靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、「闘魂」という熱い力

2014-01-26 11:38:10 | 今週の整理
他州は厳寒、北極の気候が降りてきた!と騒がれる中、アラスカ、記録的な暖かさです。スキー場も閉鎖に。日中零下にならない日もあり、昼雪解けて、夜凍った翌日など、もうそこらじゅうつっるつる。ここ最近、小学校に迎えに行くと、四つんばいで歩道を這って進む子に何人か出会います。(笑)



.今週は夫出張。普段分担している学校や習い事やアクティビティーの送迎、そんなスケジュールに組み込まれたこと以外にも、学校にあれがいるから買いに行かないと、友達とチームプロジェクトに集まらないと、髪を切りに行かないとなどなど、予定外送迎もちょこちょこ加わり。一体どこへ何時に何回送迎すればいいのお~!と叫びたくなることもしばしば。どうしても二つ以上のアクティビティーの時間が重なってしまい、一人運転で無理な場合は、子供達のクラスメートのお母さん方にお世話になったりも。ありがたいです、助かりました。

 そして昨日戻るはずの夫、アラスカ南東の島にいるのですが、天候不良で飛行機キャンセル。今日の夕方には飛んでくれるはず。ということで、朝から再び送迎の週末です。(笑)



.夜すっかり暗くなりへっとへとのぼんやりとした頭でハンドルを握っていると、後ろ座席から三女と次男の話し声。あの車ハッピーだねえ、あの車は何で怒ってるんだろ、ああこの車悲しそう、あの車きっと何かいいことあったんだよね。

 車の後部、確かに「顔」に見えたりする。テールランプの形や角度から、つり目下がり目、怒って見えたり笑って見えたり。二人の話し声を聞きながら、ちかちかと点滅するテールランプに囲まれ、何だか楽しい気持ちに。きちきちに詰まった目の前が、ぱっと開けた瞬間。ありがと。



.ウィークデイの日中使われていない間、自転車やらスクーターやら持ち込んで子供を遊ばせてもいいことになっている体育館に、昨日次男と出かけた。九月に床を張り替えて以来初めて。「新しいルール」が書かれた紙があちらこちらに貼ってあった。

 靴は脱いで下さい、親が必ずついていて下さいここはデイケアではありません、食べ物飲み物はコートの中に持ち込まないで下さい(コートの外ではOK)などなどの項目が並び、その一番下に、「ひまわりの種は、コートだけでなくこの建物全てにおいて持ち込み禁止です」と。

 えっ、「ひまわりの種」? なぜそんな特定してまでの禁止? しばらくルールを前に考えるも、どうしても理解できず、写真にまで撮ってしまった。(笑) 

 家に戻り子供達に尋ねても、首をかしげ。ピーナツアレルギーは良く聞くけれど、ひまわりの種アレルギーの深刻な被害というのは聞いたこともないしねえ。掃除面が問題なら、他にも困るナッツ類ってあるだろうし。だいたい「ひまわりの種」って食べ物にしては、かなりマイナーだろうに。同じくらいマイナーだけれど、かぼちゃの種ならいいんだろうか。「オーナーに何か特別な思いがあるのだろう」とひとまず落ち着き。今度訪ねた時、聞いてみます!



.次男、以前は家にいてもトイレに一人でいけないなんてことがよくあったのですが、それも今ではほとんどなくなり。日中二人の時でも、私があちらこちら家事にと動き回る間、いつもくっついていたのですが、次第に一階二階と離れても大丈夫なように。

 昨日はサンドイッチを作っていて、「あ、バターなくなっちゃった、ガレージに取りに行かないと」と言うと、隣で「ぼく、とりにいくよ!」と。「ほんとお!ママ助かっちゃうなあ。ありがとお!」と答えながら、ああ、一人で階下の真っ暗なガレージの冷蔵庫まで取りに行けるまで成長したんだなあ、と感慨深く次男の誇らしげな表情を見つめ。すると「うん!ママといっしょに!」と元気よく。・・・。まあ焦らず、ゆっくり、いきます。(笑)



.こちらの中学部活、二ヶ月程ごとに提供されるものが変わり、その中から興味あるものを選ぶことになってます。長男長女、今まで陸上(長距離短距離幅跳び)、クロスカントリースキー、CPR(救急訓練)、バレーボールなどに参加してきたのですが、今月から長男、レスリング。去年はこの時期、「僕はきっと弾き飛ばされちゃうだろうし」と、迷うことなくレスリングではなくクロスカントリースキー(今長女はこちらに参加)を選んだのですが、今年はなぜか燃えてレスリング参加。毎日練習が楽しみでしょうがないというくらい、はまってます。

 何でも体重別にグループ分けされているらしく、ここ十日程、「あと二キロ増えたら上のグループに入れられる、そしたらね、皆マッチョですごいしね、ちょっと僕の命に関わっちゃうかも」と少し情けないことを言いながら、間食絶対しないダイエット敢行。

 無事グループに留まることができ、そのグループ内三人との試合を勝ち抜き、各体重グループから一人選ばれる選抜チームへ。木曜日に市内中学対抗初めてのレスリング競技会。ところが蓋を開けてみると、長男の体重グループに属する子がおらず、二つ上の体重グループの子を試合相手に割り当てられる。ああ、十日間のダイエット・・・。(笑)
 
 身体も一回り以上大きい相手。試合開始合図の瞬間から羽交い絞めにされ(後ろに回って足を掴むと長男なりに作戦を練っていたようですが、笑)、そのまま頭をマットに何回も打ち付けられ、「ああもう僕はこのまま脳震盪を起こしてしまうのだろうか」と思いつつも、必死に抵抗。五分近く、あらゆる攻めにあと少しでアウトギリギリのところでのがむしゃら抵抗を続けていると、相手が疲れ始めたらしく。「あの子ね、何か疲れちゃったみたいでね。あの子のコーチ『Stop getting tired!(疲れるな~!)』って何度も叫び始めて」。長男、よれよれ脳震盪起こしかけ意識朦朧の中、最後の力を振り絞り攻めに出て、勝ち。
 
 二人目女の子(混ざってするんですね)、「されるがままで、何か全然抵抗しないんだよね」と勝ち。三人目、長男曰く「レスリングその場で初めて」の初心者だったらしくルールも分かっていなかったようで勝ち。帰りの車の中、まあ理由はともあれね、全試合勝つって珍しいらしいんだよねえと、鼻息荒く喜んでました。(笑) 

最近の長男を見ていると、こうした「闘魂」的な熱さが、実は彼には合っているのかもしれないなあと思ったり。論理的に説明するのもだけれど、そこに、目の前の壁なんてねえ、おりゃ~って砕いていこうよ、ブレイクスル~、やってやろうじゃないの~などと声をかけると、かなりやる気になるんですね。(笑) この試合の後、夜九時過ぎに帰宅したのですが、この勢いで、プロジェクトにテスト勉強にと二時過ぎまで机に向かってました。勉強面も、彼なりに頑張っているようです。

昔私の兄がプロレスやボクシングを見て燃えていて、隣で何でこれが面白いんだろうと全然分からなかったのですが、こうした何とも言えず血が騒ぐといった感覚、自分なりにうまく方向付け、生かすというのも一つの手なのかもしれないなあ、と思ったり。

ちなみに長男、この試合の日以来、間食だろうと何だろうともりもり食べてます。(笑)



7.長男が今年五月の半ばから日本へ。名古屋の実家の他に、一番上が長男と同じ年という三人の息子君がいる中国地方の親戚の家に泊まらせてもらう。その中国地方の田舎にある中学校に、息子君について三日間ほど通わせていただくことに。一昨日、女性の教頭先生と電話で話をさせていただいた。日本語でフォーマルに話すの何年ぶりだろう。(笑)

 実家から、何をしたいか、どこを見たいか教えてと。京都や東京や、二週間という限られた日程の中詰め込んでいく。とてもじゃないけど、足りな~いとぼやきながら。そこで、今回の旅の目的をもう一度吟味。それは何といっても、「ルーツを辿る」ということだろうと改めて思い。祖父祖母に、親戚に会い、自分の母がどういったところで育ち、自分の中に何を受け継いでいるのか、それを身体で感じる旅。ということで、観光的なことは最小限にし、まずは身近に関係のある場や地を訪ね、身近な人々に会うということに絞る。

すっきり。

14の夏、こんな体験ができて幸せです。



今朝はNPOに長男長女の送迎の後、俳句会に顔を出し(希望)、ロボティックスへ。夫も夕方には戻られるとのこと。明日は、課題宿題、その合間に散歩でもできたら!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:
近所の小学校のアイスリンク、解けてます。


氷も水溜りになりつつ。


そり、アイス表面だと結構きついので、クッション敷いてみたんですが・・・。

この日かなり高くジャンプして、クッションは飛び去り、そのまま地面に尾てい骨打ちつけ、三日ほど痛かった!


月曜日はマーティンルーサーキングJrの誕生日で休日。朝からジムへ。
平均台に、


鉄棒に。



食料&日用品買出しカート。

これを雪と氷に覆われた駐車場で押し、車に積み、降ろし、二階のキッチンに運び、収納、なかなかいい運動です!(笑)


床張り替えた体育館(パビリオン)。

スクーター乗って、

バトミントン!

次男お友達と。


三女と次女でお絵かき。


次女輪ゴムブレスレット、このところクラスの女の子からも注文を受け付け(色や編み方や)、日々せっせと作ってます。(笑)

こんなのや、


こんなものも!

あなたを信じているという姿を見せ続けること

2014-01-26 11:29:26 | 子育てノート
長男が、社会科の時間に、iPhoneを取り上げられた。

中学校には、用いてはいけない時に使っていると、「取り上げられる」というルールがある。

長男曰く、「落としてしまったので、拾い、そのままスクリーンの点滅を眺めていた。操作をしていたわけでもなかったのに」と悔しそうに。

学年初めの九月にも、同じ社会科のクラスで取り上げられたという「前科」があるので、二回目からは、本人ではなく、親がオフィスに取りに行かなくてはならない。

授業中ゲームで遊んでたんじゃないの? と一瞬思いつつも、言葉を呑みこみ。

「疑わしい行為」を避ける。「疑わしい行為」から嫌疑をかけられ、思わぬ罪を着せられるということ、社会に出てからもあるからね、そんな話をする。

体験から、嘘をついているかの検証が難しい場合は、黙って子供の言葉を信じる姿を見せるのがいいと思う。どうせ分からないのだし、「ホントは遊んでたんじゃないのお?」と言葉をかけられても、どちらにせよ自分は信じられてないんだなあという気持ちを持つだけ。

といって子供が嘘をついている時の様子というのはだいたい分かるので、今回は多分本当なのだろう。



運転しながらそんなことを思っていると、昔出会った親子のことを思い出した。

私は教える側にいて、クラスには、学生や社会人に混ざって高校生もいた。セメスターも半ばを過ぎたある日、その高校生のお母さんから電話があった。「息子のクラスでの様子はどうでしょうか?」 実はその男の子、初めの数クラス出席しただけで、その後の二ヶ月程顔を見ることがなかった。そう告げると、絶句するお母さん。「週二日のクラスの度、一クラスも欠かすことなく、建物の前に車で送り迎えしてきたんです」と。

大学の授業というのは、特にゼミなどのより専門的な課題に教授と共に密に関わるようになる以前の一般教養レベルならば、小中高の義務教育(こちらは高校も義務)のように、わざわざ休んだ学生に連絡をとるということはしない。途中来なくなったとしても、大人なのだし、それぞれ事情があるのだろうなという程にしか捉えない。

それでも彼は高校生だし、もう少し気を遣った方がよかったかなとも思いつつ、電話を切り。するとしばらくしてもう一度かかってくる、一度三人で会ってもらえますかと。


授業が終わり、約束の時間に、その日またもや顔を出すことのなかった息子さんと共に、教室に現れるお母さん。ニコニコと「息子は頑張っていますでしょうか?」と。いつものように迎えに来て、何気なく立ち寄ったという雰囲気。隣の息子さんの、もう何とも言えない表情。二人を見比べ、ちょっと私の頭の中混乱しながらも、座りましょうかと勧め、出席簿を見せ説明する。

えっ! どういうことでしょうか?!と驚くお母さん。呆然とした顔で、息子さんの顔を見つめている。黙ってうつむく息子さん。

それから、その時点での成績、これから休んだ分を取り戻すことは可能か、それにはどれほどの課題をこなし、どれほどの点数をテストやクイズで取り続ける必要があるかなど、具体的に話し合う。

帰り際、息子さんに先に教室を出て行かせ、「ありがとうございます」とお母さん。ウインクして、微笑み。

その日以来、息子君、見違えるように真面目に出席、とてつもない量のエキストラの課題もこなし、無事セメスターをパスした。最後の授業で、「よく頑張ったねえ」と声をかけると、本当に嬉しそうに頷いた。



当時、長男が三歳で長女が一歳とまだ子育て始めたばかりだった私、年齢もちょうどお母さんと息子君の間くらい。一連の流れが、全くよく分からなかった。

なぜお母さんは、電話で話したにも関わらず、わざわざ演技して知らなかったふりをしたのだろう?

どうして息子君は、その日以来、がらりと態度を変え、あれほど頑張れたのだろう?



今、いい親子だったなあと思う。そして思春期の子供達を前に、あのお母さんの気持ちがより分かる。

あなたを信じているという姿を、見せ続けること。

それは、そんなものが「本当のあなた」じゃないのよ、

そう教え続けることでもあるのかもしれない。

そんな眼差しに触れ、はっと目が覚める瞬間。




あれから十年以上たち。

あのお母さんと息子君の笑顔を想いつつ。

「できない」理由には様々ある

2014-01-26 11:23:09 | 子育てノート
バルミツバ会場にて。長男一年長女一年次女を過去二年間担任して下さり、今も次女の算数を受け持ってくださるL先生が、儀礼が終わり、バッフェの前の列に並んでいると「あら!は~い」と近寄ってハグして下さる。ちょうどメールを送ろうかと思っていたのよと。

学年初めの「次女の学習の穴」についての話し合いで、気になる面を様々具体的に出してくださったL先生。

「最近の○○(次女)を見るたび、あの時話した言葉を全部訂正したくなるのよ。読解力も、算数の力も、最近の○○の伸びはすごいわ。それをね、メールであなたとハズバンドに伝えたかったの」

 その二日前、学校の廊下でプログラムのコーディネーターに止められ、同じようなことを言われたと夫が言っていたのを思い出す。

 感謝の言葉を伝え、実は私達も少し驚いていて、と正直に話す。話合いの場で、家でサポートしますとは言ったものの、それが何らかの結果に結びつくという確信などなく。もし穴が大きくなるようだったら、ホームスクールとまで考えていましたから。

引き続き夫と共に様子を見守っていきますねと伝え、L先生と別れ。



 一連の出来事を振り返り、今私自身が感じるのは、次女にとって「メンタル面」のサポートが大きかった、ということです。

・「分からないこと」に対する姿勢の練習
 「分からない」ということに極端に反応し、少しでも納得できないと、もう全て分からない! と投げ出してしまうところのある次女。深呼吸して、落ち着いて、「分からないこと」「うまくできないこと」に向き合う姿勢を、繰り返し練習。一気に分からなくても、少しずつ分かろうと、様々工夫しつつ(読解では、図に描いてみる、キーワードーにしるしをつけてみるなど)、忍耐強く向き合い続けるよう励まして。

・私自身の対応を変える
 私自身、次女の感情の起伏に引きずられ取り乱すことなく、落ち着いて忍耐強く向き合うよう心がけ。「何でこんなの分かんないの?もっと頭使って考えてみなさい」と突き放すのではなく(時間に追われているとついそんな対応になってしまっていたことも)、次女自身が、どんな問題でも、サポートしてもらえると感じられる対応を心がける。

もう一つは、私の説明に日本語を混ぜず、英語に絞ったこと。これは上二人には問題なかったのですが、日本語の蓄積が難しい我が家という環境の中、少し不器用なところのある次女には、混乱の原因の一つだったように感じています。


今回たまたまこうしてうまくいったともいえますが、子供が「できない」理由には様々あるということを、しみじみ思います。単に能力的なこと以外に、その子の行き先を遮ってしまう因がある。そして、何十人を一緒くたにはかるテストなど、次から次へと手にする「できない」という評価を前に、自分も周りもそのまま「できない」と思い込んでしまう。そうして「できない」ままになってしまっている子が、世の中には山のようにいるのではないか、そんなように感じています。

結果はその子をできる・できないとジャッジするためではなく、どうしたらより良くできるかという過程の糧として用いる、そう自身に声をかけ続けていきたいです。

子供達のマインドセットを変えることで子供は伸びるといった研究をされている心理学者Dweck博士の言葉にも、こんなものがあります。

「もし学校が、興味があろうとなかろうとテストをし、あなたが賢いか賢くないかを審判する場と捉えられているのなら、誰も行きたいなんて思わないでしょう。もし学校が、難しいことをすることでより脳を鍛え、脳を成長させる場だと捉えられるのなら、皆こぞって行きたがりますよ」

 確かに一人一人それぞれの「できる範囲」というのはあり、十メートルがやっとの子に百メートル走れとはいきませんが、その子なりの最大限の力を発揮できるところまでもっていけたら、そう思っています。

 まだまだこれから勉強も難しくなり、嵐のような日々も続きます。これからもこつこつと、できる限りを!

バル・ミツバ、成人への通過儀礼

2014-01-26 11:19:20 | 子育て風景
先週末は知り合い息子君のバル・ミツバへ。長女がキンダーから一緒のJ君。

「バル・ミツバ」とは、ユダヤの通過儀礼。女の子は12歳で(バット・ミツバ)、男の子は13歳で。この儀礼をもって、成人への仲間入りとみなされる。ヘブライ語で「ミツバ」は「法」を、「バル」と「バット」は、「息子」と「娘」を意味する。法を理解し法に従う者と見なされる節目であり、もうこれからは自分のしたことには自分で責任をもつのだよ、そう本人に自覚を促し、その子に対する周りの姿勢も変わる。

バルミツバ会場の「ユダヤ・センター」に着くと、入口でその日の主役J君の弟君、妹ちゃんが「Jのバルミツバへようこそ!」と迎えてくれる。男性にはキッパ(頭に乗せる小さな帽子)が渡され、二階の会場へ。部屋の中央に仕切りが立てられ、男性と女性で座る席が分けられている。

『トラ』(ユダヤの聖典)のスクロールが箱(ark)から取り出され、会場を一周。キスしたり触ったりする人々も。

その週の「トラ・ポーション」(ユダヤ歴に則り、一年で『トラ』を読み終えるよう、週ごとに『トラ』の箇所が区切られている)をヘブライ語でリズムに合わせて読むJ君。その週は、モーセが十戒を受け取る箇所!

ゲストが一斉にキャンディーを投げる! 祝いの歌。その後J君の家族が『トラ』を掲げ、『トラ』にちなんだ仮装をし、J君、『Hftarah(ユダヤの他の聖典)』をヘブライ語で詠唱。そして親族が『トラ』を持って会場を行進し、箱にしまわれる。

ラビ、J君、お父さんお母さんのスピーチ。そして毎週土曜日の「シャバット(Shabatt)」の礼拝。

と、全部で二時間ほどの儀式。その後バッフェ形式のランチへ。



アラスカでおじいさんの代から事業を続けてきたJ君の家系。各方面に顔も広く、ユダヤコミュニティー以外にも、政治家から学校関係者から地域の人々何百人も集まっていました。学校の先生方、本格的な「バル・ミツバ」は初めてという方も多く、「感動したわ」と口々に。

アンカレッジにはオーソドックス派とリフォーム派といった二つのユダヤコミュニティーがあり、前者は教えや戒律により忠実、後者はより現代の暮らしに溶け込みフレキシブル。J君家族は、前者のコミュニティーで活発な活動を続けています。

今回の「バル・ミツバ」を支えたオーソドックス派のラビ一家、まだアラスカに来たての20年近く前から夫と知り合い。長男長女もユダヤ人でないにも関わらず、ちょこちょこサンデースクールに参加させてもらったりとお世話になりました。

オーソドックス派といえば、かなり閉じた世界なのですが、そこはアラスカ。夫もユダヤ人でないし私達のような部外者でも、接する機会があるのですね。

ラビご夫婦、四人の子供さんをホームスクールされ、年頃になると他州のユダヤの学校へ送られ。2012年の長女さんの結婚式は、「初めてアラスカでユダヤのオーソドックス派の結婚式」と地元のメディアにも取り上げられていました。結婚されアラスカに戻った娘さんご夫婦、今はお父さんお母さんに加わり、ユダヤコミュニティーを支える活動をされています。

一般世間とは全く違った生活を送るラビ一家、いつもお会いするたびに、ああ、こういった生き方というのもあるのだなあと思わされます。

このラビとの『トラ』の勉強会に一度だけ参加させていただいたことがあるのですが、その時ラビの言っていた言葉が今も心に残っています。「結局ね、いかに『セルフレス』になれるかということなんですよ」




J君のスピーチ、感動でした。お父さんが、「Jがシャイさのかけらもない性格で申し訳ない」と会場を笑わせるほど、J君は普段からどんな人の前であろうとどんな場であろうと物怖じせず飛びぬけたパフォーマンスを見せてくれるのですが、今回のスピーチも会場中が聞きほれました。身振り手振り交え声の抑揚といい、こういうのを生まれながらのギフトというのだろうかと感心するようなしゃべりっぷり。

これまで育ててくれた両親、親族、兄弟、そしてコミュニティーへの感謝の言葉から、ユダヤの知恵の解説。そして、自分がいかにユダヤ人であるということに誇りを持っているか、自分を通しユダヤの知恵がユダヤだけでなく、ユダヤ以外の人々の役にも立つのならこれほど嬉しいことはない。ユダヤもユダヤでない人も力を合わせ、これからの世界を創っていくんだ。僕は僕のルーツを生かした貢献をしたい。僕はこの生まれに感謝している、そして、学校の友人達(ユダヤでない子がほとんど)が、僕の意見や僕のすることに喜び、ありがとうと言ってくれるたびに、僕は神に感謝を捧げる。皆さん、今日はこうして祝ってくださり本当にありがとうございます。

これからの世界を担うリーダーとしてのJ君、ありありとその姿を描けます。



ユダヤコミュニティーに触れいつも思うのは:

・コミュニティーで子供を育てるということの価値と大きさ
。J君、キンダーの頃から、学校が終わると毎日のようにユダヤコミュニティーで過ごし、『トラ』や文化慣習を学び、冠婚葬祭、年間行事や祭りを共に祝い。

・その人その人にそれぞれの役割が与えられているということ。ラビ一家のように、世間とは大きく距離を持ち、教えのコアを守り伝える人々、それらの教えを学び内と外とを行き来し、教えや知恵をより広い範囲で生かす人々、外から知恵を学びユダヤではない自らが立つ場に生かす人々。どの立場も尊く、皆が同じになる必要はない。それぞれがそれぞれの立場を生かし、よりよいもの(世界)を創っていくことこそが大切。




その夜のパーティー、それは楽しかったと長男長女。ユダヤの歌や踊りを初め少し、その後は、今時のティーンなパーティーに皆大はしゃぎ。食べ放題飲み放題、DJが次から次へと大音響のリズムを流し、紫のシャツに紫のジーンズのJ君囲んで、踊って踊る。その後は、長男も長女も、それぞれの友人宅でスリープオーバー。はじけた週末でした。




金曜日の日の入りから土曜日の日の入りまでは「シャバット」(六日働いた後の完全なる休息日)、電化製品などのスイッチをいれてはいけないという戒律もあり、儀礼会場ではカメラ撮影禁止。日の入り後の夜のパーティーは、長男長女だけ参加。ということで当日の様子を写した写真はないのですが。

儀礼ではこんな英語とヘブライ語で書かれた冊子を渡され、英語のフレーズを目で追いながらJ君の詠唱を聞いてました。


パーティーには、こんなぷりくら?撮り放題マシーンも置かれていたそうで。

友人達とはじける長女。

喜びを示すなら、穴から飛び出し走り出す

2014-01-26 11:09:50 | 子育てノート
金曜日は小学校で、年に二度の「explorationの日」。学年ごちゃまぜで、一つのテーマについて掘り下げようという行事。チェス、水彩画、ロボティックス、手品、漫画や映画作りなど教室でできるものから、ハイキングやスキーに出かけるというものも。上四人も今まで、ケーキ飾り、海賊、台所化学などなど楽しんできた。

どのテーマに取り組みたいか、一ヶ月程前に三つまで希望を出せるようになっている。次女が今回選んだのが、1.「パーシージャクソンシリーズ」にちなんだギリシア神話について、2.折り紙、3.裁縫。三女は、今回は一年生とキンダー合同でアラスカの野生動物について調べる、ということにあらかじめ決められていた。

希望を書き込む用紙を受け取った翌日に提出すれば、第一希望を割り当ててもらえる確率が高まる、と次女張り切って提出。ところが二週間程前、第三希望に割り当てられたと知らされる。人数の調整の結果、こういったこともあるもの。当日が近づくにつれ、ため息をついては、何でこんなことに、この日は学校を休んでもいいかな、知ってる子も誰もいないよう、そうぶつぶつ繰り返していた。そして数日前には、泣きながら休みたい!とまで。

大丈夫だって、行ってみたらきっと楽しいって。そんなぐちぐち言って取り乱してたら、余計苦しくなるだけじゃない。文句言ったってどうにかなるわけでもないのだし、さっぱり割り切っていこうよ。あなたができなかったおかげで、入りたかった子が入れたのかもしれないじゃない。

などなど声をかけるも、全くききめなく、悲しみ苦しみはますます増すばかりのよう。


水曜日の夜、「裁縫」クラスの詳細が書かれた紙を片手に、または~と大きなため息をつき、休みたい、絶対休むと言う次女。その手に持つ紙を読んでみる。

「フェルトの枕を作ります」とある。 フェルトお~! ママねえ、あなたよりもう少し大きいくらいの時、フェルトで色々作るのにはまったことあるのよお。フェルトってほつれないしね、手触りも気持ちよくて、カラフルなの合わせて、糸とかも色変えたりしてねえ、ああ何作ったけなあ、袋や人形やアップリケや、もう楽しくてしょうがなかったのよお、あれでママは縫い物を覚えたのよお。

自分の思い出に浸って話し続け、はっと気がつくと、次女の表情が少し明るくなっている。おっ、やった、と思いつつ、ねえねえ、ちょっとネットで調べてみようよと誘い。「フェルトの枕」と検索すると、素敵な作品出てくる出てくる。あ~、こんなのいいじゃな~い。きゃーこれ素敵~! と二人で言い合いながら。

コンピューターを閉じる頃には、すっかりフェルトで頭が一杯になった様子の次女。飾りを何にしようか、ボタンもよさそう、とアートセクションでごそごそし始める。

結局当日も、嬉々として登校。(笑)



そんなとこにいたってしょうがないじゃない! そんなところにはまり込んでたらよくないって! そう穴から出なさいと、手を引っ張り、後ろから押し。

それでも穴を出たところにある「喜び・楽しさ」を見せることで、自分から勢いよく飛び出し、走り出すんだなあと、しみじみ思った出来事でした。

覚えておきます。


昨日持ち帰ったフェルトの枕。

手での裁縫は初めてだったのですが(ミシン縫いはワークショップで習ったことがある)、自分で縫えるようになり楽しいようです。

今日夕方出張から戻るだろう夫に作ったもの。

Welcome back!

夫と妹へ。


インスピレーションの後に

2014-01-25 23:59:00 | ファミリーディナートピック
インスピレーション、暗闇を割く稲妻(” Shavuot: The Secret of Inspiration“ by Charlie Hararyを参考に):

 出エジプト、奴隷から解放されエジプトを出るユダヤの民を、エジプト軍が追う。前方には紅海。追っ手と海に挟まれ、絶体絶命というところ、海水が真っ二つに割れ、向こう側への道ができる。追っ手が海の底の道を渡り始めると、海水の壁が崩れ落ち、道は塞がれ。無事向こう岸へ渡るユダヤの民。
 その後砂漠を行行き続け49日。シナイ山で「十戒」を受け取る。そしてその後も40年砂漠をさ迷う。
「『トラ』より」

インスピレーションは、暗闇を切り裂く稲妻のようなもの。「そうあれる」という方向を、一瞬の光の中に見せてくれる。やがて暗闇が戻る。それでも歩き続ける、内に鮮明に刻まれたビジョンを頼りに。すると、また稲妻がやってくる、一瞬全てが明るく照らされ見通しがよくなり、あああそこへいくのだったと確信でき、そしてまた暗闇に戻る。それでもより鮮明に刻まれたビジョンを基に進み続ける。そして再び稲妻、一気に明るく行き先もはっきり。

「砂漠をさ迷う間」というのは、インスピレーションを受けた後のこんな様子を象徴しているとされる。

海が割れ、十戒を受け取りと、とてつもないインスピレーションを目の当たりにしたとしても、食べ物飲み物に欠く砂漠の暮らし続きに、気持ちは萎え、インスピレーションは薄れ、行き先を見失い。

暗闇に囲まれ、あのインスピレーションの瞬間に見た鮮明な風景が、今この目の前には見えなくとも、目を閉じれば、内にしっかりと刻まれている。感覚を澄ませ、歩き続ける。すると再び、十戒を受け取り、マナが空から降り石から水が沸き出、そして新しい地にたどり着きといった「閃光の時」もやってくる。暗闇、歩き続け、閃光、暗闇、歩き続け、閃光、その繰り返しが、また内への刻みを、よりはっきりとしたものにする。

そして内の刻みが深くはっきりするほど、日常に閃光溢れ、どんな暗闇をも行くことができるようになる。

暗闇を割く稲妻、内に刻まれる風景、このイメージ、思い出していきたいです。

近況整理、お兄ちゃんはモンスター

2014-01-19 13:06:13 | 今週の整理
1.昨日から雨しとしと。下二人、草が見えてきた~! 春が来る! とはしゃいでます。(笑) 毎年こうして緩む時期があるのですが、ここ二週間ほど暖かく外遊びもしやすいです!


2.友人が夫さん手作り日本酒をおすそ分けしてくれた。何でもかなりアルコール度強いらしく。友人は料理中に飲み、気づいたらトイレで寝ていたという。夫さんは新年から酔っ払い、階段の手すりに頭をぶつけ病院で額をグルーでひっつけたという。こ、これが、そ、その・・・、と震えながら受け取った。(笑) 私はお酒は飲める方ではないのですが、夫とちびちびいただきました。お、おいし~、酒の味などよく分からない私でさえ、おいし~! これはついつい飲み過ぎるよねと納得。このアメリカ人夫さん、パンや日本酒やビールやらと趣味でせっせと作られている。どれも職人技、あっぱれ。ありがとう!


3.長男が参加するロボティックスの集まり、担当教授が突然先月他の大学へ移ってしまい、ちょっとカオス状態に。冬休み中も何度かミーティング場所に出かけるも、建物が施錠されていて中止となったり。先週末の試動会もいつどこで何するか前日まではっきり分からなかった。五人チーム内もゴタゴタで進まず、小学校からクラスメートだった子と今のチームを抜け二人だけで新しいチームを始めたいと長男とそのお友達で実行してみたり。まあそれは今更遅かったのですが。まだ今年から始まったばかりの集まり、スタッフも皆試行錯誤状態のよう。
 それでも長男一週間に一度ほど、アラスカ大学の学生さんに時々見てもらいながら、お友達とロボット組み立てプログラミングしと過ごせていること、楽しくてしょうがないようです。ロボティックスへの没頭振り。自分のパッションが何にあるのか、自分をよく観察してみるといいよ、と進路について話すのですが、彼も彼なりに自分を見つめ、色々と考えているようです。


4.かじりかけの洋ナシが台所のカウンターで茶色くなっている。もうこれ捨てないとだめだね、と三女と次男。かして、と小さな手から受け取り、包丁片手に表面を削いでみる。うわあ!と二人。中は真っ白なんだねえ!
 このイメージを胸に。表面に惑わされず、人に物事に、こんな「白さ」を見出していきたいです。


5.六歳三女と四歳次男が十四歳長男をやっつけるという遊びを時々している。家の中を勢い良く走り回り、きゃ~ぎゃ~それはもうすごい騒ぎ。ああ、こうやって従兄弟のお兄ちゃんに遊んでもらったなあと思い出しながら、行き過ぎて怪我するまでにはならないように時々声を挟んで。 
 昨夜は一騒動がおさまると、三女が真っ赤な興奮した顔で、何やらクラフトセクションでごそごそ。しばらくして、長男の部屋のドアの隙間から手紙を差し入れている。後で長男が笑いながら見せてくれた手紙:

おにいちゃんへ、 
おにいちゃんは、とってもくさくてきたないモンスターです。
でも、おにいちゃんサイコー!





6.今朝は今から知り合いの長男君のバルミツバ(ユダヤの13歳男の子のお祝い。これで大人への仲間入り。日本の昔の元服式のよう)。朝儀式があり、夜はパーティー。私は儀式に子供達と参加し、夜は長男長女だけの参加。パーティーには300人近く集まり7時から11時まで続くと! 長女とキンダーからクラスメートの長男君、この日のために様々な宗教的準備も積み重ね、ユダヤの子供達にとってそれはそれは大きな節目、おめでとう!


今日は儀式が終わったら、長男NPO迎えに行って、上の子達と買い物、そして長男ロボティックスの後長男長女パーティーへ。長女はパーティーから友人宅へスリープオーバー。明日は、課題宿題散歩の一日!


とここまで書き、時間切れでバル・ミツバ会場へ。オーソドックス派による本格的な儀礼に、ユダヤそしてユダヤでない人何百人も招かれた盛大な集まり。ヘブライ語で一時間近くリズムにのせて『トラ』を読み上げる主役J君。まだ声変わりしていない透き通った声が心に響きました。本人、そして涙涙の両親のスピーチも素晴らしく。感動の時でした。またまとめて報告します! その後はNPOに長男迎えに行き、今夜のパーティーのスーツを買いにいくも、サイズが合ったものがなく。長女によると、今夜の主役のJ君、何でも紫のジーンズで登場するらしく「レスフォーマル」とのこと、そこでネクタイ襟付きシャツに黒ジーンズということに落ち着きました。こういうことはこんな直前にしてちゃだめですねえ。(笑) 今からロボティックスに長男迎えに行き、パーティーへ降ろします! キンダーから一緒に大きくなった友人君の特別な日を、こうして共に祝えることに感謝を込めて!


皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

ロボティックス試動会へ。


やってるやってる。


冗談言い合って、


真剣に相談しあって。


カメラを向けていると気がつくと、何その顔・・・。


待つ四人は、こんな遊び。



近所の小学校へ下三人連れそり!


うまる~!


ふ~、ふかいね。


次女ひっぱってくれる。

ひゃっほ~。

ママ、おもい・・・。


ほっ、今夜のパーティー、なんとかなった!

いってらっしゃい!

長女の涙、許すということ

2014-01-19 13:02:58 | 子育てノート
次女のスペリングビーの最中、隣の夫の携帯に長女からテキストメッセージが入る。「ママ何で迎えに来てくれないの!?」と。あれっ、今日はクロスカントリー部の練習が四時半まであるはずじゃないと思い、次の瞬間、あああああ~!と思い出す。

木曜日はピアノがあるから、部活を休むことになっていて、そしてそのピアノ、午前に先生から電話があり、体調が悪くて病院に行くことになったので急遽違う日に移しましょうということに。長女の携帯にピアノレッスンキャンセルの連絡を入れるの、すっかり忘れていた。

夫はすぐに仕事へ戻る必要があり、私も長女を中学に迎えに行っていたら三女と次女の学校終了時間の迎えに間に合わない。長女に学校の図書館で待っていてと伝えるも、もう閉まっているとのこと。

ということで校舎の入口で一時間ほど待つことになった長女、次女と三女と次男を連れて駆けつけ、ごめんねすっかり忘れてしまってと謝るも、無言で車に乗り込み静か。運転しながら、全くもってママの手違い勘違い、本当にごめんねと言うも、助手席で窓の外を向いたまま。頬をこすり、時々鼻をすすり、気づかれないように振舞っているものの、な、泣いてる・・・。あの気の強い長女が・・・。(長女が泣く姿というのは、本当に小さな頃の記憶にしかないほど)


ここ何日かスペリングビーで盛り上がり、ピアノももっぱらずっと三女にかかりっきり(多忙な長女は「気晴らし程度」でいいねというスタンスになっていて)。

その上元々長女は手のかからない方で、こちらがあれこれ言わずとも生活面から勉強面から自分でさっさと進めていく。長男の成績などはネットでちょこちょこ見て、ハラハラドキドキちょっとこれ大丈夫なわけ~! と声をかけることはあるけれど、長女については、波も穴もほとんどなくこなしていくので、見て!と促されて見るといった程度だったり。

手がかからないと、あれやこれや起こり続け手のかかる子に張り付いている内に、ますます後回しの後回しに。長女も毎日必死で頑張っているだよなあ、そうはっとする。



その夜は、長女により心を配ってみる。閉じた心、押して引いて押して引いて、少しずつ寄り添い。迎えに行って以来沈んでいた表情に、少しずつ笑顔が見えるようになり、学校であったことなどぽつりぽつりと話し始め。そして文句も出始める。何で連絡してくれなかったの!部活も休んじゃって待ちぼうけで。何度も何度も。こうして言葉にしてくれると、前に進み始める。謝り、これからの改善策を話し合って。そして、こちら側の状況も少し話してみる。四歳から十四歳までのそれぞれ違うニーズを抱える子のケアをするということ。

「ごめんね。ママもパパもね、他にももっとしてやれたならなあと思うことたくさんあってね。それでも身体は一つしかなくて。でもね、ママもパパもあなた達のこと本当に大切に思っているということだけは、覚えていてほしい」

最後にそう伝えると、じっと考える様子。



就寝時間、自分の部屋に向かう前に、長女がいつものようにハグしに来る。ハグが終わり、それでも座ったまま、私の顔を見つめている。そして言った。

「あのねママ、私はママをforgiveするね」

少し照れた笑顔。またハグして、おやすみなさいと言い合い。



「許す」ことで自由になるのは、他の誰でもない自分自身。

長女はそんな感覚を、少し掴んだのかなと思う。感謝を込めて。

スペリングビー、晴れやかな笑顔

2014-01-19 13:02:49 | 子育てノート
木曜日にスペリングビーの校内大会。三年生以上の各クラス二人ずつ代表二十六人が講堂の前に。

 この日をどきどきと迎えた次女。毎日とはいきませんでしたが、冬休みも少しずつスペルの練習。学校が始まってからは担任の先生が、代表の二人で「授業を抜けて問題出し合い練習時間」をちょこちょこと取って下さったよう。

 私も練習に時々付き合ったのですが、「間違えてしまった」時の次女の反応の凄さに(文字通り「のたうちまわる」)、もうこんなに悶絶するくらいなら、スペルのこと忘れてしまったらとつい言ってしまったことも。

 「間違えるからね、どういう点に気をつけたらいいか分かって、より良くなっていくんじゃない。二度同じの間違えたらね、もうそれはそこが弱いってピンポイントできたことで、後はそこに集中すればいいのだし、どう見てもどんどんよくなってるってことでしょ」と話し合い何度か。そして一つ間違えると、怒りと動揺で次にできるはずのものもできなくなり、となる度、「間違えて心をそんなに乱していたらねもったいないのよ、『深呼吸、リセット、新しい気持ちで次へ』、これはどんなことにも言えるのよ」そう何度か落ち着く練習。

それで初めと比べ、随分と取り乱すことも少なくなり。「間違えた単語」について再び触れるのさえ難しかったのが、「ママ、その単語マークしてね」と落ち着いて言えるようになり、練習もテンションばりばりぴりぴりの雰囲気から、笑顔のこぼれるリラックスしたものへと変わっていきました。

 このスペリング練習を通し、何が一番よかったかと言えば、こうした「失敗に対しての姿勢」を繰り返し学んだことです。



 それにしても、rやlが一つか二つか、cかsか、orかerか、ail かaleなど、細かいところまで正確にスペルするのって、改めて難しいことだなあとつくづく思いました。その上私の発音も怪しいもので、私が読み、次女言い直し、スペルする、というパターンがしょっちゅう。何だか練習を手伝うと余計難しくしているようでもありました。(笑)

例えば、forayは「r」一つで disarrayは二つ。follicle, scintillation, mollify, tracticallyなどは「l」二つで propulsion, decathlon, flagitiouslyなどは一つ。stridency, armisticeは「c」だけれどporosityは「S」。doctor, chancellorは「or」でoleander, bewilder は「er」。ailmentは「ail」でmoraleは「ale」。その他にも、genoise(ぜのあ~)、 panache(ぱなーしゅ)などフランス語読みも混ざり、shiatsuなんて日本語も出てきたり。

私自身、かなりの学びの時となりました。

もっと本格的に練習するとなると、語源ルーツなどもしっかり把握してパターンを覚えていくということになるのですね。



ということで次女、校内大会前日は学校から帰ると明日に備えてゆっくり休むんだと大張り切りで宿題を終わらせ、ざざっとスペルを見直し、八時には一人電気消してベッドに。それでも結局九時過ぎにどうしても寝られな~いと起きてきて、一緒に夜の感謝の言葉言い合いなどしてました。(笑)

当日、もうとにかく、力を出し切れたということであればいいなと見守り。

初めに、2008年のスペリングビー米国全国大会で八位だったというアラスカ・ジュノー出身のParkさんという女の子からの話があり。一日八時間から十時間練習したそう! ここ三週間ほど一日平均三十分くらい練習してきたかなという次女、家に帰ってからもこのこと何度も興奮して話してました。

元校長で今は学区長(superintendent)のG氏が、一人一人に単語を読み上げていく。二十六人、一回目、二回目ラウンドと、次第に難しくなる。簡単なものほど、ついうっかり分かっているのに言い間違いということが練習でもあり、それで初回ラウンドでアウトというパターンだけは避けてあげたいと思っていたので、二回過ぎた頃には、もう私もほっとリラックス。

結局次女は五回目七人まで残り、そこで四人アウト。ということでその四人と共に四位に

motion, hermitage, chancellor, aubergineときて、最後spectaclesをs-p-e-c-t-a-c-l-sと言ってしまい。上の子達に言わせると、何でhermitage, chancellor, aubergineが言えて、spectaclesを間違えるわけ? ということのようですが、四年生にとっては、どれも同じように聞きなれない言葉なんですよね。(笑)



最後三人。六年生五年生、そして三年生の女の子!この女の子、 Redundant、decrepitude、pandiculationなどと五・六年生に負けじと頑張るものの、結局三位に。大きなお兄ちゃん達に混ざって、手の平に指で単語を書きながら必死で答える様子がもう可愛いくてしょうがなかったです。

六年生の男の子、ferrule, rebarbative, wherewithalなど正解で優勝し州大会へ。この男の子は必ず、単語の意味、品詞などを質問者G氏に尋ね、考えてから答えるんですね。そういった知識を総動員してスペルする。見ていると次女も含め、シラブルなどに区切って感覚的に覚えている子が大半なのですが、先へ進むほど、こういった体系的な知識が必要になるのでしょうね。スペリングの奥の深さを感じました。

次女も悔しいながら、晴れやかな笑顔。こんな体験ができたこと、本当に感謝です!


二十六人ずらりと前へ。


こうしてひとりずつ前に出てマイクの前でスペル。かなりのプレッシャーにもなりえそうです。がたがたと震えている子もいたと次女。


七人に残った!


早い内に規定の形に表す練習をするということ

2014-01-19 13:01:14 | 子育てノート
次男と毎日一時間ほど、「勉強」のようなことをしている。といって、子供は遊びから一日中学んでいるようなものなので、この「勉強」というのは、そうして一日中学んでいることを、「規定の形に表わす練習」というようなイメージで捉えている。

上の子達も、四歳くらいから、少し集中した「勉強の時間」を持つようにしてきたのだけれど、皆この時間を楽しみにしていた。こちらから無理やり座らせてとなると大変だろうけれど、子供の方から「ワークしよ!(皆この時間を『ワーク』と呼ぶ)」と声をかけてくることの方が多く、それで毎日続けられてきた。

の時期の子は、とにかく「楽しさ」を体験させることが大切だと思う。そしてその楽しさは何といっても、「できた!」という喜びの積み重ねから来る。

その子の様子を見てハードルを変えつつ:
1.歯が立たなさそうぎりぎりな課題の「できた!」
2.少し簡単な課題の「できた!」

1で始め2へ、そして1で終わると意識しつつ、体調良好意欲満点の時はより1を、疲れていたり気持ちが乗らなさそうな時は2をと、その場その時に応じて柔軟に。

歯が立たなさ過ぎでもなく、簡単過ぎでもなく、最も大きな喜びは、その子のその時の全力を用いてたどり着く「できた!」を体験する時。

こうして続けていると、この「ワーク」の時間が、本人の中で毎日欠かせない楽しみな時となっていく。



上の四人、皆五歳六歳時に、認知テスト、学力テスト(読み・算数)、IQテストと受けてきたのだけれど、この「ワーク」の時間が、結果的にそれらのスコアに繋がっている。特に学力テスト、普段日本語を聞いているのに、英語ネイティブの子達と比べ上位二パーセントにつけるというのは、「準備」なしでは難しい。また算数も、時間の読み方やコインの計算など、練習なしではきつい。

それでも、早い内からこうした「ワーク」をすることなく、小さな頃はもっとふわふわとした世界を存分に楽しみ、小学校高学年くらいから徐々に「きちんと形にすること」を身につける、というのも一つの方法だと思う。そういった場合は、幼い時期はテストなどをしてみれば低いスコアが出るのだけれど、単に「規定の形に表す練習をしたかしてないかという差」というだけで、その「賢さ」には何の違いもない。私自身は、むしろ小さな頃は存分にふわふわと飛び回った方が、後々より「考える幅」ができるのじゃないかとも思っている。

この「ふわふわ感」というのは、「多様な答えに遊ぶ」というようなものだろう。例えば1+1=という問題に、2だけでなく、田、窓、1などの答えを楽しんだり。「水平思考(Lateral Thinking)」と言われるもの。

こうした「ふわふわ感」を大事にしていきたいという気持ちが私の根底にはあり、早いうちから「きっちり規定の形に表す」ことに偏り過ぎないための、よいバランスをとってくれている。

そもそも、早い時期にこういった「ワーク」時間を持つこと自体、詰め込みではない「水平思考」も重視してくれる環境(「ギフテッド」プログラム)で学習して欲しいという願いから始まっていて。そこに入るためには、試験をパスしなければならない。それでパスできるところへもっていこうとしつつも、その子の様子を見、無理があり過ぎるようなら待ってみようというスタンスで今まできている。

早い内にテストなどのスコアに表れる働きかけをすることは確かに可能、それでも長い目で見たその子の全体的な成長を大切にできる働きかけを目指したいです。




もう一つ、幼児期に少し集中したワークの時間を持つことのメリットには、凸凹の把握があるように思う。ワークを通し、ぎょっとするような凹を見つけることがある。短期記憶だったり、形の把握だったり、左右上下後ろ前がこんがらがっていたり。幼児なのでこんがらって当たり前ともいえるのだけれど、他のできる面と比べ、少し度合いが過ぎているかなと思われる部分。

私は専門家ではなく、今まで我が家の五人プラス少し友人の子と接してきた体験からなのですが、まだそれほど「癖」がついていない内だと、こうした凹部分もより調整しやすいのじゃないかと感じている。脳のうっすらとした溝をなぞってより深く刻むイメージ、弱い筋肉を鍛えるイメージで少しずつその弱い部分を集中して鍛えていく。
大きくなったら自然にできるようになっていくことがほとんどだという前提の上での話ですが。

こういうことは、しなかったから/したから、今こうなっているといったデータが取れているわけではないので何ともいえないのですが、「癖」の強い家の子達、早い時期の「ワーク」がなかったら、もっと凹面が強く出ていたということもあったのかもしれないなとも感じている。

「ディスレクシア」は早期に働きかけるのがいいというのが、専門家による定説ではあるよう。だからといって、夫の体験(重度ディスレキシアの診断歴を持つ)などを見ても、大人になってからでも本人の「意欲」次第でどうにかしていくことができる場合もある。ましてや小学中学生ならば、本人の「意欲」を盛り上げていくことで、伸ばしていくことはまったくもって可能なのでしょう。



最後に、接する側の心構え整理

・結果からこの子はよくできる・できないとジャッジするのでなく、「できるようにどうサポートするか」にフォーカスし続ける。

・自分を見てきて一番感情が乱れきつくあたってしまいがちな時というのが、うわあこんなこともできるんだねと喜んだ後、簡単に見えることにとても苦労してしかも間違えたりするとき。「期待」が曲者だなあとつくづく。自分がヒートアップしてきたなと思ったら、「できないで当たり前」くらいのスタンスに下げてみる。

子供の成長は単純な一直線じゃないと思い出す。横ばいも下降も、外には見えない回路をあれこれ行き来し繋げている成長の過程。

よい結果を出すことを全力でサポートしつつも、心の奥では、結果を手放す

日々思い出していきたいです。


五人の学習を見てきて感覚的に掴んでいること、まだうまく言葉に表せないのですが、少しずつまとめていきたいです。

山へ上らないという境界

2014-01-19 13:00:22 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


「山へ上らないという境界」について、三つの解釈(“Borders Built of Roses” By Rabbi Y.Y. Jacobsonを参考に):

モーセがシナイ山に上ると、神が言う。「人々の間に、ここからはこの山を上ってはいけないという境界を設けなさい。どんな人も動物もその端に触れるのならば、生きてはいられない。」
そしてモーセは十戒(『トラ』)を受け取る。
神はもう一度言う。「山を下りて人々に告げなさい、山へ上ってはならないと。多くの『神に仕える者』(priests)達が境界を越え主へと上り寄ろうとするだろう。境界を越えてはいけないと伝えなさい。」モーセは答える。「あなたはもう既におっしゃったじゃないですか、シナイ山へ上らないよう境界を設け聖別(sanctify)するようにと。ですから人々は上るはずがありませんよ。」神は言う、「下りなさい、そして人々に伝えるのです。」そこで、モーセは山を下り人々に告げた。
(Yisro 19:12『トラ』)

この箇所について、何千年も議論がされている。境界を設けるとはどういうことなのか? なぜ「神」は二度も同じことをモーセに言ったのか?

ここでは三人のラビ(18世紀―20世紀)による解釈を。それぞれの解釈に理解のエッセンスと学びがある。


一.「バラによって作られる境界」が与えられたということ。

「境界」には二種類ある。
1.物理的な境界。明らかに目に見え、具体的で触ることのできる境界。
2.目に見えることなく抽象的メタフィジカルな境界。


1は動物でもぶつかり前に進むことができないが、2は理解しない動物や子供はやすやすと越えられる。「神」が一度目に言った「境界」とは1を指し(端に触れるなら動物でも生きていられない)、二度目のは2の境界を指している。

2とは、1のように明らかな罰があるわけではない。越えるならばこうなるといった恐怖を脅かすものでもない。『トラ』(広義には「人生の知恵」)を受け取った後の境界とは、2を指している。

2とは、「バラやユリの花で作られた境界」(Song of Songs 7:3『トラ』)とされるもの。その美しさその香りに、踏みにじりたくないと心の中に芽生える繊細さのようなもの。それは正義、公平さ、一人一人の尊厳、理想、夢であり。自身の真を大切にし、より理想に近い自分の人格を傷つけず、より高い自分に嘘をつかない、より高い魂を妥協しないというようなこと。

罰せられるからではなく、踏みにじりたくないという繊細さにより、境界を越えない。

『トラ』を受け取ることにより、人々が与えられたのは、こうした「バラによって作られた境界」。



二.一瞬一瞬自らに「境界」を問うことが大切だということ

動物も自然も、あらゆる存在は「法則」によって規則正しく動き続けている。ただ「人間の心」だけがパターンを越えた選択の幅を持っている。その複雑な「人の心」の指針となるのが『トラ』とされる。トラを受け取り、モーセは言う「神よあなたはもう既に境界を越えるなとおっしゃったじゃないですか、だから人々はもう越えるわけがないのです」と。それでも「神」は繰り返す、「越えてはならないと告げなさい」と。

『トラ』を受け取ったのだから、人生の知恵を知ったのだから、自分達はもう「善き人々」になったというわけではない、一瞬一瞬の選択の繰り返しの大切さを、「神」は教えようとしていたということ。



三.肉体や物質を置き去りにして「上る」のではなく、肉体や物質的世界にこそ、天を下ろしてくるのだということ。

『トラ』を与えられ、「神」にキスしようと山を駆け上ろうとする人々が増えるだろう。「山に上る」とは、世俗を離れ、聖域へと足を踏み入れることを象徴的に表した言葉。

「山へ上るな」とは、世俗に留まるということ。世俗の中に、『トラ』(人生の深い知恵)のエッセンスを実現していくということ。

『トラ』(人生の深い知恵)に触れ、二つの流れができる:
1.何時どのように祈り何時何をどのように食べ何時何をどのようにしと戒律に細密忠実に従い、自分達は境界をしっかりと守っているとする流れ。
2.瞑想、祈り、エクスタシー、センセーションなど形なきものを追い求め、物理的な境界を置き去りに、山を駆け上ろうとする流れ。

1と2を重ねる。物理的な境界を大切にしつつ、祈りを、「神」に触れる喜びを、世俗に、日常に行き渡らせていく。


結婚式で、壇上に上がるための階段の幅が狭く、誰が先に行くべきかと話し合いになる。あなたにはより多くの弟子がいるのだから先に、いやあなたの方が高齢なのだからあなたが先に。そこへ一人が言う、階段のないところから上りましょう。大切なのは結婚の祝いなのであり、こういう時は柔軟に壁(階段を上るという決まり)を突き抜けていきましょう。そこへ一人が言う「壁(決まり・境界)を突き抜けるのではない、ドアを広げ、ドアを通るのです。階段を継ぎ足して広くしましょう」

境界を越え突き進むのではなく、この世俗物質世界の境界の中に現実的な変化を起こしていくということ。




一.バラを踏みにじらない繊細さ、二。一瞬一瞬の自身を見つめていくこと、三、肉体・物質面と心面を共に大切に、心の奥深くにある「山」を形に実現していくということ、心に留めていきます。

次女輪ゴムアート

2014-01-18 23:59:17 | 子育て風景
輪ゴムアートにはまっている次女十歳、毎朝学校へ来て行く服とコーディネートしている。

服に合う色合いのブレスレットがない場合は、朝作ったりも。(笑)

編み方も色々ユーチューブで調べているよう。手前のは「魚の尾編」というらしい。


他にもこんな編み方や(この日の服とのコーディネート)、


こんな編み方も!


次男三女にもね。


近況整理、受け取っているものの大きさ

2014-01-12 08:05:46 | 今週の整理
1.新学期始まりました! おかげさまで皆元気に学校生活、と共に、五人それぞれあれやこれやと楽しんでます。最近五人が主に夢中になっていること:長男ロボティック、長女読書、次女スペリング&クラフト、三女ピアノ、次男レゴ。


2・三女があと三ヶ月で七歳というところで初めて歯が抜ける。兄姉、周りの子に比べてもかなり遅い方のようで、「歯が抜ける」ということに人一倍の「憧れ」を持っていた三女。この日を長い間待っていたですが、とうとう歯が半分程ぶら下がり、今にも取れそうになる瞬間、感極まって泣き始める。「嬉しいのか何だかもう自分でも分けの分からない気持ちの高まり」といったものだったよう。結局、その「ちょっと触れば取れるでしょう」というかすかに繋がった状態のまま半日以上過ごしてました。(笑)

夜、小さな透明の袋に入れ、いそいそと枕の下へ(こちらでは歯の妖精が抜けた歯とお金を交換してくれると多くの子が信じている)。この袋、妖精に開けられるかな? 大丈夫、歯の妖精ってね、強いんだよお~、と次男との会話。(確かに骨格しっかりで強そうよね、笑)

我が家に来る歯の妖精は、かなり忘れっぽいようで、子供達、いやあきっと昨晩は抜けた子たくさんで忙しかったんだねえ、今晩はいけるんじゃないかなあ、と朝何も変わっていない歯を前に、母に説明されることもかつて何度かあり。今では上の子達が繰り返し寝る前に確認してくれたり、自分達が早く起きたら換えておいてくれたり。(笑)

朝起きて一番、枕の下を確認する三女と次男。二人、眼をまん丸口を大きく開けて顔見合わせ。

家の中にファンタジーがあるのって、いいですね。


3.昨日はスケートへ。友人の三歳息子君、この日スケート靴初めて。次男も滑るというより、歩く転ぶ歩く転ぶの段階。冬の間こちらで老若男女に身近なスケート、平日は、子供連れ家族以外にも、仕事の合間にちょっと一滑りといった会社勤め風の人々も見られる。

 子供達を見ていて思うのは、本当に転んで転んで滑られるようになっていったということ。大人があんなふうに転んだら、きっとどこか骨や筋がおかしくなってる・・・、と思うようなスッテンコロリンを何度も何度も。それでしばらくすると、いつの間にかす~いすいと滑られるようになっている。転ぶほど上手に転べるようになり、転ぶほど上手に起き上がれるようになり。

 日々子供に接しつつ、転びながら学ぶ、このイメージ覚えておきたいです。


3.先週末ミニゴルフへ。上三人は本格的に点を記して競うんですが、メラメラ闘志で、言葉や声のトーンが険しくなる場面も。勝ち負けは楽しみの一つ、そう思い出させ。じゃあ他の楽しみとは? こうして休日の午後共に過ごせること、前回よりできることが増えたこと、一緒に冗談言って笑えること、など出し合って。一つの尺度から顔を上げ見回せば、楽しみは他にもたくさん。



4.次男と三女に挟まれくっついて眠ることが多いのですが、この二人の温もりに、どれほど癒されるか。次男の柔らかい肩、三女の握る手のぷよぷよ。私がこの子達に何を与えられるか? 普段そう親として思うわけですが、実は、私がこの子達から受け取っているものほど大きなものはなかったり。そう気づかされる夜のひと時です。ありがとう。


今日は、長男早朝からロボティックス。これから三女と次男連れプレゼント買って友人君の誕生日会。その後はロボティックス会場の様子を覗き、明日は長男も長女も友人宅でチームプロジェクト。残り組みはソリかスケート!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



歯抜け六歳。



スケート!


転んで転んで、


ふ~、


お友達のソリ押して。


それ~。


乗せてもらったりも。


あ、寝ちゃった・・・。


スナックタイム!

海苔。(笑)


ミニゴルフ!


よしっ、


こんなになっても。


やった!。



昨夜のファミリーディナーパン!

パパとママのチューリップパン by 次女、 おにいちゃん by 三女

ぴかぴかのカーテンレール

2014-01-12 08:05:02 | 子育て風景
週の初めの夕食前、壊れたカーテンレールを直しに業者の人がやってきた。コケージャンの夫さんとアジア出身の奥さんと二人で。夫婦二人、二十年近くカーテンレールを取り付ける仕事をしているそう。

夫さんがスクリューやらドリルやらを操る横で、あちらを拭き、部品を渡しと奥さん。息の合った様子でちゃくちゃくと仕事が進む。

背後できゃ~きゃ~と走り回る子供達。デイケアしてるの? いやあの全部家の子なんです、え~! なんて会話を交わしながら。(笑)



仕事の手が空くと、横で料理したり子供の宿題を見たりとしている私に、気さくに話しかけて下さる奥さん。あなた何年アラスカに?十四年です。どこから?日本から。私達は三十年よ、結婚して三十一年。

行ったり来たりと入れ替わる子供達の一人一人に、お名前は?何歳?と聞いて下さり。

私達夫婦に子供はいないのだけれど、私には十二人の兄弟姉妹がいてね、でもね半分くらい死んじゃったのよ。生まれて数ヵ月後に双子が、あと五歳と六歳と八歳で弟妹がね。フィリピンの小さな山の上の村で、病院なんてものも無かったからね。病気になったり怪我をすると、もうね、どうしようもなかった。苦しんだり痛がったりする傍で、ただただ撫でたり手を握ったり。今でもね、あの子達のこと思い出すと涙が出るのよ。

四十年くらい前の話だけれど、今も地域によっては同じような状況かな。米国や日本とは、全く違う世界よね。貧困ってね、残酷なものよ。



三女と次男がきゃっきゃとふざけ合いながら傍に来る。「ママ~、おなかすいた~、今日の夜ご飯な~に?」

ぱっと明るい表情になり、冗談を言って二人を笑わせる奥さん。あなたは大きくなったら何になりたいの? と尋ね、目を細めて三女が答えるのを聞いている。

ぴかぴかのカーテンレールが取り付けられ、しゃっしゃとカーテンを開けたり閉めたりと点検するお二人。お礼をいい、雪の中に笑顔で手を振る姿を見送り。



いつもと同じ夕食風景、それでも、何だか全く違って見える。

「いただきま~す!」と子供達。

「いただきます」の一文字一文字が、心に響いた。


出会いに、感謝をこめて。

日本への原爆投下について

2014-01-12 08:04:42 | 子育てノート
長男の友人のお母さんと話していて。 ○○(長男)、夏に日本へ行くって聞いたわよ、最高ね、日本のどこ? 名古屋と広島と東京の予定。えっ、広島? そうなの私の母方が広島で。そうだったの! ○○(息子君)の歴史プロジェクト(今八年生が取り組んでいる)ね、「原子爆弾についての権利と責任」がテーマなの。もう少し話聞かせてもらっていい?

そこから原爆の話になり。

母方の親戚は母も含め皆被爆手帳をもっている、伯母が一人即死、母は胎内被曝、私も三世、子供達は四世。



その夜、子供達とも話し合いました。

まず、こちら米国で主流の考え方: 一般市民の多くが無残に亡くなり痛ましいこと、それでもあの戦争を止めさせるためにはやむを得なかったんです。もしあそこで原爆を落としていなければ、日本本土決戦となり、日本米国両者により多くの死者を出すことになっていたでしょう。

子供達も、周りのこうした圧倒的な雰囲気を感じています。

日本と米国の「日本への原子爆弾投下」についてのウキペディアを見比べても愕然とするのですが、「あの大戦を終わらすためにやむを得なかった」という論の「不当性」についての言説や調査は、米国側からも出ているにも関わらず、ほとんど触れられておらず。

・連合国側からの海上封鎖などが効果をあげており、日本は当時戦力も既に随分と落ちていて、降伏は時間の問題であったこと。

・無人の地に落とすなど核の威力を見せ付けることで、もし降伏しないのならばこれを落とすとすれば十分であったこと。(「マンハッタン計画:第二次世界大戦中連合国側による原爆製造計画」の科学者もそう提案)

・「戦争を止めさせる」が目的ならば、日本への原爆投下について極秘を保つのでなく(直前までトップシークレットとされた)、日本側にも何度か警告することで十分に効果を得られたはず。

少し詳細を見ていくと、本当に「やむを得なかった」?と疑問が湧いてきます。他に理由があったんじゃない?と。

例えば、

・広島ウラン型、長崎プルトニウム型と違う種類が用いられたのですが、「トリニティ実験」(日本原爆投下約一ヶ月前の七月十六日に米国で行われた人類初の核実験)ではプルトニウム型のみが用いられ、ウラン型との比較実験データが欲しかった。

・米国の威力を世界に見せ付けるためだった。

といった説もあります。

私自身は、こうした米国の野心が大きく絡み、その上で、各地の戦線の状況から「最後の一人になるまで闘うだろう有色人種日本人」というイメージが行き渡るなど、世論を納得させられる状況が揃っていたため、ということだったのだと思っています。




そして、歴史や世論と言うのは、勝者側によって作られるとも思っています。

「ドイツがアメリカに原爆を落としたとしましょう。その後ドイツが戦争に負けたとします。その場合我々アメリカ国民の誰が”原爆投下を戦争犯罪とし、首謀者を極刑に処す”ことに異議を唱えるでしょうか?原爆投下は外交的にも人道的にも人類史上最悪の失敗だったのです。」

そうマンハッタン計画参画の科学者 レオ・シラードが言うように、もし敗者側が原爆を落としていたのなら、原爆投下に関わった人々、軍上層部からエノラ・ゲイの乗組員から逐一戦争犯罪の裁きを受けていたでしょう。





こうして米国側の問題を並べましたが、同時に、世界の状況を見るとき、枢軸国であった日本も随分ひどいことをしていたのも事実であり。天皇を「神」とし(天皇の本意かどうかは別として)、「大日本帝国」を広げようと周辺諸国へ侵略し。そこでの行為のひどさの度合いについては、様々な意見もありますが、決して許されるべきではないことも多く含まれていたと思っています。




子供達には、次の三点を覚えておいて欲しいと話しました。

1.大多数の人々が「正しい」と思っていることを鵜呑みにせず、様々な方面から情報を集め、「本当のところは分からない」というスペースを残しておくこと。

2.いい面美しい面だけを見るよりも、弱く間違った部分を見、それらを良くしていくために自分にできる限りをすることこそが、その人その国を愛しているということ。

3.生身の人の温もりを決して忘れないこと。こうしてテーブルに向かい合い、こちらでは何万人の被害で、あちらは何人死傷者が出たと話しているけれど、その一人一人の流す血の赤さを痛みの大きさを想ってみる。日本であろうと米国であろうとアジアの周辺諸国であろうとヨーロッパであろうと、そこに暮らす一人一人も、愛する人々と共に、あなたたちのように全く同じ温もりを持った日々を過ごしている。



 長男は七年生の時、科学のプロジェクトで「マンハッタン計画」を選んだのですが、製造に関わった多くの科学者が、原爆投下前に何とか投下を止められないかと米国政府に働きかけ続けたこと、投下後も平和運動に熱心に取り組む科学者がいたことを話してました。

 そして、日本が犠牲になることで、その後ジュネーブ条約にも核爆弾を用いてはいけないという条項が付け加えられ(「非戦闘民に手を加えてはいけない」という条項がそれ以前にもあるので米国による都市への絨毯爆撃、原子爆弾は既に違法ではあるのでしょうが)、用いられなくなった。もしあの時日本に落とされていなかったら、ベトナムか中東か朝鮮に広島長崎の何倍もの威力の核爆弾が落とされていたかもしれないよと。

 長男、夏に広島へ行く前に、引き続き話し合っていこうと思っています。