靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

今日の夢

2011-01-30 23:13:33 | 
舞台の上に、二つの階段。

中段付近に一列に並ぶ人々。


左の階段では、一人が一段上ったら、残りの人々は一段下りることになっている。

右の階段では、一人が一段上ったら、残りの人々も一段共に上ることになっている。


左の階段では、誰が上るかの言い争いが絶えない。一番上と一番下の段に立つ人々の距離もますます広がる。

右の階段では、人々はどんどん上へ向かう。一番上段に全員でたどり着くと、館内放送、


「右~、終了! お疲れ様でした~!」

エジプトの旅

2011-01-30 23:12:38 | 風景・散歩・旅
20の時、エジプトを旅した。当時のボーイフレンドと5週間。バックパックの旅。


・いくつかあるオアシスの内のひとつ、シーワオアシスに泊まっていたときのこと。宿で知り合ったイギリス人とエジプト人のゲイのカップルと、鉱泉へ泳ぎに行くことに。

直径10メートル程の鉱泉。ひんやりと光る鉱水に浸っては、照りつける太陽に身体をさらし、一日過ごした。

帰り際に、「神」についての話になった。

「神というものがわからない」と私が言うと、カップルのエジプト人の方が私の手を取り、鉱泉脇のしげみに連れて行き座れと促す。向き合って座る二人の間には、花。多分オレンジがかった赤色の花だったように思う。

「みてみて、マチカ、あ~ん、なんてきれいなのお~」突き出たお腹にビキニ姿の身体をくねらせうっとりと言う彼。

「マチカ、この色! このデザイン! 神がわからないなんて、どうしてそんなことが言えるの?」



・テル・エル・アマルナの遺跡をみようと別の町へ。宿から出ることは禁止され、外から鍵がかけられた。翌朝、ずらりと並んだ軍隊が迎えに来る。私達2人と、風邪をひいてゴホゴホと咳き込むドイツ人の若者と3人、トラックの荷台に乗せられる。荷台の中央に座る私達をぐるりと囲んだ軍人は、私達に背を向け、銃口を外に向け構えている。

遺跡に向かい、砂漠を歩いているときも。ぐるりと軍人に囲まれ一緒に塊となって動く。常に銃を構え、瞳を凝らし、少しでも怪しい動きがあれば対処できる体勢でいる軍人達。

あれほどのVIP扱い、後にも先にもこの時だけだろう・・・。

当時、エジプトでは反政府勢力が、旅行客を狙って襲撃するということが頻繁にあった。全世界にアピールする格好の機会作りのために。テル・エル・アマルナ周辺では、反政府勢力が大きな力をもっていた。

軍のリーダーが、ニコニコとして言う。「何も心配することないですよ。先週少しばかり争いがありましたがね、全員殺しましたから(We have killed them all)」。

日本で生まれ育った私には、未だに現実感がない体験。



・また当時、どこへいっても日本人とわかると、「おしん!(放映され大人気)」か「バザールでゴザール!(誰が教えたんだ)」と話しかけられた。親日の人々が多かった。




エジプトが、中近東が激しく揺れている。エジプトで出会った人々の顔が次から次へと浮かんでくる。郊外での治安の悪化が深刻だという。通りでデモを繰り返す人々の、長年押さえつけられた凄まじいエネルギー。

エジプト革命、どう決着つくか、どう広がっていくのか。これから英米の影響力は益々弱く、イスラム色の益々濃くなるであろうアラブ諸国とイスラエルとの緊張感も増すだろう。

嵐を越え、穏やかな日々が再び訪れることを、心から祈っている。

風邪、その後

2011-01-30 23:03:38 | 出来事や雑感や (子育て)
三女、次女に引き続き、熱を出したかと思った次男。朝、ケロリとして元気に遊ぶ。

助かった、と思いきや、金曜日から長男ダウン。熱2日。彼が熱を出したのは数年ぶりかもしれない。熱下がった後はとめどなく流れる鼻水。鼻の下真っ赤。

そして、夫もダウン! 薬で何とか立っていられる状態。


病み上がり子供達と、病んでいる夫、ということで家にこもる日々まだまだ続く。

今のところ元気な長女と私、裏庭をせっせと走っている、昨日からだけど。


友人が、今冬のアラスカ、インフルエンザA、B、豚インフルエンザ、の順に流行っていると教えてくれた。

家の中で席巻している症状、普通の風邪よりパンチが効いているようだ。火曜日から熱を出した次女はいまだに夜咳が出る。多分インフルエンザだな。

豚インフルエンザもあれほどの大騒ぎの後、こうして普通のインフルエンザと同等に扱われるようになったんですね。かかった友人によると、「下痢嘔吐頭痛寝ていられないほどの体中の痛み高熱」とかなりパワフルのようだ。

一日で治る軽い風邪、しかここ数年ひいたことなかった子供たち、かなり鍛えられたようだ。


おかげさまで皆回復に向かっています。感謝を込めて。

風邪の対処いろいろ

2011-01-28 00:15:38 | 出来事や雑感や (子育て)
三女、次女、ときて、昨夜から次男1才半、熱。まあ、元気に学校へ行ってる上2人は昼間家にいないけれど、寝転がってゴホゴホいう姉達と一日中密室で暮らしているのだから、うつらない方が奇跡かもしれないな、とは思っていた。治りつつあった三女とも絡み合って一日中キャーキャー遊んでいたし。

それにしても、この時間差・・・、一人治れば次、いいんだかわるいんだか。家にこもる日々が続く。

今までの風邪、だいたい一日で熱も下がり元気になっていたのだけれど、今回は結構強いウイルスのようだ。2日程高熱が続き、気管支がやられた。


病院に電話して、アドバイスをもらう。

「熱が出たら、とにかく冷やしなさい。水風呂でもいい。薄着させ、氷を体中にあてるのもいい。冷やして体温を下げる。」

こちらでは熱がでるとこう言われる。暖かくして汗をガンガンかいて体温を下げる、だった、少なくとも私が小さな時は。あれは私の家庭だけのこと?身体は冷やさないように、というのが日本では主流だったような。「汗」も冷やすことではあるけれど、自身の身体の働きによって冷やすのと、外から氷などで冷やすのとではかなり違うだろう。日本でも氷枕などで頭部を冷やすことは昔からしてきたのだろうけれど。

まあ熱は、基本的に白血球が戦って身体が自然に治癒しようとしているわけだから、高すぎず体力を消耗しすぎないのなら、しばらく様子を見る方がいいのだろう、と個人的に思う。


「3日下がらなかったら、or華氏105度(摂氏40度近く)になったら病院へ来なさい。」

それまでは家で何とかする。長男が1才半だった日本滞在時、鼻水たらして咳をしていたので旅行中にこじらせないように、と病院へ行ったことがある、インフルエンザA型だからと、即入院だった。熱もなかったのだけれど。長女妊娠中、病院の囲いのついた檻のような一人用ベットで、長男と2人1週間ほど暮らしたのを覚えている。

こちらだったら、家で治していたのかもしれないな、A型といえども上記の条件にひっかからなかったら。肺炎でも抗生物質を出され、自宅療養と聞くし。


「タイラノールを飲ませなさい。」

こちらでは調子が悪くなるとまずはタイラノール。鼻水、喉痛、腹痛、熱、とにかくまずは、タイラノール。風邪の症状、解熱、痛み全般に効くとされる。

このタイラノール、リコールが出、去年、半年ほど?市場に出てなかったけれど、最近復活したようだ。タイラノールが店の棚からなくなったときには、この国は一体これからどうなってしまうのだろう、と思ったりもした。



風邪にかかることで免疫力をつけていく、ということもあるだろう。回復して様々な面でひとまわり大きくなったような子供達に驚くこともある。

次男の年で体調を崩した、ということは多分今日は一日中おんぶに抱っこだろうなあ。覚悟する朝。


上二人の学校の様子を聞いても風邪、かなり流行っているようだ。こちらに住む方々、今年は寒い冬と聞く日本に住む方々、世界各地におられる方々も(南半球は夏真っ盛りだなあ)、お気をつけて!

夫婦ノート(始まり)

2011-01-27 00:33:30 | 夫婦ノート
アラスカで出会って1年、日本とアラスカを行き来したあと、結婚。

両親には「来週結婚する」とアラスカから電話をしたのみだった。

私の両親はかなり変わっていて、本人達が駆け落ちだったこともあり、結婚は個人的なこと、という考えをもっていた。


アラスカ州で法的な結婚をするには、聖職者か弁護士の立会いが必要だ。そこで夫の知り合いのアンカレッジ市内にあるタイ仏教寺院のお坊さんに頼み、タイ式の結婚式をすることに。タイの民族衣装を着て!

結婚式当日朝、用意するように言われていた「男物の白いタイツ」を探しにあちこちの店を回った。しかし、ない。まあ、ある方が不思議なのだけれど。(笑) 結局「白い長めのソックス」を購入し、タイ仏教寺院へ。

タイコミュニティの人々が民族衣装を着せてくれた。夫は青いチョウチンブルマのようなパンツに白いハイソックス・・・・。

5人のお坊さんがお経を読んでくれる。手首に紐を巻き、額に赤いしるしをつけ、それまで一度も会ったことがないタイコミュニティの人々が花びらの浮いた水をすくい、一人ずつ祝福してくれる。

身内では今はアラスカにいない夫の母親と小学生だった妹が出席してくれた。

式のあとキャンプ、ハネムーンは野宿だった・・・。(笑)


結婚後1週間で日本へ帰国。2年間の別居婚始まる。

名字も変えず、近い友人しか結婚したことを知らなかった。友人の一人に民族衣装を着て笑う二人の写真をみせたとき、「あんたは人生をなめてる・・・。」と言われたのを覚えている。

こうして夫婦としての関係が始まった。お金も仕事も何にもなかった、学生ローンなどの借金は互いにあったけれど。(笑)


人それぞれの始まりがあり、スタート地点に立つ。

結婚はゴールではなくスタートだとつくづく思う。

惚れた晴れたの幻想が引き剥がされたところから、始まる。

努力せずとも溢れていた「愛」といわれるもの、今度は自身で創り出していくことを学ぶ。

共にいようと決めることは、「愛」を互いに創り出していくという約束にサインしたということなのかもしれない、と最近思う。

差し入れ

2011-01-27 00:32:30 | 
昨日は週に一度の「作って食べる会」の日。三女、次女と体調を崩していたので参加とりやめ。

へたっている二人の世話、そして静かなためか普段以上にくっつき虫になっている次男をあやしながら、ああ今日はシュークリームだったんだよなあ、と何度か妄想の世界へ。

そこへ、ピンポ~ン、友人が皆で作り終えたシュークリームを届けてくれた!

ああ、トロケル美味しさ。ホイップもカスタードも入ってる。カスタードはフレッシュ卵から作ったばかりという濃厚な味。

ありがとうございました。家族で堪能しました。病気&病み上がりで食欲のない二人も一気にたいらげました。


そしてキッシュも差し入れてくれた。写真とる前に食べつくしてしまったが。

五臓六腑に染み入りました。感謝を込めて。

子育てノート(辛い体験)

2011-01-26 00:27:58 | 子育てノート
毎冬、子供達1度風邪をひく。

一昨日から三女が熱を出している。

顔を赤くして、ふ~ふ~ぜ~ぜ~いっている。


「ああ今アイラ(三女)がどういう気持ちかホントによく分る。」

一年前長女も全く同じ症状で寝込んだ。

長女が三女の世話をやく。本を読んでやったり、飲み物を持ってきたり、顔をふいてやったり。


辛い体験をしておくのはいい

辛い他人の気持ちを 感じ取られるようになるから



三女の熱も下がってきたと思ったら、今度は次女。

こうしてレッスンは、続く。かける5か・・・。


ウイルスのキャッチボール、一度受けとったら終わり~、くれぐれも参加し続けないように、と願う母。



長男の発明・・・

2011-01-26 00:26:38 | 出来事や雑感や (子育て)
長男のクラスには「あららリスト(oops list)」というのがある。提出した文章のなかで、つづりを間違えたり、ピリオドがない場合は「あららリスト」に記され、間違えた単語やピリオドを100回書き直すことになっている。

長男も随分とこのリストのお世話になってきた。ピリオド、もう1000回以上は書いてきているのじゃなかろうか。そう、「.」を1000回・・・。

最近、「あ、そうだ!」「うんうんできるはず」「よ~し!」と独り言をいいながら、そそくさと部屋へ行ってゴソゴソ。

何かと思ったら、「ピリオドを書いてくれるロボット」を作っていた・・・。プログラミングして動きながら点を書いてくれるのだそうだ・・・。



「そんな暇あったら、文章書く練習せい!」という言葉は飲み込んでおいた。(笑)

過去、これから、そして今

2011-01-25 00:45:38 | 私史
初めての海外旅行はインドだった。16歳の時のこと。父親と二人、インド人のガイドさんとともに1週間。

「どうしてもインドへ行きたい。」と頼み込み、裕福な家庭ではなかったのだけれど、父親が連れて行ってくれた。

汚物にまみれた熱気、道端で眠る人々、やせこけた牛やヤギが人力車のような乗り物の横を歩く。市場に並ぶ見たこともない食べ物の匂い。服が引き裂かれそうな程の物乞い。ガンジス川に流される死体、その横で歯を磨く人々。街に溢れるサリーの色彩。

学校と家の往復で毎日が過ぎていた生活。世界には全く違う暮らしが存在するのだ、と全身で感じた。

帰国後、ガンジス川の水にあたり、一ヶ月ほど体調を壊した。多感な思春期、精神面でも、しばらく口を聞けない程のショック状態だった。

あの時、文化人類学を学ぼうと決めたのだった。自身が埋め込まれた仕組みが唯一ではない。世界は様々な仕組み・文化に溢れている!



研究者になろうと、大学院へ進み、「アラスカ先住民の仮面」を3年間追い続け、修士論文を書き終えた次の日に、長男妊娠を知った。

ちょうど12年前の今頃。日本・アラスカでの2年間の別居婚からアラスカ移住。

子育て・家庭と勉学、バリバリ両立!とならなかったのは、もちろん状況もあるのだけれど、私の場合は、ひとえに「自身の未熟さ」ゆえだった。

数年抱えた葛藤から、身体も精神も壊した。7年前のこと。



ここ数年、劇的に自身が変わってきたのを感じている。価値観から何から。根拠のない安心感とやる気。開き直り?(笑)

目の前には、粉々に砕かれた思春期の理想、が横たわっている。そして、今、欠片を集め、これからの道、を築き始めている。

一歩一歩進んでいきたい。「結果」は「今ここ」に踏み出す一歩に、後からついてくるもの。執着を手放しつつ。



10年近く会っていない父母、夫、子供達に感謝。そして、こんな私の近くにいてくれる友人達、ブログを読んでくださる方々に、心よりの感謝を込めて。

今日の夢

2011-01-24 00:01:58 | 
真っ白い正方形の部屋。

中央に人形が立っている。

人形の表面にはびっしりと直径一センチ程の赤色の印が。

一人ずつ、ひっきりなしに現れる人々。

部屋には「入口」、「出口」と書かれたドアが二つあり、入ってきた人は人形を一回転して「出口」から出て行くことになっている。

部屋に人が入ってくるたび、人形の印が光る。一つのときもあれば、いくつも同時に光ることも。全く光らない箇所もたくさん。

電気修理工のような格好をした老人が入ってくる。人形の胸のふたをあけ、コンセントを取り出し、胸の左側についている差込口に入れる。

頭の先から足の先まで全身ライトが点滅。

「自家発電じゃよ。」と目を細めて頷く老人。