超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

快楽自殺 国を使い捨て 国民に捨てられるトップ

2009-01-22 05:29:08 | Weblog
国家も大統領や首相も使い捨て時代になった。

いや国家を使い捨てる大統領や首相は、
国民に使い捨てられるといった方がいいかも知れない。

国民も使い捨てられているのではないか。
選挙で大騒ぎすることは、乗せられたいるだけのことだ。

新しいことに掛ける、これは発振だ。
学問芸術やスポーツには必要であったも、
人や組織の人生や生活に発振はない。
それは自己否定自己破壊だ。

それに自己責任・自助努力・自己管理とレッテルを貼り、
文字通り、自己否定と自己破壊に成功する。
これが快楽殺人だ。

このトリックを見破れない。
知能に問題がある訳だ。

   *。
使い捨て文明に国家も国民もトップも、
相互使い捨て時代に入ってしまった。

それを気が付かない社会だ。

*。
二世三世議員のトップ、
これは使い捨て要因として設定されたのではないか。

こんなに使い捨てに便利で、
使い捨てて実害の少ない人々はいない。

捨てられても、生きていける財産を親から貰っている。
国民も安心して、使い捨てられる。

   *。
使い捨て時代に、
即ち発振時代に、
不安定になった人々は、
居場所のない寂しさや虚しさに、
快楽殺人や快楽自殺を思いついた。

殺される前に殺してやれ、
一層殺す前に、自分を殺したほうが後腐れない。
この程度の悪い世間に、これ程の安心はあるだろうか。

*。
立身出世や成功物語の終着駅は、
相互使い捨てであり、
それは殺すか殺されるかの地獄であった。

それが殺人時代の真実ではないか。

*。
世界一取り、
誰かが必ず世界一になる。

世界一は必ず存在する。

*。
ナッシュの均衡理論。
世界一を取る戦略は必ず存在する、
それは自己と世界を破壊する戦略である。

競争社会、それは世界一取りの世界だ。
それは自己否定と自己破壊を、
自己責任・自助努力・自己管理とすることだ。

西欧理性はこれを解読できない。

*。
だがGoedelの不完全性定理やナッシュの均衡理論はこれを解読した。
負帰還理論もこれを解読した。

理論理性は構造理性に進化していて、
教育や知識人が遅れてしまった。

それは競争、
即ち使い捨てを生きるからだ。
自らが自らを使い捨てていたのだ。

     *。
使い捨てこそは、快楽殺人の正体だった。

現代文明は、使い捨て殺人を結晶し、
これが第一次現代文明で、
使い捨て殺人を生きる第二世代に入っていた。

これが二世三世時代だった。
これが快楽自殺の正体だ。

二世三世は、先代の財産を生きるので、
殺人の必要はなく、
問題解決は自殺でやるのだろう。

使い捨てする側も、彼らを後腐れなく捨てることが出来る。

*。
だが使い捨てていいものなどありはしない。

何でも人が神から預かったものだから。

二世三世議員は神から授かったものではない。
人が勝手に作ったものだ。

*。
快楽殺人は、使い捨てへの天罰神罰仏罰だったといえるのではないか。


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