夜、自室でもの思いにふけっていたら、ブラインドがかかった窓の向こうを何か灯りが、北の方へ移動してゆく。 何かと目を凝らしてみたら、飛行機のテールランプだと判明。
夜空を飛んでゆく飛行機を見るのは、本当に好き(それにしても、昔は私の部屋から飛行機が見えるなんてなかったのに。航路が変わったのかな?)。 きらめく照明がともる点が、夜の中を移動していくのを見ると、訳もなく旅情をかきたてられる。
5月に計画していたオランダ・ベルギー旅行をキャンセルせざるをえなくなったのだが、旅の中で特に好きなのは、夜、着陸したり、離陸したりする時の、エアポートの灯りである。 幻想の中に浮かび上がる、古代都市を思わせるのかもしれない。
あまんきみこさんの「きつねのかみさま」です。 深い緑の表紙には、幼い姉弟と、突然現れた彼らにびっくりして振り向く子ギツネたちの絵--この魅力的な可愛らしい絵は、酒井駒子さんの手になるもの。 いかにも素敵な物語がはじまりそうではありませんか?
公園になわとびを忘れた女の子が、小さな弟を連れてそこへ行ってみたら、キツネたちがなわとびで遊んでいる! う~ん、なんて楽しいファンタジーでありましょう。女の子が語りかけてくるような文体も、優しくムードがありますね。
もちろん、女の子たちはきつねたちとなわとびをして、楽しく一日を過ごすのですが、彼らを包み込むのは、深い緑の情景。緑色のファンタジーとでも言いたくなるくらいであります。 絵と言葉がシンフォニーを奏でる、素晴らしき絵本。
タイトルの「きつねのかみさま」とは何? それはこの本を読んでからのお楽しみに。 とびきり可愛らしくて、キュートな答えがあるはず。 なかなか見つからないかもしれないけれど、どこか緑なす草っぱらの公園では、今日もきつねがこっそり遊んでいるかも?
P.S わたしも、以前お宮の公園で、死んでしまった愛犬が、お盆の夕方、他の犬たちと盆踊りを踊っているお話を思いついたことがありますが、ファンタジーって何だかいいですね。
老舗ギャラリー「やぶき」が、27年の歴史に、この春終止符を打ってしまう。 全国の有名作家や工芸家の作品が、岡山の地で見られるのは、何と言っても「やぶき」であったはず。それがなくなってしまうというのだから、本当に悲しい・・・。
これまで、「やぶき」の歴史を彩っていた作家の個展が、フィナーレを飾っているのだが、そうした掉尾を飾る作品展の一つが、この矢野太昭さんのもの。
母と私も、ずっと矢野さんのファンだったので、時間を見つけて行ったのだけど、目当てにしていたネックレスはもう完売! というより、作品はほとんど売れていて、残っているのは数点のみ――人気作家だけあって、ファンがついているんだなあ。
残っていた作品の中から、上の写真の指輪を母が購入(彼女の指にちょうど、ぴったりだったの)。 中央の円に古代のモザイク装飾を思わせる肖像があって、下の臙脂色の部分もよく見ると、ダイヤをちりばめたような文様になっている・・・矢野さんのガラスの世界は本当に独特な輝きが感じられて大好き。 馬や女性が小さな小さな装飾になって、古代を思わせる色彩の硝子に埋め込まれているブローチやネックレスは実に素敵だったのだけれど、今回は縁あって、この指輪がやってくることに。
西部劇一地味で、知られていない(?)名作。 私も今まで見たことがありませんでした。
でも、主演がグレコリー・ペック、共演がチャールトン・ヘストンというのだから、これは絶対見なくては!と思ったわけなのであります。 ハリウッド黄金期のクラシック映画の大スターが顔合わせするというのだから。
ストーリー自体は簡潔で、西部の土地の有力者テリル家の娘パットと結婚するために、東部からやってきた紳士ジム・マッケイにペックが扮する。 その家の牧童頭をヘストン。
だが、広大な牧場を運営するため必要とする水源をめぐって、テリルとヘネシーという二つの家が対立していて、ジムはその争いに巻き込まれてゆく。 水源である湖がある牧場ビッグマディを所有するのは、パットの友人である学校教師の女性ジュリーですが、ジムは彼女から牧場を買い取ることで、人々に平等に水を分け与えようとする・・・どうですか? この古き良き時代の好漢ぶり--いかにもグレゴリ・ペックならでは!
今まで、西部劇というもののを熱心に見た覚えはないのだけれど、それでもこの時代のアメリカには惹かれるものを感じます。 一昔前、日本のステーキレストランの入り口でも見かけたような、パチンと閉まる扉や、ゴーストタウンすれすれの荒れ果てた小さな町、無法者たちの伝説・・・歴史的な年代で言えば、西部開拓時代にあたる1860年代から1890年代くらいまでを言うみたいですが・・・。
「風と共に去りぬ」の南北戦争と変わらない時代なんですね。 私も、ゴールドラッシュ当時のこの西部に、ワープしてみたいくらい。 アメリカがまだ若さの盛りにいた時代という気がするんです。
「大いなる西部」に戻ると、ジムはパットとの間にあいいれぬものを感じ、やがてジュリーの人となりに惹かれてゆくようになるのでありますが、このジュリー演ずるジーン・シモンズがいい! そう美人ではないのですが、いかにも西部の小さな町に咲く花のような、凛とした面影とリアリティーがあって――。 ブラボー、西部劇!
久しぶりに、ハンバーグを作りました。ひき肉と炒めたみじん切りのたまねぎと、パン粉、卵などを練って、小判型のたねを作ります。中央にふんわりとえくぼみたいな、くぼみをこしらえて、フライパンで蒸し焼き。そして、付け合わせの野菜とともに、どうぞ。
家で作るハンバーグって、形は不細工だけど美味しいですね。 こないだ作った豚汁も、体じゅうの細胞が、じんわり温かくなるようなエキスを飲んでいるようなコクがあったし・・・。 でも、ひな祭りにはばらずしと蛤の潮汁を作ろうと思いながら、果たせませんでした・・・。
ずっと、知りたいと思っていた事柄を満載した本に出会えることは、そうそうない。だから、美術館のミュージアムショップで、この本を見つけた時は、思わず抱きしめたくなったしまったほど。
ヨーロッパの歴史や文化に惹かれ続けるようになって、久しいけれど、その一方装飾にも魅せられてきた。 古代ギリシアの壺などを見ると、競技する男性や、海洋生物を描いた絵の他、上下に素晴らしい模様がほどこされているのに気づく。三角形などの幾何学文様だったり、植物を思わせる模様(この本で、それを「パルメット」という名前だと知った)だったりするのだが、この装飾がギリシア的なるもへの憧れさえ、呼び覚ましてしまうのだ。
そして、上の写真にあるのは、ロゼッタ紋という、上から花弁が放射状に広がる花を思わせる文様。壺や壁画、衣装、家具などあらゆるものに取り入れられる文様・・・デザインというには、一つの文明にあまりに普遍的に用いられすぎ、「飾り」として片隅につつましやかに存在しているかもしれない。しかし、古代エジプトの壁画や神殿の柱などに使われたロータスやパピルスの花弁の装飾模様など、『文明』に美を与えるのは、実はこれしかないのではないかと思わされる。
この本の素晴らしいところは、文様の説明だけでなく、その文様が歴史上持っていた意味まで解説してくれているところ。 古代エジプトならではの青いアイラインをほどこしたホルス神の目--それは、単体で壁画などに描かれているのだが、こうした目だけが描かれたのは、目に「邪眼」などの超越的な力があるとする古来からの、思想のあらわれなのだとか。
他にも、中世紀のステンドグラスや、アラベスク文様など、「目からうろこが落ちる」--そのものズバリの解説。 以前、装飾模様を手掛ける女性画家の小説を書いたことがあったけれど(「ノエルの本棚」所収の「植物幻想」より)、文様の世界への扉が開かれた気分。
この間、美術館へ「レオナール・フジタ展」を観に行ってきました。フジタ--あるいは藤田嗣治。20世紀の美術史に残る、日本が誇る天才画家なのは、誰もが知る通り。
彼の絵には、とても惹きつけられるのですが、何といっても印象に残るのは、その描線の美しさ。繊細でいて、どこか西洋に挑戦する東洋のふてぶてしさをも感じさせる、一筋縄ではいかない線。 肌色の美しさで有名な女性像もさることながら、子供たちや猫を描く線も、実に実に美しい!ものです。
わたし自身は、フジタの描く猫が好き。パリのパンテオンを見はるかすかのように、ベランダに座っている猫の絵は、飾られた部屋の雰囲気をも浸食するほどムードがあります。
そして、フジタといえばおかっぱ頭。今でこそエキセントリックな芸術家スタイルとして歴史に残っていますが、当時はファッションの最先端をゆく、ファッショナブルな髪型だったのかも。案外、フジタも大正モダンガールズから、インスピレーションを得たのかもしれませんね。