靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

整理、微笑がこぼれ落ちる暮らし

2012-10-28 02:05:01 | 今週の整理
1.今週はアンカレッジの公立学校全てで先生と親の懇談会。水曜日木曜日は昼までの半日、金曜日は休み。小学校ではいつも続けて時間を組んでくれる。一時から一時二十分まで三女、一時二十分から一時四十分まで次女、といった具合に。三人終わったら車で十五分程の中学校へ向かう。四人続けての懇談会。誰についてどんな話になったのか、ちょっと混乱しながら。(笑)今の時点での状況の説明だけでなく、ではどう伸ばしていけるか、の話し合いに親身になって下さる先生方、ありがたい。周りの大人というのは、子供をジャッジし振り分けるためにいるのではなく、子供を育てていくためにいるのだと改めて思う。その子の持てるものをどう最大限開花させられるか、その子に縁ある大人が力を合わせ、そんな体勢を整えられたら。「教育はバケツを満たすようなものではなく、火をつけるようなもの(Education Is Not the Filling of a Pail, But the Lighting of a Fire)。」詩人Yeatsの言葉を胸に

2.昨日の金曜休日は、朝小児科医へ長男長女次女と健康診断に。成人するまで毎年診断に来るようにと言われつつも、お蔭様で傍目には元気なので、ついつい二年ぶり三年ぶりの診断に。身長体重をはかり、一通りの検査を終える。長男と長女次女とは同じ担当医でも別の部屋で。十三歳の長男、一人の大人として扱われ、まず本人に、親が立ち会っての検査でもいいかと了承を得ることから始まる。「何か悩みがあったら相談に来るように、親に伝えてもいいとあなたからの許可がなければ、悩みの内容を私は親に話す権利がない」とも。思春期の親と子のコミュニケーションについての話も。「家族より友達や周りのことがより気になり始める時期、それでも両方に耳を傾けてね。子供は親を今の流れに合わない時代遅れとみなし、親は子供をまだ経験浅く何も知らない幼い者とみなす。そこからコミュニケーションがうまくいかなくなりもする。あなたの思うことが伝わらないと感じるのなら、書いて整理し親に伝えるのも一つの手」と。私の方を向き、「危険なことでないのならば、本人に体験をさせ失敗させてください。子供は体験をしたいのです、自身の体験を通して子供は大きくなるのです」と。最後に「よく考えて選択するようにね。周りの子がしていることでも、あなたがおかしいと思うのなら立ち上がりあなたが正しいと思う方向へ」とアドバイス。長男長女には思春期の身体の変化についての説明もあった。皆で一時間半ほどみっちり。
身体の検査だけだと思っていたのだけれど、これほど様々な面に踏み込んだアドバイス、驚いた! 赤ちゃん時代から子供たちを知っている担当医、こうして親子共に話を聞ける機会というのはありがたい。本人達もかなり納得して耳を傾ける。一年に一度「健康診断」に出かけよう、そう思いつつ。

4.五人本当に個性様々だと思う。生まれた順によって育った環境もそれなりに違うだろうけれど、同じ親の下に育ちながら、こうも違うものかと。その子の本来持つ性質と、親との性質が組み合わさり、その子が形成されていく。それでもこれとこれを組み合わせるとこうなるといった決まった方程式はなく、化学反応のようなもので、一体どうしてこういうことになったのか!というような驚きも生まれる。
 昔、多くの兄弟の中で育ったという年配の方と話していたとき、どう育てていいかと頭を抱える私を前に、「親の思い通りに育つわけじゃないんだよ、結局その子はその子になっていくんだから、あなたがそんなに背負い込む必要なんてないと言われたことがある。それでも当時は、私が私が何とかしなければ!と踏ん張っていた。年を重ねるにつれ、その方の言葉をしみじみと思い出すことがある。ふっと力が抜ける瞬間。自分のできる限りを尽くしつつ、委ねる。

4.子供に対する様々な思いを整理し、結局子供に何を最も望むかといえば、「幸せ」を感じられる人に育って欲しいということ。それは世間的に立派な地位や仕事や学歴や、多くの人がうらやむような業績や、物質的に富み溢れる生活やといった、そんな断片的な様相ではなく。億万長者であっても、質素な家屋に家族肩寄せ合いひっそりと暮らしていたとしても、キャリアを積み世界中をバリバリと飛び回っていたとしても、小さな町で一生過ごそうとも、毎日微笑みがこぼれ落ちるような生活を送られるということ

5.昨夜は病気を乗り越えた年配の方と話す。「西洋東洋医学の助けも借りつつ、でも基本は自分で自分の身体を労わっていかないといけないのよ。今からでも何か体のためになることを少しずつでも毎日続けなさい」とアドバイス。話してくださった中から、四つに絞ってみる。
一、身体を温めることを心がける(手足の爪揉みやつぼマッサージ)
二、日に当たる(アラスカではかなり難しいけれどそれでも外を歩く時間を取る)
三、腹式呼吸
四、筋肉を鍛える(この必要性をかなり感じる今日この頃。ヨガをしつつ、腕ふり・腹筋・腕立て伏せを取り入れてみようかな)。
「シンプルでいいのだから、とにかく毎日ね」と。淡々と続けてみたい。

6.子供の発達には様々な段階があるけれど、子供達を見ていて「大切なもの」という概念を理解するようになったのが、一つの発達の段階だったと感じる。一歳前後のこと。「だいじだいじ」が分かるようになると、言い聞かせも随分と楽になる。お友達の柔らかい頬や手やさらさらとした髪、眠る赤ちゃんの肩、黄金色の落ち葉が敷き詰める地面、炊飯器に計りいれる米、触って欲しくない貴重品、「だいじだいじ」と指し示すことで、ああ身の回りには大切に注意を払う必要のあるものがあるんだな、と子供なりに納得する。「あれを触ってはだめ、そっちへ行ってはだめ!」と声を立てるよりも、「だいじだいじ」と伝えることですむ。辺り構わず無邪気に境界を越える赤ちゃん期から一歩次の段階へ。
 「だいじだいじ」を分からせるには、赤ちゃんが興味を示すものを目の前で大切に扱って見せること。赤ちゃんはきらきらとしたものが大好き。吸い込まれるように見つめる赤ちゃんの前で、「だいじだいじ」と声をかけながら、そっとそのきらきらと光を放つものをなぜて見せたり、小さな手が握り締める人形などを「だいじだいじ」とそっと抱いてみたり。
 二歳にもなり、自我が芽生え始めると、この「だいじだいじ」にも自分と他者との境界が引かれ始め、他者との葛藤も始まる。それでもまだまだその境界は曖昧。教育心理学者のピアジェは、人としての発達の初期段階にある子供というのは、本来自己中心的なもので、周りの人々や物事までも、皆自分と同じように感じたり考えたりするものだと捉えていると言う。私が大好きなプリンはお隣の何々ちゃんも大好きであるに違いない、僕がお気に入りの赤いミニカーはクラスの何々君のお気に入りでもあるに違いないなどと考え、そして人形や小さな石ころや小枝にも、自分と同じ気持ちのようなものがあると感じていると。それら自分の延長上に、全ての人々や物事を捉える段階から、他者との交流を通し、また様々な物事を体験することで、徐々に自分と相手とは、違う見方や考え方をする違う存在なのだと、また自分は周りに様々溢れる物事において、一つの異なるユニークな存在なのだと学んでいく 
 子供は自分の「だいじだいじ」と、他者の「だいじだいじ」との間に葛藤が生じた場合はどうしたらよいのかを、他者と交わる体験を通し学ぶ。私がいつも遊んでいるお気に入りの緑色のブランコに他の子が乗っている、僕が作ったブロックの塔を何々ちゃんは壊して他のものを作りたいと言う、私はドラマを見たいのに妹は歌番組を見たいという。一つ一つの葛藤が、互いに納得する着地点を見つけ、葛藤を乗り越えるための学びの機会
 「砂場で社会を学ぶ」とはそういうことなのだろうけれど、コミュニティーの人間関係も希薄で、核家族化した現代の子育てを取り巻く状況では、なかなか「砂場で社会を学ぶ」機会を見つけるのも難しい。自分のしたことで相手に悲しい思いをさせてしまった、何々君に叩かれた時痛くて悲しかった、そんな体験を繰り返し、言葉や頭での理解ではなく、体験として身体で学んでいくのが確かに理想なのだけれど、多くの子が「砂場で社会を学ぶ」ような機会に恵まれない中で、「子供の喧嘩はほおっておくのが一番」では、もううまく回っていかない面もある。「砂場」にも、「カエルの選択」などの知識や、先達の知恵や言葉が必要になってきている。それらの知恵を示しつつ、できる限り他者と交わる機会を作り出していきたい。

8.慣れ親しんだ自分を離れ、踏み出す

今日は朝から大量クッキー作り! 旅立つ友人へ。
朝八時過ぎても真っ暗なアンカレッジより。

Have a wonderful week!

日常の風景

2012-10-28 02:03:59 | 風景・散歩・旅
流星がすごい!と聞きでかけたものの、

この夜は見られず。さささむいねえ。

「ご来場ください」と立看板持った子供達。下へ行くと、

こんな建物。


中へ入ると。

影絵劇場。


ああ、何だか、懐かしい。

懇談会で学校半日、図書館へ。前庭の噴水も凍る。


子供達の大好きフルーツ、ざくろの季節到来!

嬉しくてたまらない五人。

あと四日、街もハロウィン一色


す、すごいね、これ。

様々なパンプキン参考に、こうしようああしようとアイデア膨らまし。

今日はいよいよパンプキン彫り!

最近の子供ものづくり

2012-10-27 23:59:18 | 出来事や雑感や (子育て)
皆大好物の稲荷ずし、ぎゅっぎゅっとつめて。


よいしょよいしょと伸ばし、型抜いて、


クッキー。


ママとパパに、と次女から。


いためていためて、


切り餅あられ。


ミシンの使い方を覚え、裁縫にはまっている長女。

帽子にマフラー、


人形も。


友達へのカード。

長女はちょうちょを紙に縫い、次女は飛び出すカード、三女も姉達真似てクラフト。

何か創りたくしょうがない子供達、毎日あれやこれやと。

整理、子供達の純粋さを大切に

2012-10-21 01:08:01 | 今週の整理
1.毎日朝から晩まで走り回っている。そんな日常がおくれることに感謝。様々起こる日々の出来事に、気づきの機会が溢れている。見慣れた景色が、全く違ったものに見え始める瞬間。日々の感動、驚きを大切に。心柔らかく、目を開いて。

2.次男プレスクール二週目、「ママに会いたい」とスナックの時間に泣き始めたと。迎えの時間、抱き上げて顔を覗き込む。まだ涙目の次男。「泣いちゃったんだ」と聞くと、「うん、ママ、ママって」と困った顔をしてうつむく。
 三歳すぐでプレスクールに通い始めた長男は初めの三日間泣いた、三歳ちょっと前だった長女は長男が一緒のクラスだったこともあり笑顔でバイバイ、五歳四歳だった次女と三女は年が上だったこともあり笑顔でバイバイ、三歳三ヶ月の次男、初めてのケース。普段ママと二人が多いからなあ。さてどうしたものかと先生に相談すると、携帯電話で話せるようにするといいと。次男が悲しそうになったら電話をかけて下さると。いつでもママと繋がっている、ママは必ずかえって来るもの、そう少しずつ慣れていくものよと。昔では考えられなかった新鮮なアイデア、なるほど! 週に二日三時間、様子を見守り少しずつ。

3.長女の六年生クラスで「いじめ」についての話し合い。誰か特定の子に皆でよってたかってということではなく、私が小中学校時代は日常茶飯事だったと思うような友達間のちょっとしたいざこざ程度の出来事。それでもこちらの対応はいつも思うけれど徹底している。何人かの生徒が個別に呼ばれ事情聴取、そして社会感情面専属カウンセラーの方が、ある村の学校でいじめられ続けた子がある日銃を持ち出し相手を打ってしまったという実際の体験を涙を流しながらクラスで話す。最後に六年生全員が契約書にサイン。契約書には:言語的、社会的(仲間はずれ、ネガティブな評判うわさをたてる)、身体的いじめがあるという「いじめの定義」。そしていじめを先生やスタッフに告げる、被害に合っている子のために立ち上がる、リスペクトをもって他者に接するよう促し合う、学校を皆が聞かれ安全であると思える場にする、という誓いの言葉。最後に、どんないじめも放課なしから停学まで、あらゆる段階の処分が与えられると記されていた。周りの大人そして子供達で一丸となって何としてでも止めさせる、そんな姿勢が満ちていると改めて感じた。

4.昨日、次女が三年生になって親しくなった友達の家を初めて訪れた。玄関を開けると漢字で書かれた大きな石の札。「楽育小中学校」白人のアメリカ人夫婦、アジア研究を専門とし中国に詳しい旦那さんが中国の村でいただいたのだそう。「ハッピーで楽しい学校!」、玄関で迎えてくれた母親が明るい笑顔で。何だか楽しい気分になって帰宅。

5.今、身近な身内を含め、知り合いの数人が癌。昨夜は次男と同じ年の子を持つ友人と話す。キーモセラピーを受けている彼女、頭を覆う毛糸の帽子が良く似合う。「今までの私の生き方を見直していてね。ストレスと怒りがたまっていたんだなあって。環境をがらりと変えたのよ。」治療に専念するため一旦仕事を止め、今は子供といるのが最高の癒しだと言う。微笑みながら、隣でカップケーキを食べる息子君の頭を撫でている。これから頻繁に子供達を遊ばせようね、と約束し別れる。帰り道、夕陽を見上げて歩く。次男の小さな手を引き、ふざけ合う子供達の笑い声を聞きながら。祈りつつ

6.聖書などの聖典は、科学的にあり得ない作り話だと退けたり、字面どおり信じ込んでしまうものでもなく、どうこの21世紀の現代に生かせる解釈をするか。先週に引き続き「ノアの箱舟」についてもう少し。「箱舟」とはヘブライ語で「テイバ」、「船」の他に「言葉」という意味もある。「一人一人の内の箱舟」は、知恵溢れる「言葉」によって築かれるとも解釈される。
 野獣猛獣から小さくか弱い動物まで隣り合わせに食物を分け合い、完璧なハーモニーの保たれた奇跡の場「箱舟」、洪水が収まると、ノアを初め皆出るよう命じられる。嫌がる動物も皆外へ出すよう、ノアも外へ出るよう。箱舟は閉じこもる場ではないのだと。外へ出、「箱舟」のエッセンスを少しでも広げていくために。内に箱舟を、そして箱舟で取り戻したピースを、外へ。

5.こちらには、後ろにステッカーが張られた車が多い。信号待ち時、前の車のステッカーが目に入り、はっとさせられることがよくある。先日、自分の今までのあることに対する姿勢を反省しかなり落ち込んでいたら、「Something wonderful is about to happen(何か素晴らしいことが起ころうとしている)」という言葉が目の前に。ああ、確かにこうして自分に向き合い痛い思いをすることが、どれほど自分を謙虚に成長させてくれるかと、ぱっと照らされた思いがした。一昨日は、「You may say I am a dreamer, but I am not the only one」そんなジョンレノンの歌詞のステッカーに元気づけられたり。その時置かれた状況と出会う言葉の組み合わせがいつも絶妙!

7.自分の内に「貴い場」があると共に、他の全ての人々の内にも、その本人が意識しているいないに関わらず、同じように「貴い場」がある。とてもシンプルなことだけれど、実際の生活では様々な要素がそのシンプルな仕組みを見えにくくする。人は様々。見かけも、肩書きも、所属も、持っているものも、育った環境も、考え方も、何を善しとし何を望まないのかの価値観も、信じるものも。それら目に見える表れによって、人は他者をジャッジし、分類し、上下に振り分ける。それでも一人一人の内に宿る「貴い場」には、誰の場が正しく優れていて、誰の場がより劣っているというようなことはない。一人一人に宿る「貴い場」の前に「ものさし」は必要ではない。他者と交わる上で、まずは全ての人々に等しくかけがえのない「貴い場」があるという前提を、覚えておく必要がある。その前提の上に関係を築いていく。
赤ちゃんは「ものさし」を持っていない。高級車から降り立つ華やかなドレスを着た女性にも、道端に破れた衣服を着てしゃがみこむ老婆にも、同じように微笑みかけるだろう。子育てをしつつ、赤ちゃんの澄んだ瞳に、屈託なく誰にでも話しかける幼児の笑顔に、はっと気づかされることが何度あっただろうか。大人は、この子供達の持つ純粋さを大切に育てていく必要がある。この純粋さが、他者と交わる力の源となる子供達はやがて大きくなり、知識をつけるにつけ、様々なものさしを身につける。かっこいいかっこ悪い、お金持ち貧乏、偏差値の高い学校低い学校、ステイタスのある仕事皆に見向きもされない仕事。これらのものさしを手にしつつも、全ての人々が横並びであるという一見矛盾して見える視点を、手放さないよう思い出させる必要がある。そして上下に区切られたこの現実社会の中で、かつて赤ちゃん時代に持っていた視点を、少しでも生かしていけたら。
生まれたばかりの赤ちゃんは、「貴い場」と一体。大きくなるにつれ、見失い忘れてしまうことのあるこの場に、太い架け橋を築いていくこと。自身がこの貴い場に繋がるほど、安心する力が強くなり、安心する力が強ければ強いほど、他者の貴い場を尊重する余裕が生まれる。自身の貴い場がしっかりとしていればいるほど、他者の貴い場を踏みにじるような行為や考えはなくなっていくもの。なぜなら他者を攻撃し、他者への許容力を狭める大きな要因は、自身の内にある「不安や恐れ」に他ならないから。「貴い場」を失った「不安」な人々は、ますます「ものさし」のみに依存するようになる。そして狭いものさしの中での競争を通し、勝者敗者という枠組みにがんじがらめに。狭いものさしの中では、他者と深く繋がることはできない。
 「不安や恐れ」に基づくことのない関係からこそ、新しい創造が生まれる。子供の内に、「貴い場」への架け橋を。それはより良い世界を創造する上で、最も必要とされること。

8.言葉の先へ

今日は早朝から長男長女スイムチームの水泳競技会。長男は途中抜けて航空技術関係ミーティング。あちらこちら運転しつつ、プールサイドでちびっ子追いかけながら応援、そんな週末になりそうです。

雪の舞うアンカレッジより。

Have a wonderful week!

日々の風景

2012-10-20 23:59:32 | 出来事や雑感や (子育て)
いつもの散歩、

あ、凍ってる・・・。

すっかり裸木。


小学校でのクラフトフェア、

釣りゲーム。

囲いの向こうにしばらく糸を垂らしていたらお菓子がついてきた!

顔にイルカの絵。

高校生のお姉ちゃん達が描いてくれる。

次男プレスクール。


白木にシルクに布のお人形。

温かい雰囲気。

僕のプレスクール。

ちょっと泣いちゃったりもするんだけどね。(笑)

整理、どうなったとしても大丈夫

2012-10-14 00:12:45 | 今週の整理
1.夏前まで週一日九ヶ月程続けた友人達との「持ち回り育児二時間強」のおかげと、プレスクールのスタッフも皆普段から良く知っている方々ということもあり、次男初日、笑顔で母にバイバイと。兄姉たちが学校に出かける中、「今日は僕も学校!」とバックパック背負って得意気に。五歳児までの混合クラス、三歳三ヶ月と最年少らしく、皆のアクティビティーに必死でついていった三時間だったよう。迎えにいくと、ほっとした笑顔で抱きついてくる。その後はまたいつもの甘えん坊次男に。(笑) よく頑張りました。こうして少しずつ少しずつ、親から離れちびっ子なりに自身の世界を広げる時間が築かれていく。友人たちの温もりにお世話になれることに感謝を込めて。

2.子供が一人も周りにいない!時間、週に合わせて六時間弱、母は母なりに自身の世界を広げる時間に注ぐ。カフェに駆け込み、勉強に執筆に。ふつふつと何ともいえない気持ちが湧き上がり、少し鼻をすすりながら。お蔭様でこんな時間が持てる有難さをかみ締めつつ、一分という時も大切に

3.長男が中学生になり、学力成績重視の傾向が一気に強くなる。ネットで毎日のようにアップデートされる成績表に頻繁に目を通すよう指導され、二ヶ月半の一学期間に二度三度成績途中経過に親がサインする必要もある。テストだけでなく普段の教室内でのワーク・毎日の宿題・プロジェクト、全てが細かく評価されての成績。親が成績表にサインしたかも成績に関わる!アンカレッジでも少し特殊なプログラムに通っていて、大変とは聞いていたけれどこれほどとは・・・。日本で普通の公立中学にのほほんと通った私にはかなりの驚き。日本でも進学校というのはこういうものなのだろうか。
 日々宿題・プロジェクト・頻繁にあるテスト勉強・週二回のスイミング、週一回の航空関係の集まり、もうそれだけでいっぱいいっぱい。周りには習い事に勉強にと毎晩夜中まで取り組む中学生も。これから大学までこんな調子なのかと思いきや、高校はもっと大変になると聞く。のんびり暮らした小学時代、今こうして一気に押し寄せた変化の波に溺れそうになりながら、タイムマネージメント作戦会議を毎晩のように繰り返すことで、少しずつペースを掴みつつはある。
 鍵は本人が何を目指したいのかだろう。何のためにこの波を越えて行くのか。成績は目的ではなく、目指したい方向に努力し歩き続けることで、結果的についてくるだろうものという位置づけで。夢を掲げて。日々目の前に山となるワーク、その先に夢を見据えるからこそ、突き進む力が湧き出る。波に呑まれそうになるたび、この一歩も、夢への一歩なのだと思い出させて。ここで頑張った体験は、将来他の道へ進んだとしても必ず生きてくる。

4.ほとんど努力しなかった八十九と、必死で頑張った八十九と、前者は九十に届かなかった八十九だけれど、後者は百の価値がある。結果の数字ではなく、その子自身の努力を見る。努力を褒める。

5.小学一年から共に過ごした持ち上がり組に加え、中学から試験を通して新しく入ってきた子達でプログラムの人数も今までの倍以上に。目から鼻へ抜けるような子は周りにたくさんいる。それでも「成績」として表れるのは、「賢いか賢くないか」じゃなく、「課題をし続けるかし続けないか」、その違いなのだと分かり始めているよう。「To do or not to do, that is the question」そんなもじり言葉を言い合いながら。賢く、ユニークで、創造的アイデアに溢れ、面白い子達も、高校へ上がる頃には、ほとんどがプログラムから離れていく。皆それぞれの道で、才能を開花させていけたら。

6.こちらの中学のシステムというのは、日本と随分違う。何々組というようなホームルームはなく、ロッカーを与えられ、授業間に必要なものを揃え、各教科の先生の待つクラスへ行く。生徒は算数英語科学社会の根幹クラス以外は自由に選択できる。「クラスごとの担任」の代わりに、「学年ごとにカウンセラー」がいて、何かあった場合は相談にのってくれる。昼はランチルームで友人たちと。自動販売機なども廊下に。アンカレッジ中の全ての公立中学が同じようなシステム。大学みたい。朝教室に入り待っていれば先生が次々と来て一日中授業をしてくれる、ではなく、自分で選んで動く。長男も彼の友人たちも、一気に大人っぽくしっかりして見える。ワークの大変さにも関わらず、小学校より生き生きとした様子。長男も「学年が上になるほど学校が楽しくなる」と。中学高校と息が詰まりそうで学校が好きになれなかった私自身を振り返り、日本にもこちらのシステムの方がのびのびできる子もいるだろうなと思ったり。

6.大変なとき、順風満帆なとき、子供達とアップダウンを繰り返すことで、浮き沈みを超えた絆を築くことを学んでいる。うまくいけば共に喜び、うまくいかなければ共に沈み、最善を尽くすようにと時には叱り励ましつつ、それでも常に底に、どうなったとしても大丈夫という網を張ることが、少しずつできるようになってきた。そんな網をところどころに感じさせる。成績や夢に破れるといったことが、底のところでは何ら影響することなどないのだという絆を。愛していると言葉で表してもいい、ぎゅっと抱きしめるなどのスキンシップもいい、共に遊び笑い、あなたと共にいられる喜びは、究極のところではどんな条件にも左右されないのだと。子供はこの絆の上に力強く羽ばたいていく。

7.聖書にある「ノアの箱舟」の解釈で、心に残るのが、「箱舟は一人一人の内に」というもの。人生には洪水が押し寄せる時がある。混乱し、大切なものを見失い、波に呑まれ。内に箱舟を築く大切さ。アンタッチャブルで何ものにも左右されない箱舟に入り、ピースを取り戻す時を。混乱は整理され、本当に大切なものを再び見出し。洪水は浄化を必要とする時でもある。
 嵐がおさまると、ノアは箱舟の窓から鳩を飛ばす。平和の象徴の鳩。鳩が持ち帰った陸が近いという印、オリーブの葉。オリーブは加工することなしに食すことはできない。ピースに満たされた内からは、物事を加工し有用なものへと変えるアイデアと力が生み出されるという象徴。内に箱舟を。

8.先日、妻が夫に向ける不満に多いのが「当たり前と思っている」、逆に夫が妻には「自分に対して文句や批判が多い」だという記事を読み、「夫婦がうまくいく秘訣はね」とユダヤの女性から教えてもらった話を思い出した
 ユダヤの聖典「トラ」によると、イブはアダムの骨から創られる。アダムは両性持ち、一人で子孫を増やすことができたという。女性が創られたのは、子孫を増やすことよりも、もっと他の意味があったと。エデンの園に暮らし、子供に囲まれることもでき、完璧に見える世界の中で、それでも欠けていたもの、それが女性。女性は既にあるものの中に可能性を見出し、新しい形に作り変えるために創られたのだという。夫は「妻の存在を当たり前と取らないこと。完璧に見える中でもどうしても何かが欠けていたのだという始まりを忘れないこと。」妻は「文句や批判によって夫を作り変えるのではなく、笑顔や励ましによって夫を作り変えていくこと。」夫婦として暮らして十五年、すっと納得いく話。

9.内の温もりと共に、人事を尽くして


冷え込んできました。来週は雪の予報も。
今日も子供達と駆け回ります!

Have a wonderful week!

博物館アクティビティー

2012-10-13 06:56:44 | 出来事や雑感や (子育て)
街の隅の鄙びた博物館でプレスクーラー向けのクラフトや読み聞かせ。

毎週来てるけれど、ちょっといつもと違う雰囲気。


展示物の

あれや、


これや、


それやが、


何気におしゃれしている。


ハロウィンに向けてらしい・・・。


この日は、魚がテーマ。クラフトは魚拓。

ゴム製の魚塗って、


紙被せてごしごし。


Gyotaku完成!



他にも発掘作業体験や、


パスタ遊び。


毎回なかなか楽しいです。

整理、多様なものさしで能力を引き出す教育へ

2012-10-07 00:42:11 | 今週の整理
1.昨夜は家族で映画「ガンジー」を見る。私も夫も数回見たことがあるけれど、子供達は初めて。途中で眠ってしまった三歳次男、身動きせずじっと画面を見つめる上四人。
 南アフリカそしてインドで何度も刑務所に入れられながらも主張を曲げることなく、英国からの独立を叫ぶインドの民衆の怒りが暴力という形で溢れ出せば自ら断食を続け非暴力運動を徹底するよう訴え、国レベルから普段の生活にいたるまで不公平な扱いに対し決して妥協せず、自ら紡いだ衣服を身につけ質素な生活を貫いたその姿に、世界中の人々の良心が揺り起こされた。「私は死ぬ覚悟はあるが、殺す覚悟はない。こん棒で打ちのめされ倒れる姿をもって、彼らの心に働きかけるのだ。彼らが私の屍を手にしたとしても、私の従属は決して手にすることはない。」死を覚悟したガンジーの揺ぎ無い姿勢が心に響く。
「物質的な表れによって他を下に見る弱さを乗り越える」、まずは自身の内にある不公平を日々見つめてみなさいと。人の内に宿る光に上下はないと。
 四人の子供達、それぞれの年なりに感じることがあったよう。「ガンジー」の生き様を一つのモデルとして、大切に記憶に留めて欲しい、いつか必ず力をもらう日がくるだろう。

2.早朝書き、六時半から弁当作り、子供達を学校へ送って9時過ぎに帰宅したら、次男のアクティビティに上の子達のクラスの手伝いに家事に雑事(様々なペーパーワーク&マネージメント山積み)に。子供達が帰宅する三時からは習い事に宿題に予習復習で就寝。毎日リズミカルな分刻みで時が流れる。そこへ来週から次男のプレスクールが週二回各三時間始まる! 十三年ぶりの昼間一人六時間弱、リサーチ・勉強・書く時間につぎ込みたい。ビジョンに向けて次男降ろしてすぐプレスクール近くのカフェに駆け込む予定。こうして少しずつ時間ができてくるんだなあと感慨深い。

3.十三年間、様々な子供遊ばせ会に参加してきたけれど、子供が大きくなるにつれキンダーに入ったりプレスクールの日が増えたりと、会のメンバーも随分と変化してきた。先日、今は中学生の長男を幼児期しょっちゅう遊ばせていた友人と会い「そっか、マチカちゃんてまだやってるんだよね」と笑い合った。あと二年近くで、私も卒業・・・。週に一度の集まりの一つ一つを楽しんでいきたい。赤ちゃん達の温もりに癒されてます。
 卒業間近になると、勉強を再開したり資格試験にチャレンジしたり就職活動を始めるママさんも。時間に少し余裕ができる分より質のよい家事育児を目指したいというママも。友人たちの歩みを応援しつつ、励まされながら私も一歩一歩

4.先日ロビンソンクルーソーの話を子供達と。二十八年もの間、無人島で畑を耕し、家を立て、獲物をとり、毎日木に日を刻み付け日記をつけ、規則正しく暮らし、とできたその精神の強靭さ。僕だったら私だったら・・・、様々な想像に盛り上がる。
 自分を超えていたからこそできたのだろう。自分というのは自分のものではなくて、一時形を与えられているだけのこと。与えられた自分というものを、身体そして命を、大切にしようという自分を超えた姿勢が基本にあったはず。何としてでも自分が生き延びてやるというような気持ちのみでは、二十八年間続けるのは無理。そんなことを話す。

5.米国には三十八週に何らかの「ギフテッド」プログラムがあるといわれる。通常の学級では必要が満たされない生徒への救済措置として、障害のある生徒と同じ「特殊教育(special education)」という位置づけで、公立学校のシステムに組み込まれている。「ギフテッド」とされる子供たちの特徴を把握するためによく用いられるのがBertie Kingore博士の分類。

成績優秀者     
答えを覚えている     
興味を持つ                      
注意深い          
先を行く考えを生み出す       
集団のトップ               
簡単に学ぶ        
6-8回の繰り返しで習得      
課題を時間通りにこなす       
Aを取る   

ギフテッド学習者          
思いがけない質問を持ち出す    
好奇心旺盛
選択的に精神的にはまり込む
複雑で抽象的な考えを生み出す  
集団を超える              
既に知っている           
1-3回の繰り返しで習得     
課題のプロジェクトや拡張を導く 
成績はモーティベーションにならないかもしれない

創造的思考者
例外をみる
さまよう
白昼夢。やるべきことからはずれる
考えに溢れる。進展することの無い考えも多い。
自身の集団にいる
もしこうだったら・・・、と問う
習得する必要性を問う
決して達成されることないより多くのプロジェクトを導く
成績はモーティベーションにならないかもしれない

では、こういった特徴をもった「ギフテッド」とされる子供達はどのように選別されるのかというと、現在ほとんどの州で用いられているのがIQテストや学力テスト。また中学や高校になるほど、IQテストより学力テストが重視される。

多重知能理論(Multiple Intelligence)を提唱した心理学者のHoward Gardnerは、IQテストというのは、人が持つ様々な知能の内、言語知能と、論理数学的知能の二つを測ることができるのみだとする。(その他挙げられている知能とは、音楽的知能、身体運動的知能、空間知能、対人的知能、内省的知能、博物的知能、霊的知能、実存的知能など。)
 つまり現在の「ギフテッド」とされる子供達は、単に成績優秀者や限られた知能で秀でた子供を指しているだけ。それらの狭い範囲で結果を出した子供のみに「ギフト」が与えられているとするのは、現在の教育現場がいかに単一のものさしによっているかを象徴している。「ギフテッド」プログラムという名前は、単に「成績優秀者」や「言語を操ることや論理的思考が得意な子達」のプログラムとすればいい。「ギフト」は全ての子供達に与えられている
「生来持っている潜在能力を成長させていくための環境が大切である。 各知能に優务はない。」という立場に立つGardner氏の多重知能理論に基づき、子供たち一人一人の能力や個性を伸ばしていこうと試みる州も増えてきているという。
狭く限られたものさしで上下に振り分け、皆がこぞって「成績優秀者」を目指す教育から、多様なものさしで一人一人の持つ多様な能力を引き出し育てる教育へと変わっていけたら。それが実現するのならば、世界は変わる

参考資料:
多重知能理論とは? ---Theory of Multiple Intelligence (MI) ---  佐藤 朝美
http://fukutake.iii.u-tokyo.ac.jp/affiliate/misawa/download/MISAWA_study1.pdf#search=『Intelligence Reframed: Multiple Intelligences For The 21st Century』Howard Gardner
 

6.思想家で作家のRalph Waldo Emersonの書いたものに、山とリスが喧嘩する寓話がある。山に向かってリスが言う。
Talents differ all is well and wisely put; If I cannot carry forests on my back, neither can you crack a nut.”(才能は様々で、全ての才能はそれぞれうまく据え置かれている。私が背中に林を運べないように、あなたには木の実を砕くことができない。)」
天高くそびえる山と小さな小さなリス、形の表れは大きく違えど、互いの価値に上下があるわけではないと。

7.まずは内に多様なものさしを


初雪もすっかり解け、晩秋アンカレッジより。

Have a wonderful day!

日々の風景

2012-10-06 23:59:03 | 風景・散歩・旅
初雪も昼過ぎにはほとんど解けて。

黄金色の眩しさ再び。

色を取り戻す。


雪の少し残った公園。


水泳の後のサウナ。お友達と三女に次男。

自宅から歩ける距離の大学プールで週二日レッスン上四人、近くて助かります。

六年生恒例の五ヶ月プロジェクト、長女テーマをどうしようか模索中。

キルト作りか、リモートコントロール模型飛行機作りか。飛行機の設計図を広げて。

次男と街の隅の鄙びた自然博物館へ。

話しかけつつ、狼なでなで。