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Kオジサンの新・山歩きの記

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一宮友歩会・第98回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・岐阜編Part15 垂井町を歩く

2023-10-07 23:39:14 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第98回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・岐阜編part15です。
2020年の10月に第85例会として垂井宿を廻り、その後に大垣駅まで歩きました。そして2022年10月には第92例会で垂井町の北西部を歩きました。(2021年に歩く予定でしたがコロナ禍で中止となりました)
今回は垂井町の南東部から南部にかけてを周回しました。3回の垂井町歩きで垂井町の史跡や歴史を知ることが出来ました。

JR垂井駅(スタート)    ― ゆりの宮 ― 勝神社 ― 薬師寺 ― 千句の里 ― 
常夜燈 ― 表佐祖先同胞碑 ― ハリヨ池 ― 湯つぼ ― 大領神社 ― 南宮大社
安国寺恵瓊の陣跡 ― 吉川広家の陣跡 ― 真禅寺 ― 朝倉公園 ― 春王安王の墓
 ― 金蓮寺 ― JR垂井駅(ゴール)



今回のコース地図です。
98map.pdf (ssl-lolipop.jp)



垂井駅の南広場。
今日はここからスタートです。



列となって歩きます。



表佐小学校の前を通ります。
二宮金次郎の石像が見えました。



勝神社へ来ました。



所々にまだ彼岸花が綺麗に咲いていました。
勝神社の前でも彼岸花が咲いておりカラスアゲハが密を取っていました。



勝神社の本殿に向います。
勝氏が祀られていると言われ、本殿の北に前方後円墳が有ります。
M氏の話によると、この辺り。帰化人が多いのだそうです。
でも、何百年も昔の話。
今では普通の人です。

 




薬師寺です。




住職さんにお話をお願いしてた有りました。
この地方の位置づけについて20分程、お話をして頂きました。











「ハリヨ・ほたるを育てる会」の代表の方。
説明に来てくれました。



ハリヨの会の女性がタモでハリヨを捕まえてきて見せてくれました。




こちらは「湯つぼ」です
湧き水とハリヨを見ています。
表佐地域は伊吹山の扇状地の末端に位置し、河間(ガマ)と呼ばれる湧水が多く点在しています。
河間の中でも、湧水利用の豊富な所を「湯壺」と呼び大切に維持されてきました。



しばらく歩きます。
遠くに伊吹山。
そして通過する新幹線が見えます。



大領神社まで来ました。
ここでM氏から自作の詳しい資料を以ての説明です。
話は関ヶ原の合戦まで及びました



南宮山の周囲の陣。
吉川色家の陣が有り合戦に加担したくても動けなかった。
そんな情況が有ったのだそうです。



南宮大社へ来ました。



南宮稲荷神社への道。
千本鳥居の中を歩きます。



南宮稲荷神社に寄りました。




安国寺恵瓊の陣跡の解説板が立っています。
この解説板の東に溜池が有り、実際の陣跡は池の向こうがだそうです。



真禅寺へ向かいます。



吉川広家の陣跡の解説板です。



この先、かなりの上り坂です。
真禅院の三重の塔が見えます。



階段が有りました。
階段を上がると真禅院となりました。



真禅院の三重の塔へ来ました。



春王安王の墓がある墓地に来ました。
彼岸花が盛りとなっています。



この場所。
春王安王の墓と池田輝政の陣跡が有る場所です。



春王安王の墓が有ります。
永享の乱で敗れた足利持氏の遺子である春王丸と安王丸は結城合戦で幕府方の囚われの身となり京への護送中金蓮寺で処刑されました。




ここは池田輝政の陣跡でもあります。



金蓮寺です。
この寺院で春王安王は斬首されました。



斬首された春王安王。
春王安王児霊像の解説です。



垂井駅へ戻ってきました。


最後に
一宮友歩会の例会は、単にウオーキングをするので無くその場所の歴史を深めたり、事象を学んだりします。
今回は伊吹山の扇状地の末端の遊水地。生息するハリヨを知る機会を歩持てました。関ヶ原の合戦は関ケ原町だけに留まることなく垂井町も合戦の一部となっていました。動きたくても動けない軍勢。
膠着状態で、さぞかしジリジリしたであろう。
こんなことを知れるのが一宮友歩会の良い所です。

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一宮友歩会・第97回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part15 中川区・中村区を歩く

2023-07-01 23:14:20 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第97回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・名古屋編part15です。
昨年の7月に名古屋市中川区と中村区を歩きました。朝からウナギ上りの気温上昇と言う状況でしたので、午後に四間道や円頓寺を歩く予定となっていましたが、午後の計画は省略となりました。
今回は、その省略となったコースです。名古屋駅の東を辿りました。

名鉄山王駅 — 広見憩いの杜 — 松重閘門 — 塩竃神社 — 六反公園 — 八角堂 — 
白龍社 — 神明社 — 光明院 — 浅間神社 — 五条橋 — 円頓寺 — 桂芳院




今回のコース地図です。
97map.pdf (ssl-lolipop.jp)





名鉄の山王駅から歩いて来ました。
昨年の時と同じ広見憩いの杜で出発式が行われます。
でも、広見憩いの杜の入口が開かれるのが9時となっています。
開くまで、相撲部屋の稽古を見ています。




昨年と同じ八角部屋の稽古風景です。
昨年と同様では有りますが、寺町の見学席が設けてあります。





松重閘門に向って中川運河の横を歩いています。





松重閘門に来てYさんの解説です。




塩竃神社へ歩いて来ました。



盬竃神社の解説です。



名駅南3丁目の交差点。
納屋橋と松重閘門がコンクリートの先に埋め込まれていました。



八角堂に来ました。



大きな仏足石が有りました。



堀川の方へ歩いて来ました。
納屋橋の所から川沿いの道へ降りました。



川沿いの道を歩きます。



民家に有った住居表示です。
5丁目13がどの辺りか判る様になっています。



光明院へ来ました。



大きな石に刻まれた三十三観音像。尾張藩御用商人三人衆の一人で主席を占めた内海屋の寄進によるものといわれます。
元治と言うと幕末の頃です。



都会の中の墓地です。



浅間神社へ来ました。
茅の輪行事が開かれていました。
タマタマ、来たら夏越の行事を目に出来ました。



四間道の民家。
竹筒に入れた花を吊るして有りました。
旧家のような家屋に竹筒の花がマッチしていました。



円頓寺通りへ来ました。
人だかりを見かけました。



NAGOYA ZAと言うカブキカフェです。



YAZIKTAの取組でした。
若い人達が注目していました。



桂芳院へ来ました。
ここには愚直聞き地蔵が有りました。

そして、ここで解散式となりました。

お酒の神様

円頓寺本町のお酒の神様に寄りました。




お酒の神様の店内です。



1000ベロセットです。
これはお出になっていますが、から揚げなどを注文することが出来ました。


最後に
一宮友歩会の7月例会でした。
朝のウチは雨が降っていたのですが、出発する頃には雨が上がりました。
名古屋駅の東側と言う場所でしたが、古い寺院が有ったりするところでした。

次回は10月7日。9時から垂井駅をスタートします。

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一宮友歩会・第96回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編Part4  長島町を歩く

2023-06-03 23:14:00 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第96回ウォーク例会です。
史跡巡りシリーズ・三重編Part4 で今回は桑名市長島町を歩くものでした。
初夏の時期、周囲を堤防に囲まれた長島町を歩きました。
特に、今回の目玉が船頭平閘門です。木曽川と長良川でリンクしている船頭平閘門。木曾川の水面が高く長良川の水面が低い。両河川を結び付けている訳だが、水面の高さを調整する機能を持っている。日本のパナマ運河と呼ばれている船頭平閘門。NPO法人木曽川文化協会の4人の人が解説してくて勉強になりました。

近鉄長島駅 — 豊受大神社 — 八劔神社 — 長島北部小学校 — 信行寺 — 楠神社 — 
輪中の郷 — 輪中ドーム — 船頭平河川公園 — 仁了寺 — 阿弥陀寺 — 源盛寺 — 
八幡社 — 長島駅



今回のコース地図です。
r596map.pdf (ssl-lolipop.jp)




集合場所の近鉄長島駅です。
出発式を終えて出発するところです。
大阪に向かうのでしよう。
特急火の鳥が走って行きました。


豊受大神社

豊受大神社へ来ました。
この豊受大神社。
伊勢神宮の外宮です。
伊勢湾台風の潮位を示すポールが見えます。
町内の至る所に水位標が立っていて、伊勢湾台風時の水位と現在の海面水位が示されています。




歩いていて目にしたのが畑のズッキーニです。



前方の高架。
東名阪です。



アジサイの色が濃くなってきました。



実っている枇杷。
このように収穫の時期を迎えた枇杷。
長島町を歩いていて何箇所も見ました。


長島北部小学校

長島北部小学校の水位標識です。
歩いていて同じような水位標識を何箇所も見かけました。


楠神社

楠神社へ来ました。



境内に有ったシベリア出兵の石碑です。
表には大正○○西伯利亜事變紀念と彫られています。
裏面には勲七等伊藤○○とか勲八等伊藤○○と彫られています。
この地区に伊藤姓が多いのだろうか。
また、ここに刻まれた人の名。
戦死した人なのでしょうか。



楠神社の中に入りました。
宮司が来ていまして、床几が並べて有りました。
そして、宮司が色々とお話下さいました。



楠神社の境内です。
楠の大木があります。


今回、私はアンカーを務め、末尾を歩いていました。
楠神社を後にするとき、宮司が鳥居の所まで来て私たちを見送って貰いました。
丁寧な応対でした。
このような対応。
会長に報告しておきました。


輪中の郷

輪中の郷に寄りました。



船頭平河川公園

船頭平公園へ来ました。
船頭平河川公園の案内図です。



船頭平公園へ来ました。



前方は船頭平閘門です。



「NPO法人木曽川文化協会」の4人の方の出迎えを受けました。
そして、説明を受けるよう4列に並び4班に分かれました。



船頭平閘門の解説です。



4班に分かれ、説明を聞きながら閘門の動きを眺めました。
説明の途中、水門扉が開き、水の出入りを見ました。
手前側が木曾川側で、奥の方が長良川側です。
木曽川の水面が高く長良川の水面が低い状態です。
水面の高さを調節して舟を航行させます。



閘門室の水位を上げています。
木曾川側から水を流し込みます。
水は全日は雨でして濁った水となっています。
濁水が流れて行きます。
違う色の水で、流れていくのが分かりました。



閘門室が木曾川と同じ水位になりました。



開いた閘門です。
閘門室の水位が木曾川と同じになりました。



木曾川側の閘門を閉じて長良川と同じ水位にします。
水位の低下で石垣が現れました。



閘門室の水位が長良川と同じになりました。
長良川側の閘門を開きました。




NPO法人木曽川文化協会の人が解説してくれました。



船頭平閘門の解説です。



明治の頃の閘門の扉。
イギリスから鉄板を輸入して校門の扉に仕上げました。






テントの中の展示室です。
旧閘門の扉が保存されています。




閘門の開閉は人力で行っていました。
ハンドルを回すとギヤが回り扉が開閉する仕組みになっています。



閘門の全景。
この閘門が作られたのは木曾川を流れて来た筏が桑名へ向かうために作られました。
閘門を通過する筏が映っています。



船頭平河川公園を出発します。


仁了寺

仁了寺に寄りました。
ここではM氏から、長島一向一揆についての説明を受けました。
この仁了寺もその時消失しています。



仁了寺では本殿に上がらさせて貰いました。
そして、秀吉の朝鮮出兵の軍船の梯子と思われる材木に着いて記した新聞記事を拝見しました。
寺を去る際には、お庫裡さんの見送りを受けました。





長良川左岸の堤防下を歩きます。



長島駅の近くまで歩いて来ました。
畑の麦。
色が変わり刈入れの時期を迎えています。



最後に
今回は船頭平閘門を見学することが出来ました。
説明によると流れて来た筏が桑名に向かうために設けられたのだそうです。
木曽谷は尾張藩の御領林でした。上流から流された檜を八百津で筏にして流し木場に向っていました。一方、飛騨は天領でして飛騨川を流していました。川辺で筏に組み流していたのでしょう。そして筏が桑名の市場へ向かう。そういう背景が有ったのでしょう。
今日は船頭平閘門を可動させて貰えて参考になりました。

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一宮友歩会・第95回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編Part6  東海市を歩く

2023-04-01 23:36:30 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第95回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・知多編Part3 で東海市と名古屋市緑区の一部を歩くものでした。桜が咲く良い季節を迎えました。

名鉄名和駅 ― 名和南公園 ― 薬師寺 ― 長光寺 ― 船津神社 ― 早川三郎記念碑 ― 
カブト山古墳 ― 名和古墳群 ― 廻間公園 ― 緑陽公園 ― 氷上姉子神社 ― 
寝覚めの里碑 ― 込高新田堤防 ― 替地公園 ― 名鉄名和駅




今回歩いたコース地図です。



集合地が名鉄名和駅でした。
そして、名和南公園で出発式が有りました。



長光寺に来ました。
住職と話しをしている会長です。



長光寺住職です。
身振りを入れてお話していただきました。
ご住職が発した言葉に水野忠政と言うのが有りました。
水野忠政は緒川城の城主で娘に、於大の方が有りました。
於大の方は徳川家康の母親です。

そんな歴史の一端を聞きました。




境内の石碑。
このお寺、相撲にゆかりが有ったようです。



船津神社に歩いて来ました。



Yさんの解説です。



この辺り、かつては海でした。
あゆち潟。
愛知の言葉の元となりました。




境内のサクラ。
今が一番良い時期でした。




頑張るスミレです。
アスファルトの隙間から顔を出していました。



長い列で歩きます。




マンションの南側に有るカブト山古墳です。
解説板と石碑が在ります。
この位置に古墳が有ったとすると、マンションは古墳の一部壊して建てたかもしれない。



カブト山古墳の解説です。



廻間公園へ向かっています。



廻間公園の中を歩いています。




氷上姉子神社に着きました。
ここで昼食となります。



氷上姉子神社のご本殿です。



氷上姉子神社の解説です。
ここは名古屋市で名古屋市の解説板が設置して有ります。



氷上姉子神社の本宮へ向かいます。



本宮へ上ってきました。



奥宮の前でMさんの解説です。





本宮から降りてきてウオークを再開します。
サクラが綺麗です。



寝覚めの里碑に来ました。
サクラが満開に近い状態です。



寝覚めの里碑の解説です。



込高新田堤防へ来ました。



込高新田堤防の解説板が設置して有りました。



南北に延びる込高新田堤防です。
東西の道路を挟んで堤防が有りました。
左が北側の堤防で右が南側の堤防です。
南側はサクラが若木でした。





替地公園に着きました。
ここで解散式となります。




最後に
満開の桜を愛でれる4月例会でした。
東海市を回りました。
散見している古墳。
その古墳の時代。東海市の辺りは住み良い場所だったのでしょうと想像します。

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一宮友歩会・第94回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・西尾張編Part3  江南市・大口町を歩く

2023-02-04 23:37:31 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第94回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・西尾張編Part3 で江南市と大口町を歩くものでした。浅春の時期。それでも小さな春を見つけることが出来ました。

名鉄江南駅 — 北野天神社 — 江南市歴史民俗資料館 — 宮後城址 — 五丁掘砦跡 — 
前野天満社 — 前野屋敷 — 若宮八幡宮 — 堀尾跡公園 — 富士塚 — 小折城址 — 
久昌寺跡 — 吉乃御殿跡 — 龍神社 — お釜地蔵 — 名鉄布袋駅


今回歩いたコース地図です。
r594map.pdf (ssl-lolipop.jp)



第94回例会の出発式。
会場は北野天神社でした。



最初に寄ったのが江南市歴史民俗資料館です。



館内を見学。
展示品を眺めています。



宮後城址へ来ました。
下見でこの場所に来た時、発掘調査をやっていました。
今では発掘調査が済んで整地しています。
ここで城郭研究家の丸井さんの解説が有りました。




宮後八幡社へ来ました。
ここで待っていてくれたのは宮後中区内の八幡社世話係の人たちです。
八幡社世話係の人から宮後八幡社について説明を受けました。



宮後八幡社の解説板です。



五丁掘砦跡へ来ました。



五丁掘砦跡の石碑です。
前野喜左衛門義康が織田信雄に仕え、小牧長久手の戦いの折、ここ五丁掘砦を守ったのです。



前野天満社の梅です。
ポツポツと咲き始めていました。



こちらは若宮八幡宮です。
ここで休憩しました。



歩いている途中、目にしたオオイヌノフグリです。
可愛い花が咲き始めていました。



五条川の横の道を歩きます。
この道、尾北自然歩道です。



大口町の堀尾跡公園へ来ました。
ここで昼食の時間となりました。



姥堂の中に貼って有った裁断橋ものがたり。
horioomote.pdf (oguchi.lg.jp) こちらは大口町のホームページです。子を想う母の心。堀尾金助が小田原の戦で亡くなり、金助を想う母親が裁断橋を復元させました。なお、裁断橋は熱田神宮の近くに有りましたが川の埋め立てでくなりました。大口町が平成8年に裁断橋を堀尾親子の出身地である町内に復元したもので有ります。


裁断橋行の七言絶句です。



裁断橋行の解説です。



堀尾跡と八嶮社、堀尾吉春、堀尾金助とその母、裁断橋擬宝珠銘文。
解説板が設置して有りました。



五条川沿いを歩いています。
この辺りはサクラ並木になっています。
春の時期、長いサクラが続きます。



五条川沿いを歩いて来ました。
昭和用水が五条川に合流する所です。
ここでは安井さんの解説です。



明治22年の地図です。
昭和用水の経路。五条川の流れ。そして入鹿切れ洪水の主流の解説です。



前方のこんもりとした塚。
富士塚です。




民家のロウバイ。
いい匂いが漂ってきました。



久昌寺の解説板です。
久昌寺は取り壊されて更地になっていました。



こちらは吉乃御殿跡の解説板です。



解説板の横に有った梅です。
1輪咲き始めていました。



お釜地蔵に来ました。



前方はゴールである布袋駅です。
良く歩きました。


最後に
宮後城址の歴史。昭和用水の歴史。
一宮友歩会のウオークは単に歩くと言うだけでなく、歴史的な解説を聞くことが出来ます。
この状態。まるで生の社会科教室ように感じます。
それに早春の花々。
季節を感じながら歩ける。
それも一宮友歩会の良い所です。

次回の例会は4月1日に名鉄名和駅から東海市を歩きます。






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一宮友歩会・第93回ウォーク例会 河川探訪シリーズ・ニ之枝川編Part5  稲沢市を歩く

2022-12-03 23:53:28 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第93回ウォーク例会です。河川探訪シリーズ・ニ之枝川編Part5  稲沢市を歩くものでした。

名鉄国府宮駅 — 国府宮神社 — せんき薬師 — 性海寺 — 尾張国分寺跡 — 
下水道科学館 — 澤君遺愛碑 — 屯倉社 — 勝幡城跡 — 名鉄勝幡駅



今回歩いたコース地図です。
93knmap.pdf (ssl-lolipop.jp)



国府宮神社の参道です。
参道に石の太鼓橋が有りますが、川に関連して説明を受けています。



畑の中の道を歩いています。



せんき薬師に寄りました。




性海寺に入ります。



性海寺本堂の前です。
夏みかんだろうか。
沢山ぶら下がっています。



大塚古墳です。



大塚古墳の上からの眺め。
古墳の説明に有る様に豪族がここを見張り台に使っていたのか。
今のように家々が無かった時代。
三宅川が流れ、そこを行きかう舟。
通行料を徴したのでしょう。





尾張国分寺跡に来ました。




尾張国分寺跡の解説です。



尾張国分寺跡の石柱と礎石です。
大きな礎石。
でっかい建物が建っていたのでしょう。




カラスウリを収穫した人が居ました。
撮影させて貰いました。



こちらはサネカズラです。


下水道科学館

下水道科学館に着きました。
ここで昼食。
そして館内を見学します。



下水道科学館の職員から説明を受けています。



愛知県内の各地のマンホールです。
マンホールはその街の顔とも言えます。
左上は豊橋市。右下は蒲郡市です。



初冬の時期。
皇帝ダリアが咲いていました。




屯倉社へ来ました。


勝幡城跡

解説板が有り、読んでいます。



信長の解説です。


勝幡城跡

勝幡城跡ですが、上の解説板が有った場所から少し離れていました。


名鉄勝幡駅

名鉄勝幡駅の駅前まで歩いて来ました。









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一宮友歩会・第91回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part14  中川区・中村区を歩く

2022-07-02 23:12:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第91回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・名古屋編part14で、名古屋市中川区と中村区を歩くものでした。予定では午後に四間道や円頓寺を歩く事となっていましたが、朝からウナギ上りの気温ですので、午後に歩く計画は省略となりました。

名鉄山王駅 — 広見憩いの杜 — 小栗橋 — 清正石切場跡(金刀比羅宮社) — 
ささしまライブ — 
ささしまライブ駅 — ささしま米野歩道橋 — 米野公園 — 
熊野神社 — 智興寺
 — 厳島神社 — 稲穂社


今回、歩いたコース地図です。
91kmap.pdf (ssl-lolipop.jp)



広見憩いの杜で出発式を行いました。
ここ、広見憩いの杜は旧露橋下水処理場だった所です。




広見憩いの杜の案内板です。
下水処理場が水処理センターとして生まれ変わり施設が地下化されています。




広見憩いの杜から出発しました。
そして、眼に入って来たのが相撲部屋の稽古場です。
八角部屋が宿舎を張っています。
土俵が設けて有り、まわしをして稽古している人が12人か13人居ました。
「隠岐の海関」「北勝富士関」「北の若関」の名の幟旗が見えます。
誰でもが幟旗を立てれるのでは無く、幕の内以上と言う決まりが有るのではなかろうか。

一宮友歩会の例会は偶数月に実施することとなっていますが、8月は暑い時期なので7月に実施することとなっています。





金刀比羅宮社へ来ました。
このお宮さんには名古屋城築城の際の石切り場跡が有ります。
ここでMさんのお話です。



配布された資料。明治24年の地図です。
家々が並ぶのは右の方で堀川が有る所より、東となっています。名古屋駅が有る所の周りは田んぼです。家屋密集地を避け田んぼの場所の方が駅を設置し易かったからでしょう。
東海道線や関西線が通っていますが、単線です。
今の名古屋駅近辺の状態から葉考えられないような状況です。



ささしま米野歩道橋を歩きます。
このささしま米野歩道橋の下にはあおなみ線や関西線、近鉄線が通っています。
それに車両基地に向かう列車も通ります。



青い列車。
近鉄特急の「しまかぜ」です。
左から右へ向かって行きましたので、車庫から出て来て近鉄名古屋駅から発車するのでしょう。
座席シートが大阪向きとなっています。





ズラ―と並んだ列車たち。
右に新型車両の特急ひだ号。HC85系が見えます。
奥の黄色い車両。
在来線の検査車輛。キヤ95系が見えます。アノ列車は新幹線のドクターイエローに相当する車両で在来線の検査を行っています。




近鉄特急の火の鳥です。
車庫に入るのだろうか。
向こうの方へ走って行きました。
歩道橋のアクリル板越しの撮影ですので曇っています。




HC85系の姿が見えます。
HC85系は4両の固定編成ですが、後ろに2両編成が見えます。
多客期には増結するのでしょう。



近鉄名古屋駅に向かって行く火の鳥です。
先程の火の鳥と言い、この火の鳥。
数分の違いで2編成を見ることが出来ました。

ささしま米野歩道橋の上からの眺めです。
色々の列車を見ることが出来ました。
この場所。鉄道ファンなら垂涎の的ではなかろうか。



米野公園へ来ました。



米野公園の案内板です。
この米野公園は防災公園の顔を持った公園です。




災害用トイレです。
地面のマンホールが災害用トイレとなります。
このようなトイレが有れば災害時に役立ちますが、利用する機会は来てほしくないですね。
この他に応急のかまども有りました。

備えあれば患いなしと言いますが、米野公園が役に立つ。
そんな時は来て欲しくないです。



名古屋駅の高層ビル群が見えます。
この辺り。
名古屋駅の南西に位置し名古屋駅の裏側みたいな場所です。



智興寺に来ました。
植田兼助の石碑が在ります。
説明板には植田兼助が江戸末期に名古屋駅西地区で村の子供たちの教育に尽力したと書かれています。



厳島神社へ来ました。
ここが今日のコースの最後の場所となります。



池の中にお社が有ります。
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)をお祀りしています。
厳島神社の名のように、このお宮さんで代表的な神社が広島県の厳島神社です。



太閤1丁目の交差点へ来ました。
先に名古屋駅の高層ビル群が見えます。



稲穂社へ来ました。



今日は稲穂社で解散式を行い、終了となります。



最後に
一宮友歩会の7月例会は名古屋市内を歩く計画となっています。
7月の時期です。名古屋市内を歩くと相撲部屋が名古屋場所の稽古場を張っている場面に遭遇することが有ります。
16年07月02日。東区を歩きましたが、九重部屋が東区の徳源寺で部屋を張っていました。
一宮友歩会・第63回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part7  名古屋市東区を歩く  - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)
17年07月01日に中村区を歩きました。願成寺薬師堂で友綱部屋が宿舎を張っていました。
一宮友歩会 第69回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part9 名古屋市中村区を歩く - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)
18年07月07日に西区を歩きました。相撲部屋では無かったですが、コースの途中、ドルフィンズアリーナの前を歩きました。翌日から始まる名古屋場所。ドルフィンズアリーナの前に沢山の幟旗が立っていました。
一宮友歩会・第75回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・名古屋編Part11 名古屋市西区を歩く - Kオジサンの新・山歩きの記 (goo.ne.jp)

一宮友歩会は回を重ねて91回となりました。
回数を重ねて来てこの時期。名古屋市内を歩くと、相撲部屋の宿舎を見かける。
そんなことが伝統となって来ています。

次回、少し先になりますが、92回例会は10月1日に岐阜県不破郡垂井町を歩く予定です。
JR垂井駅に9時00分に集合です。
宜しかったらご参加ください。

 

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一宮友歩会・第90回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・三重編Part3  桑名市西部を歩く

2022-06-04 23:12:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第90回ウォーク例会です。史跡巡りシリーズ・三重編part3で、桑名市西部を歩くものでした。80回例会の時は桑名市の東部を歩きましたが、今回は西部を歩きます。朝、桑名駅に集合でした。80回が2年前でした。桑名駅の様子が変わってきています。橋上駅となり、東西の通行が自由通路で可能になっています。

桑名駅 — 照源寺 — 大福田寺 — 諸戸水道遺構 — 増田神社 — 太夫の大楠
 — 冷水庵 — 御膳水 — 走井山公園 — 有王塚 — 三重県企業庁取水堰 — 
町屋橋跡 — 安永常夜灯 — 晴雲寺 — 城南神社 — 神館神社 — 矢田立場 — 桑名駅


今回、歩いたコース地図です。80回で歩き残した桑名市西部を歩きました。
90mapkuwana.pdf (jk2unj.icurus.jp)



桑名駅の西側です。
いわゆる駅裏ですが、駅の改良が進められているのでこれから先、街の姿が変わって行く事でしょう。




照源寺へ来ました。
桑名藩主、松平家の菩提寺です。



歴代藩主の墓碑が並んでいます。



藩主の墓碑です。
藩主の菩提寺と言うのは独特の雰囲気が有ります。
萩の東光寺。毛利家の菩提寺です。墓碑がズラ―と並んでいたのを覚えています。



円妙寺と言うお寺です。
階段の左側です。



寺への階段には、凄く立派なテイカカズラが見えました。




次に大福田寺を訪れました。



正面が本堂です。
左の藤棚。4月に下見に来た時は藤が咲いていました。
このお寺、大黒天をお祀りしていて伊勢七福神の1つで有ります。



諸戸水道遺構へ来ました。
解説板に見入っています。



諸戸水道遺構の解説です。



金網越しに諸戸水道遺構を見下ろしました。



遺構の近くにホタルブクロが咲いていました。



増田神社へ来ました。
この神社、伊勢神宮の遥拝所が有り伊勢神宮の末社のようでした。
お社を社屋が全体を覆っていました。



太夫の大楠です。
人の背丈から楠の大きさが分かります。



上野御膳水に来ました。
丘陵部南側です。
お水がチョロチョロと湧き出ていまして、その水がダーと言う流れとなっていました。



上野御膳水の解説板が立っていました。




走井山公園へ向かう道です。
丁度、西桑名に向かう列車が通りました。



馬道気で停車している西桑名行の列車です。
三岐鉄道北勢線です。
この三岐鉄道北勢線は西桑名からいなべ市の阿下喜までを結んでいます。

新幹線などは国際標準軌1,435mmである 鉄道です。JRが採用しているのは、それより狭い1,067mmゲージです。北勢線の線路幅は更に狭い762mmです。この線路をナローゲージと言っています。各地に有ったナローゲージが廃線となる傾向が有り、数少ない線路となりました。
私たちが通りかかった時に列車が通過しました。




走井山公園で昼食の時間となりました。
ここは庚申塔群です。
各地に散らばっていた庚申塔を集めたものです。



庚申塔の解説です。



安永地内を歩いています。



員弁川に堰を設け水を取水しています。




取水しているのは三重県企業庁で工業用水取水場の看板が出ています。
この用水。北伊勢工業用水道と言う名です。ここ、員弁川だけでなく長良川などからも取水して四日市の工業地帯へ送水しています。

川からの工業用水の取水となると、頭に浮かぶのは今、話題となっている豊田市の明治用水の取水場です。あの明治用水は工業用水の他に農業用水も取り入れています。
この北伊勢工業用水道は工場だけに送水しているのだろうか。



堤防を歩いて来ると、小公園が有りました。
そこには、東海道五十三次町屋橋跡の解説板が立っていました。
同じ川でも員弁川と町屋川の名が付いています。
途中まで員弁川で、どこかから町屋川と名が変わるのだろうか。




東海道の横に立つ楠か、巨木を見かけました。
この大きな木は東海道を行き来する旅人を見下ろしてきました。



伊勢両宮常夜燈です。



伊勢両宮常夜燈の解説です。
両宮と言うと、下宮と内宮と言う意味だろうか。

この常夜燈が寄進されたのが文政元年と書かれています。
右下に岐阜桑原善吉と言う名が有ります。
岐阜の材木商なのですが、桑原善吉は岐阜商工会議所の会頭を務めた人物です。名を世襲する家系です。会議所会頭を務めたのは何代目で、ここに書かれているのは何代目なのだろう。



旧東海道を歩いています。



神館神社へ来ました。



神館神社のお手水舎。
花が飾って有りました。



桑名駅まで戻ってきました。



色々のアジサイ。
左はオーソドックスなアジサイ。
新品種だろうか。色々のアジサイを見かけました。
今回はそんな時期でした。



最後に
初夏の時期。オーソドックスなアジサイ。花火のようなアジサイ。色々のアジサイを愛でることが出来ました。このように色々のアジサイが見れるのは今の時期ならではであります。
前回、桑名市東部を歩いたのが、19年6月1日でした。あれから2年が経ち桑名駅の姿が変わっていました。自由通路が出来、駅が橋上駅となっていました。駅の西と東。これからも改良がおこなわれると看板が出ていました。2年後3年後が楽しみです。
次回は7月2日。名鉄の山王駅が集合場所となっています。

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一宮友歩会・第89回ウォーク例会 史跡巡りシリーズ・知多編Part5  大府駅から東浦町を歩く

2022-04-02 23:53:19 | 一宮友歩会

一宮友歩会の第89回ウォーク例会です。今回はJR大府駅に集合して東浦町を中心に歩きました。東浦町には家康の母、於大の方が誕生した緒川城。桶狭間の合戦の前の時期に織田と今川が戦った村木砦。緒川城主、水野氏の菩提寺である乾坤院など見どころの多い場所でした。
今回、東浦町ふるさとガイドの皆さんに案内して貰い、各地で解説をして頂きました。

大府駅  ― 村木砦  ― 村木神社  ― 入海神社  ― 越境寺  ― 乾坤院  ― 
於大公園  ― うのはな館  ― 於大の道 ― 緒川城址 ― 地蔵院 ― 緒川駅


第89回ウォーク例会のコース図です。



集合場所が大府駅でした。
出発前に準備体操です。



鞍流瀬川の横を歩きます。



鞍流瀬川の横はウオーキングのコースとなっていました。
サクラが満開です。



石ヶ瀬川の横を歩きます。



民家の垣根で見かけた「ムベ」です。
咲き始めていました。



村木砦跡へ来ました。
砦跡がある八劔神社です。



村木砦では公房がありました。
その解説をする城郭研究家のMさんです。



村木砦の戦いの解説板です。



村木神社に向かっています。



村木神社のおまんと祭り石碑です。



村木神社を後にします。
中心の木。
この木を中心におまんとが繰り広げられます。
村木神社のおまんと祭りです。
『勇壮! おまんと祭り』愛知県東浦町森岡 村木神社2016.09.25 "Heroic! Oman and the Festival higashiura Morioka Muraki shrine - YouTube
このおまんと祭り。
入海神社でも開催されていました。
でも、コロナ禍の時期。開催はどうだろう。



岡田川沿いを歩きます。



民家で咲いていたモモの花です。
私が撮った後、後ろのKさんも撮っていました。


民家の間。
狭い路地を歩いて行きます。



入海神社に付きました。
東浦町ふるさとガイドの皆さんが私たちの到着を待っていてくれました。



東浦町ふるさとガイドの方からの説明です。



パネルを使った解説。
入海神社には入海貝塚が有ります。
その入海貝塚の解説です。



こちらは尾張永井家の墓がある了願寺の解説です。



入海神社から出発ですが、解説しやすいようにと2つの班に分割しました。
隠れキリシタンの燈籠が有る越境寺へ向かう班と了願寺へ向かう班に分かれました。



越境寺へ来ました。
ここでも解説です。



切支丹燈籠の解説板と越境寺の切支丹燈籠です。



乾坤院へ来ました。

山門が見えます。
この寺、水野氏の菩提寺です。



新しくなった乾坤院です。



於大公園へ戻ってた来ました。
ここで、東浦町ふるさとガイドの皆さんとお別れです。
この後、ランチタイムとなりました。



於大公園からうのはな館 に来ました。
うのはな館は東浦町郷土資料館です。



家康像、於大の方像。そして水野忠政像です。




家康、於大の方、水野忠政の解説です。



うのはな館から出て於大の道へ向かいます。
於大の道は八重桜の並木が有りますが、まだ開花していません。



緒川城址へ来ました。
ここでもMさんの解説です。





緒川城址の解説板です。



緒川駅まで歩いて来ました。





最後に
東浦町は歴史に触れれる街でした。そんな街をボランティアガイドである、東浦町ふるさとガイドの皆さんに案内して貰えて良かったです。
東浦町の東に境川が流れています。於大の方が嫁した刈谷は三河。緒川城が有るのは尾張。文字通り国の境の川です。
家康の母、於大の方(この時は〇〇姫と呼んだのかも知れない)三歳の竹千代を残して緒川に帰ってくる。母の情。想像できるものが有ります。
一宮友歩会は、単にウオークするだけの会では有りません。アチコチで歴史や文化に触れることが出来ます。今回、東浦の知識を深めることが出来ました。そりが面白いです。

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一宮友歩会・第88回ウォーク例会 河川探訪・二之川編Part4  勝幡駅から佐屋駅まで歩く

2021-12-04 23:25:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会に参加しました。一宮友歩会のウオーキング例会は第87例会として2021年4月3日に名鉄新木曽川駅から一宮市の北部を歩き名鉄玉ノ井駅までを歩きました。その後、コロナ禍で開催が中止となり、久しぶりの開催となりました。
今回は名鉄勝幡駅に集合して、駅の北口で出発式を行いました。その後は津島上街道を歩きました。津島上街道は、名古屋と津島を結ぶ街道です。古くは中世の鎌倉街道の萱津宿と津島を結ぶ道として発達した歴史が有り、織田信長が清州城と津島を何度も往来していたと伝えられる道です。久しぶりの開催でしたが、30名の参加者が有ったそうです。
名鉄勝幡駅(スタート)    ― 勝幡神社  ― 佐織公民館  ― 釜地蔵  ― 津田家住宅
 ― 兼平堤 ― 
兼平堤碑  ― 大椋の木の碑  ― 清正公社  ― 津島神社  ― 
天王川公園 ― 
愛菜耕房グリーンセンター  ― 佐屋用水  ― 佐屋代官所跡  ― 
名鉄佐屋駅(ゴール)



第88回例会のコース図です。
r312map.pdf (ssl-lolipop.jp)



今回の集合場所は名鉄勝幡駅でした。



出発前のYさんの解説です。
これから歩くコースの説明です。



駅前の信長の父、織田信秀夫妻の像です。
赤子の時の信長が母に抱かれています。



歩き始め。
黒塀の家屋の横を歩きます。



勝幡神社に来ました。
この神社では「おこわ祭り」が開かれます。



三宅川の堤防から見えた皇帝ダリアです。
傾いていました。



津島上街道を歩いています。



ここでもYさんの解説です。

Yさん提供の明治22年の地図です。
Yさんの解説はこの地図により、話をされていました。

歩いている津島上街道や川の形状が良く分かります。
左の縦の川は木曽川です。県境の線が入っています。
日原村と言う場所が有ります。ここには「日原渡船」が有りました。
右側で中段ほどの所に神守村が有ります。この神守村は佐屋街道の宿場で有った所です。
神守村から津島村。そして佐屋村。これが佐屋街道です。かつての佐屋街道の形が良く分かります。佐屋宿が面した川。佐屋宿が桑名への三里の渡しの出発点で、ここから桑名に向かいました。
地図の字は右から左へ読みます。地図の中の海東や海西は明治期の海東郡と海西郡を表しています。
地図は色々の事を想像させてくれます。
地図を見るのが面白いです。



佐織公民館に寄ります。



佐織公民館でトイレ休憩。
そして資料館を見学しました。



釜地蔵に来ました。




釜地蔵堂です。
左は釜地蔵を戸の隙間から眺めています。
私たちが釜地蔵を眺めていたりした時、通りかかった男性が拝観できるよう戸を開けてあげますと申し出てくれました。
そして、戸を開けて貰えて釜地蔵に対面できました。



こちらは十王堂です。
十王堂の戸も開けて貰えました。



十王堂の中にお邪魔しました。
十王とはその名の通り、十の王様。閻魔王が有名ですが、秦宏王、初江王、宋帝王など十の王で構成されます。それら十王を祀って有るのが十王堂です。





釜地蔵堂や十王堂を開けてくれた男性。
その男性がお庭も見せてくれました。
津田家住宅です。




お庭。
ドウダンが赤く紅葉しています。



紅葉したドウダン。
背を向けて話ししているのが公開してくれた男性です。



このお庭。
水琴窟も有りました。
立派なお庭が有るお宅です。
名前を聞きましたら津田さんと言うのだそうでした。
こちらのお宅、津田家住宅と呼んでよいのではなかろうか。
私たちが釜地蔵を拝観していたら、通りかかり公開して貰えました。
有り難い事でした。



兼平堤の碑です。



兼平堤の碑に兼平堤にまつわる事柄が解説して有ります。



津島の大椋の木の石碑へ来ました。
石碑は残っていますが、大椋の木は切倒されています。



清正公社に来ました。
清正公社は加藤清正をまつっています。



津島の街に入って行きます。



津島神社への道を歩いています。



津島神社の境内に入ってきました。



天王川公園へ来ました。
ここでランチタイムです。



天王川公園の縁を歩きます。
右前方に見える家屋。祭りに使うのだそうです。



池の周りを歩きます。
モミジが綺麗。
最後の輝きとでもいう所だろうか。



佐屋用水へ来ました。



佐屋代官所跡の北側です。



佐屋駅に着きました。
ここで解散となります。



最後に
津島上街道は、江戸時代は美濃街道から分かれ,津島に向かう道として津島神社を参った人たち,巡見使,商人たちで街道は賑わいました。上街道は,尾張藩と高須藩を結ぶ高須街道の一部でも有りました。
高須藩は尾張藩の支藩であり、尾張藩に世継ぎが恵まれない時は高須藩から世継ぎを出す習わしとなっていました。その昔、多くの人がこの街道を行き来したのでしよう。
このようなことを知る機会。一宮友歩会が、単にウオーキングをするだけでなく学習に結びつける事が出来るのが良い点です。
釜地蔵で、突然に地蔵堂を公開してあげるとの申し出でした。そして津田家住宅のお庭も見せて貰いました。いい意味のハプニングでした。

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