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一宮友歩会・第88回ウォーク例会 河川探訪・二之川編Part4  勝幡駅から佐屋駅まで歩く

2021-12-04 23:25:52 | 一宮友歩会

一宮友歩会の12月例会に参加しました。一宮友歩会のウオーキング例会は第87例会として2021年4月3日に名鉄新木曽川駅から一宮市の北部を歩き名鉄玉ノ井駅までを歩きました。その後、コロナ禍で開催が中止となり、久しぶりの開催となりました。
今回は名鉄勝幡駅に集合して、駅の北口で出発式を行いました。その後は津島上街道を歩きました。津島上街道は、名古屋と津島を結ぶ街道です。古くは中世の鎌倉街道の萱津宿と津島を結ぶ道として発達した歴史が有り、織田信長が清州城と津島を何度も往来していたと伝えられる道です。久しぶりの開催でしたが、30名の参加者が有ったそうです。
名鉄勝幡駅(スタート)    ― 勝幡神社  ― 佐織公民館  ― 釜地蔵  ― 津田家住宅
 ― 兼平堤 ― 
兼平堤碑  ― 大椋の木の碑  ― 清正公社  ― 津島神社  ― 
天王川公園 ― 
愛菜耕房グリーンセンター  ― 佐屋用水  ― 佐屋代官所跡  ― 
名鉄佐屋駅(ゴール)



第88回例会のコース図です。
r312map.pdf (ssl-lolipop.jp)



今回の集合場所は名鉄勝幡駅でした。



出発前のYさんの解説です。
これから歩くコースの説明です。



駅前の信長の父、織田信秀夫妻の像です。
赤子の時の信長が母に抱かれています。



歩き始め。
黒塀の家屋の横を歩きます。



勝幡神社に来ました。
この神社では「おこわ祭り」が開かれます。



三宅川の堤防から見えた皇帝ダリアです。
傾いていました。



津島上街道を歩いています。



ここでもYさんの解説です。

Yさん提供の明治22年の地図です。
Yさんの解説はこの地図により、話をされていました。

歩いている津島上街道や川の形状が良く分かります。
左の縦の川は木曽川です。県境の線が入っています。
日原村と言う場所が有ります。ここには「日原渡船」が有りました。
右側で中段ほどの所に神守村が有ります。この神守村は佐屋街道の宿場で有った所です。
神守村から津島村。そして佐屋村。これが佐屋街道です。かつての佐屋街道の形が良く分かります。佐屋宿が面した川。佐屋宿が桑名への三里の渡しの出発点で、ここから桑名に向かいました。
地図の字は右から左へ読みます。地図の中の海東や海西は明治期の海東郡と海西郡を表しています。
地図は色々の事を想像させてくれます。
地図を見るのが面白いです。



佐織公民館に寄ります。



佐織公民館でトイレ休憩。
そして資料館を見学しました。



釜地蔵に来ました。




釜地蔵堂です。
左は釜地蔵を戸の隙間から眺めています。
私たちが釜地蔵を眺めていたりした時、通りかかった男性が拝観できるよう戸を開けてあげますと申し出てくれました。
そして、戸を開けて貰えて釜地蔵に対面できました。



こちらは十王堂です。
十王堂の戸も開けて貰えました。



十王堂の中にお邪魔しました。
十王とはその名の通り、十の王様。閻魔王が有名ですが、秦宏王、初江王、宋帝王など十の王で構成されます。それら十王を祀って有るのが十王堂です。





釜地蔵堂や十王堂を開けてくれた男性。
その男性がお庭も見せてくれました。
津田家住宅です。




お庭。
ドウダンが赤く紅葉しています。



紅葉したドウダン。
背を向けて話ししているのが公開してくれた男性です。



このお庭。
水琴窟も有りました。
立派なお庭が有るお宅です。
名前を聞きましたら津田さんと言うのだそうでした。
こちらのお宅、津田家住宅と呼んでよいのではなかろうか。
私たちが釜地蔵を拝観していたら、通りかかり公開して貰えました。
有り難い事でした。



兼平堤の碑です。



兼平堤の碑に兼平堤にまつわる事柄が解説して有ります。



津島の大椋の木の石碑へ来ました。
石碑は残っていますが、大椋の木は切倒されています。



清正公社に来ました。
清正公社は加藤清正をまつっています。



津島の街に入って行きます。



津島神社への道を歩いています。



津島神社の境内に入ってきました。



天王川公園へ来ました。
ここでランチタイムです。



天王川公園の縁を歩きます。
右前方に見える家屋。祭りに使うのだそうです。



池の周りを歩きます。
モミジが綺麗。
最後の輝きとでもいう所だろうか。



佐屋用水へ来ました。



佐屋代官所跡の北側です。



佐屋駅に着きました。
ここで解散となります。



最後に
津島上街道は、江戸時代は美濃街道から分かれ,津島に向かう道として津島神社を参った人たち,巡見使,商人たちで街道は賑わいました。上街道は,尾張藩と高須藩を結ぶ高須街道の一部でも有りました。
高須藩は尾張藩の支藩であり、尾張藩に世継ぎが恵まれない時は高須藩から世継ぎを出す習わしとなっていました。その昔、多くの人がこの街道を行き来したのでしよう。
このようなことを知る機会。一宮友歩会が、単にウオーキングをするだけでなく学習に結びつける事が出来るのが良い点です。
釜地蔵で、突然に地蔵堂を公開してあげるとの申し出でした。そして津田家住宅のお庭も見せて貰いました。いい意味のハプニングでした。

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