】と何か関係かるかも知れませんね?


 佐婆神社を後に今度は和泉川を南下して「いずみ中央駅」の駅前を通って中之宮左馬神社に向かいました。
 左に写っているのが「いずみ中央駅」駅前にある和泉中央公園です。


 和泉川沿いを10分位南下すると右側に公園があってその奥に池があると地図には出ていたのですが、池はご覧のような状態で草が生い茂っていました。池近くの説明板には桜川雨水調整池と出ていました。

<中之宮左馬神社>

 調整池から細い道を2~3分歩くと右側に鳥居が見えて来ました。


 鳥居の傍にある大きな杉の枝をリスが上っているのが見えたので撮ってみましたが残念ながら上手く撮れていませんでした。
 下から2番のやや大きな枝の略中央に頭を右にして小さく写っているのがリスですが・・・


 横浜市泉区和泉町3253にある中之宮左馬神社も相模の七鯖の一つで、祭神も源満仲です。


 中之宮左馬神社にも由来板がなかったので神社の名前だけ撮らせていただきました(上手く撮れていなくてすいません)。
 次は藤沢市高倉にある七ツ木神社に向かいます。


 社殿の脇にはご覧のような石碑(庚申塔や地神塔等)がありました。
 石碑の横に文久元年(1861年)と彫ってあって年代を感じさせますよね!


 石碑の横にご覧のような獣道(?)があって、来た道を戻らなくても相鉄いずみ野線を超えられそうなので行ってみることにしました。
 獣道を抜け出てから農道の霜柱を踏み締めながら暫く歩くと運よく相鉄いずみ野線を超えることが出来ました(ホッ!)。


 後は地図を頼りに県道18号線を超えて暫く歩いてから境川を渡りますが、境川が市境になっているので横浜市から藤沢市に移動したことになります。
 橋の上から境川を撮ってみましたがご覧のように護岸工事がやっと終った段階で整備はこれからですかね?

<七ツ木神社>

 中之宮左馬神社から40分位で藤沢市高倉1128にある七ツ木神社に着きました。


 階段を上ると正面に社殿と左にご覧のような大きな神楽殿がありました。




 七ツ木神社は相模の七鯖の一つではないのですが、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 社殿の手前にご覧のような『サバ神社めぐり』の案内があって①~⑦を回ったことになります(エヘン!!)。
 ところで左馬神社の名前は左馬頭(さばかしら)から採ったみたいですよ!


 帰りがけに鳥居の手前の階段上に石碑が祀ってあったので行ってみました。


 左から「三笠山天皇」、「御嶽山座皇大神」、「八海山神皇」と彫られていたので三山の信仰碑ですかね?


 七ツ木神社を後に8番目の横浜市泉区下飯田1389にある鯖社に向かいました。
 途中、境川に架かるご覧のような美しい木製の渡戸橋(わたどはし)を渡って今度は藤沢市から横浜市に移動します。

<鯖社(下飯田左馬神社)>

 渡戸橋を渡って5分位道なりに歩くと年代を感じさせるような鳥居がありました。
 

 この鳥居を超えると二つ目の鳥居があって『鯖社』ではなく『左馬神社』となっていました。
 別の神社に来たかと思って後で調べたら以前は『鯖社』と云われていたみたいです。
 

 鯖社(下飯田左馬神社)は相模の七鯖の一つで、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 次に藤沢市湘南台にある鯖神社に向かいますが、再び、境川を超えることになります。
 境川の遊歩道を30分位歩いた今田高架橋の下にご覧のような祠がありました。何故、こんな所に祠があるのか?ですね!

<今田鯖神社>

 鯖社(下飯田左馬神社)から40分位で藤沢市湘南台7-201(旧・今田上原201)にある鯖神社に着きました。


 鯖神社は相模の七鯖の一つではないのですが、祭神は左馬頭(さばかしら)源義朝でした。


 拝殿の手前に奉納されたご覧のような珍しい絵馬があったので撮ってみました。


 鯖神社にはご覧のような由来板がありました。それに依ると、『元禄15年(1702)当地井上瀬兵衛発起より造立、文政9年(1826)に再建、昭和8年(1933)に氏子中により本殿・拝殿が改築』とありました。
 ところで元禄15年と云えば赤穂浪士が吉良邸に討ち入りした年ですよね(関係ない? こりゃまた失礼しました)!


 鯖神社を後に今度は横浜市泉区和泉町にある鯖神社に向かいますが40位で行ける筈です。


 再々度境川を渡りますが今田遊水地の整備状況を撮ってみました。奥に写っているのが相鉄いずみ野線の高架です。
 後は境川を渡って横浜市立中和田南小学校を目指して進み県道18号に出れば後は南下するだけでした。
 ところが南小学校の近くにコンビニがあって小休止したら方向を間違ってしまい県道18号に出る前に南下してしまい広い今田遊水地の外れに出てしまいました(来た道をコンビニ迄戻らなけれならない失敗をしてしまいました)。
 県道18号に出たら密蔵院(宗教法人)の近くに鯖神社がある筈なのですがなかなか見つからず行ったり来たりしてしまいました。

<鍋屋鯖神社>

 結局、今田鯖神社を出てから1時間15分もかかって横浜市泉区和泉町705(旧・和泉町鍋屋705)にある鯖神社に着きました。しかも神社の裏山(?)から境内に入ってしまいました。




 鍋屋鯖神社は、相模の七鯖の一つで、祭神は源満仲です。
 取り敢えず軒下に掲げてあった『鯖大明神』は撮りました。




 裏山から境内に入ってしまったので申し訳ありませんが鳥居は帰りがけに撮らせて頂きました。
 これで相模の七鯖は全て回ったことになりましたが偉く疲れました。

 「境川の左馬神社巡り」も残り2社(佐馬大明神、佐波神社)になりました。次の佐馬大明神は県道403号線の近くにありそうなので帰りがけに寄ってみることにして更に境川の遊歩道を南下しました。

<境川遊水地公園>  

 途中に「県立境川遊水地公園」の案内板があったので現在地を確認します。上が南なので大分歩いたことになります。
 ところで境川遊水地は、今田遊水地、下飯田遊水地、俣野遊水地の3つの遊水地で構成されていて広さは約30haなので東京ドームの約30倍みたいですよ!
 案内板の先に「境川遊水地情報センター」があって休憩出来そうなので行ってみました。


 「境川遊水地情報センター」で小休止してから佐馬大明神を目指しました。
 閉園した横浜ドリームランドのホテルエンパイア(現・横浜薬科大学図書館棟)が近くに見える所まで歩いて来ました。
 ホテルエンパイアの左上にお月さんが見えたので一緒に撮ってみましたが・・・

 境川の遊歩道が県道403号線とぶつかる所に到着し、辺りを散策してみたのですが佐馬大明神を見つけることは出来ませんでした。
 歩き疲れたのと昼食も食べていなかったので佐馬大明神を探すのは諦めました(これは小喝ですね!)。
 それでも県道403号線から藤沢街道(国道467号線)に出て小田急線の六会日大前駅まではここから30分以上歩かないと着けません。

 40分近くもかかってしまいましたが、どうにか六会日大前駅に着きました。駅前でファーストフードに入って休憩しようと思ったのですが適当なとことがなく下車駅の大和駅のファーストフードに入って休憩してから帰宅しました。

 今回の「境川の左馬神社巡り」は12社中10社しか回れませんでしたがそれなりに満足しています。又、自宅近くに境川はあるのですが下流の境川の河川整備(境川遊水地、県立境川遊水地公園)の素晴らしさには驚かされました。
 ところで万歩計は28,000歩を超えていました(歩き疲れる筈ですよね!)。

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