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一宮友歩会・第91回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part14  中川区・中村区を歩く

2022-07-02 23:12:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第91回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・名古屋編part14で、名古屋市中川区と中村区を歩くものでした。予定では午後に四間道や円頓寺を歩く事となっていましたが、朝からウナギ上りの気温ですので、午後に歩く計画は省略となりました。

名鉄山王駅 — 広見憩いの杜 — 小栗橋 — 清正石切場跡(金刀比羅宮社) — 
ささしまライブ — 
ささしまライブ駅 — ささしま米野歩道橋 — 米野公園 — 
熊野神社 — 智興寺
 — 厳島神社 — 稲穂社


今回、歩いたコース地図です。
91kmap.pdf (ssl-lolipop.jp)



広見憩いの杜で出発式を行いました。
ここ、広見憩いの杜は旧露橋下水処理場だった所です。




広見憩いの杜の案内板です。
下水処理場が水処理センターとして生まれ変わり施設が地下化されています。




広見憩いの杜から出発しました。
そして、眼に入って来たのが相撲部屋の稽古場です。
八角部屋が宿舎を張っています。
土俵が設けて有り、まわしをして稽古している人が12人か13人居ました。
「隠岐の海関」「北勝富士関」「北の若関」の名の幟旗が見えます。
誰でもが幟旗を立てれるのでは無く、幕の内以上と言う決まりが有るのではなかろうか。

一宮友歩会の例会は偶数月に実施することとなっていますが、8月は暑い時期なので7月に実施することとなっています。





金刀比羅宮社へ来ました。
このお宮さんには名古屋城築城の際の石切り場跡が有ります。
ここでMさんのお話です。



配布された資料。明治24年の地図です。
家々が並ぶのは右の方で堀川が有る所より、東となっています。名古屋駅が有る所の周りは田んぼです。家屋密集地を避け田んぼの場所の方が駅を設置し易かったからでしょう。
東海道線や関西線が通っていますが、単線です。
今の名古屋駅近辺の状態から葉考えられないような状況です。



ささしま米野歩道橋を歩きます。
このささしま米野歩道橋の下にはあおなみ線や関西線、近鉄線が通っています。
それに車両基地に向かう列車も通ります。



青い列車。
近鉄特急の「しまかぜ」です。
左から右へ向かって行きましたので、車庫から出て来て近鉄名古屋駅から発車するのでしょう。
座席シートが大阪向きとなっています。





ズラ―と並んだ列車たち。
右に新型車両の特急ひだ号。HC85系が見えます。
奥の黄色い車両。
在来線の検査車輛。キヤ95系が見えます。アノ列車は新幹線のドクターイエローに相当する車両で在来線の検査を行っています。




近鉄特急の火の鳥です。
車庫に入るのだろうか。
向こうの方へ走って行きました。
歩道橋のアクリル板越しの撮影ですので曇っています。




HC85系の姿が見えます。
HC85系は4両の固定編成ですが、後ろに2両編成が見えます。
多客期には増結するのでしょう。



近鉄名古屋駅に向かって行く火の鳥です。
先程の火の鳥と言い、この火の鳥。
数分の違いで2編成を見ることが出来ました。

ささしま米野歩道橋の上からの眺めです。
色々の列車を見ることが出来ました。
この場所。鉄道ファンなら垂涎の的ではなかろうか。



米野公園へ来ました。



米野公園の案内板です。
この米野公園は防災公園の顔を持った公園です。




災害用トイレです。
地面のマンホールが災害用トイレとなります。
このようなトイレが有れば災害時に役立ちますが、利用する機会は来てほしくないですね。
この他に応急のかまども有りました。

備えあれば患いなしと言いますが、米野公園が役に立つ。
そんな時は来て欲しくないです。



名古屋駅の高層ビル群が見えます。
この辺り。
名古屋駅の南西に位置し名古屋駅の裏側みたいな場所です。



智興寺に来ました。
植田兼助の石碑が在ります。
説明板には植田兼助が江戸末期に名古屋駅西地区で村の子供たちの教育に尽力したと書かれています。



厳島神社へ来ました。
ここが今日のコースの最後の場所となります。



池の中にお社が有ります。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。
厳島神社の名のように、このお宮さんで代表的な神社が広島県の厳島神社です。



太閤1丁目の交差点へ来ました。
先に名古屋駅の高層ビル群が見えます。



稲穂社へ来ました。



今日は稲穂社で解散式を行い、終了となります。



最後に
一宮友歩会の7月例会は名古屋市内を歩く計画となっています。
7月の時期です。名古屋市内を歩くと相撲部屋が名古屋場所の稽古場を張っている場面に遭遇することが有ります。
16年07月02日。東区を歩きましたが、九重部屋が東区の徳源寺で部屋を張っていました。
一宮友歩会・第63回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part7  名古屋市東区を歩く  - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)
17年07月01日に中村区を歩きました。願成寺薬師堂で友綱部屋が宿舎を張っていました。
一宮友歩会 第69回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part9 名古屋市中村区を歩く - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)
18年07月07日に西区を歩きました。相撲部屋では無かったですが、コースの途中、ドルフィンズアリーナの前を歩きました。翌日から始まる名古屋場所。ドルフィンズアリーナの前に沢山の幟旗が立っていました。
一宮友歩会・第75回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part11 名古屋市西区を歩く - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)

一宮友歩会は回を重ねて91回となりました。
回数を重ねて来てこの時期。名古屋市内を歩くと、相撲部屋の宿舎を見かける。
そんなことが伝統となって来ています。

次回、少し先になりますが、92回例会は10月1日に岐阜県不破郡垂井町を歩く予定です。
JR垂井駅に9時00分に集合です。
宜しかったらご参加ください。

 

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一宮友歩会・第90回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編Part3  桑名市西部を歩く

2022-06-04 23:12:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第90回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・三重編part3で、桑名市西部を歩くものでした。80回例会の時は桑名市の東部を歩きましたが、今回は西部を歩きます。朝、桑名駅に集合でした。80回が2年前でした。桑名駅の様子が変わってきています。橋上駅となり、東西の通行が自由通路で可能になっています。

桑名駅 — 照源寺 — 大福田寺 — 諸戸水道遺構 — 増田神社 — 太夫の大楠
 — 冷水庵 — 御膳水 — 走井山公園 — 有王塚 — 三重県企業庁取水堰 — 
町屋橋跡 — 安永常夜灯 — 晴雲寺 — 城南神社 — 神館神社 — 矢田立場 — 桑名駅


今回、歩いたコース地図です。80回で歩き残した桑名市西部を歩きました。
90mapkuwana.pdf (jk2unj.icurus.jp)



桑名駅の西側です。
いわゆる駅裏ですが、駅の改良が進められているのでこれから先、街の姿が変わって行く事でしょう。




照源寺へ来ました。
桑名藩主、松平家の菩提寺です。



歴代藩主の墓碑が並んでいます。



藩主の墓碑です。
藩主の菩提寺と言うのは独特の雰囲気が有ります。
萩の東光寺。毛利家の菩提寺です。墓碑がズラ―と並んでいたのを覚えています。



円妙寺と言うお寺です。
階段の左側です。



寺への階段には、凄く立派なテイカカズラが見えました。




次に大福田寺を訪れました。



正面が本堂です。
左の藤棚。4月に下見に来た時は藤が咲いていました。
このお寺、大黒天をお祀りしていて伊勢七福神の1つで有ります。



諸戸水道遺構へ来ました。
解説板に見入っています。



諸戸水道遺構の解説です。



金網越しに諸戸水道遺構を見下ろしました。



遺構の近くにホタルブクロが咲いていました。



増田神社へ来ました。
この神社、伊勢神宮の遥拝所が有り伊勢神宮の末社のようでした。
お社を社屋が全体を覆っていました。



太夫の大楠です。
人の背丈から楠の大きさが分かります。



上野御膳水に来ました。
丘陵部南側です。
お水がチョロチョロと湧き出ていまして、その水がダーと言う流れとなっていました。



上野御膳水の解説板が立っていました。




走井山公園へ向かう道です。
丁度、西桑名に向かう列車が通りました。



馬道気で停車している西桑名行の列車です。
三岐鉄道北勢線です。
この三岐鉄道北勢線は西桑名からいなべ市の阿下喜までを結んでいます。

新幹線などは国際標準軌1,435mmである 鉄道です。JRが採用しているのは、それより狭い1,067mmゲージです。北勢線の線路幅は更に狭い762mmです。この線路をナローゲージと言っています。各地に有ったナローゲージが廃線となる傾向が有り、数少ない線路となりました。
私たちが通りかかった時に列車が通過しました。




走井山公園で昼食の時間となりました。
ここは庚申塔群です。
各地に散らばっていた庚申塔を集めたものです。



庚申塔の解説です。



安永地内を歩いています。



員弁川に堰を設け水を取水しています。




取水しているのは三重県企業庁で工業用水取水場の看板が出ています。
この用水。北伊勢工業用水道と言う名です。ここ、員弁川だけでなく長良川などからも取水して四日市の工業地帯へ送水しています。

川からの工業用水の取水となると、頭に浮かぶのは今、話題となっている豊田市の明治用水の取水場です。あの明治用水は工業用水の他に農業用水も取り入れています。
この北伊勢工業用水道は工場だけに送水しているのだろうか。



堤防を歩いて来ると、小公園が有りました。
そこには、東海道五十三次町屋橋跡の解説板が立っていました。
同じ川でも員弁川と町屋川の名が付いています。
途中まで員弁川で、どこかから町屋川と名が変わるのだろうか。




東海道の横に立つ楠か、巨木を見かけました。
この大きな木は東海道を行き来する旅人を見下ろしてきました。



伊勢両宮常夜燈です。



伊勢両宮常夜燈の解説です。
両宮と言うと、下宮と内宮と言う意味だろうか。

この常夜燈が寄進されたのが文政元年と書かれています。
右下に岐阜桑原善吉と言う名が有ります。
岐阜の材木商なのですが、桑原善吉は岐阜商工会議所の会頭を務めた人物です。名を世襲する家系です。会議所会頭を務めたのは何代目で、ここに書かれているのは何代目なのだろう。



旧東海道を歩いています。



神館神社へ来ました。



神館神社のお手水舎。
花が飾って有りました。



桑名駅まで戻ってきました。



色々のアジサイ。
左はオーソドックスなアジサイ。
新品種だろうか。色々のアジサイを見かけました。
今回はそんな時期でした。



最後に
初夏の時期。オーソドックスなアジサイ。花火のようなアジサイ。色々のアジサイを愛でることが出来ました。このように色々のアジサイが見れるのは今の時期ならではであります。
前回、桑名市東部を歩いたのが、19年6月1日でした。あれから2年が経ち桑名駅の姿が変わっていました。自由通路が出来、駅が橋上駅となっていました。駅の西と東。これからも改良がおこなわれると看板が出ていました。2年後3年後が楽しみです。
次回は7月2日。名鉄の山王駅が集合場所となっています。

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一宮友歩会・第89回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編Part5  大府駅から東浦町を歩く

2022-04-02 23:53:19 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第89回ウォーク例会です。今回はJR大府駅に集合して東浦町を中心に歩きました。東浦町には家康の母、於大の方が誕生した緒川城。桶狭間の合戦の前の時期に織田と今川が戦った村木砦。緒川城主、水野氏の菩提寺である乾坤院など見どころの多い場所でした。
今回、東浦町ふるさとガイドの皆さんに案内して貰い、各地で解説をして頂きました。

大府駅  ― 村木砦  ― 村木神社  ― 入海神社  ― 越境寺  ― 乾坤院  ― 
於大公園  ― うのはな館  ― 於大の道 ― 緒川城址 ― 地蔵院 ― 緒川駅


第89回ウォーク例会のコース図です。



集合場所が大府駅でした。
出発前に準備体操です。



鞍流瀬川の横を歩きます。



鞍流瀬川の横はウオーキングのコースとなっていました。
サクラが満開です。



石ヶ瀬川の横を歩きます。



民家の垣根で見かけた「ムベ」です。
咲き始めていました。



村木砦跡へ来ました。
砦跡がある八劔神社です。



村木砦では公房がありました。
その解説をする城郭研究家のMさんです。



村木砦の戦いの解説板です。



村木神社に向かっています。



村木神社のおまんと祭り石碑です。



村木神社を後にします。
中心の木。
この木を中心におまんとが繰り広げられます。
村木神社のおまんと祭りです。
『勇壮! おまんと祭り』愛知県東浦町森岡 村木神社2016.09.25 "Heroic! Oman and the Festival higashiura Morioka Muraki shrine - YouTube
このおまんと祭り。
入海神社でも開催されていました。
でも、コロナ禍の時期。開催はどうだろう。



岡田川沿いを歩きます。



民家で咲いていたモモの花です。
私が撮った後、後ろのKさんも撮っていました。


民家の間。
狭い路地を歩いて行きます。



入海神社に付きました。
東浦町ふるさとガイドの皆さんが私たちの到着を待っていてくれました。



東浦町ふるさとガイドの方からの説明です。



パネルを使った解説。
入海神社には入海貝塚が有ります。
その入海貝塚の解説です。



こちらは尾張永井家の墓がある了願寺の解説です。



入海神社から出発ですが、解説しやすいようにと2つの班に分割しました。
隠れキリシタンの燈籠が有る越境寺へ向かう班と了願寺へ向かう班に分かれました。



越境寺へ来ました。
ここでも解説です。



切支丹燈籠の解説板と越境寺の切支丹燈籠です。



乾坤院へ来ました。

山門が見えます。
この寺、水野氏の菩提寺です。



新しくなった乾坤院です。



於大公園へ戻ってた来ました。
ここで、東浦町ふるさとガイドの皆さんとお別れです。
この後、ランチタイムとなりました。



於大公園からうのはな館 に来ました。
うのはな館は東浦町郷土資料館です。



家康像、於大の方像。そして水野忠政像です。




家康、於大の方、水野忠政の解説です。



うのはな館から出て於大の道へ向かいます。
於大の道は八重桜の並木が有りますが、まだ開花していません。



緒川城址へ来ました。
ここでもMさんの解説です。





緒川城址の解説板です。



緒川駅まで歩いて来ました。





最後に
東浦町は歴史に触れれる街でした。そんな街をボランティアガイドである、東浦町ふるさとガイドの皆さんに案内して貰えて良かったです。
東浦町の東に境川が流れています。於大の方が嫁した刈谷は三河。緒川城が有るのは尾張。文字通り国の境の川です。
家康の母、於大の方(この時は〇〇姫と呼んだのかも知れない)三歳の竹千代を残して緒川に帰ってくる。母の情。想像できるものが有ります。
一宮友歩会は、単にウオークするだけの会では有りません。アチコチで歴史や文化に触れることが出来ます。今回、東浦の知識を深めることが出来ました。そりが面白いです。

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一宮友歩会・第88回ウォーク例会 河川探訪・二之川編Part4  勝幡駅から佐屋駅まで歩く

2021-12-04 23:25:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会に参加しました。一宮友歩会のウオーキング例会は第87例会として2021年4月3日に名鉄新木曽川駅から一宮市の北部を歩き名鉄玉ノ井駅までを歩きました。その後、コロナ禍で開催が中止となり、久しぶりの開催となりました。
今回は名鉄勝幡駅に集合して、駅の北口で出発式を行いました。その後は津島上街道を歩きました。津島上街道は、名古屋と津島を結ぶ街道です。古くは中世の鎌倉街道の萱津宿と津島を結ぶ道として発達した歴史が有り、織田信長が清州城と津島を何度も往来していたと伝えられる道です。久しぶりの開催でしたが、30名の参加者が有ったそうです。
名鉄勝幡駅(スタート)    ― 勝幡神社  ― 佐織公民館  ― 釜地蔵  ― 津田家住宅
 ― 兼平堤 ― 
兼平堤碑  ― 大椋の木の碑  ― 清正公社  ― 津島神社  ― 
天王川公園 ― 
愛菜耕房グリーンセンター  ― 佐屋用水  ― 佐屋代官所跡  ― 
名鉄佐屋駅(ゴール)



第88回例会のコース図です。
r312map.pdf (ssl-lolipop.jp)



今回の集合場所は名鉄勝幡駅でした。



出発前のYさんの解説です。
これから歩くコースの説明です。



駅前の信長の父、織田信秀夫妻の像です。
赤子の時の信長が母に抱かれています。



歩き始め。
黒塀の家屋の横を歩きます。



勝幡神社に来ました。
この神社では「おこわ祭り」が開かれます。



三宅川の堤防から見えた皇帝ダリアです。
傾いていました。



津島上街道を歩いています。



ここでもYさんの解説です。

Yさん提供の明治22年の地図です。
Yさんの解説はこの地図により、話をされていました。

歩いている津島上街道や川の形状が良く分かります。
左の縦の川は木曽川です。県境の線が入っています。
日原村と言う場所が有ります。ここには「日原渡船」が有りました。
右側で中段ほどの所に神守村が有ります。この神守村は佐屋街道の宿場で有った所です。
神守村から津島村。そして佐屋村。これが佐屋街道です。かつての佐屋街道の形が良く分かります。佐屋宿が面した川。佐屋宿が桑名への三里の渡しの出発点で、ここから桑名に向かいました。
地図の字は右から左へ読みます。地図の中の海東や海西は明治期の海東郡と海西郡を表しています。
地図は色々の事を想像させてくれます。
地図を見るのが面白いです。



佐織公民館に寄ります。



佐織公民館でトイレ休憩。
そして資料館を見学しました。



釜地蔵に来ました。




釜地蔵堂です。
左は釜地蔵を戸の隙間から眺めています。
私たちが釜地蔵を眺めていたりした時、通りかかった男性が拝観できるよう戸を開けてあげますと申し出てくれました。
そして、戸を開けて貰えて釜地蔵に対面できました。



こちらは十王堂です。
十王堂の戸も開けて貰えました。



十王堂の中にお邪魔しました。
十王とはその名の通り、十の王様。閻魔王が有名ですが、秦宏王、初江王、宋帝王など十の王で構成されます。それら十王を祀って有るのが十王堂です。





釜地蔵堂や十王堂を開けてくれた男性。
その男性がお庭も見せてくれました。
津田家住宅です。




お庭。
ドウダンが赤く紅葉しています。



紅葉したドウダン。
背を向けて話ししているのが公開してくれた男性です。



このお庭。
水琴窟も有りました。
立派なお庭が有るお宅です。
名前を聞きましたら津田さんと言うのだそうでした。
こちらのお宅、津田家住宅と呼んでよいのではなかろうか。
私たちが釜地蔵を拝観していたら、通りかかり公開して貰えました。
有り難い事でした。



兼平堤の碑です。



兼平堤の碑に兼平堤にまつわる事柄が解説して有ります。



津島の大椋の木の石碑へ来ました。
石碑は残っていますが、大椋の木は切倒されています。



清正公社に来ました。
清正公社は加藤清正をまつっています。



津島の街に入って行きます。



津島神社への道を歩いています。



津島神社の境内に入ってきました。



天王川公園へ来ました。
ここでランチタイムです。



天王川公園の縁を歩きます。
右前方に見える家屋。祭りに使うのだそうです。



池の周りを歩きます。
モミジが綺麗。
最後の輝きとでもいう所だろうか。



佐屋用水へ来ました。



佐屋代官所跡の北側です。



佐屋駅に着きました。
ここで解散となります。



最後に
津島上街道は、江戸時代は美濃街道から分かれ,津島に向かう道として津島神社を参った人たち,巡見使,商人たちで街道は賑わいました。上街道は,尾張藩と高須藩を結ぶ高須街道の一部でも有りました。
高須藩は尾張藩の支藩であり、尾張藩に世継ぎが恵まれない時は高須藩から世継ぎを出す習わしとなっていました。その昔、多くの人がこの街道を行き来したのでしよう。
このようなことを知る機会。一宮友歩会が、単にウオーキングをするだけでなく学習に結びつける事が出来るのが良い点です。
釜地蔵で、突然に地蔵堂を公開してあげるとの申し出でした。そして津田家住宅のお庭も見せて貰いました。いい意味のハプニングでした。

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一宮友歩会・第85回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編 Part13 垂井町から大垣市を歩く

2020-10-03 23:24:28 | 一宮友歩会

一宮友歩会の10月例会に参加しました。JR垂井駅に集合して、駅の北口で出発式を行いました。その後は町の北西へ垂井宿の中を歩きました。垂井追分から美濃路を辿り大垣市に向かって歩きました。
第84回例会が実施されたのは今年の2月でした。新型コロナ禍で半年余りも開催が実施されませんでしたが、久々の例会の実施で有りました。
今回、岐阜県での開催であり、Kオジサンがリーダーを務めました。

JR垂井駅(スタート)    ― 垂井宿 ― 垂井追分 ― タルイピアセンター ― 
美濃路松並木 ― 綾戸古墳 ― 六社神社 ― 長松城址 ― 平林荘 ― 
久徳の一里塚 ― 塩田常夜灯 ― 正覚寺発句塚 ― むすびの地記念館(ゴール)


第85回例会のコース図です。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/datagazou/85map.pdf



垂井駅の北広場。
これから出発式を行います。




垂井町の街の中を歩きます。



垂井町の街の中を歩きます。



鳥居の有るところへ来ました。
南宮大社の鳥居です。



相川の横の信号を渡っています。



中山道と美濃路の追分へきました。
左に進めば中山道。
右に進めば美濃路で、今回は美濃路を歩きます。




タルイピアセンターへ来ました。



タルイピアの館内です。
竹中半兵衛像が迎えてくれました。
左が歴史民俗資料館となっていますが、コロナという事で公開していませんでした。



エントランスのガラスケースの中に懐かしい少年少女雑誌が展示して有ります。
あしたのジョーやど根性ガエルのページが開いています。




こちらは商店の看板類が壁に掲げて有ります。




こちらは図書館です。



美濃路の松並木を歩きます。



綾戸古墳へ来ました。



平林荘跡に来ました。
ここは飯沼慾斎が隠居後に植物を研究した所です。



石碑の裏側。
50歳で引退後に県下で最初の死体解剖に取組んだと、飯沼慾斎の功績が描かれています。




平林荘跡で昼食となりました。
園内にはコスモスが咲いていました。




美濃路の久徳の一里塚へ来ました。




一里塚の説明です。



塩田の常夜灯へ来ました。
治水研究家の安井さんが説明しています。




台風で傷んでおり、シートがかけられています。



塩田橋や養老公園の石碑。
これ等の石碑は他所から持ってきたものでしょう。
本来なら、もともとの場所に有るべきだと思うが、どうだろうか。



奥の細道むすびの地。
もう直ぐです。



奥の細道むすびの地へ来ました。
歩いて来て、終了のストレッチをやっています。


一緒に歩いた一宮友歩会会員のMさんのホームページです。
https://icurus-jk2unj.ssl-lolipop.jp/85reikai.htm

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一宮友歩会・第84回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編 Part4 大府市を歩く

2020-02-01 23:48:27 | 一宮友歩会

一宮友歩会の2月例会に参加しました。昨年と一昨年、どちらも大府市内を歩きました。今回も大府市のウオークで、JR共和駅に集合して、駅の西口で出発式を行いました。その後は市の北西へと歩きました。18年2月の第72回例会では、JR共和駅をスタートして、JR大府駅にゴールするコースで大府市の東側部分を歩きました。そして、19年2月の第78回例会では大府駅を発着点として大府市の南西部を歩きました。今回は大府市の北西部を歩くと言うコースでした。
「ふるさとガイド おおぶ」の人たちがボランティアガイドを務め、所々で解説してくれました。

JR共和駅(スタート)    ― 八ツ屋神明社  ― 東光寺 ― 八ツ屋大池 ― 
長草天神社 ― 地蔵寺  ― 白魦池  ― 長草大池  ― 上野浄水場  ― 平池公園
  ― 蛇池  ― 子安神社 ― 大高緑地 (ゴール)


第84回例会のコース図です。

JR共和駅前

JR共和駅前の広場です。
ここが今日のスタート場所ですが、歩き出す前の出発式で「ふるさとガイド おおぶ」の人たちの紹介が有りました。



(09:16)
歩き始めです。
JR共和駅前から出発しました。


八ツ屋神明社

(09:19)
最初に寄ったのが八ツ屋神神社です。
この神社、金メダル神社と言われているお宮さんです。




必勝祈願の絵馬が下がっています。
その中には栄監督や川井姉妹の絵馬が有りました。
ここで必勝祈願して金メダルを獲得した人が何人もいるそうです。





「ふるさとガイド おおぶ」の女性が八ツ屋神明社について説明してくれました。
この場所が八ツ屋となっていますが、東海市の方から8人が移住してきて開墾し、この名が付いたのだそうでした。


東光寺

(09:38)
東光寺へ来ました。




東光寺の裏手。
経塚が有り、ガイドの説明が有りました。



八ツ屋大池

八ツ屋大池へ来ました。
八ツ屋大池の由来を刻んだ石碑が有りました。






(09:48)
八ツ屋大池の横を歩きます。




飛来してきているカモ。
人の気配で池の中心へ向かっていきました。
八ツ屋大池の横には、出来て、まだ新しい公園が有りました。
地主の寄付によって公園ができたのだそうでした。





歩いていて、民家の塀から枝が伸びており、ウメが咲いていました。


長草天神社

(10:18)
長草天神社へ来ました。
他のウオーキンググループと鉢合わせ。
ここへは、私たちの前にウオーキングのグループが来ていました。




ここでも「ふるさとガイド おおぶ」の人の説明が聞けました。




このガイドの女性。
ふじやと言う酒屋さんの女将さんです。
店で宝くじを売っているのだそうですが、7億円が2度出たのだそうです。



袋に入った丸い金色のもの。
見たときはなんだろなと思いました。
金メダルでした。
全員に、このメダルとお菓子を頂きました。



(10:44)
白魦池へ来ました。



白魦池の横を歩きます。
少なくなった池の水。
カモが居ました。




ツバキかサザンカだろうか。
綺麗に咲いていました。




歩いている横。
キャベツ畑です。




キャベツ畑のキャベツ。
良い大きさになっています。






知多半島道路の上を横切ります。



(10:59)
来たところが愛知用水が流れるところです。
ここで安井さんから愛知用水の説明が有りました。


西の方の眺望です。
名港トリトンの巨大な橋脚が見えます。
そして、遠くに白くなった鈴鹿の山が見えます。



畑のブロッコリー。
暖冬の影響を受けて花が咲いています。
ブロッコリーは花の形からアブラナ科の仲間だという事が分かります。




ロマネスコと言う野菜。
この野菜も大きく育っていました。




(11:31)
昼食場所に予定していました平地公園へ来ました。
この平地公園は東海市であり、大府市から一旦外へ出た形になります。
ここで昼食の時間です。





ゴーカートと変形自転車。
子供たちが楽しんでいました。



(12:26)
昼食を終えウオーキングの再開です。
伊勢湾岸自動車道の下。
側道を歩いています。



蛇池の横を歩きます。
この辺りから大府市に戻ってきました。




大府市へ戻ってきました。
先に見えるのが子安神社です。
黄色い服を着た「ふるさとガイド おおぶ」の人たちが待っていてくれます。



(12:44)
子安神社で「ふるさとガイド おおぶ」の人から説明を受けています。
この子安神社。ご祭神は木花咲耶姫命だと教えてもらいました。



子安神社での説明を終えて「ふるさとガイド おおぶ」の皆さんとお別れとなりました。
有難うございました。

感想
今回、途中で東海市に移った時は離れましたが、その時を除き「ふるさとガイド おおぶ」の皆さんのお世話になりました。終始、あちこちで説明を頂き有難かったです。
今回のコース。知多半島の丘陵地帯という事でため池が多い場所だという事を知りました。
都市近郊の農地。キャベツやカリフラワー。それらの生育状況を目にすることができました。










 

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一宮友歩会・第83回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編part 1 名鉄妙興寺駅から名鉄萩原駅へ歩く

2019-12-07 23:09:55 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第83回ウォーク例会に参加しました。史跡巡りシリーズ・西尾張編part 1 で名鉄妙興寺駅から名鉄萩原駅まで歩くコースでして、一宮市博物館の駐車場が集合場所となっていました。
初冬の時期、一宮市の南西部を歩きました。
今回の例会。私とカミさんがアンカーを努めました。
名鉄妙興寺駅 - 一宮市博物館 - 七つ石 - 中島宮 - 本養寺 - 
中島城址 -  中島廃寺跡
 - 高木城址 - 万葉公園高松分園 - 八剱社
 -  万葉公園 - 鞆江緑地公園 -  鞆江神社 
- 市川房江生家跡 -
 宝光寺 - 天神の渡し跡 - 萩原宿 - 舟木一夫生家跡 - 名鉄萩原駅




今回のコース地図です。
一宮市の大和町萩原町を歩きました。


一宮市博物館

(09:07)
スタート場所となっている一宮市博物館の駐車場です。
出発前の出発式をやっています。



歩き始めです。
大和町の街中を歩いています。




(09:32)
一宮市大和町戸塚地内を歩いています。



七つ石

戸塚地内の七つ石です。
大小18個の石が有ります。
日本武尊が伊吹山へ向ったときにこの石で剣を砥いだと言ういわれが有ります。






(09:58)
大和町を歩いています。
左側は大和南中学校の校舎です。
この先、萩原町に入ります。





遠くに伊吹山が見えます。
前日の雪で白くなっています。


中嶋宮

(10:12)
中嶋宮へ来ました。




中嶋宮の石柱が立っています。
この中嶋宮。
かつては八剱社と言う名でしたが、中嶋宮に改称しています。
この石柱。伊勢湾台風で傷んだ鳥居の廃材を使って建てたとあります。



中嶋宮の説明板です。



中島城址

(10:42)
中島城址へ来ました。
歴史研究家で城跡に詳しいM井さんの説明が有りました。


苗木の一大産地

この辺りは南を稲沢市に隣接しています。
その影響が有ってか、苗木の生産が盛んです。
上段左はサザンカか、中は柑橘類。そして右はマキの木です。
中段の中、マキの幼木です。
下段の右。観葉植物的なモノですが、種類は判りません。
これらの他にイチョウの木やナンテンの幼木など、色々の苗木が有りました。

高木城址

(11:13)
高木城址へ来ました。
ここでも、M井さんから城跡の説明が有りました。


田の中の道を歩きます。
前方に新幹線が見え、列車が走り去りました。



万葉公園高松分園

(11:40)
万葉公園高松分園へ来ました。
ここで昼食の時間となりました。



昼食の後、万葉公園高松分園を歩き回りました。
有ったのが佐藤一英の「国府宮はだか祭の歌」です。





(11:42)
こちらは樫の木文化資料館です。
普段は閉じていますが、今回、私たちために特別に公開して貰いました。




樫の木文化資料館です。




樫の木文化資料館の説明です。
佐藤一英の呼びかけで集まったくわや鎚、水車などが展示して有ります。



色々の民具が並んでいました。
こちらはムシロを編む道具です。




八剱社

(13:00)
八剱社へ来ました。
参道に八剱社と刻まれた石柱が立っています。



入口の石柱。
表は八剱社。裏側は大正十年建立、下に伊藤とか内藤と言う人の名が刻まれています。
横には大正七八年西利亜出征記念となっています。(78年と読めてしまいますが、7年8年と言うことです)
この石柱はシベリア出兵で出征した人が記念に建てたものです。

いわゆるシベリア出兵です。
リーダーのAさんの解説で、名古屋の第三師団が名古屋港から兵隊をシベリヤへ送ったそうな。
第一次世界大戦が終わった後の時期。
各国がシベリアに兵を派遣した時期です。そんな時代背景の解説が有りました。



万葉公園

(13:07)
モミジが紅葉した万葉公園に来ました。





万葉公園と言うだけ有って石碑と立て札で万葉集を紹介しています。




赤いモミジはよく見かけますが、黄色いモミジが有りました。




こんな黄色いモミジ。
初めて見ました。




(13:23)
西古川を歩いています。
木々が紅葉しています。
前方のビニールハウス。パンジーを育てていました。



左が歩いて来る時見えたビニールハウス。
右は先ほどの高木城址で見たビニールハウスです。
今回、この2箇所以外にもう1箇所、パンジーを育てているビニールハウスを見ました。
この一帯で3箇所のビニールハウスが有りました。
こう言う花を育てる農家が多いのではなかろうか。




(13:31)
イチヨウが黄色くなっています。
イチョウの葉の先から黄色くなって行きグラデーションになっているとは、知りませんでした。
このようなイチョウの木。
何箇所も有りました。
稲沢市の祖父江町はイチヨウの町です。
そこに近いので影響を受けているのかも知れません。




鞆江神社の参道を歩いています。


鞆江神社

(13:55)
鞆江神社へ来ました。
大きなイチョウの大木が有りました。




鞆江神社の説明板です。



市川房江生家跡

市川房江生家跡に来ました。




(14:33)
歩いている道が美濃路です。



天神の渡し跡

天神の渡し跡に来ました。
石碑が有りますが、この場所は美濃路で、かつて渡しが有ったところです。




(15:03)
美濃路で、萩原の街を歩いています。



舟木一夫生家跡

舟木一夫生家跡です。
今はアパートになっていますが、かつて舟木一夫生家が有ったと言う事で説明板が設けて有ります。


名鉄萩原駅

(15:15)
萩原駅まで歩いてきました。
最後に体操をしています。


感想
三箇所のパンジー農家が有りました。そして、何種類もの苗畑も有りました。都会に近い場所で効率よい農業を営む。こんなに色々の苗が生産されている事を知りました。
八剱社ではシベリア出兵にまつわる話が聞けました。また、中島城址や高木城址ではこの辺りの城跡の説明を受けました。
万葉公園では紅葉と黄葉のモミジを見る事が出来ました。イチョウ畑で葉がグラデーションで黄色くなって行く。鞆江緑地公園では親子のヌートリアを見かけました。移り行く季節を感じました。
一宮友歩会のウオーキングは単に歩くだけと言うものでなく、季節の推移。色々の文化や歴史に触れる事が出来ます。
知識を深める事が出来て面白いです。

コメント (4)
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一宮友歩会・第82回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編part12 瑞穂市から岐阜市へ歩く

2019-10-05 23:44:24 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第82回ウォーク例会に参加しました。今回は私、Kオジサンがリーダーを努めました。
史跡巡りシリーズ・岐阜編part12 で瑞穂市のJR穂積駅から長良川を小紅の渡しで渡り、JR岐阜駅まで歩くコースでして、穂積駅が集合場所となっていました。
穂積駅から糸貫川を渡り穂積町の北東部を歩き、岐阜市の河渡へ。河渡は中山道の宿場だったところです。長良川堤防を歩き、小紅の渡しで対岸の鏡島弘法へ。その後は西岐阜駅を経由して中山道を歩き岐阜駅に着きました。

穂積駅 - 南流公園 - 西堀弥一顕彰碑 - 河渡宿一里塚跡 - 馬頭観音
 -  河渡公園 - 
小紅の渡し - 鏡島弘法 - 立政寺 - 西岐阜駅 -
  八ツ草公園 - 中山道 - 
加納宿西番所跡 - 岐阜駅



今回のコース地図です。




(09:06)
穂積駅の北広場です。
出発式で挨拶する会長です。




糸貫川の堤防へ来ました。




(09:28)
西堀弥市の顕彰碑に来ました。
この場所。
夏の下見の時は雑草が繁っていて石碑に近寄れませんでした。
今はスッキリしています。




顕彰碑です。
漢文調に読むのでしょう。
読難いですが、惨とか洪水と言う文字が有ります。
村が困窮していて西堀が柳行李で振興させたのでしょう。
碑の最後。
大正十四年三月と刻まれています。





この顕彰碑の解説板です。





糸貫川左岸堤防を歩きます。
堤防の両側には彼岸花が咲いています。




堤防から南流公園を横切り生津地区へ来ました。




(09:52)
天王川に沿って北上してきました。
中山道の慶応橋を渡り河渡地区に入って来ました。
この辺りは河渡宿となるのですが、新しい家が並び宿場町らしさは有りません。



街道沿いに子どもが纏めた中山道の記録でが有ります。
長良川の渡しで栄えたと有ります。




中山道河渡宿一里塚の石碑がありました。
今はこのような姿ですが、かつては道を挟んで土が盛られ小山が築かれていたのでしょう。




私たち隊列が通りががって声を掛けてくれた男性です。
歩いている様子でどちらへ行くのかと聞きました。
この先。
小紅の渡しに行くと応えたら、車から笠を取り出しました。
小紅の渡し船頭さんでした。




「いこまい 中山道河渡宿」り幟旗を立てる男性。
いこまいは岐阜弁で行きましょうという意味です。
祭りの幟旗を立てていました。





この男性の相棒です。
軽トラに幟旗を乗せ町内を廻っているのでした。





馬頭観音に来ました。




馬頭観音の壁にポスターが貼って有りました。
先ほどの幟の祭りが27日行われます。





列で歩きます。
先ほどの幟旗。
ここへは既に、旗を立てに来ています。
軽トラで、2人。地域を廻っているのでしよう。





(10:29)
米の実った稲穂。
そんな田の横を歩きます。




寺田橋へ来ました。
道を渡るのですが、横断歩道が無く渡れません。




(10:40)
何とか道路を渡ってゼブラ地帯に立ちました。
ここは堤防の上です。
視界が良く伊自良川と長良川が合流するのが判ります。
ここで、Y井さんの河川に関する説明が有ります。
昭和51年の豪雨による川の氾濫。
この辺りは水が溢れ、一帯が海のようになったという説明です。





堤防上を歩きます。
前方に見えるのが金華山です。




列で堤防上を歩いています。




堤防から降りて舟に向かいます。




竿を持った船頭。
出発の準備をしています。




乗船して救命胴衣を着けます。




後から乗って来る人たちが見送ってくれます。

今日の参加者は48名でした。
舟の定員は8名です。
1回に渡れる8名で、6回の運行となりました。

私の乗ったのが第1便となります。
岸から離れました。




船上から。
長良川、そして金華山が見えます。



船上にて。




舟に乗っているのは2分か3分でした。
私たちを降ろした舟は、すぐに対岸へ戻って行きます。




舟を岸に着けます。



第2便の客を乗せて出るところです。





第2便が近付いてきました。





接岸させる船頭。





(11:09)
第3便が着きました。
3便分の人数で、先に鏡島弘法に向かいました。




鏡島弘法です。
この画像、下下見の時のモノです。




(12:28)
鏡島弘法を出発します。





立政寺に寄りました。





寺に保存されている文化財。
それに、この立政寺。
智通光后(チツウコウゴ)の墓所が有る所で、岐阜県の文化財に指定されています。




(13:46)
加納宿に入って来ました、
この先が加納宿となります。




中山道を歩いてきました。
加納宿の西番所跡の石碑が有ります。




(14:02)
岐阜駅に到着です。
お疲れ様でした。


感想
下下見の時は火曜日でしたが、前日が祭日で有り、その翌日が振替えの休日となっていました。下見の時は前々日や前日に雨が降り、増水していて渡れませんでした。今回、前々日や前日に雨が降りヤキモキしましたが、本番で乗船できてヤレヤレでした。
今回は私がリーダーを努めました。
わずかな時間でしたが、渡し舟で長良川を渡ると言う体験をして貰えました。
皆さんに喜んでもらえ、良かったです。

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一宮友歩会・第81回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編part13 名古屋市港区を歩く

2019-07-06 23:40:38 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第81回ウォーク例会に参加しました。今回は史跡巡りシリーズ・名古屋編part13 で名古屋市港区を歩くもので、名鉄道徳駅が集合場所となっていました。
港区はその名の通り名古屋港に面した場所です。立並ぶ工場群、港区の工業地帯の活気を感じる事が出来ました。今回はポートビル内での昼食時間が設定してあり、自由時間で館内を見学する事が出来ました。また、名古屋競馬場が近い将来、移転しますが、その場所の見学も有りました。

名鉄道徳駅 - 道徳公園 - 紀左衛門橋 - 港北公園 - 津村文左衛門頌徳碑
 - 
平和橋 - 善光寺 - 築地神社 - 稲荷橋 - ガーデン埠頭臨港緑園
 - 名古屋港ポートビル
 - 名古屋港水族館 - 中川橋- 大光寺 - 
荒子川緑道 -荒子川公園 - 
名古屋競馬場 - あおなみ線名古屋競馬場前駅


81回例会のコース地図です。


道徳公園

(09:11)
道徳駅で下車して、西に歩いてきました。
歩き出す前に道徳公園で出発式です。
大きな石碑が見えますが、この石碑。文政の豪農・鷲尾善吉による開拓を記念した「鷲尾善吉翁頌徳碑」です。
そして、その後に道徳公園を廻りました。
大きなクジラの池が有りました。夏に子供達を遊ばせているのだろうか。
この公園でマキノプロにより、忠臣蔵の撮影がされと説明板に記載して有りました。





公園内を廻り、ウオーキングのスタートです。



紀左衛門橋

(09:44)
紀左衛門橋。
橋が高い場所となっており、階段を登ります。




堀川で、橋の上から眺望です。
前方に見える橋は名古屋高速と23号線の橋です。
屋形船がこちらへ来るのが見えます。
屋形船が近付いてきて、屋根に「信長」と描かれ、船体には名城-宮の渡しと描かれています。
定期運行なのだろうか。乗ってみたいと思います。



津村文左衛門頌徳碑

津金文左衛門胤臣頌徳碑。
文左衛門は新田開発に尽力しました。


平和橋

(10:31)
平和橋にきました。
この平和橋、昭和12年にこの地で名古屋汎太平洋平和博覧会が開催されましたが、それに合わせて建設されたものです。




平和博覧会と平和橋の説明板です。
昭和12年に開かれた平和博覧会。
戦時色の強くなる時代です。
そんな時代に平和博と銘うって開催されました。
周囲の姿は変わってしまったのですが、橋だけは昔の姿をとどめています。




築地神社

築地神社へきました。
横道から神社へ入っていきます。



(11:07)

社を正面から眺めた姿です。




歩く途中、稲荷橋から開閉橋が見えました。
名古屋港跳上橋です。
ウィキペディア(Wikipedia)https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E5%8F%A4%E5%B1%8B%E6%B8%AF%E8%B7%B3%E4%B8%8A%E6%A9%8B
臨港鉄道が廃止となり、橋だけが開いた形で残っています。



ガーデン埠頭に来ました。
何人かのグループ、絵を描いている人たちを見かけました。





左上。白髪の男性が絵の先生だと思いました。
みなさん。
思い思いの風景をキャンバスに描いています。





ポートビルが見えてきました。




太鼓の稽古をしている人たちが居ました。
スピーカーから三味線の音が流れています。
それに合わせて太鼓を叩いていました。
15日が名古屋港の港まつりです。
まつりに出演するのかと聞いたら、そうだと言っていました。






(11:25)
ポートピルに入ります。

ポートビル内の1F休憩場所で昼食を取りました。
出発時間は13時となっていました。
1時間半ほど自由時間が有り館内見学が出来ます。
愛知県民で65歳以上であることを証明できるものを所持していて、受付で提示すれば3施設(展望室・名古屋海洋博物館・南極観測船ふじ)の入館料が無料で入館できました。
残念ながら、私は岐阜県民。
カミさんは会長から入館剣をいただきました。
私は先日の下見で展望台に上がっていましたので、今回は入館券を買い求めて博物館へ入りました。



(12:04)
名古屋海洋博物館に入ります。
この博物館、息子たちが子供の頃に来た事が有ります。
何十年ぶりの入館です。




船の操作のシュミレーターです。
中国人の少女が操縦しています。
見事に港へゴールしました。
この後、私もチャレンジしてみました。

船の操縦で舵輪を回します。
右へ左へ旋回する船。
自動車のハンドルのようにはいきませんでした。
そして、最後。岩壁に衝突してしまいました。




ミュージアムショップでお買物です。
カミさんは孫用にペパークラフトを買いました。




(13:10)
ポートビルから出て集合写真。
その後、橋を渡ってきました。
後ろを振返るとポートビルと南極観測船ふじが見えます。




名古屋港水族館の前を通過します。




遠くから人垣ができているのが見えました。
近くに来ると、見えたのは大道芸でした。
若い男性のパフォーマンス。





歩いて来て、中川橋を渡り、振返りました。
橋の改良工事をやっていました。




橋のたもとに工事の概要が貼り出されていました。




こちらは完成予想図です。
工事期間が令和2年度となっています。
下見の時はこの看板で、平成29年度と表示していました。
工事期間が延びたのでしょう。
工事開始が平成23年度となっています。10年近い工期です。迂回路を設けて橋を据付しなおしています。本当は新しい橋を架橋した方が安く上がるのかも知れません。でも、昭和のトラス橋を生かす工事なのでしょう。
概要にはトラス橋の北側に新しい橋を設けるとなっています。




(13:30)
中之島川緑地の中を歩きます。
この緑地。川を埋め立てて公園にしたようです。





大光寺へきました。
表に伊勢湾台風殉難者の碑が有ります。
知事だった桑原幹根の揮毫です。
この辺り。
いわゆる0メートル地帯で多くの犠牲者が有ったのでしょう。





(13:53)
荒子川緑道を歩いています。
この先の荒子川公園プラザで休憩し、そして、再び歩き始めました。




中部盲導犬協会。
盲導犬の訓練センターで、入口に盲導犬サーブの像が見えます。
この像。かつては別の場所に有ったのではなかろうか。

記憶が曖昧なのですが、何処か別の場所で見たような気がします。
検索してみましたら、名古屋駅に有りましたが、大階段に隠れて、目立たなくなってしまいました。
それで、栄へ移転。
このサーブ像。複数有るようです。




名古屋競馬場

(14:42)
名古屋競馬場へ来ました。
この競馬場。
近い将来、弥富に移転します。
そんな場所を歩くコースの一部に取り込まれました。



ここが入場口で、これから入ります。




メインスタンドの前。
オッズを表示しています。



馬券売り場の風景です。
新聞とニラメッコの人たち。
今の時代の馬券の買い方はマークシート方式でした。



福島競馬場の様子が映されています。
今、映っている馬。
女性騎手で人気のある藤田菜七子が騎乗します。

レース終了まで居ませんでしたので何着で入ったか確認していません。



(15:05)
お疲れ様でした。
あおなみ線の名古屋競馬場前駅まで歩いてきました。

感想
一宮友歩会の例会は、単にウオーキングに留まらないで色々の知識を得る事が出来るというと特徴が有ります。道徳公園に有った鷲尾善吉翁頌徳碑。或いは港北公園に有った津村文左衛門頌徳碑。何れも新田を開発し耕地を増やそうと努力しています。そのような事を知る事が面白いです。
今回は競馬場へ入りました。滅多と無い機会です。この日は地方競馬で盛岡競馬場。JRAの福島や函館でした。概念的にはその競馬場の馬券しか変えないと思いがちですが、他の競馬場の馬券が買える。競馬をやらないものに取っては、そんな事も驚きです。



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一宮友歩会・第80回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編part2 桑名市東部を歩く

2019-06-01 23:07:35 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第80回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・三重編part2 で桑名市を歩くものでした。
朝、桑名駅に集合でした。
桑名は旧蹟の多い場所です。海蔵寺に薩摩義士の墓があるのを知っていましたが、訪ねたのは初めてです。東海道の宿場となっていた桑名。七里の渡し跡や桑名城址の九華公園を歩きました。日本一喧しいといわれる石取り祭りの石取会館。色々の名所を訪ねる事が出来ました。
計画では西部も廻る予定でしたが、その部分を残して切り上げました。

桑名駅 - 海蔵寺 - 三崎見附跡 - 浄土寺 - 六華園 - 住吉神社  - 
七里の渡し跡 -
九華公園 - 春日神社 - 本統寺 - 石取会館 - 吉津屋見附
 - 十念寺 - 桑名駅



今回、歩いたコース地図です。
十念寺の後、西部を歩く予定でしたが取りやめて桑名駅へ向かいました。




集合場所は桑名駅です。
今回は桑名歴史案内人の人にガイドして貰いました。
参加者を2分割し、1班と2班に分けてスタートです。




最初に寄ったのが海蔵寺です。




海蔵寺には平田靭負を中心にして靫薩摩義士の墓が有ります。




薩摩義士の墓の説明板です。




三崎見附跡へ来て、歴史案内人がこの場所の事を説明しています。
見附とは宿場の入口に設置された門のようなものです。
宿場へ出入りする人を監視しました。





水路の横を歩きます。





ここは六華園です。
六華園は諸戸清六邸で、和洋折衷の邸宅です。洋館部分は鹿鳴館の設計で有名なイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計しました。
時間の関係から入園しませんでした。




揖斐川の堤防を歩きます。
前方に見えるのが住吉神社です。




揖斐川の堤防から長良川河口堰が見えます。




七里の渡し跡へ来ました。
向こうに見えるのは蟠龍櫓です。




伊勢神宮の鳥居です。
七里の渡しで上陸し、神宮を目指すのに、この鳥居を潜りました。




干潮でボートが着底しています。
露出した石垣は江戸時代のものだそうです。




徳川四天王の一人。
本多忠勝の銅像です。
本多忠勝は桑名を区画整理し、治めました。



九華公園の中を歩きます。





前の方に1班の人たちが見えます。





春日神社の青銅鳥居。
説明の板が立っています。




春日神社に来ました。




本統寺まで来ました。
この寺の境内で昼食時間となります。
案内してくださった桑名歴史案内人のお二人とは、ここでお別れとなりました。





本統寺での昼食を終えて午後からのウオーキングの再開です。
寺町通りを歩きます。
この通り。
三八市で賑わうようです。



貝の店です。
焼ハマグリを売っていますが、販売するのは市の日だけなのでしょう。
桑名名物の焼ハマグリ。
市の日にここへ来れば、食べれるでしょう。




石取会館へ来ました。
チョッと替わった外観の建物です。




石取会館の内部です。
スクリーンに祭りの様子を映し出しています。





東海道の石柱が立っています。
船から七里の渡し跡で陸に上がって歩き出し、ここを通過して行きました。




十念寺に来ました。
参道に森 陳明の墓の説明が設置して有りました。
幕末の激動期に幕府方のモノとしての行動が明治になって責任を取らされた。
そんな感じがします。



十念寺の西側の墓地です。
森 陳明の墓が有りました。







桑名駅まで戻って来ました。
ここで解散式を行い、本日の例会が終了となりました。


感想
桑名は東海道の宿場町であり桑名城の城下町です。今回は桑名歴史案内人の解説で各所を訪ねる事が出来、知識を深める事ができました。
桑名市の東半分を歩きました。お寺の多い場所でした。そして、立派な洋館建築。
桑名は宝暦治水の場所に近く、薩摩義士の墓がありました。
桑名藩が幕府方に味方する体制で、後になって詰め腹を切らされた。そんなイメージがしました。

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