靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

今、子育てする上で

2012-01-15 02:01:07 | 子育てノート
「親はなくとも子は育つ」

これは元々はコミュニティーが育ててくれるという意味で用いられた諺。コミュニティーの価値観や構造がはっきりしていた昔、何が良くて何が悪いか、どうしたら「立派な」人間に育っていけるか、確固とした「良心」といえるような土台がコミュニティーの中にまだまだ根付いていた。

今は価値観が入り交ざり構造の流動性も加速化、何が良くて悪いかも相対的に、コミュニティーの中での「立派な」人間像といったら、マスメディアから繰り返し流される「お金があって格好よくて」、といった薄っぺらなイメージが主流。

コミュニティーに子育てを依存できる状態にはもうない。「親はなくとも」はもう通用しない。家族、親子(※)という最小単位の集団をより充実させていく必要がある。外のコミュニティーからの影響への「受身」を続けるよりも、家族単位・親子単位で立ち上がり、逆に外に影響を与える「変化の主体」となっていく必要がある。

外から内でなく、内から外へ。

外のコミュニティーで育てられる価値観・生きる姿勢を外で繰り返し実践して鍛える、

から、

家族親子単位で育てられる価値観・生きる姿勢を外で繰り返し実践して鍛える、へ。



外のコミュニティーにもまだまだ「良心」は確かに点在している。ネットの発達などでますます個々単位が発信できるようになってきた中で、面白い流れもたくさん起こってきているとも思う。ただますます清濁混在する中にそれらの「良心の光」を見出す目は、家族親子という「内」でまずは築いていく必要がある。そう感じている。

(※)「家族・親」というのは血の繋がりがあり男女の親がいて、といった形以外にも様々な形がある。どんな形であろうと子育てに関わる最小単位の関係ということ。

失敗から学ぶ、歴史から学ぶ

2012-01-15 01:56:41 | 思うに
時々思い出すのが、歴史家ギボン氏(Edward Gibbon 1737-1794)によるローマ帝国を滅亡に導いた5つの原因。

1. 家族構造の崩壊
2. 個人の責任感の弱小化
3. 過度な課税と政府の支配干渉
4. 快楽主義、暴力、不品行を増大させる悦楽の追求
5. 宗教の衰退


失敗から学ぶ、そう日々子どもに言い聞かせていることをちょっと当てはめてみる。

1.家族の形は色々だとしても、子どもを取り巻く最小単位を建て直していくことの重要性。
2.日々自身を振り返り、子どもにも教えていく。
3.そんな流れもあちらこちらに。関心をもち目を離さないことから。
4.何を「喜び」とするかの見直し。
5.人間を超えたものへの畏敬の念を思い出す、子どもにも教えていく。宗教という組織に限らず、自然、個々の内の無限にフォーカス。

MUGA 第6号!

2012-01-15 01:50:45 | お知らせ
「MUGA」6号が完成。「MUGA」は毎月15日配信の無料メールマガジンです。興味のある方は是非こちらから登録どうぞ!


カナダに住んでいらしたという菊池氏の「人間には、自分で自分を治す力がある」を読み、あちらこちら揉みほぐしてみたり。私なりにかなり納得。

今号にはホリデイシーズンの光の情景・イメージを切り取りつなげたものを書かせていただきました。

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MUGA 第6号
「私」ではなく「世界=無我」からの表現を発信する

無我表現研究会発行 月刊メルマガ

◆目次

◇アート

・詩

『例外者たちの詩』  那智タケシ

『季節の詩』     rita

◇新春対談

「人間には、自分で自分を治す力がある」 
    菊地久幸(ウルトラリンパ開発者)×那智タケシ

◇評論

・評論

世界中の人に自慢したいよ ~忌野清志郎のうた
               高橋ヒロヤス(翻訳家)

・《無我的観照第二回》

「恋愛VS憐憫」
『白痴』(ドストエフスキー著)から読み解く現代のキリスト像
                       那智タケシ

◇エッセイ

アラスカ便り―北の果てに暮らす日々― 
『光のコラージュ』   長岡マチカ(文化人類学を学びアラスカ在住)

扉を開いていくには

2012-01-15 01:41:26 | 子育てノート
教えていかなくてはいけないことはたくさんあるのだけれど、子どもが受け取る状態に整えられていないのなら、いくら言ったって全く子どもの心に届かない、つくづくそう思う。

ガード固くがちがちに守り体勢に入っている時に言葉をかけても、跳ね返ってくるだけ。逆に扉が開いたところに言葉をかければ、すっと中に入っていく。

矢継ぎ早にやることなすこと否定され叱られ続ければ、扉はがっちりと閉まる。固い扉をこじ開けるためにこちらも「力」を使う必要が出てくる。より頑丈な扉、より強い力、とサイクルは続く。

扉を開かせるには?子ども達をみていると、認められているという感覚、受け入れられているという安心感、それらを本人達が感じられているとき扉が開く。そこで初めてああいうことはよくないと思う、こういうことはどうかと思う、と入れていく。するとすっと入るし、こちらに「力」も必要でなくなる。

一対一でゆったりと出かける時間、とはなかなかいかないとしても、つかの間でも向き合える時間を日々の生活に散りばめ、マッサージし合ったり、興味のあることを話し合ったり、冗談を言い笑い合ったり。忙しい中にそんなちょっとした時間を散りばめることで、子ども達は随分とほぐれる。親が向き合ってくれている、自分の存在をみていてくれる、そんな感覚に溢れ扉が開く。

自身や周りの安全を脅かすような即座に飛びついて止めさせる必要があることは確かにあるけれど、まずはその子の様子をよくみる。扉は閉まっているのか開いているのか。何かに夢中になっているのなら遠くから頭ごなしに叫ぶのでなくそばにいって一言二言声をかけ、取り乱すようなら場所を変え一対一で向き合えるよう落ち着かせ。

時間がないときなど難しいのだけれど、それでも結局はまず扉を開かせる方向を見ていくことが、問題解決への1番の近道だったりする。

そう心に留めつつ、今日も彼ら彼女に向き合っていきたい。

一つ目の創造

2012-01-15 01:33:09 | 思うに
3つの創造」ということを書いたけれど、この一つ目の創造、心の中で描き「思う」といった時点で外に与える影響というのも確かにある。ただそこで終わりでなくそれは始まりであるということ。

数年前シカゴとモントリオールを旅したときに訪ねた科学館の体験型展示を思い出す。頭にベルトのようなものをつけ二人向かい合う。二人の間には透明な管が通っていてその中にはピンポン玉大のボールが。互いに集中してそのボールを相手側に押しやる。一切手を触れてはだめ。ボールを中央からより相手側に押しやることができたものが勝ち、というゲーム。

「リラックスした集中」が特定の脳波を生み出し、その脳波を読み取った機械がボールを動かしていくという装置。その特定の脳波をより整えることができた側が、ボールを押しやることができ、勝つ。

脳の状態のみで、実際に見える形の変化を生み出すことができるなんて!と随分と驚いた。技術がより発達するにつれ、いずれ「思う」だけで様々なことが実現していくということも可能なのかもしれない。あれやこれや妄想が膨らんだ体験だった。

一つ目の創造の大きさを思いつつ、二つ目、三つ目へ踏み出して。

けの汁すすりながら、昔を思う

2012-01-15 01:32:29 | 出来事や雑感や (その他)
友人達と「けの汁」をすすりながら、少し昔の話などになる。

むちゃくちゃだった昔を思い出す。こうして今の夫と共に暮らすということなく子どももいなかったら、多分とっくに廃人となって命を落としていたんじゃないだろうか。子育てについてあれやこれや日々考えている今からは遠くかけ離れた自分。

カオスを覗き足を踏み入れ飲み込まれ息絶え絶えになっていた昔。

秩序にあるからこそより深くカオスに向き合っていける、昔を振り返り今そう思う。

けの汁、小正月

2012-01-15 01:24:24 | 
15日の小正月、女が家事から解放される日、年末年始と台所に立ちっぱなしだった女が正月を楽しむ日、女正月、とも言われている。

青森では「けの汁」をいただくそう。青森郷土料理「けの汁」、具だくさんの味噌汁のようなもの。女正月に作り置きしてしばらく家事を休む、ということなのかと思ったら、青森出身友人Lさんによると、嫁が夫の実家を去る時にたっぷりと作り置きして帰ってくるためのものだったとも。

集まった7人の女たち、毎年けの汁を食べて育ったというLさんから直伝!

山菜たっぷり。アンカレッジでも結構手に入るのだと皆驚く。


具をとにかく細かく刻む。事前にLさんより「煮しめよりも大変かもよ~」という情報。覚悟して向う。

ごぼう、


にんじん、


大根、


あげ、


こんにゃく、さつまいも、こんぶなども細かく細かく。大豆も入れて。

ことこと。


出来上がり!


動物性のものが入ってないので胃に優しく。

確かにご飯さえあればこれで十分な具だくさん。

あ、主役の女達の写真が一枚もなかった・・・、この日に限って。刻むのに花咲く話に忙しかった。(笑)


ほっと温まりました。Lさんありがとう!