靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

リミットからはみ出す

2011-09-30 23:58:13 | 子育てノート
同じ親のもとで 同じような環境で育ったのだろうけれど、5人、様々。

親のリミットの枠にすんなりおさまりがちな子と、親のリミットの枠から飛び出がちな子。

前者とは何ら苦労せずともスムーズに穏やかな時が流れるのに対し、後者とはでこぼこ道をとっくみあいながらあちらにごつんこちらにごつんと進んでいく。

前者とは普段の自身のままであれるのに対し、後者とは自身のありようを根本から考えさせられる。

前者には自ずと愛情が涌き出るのに対し、後者には自ずと愛情が湧き出るという状態であるためには何が足りないのかと自身をより深く掘り下げる必要が出てくる。


後者ほど、親を鍛え成長させてくれる存在はない。

そしてそれは、人付き合いにも感じている。

難しい人ほど自身を鍛え成長させてくれる存在はなかったかもしれない。


5人を一人ずつ抱きしめつつ、生まれてくれてありがとう。

そして今まで付き合って下さった人々に、感謝を込めて。

「NOと言ってあげてください」、に思う

2011-09-29 00:10:11 | 子育てノート
お世話になっている小児科の病室に、「どうぞ小さな頃からNOと言ってあげてください」というタイトルの記事の切抜きが貼ってある。

可哀想だからとなるべくNOと言わないようにして育てると、我慢のできない自分勝手な人間になってしまうと。自分の思い通りにならないときにどう対処していいのか分からない人間になってしまうと。そしてそれは最近の親の子育てによく見られる傾向だと。

よく分かる。世の中には「したいと思ってもしてはいけないこと」というのがある。

それでも「NO!」「NO!」と大人の論理から言いまくるだけ、というような簡単な事でもないと思う。そんなことでは返って「NO!」の威力も落ち、違った意味で「NOに免疫」がついてしまう。

小さな頃は、なるべく「NO」と言わないでいい環境を整える。触ってはいけないものや、危ないものをなるべく減らすようにし。細かい大人のルール的なことには目くじらをたてないようにし。ここぞというときの「NO」が子どもの心に響くように。

私の内では、「自身や他人の安全を侵す」、「他人が大切にしているものを踏みにじる」、「相手を傷つけ自分だけが楽しむ」、「約束したことを破る」、これらだけは小さな頃から一貫して「NO」と示そうと決めている。と言うと何だか子育てのしょっぱなから確固として決めていたようだけれど、あちらこちらにぶつかり失敗を繰り返しながら少しずつ「これだけは」という境界を見つけ出していったという方があっているだろう。それでも境界がはっきりとせずそうそう一筋縄にはくくれないこともある。

試行錯誤しながら大切だと感じるようになったことに、「NO」の背後にある親の姿勢のようなものもある。「NO」と言った後にはしたいという気持ちを必死で我慢する子どもにまずは寄り添うといいように感じている。この世にはしたくてもしてはいけないことがあるのだということを受け入れようとする子どもの悔しさや悲しみみたいなものに寄り添う。小さな子なら抱っこしてきれいな景色をみせるなどしながら、興奮して泣きもしているだろう背中をとんとんと叩いたり。「NO」を変えることはせず、それでも子どもの内にある感情に寄り添う。

気持ちに共感してもらい温もりに触れることで、子どもがすっと「NO」を受け入れる瞬間がある。頭で理解して受けれいるというよりは身体にしみ込んでいくというような感覚。

そんなことを繰り返す内に、外からの押し付けではなく、子どもの内に律のようなものが育っていくのかもしれない。

乳腺炎、対処あれこれ

2011-09-29 00:07:55 | 子育てノート
また乳話になるのですが、乳腺炎について。菌が入って炎症を起こすものと、母乳が詰まって起こるものとがあるよう。

対処の仕方がこちらと日本とで正反対ともいえるほど違ったのが興味深かった。

5人とも数回ずつ乳腺炎を患った。いずれも産後3ヶ月の間に。産後すぐにだけ患ったというのは、新生児の飲む力や量の少なさ、産後母体の免疫力が落ちていることが大きかったのだろう。

新生児の世話で寝不足続きのなか、炎症からの高熱、赤く腫上がった胸は歩く振動でもしばらく立ち止まりやり過ごす必要があるほど痛む。「ようこそこれであなたも仲間に!(Welcome to the club!) こんな世界があったなんて知らなかったでしょ?」フラフラの状態で病院にたどりついた私に、いつもユーモア溢れる担当の産科医が手を広げ笑いながら言った言葉が忘れられない。

こちらでは、まず抗生物質(赤ちゃんに害のないとされる種の)を呑む。そしてシャワーやカイロなどでとにかく「温め、赤ちゃんに飲ませるなり絞るなどして、どんどん出し流れをよくしていく」。

ちょうど乳腺炎の渦中にあるときに日本の親戚が産科医に対処法を聞いてくれたことがある、その後も日本の友人に聞いたりネットなどで調べてみると、日本の産科医ではまずは冷やして母乳を止める」ところが多いそうだ。まずは止めて炎症を治す、そして治ったら母乳再開。

体験から言って、温めて出し流れをよくしていく方がしっくりとくる。冷やして止めてしまったらせっかく出始めていた母乳を再開するのも大変だろう。乳児だって母乳よりも出やすい哺乳瓶の口に慣れてしまえば、母乳に戻ることを嫌がるようになるかもしれない。

日本でも、助産院や桶谷式などでは温めてマッサージなどでしこりをほぐしながら赤ちゃんにどんどん飲ませていくという方式をとっているらしい。この桶谷式などの母乳マッサージというものを一度でいいから受けてみたかった。

何度も繰り返し患ったので、他にも色々な民間療法も試してみた。豆腐やジャガイモの皮やキャベツを貼り付けるなどなど。効果は、よく分からなかった・・・。多分即効性はないのだろう。その度抗生物質を呑むのも嫌で、結局4人目くらいからは病院へ行くことも止め自宅で治すようになった。「とにかく温めて飲ませる絞る」という方法で、胸の周りにカイロや湯たんぽを貼り付けまくり。

私の場合、乳製品や砂糖を取り過ぎるとてき面に詰まる、ということも分かった。乳腺が詰まるということが自分の身体を知るいいバロメーターになっていたと思う。詰まるということは血流が悪くなるということでもあり、授乳をしていない今でも乳製品や砂糖の取り過ぎには注意しようと思っている。

あの赤くはれ上がったしこり、痛み、発熱前の悪寒、きたっ、という感覚、必死で飲んでくれる赤ちゃんの様子、懐かしいような気持ちで思い出しつつ。

「仲裁者(ミディエイター)」

2011-09-27 00:02:59 | 思うに
長男長女次女の通う公立小学校では、4年生以上になると「仲裁者(ミディエイター)」という係りがある。各クラスから4、5人、全校で50人近く。

放課中生徒間で何かいざこざがあった場合、平和的に双方ウィンウィン(win-win)となるよう「調停・仲裁(ミディエイト)」する係り。

10日程前「ミディエイターになれたの!」と迎えの車に乗り込むなり長女が嬉しそうに言った。3日間1日中授業をぬけトレーニングを受けるという。そして先週終わりトレーニング修了式があった。

ミディエイター養成プログラムのテキストを片手に毎晩トレーニング内容を興奮して話す長女。とても貴重な体験をしたよう。

生徒に解決の仕方をトレーニングし、生徒間のいざこざを生徒同士で解決させようというのはとてもいいことだと思う。

ミディエイター養成プログラムによるミディエイトの手順:

1.ミディエイターとしての自己紹介、ミディエイトを始めるにあたっての注意事項説明
2.聞く
3.解決策模索
4.解決
5.レポート

1では、相手を遮らない、真実を告げる、解決への努力、などへの双方の同意。

2では、「何が起こったの?」、「どういう気持ちになった?」と双方に質問、ミディエイターは返答を「そのまま繰り返す」。

3.「どんな違うやり方があったと思う?」「解決するためには今どうしたらいいと思う?」と双方に質問、返答を「そのまま繰り返す」。その他にも解決に向けての創造的な「質問」をする。「あなたが相手だったらどう感じる?」などなど。「カエルの選択」なども用いて。

4.解決に双方が同意したことの確認。解決を祝う。

5.レポート用紙にミディエイトしたことを記入提出。

ミディエイターの意見を押し付けるのでなく、いざこざの本人同士が解決策を導き出す手伝いをする、という姿勢を教えられたらしい。ミディエイターはあくまでも起きたことや気持ち考えを整理することを手伝うのみ、答えは本人たちから。



ミディエイターという職業があるというのを知ったのはこちらに来てからだった。ミディエイターになることを目的とする大学の専攻もあるらしい。世界中あちらこちらのいざこざを熟練ミディエイター・プロ集団で何とかできないものか。

仲裁のプロとはいかないまでも、仲裁のフォーマットを知っておくのはいいだろう。その上に自分なりの「創造的な質問」も考えていき、改良もしていき。

まずは家の中でもミディエイターを持ち回りで、と思ったり。兄弟姉妹間だけでなく夫婦間のいざこざにもどうだろう。子供にミディエイトされるならすっと目が覚めるだろうなお互い。(笑)


実際のミディエイト体験を通して、様々なことを学んでいってほしい。

それでも、一時たりとも

2011-09-27 00:01:56 | イメージ・ヴィジョン
自分に向き合い、自分に幻滅するところから 始まる

それでも こんな自分でも

果てしない数の奇跡の集積によって 生かされている

いかに与えられてきたか いかに与えられているか 

こんな自分でさえも 一時たりとも見放されたことなどなかった

小さく 弱く 無力な自分 そこから内の無限に繋がる

蓄積の上に

2011-09-27 00:00:05 | イメージ・ヴィジョン
歴史の蓄積と

他者の蓄積と


「自分」がするのは その上に少し何かを添えること

そして それはもうこうして生きているというだけで 十分添えられている


あとは こうして生きていることへの 溢れる感謝と喜びとを胸に 

どう恩返しができるのかと 進み続けるだけ

この一人一人の「恩返し」が 結果的に何かを積み上げることになるのかもしれない


歴史の蓄積と 

他者の蓄積と

その上に 少しずつ何かを 

煮込みハンバーグ!

2011-09-26 23:59:23 | 
友人宅の素敵なキッチン。

台所のプロ達、知恵出し合って。


合挽きミンチは練って練って練り続けて。

練るほど美味し~くなるそう。

トマト、ウスター、ケチャップ、赤ワインたっぷりソースでぐつぐつ煮込んで。


とろ~り、絶品! にんじんピラフと。たまりません。


仲良し二人も話に花。L君と三女。


(よかったらこちらイマココ煮もどうぞ。複数人で続けるブログです。カイで書いてます。)

おはぎ!

2011-09-26 23:58:04 | 
秋分! お彼岸! ということでおはぎ作り。

もち米を一晩水につけ、炊く。

友人つぶしてつぶして。ワインのビン使える!(笑)


ひたすら丸めて、あん、ごま、黄な粉。


私もぎゅっぎゅ。


僕もぎゅっぎゅ。


出来上がり! 

友人たち皆で分けました。


今まで生きてきた人々の蓄積に、感謝を込めて。

長男12歳

2011-09-26 23:57:15 | 誕生日
ケーキ作って。


味はオッケー。


歌って、大声で。


妹達からのカードに、


プレゼント。


12歳!



「妊娠」を知ったあの日、病室のスクリーンに映っていた小さな小さな人の形。

おかげさまでここまで元気に育ちました。感謝を込めて。

祈り

2011-09-25 00:00:08 | 思うに
奥深くに何度もよみがえる祈り。

エゴを、ふと目を離すと自身のハンドルを握っているこのエゴを、鎮め溶かす力を。


アッシジのフランチェスコを象徴として胸に。

「Prayer of Saint Francis」

Let me be an instrument of your peace.

Where there is hatred, let me sow love.
Where there is injury, pardon.
Where there is doubt, faith.
Where there is despair, hope.
Where there is darkness, light.
Where there is sadness, joy.

O Divine Master,

grant that I may not so much seek to be consoled, as to console;
to be understood, as to understand;
to be loved, as to love.

For it is by self-forgetting that one finds.
It is by forgiving that one is forgiven.
It is by dying that one awakens to eternal life.

「聖フランチェスコの祈り」

平和を奏でる道具であらせてください。

憎しみのあるところに愛を、
傷みのあるところに赦しを、
疑いのあるところに信を、
絶望のあるところに希望を、
闇のあるところに光を、
悲しみのあるところには喜びを。

神聖なるマスターよ

慰められることばかり求めるよりも慰めることを、
理解されるよりも理解することを、
愛されるよりも愛することを。

人は自分を忘れてこそ、見いだし、
赦してこそ、赦され、
死んでこそ、永遠の命に目覚めるからです。


『これはフランチェスコの作ではない。初出は、パリを本部とする信心会 La Ligue de la Sainte-Messe の機関誌 la Clochette の1912年12月号であり、作者は同信心会の創始者 Esther Bouquerel 神父であるとされる。初期は、特にフランチェスコに捧げたものではなかった。にも関わらず、「平和の祈り」は聖フランチェスコの精神をよく伝える祈りであるとされ、多くの人に愛唱されている。』(ウキぺディアより)