20世紀最高のチェロ奏者と言われるカザルス氏は
『小鳥が飛ぶように軽やかにチェロを弾く』と称賛されて…
小鳥がどんな努力をして飛べるようになったか私には判らない
よく判っていることは、私はあらゆる努力を
私のチェロに注いだということだ
ほとんど例外なく『軽快さ』は最大の努力から生じる…とおっしゃったそうです
優雅に湖面を滑る白鳥も
水面下では、必死に水を掻いてますしねぇ(笑)
で、ナンの話かというと…
『九州少年』(文庫版)の解説で江國香織さんが
甲斐さんの文章は『論』になってしまわないよう
周到に『軽み』をまとって書きつけられている
…と評されていたページに
上記のカザルスさんのエピソードが書かれた記事が…!?
奥さんはよく、手近にあるものを『しおり』にしたり(笑)
自分なりの『くくり』で分類したりするので
…って何気に韻を踏んでますが(笑)
藤原竜也さん主演のドラマの記事を
『いねむり先生』に挟んでた時と同じく
これは後者のケースかなと…(笑)
『努力はしません(笑)』とおっしゃる甲斐さんですが
それはきっと甲斐さんご自身が
『努力』だと思っておられないからで(笑)
長年続けていらっしゃる水泳にしても
長時間に及ぶスタジオ作業にしても
映画をご覧になったり、CDを大人買いされたりするのも(笑)
『好きだから』苦にならないと言われるのと同じなんじゃないかと…
ともあれ…
江國さんによれば、文章にも人格が表れるそうで
その『文章人格』は本来、書き手の人格と同じはずだけど
生身の人格は、外からハッキリと全部は見えなかったり
隠すことが可能なのに対して
文章人格はゴマカシがきかないものなんだとか…
ネット上でメールや書き込みを通じて知り合った者同士が
実際に顔を合わせた際、相手に抱いていた印象と
大きくかけ離れていないことが多いのは
文章に人格が表れているからなんでしょうね
…ってことは、このブログにも出ちゃってますか!?(汗)
話がアバウトで、とっ散らかってて
計画性のない書き出しと投げやりな締めくくり…(苦笑)
まっ、それはさておき…(自爆)
文章人格を『声』と言い換えてもいいと江國さん
書き手の声がなければ、文章は魅力を持ち得ない
著者名を隠して読んでも誰が書いたのかわかるのが
『声』であり『文章人格』だそうです
本来の、いわゆる『声』でいえば
誰のどんな曲を歌われても甲斐さんの『声』は
『甲斐さんだ!(笑)』と判りますけど
甲斐さんの文章人格は『慎み深い人格』らしい…?
そう言われれば『そうかな』と思えるような気もしないでもないかも…(笑)
ならば、隠しても隠しきれない(笑)甲斐さんの本当の人格は
『慎重な子供みたいな一本気な慎み』を持った方だと…
頑なに自分を律して
風味づけをしたり、盛り上げたりせず
惜しげもなく、でも素っ気なく
数多くのエピソードを並べられる甲斐さんは
職業作家以上に『作家の慎み』をご存知なんだという
『慎み』と『プライド』は
表裏一体だからかも知れないと江國さん
でも、その慎みに安心し、軽みに惑わされて読んでいると
鋭く鮮やかに凄みのある文章を
突きつけられることになってしまうそうだ
『技巧や感傷を排するというより、おそらく、むしろ怖れて
無造作な風に綴られ』ているのは
真摯に書こうという甲斐さんの誠実さの表れであり
何よりも『照れ屋さん』だからじゃないか?と奥さん(笑)
出来るだけ淡々と飾ることなく書かれることで
照れ臭さや恥ずかしさが軽減するのでは?と思えるらしい
過去のご自身のエピソードを語られる時と
今を切り取り、聴き手に突きつける歌詞を書かれる時では
真逆の人格みたいに見えますもんね(笑)
実は慎み深い『ロック詩人』甲斐さん
熱烈なファンを魅了してやまない秘密はそこにあるのかも…!?
余談ですが…
甲斐さんは『句読点をどこに打てば良いのか?』と訊ねて
江國さんを絶句させたそうですけど(笑)
『好きなところに…』と教わって(笑)
『自分のビートで良いんだ♪』と理解されたというのが
『ミュージシャン』の発想なんだなあと…(笑)
ボクも最初はマジメに句読点を打っていたんだけど(笑)
今はご覧のような状態です(笑)
『ビート』とは程遠い文章(爆)を読んで頂き
ありがとうございました!m(_ _)m
『小鳥が飛ぶように軽やかにチェロを弾く』と称賛されて…
小鳥がどんな努力をして飛べるようになったか私には判らない
よく判っていることは、私はあらゆる努力を
私のチェロに注いだということだ
ほとんど例外なく『軽快さ』は最大の努力から生じる…とおっしゃったそうです
優雅に湖面を滑る白鳥も
水面下では、必死に水を掻いてますしねぇ(笑)
で、ナンの話かというと…
『九州少年』(文庫版)の解説で江國香織さんが
甲斐さんの文章は『論』になってしまわないよう
周到に『軽み』をまとって書きつけられている
…と評されていたページに
上記のカザルスさんのエピソードが書かれた記事が…!?
奥さんはよく、手近にあるものを『しおり』にしたり(笑)
自分なりの『くくり』で分類したりするので
…って何気に韻を踏んでますが(笑)
藤原竜也さん主演のドラマの記事を
『いねむり先生』に挟んでた時と同じく
これは後者のケースかなと…(笑)
『努力はしません(笑)』とおっしゃる甲斐さんですが
それはきっと甲斐さんご自身が
『努力』だと思っておられないからで(笑)
長年続けていらっしゃる水泳にしても
長時間に及ぶスタジオ作業にしても
映画をご覧になったり、CDを大人買いされたりするのも(笑)
『好きだから』苦にならないと言われるのと同じなんじゃないかと…
ともあれ…
江國さんによれば、文章にも人格が表れるそうで
その『文章人格』は本来、書き手の人格と同じはずだけど
生身の人格は、外からハッキリと全部は見えなかったり
隠すことが可能なのに対して
文章人格はゴマカシがきかないものなんだとか…
ネット上でメールや書き込みを通じて知り合った者同士が
実際に顔を合わせた際、相手に抱いていた印象と
大きくかけ離れていないことが多いのは
文章に人格が表れているからなんでしょうね
…ってことは、このブログにも出ちゃってますか!?(汗)
話がアバウトで、とっ散らかってて
計画性のない書き出しと投げやりな締めくくり…(苦笑)
まっ、それはさておき…(自爆)
文章人格を『声』と言い換えてもいいと江國さん
書き手の声がなければ、文章は魅力を持ち得ない
著者名を隠して読んでも誰が書いたのかわかるのが
『声』であり『文章人格』だそうです
本来の、いわゆる『声』でいえば
誰のどんな曲を歌われても甲斐さんの『声』は
『甲斐さんだ!(笑)』と判りますけど
甲斐さんの文章人格は『慎み深い人格』らしい…?
そう言われれば『そうかな』と思えるような気もしないでもないかも…(笑)
ならば、隠しても隠しきれない(笑)甲斐さんの本当の人格は
『慎重な子供みたいな一本気な慎み』を持った方だと…
頑なに自分を律して
風味づけをしたり、盛り上げたりせず
惜しげもなく、でも素っ気なく
数多くのエピソードを並べられる甲斐さんは
職業作家以上に『作家の慎み』をご存知なんだという
『慎み』と『プライド』は
表裏一体だからかも知れないと江國さん
でも、その慎みに安心し、軽みに惑わされて読んでいると
鋭く鮮やかに凄みのある文章を
突きつけられることになってしまうそうだ
『技巧や感傷を排するというより、おそらく、むしろ怖れて
無造作な風に綴られ』ているのは
真摯に書こうという甲斐さんの誠実さの表れであり
何よりも『照れ屋さん』だからじゃないか?と奥さん(笑)
出来るだけ淡々と飾ることなく書かれることで
照れ臭さや恥ずかしさが軽減するのでは?と思えるらしい
過去のご自身のエピソードを語られる時と
今を切り取り、聴き手に突きつける歌詞を書かれる時では
真逆の人格みたいに見えますもんね(笑)
実は慎み深い『ロック詩人』甲斐さん
熱烈なファンを魅了してやまない秘密はそこにあるのかも…!?
余談ですが…
甲斐さんは『句読点をどこに打てば良いのか?』と訊ねて
江國さんを絶句させたそうですけど(笑)
『好きなところに…』と教わって(笑)
『自分のビートで良いんだ♪』と理解されたというのが
『ミュージシャン』の発想なんだなあと…(笑)
ボクも最初はマジメに句読点を打っていたんだけど(笑)
今はご覧のような状態です(笑)
『ビート』とは程遠い文章(爆)を読んで頂き
ありがとうございました!m(_ _)m