「鎌倉七福神をぶらり(前編)」から続く。
<鎌倉駅東口>
昼食も食べたので鎌倉駅東口から次の本覚寺に行くことにしました。
尚、時間は14時を少し回っていました。
<大巧寺(だいぎょうじ)>
鎌倉駅東口から県道21号線に出ると、『安産子育 産女霊神』の碑が建っている大巧寺がありました。
男子禁制になっていなかったので中に入ってみました。
安産祈願のお寺なので、お参りしているのは妊婦さんですかね!?
何となく恥ずかしかったのでお参りもしないで本覚寺に向かいました。
<本覚寺(ほんがくじ)>
山門を超えると本堂がありますが、現在は改修工事中のようです。
本堂の手前に祖師分骨堂あったので撮ってみました。
分骨堂は、日蓮聖人の遺骨をここに分骨し、東身延としてわざわざ身延山にお参りしなくても済むように建てたみたいです。
分骨堂の前に「しあわせ地蔵」があったので撮ってみました。
取り敢えず、改修工事中の本堂を正面から撮ってみましたが、かなり大きそうですね!?
ついでに、現在は仮本堂になっている寺務所も撮ってみました。
後ろの方に、ご覧のような夷(えびす)堂がありました。七福神の夷尊神はここに祀られているのですかね!?
夷堂に行く前に境内を散策してみました。
境内には何故かご覧のような人形塚がありました。
沢山の実を付けた栴檀(せんだん)があったのでアップで撮ってみました。
こんなに沢山の実を付けた栴檀を見たのは初めてです。
夷尊神が祀ってある夷堂に行って内部を撮ってみました。
夷尊神をアップでも撮ってみましたが、上手く撮れていませんでした(すいません)。
本覚寺にはご覧のような立派な楼門がありました。
奥に改修工事中の本堂が見えるので、こちらが正式な入口で、最初に通った山門は裏門だったみたいです。
<蛭子神社>
本覚寺の楼門の前の道を鶴岡八幡宮方面に向かって5分程歩くと、村社の蛭子神社がありました。
村社にしては立派な扁額が掲げてありました。
又、御神木の銀杏があって、隣の建物に神輿が置いてあったので失礼して撮らせて頂きました。
<日蓮上人辻説法跡>
蛭子神社から暫く歩くと、「日蓮上人辻説法跡」がありました。
日蓮上人は、鎌倉時代の僧で日蓮宗の宗祖、立正安国論の著者でしたよね!?
ところで、大昔の映画で、長谷川一夫や萬屋錦之介が日蓮を演じていたような気がしますが・・・
<妙隆寺(みょうりゅうじ)>
「日蓮上人辻説法跡」を後に暫く歩くと、七福神の寿老人が祀ってある妙隆寺に着きました。
本堂の前に、寿老人の矢印が出ていたので行ってみました。
ガラス越だったのですが、どうにか寿老人を撮ることが出来ました(ホッ!)。
本堂で、寿老人が撮れたお礼を兼ねてお参りをしました。
<宝戒寺(ほうかいじ)>
妙隆寺を後に10分位歩くと、七福神の毘沙門天が祀ってある宝戒寺に着きました。
宝戒寺では拝観料(100円)を取られました。
取り敢えず本堂を撮ってみました。
本堂には、毘沙門天の他にいろんな仏様や文化財がありましたが、残念ながら撮影禁止でした。
境内に聖徳太子堂があったので行ってみました。
失礼して内部を撮らせて頂きましたが足元(?)しか撮れていませんでした。
これで五福神を回ったので、残りは旗上弁財天社(弁財天)と浄智寺(布袋尊)を回るだけになりました。
時間は未だ15時なので余裕はあります。
取り敢えず、鶴岡八幡宮を目指して道なり進みますが、1つ目の信号が目印です。
1つ目の信号を左折すると、突き当りが鎌倉小学校だったので元の道に戻って先に行ってみました。
道なりに10分位歩くと、遠くに鳥居が見えましたが、赤い鳥居でなかったので鎌倉宮に向かっていることが判りました。
<荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)>
近くに赤い鳥居がないかと探していると、荏柄天神社の赤い鳥居が見えたので行ってみました。
松の下に道標があって、鶴岡八幡宮の矢印が出ていました(ホッ!)。
折角なので荏柄天神社に行ってみることにしました。
荏柄天神社はご覧のような急な石段を登ります。
山門を超えると広い境内があって正面には本殿がありました。
取り敢えず立派な本殿を撮ってみましたが、当然、御祭神は菅原道真公ですよね!
お参りしてから本殿の内部を撮って境内を散策することにしました。
本殿の左側に塔のようなものがあったので行ってみました。
「かっぱ天国」で有名な清水崑が愛用した絵筆を供養したかっぱ塚・絵筆塚がありました。
絵筆塚には漫画家有志が書いたレリーフがありました。
ドラえもん(藤子不二雄)やアンクルトリス(柳原良平)があったのでアップで撮ってみました。
御神木で市指定天然記念樹の大銀杏があったので撮ってみました。
大銀杏の脇にも鳥居があったので行ってみました。
石段を上ると立入禁止になっていましたが、洞窟には家紋の入った長櫃が置いてありました。
荏柄天神社の山門を撮って、松の下にあった道標まで戻って鶴岡八幡宮に行くことにしました。
道標まで戻ると、鶴岡八幡宮と同じ方向に頼朝の墓があったので立寄ってみることにしました。
<白旗神社・頼朝の墓>
道標から5分程歩くと頼朝の墓がありました。
頼朝の墓は石段を登った所みたいですが、手前には白旗神社がありました。
白旗神社の前には、清泉小学校史跡委員が書いた白旗神社と源頼朝(源氏の家系図付き)の解説板がありました。
解説板に依ると、石の鳥居(神明鳥居という形式)をくぐると白旗神社の拝殿があってその奥に本殿があるみたいです。
白旗神社にお参りしてから石段を登るとご覧のような塔が建っていました。
説明板に依ると、『源頼朝は没後、法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡で、現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪が整備したものとされます。』と書いてありました。
取り敢えず、法華堂の跡を撮ってみました。
白旗神社・頼朝の墓を後に、道標に従って鶴岡八幡宮に向いました。
先程の鎌倉小学校まで戻ると、先の方に鶴岡八幡宮の赤い鳥居が見えたのでホッ!としました。
<旗上弁財天社>
鳥居をくぐって東参道から正面参道に出て、本殿とは逆方向の太鼓橋まで行くと左側に旗上弁財天社がありました。
旗上弁財天社は源平池の島にあるので橋を渡ります。
橋の袂に、ご覧のような立て札が出ていたのには笑ってしまいますね!
旗上弁財天社でお参りしてから七福神の弁財天を探してみました見つけられませんでした。
旗上弁財天社の後ろに、政子(姫)石があったので撮ってみましたが、どちらが政子石ですかね!?
又、何故このような名前が付いたのでしょうね?セットなら夫婦石の方が相応しいと思うのですが・・・
旗上弁財天社まで来たので、残りは七福神の布袋尊が祀ってある浄智寺に行くだけになりました。
時間は16時を回っていたので、鶴岡八幡宮に寄らないで浄智寺に直行することにしました。
ここからは県道21号線に出て、道なりに進めば浄智寺に着く筈です。
途中に建長寺もありましたが、時間もなかったので立ち寄りませんでした。
<浄智寺(じょうちじ)>
JR横須賀線の踏切を越えると左側に浄智寺がありました。
時間が16時30分近くになっていたので急いで鐘楼門に向かいました。
鐘楼門に着いたのですが、16時30分を回っていたので残念ながら閉門になっていました。
浄智寺の布袋尊は、2011年12月の「円覚寺と建長寺をぶらり(建長寺編)」でお参りしているので良しとするしかありませんね!?
これで七福神が祀ってある寺社をどうにか回ることができました。
帰りは北鎌倉駅に出て、乗り換えの大船駅近くの居酒屋に入って帰りました。
今回の「鎌倉七福神をぶらり」は、寺社巡りは出来たのですが、七福神は殆ど拝めませんでした(これは仕方ないですね!)。
尚、万歩計は13,000歩を超えていたので、少しは運動不足の解消になりました。
<鎌倉駅東口>
昼食も食べたので鎌倉駅東口から次の本覚寺に行くことにしました。
尚、時間は14時を少し回っていました。
<大巧寺(だいぎょうじ)>
鎌倉駅東口から県道21号線に出ると、『安産子育 産女霊神』の碑が建っている大巧寺がありました。
男子禁制になっていなかったので中に入ってみました。
安産祈願のお寺なので、お参りしているのは妊婦さんですかね!?
何となく恥ずかしかったのでお参りもしないで本覚寺に向かいました。
<本覚寺(ほんがくじ)>
山門を超えると本堂がありますが、現在は改修工事中のようです。
本堂の手前に祖師分骨堂あったので撮ってみました。
分骨堂は、日蓮聖人の遺骨をここに分骨し、東身延としてわざわざ身延山にお参りしなくても済むように建てたみたいです。
分骨堂の前に「しあわせ地蔵」があったので撮ってみました。
取り敢えず、改修工事中の本堂を正面から撮ってみましたが、かなり大きそうですね!?
ついでに、現在は仮本堂になっている寺務所も撮ってみました。
後ろの方に、ご覧のような夷(えびす)堂がありました。七福神の夷尊神はここに祀られているのですかね!?
夷堂に行く前に境内を散策してみました。
境内には何故かご覧のような人形塚がありました。
沢山の実を付けた栴檀(せんだん)があったのでアップで撮ってみました。
こんなに沢山の実を付けた栴檀を見たのは初めてです。
夷尊神が祀ってある夷堂に行って内部を撮ってみました。
夷尊神をアップでも撮ってみましたが、上手く撮れていませんでした(すいません)。
本覚寺にはご覧のような立派な楼門がありました。
奥に改修工事中の本堂が見えるので、こちらが正式な入口で、最初に通った山門は裏門だったみたいです。
<蛭子神社>
本覚寺の楼門の前の道を鶴岡八幡宮方面に向かって5分程歩くと、村社の蛭子神社がありました。
村社にしては立派な扁額が掲げてありました。
又、御神木の銀杏があって、隣の建物に神輿が置いてあったので失礼して撮らせて頂きました。
<日蓮上人辻説法跡>
蛭子神社から暫く歩くと、「日蓮上人辻説法跡」がありました。
日蓮上人は、鎌倉時代の僧で日蓮宗の宗祖、立正安国論の著者でしたよね!?
ところで、大昔の映画で、長谷川一夫や萬屋錦之介が日蓮を演じていたような気がしますが・・・
<妙隆寺(みょうりゅうじ)>
「日蓮上人辻説法跡」を後に暫く歩くと、七福神の寿老人が祀ってある妙隆寺に着きました。
本堂の前に、寿老人の矢印が出ていたので行ってみました。
ガラス越だったのですが、どうにか寿老人を撮ることが出来ました(ホッ!)。
本堂で、寿老人が撮れたお礼を兼ねてお参りをしました。
<宝戒寺(ほうかいじ)>
妙隆寺を後に10分位歩くと、七福神の毘沙門天が祀ってある宝戒寺に着きました。
宝戒寺では拝観料(100円)を取られました。
取り敢えず本堂を撮ってみました。
本堂には、毘沙門天の他にいろんな仏様や文化財がありましたが、残念ながら撮影禁止でした。
境内に聖徳太子堂があったので行ってみました。
失礼して内部を撮らせて頂きましたが足元(?)しか撮れていませんでした。
これで五福神を回ったので、残りは旗上弁財天社(弁財天)と浄智寺(布袋尊)を回るだけになりました。
時間は未だ15時なので余裕はあります。
取り敢えず、鶴岡八幡宮を目指して道なり進みますが、1つ目の信号が目印です。
1つ目の信号を左折すると、突き当りが鎌倉小学校だったので元の道に戻って先に行ってみました。
道なりに10分位歩くと、遠くに鳥居が見えましたが、赤い鳥居でなかったので鎌倉宮に向かっていることが判りました。
<荏柄天神社(えがらてんじんしゃ)>
近くに赤い鳥居がないかと探していると、荏柄天神社の赤い鳥居が見えたので行ってみました。
松の下に道標があって、鶴岡八幡宮の矢印が出ていました(ホッ!)。
折角なので荏柄天神社に行ってみることにしました。
荏柄天神社はご覧のような急な石段を登ります。
山門を超えると広い境内があって正面には本殿がありました。
取り敢えず立派な本殿を撮ってみましたが、当然、御祭神は菅原道真公ですよね!
お参りしてから本殿の内部を撮って境内を散策することにしました。
本殿の左側に塔のようなものがあったので行ってみました。
「かっぱ天国」で有名な清水崑が愛用した絵筆を供養したかっぱ塚・絵筆塚がありました。
絵筆塚には漫画家有志が書いたレリーフがありました。
ドラえもん(藤子不二雄)やアンクルトリス(柳原良平)があったのでアップで撮ってみました。
御神木で市指定天然記念樹の大銀杏があったので撮ってみました。
大銀杏の脇にも鳥居があったので行ってみました。
石段を上ると立入禁止になっていましたが、洞窟には家紋の入った長櫃が置いてありました。
荏柄天神社の山門を撮って、松の下にあった道標まで戻って鶴岡八幡宮に行くことにしました。
道標まで戻ると、鶴岡八幡宮と同じ方向に頼朝の墓があったので立寄ってみることにしました。
<白旗神社・頼朝の墓>
道標から5分程歩くと頼朝の墓がありました。
頼朝の墓は石段を登った所みたいですが、手前には白旗神社がありました。
白旗神社の前には、清泉小学校史跡委員が書いた白旗神社と源頼朝(源氏の家系図付き)の解説板がありました。
解説板に依ると、石の鳥居(神明鳥居という形式)をくぐると白旗神社の拝殿があってその奥に本殿があるみたいです。
白旗神社にお参りしてから石段を登るとご覧のような塔が建っていました。
説明板に依ると、『源頼朝は没後、法華堂に葬られ、法華堂は頼朝の墓所として厚く信仰されました。法華堂は後に廃絶しましたが、この丘の上一帯がその跡で、現在建っている塔は、後に島津藩主・島津重豪が整備したものとされます。』と書いてありました。
取り敢えず、法華堂の跡を撮ってみました。
白旗神社・頼朝の墓を後に、道標に従って鶴岡八幡宮に向いました。
先程の鎌倉小学校まで戻ると、先の方に鶴岡八幡宮の赤い鳥居が見えたのでホッ!としました。
<旗上弁財天社>
鳥居をくぐって東参道から正面参道に出て、本殿とは逆方向の太鼓橋まで行くと左側に旗上弁財天社がありました。
旗上弁財天社は源平池の島にあるので橋を渡ります。
橋の袂に、ご覧のような立て札が出ていたのには笑ってしまいますね!
旗上弁財天社でお参りしてから七福神の弁財天を探してみました見つけられませんでした。
旗上弁財天社の後ろに、政子(姫)石があったので撮ってみましたが、どちらが政子石ですかね!?
又、何故このような名前が付いたのでしょうね?セットなら夫婦石の方が相応しいと思うのですが・・・
旗上弁財天社まで来たので、残りは七福神の布袋尊が祀ってある浄智寺に行くだけになりました。
時間は16時を回っていたので、鶴岡八幡宮に寄らないで浄智寺に直行することにしました。
ここからは県道21号線に出て、道なりに進めば浄智寺に着く筈です。
途中に建長寺もありましたが、時間もなかったので立ち寄りませんでした。
<浄智寺(じょうちじ)>
JR横須賀線の踏切を越えると左側に浄智寺がありました。
時間が16時30分近くになっていたので急いで鐘楼門に向かいました。
鐘楼門に着いたのですが、16時30分を回っていたので残念ながら閉門になっていました。
浄智寺の布袋尊は、2011年12月の「円覚寺と建長寺をぶらり(建長寺編)」でお参りしているので良しとするしかありませんね!?
これで七福神が祀ってある寺社をどうにか回ることができました。
帰りは北鎌倉駅に出て、乗り換えの大船駅近くの居酒屋に入って帰りました。
今回の「鎌倉七福神をぶらり」は、寺社巡りは出来たのですが、七福神は殆ど拝めませんでした(これは仕方ないですね!)。
尚、万歩計は13,000歩を超えていたので、少しは運動不足の解消になりました。