8月12日(金)~13日(土)は、尾瀬ハイキングプランとセットになった宿泊プランが老神温泉の旅館にあったので行ってみました。
この宿泊プランは、老神温泉に一泊し、翌日は旅館から尾瀬ヶ原の鳩待峠まで、帰りは鳩待峠から上毛高原駅まで送迎してくれるお得なプランです。
8月12日は、老神温泉に一泊するだけでは勿体ないので次のようにしました。
東京駅-(新幹線)-上毛高原駅-(徒歩)-矢瀬親水公園-(徒歩)-上毛高原駅-(無料送迎バス)-旅館-(路線バス)-吹割渓谷散策-(路線バス)-旅館
<上毛高原駅>
上毛高原駅の構内に、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」が載っている案内図があったので撮ってみました。
矢瀬親水公園までは徒歩で20分程度ですが、2014年9月「吹割渓谷散策」で来ているので行き方は分かっています。
<県道271号線を下る>
県道271号線沿いに「月夜野郷土歴史資料館」があるので行ってみましたが今日は閉館していました。
歴史資料館前の石の上で腰掛けて休んでいると、目の前に枝豆のような実を付けた木があったので撮ってみましたが、名前は?です。
前回、来た時も県道沿いの畑(私有地?)に滝が流れ落ちていたので今回も見に行ってみました。
⇒ どうやら人工で造った滝と水路みたいですね!
滝の前の畑から縄文遺跡のある矢瀬親水公園を撮ってみました。
今回は群馬B級スポット「高橋の若どり」で「若どり焼」を手に入れてから矢瀬親水公園に戻り、公園のテラスで昼食を取ることにしました。
<高橋の若どり>
「高橋の若どり」は、利根川に架かる矢瀬橋を渡った県道61号線(奥利根ゆけむり街道)沿いにあります。
県道の右側にあるのが矢瀬親水公園、奥に見えるのが矢瀬橋です。
取り敢えず、これから渡る矢瀬橋を撮ってみました。
矢瀬橋から利根川の下流方面を撮ってみました。
矢瀬橋を渡ると、「若どり焼」の看板が出ていたので「高橋の若どり」は直ぐ分かりました。
左側は高橋さんの住宅のようで、「若どり焼」は奥で販売していました。
メニューを見ると、大きさで「若どり焼」の値段が違いますが当然ですよね!
あまり食べられそうにないので、小さい蒸し焼き(骨付き)とテリ焼き(骨無し)を1本ずつ購入しました。
「若どり焼」を手に入れてから引き返すと、道路脇の右側ご覧のような石仏群(?)があったので撮ってみました。
<牧野神社>
道路の先にはご覧のような上越線(?)の架道橋がありました。
架道橋の先が気になったので行ってみることにしました。
架道橋を超えるとご覧のような朱色の橋がありました。
右の奥の方に神社が見えたので橋を渡って行ってみることにしました。
諏訪澤に架かる上諏訪橋(名前は帰り時に分かりました)を撮ってみました。
説明板のような物がないので由緒などは分かりませんが、取り敢えず、右側にあった社を撮ってみました。
隣りに行ってみると、鳥居に「牧野神社」の社号が掛けられていだのでこちらが本殿ですかね!?
石段を上るとご覧のような由緒ありそうな本殿があって、上部には何か書き物が掲げられていました。
近くに寄って見ると、 賀松園峰雲と高橋郁太郎が選んだ「平成27年度 新穀感謝祭奉燈俳句」(特選3句、秀作5句、佳作10句、軸1句)でした。
牧野神社の裏山にもご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
裏山から降りて来ると、牧野神社と社が並んで見えたので撮ってみました。
上越線の架道橋の下を通って県道61号線に戻ります。
<矢瀬親水公園>
矢瀬橋を戻って矢瀬親水公園に向かいますが、親水公園は矢瀬橋を渡った左側にあります。
矢瀬親水公園に着いたので、バーベキュー棟の方に行ってみました。
一輪だけ紫色のアジサイが咲いていたのでアップで撮ってみました。
芙蓉(?)も咲いていたのでこちらもアップで撮ってみました。
矢瀬縄文橋を渡って、「月夜野はーべすと」に向かいます。
矢瀬縄文橋から深沢の上流に見えた蛍橋と下流方面を撮ってみました。
ご覧のような「月夜野はーべすと」のテラスで昼食が食べられます。
「舞茸天ざるうどん」を待つ間、ビールを飲みながら「高橋の若どり」の「若どり焼」を食べてみました。
「若どり焼」の味はそれなりに美味しかったですが、揚げ物なので若い人向きみたいです。
昼食の後、下に見えた芝生広場の脇を通って矢瀬遺跡に行ってみました。
第1期後半~第4期後半の矢瀬ムラ変遷の模型があったのですが、良く分かりませんでした。
高床建物や半截材の方形木柱列が再現されてたので撮ってみました。
復元された住居があったので中に入ってみました。
中はご覧のようにかなり広い住居でした。
炉辺を囲む人達(夫婦?)や犬と戯れる子供達がいました。
近くにご覧のような復元された住居もありましたが、こちらは中に入れませんでした。
遺跡の外れまで遣って来ると、源義家像(八幡太郎)があったので撮ってみました。
⇒ 矢瀬には源義家の伝説があるのかも知れませんね!?
旅館の無料送迎バスが迎えに来る時間になったので上毛高原駅に戻ることにしました。
<上毛高原駅>
県道271号線沿いを戻っていると、電波塔(?)に絡みついて成長している植物があったのでので撮ってみました。
⇒ ものすごーい生命力ですね!
観光センターの前にあった喫茶店のような上毛高原交番も健在でした。
上毛高原駅に着いて一休みしていると旅館の無料送迎バスが遣ってきました。
旅館に着くと、「吹割の滝」に停まるバスが15分位で来ると言うので、チェックインもそこそこに「老神温泉」バス停(15:27発)に向かいました。
帰りは、「吹割の滝」バス停16:40発のバスに乗らないと老神温泉に戻れないと旅館に人に言われました。
<吹割渓谷散策>
バスは少し遅れて遣ってきましたが、10分程で「吹割の滝」バス停に着きました。
ご覧のような坂道を下って吹割渓谷に行きますが、散策時間は1時間もありません。
案内図の脇から「鱒飛の滝」の上部が下の方に見えたので撮ってみました。
急な鉄階段を下りて「鱒飛の滝」に向かいます。
「鱒飛の滝」の上部は撮ることができたのですが、落差約15mの滝は撮れませんでした。
「鱒飛の滝」を後に、遊歩道を進んで「吹割の滝」に向かいます。
遊歩道を歩いていると、パンフレットに載っている「はんにゃ岩」が見えたので撮ってみましたが・・・
前回、私が勝手に命名した「カルト岩」もあったので撮ってみました。
又、「大唇岩」もあったので撮ってみましたが、これも私が勝手に命名しました。
⇒ 「はんにゃ岩」より「カルト岩」や「大唇岩」の方が、それらしい感じがしますよね!?
「吹割の滝」に着きましたが、水量はかなり少ないみたいです。
尚、奥の方に見える橋は浮島橋です。
遊歩道の先の方に行ってみると、「吹割の滝」らしく見える場所がありました。
取り敢えず、「吹割の滝」をアップと度アップで撮ってみました。
「吹割の滝」を別の角度からアップで撮ってみました。
散策時間があまりないので、「大唇岩」や「カルト岩」を見ながら遊歩道を戻ることにしました。
気になっていた「はんにゃ岩」が見える場所に戻ってきたのでアップで撮ってみました。
⇒ ここからだと般若のように見えますね!
派出所前の「吹割の滝」バス停で待っていると、バスほぼ時間通りに遣ってきました(ホッ!)。
<大蛇>
老神温泉バス停で下車すると、朝市会場の広場に「老神盆おどり」祭り櫓があったので行ってみました。
「老神盆おどり」会場を取り巻くようにコの字建物があって、中を覗いてみるとご覧のような大蛇が展示してありました。
取り敢えず、大蛇の頭をアップで撮ってみました。
傍に「老神温泉と大蛇まつり」のパンフレットが置いてありました。
パンフレットには、『その昔、赤城山の神と日光男体山(二荒山)の神とが今の戦場ヶ原で領地争いをしました。
お互いに蛇と百足(ムカデ)とに化けて激しく戦いましたが、蛇になった赤城の神は矢傷を負ってしまいました。
傷を負った赤城の神は、老神の地まで戻り、矢を抜き、地面に刺しました。すると温泉が湧いたのです。
湧き出した温泉に浸かった蛇はみるみる傷が治癒。すぐに元気を取り戻し、見事ムカデを追いやりました。
男体山(二荒山)の神を追い払ったことから、その温泉は「追う神」と呼ばれるようになりました。・・・』と書いてありました。
尚、老いるまで神がこの地にいたので「老い神」と呼ばれるようになったと云う説もあるみたいです。
コの字建物の外には、ご覧のようなギネス認定の案内もありました。
大蛇の尾っぽ近くには、ご覧のような大蛇の子供(?)も置いてありました。
コの字建物に収められている大蛇を見ながら旅館に戻りました。
旅館に着いて万歩計をチェックしたら大して歩いていないのに14,000歩を超えていました。
「尾瀬:尾瀬ヶ原(鳩待峠~山ノ鼻)編」に続く。
この宿泊プランは、老神温泉に一泊し、翌日は旅館から尾瀬ヶ原の鳩待峠まで、帰りは鳩待峠から上毛高原駅まで送迎してくれるお得なプランです。
8月12日は、老神温泉に一泊するだけでは勿体ないので次のようにしました。
東京駅-(新幹線)-上毛高原駅-(徒歩)-矢瀬親水公園-(徒歩)-上毛高原駅-(無料送迎バス)-旅館-(路線バス)-吹割渓谷散策-(路線バス)-旅館
<上毛高原駅>
上毛高原駅の構内に、群馬県のマスコット「ぐんまちゃん」が載っている案内図があったので撮ってみました。
矢瀬親水公園までは徒歩で20分程度ですが、2014年9月「吹割渓谷散策」で来ているので行き方は分かっています。
<県道271号線を下る>
県道271号線沿いに「月夜野郷土歴史資料館」があるので行ってみましたが今日は閉館していました。
歴史資料館前の石の上で腰掛けて休んでいると、目の前に枝豆のような実を付けた木があったので撮ってみましたが、名前は?です。
前回、来た時も県道沿いの畑(私有地?)に滝が流れ落ちていたので今回も見に行ってみました。
⇒ どうやら人工で造った滝と水路みたいですね!
滝の前の畑から縄文遺跡のある矢瀬親水公園を撮ってみました。
今回は群馬B級スポット「高橋の若どり」で「若どり焼」を手に入れてから矢瀬親水公園に戻り、公園のテラスで昼食を取ることにしました。
<高橋の若どり>
「高橋の若どり」は、利根川に架かる矢瀬橋を渡った県道61号線(奥利根ゆけむり街道)沿いにあります。
県道の右側にあるのが矢瀬親水公園、奥に見えるのが矢瀬橋です。
取り敢えず、これから渡る矢瀬橋を撮ってみました。
矢瀬橋から利根川の下流方面を撮ってみました。
矢瀬橋を渡ると、「若どり焼」の看板が出ていたので「高橋の若どり」は直ぐ分かりました。
左側は高橋さんの住宅のようで、「若どり焼」は奥で販売していました。
メニューを見ると、大きさで「若どり焼」の値段が違いますが当然ですよね!
あまり食べられそうにないので、小さい蒸し焼き(骨付き)とテリ焼き(骨無し)を1本ずつ購入しました。
「若どり焼」を手に入れてから引き返すと、道路脇の右側ご覧のような石仏群(?)があったので撮ってみました。
<牧野神社>
道路の先にはご覧のような上越線(?)の架道橋がありました。
架道橋の先が気になったので行ってみることにしました。
架道橋を超えるとご覧のような朱色の橋がありました。
右の奥の方に神社が見えたので橋を渡って行ってみることにしました。
諏訪澤に架かる上諏訪橋(名前は帰り時に分かりました)を撮ってみました。
説明板のような物がないので由緒などは分かりませんが、取り敢えず、右側にあった社を撮ってみました。
隣りに行ってみると、鳥居に「牧野神社」の社号が掛けられていだのでこちらが本殿ですかね!?
石段を上るとご覧のような由緒ありそうな本殿があって、上部には何か書き物が掲げられていました。
近くに寄って見ると、 賀松園峰雲と高橋郁太郎が選んだ「平成27年度 新穀感謝祭奉燈俳句」(特選3句、秀作5句、佳作10句、軸1句)でした。
牧野神社の裏山にもご覧のような石仏群があったので撮ってみました。
裏山から降りて来ると、牧野神社と社が並んで見えたので撮ってみました。
上越線の架道橋の下を通って県道61号線に戻ります。
<矢瀬親水公園>
矢瀬橋を戻って矢瀬親水公園に向かいますが、親水公園は矢瀬橋を渡った左側にあります。
矢瀬親水公園に着いたので、バーベキュー棟の方に行ってみました。
一輪だけ紫色のアジサイが咲いていたのでアップで撮ってみました。
芙蓉(?)も咲いていたのでこちらもアップで撮ってみました。
矢瀬縄文橋を渡って、「月夜野はーべすと」に向かいます。
矢瀬縄文橋から深沢の上流に見えた蛍橋と下流方面を撮ってみました。
ご覧のような「月夜野はーべすと」のテラスで昼食が食べられます。
「舞茸天ざるうどん」を待つ間、ビールを飲みながら「高橋の若どり」の「若どり焼」を食べてみました。
「若どり焼」の味はそれなりに美味しかったですが、揚げ物なので若い人向きみたいです。
昼食の後、下に見えた芝生広場の脇を通って矢瀬遺跡に行ってみました。
第1期後半~第4期後半の矢瀬ムラ変遷の模型があったのですが、良く分かりませんでした。
高床建物や半截材の方形木柱列が再現されてたので撮ってみました。
復元された住居があったので中に入ってみました。
中はご覧のようにかなり広い住居でした。
炉辺を囲む人達(夫婦?)や犬と戯れる子供達がいました。
近くにご覧のような復元された住居もありましたが、こちらは中に入れませんでした。
遺跡の外れまで遣って来ると、源義家像(八幡太郎)があったので撮ってみました。
⇒ 矢瀬には源義家の伝説があるのかも知れませんね!?
旅館の無料送迎バスが迎えに来る時間になったので上毛高原駅に戻ることにしました。
<上毛高原駅>
県道271号線沿いを戻っていると、電波塔(?)に絡みついて成長している植物があったのでので撮ってみました。
⇒ ものすごーい生命力ですね!
観光センターの前にあった喫茶店のような上毛高原交番も健在でした。
上毛高原駅に着いて一休みしていると旅館の無料送迎バスが遣ってきました。
旅館に着くと、「吹割の滝」に停まるバスが15分位で来ると言うので、チェックインもそこそこに「老神温泉」バス停(15:27発)に向かいました。
帰りは、「吹割の滝」バス停16:40発のバスに乗らないと老神温泉に戻れないと旅館に人に言われました。
<吹割渓谷散策>
バスは少し遅れて遣ってきましたが、10分程で「吹割の滝」バス停に着きました。
ご覧のような坂道を下って吹割渓谷に行きますが、散策時間は1時間もありません。
案内図の脇から「鱒飛の滝」の上部が下の方に見えたので撮ってみました。
急な鉄階段を下りて「鱒飛の滝」に向かいます。
「鱒飛の滝」の上部は撮ることができたのですが、落差約15mの滝は撮れませんでした。
「鱒飛の滝」を後に、遊歩道を進んで「吹割の滝」に向かいます。
遊歩道を歩いていると、パンフレットに載っている「はんにゃ岩」が見えたので撮ってみましたが・・・
前回、私が勝手に命名した「カルト岩」もあったので撮ってみました。
又、「大唇岩」もあったので撮ってみましたが、これも私が勝手に命名しました。
⇒ 「はんにゃ岩」より「カルト岩」や「大唇岩」の方が、それらしい感じがしますよね!?
「吹割の滝」に着きましたが、水量はかなり少ないみたいです。
尚、奥の方に見える橋は浮島橋です。
遊歩道の先の方に行ってみると、「吹割の滝」らしく見える場所がありました。
取り敢えず、「吹割の滝」をアップと度アップで撮ってみました。
「吹割の滝」を別の角度からアップで撮ってみました。
散策時間があまりないので、「大唇岩」や「カルト岩」を見ながら遊歩道を戻ることにしました。
気になっていた「はんにゃ岩」が見える場所に戻ってきたのでアップで撮ってみました。
⇒ ここからだと般若のように見えますね!
派出所前の「吹割の滝」バス停で待っていると、バスほぼ時間通りに遣ってきました(ホッ!)。
<大蛇>
老神温泉バス停で下車すると、朝市会場の広場に「老神盆おどり」祭り櫓があったので行ってみました。
「老神盆おどり」会場を取り巻くようにコの字建物があって、中を覗いてみるとご覧のような大蛇が展示してありました。
取り敢えず、大蛇の頭をアップで撮ってみました。
傍に「老神温泉と大蛇まつり」のパンフレットが置いてありました。
パンフレットには、『その昔、赤城山の神と日光男体山(二荒山)の神とが今の戦場ヶ原で領地争いをしました。
お互いに蛇と百足(ムカデ)とに化けて激しく戦いましたが、蛇になった赤城の神は矢傷を負ってしまいました。
傷を負った赤城の神は、老神の地まで戻り、矢を抜き、地面に刺しました。すると温泉が湧いたのです。
湧き出した温泉に浸かった蛇はみるみる傷が治癒。すぐに元気を取り戻し、見事ムカデを追いやりました。
男体山(二荒山)の神を追い払ったことから、その温泉は「追う神」と呼ばれるようになりました。・・・』と書いてありました。
尚、老いるまで神がこの地にいたので「老い神」と呼ばれるようになったと云う説もあるみたいです。
コの字建物の外には、ご覧のようなギネス認定の案内もありました。
大蛇の尾っぽ近くには、ご覧のような大蛇の子供(?)も置いてありました。
コの字建物に収められている大蛇を見ながら旅館に戻りました。
旅館に着いて万歩計をチェックしたら大して歩いていないのに14,000歩を超えていました。
「尾瀬:尾瀬ヶ原(鳩待峠~山ノ鼻)編」に続く。