超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

人を罰せるか 人が生きることの真相

2009-01-27 09:23:12 | Weblog
思弁空間や感情では人を罰することが出来る。

現実でこれを行うとどうなるか。
人を罰するには、司法や警察が必要になる。
すると司法や警察の論理で動くことになる。

*。
現在世界が認識したことは、
人を罰するために刑務所に入れる。

それが長期であるほど、
犯罪しか出来ない人にしてしまうことだ。

その人は出所すると犯罪を行う。
即ち、犯罪を罰することは犯罪をやらせることになる。

これがが制裁だろうか。

*。
犯罪者を罰して、社会が犯罪者に罰せられる。

   *。
即ち思考空間での処理は、現実に否定される。

即ち、理念を主人公とする幽霊劇が現実で行われる。
理念の幽霊が至る所に現れる。

国家が犯罪集団となった。

*。
成功と幸福の追求は、強盗殺人の快楽でしかなかった。

理想を現実に実行すると、
理想と全くかけ離れた幽霊が現れた。

そこの人間は消滅する。

   *。
人間の一生をキラキラするにはどうしたらいいのか。

やっと問題が問題になってきた。

現状では人は無理やり消滅させられる。
成功者も失敗者も殺される。
納得できない死に方をさせられる。

*。
人は理想や豊かさに殺される。

現実に満たされることがない。

*。
問題は現実にキラキラする生き方をしたいのだ。

つまり現世の運動に不動点を作りたい。

この例が多田富雄氏だ。
脳梗塞になって、人の生きることの精髄を結晶した。
人間の本質が結晶した。

これが出来る社会が本物の社会だ。
人が生きることは能を演技することだ。

源氏物語の叡智 自由貿易は自由貿易の否定である

2009-01-27 09:20:41 | Weblog
自由貿易は強者を肥えさせ、弱者を貧困に落とす。
即ち、自由貿易は貿易を発振させた。

人類の正しい将来の会合地点に向けて、
フィードフォーワードした。

弱者が殺されても、自由貿易が維持される。
あらゆる権力が弱者を無視していることが分かる。

この不安定こそが、犯罪と戦争の正体である。

即ち、自由貿易はテロリストであった。

*。
ここには弱者による負帰還がない。

即ち自由貿易に安定はない。

   *。
強者の利益は、弱者を屠る。

これが自由貿易の正体である。
あらゆる権力は弱者に立っていない。

これが世界の不安定さだ。

*。
即ち、自由と正義は弱肉強食のトートロジーであった。
即ち、自由と正義は、略奪と殺戮であった。

即ち、自由と正義は自由と正義の否定であった。
即ち、自由貿易は自由貿易の否定であった。

これが通ることは権力支配である。

  *。
自由と正義は現実に権力を製造販売消費するシステムであった。

自由と正義は、人間を労働力商品化し、
弱者を商品化、即ち記号化し、
現実を強者支配とし、
強者をテロリストととし、
弱者の消費と楽しむ。

強者による弱者の狐狩りやウサギ狩りシステムとなった。

なんと弱者も消費されることを楽しむ。

*。
自由と正義産業は、人間性を除去し、
人を消費商品化し、
強者も弱者も最早葛藤を覚えることなく、
自己破壊を人間を生きることとし、
感動と癒しをもって楽しむのだ。

  *。
だが構造理性を持って読むと、これは当然のことだ。

自由と正義の対偶は、破壊と殺戮だからだ。

自由と正義はカオスの初期条件であった。

*。
平穏と静謐がカオスを避ける初期条件だ。

これは昔の人は知っていた。

*。
紫式部は普通がいいといった。

光源氏をやってはいけないといった。
光源氏こそはカオスだった。
彼は現世に消されたしまった。

*。
自由と正義は光源氏だった。

これこそがカオス設定の初期条件だ。

源氏物語は構造理性から読んでも問題がない。

思考空間と現実空間

2009-01-27 06:28:32 | Weblog
自由と正義なる理想を言葉として作る。

これを現実に実行すると、喧嘩闘争となる。
思考空間と言語空間、
それと現実は違うからだ。

*。
現実は善悪などの対偶で出来ている。
つまりダイポールである。

だが言語空間の自由と正義はダイポールではない。
モノポールである。

自由と正義を現世に入れようとしても、拒否される。
理想は現実では消点である訳だ。

即ち、現実に存在しないものを、目標にする。

     *。
神は善悪を作った。

人はそれをある程度自由に組み合わせ出来る。

*。
現代世界は権力が現実を取り仕切る構造だ。

これを変えることも出来る。

*。
初めは自由と正義の世界を作ろうとした。

しかしやるほどに自由と正義は変質した。

今や略奪と殺戮の現世となった。

*。
何故だ。
自由と正義の実現には、
その反対成分を排除しなければならない。

その排除力は自由と正義でなく、唯の暴力だ。

暴力を用いて自由と正義を実現する。
それは自由や正義ではない。

  *。
何が起きたのだろう。

言葉としての自由と正義は、現実と関係なく思考空間に成立した。

これが現実に負荷すると、正しい暴力となる。

それは暴力であって暴力ではない。
では何だ。

決定不能証明不能に陥る。

*。
ナッシュ流に言うと、
正義の実現は、破壊である、となる。

ここに思弁と現実の差異が認識される。

即ち、思考と現実の間の負帰還が存在する。

この最適化こそ人の仕事であることが認識される。

  *。
神は善悪を作った。
人の仕事はその最適化である。

*。
現在は権力の都合のいいように行われている。

これを最適化するのは、無力が力を付けねばならない。

即ち、権力天動説から無力地動説へ。
爆発力から安定性へ。

地球社会は大移動中である。
これが21世紀事件の真相だ。

地球社会はゴミ屋敷である

2009-01-27 05:36:58 | Weblog
お上日本はゴミ屋敷である。
ダム、道路、鉄道、公共インフラ、原発、
そして年金、健保、失業保険、
そうそう税金、天下り、わたり、
公害、無実犯人、医療殺人、薬害殺人…。

お上日本はゴミ屋敷である。
政権党と役人はゴミ天国に暮らす。

*。
お上日本はゴミを製造販売消費して成り立つ。

税金をお上の所得・欲望・消費に製造販売消費する。

司法や警察もこの共同共謀正犯であり、
最高裁の日本人は0.2なる判決で、
ゴミ国会作られた。

ここでゴミは金に錬金され、
国民の税金は国民のゴミとなる。

*。
お上日本はゴミを製造販売消費する。

国民は黙ってみているしかない。

文句を言えば、司法と警察に袋叩きされる。
いやここにマスコミ・言論界・学界が入っている。

   *。
お上が生きるために国民を死に廃棄する。

これが秀吉システムだ。

*。
秀吉の草履伝説に、
国民は泣いて喜び、
秀吉システムに自ら進んで自己を献上する。

感動と癒しに仕込まれた秀吉ウィルス、
これが国民を奴隷や家畜する。

*。
秀吉システムは世界を制覇した。

だが秀吉がいない。
アメリカが自動的に秀吉になった。
そして世界はお上世界となった。

   *。
遂に地球社会はゴミ屋敷となった。

金と権力を、成功と幸福と上書きし、
民主主義議会と資本主義市場に入力すると、
強者を生きさせるために、
弱者を死に廃棄する秀吉プログラムが自動的に演算される。

*。
勝てば官軍、負ければ賊軍。

権力を取ったものが、
自動的に世界を制覇する。

権力こそゴミ屋敷の正体だ。

権力とは、弱者を殺して食う組織である。

これが地球社会ゴミ屋敷の正体だ。

  *。
ここから脱出することは、
人々が権力に依存せず、
権力にしがみつかず、
権力に取り入らなくなることだ。

市民の権力からの自立こそ、ゴミ屋敷からの脱出だ。

*。
自我の成立こそが、ゴミ屋敷を作った。

今ゴミ屋敷からの脱出戦が始まった。

*。
法治国家産業文明、
これは新自由主義グローバリゼーションに進化した。

即ち、地球がゴミ屋敷となった。

*。
自由と正義の対偶は、殺人と破壊であり、
それがゴミ屋敷の正体だった。

権力はゴミを食って生きるゾンビだった。

     *。
ファウスト博士の新自由主義、
フランケンシュタインのグローバリゼーションとなった。

*。
強者は悪の華となり、弱者は死の舞踏を踊る。

新自由主義グローバリゼーションは天罰神罰仏罰だった。

権力は畜生・鬼畜・餓鬼となった。