虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

モンテ・クリスト伯 (2002/イギリス、アイルランド)

2005年11月04日 | 映画感想ま行
THE COUNT OF MONTE CRISTO
監督: ケヴィン・レイノルズ
出演: ジム・カヴィーゼル    エドモン・ダンテス/モンテ・クリスト伯
    ガイ・ピアース     フェルナン・モンデーゴ
    ダグマーラ・ドミンスク     メルセデス
    リチャード・ハリス    ファリア司祭

 デュマの超有名な大作の映画化。無実の罪ですべてを奪われた男が、獄中から奇跡の脱出をして復讐を遂げるまで。

 岩波の文庫かなんかで原作のデュマの壮大な薀蓄と横道ストーリーに全部付き合った挙句に最後の大団円で感動した人にはちょっとキツイ展開です。(最近は私もダイジェスト版ばっかり読んでますが…)
 2時間ちょっとの映画になるのですから、刈り込みをばっさばっさというのはそれは覚悟のうえなのですが、これはラストのまとめ様があまりにも乱暴で「これでいいんかい?」と唖然とします。

「待て、而して希望せよ」はどこ行っちゃったのよ!

 まあ、主人公はきれいでよろしい。でも老けない分、彼の心に刻まれた苦しみとか人間としての深みが重く伝わらない恨みはあります。
 リチャード・ハリスの神父は本で読んだのとえらい印象が違うけど、許す。ご老体なのに剣術の先生までやっちゃいます。あの朗々とした声は聞けませんでした。
 ほんとに、メインキャスト全員18年経っても見た目変わらな過ぎ。これでエドモン・ダンテス=モンテ・クリストがわからないのは変。
 それに、描き込み方が甘いので、復讐の時のエドモン・ダンテスが性格悪そうに見えるのも良くない。やっぱり、復讐劇はそれに見合うだけ思いっきり悪人が悪人に見えなくては。

 まあ、やっぱりラストの「これはなんだア!」なんですよ。
 モンテ・クリストはそれまでの生に区切りをつけ、新しい世界へ踏み出さなくては!家族のハッピーエンドとかのレベルじゃないのよ!

ティム・バートンのコープスブライド (2005/アメリカ)

2005年11月03日 | 映画感想た行
CORPSE BRIDE
監督: ティム・バートン 
マイク・ジョンソン
声の出演: ジョニー・デップ    ビクター
     ヘレナ・ボナム=カーター    コープス・ブライド
     エミリー・ワトソン    ビクトリア
     トレイシー・ウルマン  
     アルバート・フィニー  
     クリストファー・リー 

 落ちぶれ貴族の娘ビクトリアと、成り上がり金持ちの息子ビクター。家同士の都合で婚約整った二人だが、出合った時からお互いに通じるものを感じる。しかし、森の中で結婚式の練習をしていたビクターが木の枝だ思って指輪をはめたのは、なんと恋人に裏切られ、死者となっても苦しむ娘の指だった。

 帰りに映画見た幸せにほんわかして帰ることの出来た映画でした。
 私は「チャーリーとチョコレート工場」よりもこちらのほうが好きです。チョコレート工場は原作に個人的な思い入れが強いので、目の前に見せられる「あのシーンの映像化」と、自分のイメージのずれを感じながらでなくては見られなかったけど、これは素直にバートンワールドに浸っていられました。
 やっぱりエミリーが美しく見えたのが嬉しい。
 ティム・バートンは、原作があるものより、オリジナル世界を構築していったほうが、少なくとも私にはしっくり来る映画になる。
 エルフマンの音楽も楽しかったけど、一度聞いただけで耳にこびりついたのは今回は無し。

 寒々しい画面で即物的で打算的な会話の生者の世界と、色彩に富んだ、交わされる言葉も温かい死者の世界。
 両方の世界の一時的な交わり。この映画のオープニングも蝶が放たれるシーンだった。ビクター、ビクトリアにしろ、エミリーにしろ閉じ込められた場からの開放を願う魂の象徴のようで、ラストシーンでは、開放感を実感した。
 
 これまたDVD買っちゃうなあ、という映画だったのですが、注文が一つ。ピクサーアニメを連想させるキャラ造形、もっと少なくしてくれないかな。

キャプテン・ウルフ (2005/アメリカ)

2005年11月02日 | 映画感想か行
THE PACIFIER
監督: アダム・シャンクマン
出演: ヴィン・ディーゼル  シェーン・ウルフ
    ローレン・グレアム  クレア・フレッチャー
    フェイス・フォード     プラマー夫人
    ブリタニー・スノウ    ゾーイ・プラマー
    マックス・シエリオット     セス・プラマー
    クリス・ポッター     ビル・フォーセット大佐

 対原爆用の特殊装置を開発したプラマー博士が誘拐され、それを救助に行った特殊部隊のウルフ大尉は失敗し、博士は死に自らも撃たれる。怪我が癒えた時、彼に与えられた任務は、プラマー博士の家族を守ることだった。
 プラマー夫人の留守中、家政婦まで出て行き、彼は5人の難しい年頃から赤ん坊までの子どもたちの面倒を見なくてはならなくなる。

 シュワルツェネッガーの「キンダーガートン・コップ」と同じような、コワモテの筋肉マンが日常些事と家事に直面してあたふたして、でも新しい世界への愛情に目覚める、とかそんな感じですが、シュワちゃんの方が上手ですねえ。こういう映画は、今までの映画で出来上がったイメージがあってこそおかしみが生きるというものでしょうが、私「リディック」と「ワイルドスピード」しか知りませんしねえ。「ターミネーター」に比べると弱いよね。それに、白紙状態では、導入のアクションだけでは、そこまでガチガチの非情のタフガイを印象付けるのは無理だろうと思います。

 総じてアクションが少ないかな。ドメスティックな生活でオタオタ部分が細かく描かれてます。でもそこにひっきりなしに敵が襲って、それを撃退してるのに、あまり誰も深刻に受け止めてない、とか主人公の生きる暴力の世界とそれに縁のない世界の落差がもっと浮き上がったほうが、お話としてもコメディとしても私はよかったんじゃないかと思うけど、完全にお子様と一緒ご家族向け映画みたいだから、これでしょうがないのかなあ。

 ああ、でも昨日「続・夕陽のガンマン」たっぷり堪能しちゃったばかりで、それでこの映画でエンニオ・モリコーネ聞いたときはつい「ぐははは…」とはた迷惑に声だして笑ってしまいました。オマケに博士の名前がプラマーで…ってミュージカルシーンでは素直に笑わせていただきました。

黒い裾/幸田文

2005年11月02日 | 
新潮文庫(昭和47年7刷)

 幸田露伴から、ひ孫に至るまで4代にわたって作家になっているけれど、ナンバー1は幸田文です。
 露伴に厳しくしつけられ、文章を書くことを禁じられていたというけれど、この人は書けるときを待っていたし、そうせねばならない作家の業を持っていた人だと思わされる。
 彼女の持つ迫力が、そのまま文章になるようで、映画化された作品、成瀬巳喜夫の名作「流れる」でさえも、原作のこの鍛えられた目には負けるか…と思う。人間の挙措のわかる、そこからその人となりを暴き出してしまう文章である。
 その目は結局自分をも暴き出してしまって、映画では優しくよく出来た姉ですんでしまう「をとうと」の主人公も、己が正しい、そして自分の周囲をその正しさで律しなければ神経に障る、といった潔癖さの持ついやらしさまで感じさせてしまう。

「黒い裾」は、人を弔う、そして関係者が一堂に会する時に着る喪服と共に歳を重ねていく、女の16歳から50過ぎまでを書いている。優秀で気働きのいい、勘のいい女性の、だからこそ幸福とは縁の薄いような人生。
 この小説のクライマックスは、年上の最後の縁者…もう送るべき人はいない、という葬式に、いかにも着慣れたものを着る描写から、その着物の裾の「透切れして、ところどころは裾心の真綿が鼠色によごれて、たるんだ吊橋になっていた。」
 そこからはもの凄まじさに息を呑む。喪服の黒と襦袢の白。
「ぱっと蝙蝠が飛んだように着物が両袖を浮かせて畳へ這った。」
「裁ち落された裾は真綿をはみ出させて、死んでいる長虫のようにうねった。」
「縫うでもくけるでもない、ただ裏表を綴じつけるだけの粗い針目を押っ飛ばすと、年代のついた古羽二重は、ぷっつ、ぷっつと音を立てて拒んだ。」
 この恐ろしさは着物を着ない人にも共有できるでしょうか?

イーストウッド、バリウム

2005年11月01日 | 映画の話題
 昨日は警察の事情聴取に、定期健診とめちゃくちゃ忙しい日でした。
 何せ胃部レントゲンでバリウムを飲んだ後なので、例年のごとく数時間後は七転八倒。今年は疲労がたまっていたのか、いつもより強烈で、夜10時過ぎまで腹痛に苦しんじゃいました。

 でもBSの「夕陽のガンマン」はしっかり見ました。
 最近の重たい作品もさすがなんだけど、でもイーストウッドの映画といったら、私は「ダーティーハリー」とウェスタンなのよ!「続・夕陽のガンマン」も最高なのよ!
 男のかっこよさの一典型というものを、セルジオ・レオーネも、これ以上ないような音楽をつけたエンニオ・モリコーネもよくわかってらっしゃると思うばかりなのですよ。
 で今日は、その「続・夕陽」で、水曜が「ダーティー・ハリー」で、金曜は「ガントレット」
 なんとしても夜の時間は空けておかなくては!