靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

一つ目の創造

2012-01-15 01:33:09 | 思うに
3つの創造」ということを書いたけれど、この一つ目の創造、心の中で描き「思う」といった時点で外に与える影響というのも確かにある。ただそこで終わりでなくそれは始まりであるということ。

数年前シカゴとモントリオールを旅したときに訪ねた科学館の体験型展示を思い出す。頭にベルトのようなものをつけ二人向かい合う。二人の間には透明な管が通っていてその中にはピンポン玉大のボールが。互いに集中してそのボールを相手側に押しやる。一切手を触れてはだめ。ボールを中央からより相手側に押しやることができたものが勝ち、というゲーム。

「リラックスした集中」が特定の脳波を生み出し、その脳波を読み取った機械がボールを動かしていくという装置。その特定の脳波をより整えることができた側が、ボールを押しやることができ、勝つ。

脳の状態のみで、実際に見える形の変化を生み出すことができるなんて!と随分と驚いた。技術がより発達するにつれ、いずれ「思う」だけで様々なことが実現していくということも可能なのかもしれない。あれやこれや妄想が膨らんだ体験だった。

一つ目の創造の大きさを思いつつ、二つ目、三つ目へ踏み出して。

けの汁すすりながら、昔を思う

2012-01-15 01:32:29 | 出来事や雑感や (その他)
友人達と「けの汁」をすすりながら、少し昔の話などになる。

むちゃくちゃだった昔を思い出す。こうして今の夫と共に暮らすということなく子どももいなかったら、多分とっくに廃人となって命を落としていたんじゃないだろうか。子育てについてあれやこれや日々考えている今からは遠くかけ離れた自分。

カオスを覗き足を踏み入れ飲み込まれ息絶え絶えになっていた昔。

秩序にあるからこそより深くカオスに向き合っていける、昔を振り返り今そう思う。

けの汁、小正月

2012-01-15 01:24:24 | 
15日の小正月、女が家事から解放される日、年末年始と台所に立ちっぱなしだった女が正月を楽しむ日、女正月、とも言われている。

青森では「けの汁」をいただくそう。青森郷土料理「けの汁」、具だくさんの味噌汁のようなもの。女正月に作り置きしてしばらく家事を休む、ということなのかと思ったら、青森出身友人Lさんによると、嫁が夫の実家を去る時にたっぷりと作り置きして帰ってくるためのものだったとも。

集まった7人の女たち、毎年けの汁を食べて育ったというLさんから直伝!

山菜たっぷり。アンカレッジでも結構手に入るのだと皆驚く。


具をとにかく細かく刻む。事前にLさんより「煮しめよりも大変かもよ~」という情報。覚悟して向う。

ごぼう、


にんじん、


大根、


あげ、


こんにゃく、さつまいも、こんぶなども細かく細かく。大豆も入れて。

ことこと。


出来上がり!


動物性のものが入ってないので胃に優しく。

確かにご飯さえあればこれで十分な具だくさん。

あ、主役の女達の写真が一枚もなかった・・・、この日に限って。刻むのに花咲く話に忙しかった。(笑)


ほっと温まりました。Lさんありがとう!

三つの創造

2012-01-12 01:07:07 | 思うに
”All things are created twice” 「全てのものは二度創造される」という言葉を聞いたことがある。

一度目は心の中での創造。
二度目は現実的な身体を用いての創造。

手を用い言葉に落として書き出すことは二度目の創造の初めの一歩。
自身にとっては「全てのものは三度創造される」と言ってもしっくりとくる。

一度目、心の中
二度目、書き出す
三度目、実行

一度目二度目の、思い、書き出すことで終わった気になってしまうことがある。

三度目の創造、身体を用いた創造、それは時には頭で想像していた何倍以上もの時間や労力を地道にこつこつと費やす必要がある。頭で描いた創造と現実的な創造がうまくかみ合わないこともある。三の実行を通しまた一度目二度目に戻り再構築し、また実行に向かい、そんな繰り返しを続けることで創造がより確固としたものになっていく。

若い頃を振り返ると、一の心の創造ばかり肥大、もしくは一と二の心や書き出し整理をすっとばしやみくもな三の実行のみ、だったり。何ともちぐはぐしていた。といって今しっくりとうまく合わさっているかというと、昔よりはということなのだけれど。

一度目二度目の創造で頭の筋肉はストレッチするけれど身体の筋肉は全くストレッチしないまま。三つの創造、筋肉のように使い鍛えていけば徐々に育っていくのだと感じている。

家族のブループリント

2012-01-12 01:01:04 | 子育てノート
目的地をブループリントを描く。

設計図がなければ建物は建てられない、砂漠へ行くのか北極へ行くのかで旅の準備も全く違ってくる、車のエンジンをかけ目的地が決まっていなければ右か左どちらに発進させればいいのかさえわからない。

目的地があるから、寄り道も楽しめる。設計図があるからこそ、そこからはずれたSerendipity(嬉しい驚き:日本語では「何かを探しているときに、探しているものとは別の価値あるものを見つける能力・才能」とウキペディアにあるけれど、英語では「才能」というより「現象」という意味で用いられているよう。元々はペルシアのフェアリーテールに出てくる言葉を英語に訳したもの。)にも出会える。



家族のミッション・ステイトメントを作ろうとしている。家族の目的・ブループリントのようなもの。じっくり時間をかけ、全員参加で。

深く潜り紡ぎ出される言葉を並べて。それは実はとてもシンプルな言葉なのかもしれない。互いを助け、互いの可能性を信じ、無条件に愛し合い、共に成長し、といったような。

まずは家族で実践すること。家族は世界への理想を現実に下ろし身体化することを学ぶ場なのだと思っている。


もうそれはそこまで

2012-01-12 00:57:37 | レゴリーグ
レゴリーグ、チームのプロジェクト・テーマ「アラスカの貝毒」についてのパンフレットの最終原稿チェックする友人J。隣で表裏どうプリントしたらいいかと試す私。Jがパンフレットから顔をあげて言う。

「周りの大人がどこまで手を入れるべきなんだろうね。本当は子どもが全部するべきなのだと思うわ。大人がいじくりまわして、もうそこに子どもはいなくなる。そんな作品、本当色々なコンテストで見てきたわ」

時間がせまってくるとついあれもこれもと手伝い始めようとする自身がいる。大人だけでやってしまった方が随分と楽だし早いし。アイデアやプログラミングやロボットデザインや、根幹のところは常に子ども達だけれど。

パンフレット、上の子達が学校へ行ってる間に何件か店を周って貼らせてもらおうと思っていたけれど、車を運転して連れて行くとこまでしてあとは自分たちで頼んで貼らせることに。

時間がないのだけれど、子ども達でできるはずのことが時間切れでできないのなら、もうそれはそこまでということなのだろう。終わった時に周りの助けに感謝しながらも「自分たちでしたんだ」という達成感を感じられるように。

学ぶということにフォーカス

2012-01-12 00:55:57 | 子育てノート
成績でなく、学ぶということにフォーカスしていく。

何を学んでいるか、トピックについて興味をもち共に調べ、ディスカッションし、体験し、自分なりにまとめさせたり、より枝葉を広げてみたり。

そんなこんなしていれば、成績なんてものは自然とついてくる。

時間とエネルギーを要するので、なかなか思うようにはいかないのだけれど。

ついつい成績チェックで終わってしまう自身へ。

レゴリーグ、劇撮影

2012-01-12 00:55:22 | レゴリーグ
レゴリーグ・「アラスカの貝毒」についてのプロジェクト、学んできたことをコミュニティとシェアするためにどうしたら?パンフレットを配る、プレゼンテーションして周る、の他に劇をユーチューブに載せよう、ということに。

チームメート父、撮影。

毒の貝食べて、


倒れる。


そして病院。


チームがかけつけ貝毒について説明、というシンプルストーリー。


ガレージにベット出現。楽しんでます。(笑)

長男、貴い体験

2012-01-09 02:08:36 | 子育てノート
レゴリーグ州大会まであと2週間を切った。まだまだ改良するところだらけでやろうとしていること山積み。ホリデイシーズンには少しの時間しかとれなかった。元旦から本格的に活動開始したけれど、3日から学校。学校のある日は宿題も多くなかなかまとまった時間向き合うことができずにいる。週末が勝負。寝不足が続く長男、土曜日は朝少しゆっくり寝、そりに行って雪の中を転げまわり、さてレゴリーグ!と帰宅すると、留守電が。

長男友人の声。「今日遊びに来ない?映画見に行ってその後レストランに食べに行って夜はスリープオーバー。何時でも迎えにいけるよ」

輝く長男の目。(笑)「スリープオーバーはしないで夜帰ってきて、それからレゴリーグしようかな」と。

「あんた何言ってるか分かってる!?」と今にも叫びそうな夫と私の表情を見、「夜できるよ」とむっとする長男。

「あなたの夢のためにね、どれほどの人が関わってどれほどの人が時間と労力を注いできてるか分かってる?コーチもずっとボランティア、チームの親達もプロジェクトを『コミュニティとシェア』(必須)するためパンフレット(貝毒についてチームが作ったもの)を置ける場所やプレゼンテーションさせてくれる場所を探し回ってる、パパもママも他にやることたくさんあるのにリーグのために毎日時間を費やして(実際の手伝いもだけれど、最近の夫との話し合いはリーグをどう進めるかばかり、笑)。プレイデイはいつだってできるけれど、リーグはあと2週間もないのよ」

だんだん大きく荒くなる自分の声を聞きながら、「今すぐガレージ行って取り掛からんか!」と怒鳴る前で一旦息を飲み込む。

「もう自分で選択してね。長い目でみて今何が必要なのかよく考えて」夫と私そう告げると席を立つ。長男口を結んで二階へ駆け上がっていく。

遅くなったランチを作ったり下の子達の世話をしたり、しばらくして気がつくとガレージに長男の姿。その日夜9時過ぎまで。ロボット何とか少し進歩、まだまだ道のりは長いらしいけれど。

レゴリーグ○○ポイント獲得!という目標に向け日々盛り上がる長男。こうして実際に自身の掲げた目標に向け優先順位を整理し地道な努力をしていくこと、貴い体験をさせてもらっている。

子育てアイデア例

2012-01-09 02:05:51 | 子育てノート
言葉だけでは身についていかないとつくづく感じる子育て。

・貯金箱のようなものとカードを部屋の一角に置き、感謝することを書き入れていく。箱にたまったものを週に一度のファミリーディナーの時に読む。感謝の気持ちと共に、貯めていくという感覚も養われ、周りもどういったことが相手に感謝されるのかを知る機会にもなる。

・家族の中で「一旦停止サイン」を考えてみたらどうだろう。口笛とか音の伴うもの。そのサインが出たら、その時していることを一旦停止、自身が何をしているのかを見直してみる。そしてしていることをそのまま続けたらどうなるかの結果も考えてもみる。
 このときやはりファミリー・ミッション・ステイトメントみたいなものがあるといい。どこに戻るかそこからどう外れているかがよく見えるだろうから。

見聞きしたことなどもあれやこれやと考え、夫と話し合いつつ。

思うことあれやこれや

2012-01-09 02:03:23 | 思うに
わざわざ口で言わなくも形にしていかなくても、そう思うことでもどんどん形にしていく必要があると感じている。それは言語や文化背景の違う者同士が家の中で共に暮らしているからということがあるのだろう。以心伝心、とはなかなかいかない。

多分こうした異なる者同士の接触が世界中に目に見える(tangible)発展を生んできたのだろう。ネットの発展などで異なるものが個人レベルで入り混ざって行くこれからの日本も今まで何となく感覚で捉えられていたものをどんどん形や言葉にして行く必要があるのかもしれない。言葉にしていくことでそぎ落とされてしまうものは必ずあるけれど、だからこそよりよく表す努力をし続ける。

書かれた文化と書かれていない文化。ユダヤの強さは言葉で書き留められていることにある。離散を余儀なくされた故、どこにいてもユダヤであれるフォーマットが整えられている。何千年も前からの知恵知識歴史伝説が書き留められ、その書き留められたことに対しての議論が書き込まれ続けている。

多分人類はより見えないものを察知する能力を磨く方向へと今後進んでいくのだろう。それでもまだまだ言葉にしていかなくては。精一杯の行為の過程が今後に繋がっていくのだから。センシティブな言葉、言葉と言葉になる以前の境界にあるような言葉が察知されやすくもなっていく。個人レベルで個々の奥にあるそれまで捉え切れなかったことをどんどん出して。

あれやこれやの妄想、載せようか迷ったけれど、多作多捨で。