靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

近況整理、「これからも私は幸せであるだろう」

2013-04-28 01:54:57 | 今週の整理
1.雪でなく雨!が降ったり、晴れても強風だったりと、屋内で過ごすことも多かった今週。それでも日中5度以上になる日が続き、そうなるとアロハシャツにショーツで道を行く人を見かけたりと、もうアラスカンは春を飛び越え夏に向けまっしぐら。「タラの芽」摘みに、カヤックに、キャンプにと、夏の楽しみが頭を駆け巡る今日この頃です。

2.今日はこれからマラソン大会(Heart Run:心臓病患者の支援ファンドレイジングや、心臓疾患への喚起を呼び起こすためのイベント)に参加することになり。長男以外はタイムが出ることもなく、ほとんど歩きになるでしょうが、三キロ。三歳児六歳児連れて完歩なるか。昨日ゼッケンを取りにいった夫と長男によると、ものすごい参加者数だったらしい。アンカレッジで一般向け本格的マラソン大会というと、去年秋以来だからでしょう。まだ道路わきには雪がたくさん残り、朝はまだ0度ちょっと上くらいの気温ですが、行ってきます!

3.これから三週間ほど、学校での行事続きに、週末は上四人合わせて七つの誕生日会プラスプレーデートなどが入り。そしてそのまま夏休み突入。夏の間、五人と一日中外を走り回り、太陽をたくさん浴びて、身体的には健やかではありますが、コンピューターに向かう時間の調整がなかなか難しくなります。それでも、細々とでもブログの更新続けていきたいです。読んでくださる皆様に感謝を込めて

4.火曜水曜木曜と日中次男のプレーデート。木曜日は、海に面した山の上の公園のはずが、ものすごい風(子供たち向かい風に前へ進めない状態)で急遽家に移動。そのまま仕事帰りの友人、友人の夫さんも加わり、タコスの夜。私は夫が夜のミーティングで遅かったので、長男陸上と長女ダンスの送り迎えに出たり入ったり。ちびっ子たちも車であちらこちら連れ回されず友達とはしゃぎまくれて大喜びでした。夜八時でも明るく、「明日そういえばまだ学校だよね」と思い出し合いながら、わいわい賑やかに楽しい夜でした。

5.友人の夫さんと話していて、きつい状況が続いたという最近の出来事をシェアしてくれる。「でも、これで自分は色々なことを学んだんだよ、どんなことでも結局はより良くなるために起こっているのかもしれないな」そう最後につぶやいて。「Everything is for good、私もそう信じている」そう窓の外で遊ぶ子供を眺めながら言い、彼に視線を戻すと、暖かな微笑みがあった。ぽかぽかな日差しが辺りを包んで、くっきりと残った春のワンシーン。

6.最近は電話がなると、上三人の友達からのことがほとんど。宿題についてから、その日学校であったこと、趣味のこと。一昨日は電話を取った次女が興奮した大声で「○○ちゃんのお母さん妊娠だって。五人目!」と。お友達がママから聞いたその場で大喜びで電話をかけてきたよう。嬉しいニュース、おめでとう!

7.長男のラングエッジアートクラスの宿題で、「二十五年後の自分について」のエッセイをA4二枚に書いてくるというものがあった。たまたまコンピューターに残っていたのを読み、こんなこと思い描いているのねと新鮮だった。本人の了承を得つつ引用: 「37歳。ビーチに面した家に、美しい妻と六歳の女の子四歳の男の子(具体的名前も!)と暮らしている。毎日家族でビーチを散歩する、この前は息子に泳ぎを教えたところ、最愛の妻とは定期的に二人で出かけ映画を見に行ったり食事をしたり。目指していた人の役にも立つ仕事につき(以前から口にしている具体的職種名。一応ここではふせておいて)、最愛の家族を不自由なく養う十分な収入を、こうして生きがいを感じる仕事で得ることができている。そして今、あの七年生のエッセイにビジュアル化したことが、いかに現実に近いものであったかに驚いている。中学時代の友人達とは今でも交流が続いている。私の家族は人生を楽しみ、私も楽しんでいる。人生はハッピーなローラーコスターのようなもの、楽しみもあれば辛いこともある。それでも今までもそうであったように、今もそうであるように、これからも私は幸せであるだろう。」

今零下2度ほど。マラソン、行ってきます! 吐く息白い早朝のアンカレッジより。

皆様の一週間が、素晴らしい日々でありますように!

Have a wonderful week!


日常風景:

湿原へ!


友人息子君二人も一緒に。

あっ、鳥の巣!


それ~。


氷、解けてる~。              


長男と次男。

一緒に出かけると二人ぺったり。

気持ち~ね。


このこおりね、もってかえろうとおもうんだけどね。


歩いて歩いて。


スナック!


木曜日のタコスな夜。


トランポリンでも遊ぶ。


デザートタイム!

友人差し入れもちアイスクリーム!


三女、秋から毎週キンダークラスで作ってきたパン。最後は自分独自のレシピを作ってみようというプロジェクト。

三女考案、りんごとレモネード入りパン!


子育てノート、共にいる喜びを感じさせる

2013-04-28 01:54:06 | 子育てノート
長男もティーン、長女もプリティーン。

彼・彼女の発する言葉や態度そのものだけを見ていたら、そっけなかったり、ぶっきらぼうだったり、高飛車だったり、むやみに反抗的だったり。こちらも何それ!と怒りたくなったり、き~!となることもあります。

昨日は長女にその態度はないでしょ!と踏み込んで話した後、長女と夫がぶつかり、長女は部屋にこもりいじけて眠ってしまい。

夕食が始まり、寝起きの長女も席に着き。その日あったことから少し哲学的なことまで様々なトピックについて話し合い、冗談を言い合っては笑う内、長女の表情も次第にほぐれ心も開き。夕食後はソファでくっついてマッサージし合い、その日作ったレゴの飛行機を得意げに見せる次男や、今日はこんな文章が読めるようになったと大声で読み上げる三女の様子に、互いに目配せして微笑み。

友人関係や異性関係や、ピアプレッシャーにホルモンの変化に。ティーンは、あれやこれやと自分の外側を塗りたくり、飾り立て、周りに自分というものをどう見せようかと様々試しているようなところがある。こんなんじゃだめだ! とイライラして落ち込んで、何てうまくできたんだろう!と舞い上がり。

それでも彼・彼女の心の奥に耳を目を澄ませると、ピュアで透明な部分が常に変わらずあるのが見えてきます。そのピュアなままでいいのだと、ほっとさせる時間を持つ。そんなに一生懸命覆わずとも、その素の部分でこそが最も美しいのだと安心させる時。

それは、どんなあなたでも底のところでは受け入れ無条件に愛していると感じさせるということなのでしょうが、そういった観念的なことよりも、まずは親自身が、その子と共にいることを心から喜び楽しんでいると感じさせる、それが大きいように感じています。

すぐに切り替え、その子の素のピュアな部分にフォーカスし、共にいることを心の底から喜び楽しんでいるのだと感じさせる、そうすることで、その子は奥深いところで安心感を取り戻し、ピュアであれる強さを取り戻す

「I love you」と抱きしめ、腕や背中をさすり、手を繋ぎ、腕を組みといった、喜びを凝縮して表す時も、日常生活に散りばめつつ。寝る前、別れの時、帰宅した時、それ以外にもランダムに。

こうして共にいられる喜び、それは「子育ての喜び(例えば)」に日々立ち返ることで、心の底から湧き上がり溢れ出てきます。

今こうして共にいられる喜び、親自身の喜びを感じさせること、それは、小さな子に対しても、ティーンに対しても、とてもパワフルで確実な変化を生み出すと感じています。

子育てノート、喜びを見出す その二

2013-04-28 01:52:55 | 子育てノート
子供達が「喜びを見出す」姿勢を身につけるために役立つヒント&方法例:


身近な周りを見回す
 普段当たり前に通り過ぎてしまうようなことに、たくさんの喜びを見つけます。真っ青な空、面白い形をした雲、雨上がりの虹、銀色の雪雲、サラサラな新雪、まん丸な月、果汁の滴るフルーツ、新鮮な野菜の甘さ。忙しく動き回る日常にふと立ち止まり、「きれいだねえ、あの形不思議だねえ、美味しいねえ」と嬉しそうに感動してみせます。子供は日々の生活の中に、喜びの芽がたくさんあるのだと感じるようになります。


笑う
 クスクスからお腹を抱えてゲラゲラまで、日々共に笑う機会をもつよう心がけます。子供は親が楽しそうにしているのが大好きです。親が笑うことで子供も自然と笑顔になります。思春期に入り、時にギクシャクする親子関係も、一緒に笑う機会を持つことでスムーズになります。「笑い」は凝り固まった見方を一気に広げ、再び喜びを見出すための潤滑油です。あれやこれやと立て込み、忙しくきりきりと張り詰めたときこそ、生活のあちらこちらに冗談を散りばめ、ふっと緩める時を共有していきましょう。


目的を見つける
 日常の「やるべきこと」も、必ず何らかのより大きく高い目的に繋がっています。目の前の漢字ドリルに取り組むのも、提出期限に間に合わせるためだけでなく、漢字を使いこなすことでよりたくさんの情報を理解できるようになるため、目の前の人参を口に入れるのも、好き嫌いを言うとママに叱られるからだけでなく、大好きな追いかけっこのできる健康な身体を作るためです。毎日の子育ても、未来の世界を創るための一歩です。より大きな目的を見つけることで、また一つ喜びが生まれます。


あげる・助ける喜び
 もらう喜びだけでなく、あげる喜びを体験させます。少し多めにお菓子などを持っていたら、周りの子にあげるように促します。子供というのは「あげる」のが大好きです。嬉しそうに配ってまわるでしょう。家の中でも年齢に応じたお手伝いなど、「してあげる」体験をさせます。小さな子供でも、靴箱や本箱の整頓、食事前に箸を整えたり、食べ終わったら流し台に皿を持って来ることができます。切った野菜を鍋に入れたり、お米を計って炊飯器に入れることもできるでしょう。「ああ助かったわ、本当にありがとう」そう喜んで見せることで、子供はもっとお手伝いしたいと思うものです。

 家の中だけでなく、悲しんでいる子を笑わせてあげたり、仲間に入りにくそうにしている子を入れてあげたことを一緒に喜んでやります。親戚や周りの人々の誕生日にカードやプレゼントをあげたり、まだ使えるけれど使わなくなったものを必要とする人々に寄付するのもいいです。電車やバスで席をゆずったり、重そうにしている人の荷物を持ったり、親も子供の前で率先してそんな姿を見せることです。病気の人や老人ホームを訪ねたり、ホームレス支援センターを手伝いに行くこともできます。ごみ拾いや掃除のボランティアなど、コミュニティーの活動に参加するのもいいでしょう。自分のもてるものを、周りの人々に差し出す喜びをたくさん体験させましょう。


教え伝える喜び
 こうしたらうまくいった、ああしたらうまくいかなかった、そんな体験が周りの人々の役に立つのは嬉しいことです。掛け算の覚え方、しっとり焼けたバナナブレッド、背泳ぎを早くする手や足の動かし方、必要とする人に体験をシェアすることで、失敗は生かされ、成功の喜びは増します。

 子供が積み重ねた体験や知識を、その子より年下や経験の浅い子に伝えさせる機会を持ちます。「教えることが、最高の学習方法」と言われるように、他人に教えることにより、内容を消化できよりしっかりと身につけられるということもありますが、何より大きいのは、目の前の問題を、また違った角度から眺められるようになることです。他人に教えよう伝えようと意識することで、目の前の問題は、また一つ何らかの解決方法を提案できる機会に変わります。教え伝える喜びをたくさん体験させます。そうすれば問題の渦中で悲しみや苦しみに浸り留まり続けるよりも、どうしたらこの問題を解決することができるだろうと、解決策に目を向ける習慣が培われていきます。


創る喜び
 創る楽しみをたくさん体験させます。玩具も、既に出来上がったのものよりも、なるべく創る過程を楽しめるものを与えます。組み立てて様々な形ができるものや、クラフトのキットなど、お友達や親戚へのプレゼントにも喜ばれます。安全に扱える年齢になったのならば、クレヨンや色鉛筆や色紙やはさみやのりなどの工作用具を、いつでもすぐ手の届くところにおいておきます。我が家でも子供達が家で過ごす多くの時間、切って貼ってと夢中になって過ごしています。

 料理も食卓に並べるだけでなく、共に作ります。野菜を切ったり、巻き厨子を巻いたり、稲荷ずしに寿司飯をつめたり、子供でも年齢に応じてできることはたくさんあります。小学校中学年にもなれば、クッキーなども、親はオーブンの出し入れを手伝うくらいで、自分で作ってしまえるものです。家でもインターネットでレシピを見つけては、休日の度、上の子達三人で代わる代わるお菓子を作っています。

 子供達が何かを創っているときの集中力や熱意というのはとても強いものです。五人の子や周りの子を眺めていても、創る喜びというのは、人の奥深くに備わっているものなのだとつくづく感じています。小さな頃から創る喜びをたくさん体験させてやりましょう。創造する喜びは、その後の人生を豊かで幅のあるものにしてくれるでしょう。


温もりを体験させる
 子供時代に温もりに包まれる体験をたくさんさせましょう。子供達が大きくなり幸せだったと思い出すのは、周りの大人たちが、自分と向き合い過ごしてくれた何気ない日常の風景です。最新式のゲーム機を買ってやる、日本一のジェットコースターのある遊園地へ連れて行くというような、物質的で刺激に溢れた楽しみでではありません。今度はあれを買ってやろうあそこに連れて行ってやろう、そういった特別なことはそれほど必要ではないのです。

 心の奥深くに残る温もりを、たくさん感じさせてやることが大切です。母と手を繋いで歌いながら散歩したこと、父と車の中でしりとりし合ったこと、叔母とよく熟れたフルーツを美味しいねと食べたこと、夕暮れの校庭で逆上がりができるようになったと父に見せたこと、仕事帰りの母とその日あった出来事を話しながら夕焼けの中帰宅したこと、湯気の上る台所で夕飯を作る祖母の手伝いをしたこと、髪をなでる母の匂いに包まれて眠ったこと。そんな何気ない日常の中に、温もりが溢れています。子供と向き合い、共に楽しむ時間を毎日の生活に散りばめましょう。それが子供達の奥深くで、喜びというものの原型を形作ります。


周りの大人がモデル
 周りの大人が手本です。不平不満や文句ばかりになっていないか、身の回りの物事に喜びを見出す余裕を持てているか、立ち止まり見直してみます。コップに半分の水を見、ああ半分もないと思うか、半分もあると思うか。もう半分をどうしたら満たせるかと試行錯誤する喜びを見出せる自分であるかです。

 辛く苦しかった時を思い出すのならば、今こうして普通に暮らせることへの喜びが湧き上がります。壁を乗り越えた自分を思い出すのならば、目の前の壁もまた次の壁を越えるための訓練だと喜ぶことができます。そしてもしこうして壁に向き合った体験が、少しでも他人の役に立つのならば、これほどの喜びはありません。

肩の力を抜き、ほっと一息つきながら、周りに溢れる喜びを一つ一つ胸に抱いていきましょう。どんな物事もより大きな目的と繋がっています。未来の世界を担うのは子供達です。目の前の課題溢れる育児も、世界の創造への一歩。そんな一歩を踏み出せる喜びを、日々かみ締めていきたいです。

夫婦は、一人が痛いなら、両方が痛い

2013-04-28 01:46:02 | 夫婦ノート
昨夜のファミリーディナートピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)



「潤す時」を生活のサイクルに組み入れる

道端の井戸。そこにいけば、渇いた喉を、潤すことができる。

そんな井戸に戻る時を、生活のサイクルに組み入れる。

朝こうして何兆もの細胞が働き、心臓が規則正しく血液を送り出し生きていることの不思議を思い、食べ物を前に「いただきます」「ごちそうさま」と感謝の気持ちを思い出し、眠る前にその日あったことそれまであったことへの感謝の言葉を言い合い、周りの人々の最善を祈り、週に一度のファミリーディナーには少し着飾り人生について話し合い、年に一度の祭りを繰り返し祝い。

それは、旅路に立ち止まり、どこから来て、どこへ向かっているのかと見直す時。

長いドライブに「いつつくの~?」「あとどれくら~い?」と、き~き~言い出す子供たちが、途中ところどころ休憩し、少し散歩して外の澄んだ空気を吸うことで、リフレッシュする時のようなもの。

そんな井戸に赴き水を汲む時を、生活のサイクルに組み入れる。



夫婦間の話し方について心に留めておきたいこと。(将来のために上の子たちも交えて)

結婚し、子供を持ち、つくづく思うのは、結婚生活や子供を育てるということが、現実的にどういうことなのか、どうしたらよりよいかの知恵やヒントを、若い時分からもう少し学ぶ機会がないものかということ。

以下(aish.com, Emor 5771)より: 夫婦は二人が一つの存在になるということ。一人がうまくいかないのならば、両方がうまくいかない。一人が痛みを負うなら、両方が痛みを負う。ある夫婦が病院へ行き、医者が「どこが痛むのですか?」と聞くと、夫が「妻の足が痛むということが痛いんです(Her foot is hurting us)」と。

1・とにかくまずは聞く (単に気持ちを聞いて欲しいこともあるもの) 

2・相手を遮らない  

3.声を荒立てない (忘れて相手が荒立て始めたら、手をそっと相手の手の甲におき思い出させるなどあらかじめ決めておいたり)  

4.もし主張を通したいのならば、質問形式にしてみる。 (やめて!でなく、あなたがそうされたらどう思う?など)

5.非難しない。相手のせいにしない。 (これは本当につくづく思うこと。非難からはどこにも行き着かない。「せい」にしている間に、どう解決していけるか、解決のために自分が何をできるか相手をどう助けていけるかを話し合う)

6.問題の元は他にあるかもしれない。(ジャムのふたを閉めてない!と怒る理由は、三日前の約束事を忘れていることにあったり)

7.相手の言ったことを繰り返すことで、理解していると示す。(あなたの言いたいのは、こういうことなのよねとまとめてみる)

8、問題に対する解決案を尋ねる (自分の言い分をレクチャーするだけでなく、相手の案を聞きだす)

9.常に覚えておくこと:何十億と地球上にいる人々の中から、この人を相手に選んだのだということ。相手の輝く部分にフォーカス。欠けた部分を補い合い、共に成長していくためにこうして一緒にいるのだということ。

プレーデート!友人&子供達つくりモノ

2013-04-27 23:59:30 | 出来事や雑感や (子育て)
火曜日友人宅。テーブルの上にはカリフォルニアロールに、お花にウサギにひよこにと可愛くくり抜かれたチーズ。


夜子供達が寝た後取り掛かるのが楽しみなの、とこんな製作中手作りリースも見せてもらう!


水曜日友人宅。

ぶっぶ~と車フルーツ。


壁のこちらに、


あちらに、

手作りリース!

火曜日の友人Sちゃんは、この友人Yちゃんに教わったのだそう。
フェルトと毛糸であったか、こんなに美しくて素敵!

お友達。


皆でサンドイッチ作ろうプロジェクトを用意してくださる。


こうして塗って挟んで、美味しいね。



木曜日は公園のはずが強風で急遽家に。

友人に手伝ってもらい、


鈴カステラ!


こうしてクリームつけて。


スプリンクルなんかもつけて。


おいしいね。


こんなおまけ。


きゃははは、と笑って笑って。

友人娘ちゃんと次男。


近況整理、「私は自分のしていることを愛している」

2013-04-21 05:04:03 | 今週の整理
1.日中0度を上回る晴天続き。夜も朝も太陽の光(六時半日の出、九時半日の入り)! 毎日きもちよ~く、外を走り回ってます。スノーパンツなしで外遊びができる! そりも公園遊びも、まぶしくて。アラスカは冬の暗さ(一日の大半が暗闇)と、この夏(一日の大半が明るい)に向けてのギャップがすごいです。太陽の光に熱に、元気をもらい、力みなぎり。太陽ってすごい!とつくづく。

2.長男は陸上(走って飛んで)にロボティックスに、長女はダンス。今のところ、したい!と熱をあげているもの。長女のはまっているのは、ダンスというより、アクロバティックというか、~雑技団といったようなもの。週五日レッスンを取りたいと請われているのですが、学校がある日々はなかなか難しく。夏は少しレッスンを増やす予定。子供達を見ていると、生まれつきの身体の柔らかさというのがあるのかなと思ったり。毎日酢を飲んでいたわけでもないのですが、(笑) 長女は他の子たちに比べ、くねくねです。

3.去年の今頃は「レゴリーグ世界大会」でセントルイスにいたんだよね、今年は「レゴリーグ」したいなあと言う子供達。そんな中、夫の同僚から「これあなたの子供達?」とメールをいただきました。 アラスカのレゴリーグのプロモーション・クリップ(こちらhttp://www.youtube.com/watch?feature=player_detailpage&v=Ah8efHI2UoM)。「子供達の可能性を伸ばすことが、長い目で見た社会への投資。私は自分のしていることを愛している(I love what I do)」そうクリップの中で、目を輝かせるレベッカ・パークさん(アラスカ「ファーストレゴリーグ(FLL)」担当。the Juneau Economic Development Council)。去年の大会会場で忙しく動き回り、参加者・ボランティア一人一人に、声をかけていた彼女の姿を思い出します。長男長女次女の参加した2011-12年は148チーム、2012-13年は154チームと、アラスカのレゴリーグ参加チームも増えているよう。
 クリップの最後の方に、長男がロボットのセンサーなどについて説明する様子、その後ろに長女が。長男、声も高く、顔つきも小学生で、12歳から13歳までの1年というのは、こんなに変化するものなのだと感慨深かったです。いい思い出をいただきました。さて、今年の「レゴリーグ」、どうしましょう。

今日は早朝長女水泳、次女友人宅、長男NPO活動、夕方は散歩、明日はハイキングにでも。夏休みの予定決めも大詰めに。今日も晴れ渡ったアンカレッジより。

Have a wonderful week!

日常風景:

長男、週末のロボティックスワークショップ。


長女ダンス。


こんなだったり、


こうして、


くるりんと起き上がったり。
そり


まだまだそり!

三女に次男。

よいしょっと。


それ~!


じゃんっぷ!


友人の息子君二人も乗せて。


それ~!


第二次世界大戦時の軍倉庫後。


スノーエンジェル描き。

こうして寝て手足を動かし起きると、真っ白な雪にエンジェルのような形出来上がり。

スナックタイム!


楽しかったね。



長女ビーズ。


床にこんな人。

算数の教材、三女と次男の遊び道具に。

町で出会うまぶしさに、感謝をこめて

2013-04-21 05:03:00 | 思うに
木曜日の夜、長女のブラスバンド・コンサートがあった。アンカレッジ市の公立小学校は、六年生になると皆、ブラスバンドかオーケストラかの練習をすることになっている。この日は、アンカレッジの東地区にある小中高校が合同で発表会。

それまで楽器に触ったこともなく楽譜が読めなかったような子も、皆立派に演奏していた。全ての子にこんな機会が与えられ、ある程度なかなか聞けるような演奏ができるようにしてしまうなんて、すごいことだなと感心した。

小学校数校を合わせた小学校部門、三十代くらいの男の先生が指揮を取る。この先生がまた素晴らしかった。曲の雰囲気に合わせサングラスをかけてみたり、一旦終わったと観衆が拍手を始めたところ「じゃじゃ~ん」とエンディングを入れてみたり、トロンボーンの子達に立ち上がってリズムに合わせた動きをさせてみたり、その表情や仕草一つ一つが生き生きとエネルギーに溢れ、先生自身が心から楽しんでいる。そして子供達の笑顔も生き生きと輝いていた。

自分がしていることを、楽しんでいる人は輝いている。

自分がしていることに、喜びを見出している人はまぶしい。

演奏に合わせ、座席の一番前に座っていた小学校高学年くらいの体格のいい男の子が踊り始めた。ダウン症のその子の隣で、お母さんが、その子の動きの一つ一つに大きく頷きながら、一緒にリズムを取っている。そのお母さんの笑顔が、まぶしかった。

こんなまぶしさが、はっと私を中心に戻してくれる。

ああ、また随分と逸れてしまっていた、そう我に返る。

町で出会うまぶしさ。小学校の廊下ですれ違う掃除夫のおじさんの笑顔、「私に任せたら学校中ぴっかぴかになっちゃうよ」と胸を叩いていた。スーパーのレジで、勢い良くキーボードを打ち、レシートを渡しながら「今日もよい日を!」と歌うように言うおばさんのまぶしい笑顔。

喜びを見失わない人々。喜びは、常に幾層にも重なり、目の前に溢れている。

そして人から借りたメガネでは、そんな溢れる喜びを見出せない。

あのまぶしい笑顔に、感謝を込めて。



高校の体育館にて


日本太鼓の演奏も!

この高校生バンドを率いる日本人女性、先生としての他にも個人的に西洋と東洋の音を合わせた音楽活動をしている。昔私が働いていた職場の同僚男性の娘さんでもあり。元同僚夫婦を思い浮かべながら、その子育てを想いながら。こうして大好きなことに生き生きと取り組む彼女の姿、輝いてました。

子育てノート、喜びを見出す

2013-04-21 05:02:35 | 子育てノート
何でも嫌々するより、楽しみながら取り組むのならば、歩き始めた地点からいつの間にかはるか遠くにたどり着いている自分に気がつきます。長い電車旅行も、稜線にゆっくりと沈む太陽のグラディエーションを眺め、徐々に増える民家の灯りを数え、一つ一つの灯りの中でどんなドラマが繰り広げられているかと想像することで、豊かに楽しむことができます。山道を行く車の中でも、言葉遊びに夢中になることで、あっという間に目的地にたどり着くものです。じっと我慢して揺られているよりも、少し発想や視点を変えるなどの工夫次第で、楽しみを見出していくことができます。

苦手なマッシュルームも、自分で育ててみることで口に入れるのが嬉しくなり、山積みの宿題も、細分化し小さなゴールを散りばめることで、達成感の嬉しさを積み重ねていくことができます。気が向かない仕事も、愛する家族に健やかな環境を与えられるようにと思えば、有難い機会に見え、掃除も、家族やゲストが気持ちよくくつろぐ笑顔を思い浮かべると、嬉しくなるのです。だだをこね言うことを聞かない子供も、自我が育っている証拠、家が散らかるのも、子供が元気に遊んでいる証しと思うのなら、余裕を持って子供達に接することができるでしょう。

目を凝らせば、目の前のあらゆるものに、「喜び」を見出せます。喜びを見出し続けるのならば、努力を努力とも思わず、はるか遠くに進んでいくことができます。

小さな子供が、片づけが嫌だというのならば、「この電車は車庫に帰る時間だね、しゅっぱ~つしんこ~、しゅっしゅっぽっぽ」「お人形さんもう眠いみたいだね、ミルクをあげてベッドで寝かしてあげよう」などと声をかけ、お風呂が嫌なら泡遊びの楽しさを思い出させます。「イヤイヤ」と首を振る幼い子にも、「楽しみ」や「喜び」を並べることで、しかめっ面に、輝く笑顔が戻り、喜んで取り組み始めます。 

 小中学生の子供でも、より現実的論理的に「喜び」を思い出させることで、前向きに物事に取り組み始めることがあります。部屋の掃除をなかなかしないのならば、整理整頓し、窓を開けフレッシュな空気を取り入れたときの気持ちよさを思い出させ、ジャンクフードを好んで食べ続けるようならば、ヘルシーな食べ物がいかに身体の糧になるのかを共にリサーチしてみるのもいいです。



子育ての「喜び」

 毎日やるべきことが山積みの子育て生活。五人の子供を抱える我が家でも、分刻みで時間が過ぎていきます。早朝から六人分の弁当作り、寝ぼけ眼の子等の背中を押し着替えさせ、朝ごはんを食べさせ、学校に送った後は、人数が多いだけ汚れ方も半端ではない家中の掃除、山積みの洗濯、夕食の準備、日用品や食料の買出しに、小学校のボランティア、次男の図書館での読み聞かせやプレイデートなどのアクティビティーもあります。四人の子供が学校を終える昼過ぎからは、水泳やダンスなどの習い事の送り迎え、車の中で昼間に用意したおにぎりなどのスナックを食べさせ、帰宅した後は一人ずつ宿題を見、予習復習をし、弱い部分を補強し、得意な部分には次のレベルの課題を与え、順番に見てもらうのを待っている子や終わった子にはくつろいだ時間を持たせてやり。一段落したら揃って夕食です。食後も後片付けはひとまず横に置き、引き続き勉強を見つつ、下の子達を風呂に入れ寝る準備を整えさせ、そうしていると就寝時間です。毎日私は家事育児従事者兼、送迎運転手に家庭教師です。

こういったスケジュールに組み込まれたこと以外にも、子供の世話は次から次へとノンストップ。駄々をこねる子をなだめ、無理難題を主張する子を諭し、気のそれた子を揺り起こし、境界を越える子を叱り、その日あったことを延々と話し続ける子に耳を傾け、友達関係の相談に乗り、ままごとで店を訪ねた客になりプラスティックのベーコンをかじり、ちょっと何度目の「もう一回!」だっけ? と思いながらカードゲームを続け。

ああ、自分の時間なんてこれっぽちもない! しかも毎日毎日自分の持てる力をこれほど出し尽くし続けたとしても、世間に何ら認められるわけでもない、それに寝てる時以外はほとんどノンストップで労働力もかなりなものであるはずなのに、贅沢できるお金が手に入るわけでもない、社会の隅で誰の目に留まることもなく日々年を取って行く、ああもう嫌だ。そうしゃがみこんでしまうことが今まで何度もありました。

それでも進み続けるための力を与えてくれたのが、「喜び」でした。はるか遠くを見上げ、そこにあるだろうと想像する「喜び」などよりも、今この目の前に「喜び」が溢れている、徐々にそう感じるようになっていったのです。


1.生活の中に散りばめられた喜び

朝焼けに、スヤスヤと眠る子供達の寝顔。薄暗い台所に響く包丁の音に目を覚まし「ママおはようと」抱きついてき、切ったばかりのオレンジをまだ半分閉じた目で嬉しそうにほお張り、幼い下の子のぐずる声に寝室へ行き抱き上げると、「ママあ」と肩に顔をうずめ。上の子が下の子の朝食を手伝ってやる姿、「今日のお弁当美味しそう!」と叫ぶ表情、学校の前で車から降りる時に交わすハグ、「いってきま~す!」と手を振る満面の笑み、手を繋いで校舎に歩いていく背中。朝日の差し込む居間には白木の積み木が重ねられ、物干し竿には手の平に乗るほどの靴下から私のよりも大きな靴下が並び。文字が読めるようになったと大はしゃぎのちびっ子とABCの歌を大声で歌いながら掃除し、膝に座らせ絵本を読み聞かせ、絵本に登場するウサギの真似をして一緒に部屋中飛び回り、買い物に出かけたスーパーで「あと一つ何買うか忘れちゃった」とつぶやくと「牛乳!」と大きな目をして教えてくれ。駐車場を歩きながら握る小さな手、車から「よいしょよいしょ」と荷物を降ろし一生懸命冷蔵庫に詰めようとするピンクの頬、夕食を作り始める傍でミニカー競争に夢中の小さなつむじ。学校に迎えに行った車に勢いよく乗り込む上の子達のほっとした表情、水泳のバタフライができるようになった、なかなかできなかったステップが踏めるようになったと習い事の帰り道の車で興奮して話し、食卓に向かいぺこぺこのお腹をさすりながら「いっただっきま~す」と勢いよく食べ始め、目を合わせ「美味しいね」と頷き合い、その日あったことを話しながら皆で椅子から落ちそうになるくらい笑い転げ。額をくっつき合わせうんうん唸りながら英文法や算数の図形問題に取り組み、窓の外の銀世界を眺めながら蜂蜜入りホットミルクを飲み、小さな歯を一本一本磨き、ベッドの上に皆でくっ付きあって感謝の言葉を言い合い。

日常に喜びの瞬間が溢れています。


2.限られた時期を共に過ごしているという喜び

長いスパンで見たら、こうして密に共にいられるのは、本当に限られた一時のこと。子育てを終えられた先輩方が、「ああ今が一番いいときなのよ」と目を細めて言うことがありますが、そんな視点から今を眺めてみる。ものすごいスピードで成長を続ける子供達、今こうして過ごす一瞬一瞬は、二度と戻ってこない。


3.子供達の思い出作りをしているという喜び。

子供達が大きくなり、懐かしく思い出すのは、自分自身を振りかえって見ても、大好きな玩具を買ってもらったり、、豪華なクルージングの旅といったものよりも、一つ一つの何気ない日常風景なのではないでしょうか。共に過ごす一時一時が、子供の内に思い出を築く限られた機会、そう思うのならば、また日常の一瞬一瞬が輝き始めます。


4.未来の世界作りの喜び。

そしてこれからの世界を創っていくのは、子供達だということ、その子供達の土台となる大切な最初の一時を、共に過ごしているのだという子育ての原点を思い出すとき、またはっと目が覚めます。未来の世界を創るという壮大な計画の片隅に、日々こうしているのだという緊張感、それもまた深い喜びの一つではないでしょうか。


子供達と過ごす一瞬一瞬に、「喜び」が溢れています。状況はアップダウンを繰り返し、次から次へと課題にぶちあたり、子供の世話というのは目の回るような毎日。それでもその大変さばかりに気を取られ、喜びを見出す目を曇らせてしまったら、何とももったいないこと。

また、ああだったらこうだったら喜びが手に入るに違いないと想像の世界に浸り、今この目の前にある喜びに気がつかないのでは、本当にもったいないことでもあります。

は~とため息をつく横には、未来を見つめキラキラと輝く瞳があります。

日常に溢れる一つ一つの喜び、それらの「喜び」にフォーカスするのならば、先にそびえるどんなに高い山も、どんなに険しく深い谷も、力強く越えていけます。



「喜び」には様々な層が

 一つの物事を前にしても、幾層もの喜びを見出すことができます。例えば夕焼けを前にして、空に描かれるオレンジやピンク、ゆっくりと流れるくもの形など、まずは五感で捉えられる造形的な喜びがあります。そして目の前に広がる夕焼けの美しさを、大好きな人々と分かち合うといった他者と感動を共有する喜びもあるでしょう。この美しい景色を次世代に残していきたいと、目的や意義を持つ喜びもあるかもしれません。感動を絵に描いたり、言葉に表現してみたりと創造の喜びを持つこともできるでしょう。また太陽が光を放ち、その周りを地球が自転と公転を繰り返しているという、夕焼けの背後にある壮大なスケールの「不思議」に触れる喜びもあります。何層もの喜びに目を向けるのなら、あらゆる物事は喜びに溢れたものになります。

十年ほど前、精神と身体を病んだ時のことです。強烈な恐怖と不安感に、毎晩眠ることができず、パジャマで裏庭を徘徊し、頻繁に起きる回転性めまいに運転もできず、三歳と一歳の乳幼児を抱え、お腹の中には新しい命。日常生活もままならず、世界がひっくり返ってしまうような苦しみでした。それでも今振り返ると、あの体験がいかに自分を強くし、今生きる上での支えになっているかを思います。

あの体験があったからこそ、今こうして普通に暮らせることへの感謝の気持ちに溢れ、何を選択することで自分の精神と身体を傷つけてしまうのかを学んだのです。あの辛い体験があったからこそ、どちらの方向へ進んだらいいのかが見え始めたのでした。それまでの私は、すぐに心が折れてしまい、病気がちで、あのままでは五人の子供を育てることなどできなかったかもしれません。子育てというのは、日々様々なことが起こります。病気になる以前の私だったら、心配と不安とでとっくに動けなくなっていたでしょう。

 今困難や試練に出会うと、辛いながらも、ああ今度は何を学ぶ時期なのだろう、そう思うことができます。目の前にそびえる壁は、また乗り越える術を学ぶ機会です。一つ壁を乗り越える度、次の壁を乗り越えるための智恵と筋肉がつくのです。今では、難しい状況の中で、悲しみ苦しみながらも、よしまた鍛えられ力がつく機会だ、そう心の底で喜びにも似た気持ちを持つ自分がいます。

「喜びを見出す」とは、例え目の前の状況に涙を流しながらも、深く心の底から湧き上がるこんな喜びも含まれます。そしてこんな喜びこそが、どんな状況に置かれても、また進み続ける力を与えてくれます。



「喜び」にフォーカス

サッカー場をイメージしてください。端に置かれたゴールからゴールまで、かなりの距離があります。サッカー選手は試合中、ジグザグや円や直線や、様々な軌跡を描きつつ何度も何度もこの間を行き来します。それでももし「ボール」がなかったのならば、動きはすぐにストップしてしまいます。「ボール」なしで、これらと同じ動きをすることはできません。「ボール」があるからこそ、「ボール」を手にする前には想像もつかなかった動きを、想像もつかなかったほど長い時間、続けることができるのです。

この「ボール」こそが、「喜び」です。目の前のあらゆる物事は、幾層もの喜びの宝庫です。「喜び」にフォーカスすることです。そうすれば、「喜び」を手にする前には想像もつかなかった距離を、行くことができます。

「隣人を愛す」、「自転車の車輪」という世界観

2013-04-21 05:01:09 | ファミリーディナートピック
昨夜のファミリーディナー・トピック。
(毎週金曜日の夜は、家族で知恵やバリューについての話をしています。我が家は今のところ特定の宗教に属すということはないのですが、宗教的テキストからも大いに学ぶことがあると思っています。)


隣人を愛する、について。


・聖書の「自分自身を愛するように隣人を愛せよ(You shall love your neighbor as yourself)」(Leviticus, Chapter19)がオリジン。


・「愛する」と一言で表されるものの、現実的実用的に、隣人を愛する「行為」とは?(HaKav V’HaKabbalah[1785-1865])より
1.尊敬をもって他者に接する(Treat others with respect、)
2.他者の最善を求める(Seek the best for them.)
3.他者の痛みを共に感じる(Join in their pain.)
4.好意をもって親切に他者に挨拶する(Greet them with friendliness.)
5.真実かどうか不確かでも相手に有利に解釈する(Give the benefit of the doubt.)
6.物理的に金銭的に援助してやる。(Assist others, physically or monetarily.)
7.相手より自分がより良いとみなさない(Don’t consider yourself better than others.)


・ユダヤの世界観
 人は自転車の車輪のようなもの。車輪の中心から枝分かれした部分が互いに異なる個人。それでも異なる個々人それぞれが奥深くに潜ったところでは、一つ。実際に触れられるもの見えるもののみに拠っているのならば、「違い」しか見えない。



・昔読んだルドルフ・シュタイナーの著書に、「最も自身と相容れないと思う考え方価値観信条を持つ人々、自身が最も憎む人々に、『繋がり』を感じることが、魂を成長させる」というようなことが書かれていたのを覚えている。これは、目の前に見えるものを超え、奥深く「自転車の車輪の中心」を見出すことに似ている。


・心理学者ユングが唱えた「集合的無意識」。「一人一人の心の奥深くに、個々人・集団・民族の違いを超えた普遍的な場がある。」


・「もし人が肉を切っていて、ナイフで手を傷つけてしまったからと、仕返しにナイフを持っていた手を傷つけるだろうか?」(タルムードより)

もし、個々人の心の奥深くに、違いを超えた普遍的な場、「車輪の中心」があるとするのならば、相手に嫌なことをされたり、相手に傷つけられたから、やり返してやろうと思うことは、同じ自分自身を傷つけるようなもの。もし、心の奥底で、普遍的場に出会うのならば、他者に対して投げかける言葉も、行為も、自分自身に対してしているのと同じこと。




「隣人を愛す」とは、自分や他者に対し、間違いや過ちを愛し受け入れあるがままにしておけばいいということではない。与えられた「違い」「個性」、それらの欠けた部分は、より良くしていこうと励まし合い、改善へ向け努力し続ける。

それでも、それらの間違いや過ちなどの互いに欠けた部分が、「隣人への愛」を何ら損なうものではないということ。車輪の広がり部分は、何ら隣人に対する尊敬や愛に影響を与えるものではない。

「自身を愛するように隣人を愛す」とは、互いの違いを超えた「車輪の中心」、個々の心の奥深くで繋がる普遍的な場に対する、尊敬であり、愛。

心の奥深くにそんな場を感じられるのならば、どんな隣人をも愛することができるのかもしれない。

子供言葉

2013-04-21 05:00:07 | 子供言葉
お絵かき大好き三歳次男。
日々ああでもないこうでもないとぶつぶつ言いながら何やら描いています。

この日も嬉しそうに紙を差し出し。


次男: できた!




私: うわあ、いっぱい描いたねえ。これな~に?

次男: イラン

子育てノート、テキスト交換にはまり込んだら

2013-04-21 05:00:03 | 子育てノート
こちらの小中高校生に人気なテキスト交換アプリケーション、「Kik」。中一長男、小六長女のクラスでも、今ではスマートフォンをもっていない子を探すほうが難しいほどなのですが、持っている子のほとんどがKikを入れています。

そんな中、日々膨大な数のテキスト交換に、学校の課題が手つかずになったり、常にテキストが気になり普通の日常生活が送れなくなったり、夜遅くまで止められなくて寝不足になったり、少しでも離れたら仲間はずれになるんじゃないかと心配になったり、そんな問題も出ているよう。

家では、長男長女が、電話回線のないスマートフォン(これをフォンと言うのはおかしいかもしれませんが)を持っているのですが(WiFiのあるところでのみ通信可能。家でのリサーチなどに使ったり、アプリを試してみたり)、Kikを入れたいというので、少し調べてました。

その中で、子供がKikにはまりこんで困ったという親が、解決策としてうまくいった例をあげていた記事がありました

ネットワークに入っている相手の親達子供達皆で話し合いの場を設け、全員が守られそうな時間リミットを決めたというもの。この日の何時から何時までをKikタイムとしてしまう。自分の親だけなく、何人もの親の目が見ている。自分の子供だけでなく、他の子供も見守る。Kikに入っている皆で、コミュニティーを作ってしまうというもの。

Kikを始めて三ヶ月ほど、今のところ、長男はほとんど関心なし、学校から帰ってまずはテキストをチェックをする長女も、するときしないときをうまくコントロールできているよう。

それでもこのコミュニティー作り解決法、将来、もし問題にぶつかったときに参考にしようと思ってます。

次男、過程の一面

2013-04-20 23:59:57 | 子育てノート
次男について、「過敏」というのは、あくまでも様々な性質の一面。

「過敏」ということに、私自身が「過敏」にならないように。(笑)

お友達とふざけあって追いかけ合い、慣れてくれば「あれねしようこれしよう」と自分から誘い、追いかけられないのなら大人の男の人にも自分からしがみついていき、初めての場では、最初は固まっていたとしても、時間がたてば彼なりの遊びを見つけて楽しんでいるもの。夜も「怖い」なんて言わずすやすやと眠ることの方がほとんどで、そりや公園遊びやボール投げや小川での石並べが楽しくて「まぶしさ」や「吹きつける風」なんて頓着せず走り回っていることの方が圧倒的に多く。

こう見てくると、どこが「過敏」なんだとも思えてくるのですが、過敏さもそうでない部分も、うまく伸ばしていけたら、そう思っています。

そして私自身、自分の子に対してだけでなく、周りを見回し、「難しい子」、「周りと違ってしまう子」、「手のかかる子」、そういった子に対し、すぐにジャッジせず、「成長の過程」と寛容に捉え、何か手伝えることはないかと接していく、そんな姿勢を心に留めていきたいと思っています。

おかげさまで次男も毎日ケタケタと笑いながら、元気に暮らしています。

日々こつこつと自分達にできる限りをしつつ、歩いていきます。

心配して下さった方々、心よりの感謝を込めて。



次男の一週間:

自然博物館でのプレスクーラー向けアクティビティー。

Lちゃんと。

この日のテーマはムース!


本物の角!


毛も触らせてもらう。

茶色くて柔らかいのが内側で、白くて硬いのが外側に生えてるんだね。

えっ、ムースの前歯は下の歯しかないんだって!?


博物館の先生が、色々教えて下さいました。

ムースの赤ちゃん!


湿原のボードウォークにも。


走ったり雪砕いたり、ママと二人な午後。

きもち~。


Kちゃんとバトミントンしたり、


わいわい遊具で遊んだり。



Cちゃんと再びプールにも!


その後はカフェでランチして、


また公園!

水溜りに石をじゃらじゃら落とす遊びに熱中。


毎日よく遊んでよく寝て。ママも楽しませてもらってます。

近況整理、えっ、あなたの世代も交換日記だったのね

2013-04-14 05:14:05 | 今週の整理
1.今週はマイナス十度近くにもなる寒い日が続き。雪も降り降り。それでも動物園にそりにと屋外を走り回ってました。山の上のシャレーで友人の息子君三歳の誕生日会も! 友人達と子育てについてのあれやこれやを話して話して、いつもホント元気をもらってます。

2.次男、仲良しなCちゃんと交換日記をしないかと誘っていただく。一回り下のママ友さんの言葉に「あなたの時代にもあったのねえ」と何だかほっとしたり。(笑)次男だけでなく、上の姉たちもしっかり書き綴ってました(私達ページ使いすぎ・・・)。次男も大喜び、楽しい誘いに感謝!

3.昼間働いていてなかなか会えない友人が、娘ちゃん(三女と同じ年)と共に夕方訪ねてくれる。おいしいねえ、と一緒に作った夕ご飯を自賛し合いながら、わいわいと楽しく。こちらに「今日の夕飯」を載せることもあるacupofteaさん。その手際よさアイデア、さすが!翌日学校の子供たちも九時近くまで外で遊び。久しぶりにつらつらと思いの内を話し合って、楽しかったです。

4.土曜次男三女、日曜長女次女を連れカフェへ。皆楽しみにしている交代のお出かけ。普段話さないこともぺちゃくちゃ話し、私はもっぱら聞き手に。クリームソーダ飲みながら、女子間のちょっとねちねちっとした友人関係、ああそういうのあったなあと懐かしく思い出し。ゆっくりと子供の言い分を聞く時間を持つことで、親子関係もよりスムーズになると感じてます。

5.五月終わりから始まる三ヶ月!夏休みの予定立て。長男は陸上に水泳、長女はダンスに水泳、次女サッカー、三女水泳、その上乗馬もしたい!とリクエスト。長男はNPO団体の他州と州内での合宿が三週間近く入っていて、他にもロボティックスワークショップ。さてさて時間的にも経済的にもどう盛り込んでいくか。勉強面でのそれぞれのカリキュラムも作る必要あり(学校からの宿題なし)、教材の情報も集め中。次男のペースも大切にしつつ(次男のサインがなかったら、また最後の優先順位へと埋もれてしまっていただろうとつくづく)。あと一ヶ月ちょっとで夏休み!


今日は長女の水泳に、長男はロボティックスの集まりとNPO活動、明日は長女のダンスショーのドレスリハーサル(真っ赤な口紅や頬紅を明日までに買い揃えないと)、森の中へ湖へと散歩も!

皆様の一週間が素晴らしいものでありますように! 真っ青な春空にたっぷりと降り積もった雪、氷点下のアンカレッジより。

Have a wonderful week!


日常風景:

友人息子君三歳!


ハッピバースで~トゥ~ユ~。


床に這う方達。


ああ可愛すぎ。


シャレーを走り回って。皆大はしゃぎで大満喫。



Cちゃんと次男の交換日記。

わさわさと動きそうな「あひる」や「車」など。


ちゃっかりお手紙を書く姉達。


Cちゃんと次男、南の島でくつろぐの図。



友人とご飯。


見て見て!○○(三女)こんなに大きくなっちゃった!という叫び声に居間へいってみれば。

巨人がソファに横たっていた。


皆一通り巨人に・・・。(笑)

友人娘Mちゃん。

カフェへ。


ぺちゃくちゃぺちゃくちゃ。



三女お絵かき。

個人的には中央の「魚」がシュールで好きです。(笑)

子育てノート、過敏さ、「過度激動(OE)」について

2013-04-14 05:13:09 | 「ギフテッド」教育について
次男を見ていると、その「過敏さ」に気づきます。

例えば最近でも: 大人が子供を追いかけ、周りの子がきゃ~と楽しそうに走り回る中でも、部屋の隅やベッドの下に丸まって本気で恐怖におののき泣く(今まで何度か。泣いている子など誰もおらず皆楽しそう)。動物園で泳ぐアザラシを見ながら隣の小さな子がガラスをどんどんと叩くのを見て、血相を変え私にしがみついてくる(ガラスが割れて水が溢れアザラシが出てくると思ったよう)。トイレに「落ちる」のが怖くてついてきて欲しいと言う。私が隣にいても眠る際「怖い」と言うことがある。まぶしさや、風が吹き付ける感覚(周りの子達が元気に走り回っている程度でも)が苦手で、しゃがみこんだり屋内(日差しの強い日はカーテンを閉めたがる。カーペットに写る日向と日陰のシルエットを見て日が当たってるのはあそこだけよと分からせカーテンは開けたままにしておきます)や影に行きたがる。

こういった普通は通り過ぎてしまえることでも、こんな過敏に反応していたら、確かにストレスもたまり易く、チックといった症状としても出てしまうのだろうなと感じています。

「怖がり」という面では、長男の方がもっと強かったかなと思いますが、対処としては、子供の「恐怖」や「深刻さ」を助長せず、優しく明るく「たいしたことないのよ」と笑い飛ばしていく、実際にハードルを下げつつ(まぶしさや風の弱い日から徐々に強い日へと)慣らしていく、そう繰り返していくことで、長男などがそうだったように、成長と共にうまく対処していけるようになるのだろうなと思っています。

私自身ネガティブに捉えてばかりだったこういった「過敏さ」ですが、ポジティブにもなり得るとパラダイムが変わった考え方に、ポーランドの精神科医で心理学者Kazimierz Dąbrowski氏 (1902–1980)が唱える、「積極的分離(Positive Disintegration)」と「過度激動(overexcitability)」があります。こうして私自身の「認識」が変わることで、子供の行動への理解も進み、より対処もし易くなってきたかなと感じています。

Dabrowski氏は、内面的な葛藤や苦痛こそが人を成長させると考えます。内面的苦痛こそが、一般的で受身の人生から離れようと対象から主体的に分離し、物理的精神的に対象からの距離をおくことで、より広い視野や俯瞰する視点、物事に対するより深い理解、より高いレベルの認識を求め続ける『積極的分離』を促すと。そして『過度激動』という、より強い葛藤や苦痛を起こさせる激しい感情作用を持っていることは、高度な成長を可能とする「積極的分離」をより促進することにもなると。

つまり、簡単に言ってしまえば、「外からの刺激を過敏に強烈に感じてしまうことで起こる内面的な苦しみや苦痛が、その人をより高度に成長させる契機にもなり得る」ということです。

刺激に対する並ならない反応「過度激動」は以下のように分類されます(ウキペディアより):

1.精神運動性OE(overexcitability):一般的に「落ち着きがなく頭の回転が速い」印象を与えるもので、身体的多動だけでなく、話すスピードが速い、話が一気に飛躍する、頭が働いて眠れない、という精神的多動を示す。

2.知覚性OE:「神経質」という言葉で表される性質で、増長した知覚意識を持ち、まぶしい光、大きい音、匂い、触感など感覚器官に与えられた刺激に過剰に反応する。靴下の縫い目や服のラベルが気持ち悪かったり、隣室の時計の時を刻む音が気になって集中できない、などの例がある。鋭い感性は、幼少の頃から絶景に息を呑み、名曲に涙を流すといった美的感覚にも通ずる。

3.想像性OE:隠喩などの詩的表現に優れる。「注意力散漫」と見られ、「おとぎの国の住人」と揶揄されるほどの強い想像力をもつ。白昼夢を楽しみ、前夜見た夢にも過剰に反応する。いわゆる英語圏で言うところの、"think out of the box"(枠にとらわれない独創的な考え方)あるいは"think different"ができる能力として賞賛される資質である。

4.知性OE:一般に広く知られているギフテッドの特徴。知識とロジック、新しい意味を渇望し、疑問を追求し、理論的な分析や真実の探求を愛する。そのため高度な科学・ドキュメンタリー番組を好んで見たり、頭脳パズル、知覚・論理ゲームを好む。

5.感情性OE:感情の種類と幅が大きく「ドラマチック」な反応を示す。より楽しみ、より悲しみ、より腹立ち、より驚き、より恐れ、より共感する。深く感情移入し、愛着心、責任感、自省意識も非常に強い。ある程度の人生経験を持つギフテッドには、相手の気持ちを鏡のようにリアルタイムで読取り、共感する人もいる。
                                               

そして「ギフテッド」とされる人々は、「誕生時より常に外界・内界両方からの刺激を増長した精神で感じ、激しく深い幅をもって経験し、内省を繰り返していることが、彼らの著しい成長に関連している」。また「OEが強いほど毎日の生活が強烈な体験となるが、特に想像性、知性、感情性において過剰に反応する人は、他人に比べて日常生活を深遠に体験し、人生の苦楽も激しく感じる」と。

ーーーーー引用終わり

「過度激動OE」は、「ギフテッド」の特徴とも捉えられており、「ギフテッド」教育で頻繁に用いられる理論でもあります

 私自身は、度合いの違いはあれど、多くの人々に何らかのこういった傾向や面があるのだと思っています。この子のここがしんどい、そう思われる方がいらしたら(全くないという親などいないかもしれませんが)、照らし合わせてみて下さい。周りの子とは違った「過敏さ」や「反応の仕方」も、何かを生み出すかもしれない「ギフト」、そう思うと少し軽くなります。こういった傾向があるからこの子やあの人は「ギフテッド」だということよりも、こうした考え方を知ることで、何でこの子は?何であの人は?と思うことでも、私がそうであったように「成長に繋がり得る過程」なのだと、もう少し大らかに見守れるようにもなるのではないでしょうか。

Dabrowski氏自身が「過度激動」は「悲劇的なギフト」とも呼ぶように、これらの性質や傾向を持つことで、確かに暮らしていくのにしんどい面や、マイナス面もたくさんあります。それら「負の面」についてはこんなようにもまとめられています(ウキペディアより):

OEが強い場合、周囲のあらゆる刺激に過剰に反応してしまい、所属する集団から浮いてしまうことがある。例えば、感情の起伏が激しいことから気分屋、知覚が鋭く些細なことで不快になってしまうことから神経質、といったレッテルを貼られる(ラベリング)。また反応が表面化しない場合でも、普通であるべき行為が心から自然にできない、相手の感情・欲求・反応などを考えすぎるあまり行動に一貫性がなくなる、などの対人距離、反社会的反省に常に駆られ、状況を満足に楽しめないケースも多い。逆に、感情や五感への刺激を避けるために敢えて集団から離れていると、今度は人付き合いが悪いと非難される。それらの状況下で感じるあらゆる気分的うつ(慢性のうつ病とは異なる)や自己嫌悪といった否定的な感情も、OEゆえに必要以上に増幅され強く感じてしまうため、逃げ場を失う危険を内包する。

ーーーーーー引用終わり


Dabrowski氏によると「高度な成長の要」というこの「過度激動」。どう対処していったらいいかのヒントを引用しておきます。
英文のままですが:

精神運動性OE
•Allow time for physical or verbal activity, before, during, and after normal daily and school activities-these individuals love to “do” and need to “do.” Build activity and movement into their lives.
•Be sure the physical or verbal activities are acceptable and not distracting to those around them. This may take some work, but it can be a fun project and beneficial to all.
•Provide time for spontaneity and open-ended, freewheeling activities. These tend to favor the needs of a person high in Psychomotor OE.

感覚性OE
•Whenever possible, create an environment which limits offensive stimuli and provides comfort.
•Provide appropriate opportunities for being in the limelight by giving unexpected attention, or facilitating creative and dramatic productions that have an audience. These individuals literally feel the recognition that comes from being in the limelight.
•Provide time to dwell in the delight of the sensual and to create a soothing environment.

想像性OE
•Imaginational people may confuse reality and fiction because their memories and new ideas become blended in their mind. Help individuals to differentiate between their imagination and the real world by having them place a stop sign in their mental videotape, or write down or draw the factual account before they embellish it.
•Help people use their imagination to function in the real world and promote learning and productivity. For example, instead of the conventional school organized notebook, have children create their own organizational system.

知性OE
• Show how to find the answers to questions. This respects and encourages a person’s passion to analyze, synthesize, and seek understanding.
•Provide or suggest ways for those interested in moral and ethical issues to act upon their concerns-such as collecting blankets for the homeless or writing to soldiers in Kosovo. This enables them to feel that they can help, in even a small way, to solve community or worldwide problems.
•If individuals seem critical or too outspoken to others, help them to see how their intent may be perceived as cruel or disrespectful. For example saying “that is a stupid idea” may not be well received, even if the idea is truly stupid.

感情性OE
•Accept all feelings, regardless of intensity. For people who are not highly emotional, this seems particularly odd. They feel that those high in Emotional OE are just being melodramatic. But if we accept their emotional intensity and help them work through any problems that might result, we will facilitate healthy growth.
•Teach individuals to anticipate physical and emotional responses and prepare for them. Emotionally intense people often don’t know when they are becoming so overwrought that they may lose control or may have physical responses to their emotions. Help them to identify the physical warning signs of their emotional stress such as headache, sweaty palms, and stomachache. By knowing the warning signs and acting on them early, individuals will be better able to cope with emotional situations and not lose control.

ーーーーー引用終わり(http://www.sengifted.org/archives/articles/overexcitability-and-the-giftedより)


「過敏さ」や、人と違ったように感じ、周りと違ったことをしてしまったり、集団の中で浮いてしまったり、それらは高度な成長を成し遂げる「ギフト」にもなり得る。個性として、負の面を考慮しつつ、プラス面を伸ばす助けになっていけたら、そう思っています。

チック症について、その三

2013-04-14 05:10:26 | 子育てノート
 おかげさまで、先々週に比べ先週、先週に比べ今週と、症状の出る頻度、動作自体も随分とマイルド(ちょっとした癖かなと思えるほどに)になってきました。根本的な内面の強さ、内面を整えていくこと、そういったものを長い目で見てこつこつと養っていきたいです。

一時は、三歳にしてのその動作の大きさと複雑さ(いくつかの動作が混ざった「複雑チック」)から、脳の異常が大きいのかもしれないと、脳波をとるなど詳しく調べてみる必要があるかもと小児科医に言われ。また重度のチック症状を伴うトゥレット症候群(大人になってからも続き治療法なし)の可能性の説明も受け、動作の出る時、回数、などを詳しく記録するよう指導されていたのですが、明らかに緩みつつあることから、この調子なら、普通の一過性チックのように、いずれ消えていくでしょうと。

「何もできることはありません。普通どおりに生活してください」

 そう担当医に言われたのですが、チックに向き合いつつ、一番知りたかったのは、「こうしたらより良い」という知恵や方法でした。何かあるに違いないと、次男を観察し、情報を集め、試し。

我が家で試し、良いと感じる方法やヒントをまとめてみました。何か手がかりがないかと探していた家のような状況にある方にとって、症状が改善しつつある一つの参考例として、少しでも何かのヒントになればと願いつつ:


直接的な引き金となっているもので取り除けるものは取り除く(家の場合はプレスクールや習い事)。

・ゆったりと落ち着ける環境を整える。「ゆったり」といっても、だらだらと過ごすのとは違い、めりはりのある規則正しい生活リズムを。子供はゆったりとしたリズムを日々繰り返すことで落ち着く。

睡眠時間を十分とる。これは次男にとってかなり大きかったように感じています。上の子たちの生活ペースで動いていた次男、疲れていたんだなあとつくづく思います。昼過ぎまで思いっきり遊び活動し、眠くなる頃車に乗せて帰宅するなど工夫することで、今は一時間から二時間は毎日昼寝をしています。睡眠がチックを促すドーパミンを抑えるという説も。確かに疲れてくるとより出ます。

緊張や興奮をほぐすアクティビティーを。普段上の子たちに囲まれている次男の場合は、一人で遊んだり、同年代の子と遊んだり、ママとゆったり過ごしたり。

自信をつける。五人の末っ子の次男の場合、家の中では常に何もかも「一番できない」状態。三歳だから当たり前でしょうと傍目には思うのですが、本人的にはきつい面もあるよう。次男自身の「できた!」の体験を心がけることで随分変わってきたように思います。怖くて登れなかった遊具、ウォーターパークの水しぶきをあげる滑り台、一人でそり、今まではいずれ、と思っていたのですが、初めは少し手伝い徐々に離れ自分でできるようにと、一つ一つに少し多く時間をかけることで、「できた!」を増やしていく。何だか顔つきや家族でいるときの話し方なども違ってきました。

感情を出させる。次男は特に物事がより分かるようになって以来(二歳の終わり頃)、わがままをいったり駄々をこねたりということがあまりなく、その場のルールや今自分がすべきことというのを敏感に感じ取り動くようなところがあります。そこで、「何がしたい?」「どうしたい?」などと次男の意向に耳を傾けるなどしつつ、わがままを言ったり泣いたり赤ちゃんのように振舞うことも自然に出させるようにしていきました。私が忙しくしていると、以前なら黙って一人で遊び始めていたのですが、今では「それ止めて僕と遊んで!」などと言うようになってきました。今まで我慢してきたんだなあと感じてます。

・スキンシップをたくさん。親の温もりに包まれることで子供は随分緩みます。

・ユーモア。日常にユーモアを散りばめ、ケタケタクスクス本人も周りもリラックス

愛情をその子のニーズに合った行為で表す。「たくさん愛してあげてください」そんなアドバイスを聞くことがあるのですが、愛をどうやって表すかが重要なのだなというのが、今回実感として学んだことの一つです。
 五人の末っ子、私自身もうほとんど孫のような気持ちで目の中に入れてもいたくないほど「愛して」きたつもりです。溢れんばかりの愛情に「I love you」と抱きしめ、スキンシップもたくさんとり。それでも、その子が必要とするニーズを感じ取り環境を整え働きかけるといった「行為」をしてきたかというと、上の子達の同じくらいの年頃に比べ、次男に対しては全く欠けていた。上の子達は、その子達中心に生活が回ってましたから。五人の育児に家事にと余裕がなかったと言えばそうなのですが、できることから少しずつでも形にしていきたいです。サインを送ってくれてありがとう、そんな気持ちでいっぱいです。

その子の個性と向き合い良い面にフォーカス。周りが普通に通り過ぎてしまうことでも立ち止まってしまったり、「感受性が強い」と言われるその子自身の性質の良い面を伸ばしていこうとすること。向き合うことで、かなり独特な世界観を持っているんだなと気づいたりします。

栄養バランスのとれた食事。栄養が偏っていると疲れやすくもあり。ドーパミンを促すカフェインやチョコや、食品添加物(Yellow 5 Red 40など)が良くないという説も。

・かなり今の医学の本流から離れますが、脳のアレルギー症状という説も。その子にとってのアレルゲンを取り除くことで重度のチック(ADHDやADDなども)が治ったという例も。実はカビが少し気になっていたのですが、見える部分は除去し、カビの種類毒性度を知るためカビ研究所にサンプルを送り、寝る部屋を変えるなどしてみました。


こうして色々試すわけですが、眉間に皺をよせ深刻に取り組むのでなく、大らかに明るい雰囲気で心配を見せず。周りがリラックスして楽しい雰囲気でいることで本人も随分と緩んでいきます。

笑顔でゆったり、それでも着実に取り組んでいく。できる限りをしつつ、あとは委ねて。


我が家も、長い目でみて、こつこつと進み続けていきます。


次男の日常風景:

山の上で、


そり!


よいしょよいしょ。

Cちゃんと。


動物園へ。


あざらしを追いかけ。


歩いた歩いた。

S君、Lちゃん、Kちゃんと。

登れなかったこんな遊具も、


水しぶき上げる滑り台だって、


くぐれなかった水のカーテンも、


「できた!」

Cちゃんとウォーターパーク!


僕一緒に滑れるようになったの。