今日は甲斐バンドの聖地・博多でのライブですね♪
毎度のことながら、奥さんの中では
数あるツアーの中の1本…という以上の意味を持っているようで
アガリ具合がハンパない!(笑)
まあ、甲斐さん始めメンバーの皆さんには
帰省という一面もおありでしょうし
他の土地とは違った表情をお見せになったりするのかなあと
ボクは自分が田舎に帰った時と重ね合わせて、漠然と想像してるんですが
奥さんにとっては、40年以上も前から
47都道府県の中で燦然と輝く(笑)「特別な土地」
あるいは「第2の故郷(笑)」とも言うべき博多に行くと
ライブ以前に、街の匂いや博多弁のざわめき、ご当地グルメなどに
高まりながら癒されるという体質になってるみたいです(笑)
でも、かつて「バラエティと歌番組に夢中だった」甲斐さんは
「大好きだった槙みちる。それに博多のスーパースター小松政夫
それにしてもナベプロが送り出したクレイジー(キャッツ)と
ピーナッツはやはり別格
米軍基地巡りで叩き上げた、そのビート感と色気は
ギャグも含め、今までの日本人の感性とは全く違っていた
テレビショーだけではあき足らず、日劇とかの舞台や映画も追っかけ
クレイジーの全てを消化しようとしていた
ジャズ喫茶も含め、観られるものだったら全て観たいと思っていた
東京に住みたいと真剣に願った
その後、何百回もその想いに取りつかれることになるが
この時がその最初である」と記されていたり
【ちんぴら】に登場する「お茶を飲むのも映画観るのも
恋を囁くことさえも窮屈すぎる街」は
他ならぬ博多のことだと話されたり…と
ミュージシャンの道を選ばれなかったとしても
いずれは飛び出されたかも知れませんね?(笑)
もっとも、サンストで「20歳になったら家を出ろ」と
「家出のススメ(笑)」をなさったのは
ご自身が「1日も早く、家族や家から独立したテリトリーが欲しかったし
それが、俺をここまで身をもって育ててくれた
お袋や兄貴に対する孝行だと思っていた」からだそうだし
「自分の立っている場所が、家の中にいると見えない
それは、親父が少し残してくれた場所かも知れないし
兄貴たちが分けてくれた場所かも知れない
お袋が自分の場所を優しく空けてくれているのかも知れない
俺は、家族の中で暖かく育まれることの怖さがイヤだった
自分で苦労して作った、手に入れた
手のひらの中のこれなんだ
…という何かが欲しかったのだ
この手でつかみたかったんだ」という
自立心の表れでもあったんじゃないかと…
でも、上京される際には「自分の歩んで行こうとする道を
後ろから情愛に引っ張られてしまうのが、すごく怖かった
だから、進むべき道はいつも自分で決めた
この街から胸を張って出て行くのだと誓った」と甲斐さん
「俺には情にもろいところがある」と、よく口になさっていたようですし
お母様と当時の恋人の方に「電話と手紙は寄越すな」とおっしゃったのも
そういうご自身の性格をよくわかっていらしたんでしょうね
だからこそ「デビューする以前に
俺につくしてくれた人たちがいる訳だよ、たくさんね
俺の肩に、背に、そんな人たちの想いが乗っかってる訳だ
アマチュア時代のコンサートに来てくれた900人の人たち
そのコンサートを手助けしてくれた連中
当時の恋人…俺は、彼らをしょい込んで
生きて行かなければいけないんだと思ってたし
それは、今でも感じている想いなんだ」とか
「アマチュア時代から、デビューして成長して行く過程を
この街の人たちだけが知ってるんだよね」といった言葉に
ご自身のルーツを決して忘れない、忘れたくないというお気持ちが窺えます
ただ、イチローさんが福岡キャンペーンの際に
「放送局や新聞社、どこに伺っても
年上の方とお会いすることはない
さびしくはないけど、時の流れを感じます」とブログに書かれていて
まあ、イチローさんのキャリアを考えれば
かつての「しぇんぱい」方が勇退なさっていても不思議じゃないんですが
ブログの続きに「『あかんべえ』霜田さんのドラム 健在でした」とあるのは
やっぱり、変わらずにそこにいらっしゃる方がおられることに
どこかホッとされたんじゃないかと…?
ともあれ、映画「照和」の最後に…
「福岡は、あっという間にどんどん変わって行ったんだよね
僕らの中の…ナンか、こう…俺はここで生まれて、どっからやって来たんだろう?っていう
心の一番奥底にある心象風景ってあるじゃないですか
いつも自分の中で、いつも自分にそれを問い質して
俺はどっから来て、どこへ行きたいんだろう?
…っていうのは、いつもあったけど
自分たちが成長するように、街もどんどん変わって行ったからね
博多の街は、どんどん変わって行ってるんだけど
変わらないものっていうのがあって
それは、博多の人のむせかえるくらいの熱気と活発さと、それから健気さね
やっぱり、人間好きなんですよ、この街の人たちって…
そこは、ずっと自分の中でも持ってるものだし、残ってるものだから
そういうエネルギーみたいなものを糧にしながら、やって行ったと思うんだけど
戻って来ると、どんどん街は変わって行ってるんだけど
変わらないものを確認しながら見つめて
『ああ、やっぱりイイな』っていうのは、今でも思ってるよね」
…と話されているのを聴くと
良い意味でリラックスなさった甲斐さんが
ゴキゲンで歌っておられるご様子が目に浮かびます(笑)
まあ、いつぞやのように、お酒が進み過ぎて
「歌が上手いさんまさん(笑)」みたいになられては困りますけど…(笑)
毎度のことながら、奥さんの中では
数あるツアーの中の1本…という以上の意味を持っているようで
アガリ具合がハンパない!(笑)
まあ、甲斐さん始めメンバーの皆さんには
帰省という一面もおありでしょうし
他の土地とは違った表情をお見せになったりするのかなあと
ボクは自分が田舎に帰った時と重ね合わせて、漠然と想像してるんですが
奥さんにとっては、40年以上も前から
47都道府県の中で燦然と輝く(笑)「特別な土地」
あるいは「第2の故郷(笑)」とも言うべき博多に行くと
ライブ以前に、街の匂いや博多弁のざわめき、ご当地グルメなどに
高まりながら癒されるという体質になってるみたいです(笑)
でも、かつて「バラエティと歌番組に夢中だった」甲斐さんは
「大好きだった槙みちる。それに博多のスーパースター小松政夫
それにしてもナベプロが送り出したクレイジー(キャッツ)と
ピーナッツはやはり別格
米軍基地巡りで叩き上げた、そのビート感と色気は
ギャグも含め、今までの日本人の感性とは全く違っていた
テレビショーだけではあき足らず、日劇とかの舞台や映画も追っかけ
クレイジーの全てを消化しようとしていた
ジャズ喫茶も含め、観られるものだったら全て観たいと思っていた
東京に住みたいと真剣に願った
その後、何百回もその想いに取りつかれることになるが
この時がその最初である」と記されていたり
【ちんぴら】に登場する「お茶を飲むのも映画観るのも
恋を囁くことさえも窮屈すぎる街」は
他ならぬ博多のことだと話されたり…と
ミュージシャンの道を選ばれなかったとしても
いずれは飛び出されたかも知れませんね?(笑)
もっとも、サンストで「20歳になったら家を出ろ」と
「家出のススメ(笑)」をなさったのは
ご自身が「1日も早く、家族や家から独立したテリトリーが欲しかったし
それが、俺をここまで身をもって育ててくれた
お袋や兄貴に対する孝行だと思っていた」からだそうだし
「自分の立っている場所が、家の中にいると見えない
それは、親父が少し残してくれた場所かも知れないし
兄貴たちが分けてくれた場所かも知れない
お袋が自分の場所を優しく空けてくれているのかも知れない
俺は、家族の中で暖かく育まれることの怖さがイヤだった
自分で苦労して作った、手に入れた
手のひらの中のこれなんだ
…という何かが欲しかったのだ
この手でつかみたかったんだ」という
自立心の表れでもあったんじゃないかと…
でも、上京される際には「自分の歩んで行こうとする道を
後ろから情愛に引っ張られてしまうのが、すごく怖かった
だから、進むべき道はいつも自分で決めた
この街から胸を張って出て行くのだと誓った」と甲斐さん
「俺には情にもろいところがある」と、よく口になさっていたようですし
お母様と当時の恋人の方に「電話と手紙は寄越すな」とおっしゃったのも
そういうご自身の性格をよくわかっていらしたんでしょうね
だからこそ「デビューする以前に
俺につくしてくれた人たちがいる訳だよ、たくさんね
俺の肩に、背に、そんな人たちの想いが乗っかってる訳だ
アマチュア時代のコンサートに来てくれた900人の人たち
そのコンサートを手助けしてくれた連中
当時の恋人…俺は、彼らをしょい込んで
生きて行かなければいけないんだと思ってたし
それは、今でも感じている想いなんだ」とか
「アマチュア時代から、デビューして成長して行く過程を
この街の人たちだけが知ってるんだよね」といった言葉に
ご自身のルーツを決して忘れない、忘れたくないというお気持ちが窺えます
ただ、イチローさんが福岡キャンペーンの際に
「放送局や新聞社、どこに伺っても
年上の方とお会いすることはない
さびしくはないけど、時の流れを感じます」とブログに書かれていて
まあ、イチローさんのキャリアを考えれば
かつての「しぇんぱい」方が勇退なさっていても不思議じゃないんですが
ブログの続きに「『あかんべえ』霜田さんのドラム 健在でした」とあるのは
やっぱり、変わらずにそこにいらっしゃる方がおられることに
どこかホッとされたんじゃないかと…?
ともあれ、映画「照和」の最後に…
「福岡は、あっという間にどんどん変わって行ったんだよね
僕らの中の…ナンか、こう…俺はここで生まれて、どっからやって来たんだろう?っていう
心の一番奥底にある心象風景ってあるじゃないですか
いつも自分の中で、いつも自分にそれを問い質して
俺はどっから来て、どこへ行きたいんだろう?
…っていうのは、いつもあったけど
自分たちが成長するように、街もどんどん変わって行ったからね
博多の街は、どんどん変わって行ってるんだけど
変わらないものっていうのがあって
それは、博多の人のむせかえるくらいの熱気と活発さと、それから健気さね
やっぱり、人間好きなんですよ、この街の人たちって…
そこは、ずっと自分の中でも持ってるものだし、残ってるものだから
そういうエネルギーみたいなものを糧にしながら、やって行ったと思うんだけど
戻って来ると、どんどん街は変わって行ってるんだけど
変わらないものを確認しながら見つめて
『ああ、やっぱりイイな』っていうのは、今でも思ってるよね」
…と話されているのを聴くと
良い意味でリラックスなさった甲斐さんが
ゴキゲンで歌っておられるご様子が目に浮かびます(笑)
まあ、いつぞやのように、お酒が進み過ぎて
「歌が上手いさんまさん(笑)」みたいになられては困りますけど…(笑)