11月30日
国際理解実践フォーラム2013:山形から世界を見てみよう@山形市・霞城セントラル
朝から霞城セントラルへ.
今年で10回目の開催となる国際理解実践フォーラム(AIRYやJICA東北などが主催)へ参加してきました.
いくつかある分科会の中から「山形在住の外国人との共生を考える」といったワークショップへ参加してきたのですが, 午前中に行われたパネルディスカッション(山形県在住者の国籍別人数が上位を占める中国, 韓国, フィリピンにルーツをもつお三方がパネリスト)に続いて, 午後は外国にルーツのある人・日本にルーツのある人が一緒になったグループでディスカッションを行いました.
ディスカッションのテーマは, ずばり「山形は外国出身者にとって住みやすい場所か?」.
よく, 「外国人が直面する3つの壁」(ことばの壁, 制度の壁, こころの壁)というようなことが言われますが, 今日の話し合いでは, ことばの壁の裏にあるこころの壁, あるいはその逆, が議論の焦点になる場面がありました.
なるべく目立たないようにすることが美徳(?)とされる山形/東北において (もちろん, この言説に対する反応だって世代差, 男女差なんかは大きいと思います), 少ないことばと, その裏にある本当の意味とのギャップを埋めるのが難しい, と言われた外国出身の方が大勢いらっしゃいました.
たとえば, 「今度遊びさ来てな」という, あいさつ.
それがホントに遊びに行っていいのか, 単なる社交辞令なのか….
あるいは, 「どうぞ遠慮しねで食べでけらっしぇ」, という, あいさつ (どこまで遠慮しなくていいの? ホントにいいの?).
なるほど, それは難しかもしれない… (そしてその問題は, 日本語がある程度話せるようになって(つまり, よくも悪くも空気が読めるようになって)から現れてくる問題で, 一緒くたにことばの問題として扱われることがあるけれども, やはりそれだけじゃない と感じている, といった声も多くありました).
…でも, それって日本人にとっても難しいです.
色々と話してみて, その人の目立つ属性(たとえば外国出身の方なら「外国人」という属性)であっても, それはその人を作り上げているたくさんの属性のひとつに過ぎない, という認識をもつことの大切さ, そんなことを改めて感じました (外国人であり, 夫であり, 部下をもつ上司であり, 町内会の役員であり…, 誰もがたくさんの顔をもっています).
そして, ディスカッションの終盤に外国出身の参加者から出された, 「外国人はこう」「ここは日本なんだからこう」だけではなく, 日本人/外国人 関係なく, 自分を認めてもらえるように誠実に動くしかないんじゃないか, という意見が印象的でした.
そうやって, 「外国人」と「日本人」が, ではなく, 地域において人と人が繋がっていく方法を考える時期に来ているのだと思います (もっとも「外国出身」という属性に起因する問題はたくさんあるわけで, それを考えることは大切です. でもそれだけではない, という認識が大切だなぁ, と).
今年度はボランティアを含めて約170人が参加した今日のフォーラム.
多くの方とお話させてもらいましたが, 参加者のバックグラウンドも多様で, とても面白かったです.
こうやって互いに学びを共有していけたら こんなに頼もしい事はないなぁ (最後のまとめで山大・三上先生がおっしゃっていた通りです. 一人で全部を学ぶことは無理でも, 学びを共有していくことはできる), と, そんなことを思った11月の終わり.
(ド:ラジオで久しぶりに聴いた秦基博・大橋卓弥「ラーメン'95」がなんだか頭に残ってて, お昼は山形駅前「亞呉屋」, その名も「あごだし どろつけ麺」. ちょっとしたうどんくらいの太さがある全粒粉の麺が美味しかったです)