ちわきさんから「さて、では、ここで、1曲聴いて頂こうと思います
えー『HOT MENU THE KAI 35th SOLO WORKS COMPLETE BOX』から…
甲斐さん、曲紹介をお願い致します!」と振られると
甲斐さんが「ハイ、では、これ、僕のソロデビュー作ですね
えー『電光石火BABY』を聴いて下さい」とQを出され
「電光石火BABY」がフルコーラスで流れたあとCMへ…
CMが明けると…「今夜は甲斐よしひろさんをスタジオにお迎えしております
後半もよろしくお願い致します…(『ハイ、よろしくお願いします』と甲斐さん)
さて、先ほど、35周年でリリースになったBOXセット『HOT MENU THE KAI 35th SOLO WORKS COMPLETE BOX』からね
ソロの…初ソロ作…えー、1987年の『ストレート・ライフ』からの1曲ですね
『電光石火BABY』を聴いて頂きました
ナンかこう…ソロに最初になった時の心境って
今振り返ると、どんな感じですか?」と質問され…って
「今振り返ると…」の辺りで「イヤ、もう、基本的には…」とお答えになる甲斐さん(笑)
「あのー、ナンかこう…バンド自体は、どんどん成長を遂げて行って
まあ、そのー、最新のグルーヴみたいな感じではやってたんですけど
元々はバンドなんで、やっぱり、そのー、オーソドックスなサウンドじゃないですか?
でも、ソロは、まあ色々チャレンジが出来るんで…(『そうですよね』とちわきさん)
ハイ、だから…(『この曲とか、すごい驚いた気がします』)
うん、そう、全くこれ違うんで、バンドと…
バンドは、やっぱり、CCRとかストーンズとか、そういう…
ナンか、どっちかというと、ちょっと…ナンて言うんですかね?
南部寄りの音みたいな…こう…やっぱり好きでやってたんですけど
ソロは全くね、ナンか『逆に変えないと面白くないなあ』みたいな…
(『楽器の数とか成り立ちとかも…』)…そうです、ハイ
(『取っ払われる感じで…じゃあ、そういう意味では、そのソロならではの…
まあ、アプローチっていうのが、全開に出来るようになったという…』)
そうですね…(『感じでしょうか』)」…と返されてましたが
奥さんは「電光石火BABY」のプロモーションビデオで
外国人女性ダンサーズに囲まれ、アルマーニのスーツ姿で
軽くダンスしながら歌われる甲斐さんを拝見し
「変われば変わるもんだねぇ(笑)」とビックリしていたような気が…?(笑)
まあ、それまで、男くさい「硬派」なイメージを打ち出していらしたのが
いきなり「お姉ちゃん達をはべらかしてる~!(笑)」と驚いたみたいです(笑)
更に、ちわきさんが…「えー、この35周年のBOXセットを…まあすごい分量
10枚の…えー、CDが収められている訳ですが
皆さんは、その甲斐さんがソロになってからの35年の軌跡を楽しんで頂ける訳ですけど
こう…ソロになってからは、やっぱり、作詞作曲…
甲斐さんご自身でやることは、もっと多いじゃないですか?…(『うん、うん』と甲斐さん)
これだけの長い期間、曲を書いて来られて
詞を書き続けられたインスピレーションの素というのは、一体どんなことなんでしょうか?」
…とお訊ねになると「えっと…基本的にナンか、大事にしてるものは、ちゃんとありつつ
守りに入らないって感じですかね?『どんどん変わって行っていいんだ!』
っていう感じは、いつもありましたね、ナンか…
守らなきゃいけないものもあるんでしょうけど
まあ、そうじゃなくて、やっぱり自分が書きたいもの、興味があるもの…っていうのに
どんどん、こう…迷わず行くっていう…そうじゃないと書けないもんね
『自分はこういうイメージだから、そこは大事にしなきゃいけない』とかっていうのも
プロだから大事なんでしょうけど、あんまりそこばっかりやると変わらないしね」
…とお答えになってましたが、甲斐バンドを解散されたあと
「ソロになって『どういう気持ちでコトにあたるか』ひとつだけ決めたことは
『とにかく自分を磨く。何でも学ぶ。』ということ
それまで、自分を取り巻く世界っていうのは、バンドとその周辺だけというか
良くも悪くも、自分たちだけで成立させることが出来ていたから
その外側の世界を知る必要性を感じなかったんだけど、ソロになったら、そうは行かないんで
だったら、貪欲にね、何でもやってやろう、経験してやろうと思ったんだよね」と話されてました
初のソロツアーで、頑なに?(失礼!)甲斐バンドの楽曲を排除なさったのは
バンド時代に、初めてのソロアルバム「翼あるもの」をリリースされた際と同じように
「甲斐バンドの甲斐よしひろ」という肩書を外して
「甲斐よしひろ」という「シンガー」なり「ミュージシャン」として見て欲しい
といった思いの表れでいらしたのかなあと…?
ともあれ…ちわきさんが「うーん、なるほど、そうですよねぇ…
なかなか、こう…でも、お仕事になると、レコード会社とか事務所とかから
『このくらいは売れて欲しい』みたいなリクエストで
『前回のシングル売れたから、今回もこの路線で…』とか
ナンか、やっぱりあるじゃないですか?…(『ある!ある!』と甲斐さん)
そういうこととの対決っていうか(笑)ナンかこう…戦うことが多いじゃないですか?
どの時代も、ナンか、アーティストって、ナンか、そういった中で…」とおっしゃったトコで
「でも、その『安奈』みたいなのをもう1回って言ったら、書ける訳ないもんね
アレが意味が判んないよね?だから、新人アーティストとかも
平気で言われてるじゃないですか?ナンか…
(『ホント、大変だと思う、若い子は…』とちわきさん)」とカットイン(笑)
まあ、甲斐さんは、お若い頃から…例えば「裏切りの街角」のヒットを受けて
レコード会社や事務所から「次のシングルも同じ路線で…」と言われても
「かりそめのスウィング」という全く異なったテイストの曲をお書きになったり
前述の初ソロアルバムにしても、甲斐バンドが契約しているのとは
別のレーベルからリリースすることにこだわられたり…
何かと「問題児」ぶりを発揮なさってたけど(笑)
アルバム「ラヴ・マイナス・ゼロ」をお作りになった際に…
「やっぱり、やってみて、どうも今ひとつ別のニュアンスが欲しいなと思ってね
もちろん、そういう自分の思いを通すにはね
その録音する状況作りのために、人間とかお金とか
色々揃えなきゃなんなかったりする訳だよ、沢山の迷惑さえかけてさ
それでもね『これは違う』と思った時には、我を通してもやらなきゃっていうのがあるわけ
俺は、この時代の中で呼吸しつつ、何かものを考えたりしながら音作りしてる訳だから
俺自身感じることを大切にしたいなって思うわけ
その時代時代のニュアンスに忠実でありつつも『自分に忠実であれ』とやった訳なんでね」
…と「破れたハートを売り物に」のマスターテープをプレス工場に送られたあとに
「やっぱり、もう一度やり直したい」と「待った」をおかけになった時と全く変わらない
こだわりというか、ご自身の感性に少しでもそぐわない部分を看過できないというか
まさに、ご自身の音楽に対する「誠実さ」全開のエピソードを披露なさっていたし
30周年のインタビューでは…「人間関係を上手くまとめようとか思ったこと1回もないから
穏便にこの業界で生きて行こうなんて、そんなことは全然思わなかった
だから、自分のアイデアとか、自分の感性とか、フルに出すことが出来たんですよ
クリエイティブな感性で、本当に正直に生きて行こうと思ったら、それは、所詮ぶつかるのよ
だって、上の大人たちは、ビジネスをやろうとしてる訳だし
こっち側は、そうはさせるものかって思ってる訳だから…
で、いちばん熱の高いところで、時代の芯に新しい息吹きを打ち込もうとする訳でしょ?
それは、ぶつかりますよ、そういう図式なんだから
その中で、必ず自分にとって切実なものを選び取ることにした」とおっしゃってます
ただ、それならば尚更、先日までのソロツアーで、ライブ終盤のアゲ曲となったという
「絶対・愛」をシングルとしてリリースしようとなさった時に
「マネージメントとこじれた」ために
「怒りを込め、そのエッセンスを注入しつつ
より洗練された形で完成させた」
「激愛」をリリースされたという裏話が、より一層、不可解になりますねぇ…?
それはともかく…甲斐さんは「イヤイヤ、それはまあ、あのー、ナンだっけ?
まあ、某国営放送で、僕らの(ライブの)中継を…生中継をやるってなった時に、映像でね
あのー、それ、日本人のアーティストで唯一
『ヤング・ミュージック・ショー』っていう…
まっ、ストーンズとか、ロッド・スチュワートとか…
(『観てました!観てました!』とちわきさん)
…っていうのをやってた枠があるんですけど、それを僕らが初めて…
日本人アーティストやる…みたいなのあった時に…(『へぇー!すごーい!』)
打合せで、向こうは軽い気持ちなんでしょうけど
ナンか…『イヤ、ストーンズみたいなねぇ、ライティングが良いと思うんだよね』って
(国営放送の方が)言ったら、僕とずっと組んでる、そのライティングスタッフのチーフが
『だったら、ストーンズ頼めば?』っていう話に…これが一番判りやすい話なんだけど
その通りなんですよね、アーティストも違うし『なに言ってんの!?』っていう…
(『甲斐バンドでいいじゃないか!ってことですよね?(笑)』)
そう!そう!そう!(笑)だから、そこにね、別のナンかこう…ナンて言うの?
キャラクターをはめてもね、そこ違うしね?」と話されてましたが
奥さんは「『ヤング・ミュージック・ショー』っていう枠で
甲斐バンドのライブを放送した時って、生中継じゃなかったと思うけど?」って、そこですか!?(笑)