虫干し映画MEMO

映画と本の備忘録みたいなものです
映画も本もクラシックが多いです

オリガ・モリソヴナの反語法/米原真理

2006年02月27日 | 
集英社

 フィクションの世界で、実在の人物以上にカッコイイと思った女性がいない、なんて書いてしまってから、この本も一応はフィクションだっけと思いついたので出してきたら、またまた読まされてしまった。フィクションとは言っても、これは現実にこの時代この社会を生きぬいたあるいは死んでいった人々を敬意を持って描き、その勇気と苦難に捧げられたものであろう。見事な女性一覧というほど登場する女性それぞれが素晴らしい。
 2002年か2003年の私の年間ベスト3にはいった本。
 話を進めていくのは中年差し掛かり世代の、著者を連想させる女性。
 彼女が少女時代をすごしたプラハのソビエト学校の、見事な反語法を駆使した悪態の使い手で、ダンスの教師としても優れた、しかし見た目はいささか奇矯な老ダンス教師の足跡を追い、難しい政治情勢の中で分かれた旧東側の友人たちとの再会も果たす。

 なんだかんだ言っても今の日本では国家権力によって理不尽に自由を奪われたり、命を絶たれるということが日常化しているわけでなく、今日の生活はたぶん明日も続くだろうな、という見込みを持って生きていられる。しかしスターリンの粛清が吹き荒れた時代、それが当然ではなかった。
 まったく身に覚えのない容疑で殺され、重労働キャンプに送られるのが日常茶飯の時代。しかしそこで生きる意思を支えるのは何か。最低限にも満たない栄養と休息を削っても演じられる、記憶の中から朗読されるシェイクスピアであり「白鯨」であり、芸能がある。アンネ・フランクの父親の手記にも、絶滅収容所で彼の生きようとする意思を支えたのは以前に読んだ文学作品であり、芸術作品のような美しいものの記憶だったという記述があったと思う。人はパンなしでは生きられないが、それだけでも生きられない。
 モスクワの花形ダンサーとプラハのだみ声の教師の間に横たわる謎を追ううちにあらわれるのは政治に翻弄される人々の悲劇。手がかりを追っていくことは、その時代を生きた人の声を聞くことになる。ここでは、オリガの世代、主人公の世代、そして若い社会主義崩壊後に青春を生きる世代と様々な世代の女性が登場する。刑務所やラーゲリほど過酷でなくてもそれぞれが自分の直面するもの、負うものと必死に戦い、苦しみながら誇りを持って生きる姿が見える。ラストでは、悲劇の人生が血という形でなくても、人の絆で命が継承されていくことにあたたかい涙で締めくくられる。
 人間の愚行はなくならないかもしれない。たぶん生きているうちは無理かもしれない。でも…
 キング牧師ではありませんが、"one day...""some day..."への希望と今日を生きる勇気をかきたててくれる本です。
 文庫で出ていますので、是非是非お手許に!

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 これは初めて読んだ時には思いっきり恥ずかしい感想書きそうで書けなかったのですが、2~3年経っても恥ずかしくなるような青臭い形容しかできません。私にとってはそういう本なのでしょう。
 オリンピック終わってしまいました。アルペン皆川選手惜しかったですが、あれが勝負ですね。血が沸きました。さて、やっと平穏に夜が過ごせます。午前2時寝とか3時起きの変則生活の連続はきつかったです。


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