靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

自身を育てる

2012-01-22 19:51:51 | イメージ・ヴィジョン
子育てのヒントは、自分自身を育てていくヒントにもなると思うことがよくある。

前に書いた「右手と左手の実践」もまさしく。

自身を無条件で受け入れつつ、条件を与え鍛えていく。

無条件にあるがままを受け入れるだけでは育たないし、

あるがままを受け入れることなく条件ばかり与え続けても潰れる。


自身に対しても実践。

子育て、右手と左手の実践

2012-01-21 00:57:03 | 子育てノート
自分は今のところ宗教には属していないけれど、宗教組織に様々な問題があるからと宗教の根幹近くにある教えまでも全て否定してしまうのは、「揺り籠ごと赤子まで捨ててしまう」ようなものだと感じている。宗教の教えの中には、まぶしく光を放つものが多々ある。あと属するか属さないかは「縁」の問題。

子育てについて、究極の実践はこのユダヤの教えに表されているのだと思う。

“Let the left hand push away while the right hand draw near”(Sotah, 47a)

「右手で近くに引き寄せつつ、左手で押しやりなさい」

右手とは「利き手」の意。利き手の方が利き手ではない方より少し強く力を込めることができる。少し弱い左手で押しやりつつ少し強い右手でしっかりと抱き寄せなさい、という意味の教え。

無条件の愛情に常に重きをおきつつ、一人で旅をさせる。この絶妙のバランスが子育てに必要なのだとつくづくと感じている。ついつい「左手で押しやる」ことばかりに気をとられて右手がだらりと下がっていたり、またはついついしっかりと両手で抱えこんでいたり。

私の場合、5人子育てをしてようやくこのバランスがほんの少しだけ分かってきたように感じている。奥の奥で何かあるとすぐに途絶えてしまっていた無条件の愛情。

どんな状況でも無条件の愛情を根底に流しておくという感覚。その上にあれはダメこれはダメ、こうした方がいいああした方がいいをのせ、一人で体験させ。

子どもは親の内に無条件の愛情が流れているかを敏感に感じ取れる。それでも無条件の愛情だけで何でも受け入れていては子どもは育っていかない。

「押しやると抱える」、相矛盾したように見える力の流れ。矛盾を実践していくことはできる。一つの身体に備わる右手と左手が同時に違うことを行えるように。

レゴリーグ、新たな展開

2012-01-21 00:51:37 | レゴリーグ
実は、21日の大会後2週間してアラスカ内陸フェアバンクスの大会にも出場する予定だったのですが、大会3日前にしてアンカレッジ大会とフェアバンクス大会両方への出場は認められないと大会主催者側からのメール。

アンカレッジ大会優勝チームはカリフォルニア州サンディエゴでの北米大会出場。
フェアバンクス大会優勝チームはミズーリ州セントルイスでの世界大会出場。

北米には世界大会出場スポットが40与えられていて、今年はその内の1つがアラスカ州フェアバンクスに。フェアバンクス大会1つにして1位世界大会2位 3位北米大会とか、北米大会勝ち抜いて世界大会出場とかになっていればすっきりとするのに、何ともややこしい。州によっては1位になっても北米大会にしか進めない場合も。

北米大会、世界大会両方出場経験をもつコーチ曰く、「世界大会の方が子ども達にとってずっとよい体験になる。世界40カ国近くの子ども達と共にする体験。」北米大会主催はレゴリーグ主催FLLとはまた違う団体によるのだという。

しばし「獲らぬ狸の皮算用」にうっとりのチーム。(笑)

何を目指すのか、北米か、世界か、砕けようが何を目指して砕けるのか(現実的な今の時点)、ということだろうという話し合いを昨夜チームで。結局、夢は大きく世界を目指そうということに。そこで1月21日のアンカレッジ大会登録を2月4日のフェアバンクス大会出場登録へ切り替え。

レゴリーグ側からは21日のアンカレッジ大会にはスコアなどはカウントしない形で参加してもよい、という親切な言葉。練習の機会として出場してきます。大会の様子、報告します。

あすの大会早朝1番「コアーバリュー」部門審査基準検討のため「クラムチャウダー」が審査員全員を前にデモンストレーションすることも決まっている。昨夜はいかに「雅なプロフェッショナリズム(gracious professionalism)」にのっとってタスクをこなすかの練習に力を入れる。

世界を目指して!砕けようが世界を目指して!と盛り上がるチーム。

再び(笑)、あと2週間! 


ちなみに今のフェアバンクス・マイナス50度。7時間ドライブの強行軍、私は下の子達とアンカレッジ留守番となる予定。


あれやこれやの創り物

2012-01-21 00:50:09 | 出来事や雑感や (子育て)
かなり根つめ状態になってきているレゴリーグ・ロボットプログラミング。

ほとんどの時間をガレージで過ごす日々。


といって合間にも何か作っている長男。


階段の踊り場からボールが、


くるくる回って、


太鼓をいくつかたたいて玩具入れへ。


ちびっこたち大喜び。


組み立て玩具などを使いネットでかき集めた写真を基に観覧車。

これは2月中ごろまでに家にあるもの何でも使って建築物を作ってくるという宿題。

「レゴリーグ終わってからにしたら?」という親の提案。待ちきれない長男。リフレッシュにもなっているのでしょう。

ちょうちょパン

2012-01-20 23:59:54 | 
「これ、売れるかも!」と興奮した様子の子ども達。

何かと見ると、食パン・・・。

何でも、去年東海岸の姉妹が朝ごはんに食べていたコーンフレークの中にイリノイ州の形をしたものを発見。「イーベイ」にのせたところテキサス州のカップルが1300ドル近く(十万ほど)で落札したのだとか。子供向け「驚きの話!」系の本にのっていたらしい。

で、この「蝶」パンもいけるんじゃないかと・・・。


まあ、そうやっていろいろアイデア出すのは楽しいこと。

すっかり忘れてトーストにしてしまった私、かなりのブーイングでした。(笑)

全員で共に過ごす時間について

2012-01-18 00:57:00 | 子育てノート
子育てに関わる最小単位の集団(家族・親子など)を充実させていくには、集団全員で共に過ごす時間、そして一人一人と向き合う時間、この二つをいかに作り出すかが大きい。

家族全員で共に過ごす時間について。

家の場合は、食事の度に皆で向い合い共に過ごす、ということが難しい。朝はほとんどの場合夫は既に出かけていて私も朝ごはんだ弁当だと台所でばたばた、夜は習い事に宿題、年齢の違う子ども達のリズム、腹をすかせて帰宅する夫、それらをうまく合わせ皆で座れるように食事時間を整える、というわけにはなかなかいかない。車の中で上の子達と食事、ということだってある。「典型的なアメリカの家族」といえるかもしれない。

8年間続けていることに週一度金曜日の夜には必ず皆で揃ってゆったりと食事を楽しむというのがある。最初の数年は難しかった。週の最後で疲れきっていたり、昼寝を逃した小さな子が駄々こね続けたり、電話で長話をしたり、様々な遊びの誘いを受けたり、新生児を寝かしつけながらもう起き上がる気力もなくなったり。何もそんな家族の時間なんてものに拘らずともそれぞれ楽しめばいいじゃない、皆の都合がたまたま合った時に一緒に向き合えばいいじゃない、などと何度思ったことか。

それでも続けることでここ数年ほどはそれほど難しいと感じることがない。多分この5年間ほどはほとんど一日も欠かすことがなかったのじゃないだろうか。家族のリズムになっている。下の子達はこの日を指折り数えて楽しみにしている。家族を支える一つの大きな柱のよう。この金曜日の夜を境に一週間が回る。

パンを焼き、シャワーを浴び少しエレガントに装い、テーブルもいつもよりきちんとセットアップして。キャンドルに火をつけ感謝の言葉を言い合い、皆で歌い、から始まり、食事をしながら様々な話へ。その週にあったこと、次の週の予定、心の整え方や人生について。最近は上の子達と共にあらかじめその夜話すトピックについての記事を読んでおいたりすることも。食事の後はリビングへ移動し暖炉の火をながめながら。

こんなに無理して続けることにどんな意味があるんだと頭で抵抗することは何度もあったけれど、続けてきたことの実りは想像をはるかに越えるものだったと今ひしひしと感じている。

立ち居地を照らしてくれる話

2012-01-18 00:55:30 | 子育てノート
死ぬ直前に口にする言葉の中で1番多いのが「お母さん」だったと、戦場で何人もの死をみとった軍人が話すのを聞いたことがある。

子ども達に日々接する上で、めまぐるしく錯綜する社会の価値観の中で、この話は、常に自分の立ち居地を照らしてくれる。

自身でなくてはできないことと、他の誰でもが変わりにできることと。

限られた時間の中、今本当に大切なことが何かをストンと整理してくれる。

レゴリーグ、どう転んでも

2012-01-18 00:51:32 | レゴリーグ
レゴリーグ、あと一週間を切ったのだけれど、次から次へと課題問題も生まれ、まだやろうとしていることは山積み。高スコアをコンスタントにとっているという他チームの練習風景の情報なども伝わってくる。周りの大人達の顔からは徐々に笑顔が消え、みけんに皺もよりがち。当の子ども達は相変わらずふざけてケタケタと笑いながら楽しそうに練習している。(笑)

これだけの時間とエネルギーをつぎこんできて何とか結果を出したい、そう大人達は周りで思う。子ども達の何と軽いこと。その時その時を精一杯に頑張りつつ、こんなにしたんだから、ということには拘らない。どんどん重くなっていく大人達とは対照的。

多分子ども達、思うような結果がでなかったとしても、悔しくその時は歯を食いしばり泣きもするかもないけれど、次へ向って立ち上がり、また笑顔で歩き始めるんだろう。一回り大きくなったようにも見える姿で。

競技会が終わったら、勝ち負けだけが目標じゃない、他にどれほどのことを学んできたか、共に整理していこう。様々な葛藤を通しいくつもの貴い体験をすることができたこの期間に感謝しつつ。それは大人達にとってもとても必要な作業かもしれない。

あと4日、自分たちにできる限りのことを。結果どう転んでも、振り返りあの時はもうあれ以上できなかったと、限界まで頑張ったと、納得できるように。

一旦研ぐ

2012-01-18 00:50:36 | イメージ・ヴィジョン
ストレスフルでプレッシャーの大きいときほど、今こんな時にゆったりとした時間なんて取れるはずがない、と思いがちなのだけれど、そんな時だかこそ、少しでもゆったりとリラックスする時間を創り出すといい、30分でも、10分でも。あれやこれやの課題を前にはりつめることの多い最近本当にそう思う。

1時間の子ども達とのお出かけや、30分の子ども達との散歩や、15分のホットレモンを飲みながらの会話や。今そんなことなんてしてられない、と思うときこそ、思い切って時間をとる。

すると結局はよりうまくまわっていく。フレッシュなアイデアも生まれる。

「切り続けて鈍くなったのこぎりを研ぐ」

切ることにしがみつづける自分をひきはがし、一旦研ぐ。

より自分を消した主体

2012-01-18 00:48:13 | イメージ・ヴィジョン
感覚的な話でまだまだ言葉に表しにくいのですが。


「主体的」とは、矛盾するようだけれど、自分という枠組みを超え自分を消したときに可能。

自分を消すということは、暗闇が蔓延することに対し消極的受身に何もしないということではない。

自身の内の無限と繋がりつつ、自身を消しながら立ち上がり行動を起こす。


「主体的」とは、個々の管に立つということ。内の無限に繋がる個々の管。

闇を照らすのは、より自分を消した主体。


この世で行動を起こせるのはこの肉体をもった個々の主体のみ。

この個々の存在をより純粋に使うために無限に繋がる。

個々の主体を立たせる力は、内の無限へのつながりからくる。

レモネードな日々

2012-01-17 23:59:19 | 
ホリデイシーズンのプレゼントの一つにかんきつ類絞り装置、というのがあった。パンをこねたりするのに普段用いる「キッチン・エイド」の先に取り付けるもの。

キャビネットの奥に眠ることになるのだろうか、と思っていたのだけれど、予想に反し長男大活用。

週に数回、手作りレモンライム・スパークリング・ジュースを楽しんでいる。

まずレモンやライムをぎゅっぎゅと押さえ柔らかく。


これはちびっ子たちの仕事でもある。


切って、


ぎゅっと、


押さえつけると、回って回って随分ときれいに絞ってくれる。


水orスパークリングウォーターで割って、蜂蜜入れて。

出来上がり。


かなりのリフレッシュ。

今、子育てする上で

2012-01-15 02:01:07 | 子育てノート
「親はなくとも子は育つ」

これは元々はコミュニティーが育ててくれるという意味で用いられた諺。コミュニティーの価値観や構造がはっきりしていた昔、何が良くて何が悪いか、どうしたら「立派な」人間に育っていけるか、確固とした「良心」といえるような土台がコミュニティーの中にまだまだ根付いていた。

今は価値観が入り交ざり構造の流動性も加速化、何が良くて悪いかも相対的に、コミュニティーの中での「立派な」人間像といったら、マスメディアから繰り返し流される「お金があって格好よくて」、といった薄っぺらなイメージが主流。

コミュニティーに子育てを依存できる状態にはもうない。「親はなくとも」はもう通用しない。家族、親子(※)という最小単位の集団をより充実させていく必要がある。外のコミュニティーからの影響への「受身」を続けるよりも、家族単位・親子単位で立ち上がり、逆に外に影響を与える「変化の主体」となっていく必要がある。

外から内でなく、内から外へ。

外のコミュニティーで育てられる価値観・生きる姿勢を外で繰り返し実践して鍛える、

から、

家族親子単位で育てられる価値観・生きる姿勢を外で繰り返し実践して鍛える、へ。



外のコミュニティーにもまだまだ「良心」は確かに点在している。ネットの発達などでますます個々単位が発信できるようになってきた中で、面白い流れもたくさん起こってきているとも思う。ただますます清濁混在する中にそれらの「良心の光」を見出す目は、家族親子という「内」でまずは築いていく必要がある。そう感じている。

(※)「家族・親」というのは血の繋がりがあり男女の親がいて、といった形以外にも様々な形がある。どんな形であろうと子育てに関わる最小単位の関係ということ。

失敗から学ぶ、歴史から学ぶ

2012-01-15 01:56:41 | 思うに
時々思い出すのが、歴史家ギボン氏(Edward Gibbon 1737-1794)によるローマ帝国を滅亡に導いた5つの原因。

1. 家族構造の崩壊
2. 個人の責任感の弱小化
3. 過度な課税と政府の支配干渉
4. 快楽主義、暴力、不品行を増大させる悦楽の追求
5. 宗教の衰退


失敗から学ぶ、そう日々子どもに言い聞かせていることをちょっと当てはめてみる。

1.家族の形は色々だとしても、子どもを取り巻く最小単位を建て直していくことの重要性。
2.日々自身を振り返り、子どもにも教えていく。
3.そんな流れもあちらこちらに。関心をもち目を離さないことから。
4.何を「喜び」とするかの見直し。
5.人間を超えたものへの畏敬の念を思い出す、子どもにも教えていく。宗教という組織に限らず、自然、個々の内の無限にフォーカス。

MUGA 第6号!

2012-01-15 01:50:45 | お知らせ
「MUGA」6号が完成。「MUGA」は毎月15日配信の無料メールマガジンです。興味のある方は是非こちらから登録どうぞ!


カナダに住んでいらしたという菊池氏の「人間には、自分で自分を治す力がある」を読み、あちらこちら揉みほぐしてみたり。私なりにかなり納得。

今号にはホリデイシーズンの光の情景・イメージを切り取りつなげたものを書かせていただきました。

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MUGA 第6号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇アート

・詩

『例外者たちの詩』  那智タケシ

『季節の詩』     rita

◇新春対談

「人間には、自分で自分を治す力がある」 
    菊地久幸(ウルトラリンパ開発者)×那智タケシ

◇評論

・評論

世界中の人に自慢したいよ ~忌野清志郎のうた
               高橋ヒロヤス(翻訳家)

・《無我的観照第二回》

「恋愛VS憐憫」
『白痴』(ドストエフスキー著)から読み解く現代のキリスト像
                       那智タケシ

◇エッセイ

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 
『光のコラージュ』   長岡マチカ(文化人類学を学びアラスカ在住)

扉を開いていくには

2012-01-15 01:41:26 | 子育てノート
教えていかなくてはいけないことはたくさんあるのだけれど、子どもが受け取る状態に整えられていないのなら、いくら言ったって全く子どもの心に届かない、つくづくそう思う。

ガード固くがちがちに守り体勢に入っている時に言葉をかけても、跳ね返ってくるだけ。逆に扉が開いたところに言葉をかければ、すっと中に入っていく。

矢継ぎ早にやることなすこと否定され叱られ続ければ、扉はがっちりと閉まる。固い扉をこじ開けるためにこちらも「力」を使う必要が出てくる。より頑丈な扉、より強い力、とサイクルは続く。

扉を開かせるには?子ども達をみていると、認められているという感覚、受け入れられているという安心感、それらを本人達が感じられているとき扉が開く。そこで初めてああいうことはよくないと思う、こういうことはどうかと思う、と入れていく。するとすっと入るし、こちらに「力」も必要でなくなる。

一対一でゆったりと出かける時間、とはなかなかいかないとしても、つかの間でも向き合える時間を日々の生活に散りばめ、マッサージし合ったり、興味のあることを話し合ったり、冗談を言い笑い合ったり。忙しい中にそんなちょっとした時間を散りばめることで、子ども達は随分とほぐれる。親が向き合ってくれている、自分の存在をみていてくれる、そんな感覚に溢れ扉が開く。

自身や周りの安全を脅かすような即座に飛びついて止めさせる必要があることは確かにあるけれど、まずはその子の様子をよくみる。扉は閉まっているのか開いているのか。何かに夢中になっているのなら遠くから頭ごなしに叫ぶのでなくそばにいって一言二言声をかけ、取り乱すようなら場所を変え一対一で向き合えるよう落ち着かせ。

時間がないときなど難しいのだけれど、それでも結局はまず扉を開かせる方向を見ていくことが、問題解決への1番の近道だったりする。

そう心に留めつつ、今日も彼ら彼女に向き合っていきたい。