靴下にはそっとオレンジを忍ばせて

南米出身の夫とアラスカで二男三女を育てる日々、書き留めておきたいこと。

それでも、歩き続けていたなあ

2014-04-13 05:28:53 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句


私なんかが・・・

その私なんかが 私なんかなりに

日々
 
悲しみもし 笑いもし 泣きもし 喜びもしつつ

一歩一歩 前へ進もうとする姿を

見せ続けること



いつか 

彼ら彼女達が 私なんかが・・・と しゃがみこむとき

ああ それでも 歩き続けていたなあ

そう足を踏み出してくれたら



立ち上がり

歩き続ける力を見せること


それが 親として できることの一つ

春の季語に春を楽しみ

2014-03-29 23:59:21 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
週末は、家事の合間に日中ぱらぱらと歳時記をめぐり、俳句をいくつか作って。

改めて、季語っていいですねえ。一言に季節の情景が溢れている。

花冷え、花曇り、春の月、山笑う(確かに芽吹き時の山笑って見える!)、春の闇(春の月のない夜)春の海、春陰、春の光、風光る、雪果つ、春の星、花衣、風船。

ご飯食べながら、家族に季語の素晴らしさを興奮して話し。小学校の授業で英語で作ってくることもある子供達、英語の俳句では音節(syllable)が五・七・五になるよう区切り、「季語」を必ず入れるとは知らないですからね。時々子供達思いついたように、英語で作ってます。


Fast foxes running
Eagles flying high outside
Gator tails swishing
 by 三女六歳


風船と隣り合わせの膨れ顔

春光に鞭打つ手を休め一人

稜線に命の光る風光る

ただ心の声を信じ春の月

虹色の妖精のいる春の午後

もう後ろは振り返らず春の星

水色の鞄を閉じて春一番

目に見えぬ幸せはかり春の海

白とも黒とも決めない春の夜

                  by マチカ


俳句で春満喫、贅沢で最高なひと時でした。

エピローグ、あの子は大丈夫

2014-01-12 08:04:01 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
「プロローグ」と対をなすものなのですが、このプロローグからエピローグまでの「間」を推敲し続けてます。



エピローグ

 ネイティブ・アラスカンの「姉」が、村を出、二人の子供達とアンカレッジに引っ越してきました。十年振りの再会。一時的に身を寄せているという福祉施設に車で迎えに行き、最近オープンしたばかりの日本人の経営するラーメン屋へ。

 車を降りると、マイナス二十度の冷気が肌を刺します。思わず首をすくめる私に、「村の冬に比べたらね、暖かいものよ、風もないし」と微笑む「姉」。

 テーブルにつき、味噌ラーメンを二つ注文すると、村の親戚について一人ずつ報告してくれます。一通り村の様子を聞き終わり、「姉」自身の話に差し掛かったところで、ウェイトレスがやってきました。初めて見るという「ラーメン」の盛り付けに、「きれいねえ、食べるのもったいない」と溜め息をつくと、胸の前に手を組み、目を閉じ、キリスト教のお祈り。そして「アーメン」と言い終わると、麺をすすりながら、再びぽつりぽつりと話し始めました。辛い出来事が続き、何年もの間、涙を流し続けたと。

 ネイティブ・アラスカンを取り巻く状況は、厳しいです。親戚や知り合い、すぐの身近に、アルコール中毒、ドラッグ、自殺、暴力、犯罪が渦巻いています。渦に呑み込まれるには、まだあまりにも早すぎる十五歳の「姪」も、更生施設から出たり入ったりを繰り返しています。

「大丈夫、あの子は、自分が誰なのかを分かりつつある」

 溢れる涙の果てに、「姉」は、そう一語一語力を込めて言いました。そして涙を拭いながら、尋ねます。

「マチカ、あの子の心の奥で、誰が支えになっているか分かる?」

 しばらく黙って、目を見つめるだけの私。すると、「アパよ」と。

「アパ」とは、「おじいさん」のこと。寡黙な「父」の顔から、微笑が消えたのを見たことがないのを思い出します。

「アパは、どんな時でも、私達を見守ってくれている。どんなことをしたって、いつもあの温もりで、包んでくれる。アパを思い出すと、あの子の頬を透き通った涙が伝うのよ。あの子は、大丈夫」

「姉」の顔に、温かい微笑が溢れます。

 混み始めた店を出て、車へと歩きながら、外はこんなに寒いのに、身体の芯からぽっかぽかだねと笑い合い。

「姉」の住居の前で車を止め、ハグを交わし。

「村からサーモンを送ってきたら、すぐに連絡するからね。マチカに、目玉を譲ってあげる」

 そうウインクして手を振り、戸口の向こうに消える背中。

 車を走らせながら、長男を妊娠中に、偶然驚きの再会をした「父」が、私の突き出たお腹を指して言った言葉を思い出します。
 

この子が 世界を必要とするように

世界は この子を必要としている

だから命というものは 宿るんだよ

   

アパの微笑を胸に。 

俳句会鍋、譲り派のあなた

2014-01-05 07:23:11 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
年末、友人宅で俳句会忘年会鍋!

カメラを向けると「職人の表情」をしてくれるacupofteaさん(「今日のご飯」はこちら

ずっと鍋につきっきりのお二人。すっかり客気分でした。

これはセリかセロリかと揉めたり。

セロリもセリ科なので似ているのだそう。

鍋を待つ子ら

仲良しMちゃんと三女。

鍋の分配を待つ子ら。


ほくほく。


この後闇鍋。暗くて写真撮れず。暗闇の中で各家族順番に入れ、食べ。

イカにキュウリにトウモロコシにバナナありました!家はレモンとチーズで参加!ぎょえ~、きゃ~、と盛り上がり。


ちびっこに囲まれる長男、


スパイダーマンとスターウォーズのオビ=ワンにやられっぱなし。



さてさて即興俳句、


友人手作りデザートいただきながら!


いやあ、ふざけ俳句しかできないわと言えば、いつも同じようなものじゃないと突っ込まれ(笑):

譲り派のあなた譲らない派の私 
(この日兼題だった「ゆずり葉」:初夏に新葉を出し、古い葉は新しい葉が生長するまで木に残り、あとを譲るように落ちる。それが無事に代替わりする縁起のよいものとされ新年のお飾りに用いられる。新年の季語。)


禁断の失言集め年惜しむ

この度も勝ちっぱなしの寒中水泳

押し鍋て沈黙の罪闇の鍋

生魚のハートつかみて福来る





一年振り返り、悲しかったことも辛かったことも嬉しかったことも楽しかったことも、鍋に入れて、ことことことこと。

ぎゃはぎゃはと皆で笑い転げ、ありがとう! 

新しい年に向けて、また元気をもらいました。

俳句、恒星の死して輝く雪夜かな

2013-12-29 07:27:17 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
「雪百句」年内に百句を!ということで句を出し合ってきたのですが、九十九句まできて、最後の一句、遠慮の塊状態になってます。(笑) リフレッシュな俳句週間をありがとうございました!

私の拙い俳句に感想のコメントを下さるヨーキさんの短歌のお師匠さん、八十八歳だそう! そのお師匠さん、ますます今年に入ってからも磨きがかかり、いくつかの歌が入選を果たされているそう。

八十八、それぐらいになって、やっと肩の力が抜けたいい句が作れるようになるのかもしれないなあ、そんなことを思ったり。八十八といえば、まだ折り返し地点にも届いていない! まだまだこれからこれから、何だか楽しくなってきますね。


「雪百句」参加句  byマチカ:

真っ青な地球の話外は雪
         
立居地を思ひはかりし雪煙

雪面を走って綴る頭文字





太陽が月を孕みて雪の空 

まっさらな雪踏みしめて森の中        

来し方を白く塗り替え雪の朝       

恒星の死して輝く雪夜かな       
    


雪百句、異界へと続くハイゥエイ雪しまき

2013-12-22 06:05:32 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
束の間細切れな俳句なひと時が、リフレッシュになってます。

今週中には百句届きそう!

「雪」を感じ続けたこの三週間でした。



「雪百句」参加句 by マチカ:


優しさを確かめている細雪

淡雪のまつげの先に留まりて

切り立てのポニーテールへぼたん雪

初めての歯の抜けし朝忘れ雪      (忘れ雪:涅槃会(ねはんえ)のころに降るといわれている,降りじまいの雪)    

指先へ寄せる唇雪の華

後悔を雪片に乗せ振り向かず

偽りに気づかない振り雪月夜    

前世では石だったのよと雪の声    

真っ白な雪真っ白な志    

役割を手放してみる雪の夜   

明日への祈りを込めて暮の雪       (暮雪:夕暮れに降る雪)

抱えし荷そっと降ろして小米雪       (小米雪:小米の粒のように細かく、さらさらと降る雪)

異界へと続くハイウェイ雪しまき

俳句あれこれ、雪玉を放りて一つ星落つる

2013-12-14 23:59:08 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
1.次男が没頭して遊び始めた十五分、インゲンを炒める五分、駐車場での待ち時間三分と、細切れ時間をちょこちょこっと手にする育児家事な生活というのは、五七五と短くまとまった俳句を考えるのに合っているなあと思った今週でした。

といって他にも考えるべきこと山積みで、なかなか俳句だけに細切れ時間を割くとはいかないのですが、それでも嬉しいリフレッシュです。


2.今までちょこちょこと参加させていただいた俳句会。それぞれの「好き句」に投票し合うのですが、自分がこれいい!と思うものに点が入らなかったり、逆に目に留まらなかったものにたくさん点が入ったり、自分の思いを客観的に見られる機会になっています。

といって、どういった俳句をその会が目指しているかによって(より現実的写実、より心象の描写など)、点の入り方も随分異なると、日本の句会何度か参加体験者から聞き。その場を構成する人々によって、自分が一時「客観」と思ったことも、また変わるものですね。


3.俳句を作る際によく用いられる「多作多捨」という言葉。とにかく多く作って、ばさばさと捨てて、その中にきらりと光るものが生まれることがある。長年鍛えた俳人の中には、短期間に驚くほど作る人々もいるそう! とにかく作り続けてみる、百の中に一つでも「ちょっといい」というのがあればいいじゃない、そんな姿勢、いいなあと思います。


今週の「雪百句」参加句 by マチカ:

雪の底遥かなる日を見上げおり

雪の間に真隠して日が暮れる

思い出に導かれ行く雪明り

雪舞て最奥の闇照らされむ

慟哭を沈めて高し雪の山

どこまでも平らなる雪国境

雪の音に包まれし見る白昼夢

どちらが本物かと問う雪と月

老犬の雪の柱にもたれおり

満ち足りたアルパカといる雪の午後

雪ん子の手の温もりや星明り

紫の恐竜の見し雪の夢

半月に教えてもらった雪の色

超えたっていいんですよと雪の精

雪玉を放りて一つ星落つる

俳句に教えられた「写生」ということ

2013-12-08 09:48:05 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
先週末から、「アンカレッジ詩と俳句の会」の皆さんが、「雪百句キャンペーン」なるものをしている。会の掲示板に、「雪」を含んだ句を投句し合い、皆で百句作ろうというもの。

年齢も性別も職業も違い、普段全く違うリズムで暮らしている人々が、とつとつと雪についての句を綴り合う。句で会話しているような気持ち。

俳句に触れてよかったなあと思う。

月に一度週末にある定例句会などにもめったに参加できず、俳句に触れるのも年に何度?というほどの私が言うのも何ですが、俳句のエッセンスに多くを教えられたと感じています。

「写生」を俳句の根本においた正岡子規。その後様々な派に分かれ、俳句が何たるかについては諸説あるわけですが、俳句の根にあるのが、この「写生」

妄想の世界へと浮遊しがちな私に、目の前の情景を、そして今ここにある心象風景を、あるがままに丁寧に「見る」こと、そして形にすることの楽しさを、俳句は教えてくれました。

また「季語」との出会いも大きいです。季語を知ることにより、今まで目を留めることなく通り過ぎていた情景が、鮮やかな色を持って浮かび上がる。『歳時記』を通し、日本語の豊かさ、楽しんでいます。

たまに気がむくと(or 会のメンバーに背中を押していただいて)、ぽつりぽつりというペースですが、細々とでも続けていけたらな、そう思っています。


「雪百句」参加句 by マチカ 駄洒落遊びも混ざってますが(笑):


手の平に生命のにほい雪の朝

足跡を振り返る頬雪の道

むき出しの傷癒されん雪の夜

両の手に光溢れて雪晴るる  
  *1      

幾重もの罪許されて雪深し

絶望を覆いし雪の尚白き

歩いても歩いても遠く雪の中

消えかけし炎たぎりて雪しまき 
 *2    

羽ばたかん雪とし雪るもの達よ

雪にだって分からないわけじゃない

今夜こそ雪っぱりでいこうと決める

故郷へとどの雪面を下げて行く

愛妻へ雪の名前を尋ねけり

吾子達と雪の秘密を数えし日

雪遣い北極星から来るといふ



*1 雪晴: 「雪が降り止んで晴れわたること。空の青と雪の白の組み合わせが、えもいえず美しい。戸外へ出ると、目を保護するために雪眼鏡が必要になるほど、太陽の光を反射して雪がまばゆく輝く。」『俳句歳時記』冬の部 角川書店編より

*2 雪しまき: 吹雪のはげしく吹き巻くこと



インスパイヤリングな企画を次から次へとひねり出してくださるメンバーの皆様へ、ありがとう! 

ビバ、雪百句!

詩、「営み」

2013-12-07 23:59:07 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
「営み」


口中の模範に

胸中を告げると

柔らかな微笑浮かべ

上顎の辺りへ



鼻にも分かってもらおうと

外へ出れば

辺りのまぶしさに

恍惚

粘膜を抜けるなら

こんな青空が広がっている!



そこへ、舌の音

徐々に広がるクロシェンド

ぴらにい ぴらにい ぴらにい ぴらにい

踊る舌の根

最後の決めは

右手と左手をクロスさせての

フリーズ



席を立ち 一礼

ろろんぱ

2013-11-30 23:59:02 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
死角に転がる球を

勢いよく割り

水平面の支点を跨いで

すっくと立つ


左足を踏み込み 右足を上げ

右足を踏み込み 左足を上げ


規則正しいリズムで揺れる

半球と私


両足の曲線が切り取る空間は

螺旋階段への入口でもあり出口でもあり


ろろんぱ ろろんぱ

風が吹く

ろろんぱ ろろんぱ

草木が揺れる


しなう枝にぶら下がり

逆上がりを三回

友人五十歳&俳句遊び

2013-08-24 23:59:35 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
友人が五十歳! サプライズにお祝い。

食べて飲んで、すると、突然一人が歌い始め、タンバリン片手にソロでかなり長く歌い始め(笑)、


皆でハッピーバースデー! はっ?えっ、私? ぽかんと誕生日友人。サプライズ成功!

何年か前に別の友人が受け取った王冠伝授。「50」とピンクのまぶしい文字。ケープを羽織って。


「ますます生き生きと美しく人生をエンジョイ、ますます賢く」そんな言葉と共に。

おめでとうございます!



久しぶり集まる面々。普段外で仕事している人ばかりなので、なかなか会えず。ゆっくり一人一人近況報告。その後は、俳句遊びなども。誕生日友人の名前から頭文字をとり、五、七、五と言葉を並べ、例えば「まちか」ならば、「ま」で五文字、「ち」で七文字、「か」で五文字、そして頭文字ごとごちゃごちゃに混ぜ、セットで読んでいく。

偶然が織り成す作品の数々、やられっぱなしでした。

ひじき煮はロミオの上でみどりいろ

ひよこの目六千円で見返そう

ひきこもりロバと遊んで民間療法

ヒヒを抱きロリータ服で味りん干し

秘密とは論より証拠みきプルーン

昼の闇ロマンチックにみみずばれ


涙流し、笑い筋力がかなりやばかった夜。

子供達も隣で、「どこで誰が何をした」ゲームしてました。(笑)

ここにも、まぶしい光

2013-07-28 08:13:21 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
背中をまぶしく見上げ

そこへたどり着こうともがき

何て早く進んで行ってしまうのだろう

これじゃとても追いつけやしないと

息を切らし 立ち止まり



その人と同じところにたどり着くことはできないけれど

その人になることはできないけれど

もっと自分へとたどり着くことならできる

もっと自分になることならできる



自分へと向かう道

まだ切り開かれていない道を 

一歩一歩

ふとはるか遠くを見上げれば ここにもまぶしい光

ただ その光と共に

プロローグ、命が宿る

2013-05-11 23:59:23 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
「ユア」

 年明けのお祝いムードから街が日常のリズムを取り戻す一月の終わり、それまで三年間取り組んだネイティブ・アラスカンの仮面についての修士論文を大学オフィスに提出し、その足で産婦人科へと向かいました。下腹部に鈍い痛みが続き、わずかな不整出血、その上めまいも感じていたためです。論文の追い込みで随分と寝不足が続いていたから身体に負担をかけてしまったのだろう、無理をすると以前もこんな症状が出たことがあったし、一度しっかり検査をしてみよう、そう思っていました。

「おめでとうございます。六週目ですよ」

 口ひげを生やしどこかのカフェのマスターにも見える産婦人科医の明るい声を、不思議な気持ちで聞きました。目の前のスクリーンには小さな影が映っています。こんなに小さくても頭、胴体、手、足、人の形をしているなんて。私の内に、私ではないもう一つの命が育っている・・・。

 ふと、「ユア」を思い出しました。アラスカ南西部に暮らす「ユピック」の人々は、かつて森羅万象あらゆるものに、「ユア」という「精霊 (spirit)」が宿ると信じていました。三年の間、寝ても冷めても向かい続けたユピックの仮面には、「ユア」が表されたものがあります。目に見える形を超え、どんな姿にもなるとされた「ユア」。仮面に刻まれた「ユア」は、動物や人の身体の中に、人の形として刻まれています。下腹部とエコーの画面とを交互に見比べながら、まるで産婦人科のドアを叩く前日まで毎日向き合っていた「ユア」のイメージが、現実となったような気持ちでした。

病院を出ると、辺りはオレンジ色に染まっていました。こうして夕焼けを眺めていたって、もう一人じゃないんだな、初めての感覚にとまどいながらも、胸の奥底から温かい気持ちがこみ上げてきます。新しい命。赤ちゃんを抱く自分。それまでの生活で、描いたことも無い自分の姿であるはずなのに、なぜだか少し懐かしいような気持ちになります。

一年もすれば赤ちゃんは歩き始め、五年もすれば学校へ行くようになり、子供から大人へと移り変わる中で旅をし、そして愛する人にめぐり合い、再び命が宿り。線路沿いの道を一人歩きながら、はるか先の風景と、それまで自分が歩んできた道を重ね合わせていました。

この新しい命がまた新しい命を宿す頃には、私も老い、そしていつか私もこの世からいなくなる。それでも命というのは、こうして一人一人の身体を超え、「ユア」のように永遠に続いていくのかもしれない。西の空に傾く太陽を見ながら、そんなことを思っていました。


ネイティブ・アラスカン「父」の言葉

 夫とは、当時アラスカと日本とを行き来する別居暮らしを続けていて、論文が無事通り卒業したら、夫の暮らすアラスカへ移住しようと予定していました。それでも、まさかもう一人の家族というプレゼントがついてくるとは思いもしませんでした。
 
桜の木の下で卒業を祝い、梅雨雲が空を覆い、その雲の合間から青空が見え始める頃、合衆国政府からビザが下り、妊娠七ヶ月でアラスカに渡りました。ひっそりとしたアンカレッジ空港に、一人降り立つ私を、妊娠が分かって以来始めて会う夫が迎えてくれました。大きなお腹を前に、とまどいと決意が入り混じった少年のような表情を覚えています。

 こうして日本から遠く離れた異国の地で、小さなワンベッドルームにほとんど家具も無く、フライパン一つで何もかも調理するといった、まるでままごとのような暮らしが始まりました。窓の外のチュガッチ山脈が、私達夫婦と、もうすぐ生まれる赤ちゃんを、暖かく見守ってくれているように頼もしく見えたものです。

 臨月に入り、ある日重いお腹を抱え、ダウンタウンを夫と歩いていたときのことです。ネイティブ・アラスカンの「父」に偶然出会いました。「父」というのは、私が村々を旅していたときお世話になった家の父なのですが、私はその家で彼らの亡くなった親族の名前をもらい、彼らの「家族」として迎え入れられたのです。

 ユピックの人々の間には、亡くなった親族の名前を、生きている人々に再び授けるという慣習があります。あの家の三男のアザラシの食べ方は、三年前に亡くなった叔父のジェフにそっくりだ、あそこの家の次女は、十年前に他界した祖母のメアリーが編んだバスケットを小さな頃から大切にしている、そんな様子から、「ジェフ」や「メアリー」という名前を、生まれた時から持っている名前に加えていくのです。ユピックの人々は、私はジェームスであり、ジェフでもあり、クリスでもある、そんなようにいくつもの名前を持っています。 

 村を訪ね、ユピックの人々と暮らした夏、私の歩き方やお茶ばかり飲んでいる様子から、私の内には彼らの親族が二人宿っていると、告げられました。そしてシャーマンの家系に育ったというその「父」に儀礼をしていただき、二つの名前を授かり、私は彼らの家族の一人となったのでした。

 飛行機に乗って一時間ほどのところにある村にいるはずのその「父」が、突然前方からこちらに向かって歩いてきます。驚いて駆け寄る私に、「ネイティブの集会に参加しに来たんだよ」と、「父」はいつもの穏やかな表情で言いました。そして妊娠したことをその時初めて告げた「親不孝な娘」を、その大きな手で抱きしめると、私の下腹部を指し示し、こう言いました。

「This person needs you, you need this person.
This person needs this world, this world needs this person.
That is the reason why this life is here.

この子にはあなたが必要 あなたにはこの子が必要
この子にはこの世界が必要 この世界はこの子を必要としている
だからこうして命が宿ったんだよ」


私の目をまっすぐ見つめる「父」の目は、私を突き抜けはるか遠くを見ているようでした。この「父」の言葉が、その後の私の子育て生活で、どれほど支えになってきたか分かりません。五人の子供を追い掛け回し一日を終えぐったり疲れてしまっても、ふとこの言葉を思い出す度に、また明日から頑張ろうと思えたものです。

地球上に何十億といる人々、ほとんどが一生会うということがありません。その中でこうして縁あり、親と子という関係で共にいる。親と子互いに必要だったからこそ、こうして生まれて来るのだと「父」 は言います。そしてこの子が今のこの世界に生まれることが必要だったように、この世界もこの子の存在を必要としている、この世界に必要とされない命など一つもない。「父」のメッセージは、私の心の奥深いところで、強く響き続けています。
 

シャチに「ユア」の仮面      


カモメに「ユア」の仮面


雛祭り俳句会

2013-03-09 23:59:38 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
ひな壇を横に。

う~ん、とひねり出す時。


テーブルには春の菓子。


句に触れるひと時、インスパイヤリングなひと時。

走り回る日常に、こんなひと時があるのが嬉しい。



薄化粧善意まといて春の風

春泥に沈めし意図の白きかな

指先の一オクターブ上の春

ふと思ふ「女」とは誰か雛の家

口元に最大の嘘春の月

久しぶりの俳句会

2013-02-03 02:49:50 | 詩・フィクション・ノンフィクション・俳句
先週末は一年ぶりくらいに俳句会へ。また欠席の予定だったのですが、出張前の夫が風邪、少し休ませるために子供を連れ出そうと急遽参加。遅れて集まり場へ向かう車の中で信号待ちなどに歳時記をめくりつつ、句を搾り出す。歳時記いいなあ。季語に触れ広がる景色。

集まったメンバーで互いに好き句に点入れ合って、批評し合って。プレスクールを会場にしていたので、子供達はそれぞれ遊んで遊んで。楽しかったです。

老木を打つ指先へ冬の雨 

北風を突き抜け虚無を突き抜けて

屍を乗せて飛び立つ氷湖かな 
凍った湖が屍を乗せて円盤のように氷湖ごと浮かび上がっていくイメージだったのですが、皆には飛行機が屍を乗せて凍った湖から飛び立っていると思われたよう。

大小の吾子ら飛び跳ね御神渡り 
御神渡り:凍った湖にできたひび割れ。神が歩いた道とされる。この日初めて知った季語

氷海を転げ回るは確かに私
浮き氷浮かぶごつごつとした海を眺めながら。
あ、あそこに何か動いてる。
人が・・・、転げ回ってる? 
えっ、あれ・・・、私?   そんなイメージ


プレスクールを会場に


うんうんうんうん、搾り出す。


ロッカーな友人も。


テーブルにはお茶にお菓子に。

子供達も、お茶に菓子に差し出しあい。


歌にゲームに。