12月19日(土)は、所用で西武新宿線の「新井薬師前」に行く用事があったので、帰りがけに中野区にある哲学堂公園と新井薬師に行ってみました。
「新井薬師前駅」の北口から商店街を15分位歩くと、妙正寺川に架かる四村橋がありました。
四村橋を渡ると左側に哲学堂公園はあります。
四村橋から妙正寺川を撮ってみました。右側に見えるのが哲学堂公園です。
<哲学堂公園>
哲学堂公園の四村橋口にあった公園案内図で現在地を確認しましたが、「七十七場名称案内」に依ると見る箇所はかなりありそうです。
何処から回って良いか迷ってしまいますが、取り敢えず、妙正寺川に沿って歩いてみることにしました。
尚、哲学堂公園は、中野区有形文化財に指定されています。
入口から公園の散策路を撮ってみましたが、遠くに未だ紅葉が残っていました。
右側にあるのが菖蒲池(?)です。
菖蒲池に菖蒲はなかったのですが、大きな鯉が泳いでいました。
池を渡るとオレンジ色の実をたくさん付けたピラカンサがあったのでアップで撮ってみました。
ピラカンサの実は美味しくないのか、小鳥がついばんで実がないのは見たことがありません。
ピラカンサを撮って暫く歩くと、ご覧のような「心字池」がありました。
池に小さな橋(概念橋)があったので渡って「理性島」に行ってみました。
「概念橋」の説明板には、『理性(島)に達する道程には概念(橋)が存するとしてこの名をつけた。』とありました。
「理性島」に着くと「倫理淵」と彫られた石柱もありました。
「理性島」には、「心字池」を眺めている首のない鬼(?)がいたので撮ってみました。
正面に回ってみると、鬼は首を竦めて腰掛けているだけでした。
「心字池」の手前には、「唯心庭」の説明板がありました。
説明板には、『唯物園に対する小庭で、唯心論的呼称をもつ諸部分が見られる。』と書いてありましたが、何となく大袈裟な感じがするのですが・・・
⇒ 哲学堂公園だから仕方がないかも知れませんね!
「心字池」を後に、ご覧のような木漏れ日の指す散策路を進みますが、「独断峡」や「学界津」の石柱がありました。
散策路の先は「唯物園」になっていましたが、動物園ではありませんよ(念の為)!
「唯物園」の説明板には、『唯物論的寓意をもつこのあたり一帯をいい、下流河畔の唯心庭とともに哲学的名勝の一つである。』と書いてありました。
「唯物園」の入口脇に、ご覧のようなお坊さん(?)がいたのでアップで撮ってみましたが、説明板は見当たりませんでした。
ご覧のような「狸燈」があったので顔が分かるように度アップで撮ってみました。
説明板には、『人間の心情には狸に類するものがあり、しかも、時には光輝ある霊性を発することもあるとして腹中に燈籠を仕込んである。』と書いてありました。
大きな桜の木が植えてある「唯物園」の全景を撮ってみました。
お花見の時期には、妙正寺川沿いの桜を眺めながら花見が出来る恰好の場所かも知れませんね!?
哲学堂公園の下田橋口に着いたので、小高い丘を登って古い建物を見に行ってみました。
散策路を暫く歩くと、古めかしい建物があったので傍に行ってみました。
説明板がなかったので、名称は定かではありませんが、「復活廊」かも知れません。
又、奥の方に見える建物は「髑髏庵」みたいです。
「髑髏庵」の近くに行ってみると、ご覧のような「常識門」がありました。
「常識門」の説明板には、『正門の哲理門に対して普通の出入口の意味で与えられた名称である。』と書いてありました。
又、「常識門」には、『四聖堂前月白風清(四聖堂の前、月白く風清し)』、『六賢台上山紫水明(六賢台の上、山紫水明)』の聯(れん)が掲げられていました。
「常識門」を通って左に行くと、三層六角形の「六賢台」がありました。
「六賢台」の説明板には、『ここに東洋的六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている。』と書いてありました。
「六賢台」から斜め後ろに立派な門が見えたので行ってみました。
軒瓦の”哲”が珍しかったのでアップで撮ってみました。
正面に回ってみると、「哲理門(妖怪門)」の説明板がありました。
説明板には、『本堂の正門に当たり左右の天狗と幽霊は、もと、この地に天狗松と幽霊梅があったことにちなむとともに、前者を物質界、後者を精神界に存する不可解の象徴とみなしたものである。』と書いてありました。
取り敢えず、幽霊をアップで撮ってみましたが、(淀川長治調に)怖いですね!
ついでに、天狗も撮ってみましたが、幽霊も天狗も薄暗くて上手く撮れていませんでした。
「哲理門」から園内に戻ると正面に、「四聖堂(哲学堂)」がありました。
「四聖堂」の説明板には、『東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの4大哲学者を祀っている。』と書いてありました。
尚、「四聖堂(哲学堂)」は新東京百景に選ばれていています。
又、「四聖堂」の手前には、公園創設者の井上円了先生のプロンズの胸像と公園設立の趣旨が書いてありました。
散策路を進むと今度は「宇宙館」がありました。
哲学と宇宙は関係なさそうですが、説明板には、『哲学とは宇宙の真理を追及する学問であって、その講和または講習を開かんがために設けられた講義室である。』と書いてありました。
「宇宙館」の向かい側に「絶対城(図書館)」がありました。
説明板の後ろに、「哲学堂図書館記」がありましたが何と書いてあるのか判りませんでした。
脇に座っている子供(?)が可愛いらしかったのでアップで撮ってみました。
「宇宙館」の後ろの小山に、三角形の屋屋をもつ三本柱が立っていたので登ってみました。
石段の途中で素晴らしい紅葉が見えたのでアップで撮ってみました。
頂上にあった三角尽くしの「三角亭」を撮ってみました(「三角亭」の登り口は三ヶ所あります)。
三角形の鴨居には、日本的な三道(神道、仏教、儒教)の研究家として有名な平田篤胤(神道)、釈凝然(仏教)、林羅山(儒教)の名はありましたが、額に何と描かれているのか判りませんでした。
他の登り口から見えた紅葉が素晴らしかったのでアップと度アップで撮ってみました。
逆光だったのですが、「三角亭」と一緒に炎のような紅葉を撮ってみました。
取り敢えず、古い建物を見たので「唯物園」まで戻って、妙正寺川の反対側に行ってみることにしました。
帰りがけに、ご覧のような「演繹観(傘型亭)」がありました。
説明板に、『論理に達する参観者は、ここで少憩してよろしく内省し、よく道理にあてはめて断定するようにされたい。』と書いてあったのでここで小休憩をしました。
「唯物園」に着いたので、「観象梁(富士桟)」を渡って「哲学の庭」に行ってみます。
「哲学の庭」には、彫刻家のワグナー・ナンドール作になる群像彫刻がありました。
「第一の輪」の周りには、世界の大きな宗教の祖となった人物(老子、キリスト、釈迦、アブラハム、エクナトン)が配置されていました。
大きなお尻のアブラハムをアップで撮ってみました。
「第一の輪」の先にある「第二の輪」の周りには、達磨大師、聖フランシス、ガンジーが配置されていました。
「哲学の庭」を後に、出口に向かいました。
出口にあった「哲学堂公園 案内図」で現在地を確認して、新井薬師に行くことにしました。
<梅照院/新井薬師>
哲学堂公園から「中野通り」をそのまま歩いて西武新宿線を越えると20分位で新井薬師に着きました。
新井薬師は新東京百景に選ばれていて、右の碑は元東京都知事の鈴木俊一氏の筆になるものみたいです。
取り敢えず、新井薬師の境内を撮ってみました。正面に本堂が見ますが、参拝客は殆どいませんでした。
右側に薬師堂(?)があったので行ってみました。
薬師堂の前に、弘法大師像と薬師如来像があったので一緒に撮ってみました。
参道に戻って、手水舎で身を清めてから本堂に向かいます。
蓮の葉がある手水だったのでアップで撮ってみました。
香炉越しに本堂をアップで撮ってみました。
「講心一佃」と記された香炉もアップで撮ってみましたが、「講心一佃」は意味不明です。
取り敢えず、本堂でお参りをしましたが、扁額は「瑠璃殿」となっていました。
失礼して本堂内部をアップで撮らせて頂きましたが、中央にあるのが御本尊ですかね!?
お参りしてから「お参りの作法」が貼ってあるのに気が付きました。お唱えの中に”コロコロ”があるのは笑っちやえますね!?
本堂を脇から撮って、新井薬師の境内を散策することにしました。
鐘楼があったので撮ってみました。斜め後ろにある塔は「弘法大師千百五十年御遺忌」です。
「プリンセス・雅」と名付けられた新種の桜もありました。
「大悲殿」と掲げられた建物があったので撮ってみましたが、何故か、軒下でトランペットの練習(?)をしている人がいました。
「聖徳太子御歳十六才」の御尊像があったのでこちらも撮ってみました。
<牛天神 北野神社>
新井薬師を後に、「中野通り」に出ると牛天神の北野神社が目の前にあったので行ってみました。
境内に入ると屋根が三角の手水舎がありました。
手水舎の隣に、「撫で牛」がいたのでアップで撮ってみました。
『ご自身の悪い所(良くなりたい所)を撫でて下さい』とあったので、頭を撫でしまいました。
北野神社の境内を撮ってみました。
境内社の稲荷神社(左)と大鳥神社(中央)があって、右に北野神社があります。
稲荷神社の左側に、「力石(ちからいし)」があったので撮ってみました。
「力石」は、昔の相撲取りが力比べをする為の石と思っていたら説明板には、『思いをこめて奉納された「力石」は「磐座(いわくら)」として、神様が降りてこられると考えられていました。』と書いてありました(勉強になりますね!)。
稲荷神社と大鳥神社を撮って北野神社に向かいました。
北野神社を正面からアップで撮ってみました。
お参りしてから扁額を撮って、北野神社を後にしました。
北野神社からは「中野通り」に戻ってJR中野駅に向かいました。
乗り換え駅の新宿駅で降りて、行きつけの飲み屋に入って帰りました。
今回の「哲学堂公園と新井薬師をぶらり」は、たまたまでしたが、それなりに勉強になったのと楽しめたので満足しています。
尚、万歩計は大して歩いていないのに14,000歩を越えていました。
「新井薬師前駅」の北口から商店街を15分位歩くと、妙正寺川に架かる四村橋がありました。
四村橋を渡ると左側に哲学堂公園はあります。
四村橋から妙正寺川を撮ってみました。右側に見えるのが哲学堂公園です。
<哲学堂公園>
哲学堂公園の四村橋口にあった公園案内図で現在地を確認しましたが、「七十七場名称案内」に依ると見る箇所はかなりありそうです。
何処から回って良いか迷ってしまいますが、取り敢えず、妙正寺川に沿って歩いてみることにしました。
尚、哲学堂公園は、中野区有形文化財に指定されています。
入口から公園の散策路を撮ってみましたが、遠くに未だ紅葉が残っていました。
右側にあるのが菖蒲池(?)です。
菖蒲池に菖蒲はなかったのですが、大きな鯉が泳いでいました。
池を渡るとオレンジ色の実をたくさん付けたピラカンサがあったのでアップで撮ってみました。
ピラカンサの実は美味しくないのか、小鳥がついばんで実がないのは見たことがありません。
ピラカンサを撮って暫く歩くと、ご覧のような「心字池」がありました。
池に小さな橋(概念橋)があったので渡って「理性島」に行ってみました。
「概念橋」の説明板には、『理性(島)に達する道程には概念(橋)が存するとしてこの名をつけた。』とありました。
「理性島」に着くと「倫理淵」と彫られた石柱もありました。
「理性島」には、「心字池」を眺めている首のない鬼(?)がいたので撮ってみました。
正面に回ってみると、鬼は首を竦めて腰掛けているだけでした。
「心字池」の手前には、「唯心庭」の説明板がありました。
説明板には、『唯物園に対する小庭で、唯心論的呼称をもつ諸部分が見られる。』と書いてありましたが、何となく大袈裟な感じがするのですが・・・
⇒ 哲学堂公園だから仕方がないかも知れませんね!
「心字池」を後に、ご覧のような木漏れ日の指す散策路を進みますが、「独断峡」や「学界津」の石柱がありました。
散策路の先は「唯物園」になっていましたが、動物園ではありませんよ(念の為)!
「唯物園」の説明板には、『唯物論的寓意をもつこのあたり一帯をいい、下流河畔の唯心庭とともに哲学的名勝の一つである。』と書いてありました。
「唯物園」の入口脇に、ご覧のようなお坊さん(?)がいたのでアップで撮ってみましたが、説明板は見当たりませんでした。
ご覧のような「狸燈」があったので顔が分かるように度アップで撮ってみました。
説明板には、『人間の心情には狸に類するものがあり、しかも、時には光輝ある霊性を発することもあるとして腹中に燈籠を仕込んである。』と書いてありました。
大きな桜の木が植えてある「唯物園」の全景を撮ってみました。
お花見の時期には、妙正寺川沿いの桜を眺めながら花見が出来る恰好の場所かも知れませんね!?
哲学堂公園の下田橋口に着いたので、小高い丘を登って古い建物を見に行ってみました。
散策路を暫く歩くと、古めかしい建物があったので傍に行ってみました。
説明板がなかったので、名称は定かではありませんが、「復活廊」かも知れません。
又、奥の方に見える建物は「髑髏庵」みたいです。
「髑髏庵」の近くに行ってみると、ご覧のような「常識門」がありました。
「常識門」の説明板には、『正門の哲理門に対して普通の出入口の意味で与えられた名称である。』と書いてありました。
又、「常識門」には、『四聖堂前月白風清(四聖堂の前、月白く風清し)』、『六賢台上山紫水明(六賢台の上、山紫水明)』の聯(れん)が掲げられていました。
「常識門」を通って左に行くと、三層六角形の「六賢台」がありました。
「六賢台」の説明板には、『ここに東洋的六賢人として、日本の聖徳太子・菅原道真、中国の荘子・朱子、印度の龍樹・迦毘羅を祀っている。』と書いてありました。
「六賢台」から斜め後ろに立派な門が見えたので行ってみました。
軒瓦の”哲”が珍しかったのでアップで撮ってみました。
正面に回ってみると、「哲理門(妖怪門)」の説明板がありました。
説明板には、『本堂の正門に当たり左右の天狗と幽霊は、もと、この地に天狗松と幽霊梅があったことにちなむとともに、前者を物質界、後者を精神界に存する不可解の象徴とみなしたものである。』と書いてありました。
取り敢えず、幽霊をアップで撮ってみましたが、(淀川長治調に)怖いですね!
ついでに、天狗も撮ってみましたが、幽霊も天狗も薄暗くて上手く撮れていませんでした。
「哲理門」から園内に戻ると正面に、「四聖堂(哲学堂)」がありました。
「四聖堂」の説明板には、『東洋哲学の孔子と釈迦、西洋哲学のソクラテスとカントの4大哲学者を祀っている。』と書いてありました。
尚、「四聖堂(哲学堂)」は新東京百景に選ばれていています。
又、「四聖堂」の手前には、公園創設者の井上円了先生のプロンズの胸像と公園設立の趣旨が書いてありました。
散策路を進むと今度は「宇宙館」がありました。
哲学と宇宙は関係なさそうですが、説明板には、『哲学とは宇宙の真理を追及する学問であって、その講和または講習を開かんがために設けられた講義室である。』と書いてありました。
「宇宙館」の向かい側に「絶対城(図書館)」がありました。
説明板の後ろに、「哲学堂図書館記」がありましたが何と書いてあるのか判りませんでした。
脇に座っている子供(?)が可愛いらしかったのでアップで撮ってみました。
「宇宙館」の後ろの小山に、三角形の屋屋をもつ三本柱が立っていたので登ってみました。
石段の途中で素晴らしい紅葉が見えたのでアップで撮ってみました。
頂上にあった三角尽くしの「三角亭」を撮ってみました(「三角亭」の登り口は三ヶ所あります)。
三角形の鴨居には、日本的な三道(神道、仏教、儒教)の研究家として有名な平田篤胤(神道)、釈凝然(仏教)、林羅山(儒教)の名はありましたが、額に何と描かれているのか判りませんでした。
他の登り口から見えた紅葉が素晴らしかったのでアップと度アップで撮ってみました。
逆光だったのですが、「三角亭」と一緒に炎のような紅葉を撮ってみました。
取り敢えず、古い建物を見たので「唯物園」まで戻って、妙正寺川の反対側に行ってみることにしました。
帰りがけに、ご覧のような「演繹観(傘型亭)」がありました。
説明板に、『論理に達する参観者は、ここで少憩してよろしく内省し、よく道理にあてはめて断定するようにされたい。』と書いてあったのでここで小休憩をしました。
「唯物園」に着いたので、「観象梁(富士桟)」を渡って「哲学の庭」に行ってみます。
「哲学の庭」には、彫刻家のワグナー・ナンドール作になる群像彫刻がありました。
「第一の輪」の周りには、世界の大きな宗教の祖となった人物(老子、キリスト、釈迦、アブラハム、エクナトン)が配置されていました。
大きなお尻のアブラハムをアップで撮ってみました。
「第一の輪」の先にある「第二の輪」の周りには、達磨大師、聖フランシス、ガンジーが配置されていました。
「哲学の庭」を後に、出口に向かいました。
出口にあった「哲学堂公園 案内図」で現在地を確認して、新井薬師に行くことにしました。
<梅照院/新井薬師>
哲学堂公園から「中野通り」をそのまま歩いて西武新宿線を越えると20分位で新井薬師に着きました。
新井薬師は新東京百景に選ばれていて、右の碑は元東京都知事の鈴木俊一氏の筆になるものみたいです。
取り敢えず、新井薬師の境内を撮ってみました。正面に本堂が見ますが、参拝客は殆どいませんでした。
右側に薬師堂(?)があったので行ってみました。
薬師堂の前に、弘法大師像と薬師如来像があったので一緒に撮ってみました。
参道に戻って、手水舎で身を清めてから本堂に向かいます。
蓮の葉がある手水だったのでアップで撮ってみました。
香炉越しに本堂をアップで撮ってみました。
「講心一佃」と記された香炉もアップで撮ってみましたが、「講心一佃」は意味不明です。
取り敢えず、本堂でお参りをしましたが、扁額は「瑠璃殿」となっていました。
失礼して本堂内部をアップで撮らせて頂きましたが、中央にあるのが御本尊ですかね!?
お参りしてから「お参りの作法」が貼ってあるのに気が付きました。お唱えの中に”コロコロ”があるのは笑っちやえますね!?
本堂を脇から撮って、新井薬師の境内を散策することにしました。
鐘楼があったので撮ってみました。斜め後ろにある塔は「弘法大師千百五十年御遺忌」です。
「プリンセス・雅」と名付けられた新種の桜もありました。
「大悲殿」と掲げられた建物があったので撮ってみましたが、何故か、軒下でトランペットの練習(?)をしている人がいました。
「聖徳太子御歳十六才」の御尊像があったのでこちらも撮ってみました。
<牛天神 北野神社>
新井薬師を後に、「中野通り」に出ると牛天神の北野神社が目の前にあったので行ってみました。
境内に入ると屋根が三角の手水舎がありました。
手水舎の隣に、「撫で牛」がいたのでアップで撮ってみました。
『ご自身の悪い所(良くなりたい所)を撫でて下さい』とあったので、頭を撫でしまいました。
北野神社の境内を撮ってみました。
境内社の稲荷神社(左)と大鳥神社(中央)があって、右に北野神社があります。
稲荷神社の左側に、「力石(ちからいし)」があったので撮ってみました。
「力石」は、昔の相撲取りが力比べをする為の石と思っていたら説明板には、『思いをこめて奉納された「力石」は「磐座(いわくら)」として、神様が降りてこられると考えられていました。』と書いてありました(勉強になりますね!)。
稲荷神社と大鳥神社を撮って北野神社に向かいました。
北野神社を正面からアップで撮ってみました。
お参りしてから扁額を撮って、北野神社を後にしました。
北野神社からは「中野通り」に戻ってJR中野駅に向かいました。
乗り換え駅の新宿駅で降りて、行きつけの飲み屋に入って帰りました。
今回の「哲学堂公園と新井薬師をぶらり」は、たまたまでしたが、それなりに勉強になったのと楽しめたので満足しています。
尚、万歩計は大して歩いていないのに14,000歩を越えていました。
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