さて、ようやく(笑)甲斐バンド特集最終回に取りかかります
その星さんとの初仕事でいらした「漂泊者」については…
「あのシングルでの吠えるようなブラスセクションは
俺たちが非常に意識していながら形に出なかったもの」…とおっしゃっていたり
さらにレコーディング終了後には…
「彼がスタジオの扉を開けたら、全ては5分で解消した
俺たちが必要としてたのは、束の間の恋の相手じゃなくて(笑)心の友だった
それくらいくじけそうだったからね
今までレコーディングでそんなことは1回もなかった」…と明かされていて
「今、かかっているのは、甲斐バンド『ポップコーンをほおばって』
1986年7月31日に発売になったライブアルバム
『THE KAI BAND ファイナルコンサート PARTY』に入っていた『ポップコーン』なんですが
お聴き頂いたのはですね、2019年に出た45周年ライブベスト
『CIRCUS & CIRCUS 2019』の中のものですね
マスタリングが新しくなっておりまして、この86年に出たアルバムとは
やっぱりこう…耳障りと言いますか、違うんで、こちらをお聴き頂きました
2021年6月の特集は甲斐バンド
1974年にデビューして、1986年に解散しました
解散公演 武道館5日間というのはですね、当時、最大規模の解散コンサートでした
毎週こういう話をですね、申し上げておりますが
70年代のはっぴいえんどから80年代のBOOWYに至る過程での最重要バンドが甲斐バンドだった
まだロックバンドがですね、不遇…まっ、お茶の間ですとかね
一般の人たちの中にはですね、認知されていない時代
その時代に不退転の活動を続けたロックバンドの栄光の12年
今週はパート4…最終週ですね、いよいよ大詰め
解散の時にテレビで放送したドキュメンタリーのタイトルが『甲斐バンド十二年戦争』
まっ、そういう12年間ですね、最終決戦の章と言っていいですかね
1983年から86年までを辿ってみようと思います
『ポップコーンをほおばって』はですね、1週目にもお届けしました
実質的なデビューアルバム『英雄と悪漢』の1曲目でしたね
で、1週目にですね、この『ポップコーンをほおばって』は
このあともお聴き頂くことになると思いますという風に言っておきながらですね
ここまでになってしまいましたが(笑)お判りのようにですね、アレンジもサウンドもかなり違います
アフリカンパーカッションって言うんですかね
このビートがですね、オリジナルには全くありませんでしたからね
こんな風にバンドが変わって来た象徴のような曲ですね
80年代に入ってから…特に『破れたハートを売り物に』でですね
こういうサウンドに足を踏み入れてからですね
ここまで辿り着いたという、そんな1曲です」
…と話されてましたが、ライブでお約束の観客のパフォーマンス…
「♪ほおばって♪」のトコで、3回拳を突き上げるヤツ…も
今の形になるまでに、ちょこちょこマイナーチェンジを繰り返して来たそうで(笑)
それはきっとバンドの音が変わるたびに起きた変化だったんじゃないかと…?
「先週は、82年のアルバム『虜』でですね、当時、飛ぶ鳥を落とす勢いだったエンジニア
ボブ・クリアマウンテンと組んだというところまで話をしました
まあ、甲斐バンドはですね、デジタルの普及で激変したレコーディング環境とですね
いち早く向き合ったロックバンドだった
で、1982年のですね、年末の武道館…毎年年末に2日間ずつライブをやってましたが
この82年の年末でですね『良いものを作る時間をくれよ』というですね、名ゼリフを残して
翌年のコンサートスケジュールを全部白紙にして作ったのが
83年7月に発売されたアルバム『GOLD』だったんですね
その中の曲をお聴き頂きます」と「シーズン」を流されてましたが
田家さんが「良いものを作る時間をくれよ」とおっしゃった時に
少し笑いを含んだ声でいらしたのは、この休業期間中
メンバー全員にお子さんがお出来になったことを思い出されたんでしょうか?(笑)
まあ、奥さんにとっては、前年の休業の果てに届いたのが
イマイチ馴染めなかった「虜」だったので(苦笑)
「えっ!?また…」っていう気分だったトコへ
「持ってけ!ドロボー!」の声が上がって(笑)ずいぶんと救われたみたいです
曲が明けて…「この曲を初めて聴いた時にですね、最初の印象…
『おっ!こんなに音がキラキラしてるんだ!』…というものでしたね
このドラムの太さとかですね、まあ、エコー…これはもう、80年代の音ではあるんですが
こういうキラキラ、キラキラした音というのは
それまでの甲斐バンドにはなかったなあと思いましたね
まっ、その音の聴こえ方みたいなものが変わって来た
当時はですね、ロックバンドのレコーディングの時の順番と言うんでしょうかね
ドラム、ベース、リズム隊を録って、それからギターを録るっていうような録り方とは
全然違う録り方というのがですね、ここから始まってるんですね、デジタルレコーディング
あのー、海を舞台にしたですね、贖罪と再生のストーリー
これは、先週お届けした『虜』の中の『ブルー・レター』とも共通しているんですが
この『シーズン』は、そういう暗い海に向かって行く感じではなくてですね
何か希望が見えるね、そんな音の作り方にもなっているような気がしました
これは改めて思うことですけども、当時のですね
彼の…バンドが見ていた光というのも、ここにあったんでしょうね」と田家さん
確かに、このアルバムがリリースされた頃にはもう甲斐さんのお気持ち…
「確か『シーズン』をミックスしてた真夜中だったと思う
いや『胸いっぱいの愛』か『GOLD』だったか。その瞬間、ふいに…」
沸き起こったとおっしゃっていた…にケリがついていらしたみたいですし
「『キラリ』じゃなくて『ギラリ』とした」仕上がりになってましたけど
「心の準備も出来ていた。いつでも、口に出す用意はあった」という、そのお気持ちを
万が一、周りの方々に吐露なさっていたら
「光」が見えるどころか、アルバム自体がお蔵入りだったかも知れませんよね?(汗)
でも「メンバーそれぞれに家族が出来て、バンドが一番じゃなくなってしまった」頃を
「人生のダウンの時期」とお呼びになり「観覧車」をお書きになったのに
メンバーのお一人が、そのご家族の話をなさるのをお聴きになって
「それっきり、その事を、心から消した」というのも巡り合わせなのかなあと…
「で、アルバムにですね、アレンジャーというのが
このニューヨーク三部作から加わってるんですね
後藤次利さんとか、椎名和夫さんとか、井上鑑さんとか、瀬尾一三さんとか、星勝さんとか
まあ、そういう意味では、音の甲斐バンドというのがですね、ここから始まってます
この『シーズン』のアレンジは井上鑑さんでした
このキラキラした感じは、やっぱり井上さんでなかったら出来なかったんだと思います」
…って、確か甲斐さんが、一番最初に本格的なアレンジを依頼なさったのは
アルバム「地下室のメロディー」の時の星勝さんじゃなかったっけ?と思い
過去の記事を読み返してみたら…
「具体的で聴きやすくて、しかも底辺はワイルドでハードボイルドでなきゃいけない」
…ということを確認なさっただけで、細かい部分に注文をつけられることもなく
全て星さんにお任せになった…とあり
その星さんとの初仕事でいらした「漂泊者」については…
「あのシングルでの吠えるようなブラスセクションは
俺たちが非常に意識していながら形に出なかったもの」…とおっしゃっていたり
さらにレコーディング終了後には…
「彼がスタジオの扉を開けたら、全ては5分で解消した
俺たちが必要としてたのは、束の間の恋の相手じゃなくて(笑)心の友だった
それくらいくじけそうだったからね
今までレコーディングでそんなことは1回もなかった」…と明かされていて
心が折れそうな時にアレンジャーの方を招いておられるような気が…?(汗)