神奈川県「まん延防止等重点措置」の対象市(横浜市・川崎市・相模原市)が、4月28日から6市(鎌倉市・厚木市・大和市・海老名市・座間市・綾瀬市)追加され9市になっていたので、GWは近場も含めて外出するのは止めていました。
GW明けの5月8日(土)は、運動不足の解消を兼ねて神奈川県南足柄市の大雄山最乗寺に行ってみました。
尚、大雄山最乗寺に行くのは、2019年4月の「大雄山最乗寺ハイキング」以来なので約2年ぶりになります。
<小田原駅>
小田急線の小田原駅に着いたので、いつものように小田急ロマンスカーを撮ってみました。
昔の小田急ロマンスカー(NSE,HiSE,SE,RSE,LSE)が載っていたので撮ってみました。
駅のコンコースに出ると、小田原提灯があったので撮ってみました。
折角なので、小田原提灯をアップで撮ってみました。
ラスカ小田原の外壁の上に、ご覧のようなステンドグラス(?)があったので撮ってみました。
大雄山線の小田原駅に着くと、鉄道むすめ「塚原いさみ」が迎えてくれました。
ご覧のような電車に乗って大雄山駅に向かいました。
<大雄山駅>
大雄山線に乗ると、20分程で大雄山駅に着いてしまいました。
改札口を出ると、木彫りの「金太郎大明神」が待っていたのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、大雄山駅の駅舎をアップで撮ってみました。
ついでに、熊にまたがり動物たちを従えた金太郎がいたのでアップで撮ってみました。
<安気地蔵堂>
大雄山駅から道了尊行のバスに乗ると、10分程でバス停「道了尊」に着きました。
道了尊は、大雄山最乗寺の創建に貢献した道了という僧で、寺の完成と同時に天狗になり身を山中に隠したと云われています。
バスを降りて上に行くと、右側に安気地蔵堂があるのでお参りしてから入山することにしました。
安気地蔵堂の入口には、扁額「子育 延命 安気地蔵尊」が掛かっていました。
取り敢えず、お堂の内部を撮ってお参りをしました。
ついでに、安気地蔵尊をアップで撮らせて頂きました。
<あじさい参道>
これまでは左側にある開運橋を通って行ったのですが、今日は正面の「あじさい参道」を通って上に行ってみることにしました。
取り敢えず、「あじさい参道」の入り口を撮ってみました。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
石段の左側に説明碑があったので撮ってみました。
説明碑には、大雄山最乗寺は応永元年(1394)、了庵慧明禅師とよって開創などの概略が書いてありました。
右側に、ご覧のような碑(?)がありましたが、何と刻まれているか分かりません。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
参道の途中に、24丁目(?)の星宿燈(せいしゅくとう)があったので撮ってみました。
尚、星宿燈は石の上部に空いている穴の中に灯を点して夜の参道を導く役割をしています。
石段の右側に、太い根元が剥き出しになっている木がありました。
折角なので、剥き出しの根元をアップで撮ってみました。
又、左側にも、上の方が切られ根元だけが残ってる木があったのでアップで撮ってみました。
参道の先行くと、また根元が剥き出しになっている木があったので撮ってみました。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
<三門>
参道に、ご覧のような二階建ての立派な三門がありました。
三門は、三解脱(さんげだつ)門の略で、三解脱は悟りに至る三つの境地(空・無相・無作)と云われています。
取り敢えず、三門の入口をアップで撮ってみました。
討
火灯窓から内部を撮ってみましたが、ご覧のような階段がありました。
折角なので、三門の天井をアップで撮ってみましたが、新しく改修されたみたいです。
三門から新緑が素晴らしい参道を撮ってみました。
ご覧のような大きな杉が聳えている参道を通って先に行ってみました。
参道の左側に、星宿燈と奉納碑があったので撮ってみました。
明治18年や大正9年の奉納碑があったのでアップで撮ってみました。
又、昭和3年の奉納碑もあったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような参道を通って先に行ってみました。
奉納碑を見ながら歩いていると、奉納碑の後ろに相生橋が見えたので行ってみました。
取り敢えず、相生橋を撮ってみました。
折角なので、相生橋から大雄川の上流と下流を撮ってみました。
参道に戻ると、「大雄山最乗寺全景」があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような、石段を上って先に行ってみました。
石段の脇に奉納碑があったので撮ってみました。
石段の両側に、ご覧のような石灯籠があったので撮ってみました。
左側に、登山70周年記念の石灯籠があったのでアップで撮ってみました。
鳶職の慰霊碑があったのでアップで撮ってみました。
傍に、神鳶之碑「男たち それぞれに 鳶の心を燃やして生きたと 誇らからに語り継げ 松風よ 梢よ天よ」がありました。
ご覧のような石段を上って、瑠璃門に向かいました。
石段の途中に、総受付・瑠璃門・尚宝殿の奉納碑があったので撮ってみました。
<瑠璃門(るりもん)>
ご覧のような瑠璃門に着いたのでアップで撮ってみました。
瑠璃門の右側に、大モミジがあったのでアップで撮ってみました。
<書院前の広場>
瑠璃門を通って広場に入ると、正面に書院がありました。
取り敢えず、御殿のような書院を撮ってみました。
右側に、「大雄山最乗寺全景」があったので近くに行ってみました。
「大雄山最乗寺全景」をアップで撮って現在地(中央右)を確認しました。
取り敢えず、広場の右側にある総受付の白雲閣に行ってみました。
白雲閣の右側にも大きなモミジがあったので撮ってみました。
扁額「白雲閣」を撮って中に入ってみましたが、特に見るべきものはありませんでした。
入口に、ご覧のような巡照板(?)があったので撮ってみました。
白雲閣を後に、書院の前を通って光明亭に行ってみました。
池に、ご覧のような亀がいたので撮ってみました。
水を噴き出している亀がいたのでアップで撮ってみました。
池の先は、ご覧のようになっていて橋も架かっていました。
広場に戻ると、ご覧のような報恩燈がありました。
報恩は「恩に報いること」で、知恩「恩に気づくこと」と対になる言葉です。
碧落門の近くに遣って来ると、ご覧のような香炉があったので撮ってみました。
左奥に、光明軒があったので撮ってみました。
香炉の奥に、立派な僧堂があったので行ってみました。
取り敢えず、扁額「選佛場?」が掛かっている僧堂の入口を撮ってみました。
僧堂は座禅の修行をするお堂で、堂内は撮影禁止になっていました。
参道に戻ると、光明講の後ろに藤棚があったので撮ってみました。
藤棚の下に行って、藤棚の藤を撮ってみました。
又、ご覧のような藤の根があったので撮ってみました。
折角なので、藤棚の端から垂れ下がっている藤をアップで撮ってみました。
ついで、倍率を上げて撮ってみました。
<本堂>
藤棚から境内に戻ると、石段の上に本堂が見えたので撮ってみました。
石段を上って、扁額「護国殿」が掛かっている本堂の入口をアップで撮ってみました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。
本堂前の石段の両側に枝垂れ桜があるので撮ってみました。
取り敢えず、手前にあった枝垂れ桜をアップで撮ってみました。
左側に、先程の藤棚が見えたので撮ってみました。
<金剛水堂>
先に行くと、ご覧のような金剛水堂がありました。
近くに、金剛水堂と鐘鼓楼(道了鐘)の説明碑があったので撮ってみました。
取り敢えず、扁額「金剛水(?)」が掛かっているお堂の入口を撮ってみました。
ついでに、甕に流れ込んでいる霊水を撮ってみました。
<金剛壽院>
金剛水堂の向かい側に、金剛壽院があるので行ってみました。
金剛壽院は、開祖了庵慧明禅師尊像や歴代住持霊牌が祀られています。
取り敢えず、金剛壽院の入口を撮ってみました。
折角なので、金剛壽院の内部を撮らせて頂きました。
<一擲石(いってきいし)>
金剛壽院の石段を下りると、右側に一擲石があったのでアップで撮ってみました。
一擲石は、道了尊が用事があって了庵慧明に呼ばれた時、道了尊は持っていた大きな石を投げ捨てて、禅師のもとに駆け付けたと言い伝えられている石です。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
<鐘楼>
石段の右側の奥に、鐘楼があったので石段を上って行ってみました。
取り敢えず、石段の右側にあった鐘楼を撮ってみました。
ついでに、梵鐘もアップで撮ってみました。
石段の奥に、慰霊碑「明治二十七八年之役陣亡軍人之碑」 があったので撮ってみました。
<松平大和守直基の墓>
左側に、松平大和守直基の墓があったので撮ってみました。
傍に、説明案内板「松平大和守直基の墓」があったので撮ってみました。
慰霊碑の近くに、ご覧のようなシャガ(著莪)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
<手水舎>
石段を上ると、ご覧のような手水舎があったので手水鉢をアップで撮ってみました。
<多宝塔(たほうとう)>
手水舎の先に行くと、右側の石段の上に、ご覧のような多宝塔がありました。
多宝塔は、文久3年(1863)に建立され、多宝如来を祀った逗子が安置されています。
取り敢えず、方形層上円形木造二重の塔をアップで撮ってみました。
多宝塔の入口をアップで撮ってみました。
折角なので、金網越しですが多宝塔の内部を撮らせて頂きました。
<御供橋(ごくうばし)と圓通橋(えんつうばし)>
多宝塔を後に、先に行くとご覧のような圓通橋と御供橋がありました。
圓通橋の中央部分が御供橋になっていて、御供橋は修行僧が道了尊へお供えをするための橋みたいです。
取り敢えず、御供橋をアップで撮ってみました。
橋を渡ると、ご覧のような結界門(けっかいもん)があったので撮ってみました。
結界門は明治30年(1897)に建立された向唐門です。
結界門より奥は道了尊の浄域になり、右側に石段があって上には御真殿があります。
<御真殿(ごしんでん)>
これから上る石段(77段)を撮ってみました。
石段の上に着いたので、正面の御真殿を撮ってみました。
左側に、ご覧のような手水鉢(?)があったので撮ってみました。
折角なので、御真殿をアップで撮ってみました。
御真殿の入口を撮ってお参りをしました。
お参りしてから、扁額「妙覚宝殿」を撮ってみました。
尚、御真殿は、道了の号である妙覚を冠した妙覚宝殿(みょうがくほうでん)と称されています。
ついでに、殿内にあった天狗の団扇を撮ってみました。
御真殿の左側に、ご覧のような団扇と奉納下駄があったので撮ってみました。
又、世界一大きい和合下駄(3.8トン)があったので撮ってみました。
和合下駄の左側にも、ご覧のような奉納下駄がありました。
先に行くと、十一面観音菩薩が建っていたのでアップで撮ってみました。
又、ご覧のような「白狐の上に立つ烏天狗」があったので撮ってみました。
<奥之院の石段>
先に行くと、奥之院に行ける冠木門(かぶきもん)がありました。
冠木門を通ると、ご覧のような急勾配の石段がありました。
折角なので、石段(60段)の上に行ってみることにしました。
石段の上に着くと、小さな石段(40段)がありましたが、もどる訳にも行かないので上ってみました。
石段の左側に、ご覧のような祠があったので見に行ってみました。
取り敢えず、祠をアップで撮ってみましたが、何を祀っている祠なのか分かりません。
石段の右側にも、祠があったので撮ってみました。
石段の上に着くと、ご覧のような大きな石がある踊り場がありました。
踊り場の先には、ご覧のような急勾配の石段(216段)が聳えていました。
折角なので、しんどそうな石段を上って奥之院に行ってみることにしました。
石段の両側に、大天狗と小天狗がいたのでアップで撮ってみました。
天狗がいる石段の手前に着いたので、一休みすることにしました。
折角なので、大天狗と小天狗を撮ってみました。
これから上る急勾配の石段を撮ってみました。
一気に石段を上るのは無理なので、休みながら上っていると、小学生に追い抜かれてしまいました。
<奥之院>
冠木門からは10分程で、本尊の十一面観世音菩薩が祀られている奥之院に着きました。
折角なので、奥之院をアップで撮ってみました。
奥之院の入口を撮ってお参りをしました。
お参りしてから奥之院の内部を撮らせて頂きました。
折角なので、奥之院の後を一回りしてみましたが、特に、見るべきものはありませんでした。
奥之院からは、緩やかな下り道もあったのですが、上って来た急勾配の石段を下りることにしました。
ご覧のような石段を注意深く下りて冠木門に向かいました。
冠木門を反対側から撮って、御真殿の近くある不動堂に向かいました。
<不動堂>
御真殿に着くと、不動堂の下り口に、ご覧のようなシャクナゲ(石楠花)が咲いていました。
素晴らしいシャクナゲだったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような階段を下りて不動堂に行ってみました。
下に着いたので、扁額「天祐不動?」を撮ってみました。
不動堂には、清瀧不動明王・天祐不動明王・愛染明王が祀られています。
折角なので、不動堂の内部を撮らせて頂きました。
ついでに、不動堂の天井を撮ってみました。
又、ご覧のような楽太鼓や絵画があったので撮ってみました。
<納経所>
不動堂を出ると、納経所(左)と多宝塔(右)が見えたので撮ってみました。
取り敢えず、納経所を撮ってみましたが、内部は上手く撮れませんでした。
下に行くと、来る時に立ち寄った多宝塔の屋根が見えたので撮ってみました。
<清心之滝(清滝)>
不動堂の下に着くと、ご覧のような清滝があったので撮ってみました。
取り敢えず、清滝をアップで撮ってみました。
折角なので、滝壺をアップで撮ってみました。
水神様が祀られている祠があったので倍率を上げて撮ってみました。
清滝の先に行くと、石碑「清滝不動明王」があったので撮ってみました。
清滝を後に、本堂の前を通って書院前の広場に戻りました。
<碧落門>
広場に戻って来たので、碧落門を撮って先に行ってみました。
碧落門をくぐると、初代大下駄(1.5トン)があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような参道を通って、大雄山最乗寺の出入口に向かいました。
<ハイキングロード>
参道の途中で右に行って、相生橋を渡ってハイキングロードを下りることにしました。
相生橋を渡ると、大雄山開山の坐禅石がありました。
上にある大きな石ではなく、下にある平らな石が座禅石です。
ご覧のようなハイキングロードを通って先に行ってみました。
杉の木に大きな空があったので撮ってみました。
開運橋の手前に着くと、ご覧のような夫婦杉がありました。
折角なので、夫婦杉をアップで撮ってみました。
開運橋に着いたので撮ってみましたが、ハイキングロードを歩き出してからは10分程でした。
開運橋から大雄川の上流と下流を撮ってみました。
<バス停「道了尊」>
バス停「道了尊」に着くと、ご覧のような公衆電話ボックスあったので撮ってみました。
又、「てんぐのこみち案内図」があったので現在地(左端)を確認しました。
取り敢えず「天狗の小径」を撮ってみましたが、向かい側にバスが停まっていたのでバスで戻ることにしました。
<大雄山駅>
大雄山駅に着いたので、馴染みの「きよ竹食堂」に行って遅い昼食を食べることにしました。
「きよ竹食堂」に2時間程いて大雄山駅に行くと、ここにも鉄道むすめ「塚原いさみ」がいたので撮ってみました。
ホームに大雄山線が停まっていたので撮って小田原駅に向かいました。
今回の「大雄山最乗寺」は、いろんな所が参拝でき、急勾配の石段はしんどかったですが奥之院まで行けたので良かったです。
但し、宝物殿(尚宝殿)・三面殿・慧春尼堂・御開山廟所などは行っていないので、次回は回ってみるつもりです。
又、それなりに歩いたつもりだったのですが、万歩計は15,000歩を超えていませんでした。
GW明けの5月8日(土)は、運動不足の解消を兼ねて神奈川県南足柄市の大雄山最乗寺に行ってみました。
尚、大雄山最乗寺に行くのは、2019年4月の「大雄山最乗寺ハイキング」以来なので約2年ぶりになります。
<小田原駅>
小田急線の小田原駅に着いたので、いつものように小田急ロマンスカーを撮ってみました。
昔の小田急ロマンスカー(NSE,HiSE,SE,RSE,LSE)が載っていたので撮ってみました。
駅のコンコースに出ると、小田原提灯があったので撮ってみました。
折角なので、小田原提灯をアップで撮ってみました。
ラスカ小田原の外壁の上に、ご覧のようなステンドグラス(?)があったので撮ってみました。
大雄山線の小田原駅に着くと、鉄道むすめ「塚原いさみ」が迎えてくれました。
ご覧のような電車に乗って大雄山駅に向かいました。
<大雄山駅>
大雄山線に乗ると、20分程で大雄山駅に着いてしまいました。
改札口を出ると、木彫りの「金太郎大明神」が待っていたのでアップで撮ってみました。
取り敢えず、大雄山駅の駅舎をアップで撮ってみました。
ついでに、熊にまたがり動物たちを従えた金太郎がいたのでアップで撮ってみました。
<安気地蔵堂>
大雄山駅から道了尊行のバスに乗ると、10分程でバス停「道了尊」に着きました。
道了尊は、大雄山最乗寺の創建に貢献した道了という僧で、寺の完成と同時に天狗になり身を山中に隠したと云われています。
バスを降りて上に行くと、右側に安気地蔵堂があるのでお参りしてから入山することにしました。
安気地蔵堂の入口には、扁額「子育 延命 安気地蔵尊」が掛かっていました。
取り敢えず、お堂の内部を撮ってお参りをしました。
ついでに、安気地蔵尊をアップで撮らせて頂きました。
<あじさい参道>
これまでは左側にある開運橋を通って行ったのですが、今日は正面の「あじさい参道」を通って上に行ってみることにしました。
取り敢えず、「あじさい参道」の入り口を撮ってみました。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
石段の左側に説明碑があったので撮ってみました。
説明碑には、大雄山最乗寺は応永元年(1394)、了庵慧明禅師とよって開創などの概略が書いてありました。
右側に、ご覧のような碑(?)がありましたが、何と刻まれているか分かりません。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
参道の途中に、24丁目(?)の星宿燈(せいしゅくとう)があったので撮ってみました。
尚、星宿燈は石の上部に空いている穴の中に灯を点して夜の参道を導く役割をしています。
石段の右側に、太い根元が剥き出しになっている木がありました。
折角なので、剥き出しの根元をアップで撮ってみました。
又、左側にも、上の方が切られ根元だけが残ってる木があったのでアップで撮ってみました。
参道の先行くと、また根元が剥き出しになっている木があったので撮ってみました。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
<三門>
参道に、ご覧のような二階建ての立派な三門がありました。
三門は、三解脱(さんげだつ)門の略で、三解脱は悟りに至る三つの境地(空・無相・無作)と云われています。
取り敢えず、三門の入口をアップで撮ってみました。
討
火灯窓から内部を撮ってみましたが、ご覧のような階段がありました。
折角なので、三門の天井をアップで撮ってみましたが、新しく改修されたみたいです。
三門から新緑が素晴らしい参道を撮ってみました。
ご覧のような大きな杉が聳えている参道を通って先に行ってみました。
参道の左側に、星宿燈と奉納碑があったので撮ってみました。
明治18年や大正9年の奉納碑があったのでアップで撮ってみました。
又、昭和3年の奉納碑もあったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような参道を通って先に行ってみました。
奉納碑を見ながら歩いていると、奉納碑の後ろに相生橋が見えたので行ってみました。
取り敢えず、相生橋を撮ってみました。
折角なので、相生橋から大雄川の上流と下流を撮ってみました。
参道に戻ると、「大雄山最乗寺全景」があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような、石段を上って先に行ってみました。
石段の脇に奉納碑があったので撮ってみました。
石段の両側に、ご覧のような石灯籠があったので撮ってみました。
左側に、登山70周年記念の石灯籠があったのでアップで撮ってみました。
鳶職の慰霊碑があったのでアップで撮ってみました。
傍に、神鳶之碑「男たち それぞれに 鳶の心を燃やして生きたと 誇らからに語り継げ 松風よ 梢よ天よ」がありました。
ご覧のような石段を上って、瑠璃門に向かいました。
石段の途中に、総受付・瑠璃門・尚宝殿の奉納碑があったので撮ってみました。
<瑠璃門(るりもん)>
ご覧のような瑠璃門に着いたのでアップで撮ってみました。
瑠璃門の右側に、大モミジがあったのでアップで撮ってみました。
<書院前の広場>
瑠璃門を通って広場に入ると、正面に書院がありました。
取り敢えず、御殿のような書院を撮ってみました。
右側に、「大雄山最乗寺全景」があったので近くに行ってみました。
「大雄山最乗寺全景」をアップで撮って現在地(中央右)を確認しました。
取り敢えず、広場の右側にある総受付の白雲閣に行ってみました。
白雲閣の右側にも大きなモミジがあったので撮ってみました。
扁額「白雲閣」を撮って中に入ってみましたが、特に見るべきものはありませんでした。
入口に、ご覧のような巡照板(?)があったので撮ってみました。
白雲閣を後に、書院の前を通って光明亭に行ってみました。
池に、ご覧のような亀がいたので撮ってみました。
水を噴き出している亀がいたのでアップで撮ってみました。
池の先は、ご覧のようになっていて橋も架かっていました。
広場に戻ると、ご覧のような報恩燈がありました。
報恩は「恩に報いること」で、知恩「恩に気づくこと」と対になる言葉です。
碧落門の近くに遣って来ると、ご覧のような香炉があったので撮ってみました。
左奥に、光明軒があったので撮ってみました。
香炉の奥に、立派な僧堂があったので行ってみました。
取り敢えず、扁額「選佛場?」が掛かっている僧堂の入口を撮ってみました。
僧堂は座禅の修行をするお堂で、堂内は撮影禁止になっていました。
参道に戻ると、光明講の後ろに藤棚があったので撮ってみました。
藤棚の下に行って、藤棚の藤を撮ってみました。
又、ご覧のような藤の根があったので撮ってみました。
折角なので、藤棚の端から垂れ下がっている藤をアップで撮ってみました。
ついで、倍率を上げて撮ってみました。
<本堂>
藤棚から境内に戻ると、石段の上に本堂が見えたので撮ってみました。
石段を上って、扁額「護国殿」が掛かっている本堂の入口をアップで撮ってみました。
お参りしてから本堂の内部を撮らせて頂きました。
本堂前の石段の両側に枝垂れ桜があるので撮ってみました。
取り敢えず、手前にあった枝垂れ桜をアップで撮ってみました。
左側に、先程の藤棚が見えたので撮ってみました。
<金剛水堂>
先に行くと、ご覧のような金剛水堂がありました。
近くに、金剛水堂と鐘鼓楼(道了鐘)の説明碑があったので撮ってみました。
取り敢えず、扁額「金剛水(?)」が掛かっているお堂の入口を撮ってみました。
ついでに、甕に流れ込んでいる霊水を撮ってみました。
<金剛壽院>
金剛水堂の向かい側に、金剛壽院があるので行ってみました。
金剛壽院は、開祖了庵慧明禅師尊像や歴代住持霊牌が祀られています。
取り敢えず、金剛壽院の入口を撮ってみました。
折角なので、金剛壽院の内部を撮らせて頂きました。
<一擲石(いってきいし)>
金剛壽院の石段を下りると、右側に一擲石があったのでアップで撮ってみました。
一擲石は、道了尊が用事があって了庵慧明に呼ばれた時、道了尊は持っていた大きな石を投げ捨てて、禅師のもとに駆け付けたと言い伝えられている石です。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
<鐘楼>
石段の右側の奥に、鐘楼があったので石段を上って行ってみました。
取り敢えず、石段の右側にあった鐘楼を撮ってみました。
ついでに、梵鐘もアップで撮ってみました。
石段の奥に、慰霊碑「明治二十七八年之役陣亡軍人之碑」 があったので撮ってみました。
<松平大和守直基の墓>
左側に、松平大和守直基の墓があったので撮ってみました。
傍に、説明案内板「松平大和守直基の墓」があったので撮ってみました。
慰霊碑の近くに、ご覧のようなシャガ(著莪)が咲いていたのでアップで撮ってみました。
ご覧のような石段を上って先に行ってみました。
<手水舎>
石段を上ると、ご覧のような手水舎があったので手水鉢をアップで撮ってみました。
<多宝塔(たほうとう)>
手水舎の先に行くと、右側の石段の上に、ご覧のような多宝塔がありました。
多宝塔は、文久3年(1863)に建立され、多宝如来を祀った逗子が安置されています。
取り敢えず、方形層上円形木造二重の塔をアップで撮ってみました。
多宝塔の入口をアップで撮ってみました。
折角なので、金網越しですが多宝塔の内部を撮らせて頂きました。
<御供橋(ごくうばし)と圓通橋(えんつうばし)>
多宝塔を後に、先に行くとご覧のような圓通橋と御供橋がありました。
圓通橋の中央部分が御供橋になっていて、御供橋は修行僧が道了尊へお供えをするための橋みたいです。
取り敢えず、御供橋をアップで撮ってみました。
橋を渡ると、ご覧のような結界門(けっかいもん)があったので撮ってみました。
結界門は明治30年(1897)に建立された向唐門です。
結界門より奥は道了尊の浄域になり、右側に石段があって上には御真殿があります。
<御真殿(ごしんでん)>
これから上る石段(77段)を撮ってみました。
石段の上に着いたので、正面の御真殿を撮ってみました。
左側に、ご覧のような手水鉢(?)があったので撮ってみました。
折角なので、御真殿をアップで撮ってみました。
御真殿の入口を撮ってお参りをしました。
お参りしてから、扁額「妙覚宝殿」を撮ってみました。
尚、御真殿は、道了の号である妙覚を冠した妙覚宝殿(みょうがくほうでん)と称されています。
ついでに、殿内にあった天狗の団扇を撮ってみました。
御真殿の左側に、ご覧のような団扇と奉納下駄があったので撮ってみました。
又、世界一大きい和合下駄(3.8トン)があったので撮ってみました。
和合下駄の左側にも、ご覧のような奉納下駄がありました。
先に行くと、十一面観音菩薩が建っていたのでアップで撮ってみました。
又、ご覧のような「白狐の上に立つ烏天狗」があったので撮ってみました。
<奥之院の石段>
先に行くと、奥之院に行ける冠木門(かぶきもん)がありました。
冠木門を通ると、ご覧のような急勾配の石段がありました。
折角なので、石段(60段)の上に行ってみることにしました。
石段の上に着くと、小さな石段(40段)がありましたが、もどる訳にも行かないので上ってみました。
石段の左側に、ご覧のような祠があったので見に行ってみました。
取り敢えず、祠をアップで撮ってみましたが、何を祀っている祠なのか分かりません。
石段の右側にも、祠があったので撮ってみました。
石段の上に着くと、ご覧のような大きな石がある踊り場がありました。
踊り場の先には、ご覧のような急勾配の石段(216段)が聳えていました。
折角なので、しんどそうな石段を上って奥之院に行ってみることにしました。
石段の両側に、大天狗と小天狗がいたのでアップで撮ってみました。
天狗がいる石段の手前に着いたので、一休みすることにしました。
折角なので、大天狗と小天狗を撮ってみました。
これから上る急勾配の石段を撮ってみました。
一気に石段を上るのは無理なので、休みながら上っていると、小学生に追い抜かれてしまいました。
<奥之院>
冠木門からは10分程で、本尊の十一面観世音菩薩が祀られている奥之院に着きました。
折角なので、奥之院をアップで撮ってみました。
奥之院の入口を撮ってお参りをしました。
お参りしてから奥之院の内部を撮らせて頂きました。
折角なので、奥之院の後を一回りしてみましたが、特に、見るべきものはありませんでした。
奥之院からは、緩やかな下り道もあったのですが、上って来た急勾配の石段を下りることにしました。
ご覧のような石段を注意深く下りて冠木門に向かいました。
冠木門を反対側から撮って、御真殿の近くある不動堂に向かいました。
<不動堂>
御真殿に着くと、不動堂の下り口に、ご覧のようなシャクナゲ(石楠花)が咲いていました。
素晴らしいシャクナゲだったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような階段を下りて不動堂に行ってみました。
下に着いたので、扁額「天祐不動?」を撮ってみました。
不動堂には、清瀧不動明王・天祐不動明王・愛染明王が祀られています。
折角なので、不動堂の内部を撮らせて頂きました。
ついでに、不動堂の天井を撮ってみました。
又、ご覧のような楽太鼓や絵画があったので撮ってみました。
<納経所>
不動堂を出ると、納経所(左)と多宝塔(右)が見えたので撮ってみました。
取り敢えず、納経所を撮ってみましたが、内部は上手く撮れませんでした。
下に行くと、来る時に立ち寄った多宝塔の屋根が見えたので撮ってみました。
<清心之滝(清滝)>
不動堂の下に着くと、ご覧のような清滝があったので撮ってみました。
取り敢えず、清滝をアップで撮ってみました。
折角なので、滝壺をアップで撮ってみました。
水神様が祀られている祠があったので倍率を上げて撮ってみました。
清滝の先に行くと、石碑「清滝不動明王」があったので撮ってみました。
清滝を後に、本堂の前を通って書院前の広場に戻りました。
<碧落門>
広場に戻って来たので、碧落門を撮って先に行ってみました。
碧落門をくぐると、初代大下駄(1.5トン)があったのでアップで撮ってみました。
ご覧のような参道を通って、大雄山最乗寺の出入口に向かいました。
<ハイキングロード>
参道の途中で右に行って、相生橋を渡ってハイキングロードを下りることにしました。
相生橋を渡ると、大雄山開山の坐禅石がありました。
上にある大きな石ではなく、下にある平らな石が座禅石です。
ご覧のようなハイキングロードを通って先に行ってみました。
杉の木に大きな空があったので撮ってみました。
開運橋の手前に着くと、ご覧のような夫婦杉がありました。
折角なので、夫婦杉をアップで撮ってみました。
開運橋に着いたので撮ってみましたが、ハイキングロードを歩き出してからは10分程でした。
開運橋から大雄川の上流と下流を撮ってみました。
<バス停「道了尊」>
バス停「道了尊」に着くと、ご覧のような公衆電話ボックスあったので撮ってみました。
又、「てんぐのこみち案内図」があったので現在地(左端)を確認しました。
取り敢えず「天狗の小径」を撮ってみましたが、向かい側にバスが停まっていたのでバスで戻ることにしました。
<大雄山駅>
大雄山駅に着いたので、馴染みの「きよ竹食堂」に行って遅い昼食を食べることにしました。
「きよ竹食堂」に2時間程いて大雄山駅に行くと、ここにも鉄道むすめ「塚原いさみ」がいたので撮ってみました。
ホームに大雄山線が停まっていたので撮って小田原駅に向かいました。
今回の「大雄山最乗寺」は、いろんな所が参拝でき、急勾配の石段はしんどかったですが奥之院まで行けたので良かったです。
但し、宝物殿(尚宝殿)・三面殿・慧春尼堂・御開山廟所などは行っていないので、次回は回ってみるつもりです。
又、それなりに歩いたつもりだったのですが、万歩計は15,000歩を超えていませんでした。
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