JRの御茶ノ水駅から湯島を通って上野公園の不忍之池に行って見ました。途中、神田明神にも立ち寄って見ました。
<神田明神の随神門>
以前、神田明神には来たことがありますが随神門を眺めただけでしたが、今回は境内にも入ってみました。

<神田明神の境内から見える東京スカイツリー>

<神田明神の御神殿>
御神殿の手前左に摂末社(せつまつしゃ:神社本社とは別の小規模な神社)が7社あると案内が出ていたので行って見ました。神社本社が別のところに祀ってあると考えるとあまり有難味は感じられませんでしたので写真も撮りませんでした。

<銭形平次の記念碑>
摂末社を回っていたら寛永通寶を形どって建立された銭形平次の記念碑がありました。脇にはがらっ八の小さな碑もありました。

<銭形平次碑の発起人>
昭和45年12月に有志の作家と出版社が発起人となって建てたと書いてありました。懐かしい長谷川一夫や大川橋蔵の名前も載っていました。尚、大川橋蔵さんのお墓は南池袋の雑司ヶ谷霊園にありました。

<上野公園案内図>
案内図によると北はJR鶯谷駅までの広いエリアが上野公園みたいです。案内図の下の方にある小さい池が不忍之池です。

<不忍之池は蓮の葉で一杯>
案内図の脇から撮った不忍之池です。池には沢山の蓮の葉が立派に育っていましたが、花はほとんど咲いていません。奥に見えるのが弁天堂です。

<開花した蓮の花>
開花した蓮の花で貴重な一枚です。

<開花する前の蓮の花>

<花びらが落ち始めた蓮の花>

<さく越えに撮った不忍之池>
不忍之池でこんなに大きな蓮の葉を見たのは初めてです。大きな蓮の葉で遮られて池を覗く子供はほとんどいません。

<不忍池の碑>
弁天堂の手前にある「不忍池の碑」です。不忍之池にこのような碑があったのを初めて知りました。

<弁天堂>
不忍之池の散歩道の中間に弁天堂があります。弁天堂には「スッポン感謝の碑」、「暦塚」、「包丁塚」、「鳥塚」などの沢山の石塚がありました。
弁天堂を超えるとボート乗り場がありました。何もない池でボート漕ぎをするよりは、大きな蓮の葉をかき分けて行けるような迷路があれば面白いと思いました。

今回は時間が余りなかったので不忍之池だけを見て回りましたが、次回は上野公園全体の散策にチャレンジしてみたいと思います。
<神田明神の随神門>
以前、神田明神には来たことがありますが随神門を眺めただけでしたが、今回は境内にも入ってみました。

<神田明神の境内から見える東京スカイツリー>

<神田明神の御神殿>
御神殿の手前左に摂末社(せつまつしゃ:神社本社とは別の小規模な神社)が7社あると案内が出ていたので行って見ました。神社本社が別のところに祀ってあると考えるとあまり有難味は感じられませんでしたので写真も撮りませんでした。

<銭形平次の記念碑>
摂末社を回っていたら寛永通寶を形どって建立された銭形平次の記念碑がありました。脇にはがらっ八の小さな碑もありました。

<銭形平次碑の発起人>
昭和45年12月に有志の作家と出版社が発起人となって建てたと書いてありました。懐かしい長谷川一夫や大川橋蔵の名前も載っていました。尚、大川橋蔵さんのお墓は南池袋の雑司ヶ谷霊園にありました。

<上野公園案内図>
案内図によると北はJR鶯谷駅までの広いエリアが上野公園みたいです。案内図の下の方にある小さい池が不忍之池です。

<不忍之池は蓮の葉で一杯>
案内図の脇から撮った不忍之池です。池には沢山の蓮の葉が立派に育っていましたが、花はほとんど咲いていません。奥に見えるのが弁天堂です。

<開花した蓮の花>
開花した蓮の花で貴重な一枚です。

<開花する前の蓮の花>

<花びらが落ち始めた蓮の花>

<さく越えに撮った不忍之池>
不忍之池でこんなに大きな蓮の葉を見たのは初めてです。大きな蓮の葉で遮られて池を覗く子供はほとんどいません。

<不忍池の碑>
弁天堂の手前にある「不忍池の碑」です。不忍之池にこのような碑があったのを初めて知りました。

<弁天堂>
不忍之池の散歩道の中間に弁天堂があります。弁天堂には「スッポン感謝の碑」、「暦塚」、「包丁塚」、「鳥塚」などの沢山の石塚がありました。
弁天堂を超えるとボート乗り場がありました。何もない池でボート漕ぎをするよりは、大きな蓮の葉をかき分けて行けるような迷路があれば面白いと思いました。

今回は時間が余りなかったので不忍之池だけを見て回りましたが、次回は上野公園全体の散策にチャレンジしてみたいと思います。