靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

命が宿る

2011-11-29 00:54:49 | 子育てノート
99年の1月末日、それまで3年の間取り組んでいた修士論文「アラスカ南西部ユピックの仮面」の最後の1行を書き終えた。翌日オフィスに提出すると、その足で産婦人科へ向かった。時々感じる下腹部を刺すような痛み、私の身体に何かが起こっている。論文の最後の追い込みで随分と無理が続いていたから、ひょっとして今までかかったことのないような病気になってしまったのかもしれないな。

「おめでとうございます。6週ですよ」

中年の産婦人科医の明るい声を不思議な気持ちで聞いた。目の前のエコーの画面に小さな影が映っている。こんなに小さくても頭手足胴体、人の形をしているなんて。下腹部の温もりに手を当ててみる。ここに、私の中に、私ではない存在が育っている。

卒業したら夫の暮らすアラスカへ移住しようと決めていたけれど、まさかこんなプレゼントがついてくるとは。ふと、「ユア (yua)」を思い出す。3年の間寝ても冷めても向かい続けたユピックの仮面には、「ユア」が表されたものがある。ユピックの人々は森羅万象あらゆるものに「ユア」という「精霊 (spirit)」のようなものが宿るとかつて信じていた。「ユア」は形を超えた存在で、どんな形をとることもできるとされていた。仮面に表された「ユア」は動物の身体内に人の顔の形で表されている。狐や鳥や海豹の目や額や腹部に、人の形が刻まれている。

形を超えたものが身体内に形をとり、形を宿した身体はやがて朽ち、新しい身体がまた形を宿し、「生命」というものはこうして形を超え、「ユア」のように「永遠」に続いていくのかもしれない、そんなことを思った。

初めての妊娠はこうして始まった。


シャチに「ユア」仮面


カモメに「ユア」仮面


写真:"The Living Tradition of Yup'ik Masks" by Ann Fienup-Riordanより

妊娠期に大切なこと

2011-11-29 00:53:56 | 子育てノート
妊娠期にはできるだけゆったりとした気持ちで過ごすのがいい。胎内に育つ新しい命最優先で。非常識といわれようが、図太いといわれようが、周りの人々に理解されなかろうが、必要と感じるのならとにかく休む。

もう何をするにも一人ではない。ご飯を食べるにも、夜道を散歩するにも、毛布の温もりに包まるにも、もう一人ということはない。

自分を傷つけることを止める。自分はもう自分だけではないのだから。

解決策があるのならそのために動き、解決策がないのならくよくよ悩むことを止める。


この命を守るのは自分にしかできない。

命を育て健やかに生み出すこと以上に大切なことなど、そうはありはしない。



妊娠期に身につけたこの感覚が、その後も大きく役立っていると感じている。

生まれる前のストーリー

2011-11-29 00:53:02 | 子育てノート
生命が宿る前についての様々なストーリーを耳にしたことがある。以下その中の一つ、ユダヤの民話。

生まれる前あなたは天国にいた。そこでは魂が宝物のように大切に保管されていた。天使ライラがいつもあなたのことを見ていた。ある日あなたが生まれる日がきたのだと天国の声が天使達に告げた。するとライラがあなたの魂を導き出しこの世へ連れてきた。ライラは「あなたはかつてここにいた」そう言いながらあなたを種に入れ、あなたの母親のところへ連れてくる。そしてあなたは母親の中で育ち始めた。あなたがそこで育っている間、ライラは子宮の中にランプをつけ、「秘密の本(Book of Secret)」を読んでくれる。あなたは眠り、ライラはあなたに世界の全ての秘密を教えた。70の言語、動物たちの言葉、風の言葉、あなたの魂の歴史、あなたの過去と未来全てを。あなたは眠りながらも全ての話を聞き、それらの話を愛した。とうとうあなたが生まれる日がやってきた。ライラがあなたをこの世へ導く。あなたが生まれた瞬間、ライラはあなたの上唇のすぐ上にそっと彼女の指を触れた、ライラが教えた全てのことを秘密にしておくようにと。上唇の上のくぼみ、それはあなたが生まれる前に教えられた全てのこと、そして忘れてしまった全てのことを思い出すしるし。あなたは一生をかけて全ての秘密を学ぶことになるでしょう。

"Before you were born" retold by Howard Schwartz  
元々は1522年コンスタンティノープルで出版されたMidrash Tanbumaより。


「分かりえぬ世界」を様々なストーリーで想像するのも楽しい。

子どもはどの親の下に生まれたいかと自ら選択して生まれてくる、親と子が互いに成長するために必要な存在と引き合って生まれてくる、というような話も聞いたことがある。

成長するため互いに必要だったというストーリー、私にとってとてもしっくりとくる。こうして縁あり親子になれたこと、感謝しつつ。

子育ての目標、より具体的に

2011-11-27 00:57:50 | 子育てノート
昔知り合いと話していて、

「親が無くとも子は育つっていう諺があったりしてね、ははは」と言ったら、

「育つ?私たちは『単に育つ』なんていうことを目標としているんじゃないと思わない?」と言われたことがある。

ジューイッシュ・アメリカンの彼女のこの言葉がずっと心の深いところにある。



目標? 子育ての目標。

「いずれ一人で歩いていけるように」、そう思う。

ではそのために何が必要なのか。通信網交通網の発達で様々異なる価値観考え方に瞬時に触れることができめまぐるしく変化する世の中、少し前まで当たり前として拠り所にしていたものがしばらくしてもう崩れ去っているということもある。変化の渦の中ですっくと立ち上がり進み続けるためには何が必要なのか。

「強固な土台」と「実力」がますます必要となってくるのだと思う。「強固な土台」とはsecurity、内にどっしりとある安心感。「実力」はその土台の上に築かれていくしっかりとした知恵知識技術感性。

親の「無条件の受け入れ」、それが子供の内に強固な土台を築くことを助ける。その上に様々な条件を設け失敗を繰り返しながらも知恵知識技術感性を磨いていく。

親として具体的にどうしていけるのか。日々試行錯誤しつつ考え続けていきたい。


未来の世界を創るのは子ども達

子育ては日々未来の世界を創るということ


子供に向かう一瞬一瞬が世界に繋がっている、そう思いつつ。


何だかドカンと大きなことを言っているようですが、心の奥からの正直な気持ち考えです。上のようなテーマでブログに書いてきたこと今の時点で見えてきたことを少しずつまとめています。12年間のフィールドワーク。(笑) ちょっと更新が不定期になったり文体が少し変わるようなこともあるかもしれません。読んで下さる皆様に感謝を込めて。

兄弟姉妹間の葛藤

2011-11-27 00:57:20 | 子育てノート
兄弟姉妹間の葛藤、古くからの永遠のテーマといえるかもしれない。聖書を開くとカインとアベル、兄に奴隷に売られたジョセフ、古事記をみればアマテラスとスサノオ、兄を殺したヤマトタケル。ネイティブ・アメリカンのウェネボジョ族起源神話にも弟を殺す少年の話があったりする。世界各地の民話・伝説にも兄弟姉妹間の葛藤が表された話が多くある。

神話や伝説には何層もの解釈レベルがあり、何が良いとか悪いとかそういう問題でもないのだけれど、この現実的日常生活での葛藤、何とかできないものかと思いかれこれ11年近く。もちろん葛藤を通し互いに成長していくということも大いにあるのだけれど、妬みや憎しみや争いの絶えない空間よりは、よりハーモニーのある空間を創っていきたい。

親として何ができるのか、以下これまで気づいたことや見聞きしたことを実際に試してみて「これいいじゃない!」と思ったことなど:

・弟妹が生まれる場合、新しい家族を迎える準備に上の子達を含む。胎児の写真や検診の様子をシェアし、実際にお腹を触り胎動を感じさせたり。臨月近くなりお腹の皮を隔て明らかに手とか足とか分かる形がニョッキリと飛び出す様も、上の子と共に楽しむ。服や家具や小物などを揃えるのも上の子達に色や形の選択をさせたり。赤ちゃんが出てくるのが待ち遠しくてしょうがない状態にしておく。

誕生の感動を分かち合う。家は兄姉達に立ち合い出産はさせなかったけれど、産後すぐに会えるよう病室の外で待機していた。廊下に響いた妹弟の第一声を今でも興奮して話すことがある。生まれたての真っ赤な赤ちゃんを抱っこした瞬間、かけがえのない思い出のようだ。

赤ちゃんの世話にも上の子達を含む。「お腹すいてるかな?」「オムツ替えたほうがいいかな?」「もう少し着せた方がいいかな?」「何で泣いてるんだろう?」そんなことを聞いてみたり、オムツや服を持ってきてもらったり、少し大きな子にはオムツを替えてもらったり。「あなたの妹(弟)本当に気持ちよさそうね、ありがとう」、一緒に世話をした後ホッとした様子の赤ちゃんを見ながら声をかける。こうして子どもの「母性」を引き出していく。

・一人一人が尊重されているという自覚を持てるよう、その子自身に向き合う時間を大切にする。一人一人と出かける時間を作ったり。親のアテンション欲しさが動機という争いは随分と減る。

・「あの子はこれができるのに何であなたはできないの?」などという兄弟姉妹間の比較は絶対口に出さない。あの子の方が多い少ないという考え方をさせないよう。一人一人がそれぞれかけがえのない特別な存在という態度で接する。

普段から「個別性」でなく「繋がり」を自覚させるような言葉を使う。「名前」でなく「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」「あなたの妹(弟)」(これは日本語では不自然かな、Your little brother, Your little sister)というような言葉を使う。「お兄ちゃん今どうしてるんだろうね」「あれどこにいるんだろう、お姉ちゃん探してきて」などなど。

・辛いこと悲しいこと嬉しいこと、兄弟姉妹が体験したこと気持ちを一緒に共有する。「お姉ちゃんあんなことになって辛かっただろうね」「お兄ちゃん本当に嬉しかっただろうね」と言葉をかけ共に感情を共有。兄弟姉妹が喜んでいるのなら妬むのでなく一緒に喜べるよう。

喧嘩はどちらが悪いとか良いとか裁定するのでなく、どう解決していけるのかをゴールに据える。「正しい間違っている」よりも、「どう親切であれるか」を優先するよう教える。両者がハッピーにwin-winとなるにはどうしたらよいか、創造的な解決策を出し合えるよう。相手が自身の言葉や態度にどんな気持ちになっているか共感するよう促しつつ。

身体を傷つけるようなことは強く戒めるようにする。どれほど身体も心も痛いかを想像共感させる。

できる子に教えさせる。往々にして上の子の方が年が上な分何でもできるものだけれど、できる子にできない子を教えさせる。できないことをからかうのでなく、徐々にできるようになる過程を共に楽しめるよう。

一緒に協力してできる手伝いやプロジェクトを与える。「30分間でこの部屋2人できれいにできるかな」「夏に撮った草花の写真、アルバムに張ってどんな名前や特徴なのか書き入れてオリジナル草花辞典作ってみようか」などなど。共に同じゴールに向かいアイデアを出し合い力を合わせていけるよう。

葛藤が起こったときだけ動くのでなく、うまく仲良く尊重し合えている時に「皆仲良くできて楽しいね気持ちいいね」などという声をかけてみる。和の溢れる空間を自覚できるよう。

許すことの尊さを教える。「よく許してあげられたね」「許すことでどんどん心が開いてきれいになっていくんだよ」などと、許したときの「軽さ」を自覚させる。どれほど自身が許されてきたかと感謝の気持ちを思い出させもしつつ。


私には2つ上の兄が1人いるのだけれど、子供の頃よく喧嘩したと思う。口でかなわないからと私からよく手を出した、蹴りやパンチや。(笑)「もう一生口も聞きたくない!」と思っても10分後には仲良く遊んでいたもの。兄がいじめられたりしたら、私が仕返ししてやる!といきり立っていた。

兄弟姉妹、本気で喧嘩し共に笑い転げ、濃く密な他者との体験ができる貴い関係。

「楽しいときも悔しいときもあるけれど、色々な体験を共有することで共に成長していくためにこうして縁あってね、兄弟姉妹に生まれてきたんだよ。助け合っていきたいね」そんな言葉を今日も子ども達にかけつつ。

感謝祭

2011-11-27 00:56:43 | 出来事や雑感や (行事)
一晩ハーブに無事漬け込んだ七面鳥、

バターに再びローズマリー、セージ、タイム、ガーリックを混ぜたものを、塗り込む。


皮の中にも、お腹の中にも塗って塗って。


野菜を添えてオーブンで湯せん。七面鳥、パサパサしないには湯せんがいい、と今年友人から聞き早速試す。

インゲンとクリームとドライオニオン、オイスターとコーンとグリンピースとパンを揚げたもの、ヤム芋とスイートポテト煮、感謝祭の定番もオーブンへ。

芋を剥く次女。

来客前に雪かいて。

しかしよく降ります。

4時間後。七面鳥こんがり!

確かに湯せん、驚くほどしっとりでした。ネットのレシピにあった皮の下までバターもよかったよう。かなり好評。

七面鳥からの油でグレイビー・ソースを作り、友人達がパイやマッシュポテトや寿司やシャンパンやワインなどもってきてくれて、

シャンパンでかんぱ~い!



楽しく美味しくいただきました。感謝を込めて。

七面鳥下ごしらえ!

2011-11-25 00:39:05 | 
感謝祭前日、まずは水に塩を溶かし、

ローズマリー、セージ、タイムを入れる。

強い香りに包まれる。犬もなんだこの匂いはと寄ってくる。

よ~し、漬けるぞ。

えっ、入んない・・・。

初めから分かりそうなものでしょ、とつぶやきつつ。(笑)

この時点で夜9時近く。今から大きい鍋買いに行く? と皆で顔を見合わせ途方にくれる。

そうだ!

中身を出して。


これでどう。

なかなかシュールな・・・。


今日は感謝祭。北米では大きな行事。感謝祭料理、日本のお節料理のような位置づけかも。

さて今から残りの料理に取り掛かるぞ!

毎年11月4週目の木曜日に行われるこの祭、ヨーロッパとネイティブ・アメリカンの収穫祭を起源とし、17世紀頃から祝われ始めたと言われている。今ではあらゆることに感謝する日に。

今年も感謝祭を迎えられること、ありがとうございます。

こうして読んで下さる方々に感謝を込めて。

Have a wonderful weekend!

子供言葉

2011-11-25 00:37:06 | 子供言葉
蜘蛛が床の上をそろそろと歩いている。結構大きい。三女4才次男2才がキャーキャー。

私: じゃあ外に逃がしてあげようか。

裏庭への戸口にて。暗闇に蜘蛛をそっと放つ。

三女と次男: ばいば~い、蜘蛛さん元気でね~。ばいば~い!

少し離れたソファでぼそっと長女10才:

まあ、つぶされるか凍死かっていったら、凍死の方が安らに逝けるかもね。

IQという「ものさし」

2011-11-23 00:55:03 | 思うに
IQテスト、上三人も心理学者と一対一でいくつか受けたことがある。英語を用いたものや言語を用いないもの。「世界共通」という例題をいくつか見せてもらいながら結果の説明を聞く。5歳くらいで受けるIQテストは、パターン認識、図形、間違い探し、記憶、迷路などから成っている。

12歳くらいまでのIQテストのスコアには、年齢が大きく絡んでくる。5歳で10歳の問題が解ければIQ200なんてこともあり得る。前倒しで問題が解けるのなら高いIQ。だからといってそれらのスコアが全く変わらず一生続くわけでもなく、小学校一年生時のIQよりも小学校3年生以降のIQの方が大人になっても変動が少ないとされているけれど、後になって単に早熟だっただけということもあり得る。

IQテストを見て思ったのは、「知性」のほんの一部分を切り取り測ったものということ。「ものさしの一つ」にすぎないということ。「ものさし」があれば、高い低い長い短いという順列は生まれるけれど、「ものさし」を変えるのなら全く違う高い低い長い短いになる。

山間部や離島などの辺境地域に暮らす子の方が都市部に暮らす子よりもIQテストのスコアが低いという比較結果もあるようだ。世界中の様々な地域に暮らす民族的にも、IQテストで高いスコアを出す人々とそうでない人々がいるという。

IQテストは「普遍的な頭の良し悪し」を測るわけではなく、単に世界で色々な意味で力を持っている集団が掲げる「ものさしの一つ」、そう思う。

もっと様々な「知」を測る「ものさし」があればいいのにと思うことがある。鳥の声を聞き分けられる、海の状態で魚の群れの動きが分かる、空の色で明日の天気が分かる、野生動物の糞を見てその動物がどんな状態であるか分かる、仮面を彫るのに最適な流木を見分けられる。辺境の村々に暮らす子ども達はそんな「ものさし」で測れば、とてつもない高スコアをはじき出すのかもしれない。

そんなことを思いながらネットを見ていたら、潜在能力を測るPQ(後HQに。英語のWikipediaにはPQ、HQどちらもないのだけれど)や創造性を測るCQなんて試みもあるらしい(失敗しているらしいけれど)と知った。情緒面社会性面を測るEQ、EIなどはよく聞くけれど。

他者の気持ちが分かる、正直であれる、見返りを求めず他者を思いやれる、そんなことに飛びぬけた能力を表す人々もいる。人前に出ることなく静かに笑っているそんな彼ら彼女。

世界が様々な「ものさし」の溢れる場であったら。この「ものさし」にはひっかからないけれど、あの「ものさし」では飛びぬけている、そんな一人一人違った得意分野が生かせ合えたら。そんなことを夢想しつつ。


参照:ウキペディア(知能指数、PQ)、Wikipedia(EQ、EI)

注ぎ溢れさす、人付き合い

2011-11-23 00:54:53 | イメージ・ヴィジョン
人付き合いで、相手と自身の感情面を表すガラスのコップのようなものを思い浮かべることがある。なみなみと水分をたたえている場合もあれば、空っぽ近くなっていることもある。

空っぽ近くなっていると、張り詰めた糸のように少しの力が加わっただけでぷつんと切れる。良かれと思ってしたことも思いもよらない方向にとられたりする。

相手のコップの水分を飲み干すのでなく、注ぎ溢れさすことをイメージして付き合っていけたら。相手からいただく水分に感謝しつつ、相手のコップへも注いでいけるよう。

自身のコップにはなるべく自身で注ぐよう心がけていくと、相手にされたことに対して自身が過剰に反応することもないのかもしれない。

大切に美味しくいただきながら、相手にも自身にも溢れんばかりに注ぎ続けることをイメージしていけたら。

水分の溢れる源泉は、多分、無限なのだから。

パイナップルチャーハン&トム・ヤム・クン

2011-11-23 00:54:02 | 
何人かの友人はこの日雪のアラスカを脱出して南の島へバケーション。

よしっ、気持ちだけは南で、とこんなメニュー。(笑)

友人持参の立派な海老を剥いて、


頭と殻で出汁。

パイナップルをくりぬいて。


パイナップル・チャーハン!


トム・ヤム・クン! きのこもたけのこも入ってる。香菜たっぷりのせて。


プリンセスたちもいただきます。


外はマイナス15度・・・。


雪景色に「南」を満喫。温まりました。

(よかったらこちらイマココ煮もどうぞ。複数人で続けるブログです。「カイ」で書いてます。)

玩具

2011-11-21 02:12:36 | 出来事や雑感や (子育て)
姑さんから長男長女が夏にいただいた玩具屋のギフトカード、週末ようやくその大手玩具屋へ出かけた。普段近所にあるローカル経営の小さな玩具屋はよくのぞくのだけれど、この大手玩具スーパーは一年ぶりくらい。目が回るほどのおもちゃおもちゃおもちゃ。

5人の子ども、長い間玩具にお世話になってきた。様々な玩具を経、どういう玩具が理想的かというのが自分なりにようやく整理されてきたように思う。以前ならギフトカードを手にこんなたくさんの玩具に囲まれたのなら迷いに迷った挙句ヘトヘトになって最後には一週間もすれば誰も触らなくなるようなものを掴んでいたかもしれない。

玩具はなるべく子どもの側から働きかけができるものがいい。ボタンを押して玩具が色々してくれるものより子供の工夫によって様々形を変えるものや幅の広がるもの。シンプルで素材はなるべくなら自然のものが身体にしっとりと馴染み長い間大切にできる。といって子どもが大きくなるにつれ複雑なものを組み立てるとなるとプラスティックでないと難しかったりする。それでも小さな頃の土台となる玩具は、と思う。そして大きくなってもなるべくその方向に近いものを、と。極端なことを言えば、土台の玩具としては枝や石や布があれば十分なのかもしれない。

などと母の意見を伝えつつも、最終的に決めるのは長男と長女。(笑) 長男はずっと欲しかった「スケートボード」、長女は散々迷って「ろくろ(粘土の器を作るもの)」。残りのお金は皆で遊べるものと相談して「積み木ビー玉コース」。

この「積み木ビー玉コース」、12歳は12歳なりに、2歳は2歳なりに、5人皆が楽しめなかなかよかった。


ビー玉がコトンコトンと木に当たる音、ビー玉の間をおいた動き、コースを様々変えて。


ベルを鳴らしテーブルから落ち太鼓を叩きドミノを倒して鉄琴の階段を降りる。賑やか。(笑)


職人が時間をかけ作った玩具、手作り玩具、そういったものに囲まれた空間ほど贅沢なものはないのかもしれない。そんな経済的時間的余裕のない状況、こういった玩具に出会える機会、ありがたいです。