超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

漢字は呪能を主人公とする幽霊劇である

2009-01-28 07:52:05 | Weblog
白川静氏は漢字は呪能が作ったといった。
漢字の原因に呪能があるという。

正に呪の能である。
即ち、漢字は呪能による幽霊劇だとなる。

すると日本字は、言霊を主人公とする幽霊劇だといえる。

*。
この言い方を使えば、
日本文化は魂を主人公とする幽霊劇だといえる。

現世をホログラムとし、
それを感性や知性でホログラフィーとし、
そこに作られるイマジネーションにキラキラを作る。
これが日本劇場だとなる。

*。
マレビトを主人公とする幽霊劇場が日本文化だともいえる。

日本文化は能の舞台であり、
これを世界に拡大することが出来る。

*。
平和憲法をアメリカに作らせ、
日本ばかりかアジアを守らせる。

このようなメカニズムは理論理性に出来ることでなく、
柔道や忍術を含む仕組みとしての能、
ここに人類を存在せしめる。

これで理性空間を脱し、
人間を人間在らしめることが出来よう。

     *。
こう考えると、お上日本は、能舞台のハードであるセットと考えられる。

舞台道具が国家を主体とする。
その異常さをお上にどう認識させたらいいのか。

正に日本は幽霊劇がゾンビ劇となっている。
日本を壊す幽霊、
これが法治国家日本の主人公であり、
それが日本を襲っている。

*。
日本幽霊劇場を悪用して、化け物劇場した。
しかも人を平然と殺す悪霊劇場になっている。

立身出世、いい学校いい会社、
これが日本を悪霊劇場とした。

これは人の心ではなかった。

西欧を入れ、秀吉システムは更に劣悪化した。

*。
秀吉は草履伝説で、日本人の心を悪霊に支配させた。

感動に書き込まれた悪、
これを一人称衝動は分離排除できない。

これを相殺するには、世界貢献でこれをご破算に繰り込むことだ。
即ち、世界を幽霊劇場とすることだ。
これで悪霊劇場を脱出できる。

犯罪と戦争は満たされない心の刺激と充足である

2009-01-28 06:51:53 | Weblog
アメリカ現象は、
世界一の豊かさを求めた結果、
満たされることのない心が生まれ、
それを刺激と充足で満たそうとした。

ここに孤独と寂寥感、無力感と喪失感が恒常化し、
それを刺激し充足することが、
犯罪と戦争の自己否定と自己破壊であった。

これを自己責任・自助努力・自己管理といった。
これが自己実現の真相であった訳だ。

   *。
ここに豊かさは人が求めるものではないことが分かる。

成功や幸福の追求は、自己否定であり、自己破壊であった。

頭に血が上って、何やってんだか分かんなくなった。
これは欲情現象といえるだろう。

欲情を発振させ、人と現実の安定性を放棄した。

*。
不安定現象は、犯罪や戦争や精神の貧困として現れる。

即ち、精神を不安定にしないことが人の存在の前提だ。

*。
国家秩序とか豊かさは、精神を貧困にする原因だった。

それが自己否定・自己破壊・自己抹殺であった訳だ。
これが人間性の否定であった。

*。
ここに人間の存在構造が認識された。

成功とか幸福、感動や癒しは、人間性の自己否定であった。

   *。
この認識に立つと、
村上春樹文学は、強盗殺人文学である。
村上春樹文学は、慰安婦文学である。

こういう文章が作れる。
断っておくが、この文章から文学なる言葉を削除した責任は本ブログにはない。

*。
社会や人間性をバイパスした感動と癒しは、
世界や人間を排除した閉ループであり、
これはゾンビである。

感動と癒しは、世界や人間を含むプロセスに成り立たなくてはいけない。
人が殺されないようにする仕掛けを内蔵していなくてはならない。

この仕掛けを内蔵しない文学や芸能は、
強盗殺人である。
それ自体略奪と殺戮となる。

村上春樹文学には、殺人のメカニズムの克服がない。
従って強盗殺人の共犯や司令塔となる。

*。
これが構造理性による認識だ。

すると仏教儒教は、強盗殺人である。
仏教儒教は慰安婦である。

こういう文章が成立する。
東洋はこの袋小路に落ちてしまった。

これでは西欧の車輪の下だ。

人間人類の存在構造 人を主人公とする幽霊劇

2009-01-28 05:54:05 | Weblog
仏教は心のゼロの発見であった。
人の心をゼロに収束することだ。

この時、世界は消える。
世界をゼロに収束した訳だから。

従って世界のない世界を作った。
ここに現世は畜生に委ねることとなった。

*。
するとキリスト教は、無限大から人の世界を見ることだ。

ダビンチ画法の、消点から現実を見ることだ。

ここのにゼロがない。

   *。
この両者の違いを知った現代日本は、
ゼロと無限大を含む意識体系を作れることになった。

だがそれは既にあった紫式部思想だ。
それは人間を主人公とする幽霊芸といえる。

*。
リアリティの舞台で、メタフィジークの幽霊劇を演じる。
このコンプレックスから、
リアリティとメタフィジークの裂け目に、
キラキラが出ればいい訳だ。

キラキラは刹那であり、それは日常に成立する。
キラキラはいつも得られることではない。

*。
これが人間人類の存在構造だ。

金権ファシズム

2009-01-28 05:14:53 | Weblog
金融経済は金権ファシズムであった。
その地下バイアスに白人帝国主義があった。

権力も無力も熱狂的に服従した金権ファシズムであった。

*。
大衆の熱狂的服従は、
社会と自己の破壊が共振する時成立する。

何故なら、人間は根底に破壊と殺人衝動を持ち、
民族によってその存在深度に違いはあっても、
誰でも持っているからだ。

*。
破壊と殺意を共振させることが、ファシズムである。
それには人々に共通の目標が必要だ。

  *。
金融経済は、経済ではなく、金権ファシズムであった。

ファシズムは自己否定であり、
目標に集中することは、
その目標に自分自身も入っているから。

自分を含む世界の破壊、
即ち、自分の中に自分を敵とする自分を作り、
これは殲滅する生き方がファシズムだ。

成功することは、自分を殺すことだ。

*。
これは国家や民族が妄想型統合失調症を発症することだ。

これは国家や民族が、ガンを作って生きることだ。

*。
従って、自己否定は自己破壊に終わる。

それを自己責任・自助努力・自己管理といった。

このトリックは西欧理性に解けない。
構造理性だけが認識対応する。

   *。
自己責任・自助努力・自己管理の対偶は、自己否定と自己破壊である。

自由と正義の対偶は、略奪を殺戮であり、
それは自己否定と自己破壊と等価同型である。

*。
自由と正義は、
自己責任・自助努力・自己管理に成立し、
それは自己否定・自己破壊・自己抹殺である。

即ち、自分を含む世界のガンであった。
その意識は妄想型統合失調症であり、
反対の殺戮に成り立ち、
それは自己破壊である。


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今日もまた我がスナイパーは的と撃ち抜いた。
神に栄光のあらんことを。