「シズコさん」佐野洋子
母親に虐待された娘はどう生きたらよいのか。
母親を捨てればいい、
すると母親を捨てる自分が許せない。
これはダブルバインドだ。
母親を殺せば、自分は殺人者となる。
母親を殺さないと、自分が殺される。
どっちをとっても殺人だ。
どうしたらいいのだろう。
苦しむ人生を生き抜いた場合がこの例だ。
*。
日本文化ではどうなるのか。
多田富雄氏の能の思想を適用してみよう。
「能とは情念を主人公とする幽霊劇である。」
佐野さんは、娘を主人公としているので、
娘の情念を主人公とする。
母親は幽霊にある。
*。
娘の情念は、母親を殺したいが殺せない。
母親は絶えず襲ってくる。
母と娘は揺れ合い、その揺れに呑み込まれる。
娘は常に惨めだ。
自分を惨めにすることで、問題を呑み込む。
そこで問題は一息つく。
*。
こうして70年、
娘は子宮がんが骨に転移した。
母親は認知症になる。
母親を持てる金をはたいて、高級老人ホームに入れる。
そこでまた、老人ホームに母親を捨てたと苦しむ。
母親は認知症になって、いい人になり、
ごめんね、ありがとうを連発する。
*。
娘は障ることもしなかった足をさする。
「お母さん、悪い娘でごめんなさい。」
「あんたが悪いわけではないのよ。」
ごめんね、いろいろ有難う。
*。
多田富雄氏的に言うと、
母親は認知症になって、
シテとして舞い始める。
大宇宙に浄化されて行くのだ。
そして母と娘の間に、キラキラと輝く。
呵責のなかった親子関係に能の舞台が現れた。
母親は認知症になって、幽霊のように能を舞い始めた。
一世一代の演技。
このために生きてきた母娘だ。
*。
娘も現世を舞い始めた。
母の死後、ヨン様に夢中になって、韓国まで舞って行くのだ。
*。
人生一世一代に母娘の演技だ。
このための母九十余歳、娘七十余歳であった。
母親に虐待された娘はどう生きたらよいのか。
母親を捨てればいい、
すると母親を捨てる自分が許せない。
これはダブルバインドだ。
母親を殺せば、自分は殺人者となる。
母親を殺さないと、自分が殺される。
どっちをとっても殺人だ。
どうしたらいいのだろう。
苦しむ人生を生き抜いた場合がこの例だ。
*。
日本文化ではどうなるのか。
多田富雄氏の能の思想を適用してみよう。
「能とは情念を主人公とする幽霊劇である。」
佐野さんは、娘を主人公としているので、
娘の情念を主人公とする。
母親は幽霊にある。
*。
娘の情念は、母親を殺したいが殺せない。
母親は絶えず襲ってくる。
母と娘は揺れ合い、その揺れに呑み込まれる。
娘は常に惨めだ。
自分を惨めにすることで、問題を呑み込む。
そこで問題は一息つく。
*。
こうして70年、
娘は子宮がんが骨に転移した。
母親は認知症になる。
母親を持てる金をはたいて、高級老人ホームに入れる。
そこでまた、老人ホームに母親を捨てたと苦しむ。
母親は認知症になって、いい人になり、
ごめんね、ありがとうを連発する。
*。
娘は障ることもしなかった足をさする。
「お母さん、悪い娘でごめんなさい。」
「あんたが悪いわけではないのよ。」
ごめんね、いろいろ有難う。
*。
多田富雄氏的に言うと、
母親は認知症になって、
シテとして舞い始める。
大宇宙に浄化されて行くのだ。
そして母と娘の間に、キラキラと輝く。
呵責のなかった親子関係に能の舞台が現れた。
母親は認知症になって、幽霊のように能を舞い始めた。
一世一代の演技。
このために生きてきた母娘だ。
*。
娘も現世を舞い始めた。
母の死後、ヨン様に夢中になって、韓国まで舞って行くのだ。
*。
人生一世一代に母娘の演技だ。
このための母九十余歳、娘七十余歳であった。