超人少年伝説

源氏物語千年 紫式部が突然現れ 紫式部氏思想を書くことになった

金融経済は狐の木の葉の金のねずみ講だった

2009-01-22 06:28:39 | Weblog
マスメディアの方法は、
人をいい気持ちにして、
即ち脳みそ壊して、
金をむしり取る。

それは一種の金鉱掘りであって、
掘り尽くせば、廃墟と廃村が残るばかりだ。

現代文明も金鉱掘りといえるのではないか。
次々と新しい金鉱を作る。
それを創造とレッテルを貼る。

だが金融産業は、偽の金である債券を売った。
これは発明かまやかしか。

   *。
債権は、人々は金として扱ったが、金ではない。

債権は人類の発明した金である、債権売りが言った。

新型パラドックスに人類は嵌った。
金だと思っているうちは金だった。

だがそれは紙だった。

*。
それは狐の木の葉の偽札だった!

金融業者は狐だった。
債権は狐の木の葉の偽札だった。

狐だけが儲かり、
酒屋はその木の葉の金と使えなかった!

*。
ねずみ講は狐の木の葉の経済である。

   *。
金融経済は狐の木の葉の経済だった。

それはねずみ講だった。

最後のババを引く人たち大勢がいた。

狐だけが大儲けした。

狐の正体が、悪徳白人権力だった。

弱者有色人種が、ねずみに食い殺された。

*。
金融経済は、経済の発振だった。

金が有り余るほどあったが、
結局実体経済に使えない木の葉の金だった。

*。
バブルは発振経済だった。

それは木の葉の金だった。

   *。
発振経済は、木の葉の金の経済だった。
それはねずみ講であった。

忘れた頃に狐と鼠が現れる!

これを楽しむのは狐と鼠だけだ。
人は被害者となる。

繰り返される木の葉のねずみ講だ。

*。
これを博打と見て、
楽しむ新世界に入ったのだろうか。

そこでは弱者が殺される。

掛け金は弱者、
その清算は殺人である。

これが新型経済なのだろうか。
それを決定するのは弱者ではないか。

だから自己責任・自助努力・自己管理というのかも知れない。

だがそれは地球社会のガンである。

社会をガンにかけて儲けるもの、
昔は畜生・鬼畜・餓鬼といった。

何から何まで昔の方が賢かったのかも知れない。

*。
法治国家産業文明は、人がバカになることで達成された。

これは豊かさであって、豊かさでない。

このパラドックスを解く時代に入ったことは確かだ。


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