靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、さあ夏休み!三ヶ月!

2013-05-26 06:26:24 | 今週の整理
1.三ヶ月間の夏休み始まる! 週の始まりには雪でしたが、週の終わり、夏休み初日から20度を越えた! 初日の昨日は、朝から庭で過ごす子供たち。ホースで水(お湯)掛け合って。夜寝る前には皆日焼け。太陽いっぱい浴びて、ああこの光、この熱、夏

2.初日は、上の子たちと大掃除も。学校から持ち帰ったもの整理して、家中掃除機かけて、落ち葉かきに、窓拭きに、バルコニーにも掃除機かけて。家中の窓を開け放ち、冬の間、確固と聳え立っていた外と内の境が、一気に取り払われた感。ちびっ子たちは庭を飛び回って。

3.夏休み家事分担チャートの確認し合い。食事準備片付け掃除。稲荷ずし60個(米7合!)作っても一気に消えるような毎日、皆で作って皆で片付け、でないとまわっていきません。毎日学校給食作ってるイメージ。カップは一日一個ルールも話し合って。喉かわいた~と飲み続け、気がついたら流し台はカップの山なんてこともしょっちゅう。飲んだら洗う、出したらしまう、落としたら拾う、使ったら片付ける、一人一人が心がけようと再確認。

4.アルカリ水9.5pHが先週くらいから手軽に近所のスーパーで手に入るように。どんなものかと飲み始め。1.5リットルで1.99ドルと値段も悪くな~い。と思っていたら、近所の知り合いが1ガロン3ドルで売りに出すと昨日電話をくれる。何だか一気に手が届くように。アラスカでも需要が伸びているということなんでしょうか。

5.夏休み。子供たち、毎日もみくちゃになりながら、夏の終わりには皆また一回り大きくなっているかな。私もまた、めいっぱい鍛えられるでしょう。(笑) 感謝を込めて。 
 

今日も夏日! 三連休で水泳もNPOも休み。これから長男を誕生日会スリープオーバーに降ろし、たらの芽の様子見にトレールへ、夜は友人宅でバーベキュー、明日は長男を迎えに行ったその足で、一泊今年初キャンプの予定!

皆様の一週間が素晴らしいものとなりますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

長女ダンスショー。

左端前方。

この日を楽しみに。


小さな子のクラスほんとに可愛くて、上級クラスになると、なかなか本格的で。


観客の数にびっくり。



散歩。


湖、大分解けたね。



学校最終日前日、半日で終わった三女と次男を連れプールに。


へへへ。



昨日は大掃除!バルコニー担当長男。


ちびっ子は水着で跳ね回る。


夜はパン作り。

チョコ入り!

子育てノート、感謝の気持ちを養う その二

2013-05-26 06:25:06 | 子育てノート
「感謝する」習慣づけのための方法例・ヒント:

日々感謝する時間を持つ

 一つ一つの物事に立ち止まり、感謝を心がけると共に、「感謝する時間」を、日課として毎日の生活に組み入れます。「今は感謝の気持ちを思い出してみる時」というのを、日々の生活の中に設定しておくのです。そうすることで、普段ついつい忙しかったり忘れたりで感謝を忘れていたとしても、少しでも集中して日々思い出すことができます。
 
 朝起きたとき、胸に手を当て、心臓が規則正しいリズムで血液を送り出し、何十兆もの細胞が働き、自分がこうして生きていられる不思議を思い感謝します。

 夜寝る前に、その日あったことを話しながら、周りの人々に助けられたこと、うまくいったこと、失敗から学べることに感謝します。我が家では毎晩一人一人が順番に、その日あったことやそれまでにあった嬉しかったことなどを話し、感謝の言葉を言い合うということを八年近く続けています。一日の終わりに、ベッドに横たわり、リラックスした雰囲気で一人一人話していくのです。長男は、その日あったことや嬉しかったことの他に、二年前の崖から落ち手首を複雑骨折し治ったこと、それまでお世話になった様々な課外活動のチームメートやコーチの名前を挙げ、感謝しています。自然が大好きな長女は、その日あった嬉しかったことの他に、太陽や緑や雪に対して、次女は「全てのことに全ての人に!」と、三女は先に眠ってしまうこともあるのですが、六歳児なりにその日楽しかったことについて感謝します。次男も二歳半頃から参加するようになりました。家族一人一人の名前を挙げ、「僕の誕生日と皆の誕生日にありがとう」と言います。夜の感謝の時間を続ける内に、子供達も眠る前のこの時間がないとしっくりこないと感じるようです。どんなに忙しくバタバタと眠る時間になっても、子供達の方から感謝の言葉を言い合おうと働きかけてきます。

 また週に一度、一人一人の家族の名前を書いた紙を回し、手に取った紙に書かれた家族のメンバーについて、感謝の言葉を言い合うということも続けています。「お兄ちゃん、いつも遊んでくれてありがとう。この前はトーマスのトレインセットを組み立ててくれて嬉しかった」「お父さん、いつも朝から晩まで働いてくれてありがとう。今日はそりに連れて行ってくれて楽しかった。それにチェスの相手もしてくれてありがとう」「○○(妹の名前)、いつも笑わせてくれて、それに僕の冗談にもケタケタとよく笑ってくれて嬉しい」そんな言葉を、週に一度、夕食の時間に交わします。感謝の言葉を言い、そして言われ、お互いに笑顔が広がります。

 感謝リストを作るのもいいです。毎日十感謝したいことを書き出してみたり、気分が落ち込んでいるときなど、真っ白な紙を前に感謝することを百書き出してみるというのもいいです。楽しい夢をみた、玄関先の花がきれいだった、真っ青な空に樹氷がまぶしかった、カフェのウェイトレスの笑顔が素敵だった、何でも書き出してみるのです。書き続けるうちに周りの景色が違って見えてきます。感謝リストを続けることで、劇的に人生観が変わったという知り合いもいます。
また食事の前と後に「いただきます」「ごちそうさま」と感謝します。「いただきます!」と始める前に、少し食事を別の器によそい、仏壇なり神棚なりに供える、そんな風習が昔は日本にもあったものです。ユダヤの聖典などにも、様々な祝い事に用いられる「ハラ」というパンを、生地の段階でどれほどの量食べないよう分けておくかといった決まりが細かく記載されていると言います。

 自分で作って、全部自分で食べる、自分で稼いだのだから、全部自分のもの。そうではなく、様々な人々(祖先や周りの人々や)の助けや、様々な条件の重なり(今こうしていられない可能性はいくらだってあるもの)、そうした自分をはるかに超えた存在によって、こうしていただけるのだということを、食事のたびに思い出すようにします。家には仏壇も神棚もありませんが、食事の度に思い出し、「いただきます」「ごちそうさま」に心を込めていきたいと思っています。

 年中行事を祝うのもいいです。勤労感謝の日、老人の日、母の日、父の日、誕生日。子供というのは特別なイベントが大好きなもの。カレンダーを眺めながら一つ一つの行事を指折り楽しみにしています。こういった行事も、普段忘れがちな感謝の気持ちを思い出し、皆で共に感謝を表す絶好の機会です。


感謝を形にする

何かしてもらったら「ありがとう」と伝えるようにします。お絵かきや文章にして気持ちを伝えるのもいいでしょう。もらうばかりでなくあげる体験もさせます。その人がしてくれたことをカードに書き出し話し合い、その人を思い、心を込めてクラフトを作ったり、プレゼントを一緒に買いに行き、工夫してきれいに包装してみたりすることもできます。

子供は、他人に何かをしてあげるのが大好きです。周りの人々に何かができるという喜びを、たくさん体験させます。

普段お世話になっている周りの人を見回し、先生だから教えてくれて当然、事務員だから事務して当然、掃除する人だから掃除して当然、ではなく、時に手紙やプレゼントなどを渡すことで、「当然ではない」という視点を形で表していくようにします。


時間を大切にする

 だらだらと一日中テレビを見せたりと、時間を無駄にしないようにします。「時間潰し」というような言葉もなるべく使わないようにします。限られた一時一時を大切に感謝するという感覚を、養っていきます。


物を与えすぎない

 新しい製品が出たからと、次から次へとものを買い与えないことです。なるべく長い間かけて大切に使えるものを手に入れるようにします。玩具なども、想像力を用いていろいろな遊びができるシンプルな人形やぬいぐるみや、自分で組み立て分解してまた組み立ててと遊べるようなものが、長い間使うことができます。

 また、持っている物を直したり工夫したりと大切にする姿勢を教えていきます。壊したり捨てたりするよりも、作る大変さや楽しさを教えるようにします。すぐに欲しいものを手に入れるよりも、持っているもので何とかできないかと吟味することで、より工夫する力もつきます。すぐに手に入れるよりも、普段はあるものを工夫して使うという姿勢の方が、欲しいものが手に入ったときの嬉しさや有難さも一塩です。


想像力を用いる

今の状況が苦しい場合は、より大変な状況に、想像なりで自分を放り込んでみるのも手です。そうすることで今がどんなに恵まれている状況なのか気がつくことがあります。

家ではこんなユダヤの寓話が描かれた絵本“It Could Always Be Worse” by Margot Zemachを読むことで、この今がどんなに恵まれているかを思い出すというコンセプトを、子供達も理解するようになりました。
 

 ある村に祖母と夫婦と子供六人家族が暮らしていました。貧しく小さな小屋にギューギューづめ。毎日子供達は喧嘩し、もうやってはいられないと、男は村のラビに相談しに出かけます。

男:もう頭がおかしくなりそうです。どうしたらいいんでしょうか。
ラビ:あなたの家には鶏がいるかい?
男:ええ。にわとりも、あひるも、ギースも。
ラビ:それはいい。じゃあその鳥たちを家に入れ一緒に暮らしなさい。

男は家に戻り言われた通りに。子供たちの喧嘩に加え、とりたちがばたばたと跳ね回り、鳴き叫び、スープには鳥の羽が浮かび。これはたまらないとまたラビのところへ。

男:もう悪夢のようです。これじゃああまりにもひどすぎます。
ラビ:あなたの家にはヤギがいるかね?
男:はい年老いて何の価値もないヤギがいますが。
ラビ:それはいい。そのヤギを家に入れ、一緒に暮らしなさい。

男は家に帰り言われた通りに。ヤギは走り回り、子供だけでなく鳥達までも喧嘩をはじめ、ほこりまみれで、食事もろくにとれず。男はまたラビのところへ。

男:もうだめです。なぜこんなひどいことに。
ラビ:あなたの家にウシはるかね?
男:はあ。

家に帰りラビに言われたとおりウシを家に入れ。子供も動物もずっと喧嘩、叫び声に鳴き声に、羽やら毛やら飛び散り、もう眠る場所も食べる場所もなく。

男:ラビ~、どうか助けてください。

そこでとうとうラビは、動物を全部家から出してごらんと提案。それから祖母と夫婦と六人の子供、快適にゆったりと暮らすことになったとさ。




大変な状況にある人々に何ができるか

 今でも明日の食べ物さえままならない状況に暮らす人々というのは、世界中にたくさんいます。食べ物に困ることなく物質的に恵まれた環境で暮らせるのは、世界ではほんの一握りの人々です。

 世界中の人々の暮らしに触れさせます。旅に出かける機会はそうそうないとしても、今はネットを繋げば、様々な地域の情報を瞬時に手に入れることができます。自分たちには関係のない遠くに住む人々のことだからということではなく、同じ地球に暮らす人として、より恵まれた状況にある自分たちが、大変な状況にある人々に何をしていけるのか、そんな話し合いの機会を持ってみます。

 今の状況が恵まれているという自覚、そしてその感謝の気持ちを、周りへ還元していくことを教えていきます。


周りの大人がモデル

 大人が体現することに勝る教授方法はありません。子供は周りの大人の真似をして大きくなります。まずは周りの大人が、日常生活の中で、感謝の気持ちを持つよう心がけたいです。日々の生活で、周りの人々に、物事に、感謝している姿勢を示していきます。

 子供がしてくれたことに対して、「ありがとう」と伝えるのも大切です。子供が家事を手伝ってくれたのなら、当番として決まっていることだから当然といった態度ではなく「ありがとう、助かっちゃったわ」などの言葉をかけます。

 また普段問題を起こさずいい子にしていることにも、感謝の気持ちを示してやります。子供と接していると、教えていかなくてはという思いから、ついつい悪いことやできないことを咎めるだけに時とエネルギーを費やし、普段いい子にしていたり、できていることは、「当たり前」として通り過ぎてしまいがちです。

「静かに遊んでいてくれてありがとう、おかげで仕事がはかどっちゃった」
「出かける準備してくれてありがとうね、おかげでゆったりと出かけられるね」
 
できていることにも立ち止まり、そんな言葉をかけてやります。いい時をほめ、感謝していくことは、子供を伸ばしていく上で大切なこと。


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思い出してみる
何兆もの細胞が働き 心臓が規則正しく動き こうして生きている奇跡を
太陽の光 水 空気 あらゆる命を生かす地球という環境が 可能となっている奇跡を
他の命をいただくことで 自分の命が成り立っている事実を
手に取るもの一つとして 自分一人で作りあげたものはない
この命を含めて 自分だけのものなど 何一つない



夏休み、覚えておきたいこと整理

2013-05-26 06:23:31 | 子育てノート
三ヶ月の夏休み、五人と一日中ノンストップで顔を合わせての暮らし。何度も思い出し覚えておきたいこと整理メモ。

・何かを教えていくという機会も増えるわけですが、「できるようになる方法やペースはそれぞれ違う」ということ。

「もおおおお、何度いったら分かるの!何でできないわけ!」とついつい叫んでしまわないよう。叱られたって、できないものはできないわけで、叱られたからといって、できるようになるわけでもなく。

 五人の子を見ていてつくづく思うのは、何をするにしても、同じことができるようになる方法やペースは、本当に様々だということ。初めての場へも一人で喜んで出かける子もいれば、お友達など誰かよく知る人と一緒に出かけることで徐々に慣れていく子も。文字や数字を覚えることも、日常生活で出会う看板や標識から覚えた子もいれば、きちんと順番に並んだ表に何度も目を通して覚えたり、実際に文字をなぞって何度も書くことで覚えた子も。家で練習することなくいつの間にか九九を覚えた子もいれば、学校の勉強だけではなかなか覚えられず、メロディーに合わせて歌うことで頭に入ったり、夏休み中かけて何度も何度も書き出すことで覚えた子も。小さな頃から少し難しい単語の並んだ本にもチャレンジして、どんどん文章が読めるようになった子もいれば、分からない単語に出会わないようなレベルの本を何度も何度も読み、少しずつより難しい本へと移行していった子も。百科事典のような事実の説明が詰まった本を好み、それらを通して科学的な理解や考え方を学ぶ子もいれば、物語が大好きで世界中の民話などの読み聞かせを通して考えるということを学んでいく子も。

ウサギの子にも、亀の子にも、自分のペースで歩き続けると励ましていく。できるようになるまでの道筋も時間も全く違いますが、どんな方法やペースであろうと、大切なのは、その子自身の「できた!」という喜びを何度も何度も体験させていくこと。


・兄弟姉妹間で比べるようなことを口にしない。

あの子はこれが得意だけれど、この子は苦手。クロールや背泳ぎや、暗算の速さや、かけっこなどで、上の子が下の子に抜かされてしまうこともあるもの。めげてしまい、やる気を失い、そんな時も、子供達のモーティベーションを整理。「○○より良くなるため、ではなく、昨日の自分より良くなっているかが大切」と、思い出させる。普段からも、周りとでなく、昨日の自分と比べるのだと言い続けておくこと。

その子のペースでこつこつと歩かせていく。

歩き始めた地点からは思いもよらなかった遠くにたどりついたことに、いつかきっと気がつく時がくる、そう励まして。


・対応を切り替える

十三歳児に向かう勢いと厳しさで、三歳児に向かわない。

ちょっとした言い方で、が~んと響く子もいれば、がんがんと叩くように言って、あ、そっか、となる子も。

あれやこれやとすぐに響いてしゃがみこんでしまう子には、安心できる時を十分持ちつつ、ところどころでちょっときつかったり、そっけなかったりする対応も取り入れてみる。こんなこと何でもないのよと慣らしていく。無理させ過ぎないようその子の様子をみて少しずつ。

普段きつい言い方になりがちな子には、柔らかくソフトな対応で通じ合う時を持つよう。常に何かに取り組み続けようとする手を休ませ、リラックスしてゆったり目を見合って話す時を。

また、この子はこういう子だということにも囚われず、その子のその時その場の様子を見ながら、対応を切り替えて。


内に火をともすイメージで。ぱっと火をともすだけ。後は自分で燃え続けさせる。釣ってやるより釣りの仕方を教える。いずれ自分で食料を確保できるよう。


毎日一日中顔をつき合わせていられるのも、限られたとき。夏を、太陽を、共に楽しむ!


内面の平安?

2013-05-26 06:22:10 | 思うに
ユダヤのターニャという世界観に、人には動物的魂と神的魂があるというのがある。動物的魂は、五感に快い物質的な欲求をもっともっとと求めるのに対し、神的魂は、内面的な成長を望み、常により良くあろうと志向する。

動物的魂と神的魂の葛藤、そのせめぎあいが心を乱す。

ジョギングをして体も心も軽くしようとする自分と、布団に潜ってずっと寝てた~い、寒いから嫌だ~、めんどくさ~いという自分、腹八分目にしようと思う自分と、もっともっと食べた~い、もっと飲みた~いという自分。

鍵は、動物的魂をトレーニングしていくこと。「育てる」という視点。といって、無理やり一気に鋳型に押し込み抑え込んでも、そうすることで子供が歪み荒れてしまうように、一時大人しくなったかに見えて反動で爆発することも。一気にでなく、少しずつこつこつと積み重ねていく。小さな子が一日で成人することなく、何日も何年もかけ育てられていくように。

動物魂は、この世をこの肉体を持って生きるための、活発なエネルギーの源となるもの。潰してしまうのではなく、調和してエネルギーを生かし合う。

動物魂をトレーニングするのにいいと感じるのが:

・続け、習慣にすること。

ジョギングも、初めの一週間一ヶ月は動物魂からの反発も大変なものだけれど、三ヶ月もすれば、しない方が何だか心地悪くて動物魂の方からジョギング行こうよ~となってくるもの。また腹八分目や夜はあまり食べないことを続けていれば、夜たくさん食べたりすると、次の日も胃が重くて不快になるもの。

・常に少し我慢させること。

常に少し無理する、少し我慢した状態を続ける。階段をつま先で上ったり、姿勢に注意したり、もっと食べたいというところで止め、心地よくない場所に出かけたり、苦手な相手と過ごしたり、得意でないことを毎日少しだけし続けたり、ここちよ~くありた~いという動物魂の望むまま望むだけでなく、少し我慢した状態を習慣にしておく。無理させすぎないよう加減をはかりつつ。


動物的魂と神的魂が調和している状態、それが内面の平安。

動物的魂を育てるというイメージ、とても役に立っていると感じています

まずできること、口にする言葉に気をつける

2013-05-26 06:20:36 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)

「口にする言葉に気をつける」について。Be’halot”cha 5773 by Kalman Packouz aish.comを参考に。

世界には様々な問題があって、今日もたくさんの人々が理不尽な境遇にあり、貧困や飢餓に苦しみ。争いや紛争も絶えない。

(話しているところに絶妙のタイミングでサイレンの音が響きパトカーや消防自動車が次々と近所に。結局、何事もなかったようで、誤っての通報だったようです。)

こんな小さな自分達に何ができるんだろう、こんな北の果ての小さな町に住む私達に。そう絶望してしまうこともあるかもしれないけれど、まず一つできることが、「どう話すか、どういう言葉を使うかにより気をつけること」。

ゴシップ、中傷・悪口(slander)、分裂性(divisiveness)、怒り(anger)を、自身の用いる言葉から取り去ってみる。すると、自身も、周りの人々の関係も、劇的に変化していくことに気がつく。


気をつけたい言葉:

1.たとえ本当であっても、相手を軽蔑したり傷つける言葉(derogatory)を用いない。You are forbidden to make a derogatory comment -- the person did something wrong, has faulty character traits or lacks a virtue -- even if it's tr

2.軽蔑したり傷つけたりする言葉でなくても、相手の不利になったり、痛みや怒りを起こす言葉を用いない。Any comment, even if not derogatory, that might ultimately cause financial loss, physical pain, mental anguish or any damage is forbidden.

3.書いたり、ジェスチャーや、表情だったり、相手を軽蔑したり傷つける意味を示すことをしない。
Any method of conveying or implying derogatory infortion about others is forbidden: writing, hand motions, facial expressions.

4.冷やかしや冗談でも、軽蔑したり傷つける内容を含んだ言葉を用いない。One is not allowed to relate derogatory information even in jest.

5.軽蔑や傷つける言葉が、何のダメージを起こさないとしても用いない。Even if the derogatory statement won't cause damage or loss, it is forbidden.

6.建設的な目的のために、情報を伝えることは必要。誰かが誰かをだまそうとしている、など。When it is necessary for someone to know derogatory information for a constructive purpose, you are obligated to relate the information to him, i.e. someone is planning to cheat or harm another person.


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自身を振り返り、意図せずということもあるなあと。自分自身が「される側」なら構わないのですが、こちらが意図してないのに、どうしても「あなたは私を傷つける」、そうとられてしまうこともあり。最大限の反省をし気をつけつつも、どうしてもそうなってしまう相手とは距離を持つべきなのかな、と最近思っています。相手の幸を祈りつつ、向こうから何かを言ってくれるのならば喜んでするけれど、こちらからは目に見える働きかけをしない。まだまだ私の力不足、もっと力がつくまで。底のところでは、いつでも繋がっていると信じつつ。

長女飛行機プロジェクト、通過儀礼

2013-05-26 06:19:09 | 出来事や雑感や (行事)
卒業式の二日前には、プロジェクト「ロープ」の発表会。通過儀礼(Rite of Passage)という概念(出生、成人、結婚、死などの人間が成長していく過程で、次なる段階の期間に新しい意味を付与する儀礼)を学びつつ、六年生全員が数ヶ月間独自に学校外で取り組んできた「ロープ」。過去と未来を繋げる「ロープ」にと。

皆様々なテーマに取り組んできた。コンピューターゲームをプログラムした子や、自閉症のトレーニングアプリを作った子、ネイティブアラスカンの血を引く友人は代々伝わる刺繍裁縫を習い、モデルの仕事をしている友人は自分で服をデザインして作ったり、祖母にキルトを教えてもらったという子、ピザが大好きで美味しいピザの作り方をマスターするという子や、探偵小説を書いた子、漫画好きで日本語を学ぶという子や、代々毛皮商の家に育ち実際に毛皮コートを作った子、イヤーブック(全校生徒の写真をおさめたアルバム、年に一度購入できる)の編集や、一月に行われた歴史ドキュメンタリー上映会の企画司会進行を勤めるということをプロジェクトにした子も。去年の長男は、レゴロボットがテーマでした。

長女が選んだのが、「リモートコントロール飛行機を作る」というもの。飛ばすというところまではいかなかったのですが、飛行機の構造、「飛ぶ」ということについて、五十時間ほど費やしここまでできたという飛行機を見せながら、パワーポイントを用い四人の審査員を前に説明しました。

細部をしっかりさせることが「飛ぶ」ためにいかに重要か、自分をゴールに向けプッシュするということ、この二点を将来に生かしていきたいと、発表をしめくくり。

審査員を前に、緊張した様子の六年生達。発表を終え満面の笑み。明後日は小学校卒業!

思い出に残るプロジェクトになりました。


学校から発表会場になる教会へは歩いて10分ほど。歩道には、ところどころにチョークで書かれた言葉など。先生方が前日に。

まず校舎を出たところに、変わる準備はできている? 出発! と。

強くあれ! Stay strong!


もし葛藤がないのなら、前進もない。 フレデリック・ダグラス


教育こそが世界を変える最強最大の武器。ネルソン・マンデラ


良くなるために変わることはフルタイムジョブ!という言葉も。

到着!


数ヶ月取り組んだ飛行機。

思い出がいっぱいです。

卒業!修了!学校最終日

2013-05-25 23:59:10 | 出来事や雑感や (行事)
前日に、先生方にお手紙書いて。


最終日は、三女と次女海の見える丘の上。


友人に折り紙しようと誘っていただき。

折り紙ブースお手伝い。


こうしてああして、と教えていく。


三女のクラスメートの一人のお母さん、クラスメート全員の名前入りキルトを作ってくださる。

この上でピクニック。


長女は小学校卒業!

チョコレート・ファウンテンや(最近縁があります)、


ケーキやら、


ほおばり。


おめでとう!



なぜか皆、顔にお絵かきして帰宅。

三女ちょうちょに、


次女たんぽぽに、


長男、友人からのサイン20人分だそう。



八月終わりには、中学一年生に二年生、小学四年生に一年生! 

近況整理、雪に囲まれ夏休みへ!

2013-05-19 09:13:58 | 今週の整理
1.5月下旬、しとしと雨降りの肌寒い日が続いているなと思ったらば、昨日から雪。五月の初めにちらほらと雪が降るということは何度が体験しましたが、下旬にこれだけ積もるほど、というのはもうすぐ14年になるアンカレッジ暮らしでも初めてのこと。何でも1963年の5月9日というのが、ここ100年程の記録中、最も遅く1インチ以上の雪が降った日なのだそう。合衆国中でもここ10年の間今年が1番寒い4月だったよう。

あたり一面真っ白な雪に囲まれ、夏休み前の最終週に突入です。


2.少し暖かくなったかと思ったら、一気に寒くなったせいか、体調を崩している大人子供も多いよう。次女のクラスでも週の初めから9人が風邪で欠席。週の半ばから、次女もその仲間入りに。熱が続き咳。クラスでも背は中くらいなのに体重は一番軽かったりと、日本では普通なのでしょうが、こちらではかなり痩せている分類に入るようで、本人ももう少し肉をつけたいなあと言っているのですが、ここ三日ほどほとんど食欲もなく、ますます痩せて。赤い頬でフーフー言いながら「ママ~そばにいて~」「マッサージして~」と。そうは言っても他四人はいつもの調子で飛び回り、夫も出張。なかなか次女のペースでゆっくり付き添ってやることもできず。熱もピークの時よりは少し下がったまま続いているので、今朝病院へ連れて行きます。

 と、今病院から帰ってきたのですが、熱が下がらないし咳だし気管支炎か肺炎かとも思ったのですが、肺はさっぱりきれいで、風邪とのこと。「こんなに熱が続くの初めてです」と言うと、今流行っている風邪は三日~四日熱が出て咳というタイプ、毎日何人も同じ症状の子が来ますと。アンカレッジにお住まいの方、お気をつけて!


3.週の半ばには、友人のお別れ会。三年程したらまた戻ってくる予定なので、しばしのお別れ。今まで本当にお世話になった方。いつも優しく暖かく支えてくださり。三年後に会えるのを今から楽しみに。三年なんて、本当にすぐだよね、そう言い合い、そう信じながら。


4.長男、先週末はマラソン大会とNPO活動、週の始まりから期末テストにプレゼンテーションに、半ばにはアンカレッジから三時間のスワードへのフィールドトリップ(朝八時から夜八時まで)、陸上大会が終わったので木曜からスイムチームに戻り、金曜は学校でのトライアスロン大会。その足で友人の誕生会ピザ屋&映画館&スリープオーバー、今朝は一足早く友人宅に迎えに行き、そのままNPO活動で今夜はタルキートナ(アンカレッジから二時間ほど)で雪中キャンプ、学年最終週の来週も期末テスト続き、週末はまた別の友人の誕生会スリープオーバー。もう、こう予定を書き留めるだけでも目が回りそうです。


5.夫の母親の、博士課程卒業式が先週。電話で嬉しそうに話す義母。19歳で夫を生み、離婚、再婚、南米から移民し、内職や掃除の仕事などをしながら30代で大学に行き始め、こうして60歳で教育学博士に。おめでとうございます!


6.疲れてくると出てくる思考パターンの一つが、「私の身体がもう一つ二つあったら、もっとしてやれるんだけどなあ」というもの。もっと一人一人のニーズに合った対応もでき、やる気のタイミングをうまくつかみ伸ばすこともでき。
思い返せば、赤ちゃんがいたときなんかは、上の子たちも本当にほったらかしで。今何とかできるだけと向き合いつつも、やっぱり物理的に無理もあり、ぼろぼろと掬い切れないこともたくさん。

何を今優先するのか、その選択を常に迫られます。その選択の一つ一つが、先に続く道を築く、そう背筋を伸ばして。


7.「もっとしてやれるんだけどなあ」と言うと、子供のことだけを考えているようですが、自分自身のしたいこととの葛藤も心の奥の中心に常にあります。私自身、時間があれば何をしたいかと問われるのなら、もう今は「書きたい」ということしか浮かばないのですが、その自分の根幹にある欲求と子供に注ぐ時間とエネルギー、その葛藤は常に。

 長い目で見た枠組みに置き直し整理してみること、そうすることが、葛藤にがんじがらめになる私を引き剥がし、前へと進ませてくれます。今日明日一週間後数ヵ月後一年先二年先五年後十年後三十年後五十年後百年後、もっと広い枠組みで見ていくこと。

 今しかできないこと、今大切なこと、それはこうして一日一日と成長し、いずれ社会に出て行く子供達が、その人自身となっていく手伝いをすること。書く方は、子供の成長とともに、少しずつより時間も取れるようになるだろう。赤子の一歩、亀の歩みに見えようとも、少しずつ少しずつ。早朝の二時間を大切に。一生、目に見える形でとらえられることはないかもしれないけれど、このささやかなる一歩ずつの歩みが、地面下で何かの根を育てる肥料のかけらになることもあるかもしれないと。

 毎日こつこつと続けられるということ、子供たちがこんな至らないケアでも、ハッピーに育ってくれているということ、感謝を込めて。



雪の中、夜は長女のダンスショー。今日明日とで長女の飛行機プロジェクト仕上げ。来週は毎日誰か彼かの行事です。金曜日からは夏休み!

皆さんの一週間が、素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!



日常風景:

母の日にサプライズ(こそこそしている子供達に気づかないふり)のお祝い。


ありがとう!



雪も解けたし(また週の終わりに降り始めるとは予想もしてませんでしたが)、サイクリング!

夕食終わってからもこうして散歩に出かけられる季節に。

ボートの上でふざけ。

まだ氷あるね。

ボート裏返し、


乗ったり、


引っ張ったり。


青空に、


きもち~寝る前散歩。



友人しばしのお別れ会。


友人の一人チョコレートファウンテン持参!


イチゴやバナナやマシュマロ、チョコ浴びて。

持ち寄り料理の数々、すてき~、おいし~の声浴びて。

ライオンちゃんもイヌちゃんも、


外で跳ね回り。



雪も解け(一旦)、秋できずじまいだった落ち葉かき。


この日は、遊んでるだけで時間切れではありましたが。


それ~。



小学校でリタイヤする先生と掃除夫さんのさようなら会。リタイヤとは?の後に言葉をつなげる付箋を貼る子供達。

長男も参加。

レゴにはまる三女と次男。

ここ何日か、朝から晩まで。新しいレゴセットが欲しいとのリクエストも。


子育てノート、感謝の気持ちを養う

2013-05-19 09:13:00 | 子育てノート
子供たちの内に育んでいきたい「心の持ち方」を考えるときに、やはり最も重要に思うのが、「感謝の気持ちを持つこと」です。

といって、「ほら、何ていうの?」と、何かをもらう度に「ありがとうございます」を相手に伝えるよう促していくことも大切ですが、形や礼儀だけでなく、感謝の気持ちを、心から感じられるように教えていきたいです。

 感謝の気持ちとは、「どれほど与えられているか」を思い出すことで、心から湧き上がるものではないでしょうか。目の前に湯気をあげる白米も、ただ空腹を満たすものとして口の中にかきいれてしまえばそれでおしまいですが、少し立ち止まり、その白米が目の前に現れるまでの過程を想像してみます。すると、どれほど多くの条件の重なりと、どれほど様々な人々の働きのおかげでこうしていただくことができるかを思い出すでしょう。

 一つ一つ出会う物事を前に、少し立ち止まり、その物事が目の前の形になるまでの過程に目を向けてみること、その繰り返しが、「どれほど与えられているか」を思い出させ、感謝の気持ちを養うことを助けます。手に入れた可愛らしい洋服も、自分のことを思ってくれる親がいて、買うことのできる経済的な条件がそろい、そのお店にその洋服がたどり着くまでにも、デザインした人々、はるか遠くの国々の工場で働く人々、商品を流通させる人々といった様々な働きが必要です。

回りを見回しても、何一つとして、自分一人で作りあげたものなどありません。こうして暮らしていられるのも、
「与えられているからこそ」、普段の生活から、そう思い出させていきたいです。

 また、あの人はあんなに、私はこれだけ、そう「もっと持っているように見える」他人と比べてばかりでは、自分がどれほど与えられているかが見えなくなってしまいます。まずは、自分の目の前にある自分専用にカスタマイズされた「恵み」を、丁寧に一つずつ見つめてみる姿勢を教えていきたいです。


「どれほど与えられているか」を思い出す

 長男が十一歳の時、崖から落ち、手首を複雑骨折したことがあります。アラスカ州スワード市の夏の風物詩「マウンテンマラソン」に、「参加してみたい!」という長男のたっての希望で、マラソンコースを下見にいった時の出来事でした。

麓の駐車場で下の子達と待っていたところ、真っ青な顔をし、夫に肩を抱えられた長男が下りてきました。ただ事ではないと長男と夫の表情から分かりました。これからすぐに病院へ行くと車に乗り込む夫。腕をジャケットで覆いながら、それでもしっかりとした足取りで歩いていた長男に少しほっとしながら、すぐにそこから一分もかからないところにある救急病院に駆け込みました。応急処置を受け、見た目は元の形に戻った手首でしたが、「改めて翌日大きな病院で手術をする必要がある、手術が成功しても、腕がこれ以上伸びない可能性がある」と説明されました。

その日から二日間キャンプする予定だったのを切り上げ、帰途につきました。麻酔がきき車の中で眠る長男。楽しいキャンプの旅になるはずだったのに、なぜこんなことに? 思い描いていた旅とのギャップに、まるで半分現実ではないような気持ちでした。

 明日は全身麻酔の手術で、その後も腕が伸びない可能性もある。何て災難なんだろう。何て不幸なんだろう。長男の寝顔を見ながら、目の前が真っ暗になり、胸が押し潰されました。

 それでも、崖から落ちた時の様子を詳しく知るにつれ、手首の複雑骨折だけですんだことが、奇跡のような状況だったのが、分かり始めました。夫によると、長男は三十メートル近くある急斜面を転げ落ち、あげく木にぶつかり止ったそうです。レントゲンを眺める医師が、「かなりの衝撃が加わったようだ」と言っていたのを思い出しました。

 もしその衝撃が頭や首や背中にかかっていたら、もし激突した木が切り立った岩だったら、もし尖った岩や木々が突き出す崖だったら、もし麓からすぐ近くの崖でなかったら、もし救急病院がすぐ近くになかったら、そう想像すると、「ありがたい」という気持ちがとめどなく溢れ出しました。今度は感謝の気持ちで、胸が苦しくなるほどでした。アンカレッジまで三時間の車窓に、夕焼けに染まる山々が、ぽろぽろと流れ落ちる嬉し涙で、一層大きく膨らんで見えました。もし腕が伸びなかったとしても、こうして命を救われたことに、一生感謝して共に生きていこう、そう心に決めました。

結局、翌日の手術も成功し、その後おかげさまで腕も無事伸び続けています。この体験を思い出すたび、五人笑顔で、普通に暮らしていることへの感謝の気持ちが、心の底から湧き上がります。嵐のような日々に、くったくたになっていても、「ありがたい」という気持ちでいっぱいになるのです。長男も、事故から二年たちましたが、毎晩眠る前に感謝の言葉を言い合う際、手首が無事治ったことについて、崖から落ち命拾いをしたことについて、「ありがとう」と言います。

 事故や災難にあう可能性は、キャンプや山に出かけずともいくらだってあります。毎日の学校の送り迎え、放課中の校庭、近所の公園、習い事のダンス、走り回る家の中、それら日常的な風景の中にも、事故の可能性は常に潜んでいます。雪道を隣斜線の車が曲がりきれず突っ込んでくることだってあり得ます、校庭の遊具から落ち脳震盪を起こすことだってあるでしょう、持っていた小枝が目に刺さってしまったり、公園のブランコから飛び降りたところ衝突し歯が折れてしまったり、ダンス教室で転んで骨を折ってしまったり、寝る前に追いかけあっこをしていて玩具につまづきドアの蝶番で額を切ってしまうことだってあります。これらは全て、身近な周りに実際に起こったことです。

こうして普通に暮らせることも、いつだって、「こうして普通に暮らせない」可能性と隣り合わせにあります。もしあそこであの人に会わなかったら、もしあの時あの電車に乗っていたら、もしあの時あの情報を耳にしなかったら、もしあの時病院で検査しなかったら、そう振り返ってみるとき、「今の状況ではない」可能性など、いくらでもあったと見えてきます。

雨風をしのぐ家、柔らかい毛布、温かいお風呂、子供達の笑い声、身の回りにある見慣れた風景も、水面上に現れた氷山の先っぽのようなものです。水面下では、それらを可能にする膨大な条件や、様々な人々の助けが支えているのです。今の自分が置かれた状態というのは、想像もつかないほど多くの条件の積み重ねの上に、築かれているのです。

 また、事故や災難にあったとしても、もしあの時助手席に乗っていたら、もしもっと勢いよくあの遊具から飛び降りていたら、もしあの手に持って走っていた小枝がもう少し長かったら、もしもっと勢いよくブランコから飛び降りていたら、もしダンス教室でもっと高くジャンプしていたら、もし寝る前にぶつかったのが蝶番でなく家具の尖った角だったら、ぶつけたのが額でなく目だったら、そう「もっと悪くなり得た可能性」も、いくらだってあります。

 失って初めて、「どれほど与えられていたか」を思い知ることがあります。病気になって健康の、事件事故災害にあって普段の何気ない生活の、戦争になって平和の有難さに気がつくのです。失ってからではなく、普段からこの見慣れた風景を前に、「どれほど与えられているか」を思い出していきたいです。
 
 アラスカに移住したての頃、ワンベッドルームの小さなアパートに暮らしていました。低所得者専用のアパートで、周りには世界各地からの移民がひしめき合っていました。そのアパートのある道の名前は、質素な建物が立ち並ぶ風景とは対照的に、「ハリウッド・ドライブ」と言いました。

「私達、ハリウッドに住んでるのよね」

近所の人々とアクセントの強い英語で言い合っては、笑ったものです。
妊娠七ヶ月で移住し、最初にしたことは、このアパートの地下にあるコインランドリーに洗濯物の山を運ぶための、大きなバッグを縫うことでした。紫色に緑色のポケットという、今思うととんでもない色合いのそのバックを担いで、階段を上り下りするのが私の日課でした。

貧しい暮らしでしたが、豊かな日本に生まれ育った後では、現実であって現実でないようなままごとを楽しんでいるような気分だったのを覚えています。貧しく命の危険もある国からの移民とは違い、日本に帰ればまた豊かで平和な生活が手に入ると信じていたからでしょう。

そんな生活の中、毎日のように六歳と一歳半くらいの兄と妹を見かけました。旧東欧から戦乱を逃れて移民した家族でした。お兄ちゃんは妹を抱っこし、時にはベビーカーに乗せてアパートの周りを散歩します。妹をのぞき込み、何度も話しかけながら。毎日毎日何時間もの間妹の世話をするお兄ちゃん。妹を思いやる仕草、笑顔で寄り添う姿が目に焼きついています。その兄と妹の母親は、「食べ物に不自由なく平和に暮らせることがどんなにありがたいか」そう静かに笑っていました。

今こうして一軒家に住み、子供達も毎日習い事に宿題にと忙しく、周りは物に溢れ、あの子だけこんないい思いをして、私だけこんなに損をしてる、そんな兄姉妹弟間の諍いもしょっちゅうです。ふと、あの「ハリウッド・ドライブ」に何を置き忘れてきたのだろう、そう思うことがあります。あのお兄ちゃんと妹の姿が、我に返してくれます。溢れる物に埋め尽くされ、忘れかけていた感謝の気持ちを思い出させてくれるのです。

 明日の食べ物に困ることなく、日々命の危険にさらされることもない状況で暮らせるのは、世界でほんの一握りの人々です。そして世界の飢餓人口は、ますます増えているとも言われています。国連食糧農業機関(FAO)が2002年に実施した調査では、世界人口の七・八人に一人の割合(八億五千二百万人)が飢えており、毎日、二万五千人が飢餓や栄養失調などで死亡しているといいます。そしてその四分の三までが 五歳未満の子どもです。想像してみて下さい、目の前の暖かい毛布に包まれ眠る子供と、ちょうど同じくらいの年恰好をした子供達が、毎日二万人近くも「食べる物がない」という理由で亡くなっているのです。またギャロップ・インターナショナル(スイス)という世論調査機関が、世界六十六カ国で五万人を対象に「過去一年間で、自分や家族が食べ物に困ったことがあるかどうか」と尋ねた結果、「ときどき」「ひんぱん」と答えた人が四十六%もいたといいます。

 また日本や「先進国」といわれる国々でも、五十年ほど遡れば貧しい暮らしをしていたものです。長い歴史を振り返るのなら、今のように物質的に恵まれた状況になったのはつい最近のことです。遠く離れた地域のこと、古い昔の人々のことと身近には感じられないかもしれません、それでも同じ地球に暮らす人々、そして今ある自分たちの土台となってきた人々のことなのです。 

 今目の前にあるそのプラスティックの器も、明日の食料にも困る人々の働きの上に、安価に手に入れることができたのかもしれません。バケーションに出かけ豪華なホテルに泊まるその同じ島では、夕飯にありつけなかった子供達が、食べ物を夢見て眠っているかもしれません。そして過去を振り返るのならば、戦争で亡くなった方達の上に、こうして今の平和な日本があり、敗戦から立ち上がりがむしゃらに働き続けた人々のおかげで、物に溢れた豊かな日本があるのです。

 今の自分が置かれた状況が、とてつもなく多くの人々や条件によって支えられていると、心の底から自覚するとき、今ここでの状況に感謝しつつ、自身が助けられてきたように、今大変な状況にある人々に何をすることができるのか、そう思えてくるのではないでしょうか。

 まずは、家の中、慣れ親しんだ町、生まれ育った国、身近な隣国、世界中の様々な地域、そう周りを見回し、そして今日、昨日、一週間前、一年前、五年前、五十年前、百年前と過去を振り返ってみることです。すると、今自分がどれほど与えられているかが見え始めます。バケーションも、差し出されたキャンディーも、新車も、新居も、新しい仕事も、そういったものを手に入れることができるのは、世界中で一握りの人々。今目の前に見ているものは、水面にちょこっと顔を出した、氷山の先っぽでしかないのだということを思い出します。
 
 物質的に恵まれた地域に暮らす子供達は、周りに溢れる物があることが、「当たり前」になっています。コンビニへ行けばあらゆる種類の菓子が並び、新しい機器が売り出されたら手に入れるのが当然、友達が持っているのならば自分も持つのが当たり前。次から次へと新しい製品が生み出され、メディアからは購買欲をそそるコミカルなコマーシャルが流れ続けます。物に溢れ、次から次へと手に入れることが当たり前となった現代の子供達に、「どれほど与えられているか」を思い出させるのは、難しいことです。

 だからこそ、こんな今の時代だからこそ、感謝をする習慣を、日常生活で意識的に持つことが大切ではないでしょうか。今の時代ほど、一つ一つの物事を前に立ち止まり、どれほど与えられているかを思い出し、感謝する習慣を、故意に日常生活に取り入れることが必要とされる時代はないのかもしれません。

 砂漠では、水の貴さありがたさが身にしみて分かります、それでも水に溢れた地では、水があるのが当たり前で捨てるように使ってしまうもの。砂漠で水を与えられた喜びの感覚を、この水に溢れた普段の生活に浸透させましょう。日々砂漠に立ち返り、水一滴のありがたさを思い出すことを、習慣にしていきたいです。


過程に目を向けさせる

照りつける太陽、聳え立つ山々、雪に覆われた木々、氷道を行く車、暗闇を照らす街灯、玄関の明かり、暖炉の温もり、湯気の立ち上るココア、スピーカーから流れるギターの音色、窓の外の星、周りを見回せば、自分一人で作りあげたものなど、何一つないことに気がつきます。食卓に並ぶ新鮮な野菜、獲れたての魚、ほかほかのご飯、鮮やかに色とりどりのフルーツ、こうして手に取るためには、どれほどの条件が合わさり、どれほど多くの人々の働きが必要だったでしょう。

一昔前は、野菜も果物も自分で作ったり採集したり、肉や魚は自分の手で育てたり狩猟していたものです。身の周りには自ら手をかけ作り出した物が圧倒的に多かったでしょう。昔はそうして自ら作り自ら手に入れることで、目の前に置かれるまでの過程の大変さを、生々しく体験することができました。

 それでも今は、それらの過程をそぎ落とし、出来上がった完成品を手に取るだけのことがほとんどです。そしてそんな環境に育った子供達は、目の前のあらゆる事物を、過程の繋がりから切り離し、どこからか降って沸いてきたかのように捕らえがちです。

我が家でも、今、その口に入れようとしている照り焼きチキンは、あの空を飛ぶトリと同類なのだと、喉を潤すその真っ白なミルクは、牛の乳から搾られたのだと、皮を剥いたとたん甘酸っぱい匂いの広がるそのみかんは、緑の木々に実っていたのだと、元の様子を子供達に説明しても、きょとんと不思議そうな顔をします。目の前の完成したものと、そうなるまでの過程や元の形が、なかなか繋がらないのです。

「どれほど与えられているか」を実感させるには、物事が目の前に現れるまでの、「過程」に目を向けさせることです。辺りに降り注ぐ太陽の光は、星や惑星の誕生を可能にした壮大な宇宙の仕組みがあるからこそです、山々の隆起は膨大な年月を経て地球が大変動を繰り返したため、目の前の木々は、何十年何百年というもの間、光と水と土の栄養分がバランスよく注がれたからこそ、こうしてあるのです。氷道を行く車も、長い距離をより安全快適迅速に移動する手段はないものかという長い間かけての、様々な人々の発明改良の末、そしてそのアイデアを実際に形にして大量生産する工場労働者の働きのおかげでこうしてあります、暗闇を照らす明かりも、電気を起こし家庭に届けるということが実現するまでには、技術を進歩させてきた人々、そし今安全に行き渡っているかと点検する人々など、多くの働きが必要です。

 過程に目を向けることで、今こうして当たり前に見える風景も、膨大な条件の重なりや、様々な人々の働きによって可能となっているのだと、見え始めます。手に取るどんなものにも、膨大な量の働きが注がれているのだと分かり始めます。

 普段の生活でも、なるべく過程を体験できるような機会を作ってやります。食事も、切り刻んだ野菜を鍋に入れさせたり、人参の皮を剥かせ一緒に用意し、ぬいぐるみや人形、玩具なども、一緒に作ってみます。すると、それらは降って沸いたように目の前にあるのではなく、口に入れる一つ一つの食物も、手に取るぬいぐるみの一つ一つの縫い目にも、多くの人の働きが注がれているという視点が育ちます。

掃除も自分でさせることで、その大変さが分かり、普段から汚さないようにと、より注意を払うようになります。我が家でも、トイレ掃除や車の掃除、親がしていた頃は、汚れ方もひどかったものですが、子供達が交代でするようになって以来、普段からの気をつけ方が違ってきました。洗濯も、家では小学校高学年になれば、自分達ですることになっているのですが、靴下が裏返っていたり、シャツとセーターがくっついたままではきれいにならないと、洗濯物かごへの入れ方も変わりました。家事を日常的に体験することで、身の回りをきれいに保つための大変さ、普段誰かが時間と労力を注いでいるから、こうして整った部屋にいられるのだという気持ちも、頭だけでなく実感として分かるようになったようです。

 農場などを訪ね、農作物の流通を追ってみるのもいいです。食物が食卓にあがるまでにどれほど多くの人の働きや、自然の恵みが必要かを直に感じることができます。今こうしてブロッコリーが口の中に入るには、まずは太陽・水・大地が必要となります、そして光や温度や水加減を整える農家の方々の働き、収穫されたものを流通させる人々、スーパーに並べる人々、そしてそれらを購入するためには親がお金を稼ぐ条件も揃わなければなりません。

 私自身、子供時代に養鶏場や牧場を訪ねた後、卵や鶏肉や牛乳を口にするたび、目の前で飛び跳ねていた鶏、草を食んでいた牛の姿が目に浮かび、「いただきます」という言葉にも、気持ちのこめ方が全く変わったのを覚えています。

 そうして一つ一つの過程を丁寧に見ていくと、目に入るあらゆるものは、多くの人々の働きによって、こうした完成した形に整えられているのだと見え始めます。自分という一人が生きていくために、どれほど多くの人々の助けが必要か、そしてどれほど多くの命をいただくことで自分というものが生かされているのかを、感じ始めます。こうして日々暮らしていけるのも、多くの人々の働きやさまざまな条件が重なり合ったおかげ、子供達と共に、日々「どれほど与えられているか」を思い出し、感謝していきたいです。

宇宙飛行士、高く高く星を見上げて

2013-05-19 09:12:08 | 思うに
週の半ば、ネイティブ・アラスカンの「姉」が、朝電話をくれる。「父」がERにと。記憶があいまいで、誰が誰かもわからなくなっていると。点滴を口で噛み切ろうとしているとも。

その同じ日の夜、「父」の記憶が戻った!と知らせ。まるで何事もなかったかのように普段の「父」に戻ったと。

ほっとした声で、近況を話し始める「姉」。


初めて月に降り立ったアポロ11の乗り組員、宇宙飛行士Buzz Aldrin氏の講演会に、ネイティブ・アラスカンの成績優秀な子供達とその親が招かれ、息子君と出席したのだと嬉しそうに。

Aldrin氏、自身が欝とアルコール中毒に苦しみ克服した体験を赤裸々に語り、参加者皆、大いに勇気付けられたと。

ネイティブの人々を取り巻く厳しい状況。アルコール中毒で村が全滅というところも。

「姉」と話していても、身近な周りに問題が溢れている。「姉」自身も、ホームレスからの移行福祉施設に息子君と暮らしている。何度か訪ねたことがあるけれど、ホテルのように、きれいに整った施設。


高く星を見上げて 例え沼地に足をとられそうになったとしても あの宇宙飛行士のように 星を見上げて

大きくなり力をつけるのならば 沼を 澄んだ泉に変えることもできるかもしれない

どろどろとした沼に足をとられ ばたりばたりと倒れていく人々を 洗い清め 再び歩き続ける力を 蘇えさせることもできるかもしれない


「姉」の息子君の、太陽のような笑顔を思いつつ。


小さな村の戦争博物館

2013-05-19 09:10:02 | 思うに
先週末から昨夜まで一週間出張に行っていた夫。

滞在していたアラスカのある小さな村。第二次世界大戦時に、軍が用いた建物が残っている。ビーチには錆びた戦車なども置き捨てられ、あちらこちらに大戦時の跡が。その建物を改造し、第二次世界大戦時に用いられたモノを集め、博物館を作ろうという運動をしている人に会ったと。博物館という目的のためなら、建物を使ってもいいという許可も政府からおりたところ。

インターネットで呼びかけ、様々なモノが送られてきている。ジャケット、帽子、ブーツ、水筒などなど。大戦時に祖父が遣っていたものだけれど、屋根裏部屋に眠らせるよりは、博物館に展示していただいた方が、そう、全国から少しずつ集まっていると。

なぜそんなことを始めたのか、こんな小さな村にそんなものを作ってどうするんだ、そう首を傾げ遠巻きに見る人々も多い中、漁や飛行機のメカニックやで生計をたてつつ、三人の子をワイフさんとホームスクールしながら、第二次世界大戦博物館実現に向け、走り続けている。

実父が軍人だったというその人、「なぜ?」という問いに、「この村に生まれ、軍人の子として育てられ、これが、私に与えられたミッションなのだと思う。次世代に繋げる為に」と。

博物館への具体的構想を話す様子は、情熱に溢れ。周りからどんな反応を受けようが、何ものも止められないほどの勢い。内の奥深くから突き動かされ、進み続ける。「とにかくunstoppableで、ピュアでね」と夫。

そんな時に、何かが形になっていくのかもしれないな、そう思いながら夫の話に耳を傾けて。

北の果ての小さな村にできるだろうその博物館、いつか訪ねてみよう、そんな話をした夜。

「愛」の「まがいもの」?

2013-05-19 09:08:23 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


「愛」の「まがいもの」とは? について ”5 levels of pleasures” by Noah Weinbergを参考に。


「慰み(comfort)」は「喜び(pleasure)」の「まがいもの(counterfeit):本物と見分けがつかないほど、よく似せてつくってあるもの」。

「慰み」は痛みフリー努力フリー、「喜び」は時に痛みを伴う努力を必要とする。

喜びにフォーカス。



「愛」の「まがいもの」とは?

 
「愛」は努力フリーで偶然たまたま起こってしまうという理解。コミットメントする必要もなく。「心酔・のぼせ上がり(infatuation)」。

本物の「愛」は、キューピットに次々とハートを射抜かれ、次から次へとたまたま起こってしまうのではなく、自らの努力を必要とし、永遠に続くもの。


ではどうしたら、これは「愛」ではなく「愛のまがいもの」だと自分でわかるか?

もし、彼女は、彼は、完璧だ! と思っているのなら、「まがいもの」。


至らない部分、欠けた部分もひっくるめ、コンスタントに「愛する」からこそ、愛の「喜び」に溢れる。

トライアスロン、体験と繋がる時

2013-05-19 09:08:02 | 子育てノート
先週末のマラソン、長男、五キロ途中の坂、横腹の痛みで途中少しだけ歩かざるを得なくなったと。歩いている自分に、もうどうしようもなく嫌な気持ちになったと。

朝、前夜の残りのチーズケーキをニ切れ平らげたのが多分よくなかったのだろうと反省する彼。

木曜日には、五ヶ月ぶりに水泳チームに戻る。百メートル泳いだところで、以前はぜんぜんそんなことはなかったのに、
横腹が痛くなって驚いたと。

金曜日は授業後トライアスロン大会。何とか横腹の痛みを克服したい。そうリサーチし、

1.普段からバランスの取れた食事を心がけ、野菜とフルーツを多く取る。
2.とにかく水分を多く取る、横腹の痛みは水分が足りないというサインでもある。

この二点が運動時の横腹痛対策になると知った長男。

食事中も、メインの肉などと炭水化物系だけたくさん食べ、サラダなどの野菜系はほんの少しだけ、もっとよそいなさい、と促されることもしょっちゅう(周りが気づかず促さないのならばそのまま)。弁当も、友人のスナック類などで満たされてしまい、残してくることも。

ここ何回か続いた横腹の痛み、普段の食事を反省する機会になったようです。

リサーチしてからは、野菜とフルーツをたっぷり取り、水分も補給しまくり、トライアスロン大会では最後のマラソンで少し痛くなった程度で済んだそう。

痛い!となる前に、何とかしていければいいのですが、こうした方がヘルシーと、外から言われ頭で知識としては分かっていながらも、なかなか実行しないこともある彼。スポーツなどで身体を使い試すことを楽しみながら、身体により良い方法というのも、色々試していってくれたら、そう思っています。


普段から、私自身の体験や知識から良かれと思うことを、色々と傍に居て伝えるわけですが、こうして今回のように、いつか、はっとクリックして繋がる時も来るのでしょう。自分が親になって親の言葉の意味がやっと分かった瞬間があったように、それは、何年か先、時には何十年か先になるのかもしれないけれど。


まさかの雪!の中、授業後となりの高校に移り、トライアスロン大会!


自転車8キロ(5マイル)、水泳250メートル、マラソン2.4キロ(1.5マイル)。


無事ゴール!


7年生8年生合わせて100人ほどが参加。長男、月曜日の結果を心待ちに。
その足で、友人誕生日会スリープオーバー、今夜はNPO救援活動演習、雪中キャンプです。

ファルコンとマラソン!

2013-05-18 23:59:40 | 出来事や雑感や (行事)
スタートラインに、


ファルコン。


どん! 本番の前に、子供向け4ブロックほど走りましょうイベント。

このときはゆっくり走って子供達を勝たせてくれたファルコンでしたが、


5キロ本番では本格的ランナーに。

それ~。


住宅街を行く。

最も治安が良くないとされている区域で、普段あまり近寄ることなく、初めて間近に見る町並みでした。

ファルコンを抜くんだと、真剣勝負の長男・長女・次女。5キロを26分で走ったファルコン、残念ながら長男以外は抜けず。また来年!と。

前夜遅く寝早朝起きてしまった大はしゃぎ寝不足三女も、後半重い足を引きずりながらも、ゴール間近になると最後の力を振り絞り全速力。

友人娘ちゃん二人も、走って歩いてゴール! 4歳ですごい!

皆頑張りました!


走って歩いて風切って、さわやかな週末の始まりでした。

近況整理、目の中バンドエード

2013-05-12 01:05:09 | 今週の整理
1.一気に夏のような雰囲気。昨日は20度近くまで気温が上がり!まだあちらこちらに解けきらない雪が残ってはいますが、ジャケットなしで外へ出られるなんて。先週末は雪降ってたのに。この変化の激しさ、アラスカの四季

2.病み上がり子供の世話や行事続きで目の回る中、週の初めに目の表面をバスケットの端でざっとひっかいてしまい。メガネもかけてたのにどうしてそうなったのか。夕方になってもズキズキして目が開けられないので目医者へ。「Oh,my! Significant scar!」と女医さんに叫ばれ。運よく黒目部分はそれていたので視力に変わりはなく。すぐに抗生物質を目に入れ、目の中にバンドエードしましょうと。コンタクトレンズのような、目の中用バンドエードというものがあるとは! 傷つきむき出しになった神経、まばたきや目の位置を変えるたびにこすれて痛むわけですが、それがぺったりとカバーされることで、目を開けられるように! そのまま二日間眠る時も取らなくてよし。「二日してまた取り換えましょう」ということだったのですが、傷が随分と癒されたようで無しでOKに!あとは乾燥してせっかくカバーされた部分がはがれないよう、時々目薬で潤すようにと。

実は高校生のとき鉛筆で目を傷つけてしまったことがあるのですが、その時はこんな目の中バンドエードなどなく、痛み止めで抑えながらも痛みに悶えること二日ほど。それでも三日目には嘘のようにけろりと治り、そのときも粘膜部分の回復の早さに驚いたのですが、今回も! 高校時代のあの痛み!と思い出し覚悟したのですが、この25年間での技術の進歩、目の中バンドエードありがたや

水曜日から夫二日間出張、目が開けられないと送り迎えなどの運転もできず、どうなることかと思いましたが、ちょうどぎりぎり水曜日にバンドエードも取れ、ほっ。ホント綱渡りです。

3.長女の算数ダービー、算数により親しむ、算数への関心を高めるということを目的とし、順位を強調しないという方針のようで、参加全校、賞をもらいました。点数的には二位だったようです。六年生チームといいながら、長女以外の二人は飛び級の五年生、よく頑張りました。長男は走り幅跳びで市内七年生の中で九位(といって市内中学それぞれ3人代表なので21人ほどの内)だったそう。三段跳びとリレーは思うようにいかなかったとのこと。今日はマラソン大会、来週はトライアスロン。熱い日々が続きます。身体を試すことを楽しんでいるようです。

4.異性関係について、どう対処していくか、そんな話し合いを夫と。現実的に対応していく必要も出てきました。子供のこういった問題について、初心者な私達。新しいステージへ。少しずつ試行錯誤しながら道を切り開いていきます。またゆっくりとまとめたいです。

5.今からマラソン大会! 五キロ。三女のやる気が半端ではありません。あと何日と指折り数え。彼女のきらりと光る目に、私はごくりと唾を吞み込み。(笑) 昨日も興奮しすぎて眠れないかもと言いながら、はしゃぎ疲れてすぐに寝てましたが。ファルコン(着ぐるみを着た人)を抜かすと賞品、という楽しいイベントも。行ってきます!

マラソン大会の後は、長男NPO活動、長女山の上で誕生日会スリープオーバー、次女の買い物。明日はスプリング・クリーニング。雪解けて色々なものが出没してます。失ったと思っていたものと嬉しい再会も!

それでは皆様の一週間が素晴らしいものでありますように!

Have a wonderful week!

日常風景:

あ、あれ! みどり!

視界に芝生の緑が目に入り、皆大興奮。思わずぱちり。

この手前の三女がかぶってるバスケット、この端っこが目に!

我が家ではバスケットは帽子に、次男はエキソサイズマシーンに・・・。

長男に剣をもって立ち向かう三女と次男。

その横で、ピース&ラブのサインを掲げるヒッピーな長女と次女。

こういう六十年代雰囲気、どこで覚えたのか。

算数ダービー。

床で、みんな床で、問題解いてる! さすがアメリカン。

トーテムポール、by 次女


長女のリモートコントロール飛行機、

エンジン付け。長男、夫皆で。

三女友人へ誕生日カード、次女に手伝ってもらって飛び出しカード!


誕生会ケーキ!


三女を誕生会に降ろし、三人でカフェなひととき。