のどのど日記

昨日ものどのど,今日ものどのど.
明日は…?

のどマガ第48号

2009-01-31 | メルマガ・新聞

1月31日

昨日までの晴天とは一転、山形はまた雪が降り出しました。
いや、このまま終わるはず無いと分かってはいたのですが…、ねぇ。
そんな中、のどのど便り(毎月末配信のメールマガジン:ご希望の方はmailにてご連絡ください)第48号を配信いたしました。

今月のお品書きは…、

▼謎の溺死!(ツキモトクミコ)
▼沖縄冬の旅日記(続)(チダショウコ)
▼手紙(ドイヒロカズ)

となっております。

遂にのどマガは丸4年!
現在約130人の方々にお届けしております。

ミックスフルーツ

2009-01-30 | のどのどぬ人

1月30日

現音の雑誌を見ていたら, 音楽評論家・遠山一行さんのインタビューが載っていた.
彼が若い世代の演奏家に違和感を持つのは, 何故その人がその音楽をやっているのかという内的な必然性が感じられないからなんだとか.
そりゃあるに越したことは無いけど, そんなものは若いうちには滲み出て来ないよなぁ, とも思う.
若者はまず, その人が音楽の傍にいる, ってことがそもそも必然だよなぁ, と思わせることからなのだろう.
個性とか自分とか必然性とか, それは探すものではなく, 時が熟して滲み出て来るもの.
そんな気がしている.

(ド:写真はmoto808, ゆりかさんのシャーベット)

はじまりは、一通の手紙。

2009-01-29 | のどのどぬ人

1月29日
「愛情の画家 椿貞雄」@山形美術館

秋には米沢で開催していた同展。天井が高く、一点ごとに余白のある空間に置かれた絵画たちは、何度も目にしたはずの絵も、飛び込んでくる印象が違った。どの絵とどの絵が隣り合うかによっても、感じ方がまるで違う。学芸員さんの視点、個性、センスの見せ所。
岸田劉生に自分の絵を見てほしいと、椿が書いた手紙へのお返事が飾られていた。短い文章だけれど、青年・椿は、緊張と嬉しさと信じられないような気持ちと、きっとそんなものが一緒くたになった気持ちでこの手紙を読んだんじゃないだろうか。そう想像するだけで、こちらの鼓動も早くなりそうだった。人生は、人やなにかとの出会いによって、本当にどこに行くのかわからないものですね。

(ユ)

オーケストラは大騒ぎ。

2009-01-25 | のどのどぬ人

1月25日
オーケストラリハ@某高校音楽室

高校の音楽室にてコンサートのリハーサル。学生オケの最後の定演が終わった後、舞台の上にいるうちに泣き出したことを久しぶりに思い出す。オーケストラの中の一人として音を出すのは、実はとてもおもしろかった。だから終わりたくなかったのかなぁ。ひとつの本番が終わると、不思議と絆が深くなる(気がする)。その積み上げが消えてしまうのも寂しかった。
高校生から70代まで、本番では80名もの老若男女がタクトを追いかける。本番まであと少し。演奏するみんなが、ほんの少しうらやましいこの頃。

(ユ)

早春。

2009-01-24 | のどのどぬ人

1月24日

大寒を過ぎて、節分を前に真冬です。
明日はこの冬いちばんくらいに冷え込むらしい。
そんな朝に台所の窓辺では、梅の花がつぼみを開きました。
かすかな香りが早い春をほんの気持ちだけ、連れてきます。
今夜は梅酒のお湯割りで温まってやすむとしましょう。

(ゆ)

ミナモトノトオル

2009-01-23 | のどのどぬ人

1月23日
塩釜・すし哲@仙台駅ビル店(地下!)

出張で仙台へ。お昼はお鮨。体調不良の後で大丈夫かしら?なんて心配は、最初の雲丹で吹き飛びました!おいしすぎます!甘海老も、鮑も、鮪のトロも、クセのないやさしい甘み。こんなにお鮨っておいしかったかしら!

奥州一ノ宮・塩釜神社を構える塩釜という町は、1200年前(!)には既に栄えていたそう。古い和歌などでは、美しいものの喩えとして、「塩釜」という言葉がいくつも使われたほど絶景を誇ったそうです。光源氏のモデルとも言われる源融は、その美しさが忘れられず、宇治の別荘(今の平等院)の庭にその風景をそっくり再現。難波の海から汐水を汲んで来て、池を満たすまでした…、という話から発した能「融」は世阿弥の傑作のひとつ。なんてお勉強もしながら、あっという間にお鮨はお腹の中へ…。

(ゆ)

鬼がつく

2009-01-22 | のどのどぬ人

1月22日

朝日新聞(山形版)に連載されていた「写真の鬼と呼ばれた男 土門拳」のシリーズ.
第5回目の今日が最終回だったのですが(楽しみにしていた山新の我妻さんのシリーズ(椿貞雄展)も終わってしまいました. 山美の展覧会は2月1日まで!), ヒロシマでも筑豊でも仏像でも, 何でも真正面から撮った写真家だったんだなぁ, と, 改めて思う.
ひたむきに被写体に向き合い, 火花を散らした彼を, 人は「写真の鬼」と呼んだのだという.
私たちの目の前に現れる写真は, だからこそこんなにも人間的なのでしょうか.

(ド)

真夜中のスープ

2009-01-21 | のどのどぬ人

1月21日

ラジオ収録に伺ったとき、日下くんに「ブログ、あんまり更新されてないっすよね」と言われたので、ちょっと改心して、がんばろうと思います。

すでに遅い時間の帰宅後、かぼちゃのポタージュの準備の途中に仕事の電話。でも、ちょっとわくわくするような内容。電話の後でその気分のまま、お鍋にスパイスを加えてみる。あったものを入れただけの、シナモン、ナツメグ、ブラックペパー。これが正解でありました!今まで、なあんかいまいち物足りないと思ってたのよね~。かぼちゃの甘みが引き立って、大人なポタージュスープですよ、これは。しばらく極個人的流行の兆しです。

(ゆ)

恍惚

2009-01-20 | のどのどぬ人

1月20日

去年とっても行きたかったのに結局行けなかった蜷川実花の展覧会.
この間, 頼んでいたその図録が届きました.
美術手帖のインタビューで, 創作と日常とはどこか回路が切れている, 感情は写りこむけど生活は写りこまない, と言っていたのが印象的だった(だから母になっても写真は変わらない, と).

日常のなかの非日常, 地面から5センチほど浮いている感覚.
いたるところに開いている, あちら側に行く扉.

(ド:須永辰緒さんと一十三十一の「路地裏」(DOUBLE STANDARD)を聴きながら)