超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

新自由主義は自己破壊だ ベストセラー・シンドローム

2009-01-09 07:31:16 | Weblog
ベストセラーや高視聴率狙い、
これによってマスコミは、沈下した。

ベストセラーを狙うことは、
フィードフォーワードすることだ。

即ち、安定性を捨てることだ。
それはユーザーの育成を捨てることだ。

  *。
新自由主義は、
組織構成員や消費者の育成を棄却することだ。

即ち、安定性を捨てたことだ。

*。
安定性を捨てた成長、
これがオンリーワン戦略であり、ナンバーワン戦略だ。

それは関係者の切捨てだ。

企業自体、経営者自体に切捨てだ。
利潤や株価や内部留保を目的にする。

それは自己否定だ。

*。
だがこれが新自由主義利益だ。

即ち、金の最大化へのフィードフォーワードだ。

そこには安定性がない。
社員も消費者も切り捨てられた。

   *。
これがオンリーマネー経営だ。

金だけあって、それ以外がない。

*。
このシステムは略奪と殺戮である。

ガンである。

*。
企業が構成員と消費者を敵として、
世界を敵として存在する。

即ち、組織統合失調症だ。

ここで金は妄想の金だ。

*。
金権への万歳突撃だ。

玉砕への万歳突撃だ。

    *。
秀吉日本は世界制覇した。

世界を全滅させ、新世界を作る。

*。
世界一で誘き出し、全滅させる。

即ち、繰り込み理論をやっている。

フィードフォーワード・シンドローム 恐怖の世界一

2009-01-09 07:01:17 | Weblog
トヨタは世界一狙いに行っておかしくなった。

これは松下電器にも起きたことだ。
松下も世界一の電機メーカーになった。
それからおかしくなってしまった。

*。
何でだろう。
世界一になる、
その方法はフィードフォーワードすることだ。

*。
アメリカも世界一になっておかしくなった。

ソ連があった時は、
両者が牽制し合い、
ネガティブ・フィードバック状態にあった。

世界は政治的に安定していた。

  *。
どれもこれも世界一を取ったり、狙いに行くとおかしくなる。

それはシステムを正帰還し、発振するからだ。
これは安定性を放棄したことだ。

*。
安定性は負帰還システムにしかない。

世界一は恐ろしいことの始まり。

*。
スポーツの世界は、天才の世界だから、
創造的で正帰還でもいい。

しかし組織の世界に天才があっても、
それは負帰還でなくては健全にならない。

   *。
大国病とか大企業病がある。

押せ押せどんどん、これが発振だ。
即ち、フィードフォーワードだ。

これは安定性を捨てたことだ。
世界一には天罰が下るのだろうか。

*。
ナンバーワン、オンリーワン、
これは経営ではない。

この経営が、世界を支配し、世界は狂った。

*。
ナンバーワンで負帰還は困難だ。

企業の売買による巨大化、
競争を捨てたことであり、
企業の王侯貴族化だ。

それは平民を略奪殺戮する。

これが新自由主義グローバリゼーションだった。

*。
その崩壊はナッシュの均衡理論から当然だ。

パラドックスのコスモロジー

2009-01-09 06:23:32 | Weblog
病気を殺しに行って、医学に殺された。

虫歯を殺しに行って、虫歯を殺された。

犯罪者を罰して、犯罪常習者にして、犯罪に罰せられた。

一生懸命働いて豊かになったら、豊かさに殺された。

   *。
この世は対称性で出来ているから、
いいことをしても、
それに伴って、やってしまういいことでないことがある。

*。
いいことをやることは、いいことでないこともやることだ。

結局、生きていることをやっている。

では何でもいいのか。

だからいいことをやる訳だ。

それが問題だった訳だ。

*。
結局、人はGoedelゲームやナッシュ・ゲームをやっている。

このゲーム空間には、
自分が輝く不動点と、自分が滅びる特異点がある。

   *。
ゲーム空間では、
成功や幸福、金や権力、感動や癒し、
これでは自分は滅びることもあり、輝くことは出来ない。

これらは少なくも消点であって、
目的とすると自分と世界をぶち壊す。

*。
これは贋物や幻覚であった。

もっと上の階級の生き方に到達した。

人類としての悟りに入りつつあるといえようか。

*。
法治国家産業文明は、遊びであって、
職業としたから、
その圧力で人も世界も壊れた。

    *。
金融など目的にすれば、発振してしまう。
即ち、自己否定と自己破壊となった。

*。
増幅とか発振とかの知識がなかった。

金と権力を発振し、人も世界も壊れた。

金と快楽は必要なだけしか使ってはいけないものだ。

*。
成功と幸福の追求は逸脱行動だった。

子供の逸脱行動は反面教師なのだろう。

益川のパラドックス

2009-01-09 05:24:13 | Weblog
ノーベル賞受賞者記者会見での発言だ。
I cannot speak English.

会場から野次が飛んだ。
英語しゃべれるじゃないか。

*。
この程度のことはしゃべれるが、
会話が出来ない。

それはパラドックスというほどのこともない。

*。
だが世界の常識では、
これだけしゃべれたら、もっとしゃべれないのがおかしい。

そういう意味はないだろうか。

ここに日本人意識の特殊性が検出されないか。

英語をしゃべれることは、
ある種の英語センスがあってのことだ。

日本人にはそういうセンスの形成がない。

これを外国人は理解できない。
ありえないことだ。

    *。
クリスマス・イブという曲を作曲者自身の歌で、
日本語版と英語版を聞いた。

英語版は実に味気なく、すぐ切ってしまった。

*。
日本語には、言葉の意味と、音韻情緒がある。

節回しで微妙に気持ちが変わる。

二つの別世界が重ね合わせてある。
そしてその間の更に干渉がある。

それが日本語独特で、西欧人には受け入れられない。
中国人や韓国人には、多少受け入れられる部分がある。

*。
この議論の対偶を取れば、
音韻情緒は西欧に存在せず、
音韻情緒は西欧なりにあるが、
日本のとは全く違う。

即ち、交換不可能である。
センス的に非可換である。

   *。
日本の音韻情緒を持つと、
英語の発音が出来なくなる。

即ち、英語を英語センスとして扱えない。

*。
日本語はガラパゴス列島なのだ。

日本語と英語などは、センス的に切り裂かれ、
即ち、クレパスがあって、繋がらない。

*。
どうしたらいいか。

手のひらサイズの自動翻訳音声装置を使う。
日本人の得意芸だ。

センスを英語に合わせたら、日本人でなくなる。

日本人の作り変え、それは止めた方がいい。
大体出来ないことだ。

*。
だが日本と世界はここで衝突している。