靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、つーつーと残る電話の音

2013-07-28 08:17:02 | 今週の整理
1.長男が発って一週間。今朝1週間ぶり(コース中は電話とりあげ)に電話があり、熱を出して病気だったと! 何でもウイルス行き交っていたとかで、キャンプ参加者の何人か同じ症状だったそう。それでも1週間のコースを何とか終え卒業証書をゲットしたと。今日はフリータイムで、明日からまた1週間新しいコースの始まり。一通りの近況報告を終えても、まだまだ根掘り葉掘り聞きたがる母、また帰ったら詳しく話すからね、元気で楽しくやってるから心配しないでよ、らぶゆ~、ば~い!とがちゃり・・・。つーつーという電話の音が耳に残ってます。(笑) ああ、そう。 あと1週間!
 

2.誕生日会をしたい!と長女。思えば、友達を招いての誕生日会は、2歳のときが最後。いつもお呼ばれするのみだけれど、中学校に入る前に、違う学校に行ってしまう子もいるし、長男も大きくなってから1度だけしたことあったし、う~ん1度だけね、とすることに。もう天にものぼりそうなほど大喜びな長女。仲良し5人だけウォーターパークに招待。大はりきりで皆に電話し、招待状を作り、投函。てきぱきと早い早い。この軽さを覚えておこうね


3.少し前になりますが、Linda Sue Parkという子供向け絵本や本を書いている著者の講演が市の図書館であり子供達と出かけてきました。韓国出身の両親に米国で育てられ、当時は「ダイバーシティー」という概念も行き渡っておらずとにかくこちらの社会でうまくやっていけるようにと、幼少期からネイティブスピーカーに負けないよう徹底した英語のみで育てられ。スタンフォード大学に進み、文学を勉強。アメリカ人として暮らしながらも、自身のルーツ韓国への思いは年をとるほど大きくなり。40代前から書き始めた絵本や本は、そのデビュー作やNewbery awardを受け取った作品含め、韓国を舞台にした韓国の伝統を扱ったものが多い。ご自身の生い立ちから、自分は「ライター」というよりも「リライター」、だいたい30回近く書き直すなど、本ができるまでの詳しい過程や、本を読むことが脳をいかに活性化させるかなど、ユーモアたっぷりの歯切れのいい話し方に、ぐいぐい引きこまれ。
 長女の読みたい!という言葉に、会場でいくつかPark氏の本を購入。2時間近く、子供達にとっても私自身にとっても、インスパイヤリングな時を過ごしました。


4.秋からの習い事整理。家は一人一人は習い事それほどしているわけではないのですが、それでも親だけみれば、まるでお稽古事びっしりのお子様を毎日送り迎えしているような状況。(笑) したい!というものを皆にさせてあげられればよいのですが、現実的に無理。新学期前に、絞込みへ。長男水泳・NPO(学校の部活が期間限定で入ることも)、長女水泳・ダンス・ピアノ、次女サッカー、三女水泳・ピアノ、次男プレスクールもなし(ママと日中あちらこちら)。
 長女多すぎやしないか、と皆が突っ込む。ダンスかピアノかどちらかにしたら、と詰め寄る親に、どちらもどうしてもしたいと最後は粘り勝ち。結局ダンスを週一にすることでピアノ週一を入れて。水泳は、歩ける距離のすぐ横のアラスカ大学で、長男長女のスイムチームが週三・四回に対し、三女のレッスンは週二回二ヶ月して二ヶ月休んでといったペースなので、何とかまわっていきそうです。決まってほっ。あと一ヶ月もしたら、新学期!



今日は、どうやら曇り空に涼しげな日。「空気清浄化プロジェクト」に取り組む予定。Sansevieriaの株分け。各部屋に酸素分散計画。(笑) 明日はハイキングに!

皆様の一週間が素晴らしいものとなりますように!

Have a wonderful week!


日常風景:

長男発つ前ランチ。ピザ作り。


その後、次女のサッカーこのチームでの最後の試合観戦。


空港へ!

途中ちょっと寄り道。


きもち~と、アイフォンでぱちり。


空港駐車場。もつもつ~!と三女に次男。


そして、乗る・・・。


無理しないで、楽しんでね。


いっちゃったねえ。



Linda Sue Park氏、購入本にサインしてくださり。



今週は市内引越しの友人三人の子供ちゃんを少しだけ預かり、今月いっぱいお預かりのMちゃんと合わせ8人なんて日も。

もう可愛くて可愛くてしょうがなくつきっきり三女。ヨーグルトあ~ん。


いやあ、賑やかでした。

屋内空気清浄化プロジェクト!

2013-07-28 08:16:02 | 思うに
去年の冬頃から、家の中の空気が良くないと言い出した夫。出張から帰宅したとたん、咳を始めたりということも。カビが原因なのじゃないかと、バスルームの隅などに見られるものを、カビ研究所なるものに送って調べたりもしたのですが、家屋によく見られる「普通のカビ」とのこと。

カビ研究所によると、それら「普通のカビ」が起こしうる症状として、「ハイパーセンシティビティー」なども含まれていて、夫曰く多分自分はそれなのじゃないかと。そして一旦そうなってしまうと、清浄な空気の中で過ごし癒す必要があると。今まで周りが花粉症!と騒いでいても、一人へっちゃらだった夫、今回は逆で症状が出ているのは夫のみ。

窓のさんが少し黒ずんだり、バスルームの隅に出てくるカビ以外には、どこにもカビは見当たらないのですが、見えるところはふき取ればいいものの、古い家は壁の中にびっしりカビが生えていることもあると聞いたり。

まあ本当にカビが原因かは定かではないのですが、とにかくこの家には何かあると感じる夫。確かに60年代前の建物には、アスベストや鉛が使われているわけですが。引越しも考えたのですが、去年の夏引っ越したばかり! それにこの大家族が入り込める物件をそうそう見つけることも困難。

幸いこちらは外に一歩出れば澄み切った空気。夏は窓を開け放つことで問題なしなのですが、冬はそうもいきません。締め切って何ヶ月も生活することに。


さてどうしたものか・・・。そこで冬に向け何とかしていこうと少しずつリサーチを始めました。そして見つけたのが、NASAのClean Air Study。その中でも「植物がいかに空気をきれいにするか」について。

これは宇宙ステーションの空気をきれいにするための研究としてとして始められたもので、どの植物がどんな化学物質を吸収するか、どの植物か酸素を多く排出するかなどがまとめられています。この研究に基づいた、こんな実験もTEDにまとめられています

この講演によると、インド、デリーで大気汚染のため肺機能が低下したKamal Meattle氏が、職場にNASAの研究に基づき特定の植物をおいたところ、自身が回復しただけでなく、他の職場に比べ、雇用者全体の目の不快さ、頭痛、呼吸器系機能の改善がみられたと。そしてインド政府にもデリーで最も空気がきれいな建物と認定され、その実験結果が2008年9月に出版され、政府公式サイトにも掲載されていると。

その「特定の植物」というのが、Areca palm、 Sansevieria, Money plantの3つ。前の2つは主に酸素を多く放出し、3つ目は化学物質を吸収するのだそう。

そこで、この3つ、そして、他にもNASAの研究でトップリストにある植物を少しずつ集めています。これが冬に向けての我が家の「屋内空気清浄化プロジェクト!」です。(笑)

他に覚えておきたいことなど整理すると:

NASAの実験についての批判として、締め切った個室で化学物質を含んだ風を2時間吹きつけ、どれほど吸収されるかと測定したため、普通の家屋で空気の動きのないところに植物を置いた状態でも同じように吸収するのか?というものがあるのですが、その点も考慮し、風の吹き出る空気清浄機のそばに植物を置いてみたり。(笑)

・面白いことに、光合成により葉から酸素が放出されるのかと思いきや、酸素排出には土のオーガニズムが大きく関わっているそうで、土の表面積がなるべく広くむき出しになるよう注意するといいということ。

・Money plantをMoney treeと間違え購入し、返品なんて出来事も。ボタニカル名をしっかりとさせておくのが大切ですね。ちなみにMoney plantのボタニカル名はPachira aquatica。

170 ㎡(1,800-square-foot)の部屋に15から18の直径20センチほどの鉢の植物を置くのが目安とNASA。Kamal Meattle氏によると、夜酸素を放出するSansevieriaは寝室に腰までの高さのものを1人につき6鉢ぐらい!が目安と。

管理が面倒なものも。例えば、Areca PalmはKamal Meattle氏によると、一日一度葉を拭く必要がある。

・空気清浄のほかにも、加湿効果のある植物もあり、乾燥冬のアラスカにはもってこい。

・虫が発生したら? それこそ土の中のカビはどうなるんでしょうか? という疑問も。おいおい調べていきます


ところで、その効果は? 先のインドでの実験が15年かけての結果に対し、こちらはまだ何ヶ月かといったところで、効果も何もないともいえるのですが、それでもプラシーボ効果なのか、よくなってきてる気がすると夫。実験・リサーチ続けます。

空気の清浄もですが、緑が身近に溢れているというの、なんだか心が落ち着きますね。

春先には、家の中、ジャングルになってたりして・・・。


グリーンハウスへ植物ハント。

この日の収穫は、

Peace Lilyと、

花が素敵

Philodendron。


返品するMoney tree。Money plantはこんな風に幹がねじれておらず、葉っぱももっと丸っこい。


Areca Palm


Areca Palmを拭く次男と三女。

「植物拭く」、子供達のお手伝いリストに加わりました。(笑) 子供達、一つ一つに名前つけてます・・・。

プロジェクト前から家にあり、調べて空気清浄植物としてトップに来ていると分かった、Spider plant。


Sansevieria

姑の舌(Mother-in-law's tongue)や、スネーク・プラントとも知られている。すごい名前!

論理パズル、できた!を積み重ねて

2013-07-28 08:15:11 | 子育てノート
先週コメントをいただいたあーちゃんママさんという方のブログに、面白そうな「論理パズル」が掲載されていたので、プリントアウトして長女に見せると、早速目を輝かせて取り掛かかりました。

何でもアインシュタイン自身が考えたと言われているらしい。

いつものように周りを走り回る妹弟に「ちょっと静かにい!」と叫び、解けないフラストレーションから自らも「うっきゃ~」と何度か叫び、もう限界なのか「うっほ~」と怪しく踊り。

見かねて、「あのね、かなり難しいみたいだから、もう少し大きくなってから挑戦ということにしたら」と声をかける私。それでもダイニングテーブルに向かい続けること一時間半ほど。

解けた!!! 解けた解けた解けた~! 答案用紙を持って走り回る。

答え合わせしてみると正解! 部屋中飛び跳ね喜ぶ長女。

「あのね、ああもうだめだなって、頭が真っ白になった瞬間があったの。そしたら突然ね、アイデアが波のように押し寄せてきて、あれもこれもあれもこれもって、書き留めるのが難しいくらいすごい勢いで。それでね、解けたの」

諦めそうになり、それでも歩き続けることでぱっと開けた瞬間。問題に向き合うことで、かけがえのない体験をしたんだなあと、上気した長女の表情を見ながら。一時間半近くテーブルに張り付いた末の達成感、もうたまらない!といった満足笑顔でした。

こうした「できた!」という感覚を、例え小さく見えても一つ一つ積み重ねていけたら、そう思っています。



人口の二パーセントが解けるという触れ込みもあるようですが、能力云々よりも、こういったことにわざわざ時間とエネルギーをかけたいと思うか、そんな悠長な時間が取れるかというところで、かなり絞られるのじゃないかと。あとは根気。もし興味をもたれた方、是非お試しください。

 ■The Logic Puzzle of Albert Einstein (Possibly)

Five people, each of a different national origin, live in five
differently colored houses. All five houses are in a row.
Each person owns a different animal, drinks a different
beverage, and smokes a different brand of cigarette.

1. The British lives in the red house.
2. The Swedish keeps dogs as pets.
3. The Danish drinks tea.
4. The green house is on the left of the white house.
5. The green homeowner drinks coffee.
6. The person who smokes Pall Mall rears birds.
7. The owner of the yellow house smokes Dunhill.
8. The man living in the center house drinks milk.
9. The Norwegian lives in the first house.
10. The man who smokes Blend lives next to the one who keeps cats.
11. The man who keeps the horse lives next to the man who smokes Dunhill.
12. The owner who smokes Bluemaster drinks beer.
13. The German smokes prince.
14. The Norwegian lives next to the blue house.
15. The man who smokes Blend has a neighbor who drinks water.

Question: Who owns the fish?

あーちゃんママさんが引用されていたdavidpace.comより


5人の人がいます。
5人それぞれ国籍が違い(イギリス、スウェーデン、デンマーク、ノルウェー、ドイツ)、
一列に並んだ違う色の家に住み(赤、緑、黄色、白、青) 、
違う種類のペットを飼い(犬、鳥、猫,馬,魚)、
違う種類の飲み物と(茶、コーヒー、ミルク、ビール、水)、
違うブランドのたばこを吸っています(Pall Mall, Dunhill, Blend, Bluemaster, Prince) 。

1. イギリス人は赤い家に住んでいる。
2. スウェーデン人は犬を飼っている。
3. デンマーク人は紅茶を飲む。
4. 緑の家は白い家の左側にある。
5. 緑の家の持ち主はコーヒーを飲む。
6. パルマルを吸う人は、鳥を買っている。
7. 黄色い家の持ち主はダンヒルを吸う。
8. 中央の家に住んでいる人はミルクを飲む。
9. ノルウェー人は最初(左端)の家に住んでいる。
10.ブレンドたばこを吸う人は、猫を飼っている人の隣に住んでいる。
11.馬を飼っている人は、ダンヒルを吸う人の隣に住んでいる。
12.ブルーマスターを吸う人はビールを飲む。
13.ドイツ人はプリンスを吸う。
14.ノルウェー人は青い家の隣にすんでいる。
15. ブレンドたばこを吸う人の隣人は水を飲む。

問題: 魚を飼っているのは誰でしょう?


グリッドは、こちら
(グリッドを用いると整理しやすい)
解答は、こちら


長女の解答用紙。


グリッドを重ねて渡したにもかかわらず、途中まで気がつかず(問題にとりかかることに夢中だったのでしょう)、家の絵などで考えていたのですが、途中からグリッドに整理し直してました。

将来、あなたがパートナーと暮らすときにね

2013-07-28 08:14:55 | 夫婦ノート
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

アップもダウンも、より良くなるための機会と捉える。

キャンプに出かけた兄弟。隣のキャンプ地で泣き叫ぶ赤ちゃんに、「イライラしない?」と兄に話しかける弟。「これはテストだって考えたらどうかな。自分たちの忍耐を鍛えるためのね」と答える兄。そして翌朝、隣の家族がいなくなり、「テストが無事終わったね」という弟に、「今度は次のテスト。静けさの中で感謝してキャンプを楽しめるかというね」そう答える兄。そんな子供向けの話(aish.comより)を次女が読み、説明。

このかゆさ!(水泳者の痒み)も、テストかあ、とつぶやく次女。足や腕のスイマーズイッチを指しながら。

不快でしゃれになってないけど、起こってしまったことは、今度は濡れたらすぐにふき取る、あの湖には入らないなどの予防を学ぶ機会や、不快さへの忍耐を鍛える機会
と捉えて、次への糧にしていけるといいね。

ダウンはより強く大きくなるため、アップは感謝と謙虚さを忘れないためのテスト、アップとダウンの波に、磨き続けて。


親密感(intimacy)を培う (“The Intimacy of Little Things “ by Chana Weisberg. Chabad.orgより)

二人に一人が離婚という昨今。離婚カップルの多くが、結婚当初あった「親密感」が薄れていったと答えると。

では、親密感をどう培うか。それはこの記事にあるように、豪華なプレゼントや、華やかなお祝いということではなく、日常の小さな積み重ね、普段の生活に散りばめる小さな心配りなのかもしれない。

何気なくかける優しい言葉、小さな気遣い。出やすいように車を止め、翌日運転する相手のためにガソリンを満タンにし、朝コーヒーを飲みやすいようセットし、弁当に一言添え、あるといいなとつぶやいていたものを揃え、疲れていたらほっとする言葉をかけ、落ち込んでいたらそっと温もりで包み。

ちょっとしたことの積み重ね。

うまくいかないときほど、こうした小さなステップを散りばめてみる。

将来ね、あなたがパートナーと暮らすことになったら、覚えておくといいことの一つ、そう娘たちへ。

ここにも、まぶしい光

2013-07-28 08:13:21 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
背中をまぶしく見上げ

そこへたどり着こうともがき

何て早く進んで行ってしまうのだろう

これじゃとても追いつけやしないと

息を切らし 立ち止まり



その人と同じところにたどり着くことはできないけれど

その人になることはできないけれど

もっと自分へとたどり着くことならできる

もっと自分になることならできる



自分へと向かう道

まだ切り開かれていない道を 

一歩一歩

ふとはるか遠くを見上げれば ここにもまぶしい光

ただ その光と共に

彼女の静けさに学ぶ

2013-07-28 08:12:33 | 思うに
夏休み、こつこつと数学の勉強を続けている長女。週の初め、長男のクラスメートの数学大得意な女の子が、長女の勉強の様子を見てくれることに。中学の様子などの話も聞ける機会と、喜んで出かける長女。一時間半ほどテキストを覗き合いながら、これをもっと強くしたほうがいい、これは重要よ、とアドバイスもらい満足顔。

長男が小学校一年のときから一緒のクラスメート。アジア系のご両親とも長い付き合い。お母さんはフルタイムで専門職につき、いつもそれはそれは忙しそうに走り回っている。この日も、他州での武道の大会に二人の子供さんが参加した後、少しだけバケーションを楽しみ、帰宅した翌日というのに是非来てとおっしゃるので少しだけお邪魔させていただいたのだけれど、夜中に帰宅しそのまま一日中仕事して戻ったところと。しかも三週間前に引っ越したという家の中は、すっかりきれいさっぱり片付いている。お手伝いさんがいるということでもなく自分たちで片付け。

長男長女も低学年の時同じ武道を習っていたのだけれど、興味を示した娘さんに習わせてみようかしらと言うので、道場を紹介し一緒に練習に通っていたこともあった。そこで娘さんの習得の早さを目の当たりに。先生が模範を示し、家も含めほとんどの子供が左右を間違えたり、手と足のタイミングがなかなか合わなかったりとしているなか、低学年の娘ちゃん、だいたい一回見るだけですっと真似できていた。

娘さんと五歳下の息子君、だいたい何につけてもこういった調子で、学校でも学校外でも大活躍。勉強なども飛びぬけてでき(中学で高校数学終え低学年で小学校算数終える勢い)、先週の武道の大会ではなんと息子君が全米一位に! お姉さんのピアノの腕も州トップレベル。

かといってご両親とも得意げになることもなくいつも気さくで親切。武道全米一位も、去年は四位だったなんてすごい!と口にして初めて、実は今年はゴールドだったのよと。まるで今日は天気がいいわね、というような口調で。

「あのね、いつも思うんだけど、ホントあれもこれもなんでそんなにできちゃうの。子供ちゃんたち二人とも何から何まで大活躍、それに引っ越したばかり旅から帰ったばかりで何でこんなに片付いてるわけ! しかも一日中外で仕事してて!」

そんなことをぽかんと口を開けて言う私の横で、お母さん、ただ、はははと笑っている。

家族で大変な体験を通っていた時期もあり、ダウンもアップも近くで見てきているのですが、彼女に接していつも思うのは、ただ、その時その時、精一杯で進むのみという姿勢。雑念がない。本当に大変そうだったときも、息子君が全米一位のトロフィーを手にしたときも、同じ笑顔の彼女。私だったら、どん底で泣き喚き手足ばたばたさせ、メダル片手に舞い上がり天井に頭をぶつけと、そんな無駄な動きでくったくたになってるんじゃないだろうか。

彼女の静けさに、いつも学ばせてもらっています。

湖パラサイト、泳者の痒み

2013-07-27 23:59:43 | 出来事や雑感や (その他)
今週は昼過ぎには30度近くと、アラスカにしてはまたしてもあり得ない日々が続き、今年の夏は本当にすごいねえ、との挨拶が決まり文句になっているこちら。

車で15分ほど走ったところにある湖へ。かんかん照りのなか、泳いで、砂に埋もれて、砂団子作ってと遊び。

楽しかったね~と車に乗り込むや、足やら腕やらをかき始める三女。

家に帰りシャワーを浴び、かゆみどめをぬり、それでもかゆくてたまらないよう。かいたらひどくなるからと涙目でうずくまる。一緒に行った友人からも電話が入り、娘ちゃんかゆくて泣いていると。冷やすとちょっとよくなる、などとしているうちに、徐々におさまり、寝る頃には落ち着いてほっ。

と思いきや、翌朝、体中に蚊に食われたような赤い痕。前日一番かゆがっていた三女は体中にそんな発疹が出ながらも全くかゆくなく、前日かゆがっていなかった次女はその一つ一つの発疹がかゆくてしょうがないよう。長女はほとんど水に入らず無事、次男は入っていたのになぜか無事。

何でもこの例年にない気温上昇で、水中のパラサイトが大活躍しているのだそう。「スイマーズ・イッチ(泳者の痒み)」(日本語に訳すとなんだか・・・、笑)と言われる症状。パラサイトといえども、人間に寄生する種類ではないらしく、こうして肌にかゆみ発疹をもたらすのみだと。4・5日すれば自然に治るそうです。予防には、濡れたらすぐにふき取ると良いそう。

一ヶ月前にも全く同じ湖で泳ぎ何ともなかったのですが、この気温上昇、こんな変化ももたらしているんですね。


こんなに澄み切った湖。


河川作って。


砂に埋まって。


団子作って。


きもち~ね~。



そこにおまけつき。

こんなのや、


こんなのが、


もう身体中に。

まあ痕も残らないそうでかゆいだけなのですが、アンカレッジの皆様、お気をつけて!

近況整理、フットボール選手のような方がゴキボキっと

2013-07-21 03:12:02 | 今週の整理
1.サーモン到来! 今日のフィッシュカウントは? で週末どうだった? なんて話し声が、スーパーや、図書館や、昨日のロボティックスの会場でも、あちらこちらから聞こえてくる。何だか街中そわそわ。(笑) 今年の我が家は夫出張やら長男不在やらでちょっと漁には出かけられなさそうですが、アラスカの皆様、大漁祈ってます!

 
2.長男二週間の合宿から戻る。トイレに向かい熊、車から降りたとたん熊など、熊と隣り合わせのテント暮らしだったよう。蚊もそれはそれはすごく、deet 100%!(発がん性や神経毒性の可能性ありなどの説があったり、肌が荒れたこともあったりなどで、家ではdeet無しの虫除けをつかってるのですが、やはり虫除け効果は減少)の液をつけまくる必要があったとも。スタッフ最年少、かなり過酷な毎日だったようで、睡眠時間も五時間あるかないかの二週間。スタッフの中には、トイレで眠ってしまったり、歩きながら眠ってしまったりなどの出来事もあったよう。配膳食事準備、行事の段取り準備、カメラ係としてぱちぱち撮り続け最後はキャンプの様子を徹夜近くでスライドーショーに仕上げたり。

 連日明け方からの過酷な筋力トレーニングで肩を痛め、途中三日ほど腕をつっていたとも。随分良くなったと言うけれど帰宅してからも痛くて腕が上がらない。整体を勧められ通うこと昨日で二週間、おかげさまで回復したようです。

 こんな身体のきつい中、目はらんらんと輝き、ああ楽しかったなあとうっとりつぶやきながら、「今度は「エキストリーム(究極の)サバイバル・キャンプ」、「パラシュート救援訓練合宿(高所から落下訓練)」へ行きたい!と計画を立てている。何が彼をここまでさせるのか・・・。とにもかくにも無事で何よりでした。新しい体験にまた一回りたくましく。もう息子というより、一対一の人と向き合っているといった感覚です。


3.長男について整体というものに初めて行ったのですが、まずレントゲン。普通首の骨が前に向かってしなうようにゆるやかなカーブを描いているはずなのに、まっすぐ。首周りの筋肉が過酷な運動で痛んで張っているためだろうとのこと。そこで筋肉刺激機というので、肩あたりに電流を流すこと十五分(長男曰く、きゅーとつままれ、終わった途端一気にリラックスといった感覚のよう)、その後、アメリカンフットボール選手のような体格の整体師が、ぼきぼきっ、がきがきっ、ごりごりっと調整。これを二週間のうちに五回。私自身、左右のずれが肩のこりにきている感が前からあり、施術の様子を傍から見ていて、ああ、私の首にもしてほしい・・・と、自分の予約も入れてしまいました。(笑) 


4.ピアノ熱再来。三女がレッスンを始め、長女ももう一度レッスン取りたいなあといい始めていたのですが、「毎日欠かさず練習できるならレッスン考えてもみる」と言ったのが一ヶ月前のこと。その日以来一日も欠かさずどころか一日に何度かピアノを触る日々。ABCも忘れていたほどだったけれど、どうやら止めたレベルまでは追いついたよう。先週から次女も興味を持ち始め、レッスンをとる気はないけれど楽しみでと弾き始める。ここ一年半ほど、誰も寄り付かなくなりすっかり埃をかぶりつつあったピアノ、最近では、私が先! だって○○さっきからずっと座ってるじゃない! などと取り合って喧嘩を始める始末。あなたたち、極端過ぎます・・・。まあ、スピーカなどを通すのでない生の音楽の溢れる空間というのは、(たとえそれがたどたどしい旋律であっても)いいものですね。


5.長男十三歳、今夜インディアナ州へ発ちます。二週間の救援活動訓練合宿。一人で飛行機に乗るなんてもちろん初めて、乗り換えも有り。エアラインにケアしてもらえるよう頼んであり、現地空港ではスタッフが迎えて下さるそう。友達にテキストとか送ってて飛行機乗り遅れたりして、飛行機で映画見続けて寝不足ふらふらになるんじゃない、でも飛行機は寝過ごして気がついたら日本にいたとかオーストラリアにいたとかならないからいいよねえ、と長女と私が話すのを横で聞き、「そんなわけない!」と笑っている。二十℃前後のアンカレッジとは打って変わり、三十五℃近くというインディアナ、そんな暑さを体験するのも初めてのこと。水泳の更衣室のサウナが三十℃だと最近知り、愕然としていた長男。あれより・・・、暑いんだよね・・・。 無理しないでね、と言い聞かせ、二週間後の再会を楽しみに!


今から次女をサッカートーナメントに降ろし、長男の荷物最終チェック、次女を迎え、そろって別れのランチの後は、再びサッカー試合、今度は家族で観戦。そして空港へ!

皆様の一週間が素晴らしいものとなりますように!

Have a wonderful week!


日常風景:

友人より獲れたてサーモン、おすそ分けいただきました!

ああ新鮮。ありがとう!

長男帰宅した夕方、シャワーを浴び、迎えに行った車の中で寝てしまい「お兄ちゃ~ん」と泣きながら起きて来た寝起きの次男を抱きながら、ソファーでうつらうつら、かなり寝不足の様子。


整体院、廊下や待合室にこんな犬が二匹うろうろ。

初回三時間かかり、犬と共に寝そべる次男。

雨の日はここ!

博物館。


巨大シャボン玉!


ジャンプ!のスローモーション。

うん、飛んでるみたいだね。


最近の皆のお気に入り、ピザ作り。


生地ねって。


ベルペッパーに、ブロッコリーに、パイナップルに、ハムに、ペパロニに、冷蔵庫のもの色々入れて。


これがなかなかいけます。


最後はこんなデザートピザも。

クリームチーズ、シナモン、砂糖を生地にぬり、食べるときにホイップクリームとフルーツのせて。

おいひ~!

ホントたくさん負けてきたからこそ

2013-07-21 03:11:35 | 子育てノート
昨日は、アラスカ大学にて一週間続いた七―九年生向けロボティックスのワークショップ最終日。競技会があった。十四チームが、一週間かけ組み立てプログラミングしたロボットに、まずは自動的に、その後リモートコントロールを用いて、タスクをこなさせることを競う。

ロボティックスに初めて取り組む参加者もいる中、チームメートの一人が去年のワークショップ参加者で数学が大得意な学校のクラスメート、また長男自身も一昨年半年ほどレゴリーグで州大会世界大会目指して毎日のようにロボットに向き合い、去年のワークショップにも参加した経験あり。ということで、長男チーム四人組み、ダントツで優勝。帰り際、指導にあたった教授が、「He has a knack.(彼はコツをこころえている、体得している)」と笑いながら話しかけて下さった。

一昨日、「起き際の数分、夢をはっきり覚えているものなんだよね。それでも身体を動かしたとたん見事にすっきりと忘れてしまうんだ。夢の中でロボットのむちゃくちゃいい案が浮かんでね、起きてすぐ覚えてたんだけど忘れた!」と悔しそうに話していた長男。ロボティックスに取り組むその情熱・意気込み、傍から見ていて「好きこそものの上手なれ」ということつくづく思います。


お兄ちゃんやったね! 妹たちそんな言葉を交わしつつ、数時間後は、次女のサッカートーナメント。夏の間共に練習してきたこのチームで競うのも昨日と今日で最後。来週から二週間ほど違うチームに入り、それで夏のサッカーシーズンもおしまい。

この日に向け張り切っていた次女、よ~しと勢いよく車から飛び降り満面の笑顔で手を振りながらフィールドに向かった。結果は、惨敗・・・。もう目を覆いたくなるほど次から次へとゴールを入れられ、対して次女チームの得点はゼロ。最後のトーナメントということで普段とは違う曜日だったこともあり、チームの半数ほどが不参加。相手チームが交代で休み休みフィールドに出ているのに対し、次女チームは誰も休憩の余地なし。皆疲れきって動きも鈍く、表情も暗くなりよれよれ。試合終了の笛がなった途端、相手チームが抱き合ってきゃーきゃー飛び跳ね回る横で、うなだれこんなはずじゃなかったと涙を浮かべる次女チームの7人。

帰途、車の中でしくしく泣き続ける次女。声をかける姉妹にはライオンのように吼え、当たる。

帰宅してファミリーディナーの用意をしながらも、ずっとうなだれている次女。

「アップがあればダウンもあって、こういったことは勝ったり負けたり、そんな繰り返しよ。今年始めたばかりじゃない、まだまだこれから。どうしたらより良くなっていけるか、そこにフォーカスして歩き続けていこ」

そんな声をかける私。長男が横から、

「あのさ、僕がどれくらい負けてきたか知ってる? サッカーね、夏中一回も勝てないチームにいたこともあった。そんな夏が二回あったかな。ホッケーもそうだったな、冬中一回も勝てないチームだったなあ、あっ、一回だけ勝ったんだけどそれは人数足りなくて他チームから助けがきたときだけ。水泳もさ、初めの競技会のいくつかは見事にドベ。壁に張り出された紙の下の下に名前があんの。上には自分より年も小さな子がずら~と並んでてさ」

「ああ、そうだったねえ。あれほど負け続けると見事としかいいようがなかったよねえ。何だかこんなに負ける方が難しいんじゃないかと思えてきたんだよね。そうそう、水泳、皆が泳ぎ終わって次のレースの準備をしてる中、半分溺れてんじゃないかと思うようなバタフライでゴールなんてこともあったねえ。せめて皆がプールからいなくなる前にゴールできますようにって応援席から見てたもんねえ、ママ」

少し情けなくもなりながら、そんな話に。(笑)

耳を傾ける次女の肩の力が、少しずつ抜けていく。


たくさん負けきてよかったなあと、思います。

こうして負けた側の気持ちにも立てる、そしてたまに手にする勝ちのありがたさもひとしお。

勝ちも負けも、過程の一つとして、これからの糧にしていけたら、そう思っています。


ロボット!

セーフティーメガネ皆必須。

セットアップ。


試合の合間にも調整続け。


賞状片手に、やったね。



チームメート。


この日は写真日。


一緒にいっぱい走ったね。


応援の夏ももうすぐおしまい。

相手の心を射抜く言葉とは?

2013-07-21 03:11:09 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

子供時代受けた授業の中で、一つ一つの言葉が今でも心に残っているものがある。

同じ内容だとしても、心に残る場合と、右から左へさらりと流れ残らない場合がある、それはなぜだろう? 

食い入るように見つめる子供たちの目、この子達の心を射抜き、その心に深く刻まれる言葉とはどういったものなのだろう?

今、こうして子供たちを前にし、そんなことを考えたりする。

(以下、“How Do We Inspire Our Children?” By Y.Y.Jacobson, July 27 2009を参考に。)


それらの問いへのヒントに、ヘブライ語の"veshenantam levanecha"と"vlemadetem levanecha"がある。共に「教育」を意味する言葉。後者がより一般的に用いられる言葉であるけれど、ユダヤの聖典『トラ』では、教師に対して主要なプリンシプルを教えるための言葉として、前者が用いられている。

前者は、「力持ち(mighty man)が放つ鋭い矢のように」聞き手の心を射抜き、心と魂をもって腐敗することなく保たれ(preserve)、実行される(implement)教えを意味する。

後者は、耳のみに入り、すぐに捨てられるだろうコミュニケーションを意味する。

そして、前者と後者の違いとは、「その言葉が来る場所(the “location” where the words are coming)」に依ると言う。

もしその言葉が教師自身の心に存在するなら、それらの言葉は心から心へと進み、聞き手の心に届く。力持ちが弓を引き、より弓が自分の側にしなえばしなうほど、矢が遠く力強く飛んでいくように。

それでももし外に出されるものが、心の奥深くにせき止められた(stem)ものでないのなら、それは「口と口(mouth to mouth)」だけのコミュニケーションとなり、それらの言葉は聞き手の耳に進み、外側に留まり、実りを生み出すことがない。


アイスクリームが欲しいと叫ぶ子供達、母親が「だめ!」と言い、それでも一時間近く駄々をこね、泣きわめき、最後にほとほと疲れ果てた母親、アイスクリームを子供達の前に差し出す。

次の日同じ親子がスーパーで。「これが食べたい!」と子供が戸棚から食品を取り、母親に差し出す。パッケージを眺め、「これはコッシャー(ユダヤで食べて良いと決められている食べ物)じゃないからだめよ」と言う。すぐにあきらめる子供。

同じ子供が、なぜ? 

子供は感じ取ることができるため。

その言葉がその言葉を放った相手のどこから来ているのか。三週間前に「子供達にヘルシーな食事を!」教室で習ったものなのか、何代もかけ受け継がれ話し手の
心の底にその存在と関わるほど深く根ざしたものなのか、感じることができるため。



これは本当にその通りだなあと感じます。

どこかで聞きかじり、そのまま耳から耳へと伝えている言葉なのか、

自らの心の底に熟成し、心の奥深くから発する言葉なのか、

子供はすぐに察知できる。

冒頭にあるような、子供時代から今でも心に残っている授業や言葉というのは、やはり話し手の心の底に熟成されたもの。教科書をなぞって与えられたノルマをこなす
だけでなく、それらの知識がその先生の内面で練られ熟成され、パッションと共に力強く放たれたものが、子供達の心を射抜く。

記事には、ユダヤがいくつもの試練を越え何千年もの間生き残ってきたのも、この二つの「教育」の違いを区別し、ユダヤのプリンシプルを伝える師一人一人が、教え子に放つ言葉の力を意識してきたためとある。


自分が深くインスパイヤーされていないのならば、相手をインスパイヤーなどできやしない。

自分が深く抱き、反芻し、熟成させ、そんな言葉でないのならば、相手の心に残ることもない。

相手の心の奥深くに残り、実りをもたらす言葉を放っていけたら、

子供達と接する毎日、思い出していきたいです。

シュタイナー幼児教育について、まとめ

2013-07-21 03:10:03 | 子育てノート
ウォルドルフ(シュタイナー教育を実践する学校のこと)の教室に入ると、淡いピンクやオレンジの柔らかな色彩に包まれます。人形たちが揺りかごに眠り、キッチンにはどんぐりや貝殻が調理されるのを待っていて、バスケットからは大小の積み木が顔を出し、棚に並んだ王様やお姫様の冠の下には絹のケープが揺れています。台所からは野菜スープの匂いがし、エプロンをした先生がゆったりとした笑顔で迎えてくれます。ウォルドルフのプレスクールに見られるこれらの温かい家庭的な雰囲気は、家庭から学校という子供にとっての大きな移行が、より自然に円滑になされるようにと考えられてのことです。先生はめったに大きな声を出すことがなく、静かに歌うように話し、教室全体の子供達の様子を細やかに感じ取りながら、ゆっくりと動きます。

 モンテッソーリ式の学校から移った当時の長男は、ぎこちなく、「僕はここで何をしたらいいの?」と戸惑っている様子でしたが、次第にほぐれ、しばらくするとのびのびと遊びまわるようになりました。積み木を組み立て城を作り、冠をかぶってケープを首に巻き、人形をハイチェアーに座らせどんぐりのパスタを食べさせ、プレスクールの庭へ出れば枝や石で隠れ家を作りと、すっかり想像遊びに夢中でした。


・費用は高め
 北米のウォルドルフの学校は普通の学校より月謝が高めです。「育児の価値」を重視するため、先生やスタッフに支払われるお金もそれなりである必要があるということと、自然素材手作りの遊具や身の回りの品々、またオーガニックのスナックなどを用意するため教材費等が割高になるためだと言われています。元々はドイツの低賃金工場労働者のために開かれた学校だったウォルドルフですが、特に北米では正規の学費を払おうと思うのならば、裕福家庭でしか通わせることが無理なほどの料金設定となっているのが現状です。当時の我が家の家計では、週二日各三時間長男長女合わせて月五万円近くという額を捻出するのは難しいことでした。そこへ長男長女を受け持って下さったAさんが配慮して下さり、私が教室で後片付けや掃除などを手伝うという条件で、月謝をディスカウントして下さったのです。こうして我が家もウォルドルフへ通い続けることが可能となりました。
 三番目の子供を背負いながら、Aさんの教室で皿洗いをしたりと過ごす時間が好きでした。そしてAさんのクラスで過ごす時から、たくさんのことを学びました。ハーバード大学大学院で心理学を学び、心理学者としてセラピーにあたっていたという経歴を持つAさんは、問題を抱える大人に日々接するにつれ、問題の根は幼少期にあると、ご自身の娘さんがウォルドルフのプレスクールに入ると同時に、アシスタントとして働き始めました。「とてもやりがいのある仕事よ、知的面でも情緒面でも」、私にウォルドルフのトレーニングを受けて、アシスタントになってみないかと勧めた時、そうおっしゃっていました。


・独特の世界観に基づいた教育
 シュタイナー教育では、ルドルフ・シュタイナー氏の考えた「人智学」という立場から人間というものが捉えられます。人智学では、人の本性とは物質からなる「肉体」、生命の源である「エーテル体」、感覚感情を司る「アストラル体」、意識の座である「自我」の四つからなるとします。そしてそれら四つの本性に適切な時期に働きかけることで、人が本来あるべき健全な姿に育つといいます。
 そして人の発達は七年周期で訪れるとされます。零歳から七歳までは、まずはしっかりとした身体を作ることを中心に据えることで、その後強い意志をもった行動を取ることのできる人へと成長するとします。身体作りのためには、知的面の成長は避けるべきだとも言われます。七歳から十四歳までは芸術を通し感情面を発達させ、「世界は美しい」と感じさせる時期です。小学校一年生から楽器を習い、オイリュトミーという独自の「運動芸術」が取り入れられます。十四歳から二十一歳になり、抽象概念を操る力や思考面が発達するとされます。こうして、意志・感情・思考といった順で時間をかけ発達させることで、二十一歳を過ぎた頃に、健全な自我が完成すると言うのです。
 また四つの本性のバランスの偏りによって、人には四つの気質が在るとし、教師は子供一人一人の気質を見極め、対応する必要があるとします。例えば、自分の殻に閉じこもりがちな「憂鬱質」な子には深い愛情と共感を、おっとりぼんやりした「粘液質」の子には励ましやテンポの早い遊びなどを、活気に満ち陽気で気まぐれな「多血質」の子には一つのことをやり通す大切さを、意志が強く自己主張のはっきりとした「胆汁質」の子には忍耐と深い理解をもって接するといったようにです。
 シュタイナー自身が、「人智学を基礎とする教育方法は、本当に独特のものを基盤としています」と言うように、シュタイナー教育とは、シュタイナーの描いた特殊な世界観に基づいています。


・多くのことを学んだ学校生活
シュタイナー教育から学んだことはたくさんあります。その中から特にこれはというものを整理してみると次のようになります:

1.子供と共に今を楽しむ姿勢
「子供って完全に今にいる(present)でしょ」、白木の積み木で夢中になって遊ぶ子供達を前に、そうAさんが微笑んでいたのを思い出します。確かに子供というのは、過去や未来を思い悩むよりも、常に目の前の「今」に夢中です。対して大人と言ったら、常に過去を引きずり未来について気を揉み、今を楽しむということがほとんどないのかもしれない、そう気づかされました。

2.遊び心を思い出し日々の生活に生かすこと
ウォルドルフでは親だけが集まる会が何度かあります。そこではクラフト作りをしたり、詩を詠んだりリズムに合わせて歌ったり身体を動かしたり、日常の雑事から離れ「遊ぶ」ことで、「童心」を思い出します。
子育てに必要なのは、あれもこれも教えなければと凝り固まった姿勢ではなく、こんな「遊び」の心でもあるのだと気づかされました。子供は遊びの天才です。目の前に小枝や石ころがあれば、夢中になって長い時間過ごすことができるものです。大人になるにつれ忘れてしまったそんな心を、ウォルドルフは鮮やかに蘇らせてくれました。
 シュタイナー教育ではテレビを見せてはいけないとは、よく聞くことですが、遊びの楽しさを知れば知るほど、テレビを見ている時がもったいないと思えてくるものです。周りにはこんなにも遊びの要素が溢れているのに、テレビを見るということは、遊びを停止することでしかないのです。

3.子供は模倣を通して学ぶということ
シュタイナーの幼児教育で中心となるのが、「子供は模倣を通して成長する」という教えです。例えば木に囲まれた裏庭で、男の子が鋤をフェンスにがんがんと打ち付けて遊んでいるとします。Aさんは傍に行き、そっともう一つの鋤を手に取り、楽しそうに歌いながら落ち葉を掻き集め始めます。すると、いつしかその男の子もAさんの真似をして、落ち葉を掻くことに夢中になるのです。「だめ!」と口で諭すのではなく、鋤はこうして使うものなのよと、まずは身体で示すのです。お友達を叩いてしまった子には、まずはその子の手を両手で包み込んで温め、落ち着いたら人形を静かになでたり、どんぐりの入ったカップを差し出したりと、一緒に遊び始めます。「そんなことして!」と声を荒げるのではなく、先生がまずはモデルを示すことで、手は叩くものではないのだと身体に染み込ませていくのです。身体で示すことは、口で諭すよりも時間がかかるかもしれませんが、より深く子供の身につくのだと教室の様子を見続ける中で、実感したものです。
 また子供は大人の真似をして成長するという教えは、自分自身を見つめる習慣と、より少しでも未来の世界を担う子供たちのモデルであれる存在に近づけたら、という方向性を与えてくれました。子供に囲まれて暮らす日々、こんな私だけれど少しでもと背筋が伸びます。私がウォルドルフのプレスクールに子供たちを通わせたいと思うのも、周りの大人達が「自身がモデルである」と自覚しているというのが大きいです。教師達は毎朝輪になり、歌い祈り心を整えます。口先であれはいいこれはだめと説くのではなく、子供達のモデルであるために、周りの大人が内省し自身を磨き成長していくことを思い出させる仕組みが、ウォルドルフにはあります。

4.繰り返しのリズムを大切にすること
プレスクールでも日々のリズムが大切にされます。毎朝森を散歩し、季節の移り変わりを肌で感じた後は、サークルになって詩を唱え、自由に遊び始めます。遊びの合間に、月曜日は三色を使った滲み絵、火曜日はパン作り、水曜日は野菜スープ作りなど、曜日によって決まったアクティビティーがあります。そしてライヤーというハープを小さくしたような楽器が静かに奏でられ、片付けの時間です。部屋が整えられると、スナックを囲み感謝の言葉を捧げます。スナックの後には先生のストーリーテリング、最後にまた外遊びに出かけます。こうして日々一定の流れが繰り返えされます。日々の安定した繰り返しのリズムにより、子供達の気持ちは落ち着き、健やかな成長が促されるとされます。
 また季節のリズムへの丁寧で細やかな眼差しにも、多くを学びました。毎朝森を歩くことで、葉の色、頬をなでる空気の温もり、日差しの眩しさ、湖の水の冷たさの移り変わりに、はっとしたものです。教室に戻れば、テーブルや棚の上には、色鮮やかな花々、様々な形をした貝殻、松ぼっくりやカラフルな葉、雪の結晶のモチーフなどが飾られています。冬至や春分など、季節の節目には皆で食べ物を持ち寄り祝います。ウォルドルフで一年を過ごすことで、それまでなんとなく通り過ぎていた風景が、鮮やかに色を持ち始めたような気持ちがしたものです。一日一日が、より豊かに彩られていくように感じられました。

5.自然素材の手作りの玩具や用具を用い、量より質へ、物質的豊かさから内面的豊かさへ
 教室では、ベルトコンベアーに乗って大量生産されるプラスティックの玩具よりも、自然素材の手作りの玩具や用具が用いられる。一つ一つ心のこもった手作りの玩具に囲まれる時は、創造的な気持ちを湧き立たせてくれると同時に、次から次へと新しいものを与えては捨てといった態度ではなく、一つのものを長い間大切にするといった姿勢の貴さを教えてくれました。
 遊び時間には、先生は子供達と共に遊んだり、子供達の横で布巾を縫ったり、人形作りなどの縫い物や編み物をしたりしています。そんな家庭的な雰囲気の中で、子供達は遊びに夢中になっています。
 また子供たちの遊ぶ手作りの人形の顔には目鼻口が描かれておらず、それは子供が様々な表情を想像できるようにと考えられてのことです。そして教室には絵のついた本などは置かれておらず、ストーリーは全て口頭で語られます。それも子供たちの想像力をより膨らますためとされています。    
 長男の四歳の誕生日に、こんなことがありました。お友達をたくさん招いて誕生日会をしようと思うと言う私に、Aさんは「年齢プラス一くらいの人数に囲まれるくらいで丁度いいのよ」と静かに言ったのです。五人というと、家族の人数でいっぱいです。プレゼントに囲まれ、盛大に華やかにと描いていた誕生日会は、家族で手作りのプレゼントを囲み、歌い笑いといったこじんまりとそれでも温もり溢れる会へと変りました。ウォルドルフの教室で過ごす内に、もっともっとと外へ向かう姿勢は、より内面的な豊かさの溢れるイメージへと取って代わられていきました。


・ウォルドルフからホームスクールへ
それでも随分と悩んだ結果、小学校からは子供達を違う学校へ通わせることになりました。一つには、アラスカには中学までしかウォルドルフの学校がないということがありました。十二歳頃から知的面の発達の加速を始めるというその教育思想から、ウォルドルフで学んだ小学生というのは、周りの学校に比べ学力的に遅れています。中学からの加速によって、普通の高校生並みの、または追い抜くほどの学力になると聞きましたが、それも個人差があるようで、高校からいきなり普通の学校に入れるということで、果たして学力的についていけるのかという不安がありました。またメソッドも雰囲気も全く違う公立の学校に、高校から入るということで、適応できるのかという不安もありました。

もう一つには、シュタイナー教育における知的面への働きかけの、時期とやり方についての疑問がありました。三才頃に「なに?なぜ?」と溢れ始める知的好奇心を、空想上の物語などでのみ説明することの難しさを感じるようになっていったのです。

例えば、朝窓を開け霜が降りている芝生を前に、「あたり一面真っ白!これなあに?」と叫ぶ子供に、「ジャッキーフロストという妖精があなたの寝ている間に真っ白に塗り替えたのよ」と答える。それは想像力を掻き立て詩的で素敵な答えです。それでもそういった答えでは納得しない子供もいるのだと、家の子供達を見ていても周りの子供達を見ていても思います。何か「嘘ぽい」と見抜いてしまうのです。「これは霜といってね、日が沈み夜の間に気温が下がることで空気中の水分が草花の表面に触れたとたん氷となったのよ。触ってみて、冷たいでしょ?」そう説明したほうが目を輝かせて喜ぶ子もいます。そして御伽噺での説明に、大人が嘘をついていると感じような子供達は、御伽噺的な対応が続くと、次第にその大人達から心が離れていってしまうのです。

これほど情報が溢れ、小さな頃からメディアに触れ続ける現代の子供達、空想上の御伽噺を今さら信じるということは難しいのかもしれない、そう思ったものです。それでもウォルドルフには、そういった御伽噺を信じる子供こそが「子供らしい」、子供を「子供らしく」あらせようという強い方向性がありました。知り合いのウォルドルフに通う息子さんは、二年生になっても「ピアノの練習をするとドラゴンが飴玉をくれるんだよ!」と信じています。ピアノの練習をした後に、ママが壁に隠れドラゴンのパペットを手にそっと飴玉を差し出し続けているのです。目のキラキラとしたとても魅力的な男の子です。私自身、こういった御伽噺の世界が大好きです。そして五人の子供達の中にも目を輝かせ喜ぶとても「子供らしい」子もいます。ただ、全ての子にしっくりとくるわけではないのだなと思い知りました。そんな「子供らしさ」からはずれてしまうような子にとっては、ウォルドルフの環境とは、大人達が理想とする「子供像」を基に、皆で「子供ごっこ」をしているようにも見えるかもしれません。

アインシュタインの「想像力溢れる人物に育てたいのなら、子供時代にもっと御伽噺を!」という言葉は、ウォルドルフの宣伝によく用いられるものです。子供時代想像上の物語の中に住まうことで、大人になってからも想像力そして創造力溢れる人に育つ、そしてそういった内に物語を秘めた人々こそが、次の世界を作っていくのだとするウォルドルフ。「七歳までは夢の中」、そして十四歳までは「世界は美しい」と感じられるようにと、ウォルドルフの子供達は、空想上の美しい夢の中に住み続けます。内にしっかりと桃源郷を築いた子供は、どんな環境におかれたとしても力強く歩いていくことができるという考えに同意しつつも、問題の溢れる厳しい現実世界と、ウォルドルフでの天国のような美しい世界とのギャップに、戸惑う自分がいました。いつまでどの程度子供達を、この厳しい世の中から守り続けていくのかという葛藤もありました。

それでも五人の子供達を、ウォルドルフのプレスクールで学ばせ続けたのは、ひとえに、それらの疑問点や葛藤以上に、素晴らしいと感じる要素に溢れていたためです。ウォルドルフで学んだ多くのことを大切に胸に抱き、生かし続けていきたい、そう思っています。

モンテッソ-リ幼児教育について、まとめ

2013-07-21 03:09:16 | 子育てノート
長男が三歳になり初めて通ったプレスクールが、モンテッソーリ式の学校でした。忠実にモンテッソーリ方式に基づいた教育を行っているアンカレッジに数少ない学校の一つ、そう評判の人気のある学校でした。教室に入ると、モンテッソーリ式教具が整然と並べられ、子供達は静かにそれぞれの「ワーク」に取り組んでいます。長男も初めは家庭環境と全く違う施設的な雰囲気にとまどっていましたが、次第に慣れたようでした。

子供達は、前に立ち講義する先生を見つめながら、一斉に同じことを教えられるという伝統的な方法で学ぶのではなく、自身の興味に応じ、教室の至るところに置かれた教具を選び、各自で取り組むことで学習していきます。アルファベットの読み書き、形の学習、カレンダーを作って数や曜日を学ぶといった、全く違った「ワーク」が、教室中のあちらこちらで同時進行になされるのです。子供が新しい「ワーク」に興味を示すたびに、その教具の用い方が教えられます。三歳から五歳までを一緒
にするモンテッソリー式のクラスでは、先生だけでなく、年上の子が下の子達に教具の用い方を教える役割も担っています。

モンテッソーリ教育では、子供の興味好奇心、個性を大切にし、自発的に自由に取り組みをさせ、「自分でできる!」という体験を通し、自立心を育てることを目指しています。また子供が特定のことに興味を持つのは、その特定のことに対する「敏感期」のサインであり、その時期をうまく捉えサポートし伸ばしていくことが、教育の鍵だとされます。先生は黒子に徹し、その子の興味や学び具合を観察しつつ、子供が子供自身の可能性を伸ばしていけるよう、環境を整えるなど影でサポートします。

長男の先生は、「成功したモンテッソーリ式のクラスというのは、生徒一人一人が自分のワークに夢中となり、先生などそこにいないというような状態なんですよ」とおっしゃっていました。独自の教具は、紙に書かれたプリント問題といったものではなく、一つ一つが五感や身体感覚を通して学ぶことを大切に考えられ、制作されています。自立心や知的面の発達を促すのには、素晴らしい環境でした。


・「遊ぶ」ということにとまどった三歳の長男
ただ三歳の長男にとっては、これほどシステマティックな環境は、まだ早すぎたかなと感じています。囲まれた教具に次から次へと興味を持ち、教室にいる三時間近く、確かに一心に集中してワークを続けます。良質の教具を自分の意志で選び、一つ一つこれはこう使うのですと教えられ、一つまた一つとマスターしていき、自分のペースで学習を進めていくのですが、それでもこうした枠組みの中で、週五日間繰り返しのワークを続けることは、長男の場合はもう少し待ってからでよかったのだと思っています。

教室から出て、小川に遊びに行った時の長男の言葉に、はっとさせられことがあります。「僕はここでどんなワークをすればいいの?」大自然を前に、どう遊んだらいいのかと途方にくれる三歳児がいました。

元々モンテッソーリ氏は、二十四歳まで続くカリキュラムとして、モンテッソーリ教育法を組み立てたと言われます。日本では、幼児教育として取り入れられることの多いモンテッソーリ教育ですが、欧米ではむしろ小学校に上がってから用いる学校も多いのです。モンテッソーリ教育法は世界的に広く受け入れられ、その教育法を実践する学校は現在世界中に二万近くあるといいます。またモンテッソーリ式の学校を卒業し、創造的な仕事をし活躍する人々は、世界中に多くいます。インターネットで活躍するグーグル、ウキペディア、アマゾンの創設者などもその中の人々です。

ですから幼い時期の一年間だけでなく、より長い間モンテッソーリ式の学校に通うことで、設定のない環境では何をしたらいいのかと戸惑うのではなく、教室で「ワーク」を繰り返すことで身につける原理を、目の前の小川や様々な環境でも、創造的に生かすことができるようになっていたということもあるでしょう。三歳という幼い時期の一年間の体験だけでは、この教育法の成果を語ることなどできませんが、ここでは、その限られた体験であることを踏まえつつ、モンテッソーリ教育について、感じたことをまとめてみます。


・マリア・モンテッソーリ氏が導き出した方法
医師であり教育者であるマリア・モンテッソーリ氏は、貧困家庭の心的障害を持つ子供達を対象とした研究を始まりとして、やがて一般的な子供達も視野に入れた研究を、その生涯を通して続けました。氏は、整えられた環境という「秩序」を契機として、「ワーク」に没頭する「集中現象」を起こすことで、子供達は「正常(精神の受肉化)」に至り、心身が健全に育つと考えます。

「私たち現代の人類はひどい混乱の中で暮らしています。そこで私たちは、子どもには安定、秩序、調和、愛について語り、教育しなければなりません。子どもは、本来的に秩序を愛する資質を持っているのです」という氏の言葉は、心に響きます。氏は、子供が本来持っているはずの「秩序」を回復することこそが、将来の世界の平和に繋がるのだと言います。

 そして「雑然とした破壊的でとりとめもない雑念や妄想」「外からの画一的なイメージの注入」などの秩序を乱す要素を取り去るため、「人形遊びやごっこ遊びや童話」を否定します。「子どもは遊びを本質とせず、むしろワークを欲している」と言うのです。長男を受け持つ先生に、「動物が洋服を着て話しをしたりといった、実際にあり得ないような絵本は避けてください」と言われたことがあります。モンテッソーリ氏が導き出した方法を理解するならば、この先生の言葉も納得がいくものです。そして、整然と用意された環境ではない大自然の中で、大小長短様々な石や小枝、ぬるぬるとした泥や澄んだ水という「遊び道具」が溢れているにも関わらず、どうして遊んだらいいのかととまどった長男の反応も、また納得がいくのです。


・想像的な遊びと「子供本来が持つ秩序」
モンテッソーリ氏の考える、「人類は混乱していて秩序を戻す必要がある、子供本来が持つ秩序を回復させ、混乱した大人が邪魔をするべきでない」という立場には、とても共感します。整えられた秩序の中で、良質の教具を用い集中することが、子供の本来の秩序を育てるというモンテッソーリ氏の見出した手法は、混乱した情報の溢れる現代の子供達を取り巻く環境において、ますます必要とされるものであるだろうとも思います。

それでも私自身は、子供達が目を輝かせて童話を聞き、人形を抱きながらそっとララバイを歌い、あらゆる存在になり切ってごっこ遊びをすることは、子供の成長にとって大いにポジティブな影響を与え得ると感じています。むしろそんな想像的な遊びにこそ、未来の世界への可能性が秘められているのではないかと思うのです。確かに想像遊びには、良質なものと破壊的で秩序を乱すものがあるでしょう。それでも一切を排他してしまうことは、子供の可能性を狭めることにもなりはしないか、また想像で「破壊」を体験することで、欲望が昇華されるといった、人の心理の複雑な面もあり得るようにも思うのです。

モンテッソーリ氏は晩年、「祝祭や象徴的伝達に、精神の創造性の意義を認めるようになっていった」という研究もあるようです。ひょっとしたら、モンテッソーリ氏は、その膨大な研究の積み重ねの上に、ごっこ遊びや物語などの子供の想像性(「象徴的伝達」)にをも、「本来の秩序」の可能性を見出すような教育の形を、築くことになっていたのかもしれません。もう少し長生きして研究を続けていただきたかったと勝手なことを思いながらも、モンテッソーリ氏の提起した「子供が本来持つ秩序を育てる」ということを心に留め、子供達に向き合っていきたいと思っています。


・モンテッソーリとウォルドルフ
 整えられた環境での「ワーク」への集中、そしてごっこ遊びや良質なストーリー・テリング、そんなモンテッソーリとウォルドルフがバランスよく取り込まれた教育の形があればなあ、そんなことを思ったものです。結局、長男は一年間お世話になった学校を後に、翌年からウォルドルフ・プレスクールに通い始めました。そしてその後、下の三子ともウォルドルフのプレスクールに通うことになります。

どんな方法が合っているかどうかは、家庭環境やその子の性質に拠ります。家の中で一人でいる機会の多い長男には、独自にワークに集中し続けるモンテッソリー式よりも、自由にお友達と遊ぶ時間を大切にするウォルドルフスクールの方が必要だったのだと思っています。またごっこ遊びや物語の住人になることが大好きな娘たちにも、ウォルドルフスクールが合っていたように思います。それでも普段上の子たちに囲まれ、姉たちのごっこ遊びに浸り、一人の時間ができるとここぞとばかり目を輝かせ積み木やブロックで何かを作ることに夢中になっている五番目の子には、集中してワークのできる環境を整えてやることの方が必要なのかもしれない、そう思いもします。

ワークを通して秩序を取り戻し能力を引き伸ばしていこうとするモンテソーリ、自由な遊びやストーリテリングを通し想像性を育もうとするウォルドルフ。学校を選ぶ上で、家庭では提供できないと思われる環境や方法を選択するというのも、一つの手です。家庭とのバランスを取りつつ、その子に合った方法を選んでいきたいです。

三女のピアノ、いい機会です

2013-07-20 23:59:02 | 子育てノート
六歳三女のピアノ、最初の壁にぶつかる。

これまでは指番号の書かれた楽譜をなぞっていくだけと簡単だったので、二・三回練習してすぐに弾けるようになり、先生にも「とても上手にできました!」と褒めていただいていたのが、最近、楽譜もABCとなり、強弱表現フォルテ・ピアノに加え、一つ一つの音をつなげて弾くようにとレガートも求められ、五回・六回弾いてもうまくできず、何とかできるようになったと先生の前で弾いても、「う~ん、まあ完璧でないけどそれに近いかな」とパスさせてもらうことも出てくる。

ピアノレッスンが終わったある夜、ピアノの前で顔を覆いうつむく三女。自分はなんてできないんだろう、と落ち込んでいるよう。おいおいと泣き始める三女を腕に抱えつつ、

「あのね、まだピアノ始めて一ヶ月、それで私はピアノがうまく弾ける弾けないもないのよ。五回弾いてだめなら十回、十回弾いてだめなら二十回弾けばいいの。できないから練習してるのよ。初めからさらっとできることなんてないのよ」

横から長女。

「私なんて一曲しっかり弾けるようになるまで一週間はかかるよ。○○ちゃんなんてね(州でトップのお友達)、まだまだ○○(三女の名前)と同じくらいの年のとき、同じ曲何ヶ月もパスできなかったことがあるって言ってたよ。」

三女しゃくりあげながら、口を結んで聞いている。


二時間ほどして寝る前、「ピアノの練習しよ!」と私の手をひっぱりピアノの前へ。

もう一度、もう一度、もう一度、もう一度と何度も試し、ようやく弾けなかった曲が弾けるように!

ピアノレッスンから戻って始めての笑顔。


三女は、さらっとできてしまえないならば、それ以上やってみようと思わず、できないからおしまい、といったような傾向があったのですが、ピアノ・レッスン、とてもいい機会になっているようです。

粘り強くこつこつと向き合っていくこと、学び中です。


キャンプ生活その一、漕いで泳いで潜って

2013-07-17 04:12:06 | 風景・散歩・旅
おかげさまで、無事アンカレッジに戻りました!

自宅から一時間ほどいったところでのキャンプ生活。

出発前の何日か肌寒い日が続いていたので、湖畔でのテント暮らし、朝夜など冬着も必要かと覚悟していたのですが、夏が戻った!ような天気に恵まれ、じゃぶじゃぶと水遊び満喫の毎日でした。

帰宅翌日から五人を乗せあちらこちらへと走り回りつつ、合間に旅の後片付け。

旅から日常へ、一気に加速中です!

こちら火曜日朝、週も半ばにさしかかりつつありますが、Have a wonderful rest of the week!


到着!


トレーラーから早速カヤック降ろして、

いってらっしゃ~い!


水、思ったよりあったかいね!

小さな魚もいっぱい泳いでる!

はいっちゃへ~、

この湖(Kepler Lake)、浅瀬が続いて小さな子の遊び場としても最高です。

へへへ、


友人も息子君二人連れて到着。

ヒルも見かけたので最初は恐る恐るだった子供たち、「くっついたら塩やヘアピンで取ればいいよね」といつしかへっちゃらに。

着替えてあったまって、また着替えて水の中へを何度も何度も。

こいで、


泳いで(左中央の頭三つ)、


潜って。


朝食べ、


夜食べ、


パジャマでスモア(グラハムクラッカーにチョコとマシュマロはさんで焚き火で焼いたもの)いただきます。

幼なじみ仲良し九歳。

寝る前のひととき、子供全員集合。


日が暮れて。


目が覚めれば鳥のさえずりとともに湖上へ、眠る前には夕焼けに包まれ一漕ぎ、「また来ようね」そう子供たち何度も繰り返すキャンプとなりました。

キャンプ生活その二、貝とり魚とり

2013-07-17 04:11:02 | 風景・散歩・旅
澄んだ湖、小さな魚が岸の近くにも泳いでいる、底には貝もごろごろ! 子供たち、貝とり魚とりに夢中でした。

みてみて!

晩御飯!と思いきや、この土地に詳しい方に聞くと、食べない方がいいかもねえと。それでもとるのは楽しくて。

こんな船団で、漁へ。


橋くぐって、ぶらさがって。


あちらこちらに散らばって、


一緒になって。


ちびっ子も一生懸命、


兄も一生懸命。


さ、寒くなったら日向であったまってね。


とったよお!


すっかり海女海男ならぬ湖女湖男。


シュノーケル初体験長男、こんな世界があったのかと感動。

いつか南の島へ行って潜りたいなあと。帰宅してから早速、自分の属する救援活動NPOの「潜水レスキュー訓練」なるものの資料取り寄せてました。(笑)

こんなガラス瓶から始まった水槽も、


こんな器へ、


そして最後はこんな水槽!

寝る前にその日の収穫を湖へと返し、翌朝から再び嬉々として出かける子供たち。

朝から晩までそれはそれは忙しそうでした。