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4月11日
今日もテレビやインターネットではいろんな人がいろんなことを言う(かく言う自分も).
眩暈に似たこの感覚に, あれ, ホントにそうなのかも…と思いそうになるが, これはやはりマズいぞ, 違うだろうと思う(何がホントかわからない中, 発表される情報をこうして聞くしかない状況を, 平野啓一郎(twitter)は戦時中の大本営放送に例えていた).
五官を使え.
自分の感受性くらい自分で守れ.
そう言い聞かせながら.
東京都ではろくに政策討論もされぬまま知事が再選された.
このままでいいということなのか.
それは積極的な賛成なのか.
この震災ではっきりしてきた(いや, もっとずっと前から気付くきっかけは山ほどあった), たくさんの変なコト.
たとえば, リスクを分配され, 東京とそれを支える地方, という面がある今のニッポン(「強い国ニッポン」).
「そう言う地方だって, 東京の恩恵を受けてここまで大きくなってきたんじゃないか」
それを言うにはあまりに代償が大きすぎる, …と, そう思うのは, それでもやっぱり外側からの論理なのだろうか.
やがて, ボーダーは見えないところでその溝を強固なものとし, いよいよ裏ボスの登場となった.
「今まで無関心だったくせに, 今さら何だ」
確かにそうかもしれない.
もっと知ろうとしなかった, 考えようとしなかった…, それは本当に反省すべきこと.
でも, 今は状況が違う.
テレビは今日も変なメッセージで埋め尽くされている.
「頑張ろうニッポン」?
いったい誰を, 何を応援しているんだ.
「ニホンの力を信じてる」?
いったい何を信じているんだ.
応援したいのは「あなたの」生活, だ.
祈りに近いこの想いを, テレビの向こう側から高々と叫んでいる場合ではない(悲しみの中にいる人に, 面と向かってそう言葉にすることなど出来ないだろう).
…どうしてもなんだか危険な香りがして, 「ニッポンをひとつに」「ニッポン! ニッポン!」…, あのメッセージを耳にするたびにドキっとするのは僕だけでしょうか(メッセージの対象が「あなた」から「誰か大勢」になるとき, 僕らはきっと注意しなければならない).
福島・いわきの高校はもうすぐ入学式.
福島の子どもにも, 山形の学校に転入した子どもにも, 新学期がやって来ます.
(ド:…すみません. 今日だけ, ネガティブで訳の分からない内容をご容赦くださいませ)