靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

子育てノート(親と子ども)

2011-06-30 01:52:41 | 子育てノート
昨夜女友達と夜中まで話していた話題、

自身の親と、親としての自身と。


問題の根は自身と親との関係にあることがある、そしてその根はまたその親と親との関係にあったりする。


自身と親との関係を、まずは掘り下げる。

辛いこともえぐるように掘り下げ、いかに貴いたくさんのことを与えられてきたかも自覚し、

そこから、自身と子どもとの関係を、築いていける。


伝えていかなくてよいもの、伝えていきたいもの、掘り下げていくことで見えてくる。



夫婦ノート(恋と愛)

2011-06-29 01:26:30 | 夫婦ノート
恋は 満開の花だけみてうっとりとしているようなもの。

愛は 花を育てるようなもの。

花を咲かせるためには、水をやり、ちょうどいい陽光の加減を調整する必要もある。水をやり忘れたら枯れてしまうし、陽光が強すぎれば萎れてしまう。満開だった花も必ず散り、次の花が咲くまで時間がかかることもある。


周りに咲き誇る色とりどりの花を楽しみながら、

足下に花を育ててみる。


育ててみることで、初めて花というものを知ることができるのかもしれない。

夫婦ノート(心と体)

2011-06-29 01:25:20 | 夫婦ノート
昔友人とこんな話になったことがある。


「心ではどれだけ他の人とくっついたっていいけれど、体は一人にしておくのがいい。」

と私。

「逆でしょ。心だけは一人にしておくべきだ。例え体は何人の人とくっつこうが。」

とその男友達。


互いに「それは相手への裏切りだ」と言い合う。(笑)


心ではいくらだって一つになれる、限りなどない、

そこに限りある体を伴い始めたら、カオスだ。

チャリティー・コンサート

2011-06-28 02:02:53 | 出来事や雑感や (行事)
スミス氏のピアノとヌッツォ氏の歌声。オペラや日本の民謡、一つ一つの曲が身体に染み入りました。

被災地を訪ねて回った際の様子を語るヌッツォ氏のMCも素晴らしかったです。被災地で出会った一人の漁師の「海は今までとてつない恵みを与えてくれた、今回はほんの少しだけもっていっただけだ、これからも恵みを与え続けてくれるだろう」という言葉に泣いたと。

最後には観客総立ち、「ブラボー」の声が会場中に響き渡りました。

このコンサートの実現を可能とした出演者、スタッフの方々の働きに心よりの感謝を込めて。


子供コーラス出演間近の楽屋、

ゲームしたり、


ふざけあったり、


もうすぐだなあ(三女と次女)、


衣装は「フォーマルな黒」(長女、次女、三女)。


さて、いよいよ。舞台裏。ヌッツォ氏の歌声が響き渡る。


本番! バンドに合わせ、40人の子供たちとヌッツォ氏の歌声。


無事終わり、見守る親たちもほっと一息。


レストランでの打ち上げ!


ヌッツォ氏は本当に気さくで温かい方、子供たち一人一人の名前を覚え、子供たちの輪のなかに入りふざけあったり、話をしたり。

最後に記念撮影。気がついたら夜10時過ぎ!


「I miss him, 今度はいつ会えるのだろう」と長男長女、帰りの車でも今朝起きてからも。

いい思い出になりました。感謝を込めて。

その境地は独自の形で

2011-06-27 00:00:49 | 思うに
自身の内にもぐっていくと、たどりつく境地がある。

意識しているにせよしてないにせよ、誰もが知っている境地。


その境地は、様々な「形」で表される。宗教的スピリッチュアル的な形であったり、音楽、絵画、文学などの芸術といわれる形であったり、スポーツや科学などの形であったり。生活に体現された思いやりや他への共感などの形であったり。

人の数だけ表される「形」がある。

その境地が表された形に触れると、人は感動し、忘れていた何かを思い出したような気持ちになる。


その境地につながる「管」のようなものがある。人の数だけあるその「管」を通ることで、その人独自の形は自ずと生まれる。「管」はその境地を、その人の生い立ちや運んできた命に合った表し方へと加工する。

その管を詰まらせるのが「エゴ」。

「エゴ」を掃除し、管の通りをスースーにしていくこと。それが誰にも与えられている「才能」を磨いていくということでもあるのかもしれない。


管を掃除すればするほど、多様に突き抜けた形が生まれる。

そんな「独自の形」にあふれ、「その境地」があらゆる分野に表された世界、そんな世界がこれから必要なのかもしれない。

チャリティー・コンサート間近!

2011-06-24 23:59:43 | お知らせ
東北地方太平洋沖大地震被災者支援コンサート:

6月26日 日曜日 午後4時から

Wendy Williamson Auditorium, UAA キャンパスにて

入場無料


昨日は2回目の子供コーラス練習。アラスカ大学教授陣のピアノ、コーラス指導、子供達も皆真剣。

一昨日ジョン・健・ヌッツォ氏も到着し、素晴らしい歌声の響き渡る中、和やかに。練習風景はこちらのローカルニュースで取り上げられた。コンサート間近!


子供コーラス曲目:

ふるさと
翼をください
We are the World


練習を終えて。

コギト・エルゴ・スム

2011-06-24 23:58:52 | 思うに
近代以前の 「神思う、ゆえに我あり」


「我思う、ゆえに我あり(コギト・エルゴ・スム)」 で始まった近代


これからは 「神思う、ゆえに我あり、我思う、ゆえに神あり」 でどうだろう


私がここで「どうだろう」、てったって何がどうなるものでもないんですが。(笑)


個々の「我」というフィルターを通して表された「神」は個々独自の形をしており、
それでも形を超えたところではひとつであり。

そしてその形を超えひとつとなる場は、「我」一人一人の中心にある。

我と神 ひとつに

 

太陽の下

2011-06-24 23:57:03 | 風景・散歩・旅
久しぶりの照りつける太陽の下、湖にて。

今年の夏はからりと晴れ渡って夏日!という日が少ないね、と友人達と言い合いながら。

フーバークラフト。


リモートコントロールを手に少年三人どんどん湖の中へ。

長男、おかげさまで指も動くようになってきました。


あっ、さかな!


おっ、あひる!


湖に面してプレイグランドも。

内に生き続けます

2011-06-24 01:52:33 | 出来事や雑感や (その他)
フェアバンクスで3週間前に会った恩人Sさんが亡くなった。
http://blog.goo.ne.jp/nmachika/e/5523b065b52ff740447f514abc3bbf53

Sさんの歌声、最後に「またね」と言ったSさんの表情、握った手の温もり。

私たちの内に生き続けます。


キャンプに行く前に、Sさんが意識を失い延命措置もはずされたと、あと数日の命だろうと聞いていた。

長男が崖から落ち奇跡的に助かったと知ったとき、Sさんの顔が浮かんだ。ああ、最後の最後までお世話になったんだな。

長男の事故から半日後、Sさんは安らかに息をひきとった。


Sさんが多くの人々に与えた温もり、ここに、私の中心にも。

この温もりと共に一歩一歩、進んでいきます。


Sさんに出会えたこと、この世で少しでも一緒に過ごさせていただいたこと、ありがとうございます。