超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

娘にとって母親は幽霊か

2009-01-22 08:13:58 | Weblog
「シズコさん」佐野洋子

母親に虐待された娘はどう生きたらよいのか。

母親を捨てればいい、
すると母親を捨てる自分が許せない。

これはダブルバインドだ。

母親を殺せば、自分は殺人者となる。
母親を殺さないと、自分が殺される。
どっちをとっても殺人だ。

どうしたらいいのだろう。
苦しむ人生を生き抜いた場合がこの例だ。

*。
日本文化ではどうなるのか。

多田富雄氏の能の思想を適用してみよう。

「能とは情念を主人公とする幽霊劇である。」

佐野さんは、娘を主人公としているので、
娘の情念を主人公とする。

母親は幽霊にある。

*。
娘の情念は、母親を殺したいが殺せない。

母親は絶えず襲ってくる。

母と娘は揺れ合い、その揺れに呑み込まれる。
娘は常に惨めだ。

自分を惨めにすることで、問題を呑み込む。
そこで問題は一息つく。

*。
こうして70年、
娘は子宮がんが骨に転移した。

母親は認知症になる。

母親を持てる金をはたいて、高級老人ホームに入れる。

そこでまた、老人ホームに母親を捨てたと苦しむ。

母親は認知症になって、いい人になり、
ごめんね、ありがとうを連発する。

*。
娘は障ることもしなかった足をさする。

「お母さん、悪い娘でごめんなさい。」

「あんたが悪いわけではないのよ。」

ごめんね、いろいろ有難う。

*。
多田富雄氏的に言うと、
母親は認知症になって、
シテとして舞い始める。
大宇宙に浄化されて行くのだ。

そして母と娘の間に、キラキラと輝く。

呵責のなかった親子関係に能の舞台が現れた。
母親は認知症になって、幽霊のように能を舞い始めた。

一世一代の演技。
このために生きてきた母娘だ。

*。
娘も現世を舞い始めた。

母の死後、ヨン様に夢中になって、韓国まで舞って行くのだ。

*。
人生一世一代に母娘の演技だ。
このための母九十余歳、娘七十余歳であった。

マスメディア・ウィルス感染症 歌を忘れたカナリヤ

2009-01-22 07:22:18 | Weblog
マスコミ症候群は、
感動という妄想に癒しという白昼夢からなる。

人をいい気持ちにして、
脳みそ壊して、
金をむしり取る。

ここにマスコミ依存症となった人たち、
或いは依存症にさせられた人々がいる。

でも悪いことばかりではない、
そこに人が新しい生き甲斐を得るからだ。

*。
だがこの生き甲斐は贋物ではないか。

何故なら誰もが自分の歌を持っているのに、
それを歌わず、
他人の歌に聞き惚れるからだ。

つまりここに自分を捨てた自分がある。

自分を捨てた自分の喜び、
ここに多重の意味がある。

それらの干渉で、予想もしないことも起きるだろう。

だがそれは偽造した自分現象ではないか。

*。
マスコミ症候群は、偽自己現象だ。

真自己の歌は、マスコミから貰う歌より、貧弱かも知れない。

豊かさを追うと自分を捨てることになる。

*。
ここに豊かさから貧しい自分を守る現象が検出される。

肉食系文化は、強い喜びを追うだろう。

だが草食系は、自分の歌を生きる。

強い喜びはなくても、
そこに安らぎや穏やかさがある。

どっちを取るかそれは人の好みであり、
これが多様性だろう。

*。
立身出世一本やり、
これをファシズムと認識した現代だ。

即ち文明文化は成熟した。

いろいろあっていい、
いや反対成分がないといい歌は歌えない。

これが構造理性世界だ。

*。
感動や幸福以外に、安らぎや穏やかさを知った。

それを認める成熟した文明文化だ。

即ち、新しい時代が始まった。

金融経済は狐の木の葉の金のねずみ講だった

2009-01-22 06:28:39 | Weblog
マスメディアの方法は、
人をいい気持ちにして、
即ち脳みそ壊して、
金をむしり取る。

それは一種の金鉱掘りであって、
掘り尽くせば、廃墟と廃村が残るばかりだ。

現代文明も金鉱掘りといえるのではないか。
次々と新しい金鉱を作る。
それを創造とレッテルを貼る。

だが金融産業は、偽の金である債券を売った。
これは発明かまやかしか。

   *。
債権は、人々は金として扱ったが、金ではない。

債権は人類の発明した金である、債権売りが言った。

新型パラドックスに人類は嵌った。
金だと思っているうちは金だった。

だがそれは紙だった。

*。
それは狐の木の葉の偽札だった!

金融業者は狐だった。
債権は狐の木の葉の偽札だった。

狐だけが儲かり、
酒屋はその木の葉の金と使えなかった!

*。
ねずみ講は狐の木の葉の経済である。

   *。
金融経済は狐の木の葉の経済だった。

それはねずみ講だった。

最後のババを引く人たち大勢がいた。

狐だけが大儲けした。

狐の正体が、悪徳白人権力だった。

弱者有色人種が、ねずみに食い殺された。

*。
金融経済は、経済の発振だった。

金が有り余るほどあったが、
結局実体経済に使えない木の葉の金だった。

*。
バブルは発振経済だった。

それは木の葉の金だった。

   *。
発振経済は、木の葉の金の経済だった。
それはねずみ講であった。

忘れた頃に狐と鼠が現れる!

これを楽しむのは狐と鼠だけだ。
人は被害者となる。

繰り返される木の葉のねずみ講だ。

*。
これを博打と見て、
楽しむ新世界に入ったのだろうか。

そこでは弱者が殺される。

掛け金は弱者、
その清算は殺人である。

これが新型経済なのだろうか。
それを決定するのは弱者ではないか。

だから自己責任・自助努力・自己管理というのかも知れない。

だがそれは地球社会のガンである。

社会をガンにかけて儲けるもの、
昔は畜生・鬼畜・餓鬼といった。

何から何まで昔の方が賢かったのかも知れない。

*。
法治国家産業文明は、人がバカになることで達成された。

これは豊かさであって、豊かさでない。

このパラドックスを解く時代に入ったことは確かだ。

快楽自殺 国を使い捨て 国民に捨てられるトップ

2009-01-22 05:29:08 | Weblog
国家も大統領や首相も使い捨て時代になった。

いや国家を使い捨てる大統領や首相は、
国民に使い捨てられるといった方がいいかも知れない。

国民も使い捨てられているのではないか。
選挙で大騒ぎすることは、乗せられたいるだけのことだ。

新しいことに掛ける、これは発振だ。
学問芸術やスポーツには必要であったも、
人や組織の人生や生活に発振はない。
それは自己否定自己破壊だ。

それに自己責任・自助努力・自己管理とレッテルを貼り、
文字通り、自己否定と自己破壊に成功する。
これが快楽殺人だ。

このトリックを見破れない。
知能に問題がある訳だ。

   *。
使い捨て文明に国家も国民もトップも、
相互使い捨て時代に入ってしまった。

それを気が付かない社会だ。

*。
二世三世議員のトップ、
これは使い捨て要因として設定されたのではないか。

こんなに使い捨てに便利で、
使い捨てて実害の少ない人々はいない。

捨てられても、生きていける財産を親から貰っている。
国民も安心して、使い捨てられる。

   *。
使い捨て時代に、
即ち発振時代に、
不安定になった人々は、
居場所のない寂しさや虚しさに、
快楽殺人や快楽自殺を思いついた。

殺される前に殺してやれ、
一層殺す前に、自分を殺したほうが後腐れない。
この程度の悪い世間に、これ程の安心はあるだろうか。

*。
立身出世や成功物語の終着駅は、
相互使い捨てであり、
それは殺すか殺されるかの地獄であった。

それが殺人時代の真実ではないか。

*。
世界一取り、
誰かが必ず世界一になる。

世界一は必ず存在する。

*。
ナッシュの均衡理論。
世界一を取る戦略は必ず存在する、
それは自己と世界を破壊する戦略である。

競争社会、それは世界一取りの世界だ。
それは自己否定と自己破壊を、
自己責任・自助努力・自己管理とすることだ。

西欧理性はこれを解読できない。

*。
だがGoedelの不完全性定理やナッシュの均衡理論はこれを解読した。
負帰還理論もこれを解読した。

理論理性は構造理性に進化していて、
教育や知識人が遅れてしまった。

それは競争、
即ち使い捨てを生きるからだ。
自らが自らを使い捨てていたのだ。

     *。
使い捨てこそは、快楽殺人の正体だった。

現代文明は、使い捨て殺人を結晶し、
これが第一次現代文明で、
使い捨て殺人を生きる第二世代に入っていた。

これが二世三世時代だった。
これが快楽自殺の正体だ。

二世三世は、先代の財産を生きるので、
殺人の必要はなく、
問題解決は自殺でやるのだろう。

使い捨てする側も、彼らを後腐れなく捨てることが出来る。

*。
だが使い捨てていいものなどありはしない。

何でも人が神から預かったものだから。

二世三世議員は神から授かったものではない。
人が勝手に作ったものだ。

*。
快楽殺人は、使い捨てへの天罰神罰仏罰だったといえるのではないか。