虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

機能不全家族の記事をまとめました

2014-07-18 07:22:17 | 記事のまとめ(リンク)

「機能不全家族の話をもう一度読みたい」とお聞きしたので再度アップします。

「検索してもうまく見つからなくて困っている」ということですが、

お探しの記事の一部「機能不全家族」の後ろに「虹色教室」をつけると

見つけやすいかもしれません。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

『機能不全家族についてもう少し 1~3』

 

記事内容から脱線して、自分の気持ちについて少しだけ書くつもりで、

結局だらだらと長い話になってしまった、10~16までの文章。

 

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 10

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 11

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 12

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 13

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 14

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 15

わがままな振舞いが目立つ子にどのように接すればいいでしょう? 16

 

これで終わりにしようと思っていたのですが、

機能不全家族の問題にこれから向き合いながら子育てをしていこうとしている方から

コメントをいただいたり、

遠方に住んでいる親しい人からメールで苦しい胸の内を打ち明けられたり、

レッスンの中で世代間連鎖を断ち切る難しさを相談されたりするうちに、

あれでは少し不親切な答え方だったと思い直しました。

 

たいした力にはなれませんが、もう少しだけ、自分が当事者としてこの問題と

関わり続けて気づいたこと、理解したことについて書いてみようと思います。

 

先の記事を書いている最中に、次のようなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

いつも拝読させていただいております。


私は父がDV、母が家族に共依存しているという典型的な機能不全家族に育ち、

3歳、1歳の育児をしています。

今、実家は家族の機能不全関係が表面化した問題に直面しており、

私は、両親を手助けすれば重い依存がのし掛かってくることが予想され、

常に実家が心配で育児は上の空、という状況です。

私が親として、母の優柔不断で家族の機嫌を取ってばかりの面、父のストレスが

溜まると怒りという形で爆発する面を受け継いでしまっていないか、

自信なく子育てしてます。3歳の息子のわがままかんしゃくが、私の育ちを

投影しているのではないかという心配があること、

過去の記事から先生が機能不全家族に悩んでいらっしゃったお話を聞き、

勝手に親近感を持っていたことから、

今回の記事を興味深く読ませていただいています。

先生が、機能不全家族に悩まされながら、どのように精神衛生を保ち、

子育てをされていたのか、どのようにして、世代間連鎖を断ち切ったのか、

機会があればお聞かせ頂きたいと思っております。

先生とお会いできる機会があればとレッスンの応募を何度かしておりますが、

ご縁がなく残念に思っています。

けれど、先生の記事に出会えただけでも育児の指針、心の支えとなり、

とても有難い出会いと思ってます。これからもどうぞよろしくお願いします。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

その後、

記事を16まで書き終えた時、とてもありがたい感想をいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

先日コメントで質問をさせていただいた者です。

先生の記事、噛み締めながら拝読いたしました。

機能不全家族に悩まされたり、子育てをしながら自分の育った道を思い返して苦しむ中、

有難く、心救われる気持ちがしています。

先生の優しさと強さの源を見せて頂いた気がしました。

自分の置かれた状況を被害的に捉えてばかりで子育てに自信を失っておりましたが、

心を澄ませて自分らしく道を拓いていけたらという気持ちになりました。

心に染み入る素敵な物語のお話でした。私もいつか自分と家族の影を抱きしめて、

最後に丸い円を描けるようになりたいです。ありがとうございました。

これからも記事を楽しみにしております。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

心を澄んだ状態に整えて、自分の生き方を考えておられる姿に

息を引き取るまで共依存の状態から抜け出すことができなかった母の人生が

誰かの未来の中で活かされるようでうれしく感じました。

 

しかし、同時にコメント主さんの前向きで純粋な思いが、

わたしが書いた文章によってより傷つくことにならないか

少し怖しくもあって、数日間、この記事に続きを書くべきかどうか悩んでいました。

 

怖いという言葉をここで使うのは、残酷で奇妙に聞こえますが、

わたしの正直な思いでもあります。

今から夜の登山をしようという人や砂漠に入って行こうとする人に、

そこを抜け出せた体験を語り、方法を伝えても、

その方法とは、山を消す魔法でもなければ、砂漠から出る地図でもありません。

 

より過酷な状況になっても、自分を取り戻すために

一歩一歩、歩みを進めるためのエールを送ることしかできません。

 

それでもそれをやり抜くための知恵なら

言葉にすることができるかもしれないと思い、続きを書くことにしました。

 

機能不全家族という言葉を耳にすると、それは家族間の関係の問題であって、

前向きながんばりや純粋な意志や深い愛情によって、乗り越えていけるようにも

思われます。

 

でもその背景には、依存症の問題が隠れていて、

少し頼りない性格程度に思われる共依存のようなものであっても、

社会から敵視される薬物依存同様に

人の心や意志やがんばりだけではどうしようもないものがあることを

わたしはこれまでの数十年間の中で、心の深い部分で実感しました。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

紹介したコメント主さん同様、

父のDVやギャンブル依存、母の共依存などの多くの問題を抱えた家庭に育ちました。

わたしも妹もそうした機能不全家族の中で割り当てられた役割……

妹は「スケープゴート」、つまり「悪い子」の役を、

わたしは「プラケイター」と「責任を負う子」、

つまり親をなだめたり、支えたりする家庭内ソーシャルワーカーの役と

家庭内の混乱に秩序をもたらすために一生懸命がんばって親の期待に応える役を

担って子ども時代を過ごしました。

 

そのように子ども時代を子どもとして生きれなかった子は、

心に慢性的な喪失を抱えたまま、健全な自己愛や自尊心を獲得できずに

大人になっていくと聞きます。

自分を信頼し、「やれば何とかなる」といった前向きな姿勢で、

人生を切り開いていくことが難しいともいわれています。

 

父母の思い出話から推測するに、おそらく父の父母もその父母も、

また母の父母もその父母も、家族の関係の問題によって自分たちの人生を蝕まれて

きたのだろうと思われました。

そして、父も母も、表現の仕方ほど異なるものの、

アダルトチルドレンの特徴をたくさん持っていました。

 

父は、白黒、二極化した思考をしがちで、人を試す発言が多く、怒りを抑えられず、

漠然とした不安感や空虚感をギャンブルへの依存で埋めていました。

母は、自己信頼感が希薄で依存心が強く、何でも人にたずねて、

自分で判断することができませんでした。

いつも周囲に合わせばかりで、人からの頼みごとを断れず、

自分の人生に希望を抱けないまま、何となく日々を過ごしていました。

 

 そんな両親のもとで育ったわたしは、身体的にも精神的にも脆弱な子どもでしたし、

実際に心が深く傷ついてもいたし、ずいぶん遠回りをしながら大人になりはしたものの、

幼い頃から、どんな時も、父の考えにも母の考えにも染まらないところがありました。

 

たとえ一時期、両親の思考のあり方の影響を受けて認知に歪みが生じていたとしても、

それに気づいて、自力でそこから抜け出す知恵も持っていました。

 

そして、今、生きづらさを感じずに生活しているし、わが子たちが

自己愛や自尊心や自己信頼感が成長していく過程を支えてあげることもできます。

 

父も母も妹も、自分の親と自分自身がプログラムした思考の罠が、自分の人生を

蝕んでいくことから、どんなにあがいても抜け出せなかったのに、どうやってわたしは

そこから出たんだろうと考えると、いくつか思い当たる理由があります。

 

そのひとつは、両親の伺い知らないところで、

両親や祖父母以外の、さまざまな大人たちから、自分の子どもに対するような深い

本物の愛情をかけてもらっていたからじゃないかと思っています。

また、大きくなるまで続いていた幼なじみとの心の絆も

両親との関わりに別の視点をもたらしてくれました。

 

続きを読んでくださる方はリンク先に飛んでくださいね。


機能不全家族についてもう少し 3

機能不全家族についてもう少し 4

機能不全家族についてもう少し 5

機能不全家族についてもう少し 6

機能不全家族についてもう少し 7

機能不全家族についてもう少し 8

機能不全家族についてもう少し 9

機能不全家族についてもう少し 10

機能不全家族についてもう少し 11

機能不全家族についてもう少し 12

機能不全家族についてもう少し 13

機能不全家族についてもう少し 14

機能不全家族についてもう少し 15

機能不全家族についてもう少し 16

 


忍者屋敷を作りました♪

2014-07-17 14:36:46 | 通常レッスン

年中のAくんと年長のBくんといっしょに忍者屋敷を作りました。

(AくんとBくんのお母さんたちにも手伝っていただきました。)

 

武家屋敷のからくりの一つです。

途中までしか階段がないので落ちてしまう危険な廊下。

下にはとがった竹が……!

 

手前の黄色い部分は『刀かくし』です。

 

『刀かくし』の床をめくると、刀が隠してあります。

 

『どんでん返し』です。

 

Bくんはブロック制作や工作がとても得意な子です。

天井から降りてくる梯子を作っています。

 

一休さんやきっちょむさんのとんち話が大好きなAくん。

忍者の逃げ方や隠れ方の知恵にとても興味を持っていました。

↑は、『水とんの術』水中に隠れて、そのまま逃げます。

 

他に『木とんの術』や

『火とんの術』なども再現して遊びました。

 

手裏剣を折っているBくん。

 

何を作ろうかと『忍術・手品のひみつ』を熱心に見ていたBくんは、

忍者の剣に目をとめました。

ブロック人形に剣を持たせるのでは物足りなかった様子です。

割り箸をつないで、自分用の剣を作っていました。

 

バッチリ決まっていますね。

 

『おしいれ』という板を押すと地下道への

入口が開くからくりです。

 

字を書くのがブームのBくん。

 

算数タイムに推理ゲームをしました。

 

 トランプや手を使った計算遊びも面白かったです。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 12

2014-07-16 16:29:09 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回までの話題をもう少し深く掘り下げて書くのは後回しにして、

いったん別の形で緊張の強い子たちの気持ちが開いていく時について

書かせていただきますね。

 

緊張が強い子たちは内向型の子が多く、

自分の考えや自分の感じ方、自分のアイデア、自分のやり方が相手にきちんと届き、

相手がしっかり受け止めてくれた、相手の心に響いた、という時に笑顔を見せて、

積極的に他の人々と関わるようになることがよくあります。

 

 

2歳のAちゃんは成長の早いしっかりさんですが、

内向的で場や人に慣れるまで時間がかかるタイプです。

2歳児さんたちのグループレッスンで、木片を使った工作遊びをしました。

工作の最中も、「Aちゃん、~してみる?」「Aちゃん、何が作りたい?」などの

声をかけると、固まってお父さんにしがみついていました。

が、そっとしていると、いろいろな色でなぐり描きをしたり、

他の子の作り方を真似て、木片にゴムをつけたり、

木片を画用紙に貼りつけたりしていました。

 

お母さんから「保育園で制作に参加しようとしないそうです」と相談を受けたので、

Aちゃんは、内気とはいえ他の子らとの活動を拒絶することはないし、

黙々と手作業に取り組むのが大好きな子なので、とても意外な気がしました。

「どんな作品を作っているのですか?」とたずねると、

2歳児クラスなので、先生方がすでに作っている半完成品状態の電車などに、

「ここにセロテープを貼ってね」とか、「ここに絵を描いてね」と誘導する形で

作品展向けの工作が行われているそうです。

「誰かに動かされている感じ」に敏感なAちゃんは、

頑なに制作活動を避けているようです。

 

Aちゃんは穏やかな気質の利発な子ですし、集団生活に自分なりになじめていますから

特に心配はいらないのですが、緊張が強い過敏なところもあります。

虹色教室では、通って来る度に打ち解けてきて、積極的に振舞うようになっていますが、

Aちゃんの気持ちが外に向かって開かれていくように

いつも気をつけていることがあります。

 

 

Aちゃんの好きな活動が行いやすい環境を用意し、

Aちゃんが自分で材料を選んだり、自分のペースで作業できるようにしています。

自分から他の大人や子どものやり方を模倣したいと感じる程度に

他の人との関わり方を調整すること。

Aちゃんの場合、外からあれこれ干渉されたり、誘導されているように感じると

固まってしまいますが、他の子の活動が観察しやすい場所で、自由に活動させて、

本人が助けを求めた時にほどよく手助けするのなら、誰よりも熱心に工作をしているし、

アイデアを取り入れるのも上手です。

 

 ↑ この日の他の子たちの作品。

ブロックの基礎板と基礎板をつなげることができるようになって

何枚もつなげていく2歳児さんの姿です。

動物を整列させたり囲いを作ったりするのも上手です。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

緊張の強い子たちが、自信を持って人と関わったり、

活動に取り組んだりするようになるのに、

「自分より年が小さい子たちと活動する機会を増やす」試みが功を奏する時もあります。

 

 『いま、こころの育ちが危ない』という著書の中で、

国立精神・神経センター精神保健研究所長の吉川武彦先生が

こんなことをおっしゃっています。著書の一部を簡単に要約して紹介しますね。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

こころを作るのは人間関係です。

それを白紙に十文字を描いて表してみます。

まんなかを自分、縦軸の上半分を自分より上の人、下半分を下の人、横軸を

同年の人ととして、自分とそれぞれの関係を考えます。

 

① 子どもと親や教師といった年上の人との関係は、十分依存し、信頼され、

信じる自分を発見し、充足を得る関係です。

 

② 自分より年下の子との関係は、力試しもするがあこがれや尊敬も集めるという

関わりです。やり過ぎてはいけないことを学ぶため、

自律や自制といったセルフコントロールが身に着きます。

 

③ 横軸の人間関係は、争いながら自己認識、他者認識を深める関わりです。

 

自己認識が育つということは、周囲と自分の関係を意識することでもあるので、

積極的に関わる力がついたり、チャレンジする勇気を育てることになります。

その反面、いまの自分の力量で及ばないことがわかれば無謀な

チャレンジは抑えるようになりますし、力が蓄えられるまで

待つようになります。

 

この人間関係の発達は、①→②→③→①´→②´→③´→①゛→②゛→③゛ と

らせんを描くように進みます。

 

ステップを順序よくすすむはずが、早く育てようと思ってこのステップを

飛ばしたりすれば、滑り落ちる時には

一段滑るんではなく、2、3段落ちてしまう退行現象につながります。

 

現在、①の上との関係というステップを終えた子を、②のステップの下との関係に

誘導しない子育てが流行っているので、さまざまな問題を生んでいます。

同年の子との関係は自信を持ったもの同士が争う関係で始まり、

自分と他人を意識し合い、自分の力量と他人の力量を確かめあうものなので、

②をスキップすると、③では争いがエンドレスになりがちです。

子どもは②の関係を過ぎるからこそ、③で自立を学ぶのです。

 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー


 この話を目にすると、自閉っ子のEくんの姿が浮かびます

同年の子たちと過ごすと、攻撃的な口調で責め立てたり、

友だちに自分のやりたい遊びにだけ付き合ってほしくて強い葛藤状態に陥ったり、

学習時間に自分より先にできた子がいるとパニックを起こして

勉強を放り出してしまったりしていました。

が、Eくんより年下のおっとりした子といっしょにレッスンする日を作ると、

最初のうちは、その子のおもちゃを全部取り上げてしまったり、

思い通りに動いてくれないことに切れたりしていたEくんですが、

次第に、スライム作りのお世話をしたり、片付けを手伝ってあげたり、

優しい励ましの言葉をかけたりするようになりました。

そうして相手に励ましのエールを送るようになったとたん

勉強中につまずいても、すぐに投げ出さなくなりました。

Eくんもとても緊張が強い子で、周囲との関わりをヒヤヒヤしながら見守ってきたの

ですが、いつの間にか、学校生活をいきいきと楽しめるほどに成長していました。

 

自閉っ子の★くんと賞状

↑ Eくんのレッスンの様子です。

 

 

 


1000までの数 と 卵パック作り

2014-07-15 22:57:21 | 算数

1年生の子たちのグループレッスンで、太めのストローに発泡スチロールの玉を詰めて

卵パック作りをしました。

 

1ダース入りではなく10個入りパックです。

 

10個入りのパックを10ケース乗せるトレイ。

 

子どもたちはみんな10個入りのパックを10ケース乗せるトレイが10枚で、

1000になることは、よく理解していました。

でも、「あと2つで300になる数はいくつでしょう?」という問いには、

「208?」「308?」といった珍解答をする子たちもいました。

 

そこで、水玉の折り紙の玉を10ずつ囲って、

100のシートを何枚か作って、答えを確認することに……。

 

こんな時、大人が「こんな風にしなさい」と指示して見本を見せるから、

その通りにする……というだけでは、たとえ手で作業をして目で確認しても

本当の理解に至らないのです。

変なやり方でも失敗してもいいからあれこれやってみて、

自分の理解に役立つように作業をしたり、

数を数えてみたりすることができるように、適度にサポートしながら見守っています。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 11 (改)

2014-07-15 09:28:31 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

前回までの記事に、こんなコメントをいただきました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ことばにするのが難しいことを、記事にしようとしてくださってありがとうございます。

魂の深いところで起きていることだからなのでしょうね。

このところの記事は、わたしの心の深いところをえぐられるような、

すばらしい洞察に満ちています。

緊張の強い傾向を持っているうちの子を見ていても、確かに悪に敏感、

いわれてみればそうです。

ちょっとしたことでごめんね、といいながら泣いたりしますし、幼稚園でお約束を

守れない子を話題にして「だめなのよ」といったりすることが多いです。

そういう行動を謎に思っていましたが、それは、自分のことを悪い子じゃないか、

と思っているからなのですね。

そんな気はなくても、親やまわりの人を困らせたり、怒らせたりしてしまうこと、

とっても気にしているのですね。

よい子、よいママを求めがちな文化って息苦しい。

特にそこから自分でそんなつもりなくてもはみ出してしまう子(大人)にとっては。

そんなこと、本当はたいしたことじゃないって肌で感じる瞬間があると、

緊張が緩んで少し歩き出せる、そういうことかなと理解しました。

また、わたしがこどもにどんな教育的環境を用意してあげたいかなと考えたとき

「創造性」の要素がすごく大事、と考えていて、なぜかは自分でもわからなかった

ですが、この記事を読んでなんとなく腑に落ちました。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

本人にそのつもりがなくても周囲が求める正しさからはみ出してしまう子らについて

考えるうちに、『「影」の心理学』というユング心理学の中核概念のひとつである

「影」を扱った著書の中のこんな言葉を思いだしました。

 

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

<すべての関係性に存在する原理>


Ⅰ. 私たちは生得的に、次の三点を「他者」に投影する傾向を持つ。

自分自身に関して知らないこと(無意識)、

自分自身について知りたいと思わないこと(「影」)、

成長したり自分自身に対する責任を引き受けたりするのに二の足を踏むこと

(抵抗する未熟さ)。


Ⅱ. 私たちが先送りしてきた側面----無意識、「影」未熟さ----に対する責任を

他者が引きうけてくれることはないだろうし、できないだろうし、

すべきではないだろうから、私たちの隠れた問題はとん挫し、

関係性は力の問題に移っていく傾向を持つ。

それは他者を支配あるいは操作し、非難する方向へと引っ張る。

そこには被害者と加害者という見慣れた組み合わせがある。

 

Ⅲ.その結果、関係性には、非難、怒り、抑うつを続けて崩壊に向かうか、あるいは

成長を目指すかという選択肢が残される。私たちが成長し、関係性が私たちの

恒常的な投資にふさわしい現実的な経験に進展していくための唯一の方法は、

投影や転移を何度も引きもどし、それらを自分の「影」として認識し、

自分自身の精神的な幸福や成長に対する責任を負うことである。

またパートナーが同じ努力をすることを支えなければならない。

                     『「影」の心理学』 P135、136 

    (ジェイムス・ホリス著 神谷正光・青木聡(共訳)/コスモスライブラリー)

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

この頃、大人が自分自身の暗い一面を投影する相手が、子どもになっているなぁ、

それも幼稚園の年少さんのように、昔ならまだ集団生活をしていなかったような年齢の子

まで投影の相手になっているなぁ、と妙に気にかかっていました。

特に、大人がこうであってほしいと願う枠からはみ出してしまう子は、

親にとっても園や学校の先生にとっても他児の親にとっても、

投影の対象となりがちです。

(心理学上の投影とは、自己の悪い面を認めたくないとき、他の人間にその悪い面を押し

付けてしまうような心の働きのことです。)

 どうしてそんなことが起こるのかと考えるうちに、人間関係が希薄な現在は、

大人がそれまで生きてくる道で、

「投影や転移を何度も引きもどし、それらを自分の影として認識し、

自分自身の精神的な幸福や成長に対する責任を負う」なんて作業ができるほど

本当の意味で人と関わってきていないからのかもしれない、と思いあたりました。


 


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 10

2014-07-14 16:19:24 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

(今回は、タイトルから少し脱線します)

前回の記事で、「安全な形で悪と関わる」ということを書きました。

具体的な例がないと、わかりにくいですよね。

 

特別、過敏な性質ではない一般的な子たちの遊びにも、

定期的に「悪の匂い」のするものが登場します。

泥棒、強盗、地獄、お化け、事件、災害にまつわるごっこ遊び。

誰かを驚かせたり困らせるためのいたずら、毒薬作り、爆弾作り、武器作り、汚い言葉。

悪にまつわる想像力が子どもたちを魅了して、そんな遊びに憑きものでもついたように

熱中させる時、それは「安全な形で悪と関わる」という体験になると思っています。

 

小学校就学など新しい生活がスタートする前後、生活が単調で不満が溜まっている時期、

一人の子がトラウマとなる体験をしたあと、精神的に急成長する時期、

親子関係や友だち関係が刷新される時などに現れやすいです。

 

つい先日も、年長さんと1年生の女の子たちのグループでこんなことがありました。

 

この日は、日時の調整の関係で他のグループのAちゃんが参加していた上、

当日、急きょ、妹の付き添いで来ていたBちゃんのお兄ちゃんにもレッスンに

参加してもらうことになったので、狭い教室が定員オーバー気味でした。

 でも、たまには、そんなごちゃごちゃざわざわした日も、

それはそれで、そんな日だからこそできることやそこから得るものがあるものです。

 

お母さんたちが席をはずしたあと、

子どもたちと「今日、どんなことをしてみたいか」を話しあったところ、

「部屋中に、ブロック板や積み木を敷き詰めて、お母さんたちが帰ってきたら

座れないようにしよう」という意見で意気投合しました。

 

狭い教室内に6人の子がひしめきあっていると、

おもちゃを広げると足の踏み場もないのですが、

いっそのこと、足の踏み場を完全になくしてしまえば、戻ってきたお母さんたちが

びっくりしたり困ったりしてさぞ面白かろう……という逆転の発想。

 

実はそのアイデアが出るまで、暑さ負けしたのか、「先生、わたしもう、

ドールハウス作りとか飽きちゃったのよ。作りすぎたの」

「何をするかって?何でもいい、でも実験とか嫌。工作も嫌」といった後ろ向きな意見が

続いていました。

が、いったん、「お母さんたちが教室に入れないようにしてやろう、困らせてやろう」

という「悪の匂い」のするアイデアが出たとたん、

集まった子ら全員にエネルギーがみなぎり出しました。

 

グループきってのいたずらっ子のBちゃんと、

新しい小学生としての生活に不慣れなためか妙に高いテンションのCちゃんが、

「教室の入り口付近にスカイツリーみたい高い高い塔を建てて、

お母さんが入ってきたら、その塔のせいで教室に入れないようにしようよ」

「じゃあ靴を脱ごうとしたら、それが倒れるようにしておいたら?」と

大はしゃぎ。

知能犯のDちゃんが、どこからか細いチューブを見つけてきて、

「塔にこれをつけて、部屋に入ろうとしたら、水がかかるようにしてもいい?」と

聞いてきました。

「それはやり過ぎよ。その代わり、水が出ているってことなら、いいんじゃない?

シャワーみたいに」と注意すると、納得してチューブだけを取り付けていました。

が、少しすると、ねんどをキャラメル包みにしたものを玄関先に置こうとし、

それには、場にいたみんなが、「そーれーはーやり過ぎじゃないの?そんなの踏んだら、

本当に困っちゃうじゃない!!」と、待ったをかけていました。

 

気の優しいEちゃんだけが、

「お母さんたちに意地悪しちゃおう」というノリに戸惑いながら、

黙々と作品作りをしていました。

↑ 後からビー玉の水を流す予定で、川を作っています。

 

川の横は田んぼ。ブロックにモールの稲を植えています。

 

 

教室中を埋め尽くした作品。川、橋、線路、水族館、

動物園、サファリ、道路、立てかけた椅子に座ると崩れる仕掛けの崖、二階建ての家、

いたずら満載の高い塔などができました。

 

「安全な形で悪と関わる」といえば、わが子たちが子どもの頃していた遊びも、

大人が規定する善といったものを引っ繰り返すからこそ面白くて、夢中になれて、

自立心を育むものでもありました。

 

『遊びが育むやる気と問題を乗り越える力』という過去記事を紹介しますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 娘が5、6年生、息子が2、3年生のとき、近所の子どもたちと一緒に、

息子を社長にして、「そそそ会社」という架空の会社を立ち上げていました。

娘と娘の友だちは、いつも息子をからかったり、

キツイ言葉をかけたりしているのですが、社長に祭り上げているあたり……

遊びを生み出す発想力に関しては息子のことを一目置いてたんでしょうね。

「この子の思いつくアイデアに乗ってたら、はずれがなく面白いはず」と。


娘と娘の友だちは、いつも社長より一段上の会長職か何か……のような立ち位置にいて、

陰の支配者のようにも見えました。


この会社、子どもたちの思いつくままにどんどん事業を広げて、

(よく思いつくもの……と呆れるうちに……)

テレビゲーム製作部門、おもちゃ製作部門、販売部門、映画制作部門、販売部門、

プレイパークの運営……あげくの果てには、学校経営にまで手を出していました。

それで、近所の低学年を勧誘して、面接試験をし、社員研修までおこなっていました。

この試験とか、社員研修といったアイデアや内容は、ほとんど娘の友だちが考えていました。

「将来はシナリオライター?」と思うほど、おもしろおかしい文章やアイデアがつらつら

出てくる子なんです。

二階で好き勝手に遊んでいるのですが、時々、聞いていると、この「そそそ会社」の

面接試験も、経営している学校の入学試験も、世間の価値観の逆さまなのです。

「トイレに行ったあとで手を洗いますか?」といった質問には

「いいえ」と答えないと減点されて、試験に落とされたりするのです。

本気で試験に挑んでいた子が、泣きながら試験に落ちた~と

私のところに訴えてきたこともありました。

時折、バーッと外に出て行っていなくなったな~と思うと、バタバタ駆け戻ってきて、

また遊びが再開するという繰り返し……でした。


子どもって、親が選ぶ「良いこと」だけでは育たないな~

子どもが大きくなるにつれて感じます。

子どもの気持ちを前向きでチャレンジャーにしてくれるのは、

失敗したってどうってことない、飽きたら次を考えれば済む~という

環境のゆるさだったりします。

「新しくこんなことしてみたい、自分の全力をこれに傾けてみたい」とひらめいたとき、

一瞬の迷いも、大人への遠慮も、罪悪感もなく、

自分をその中にどっぷり投入できる……。

それが子供だけでする自由な遊びのよさですよね。

思い通りにいかないことが多いこと、頭をしっかり使わないとすぐ退屈すること、

きょうだいも、友だちも、自分から働きかけて、一生懸命、説得するなり、

ぶつかりあうなりしないと、親や大人たちのように、簡単に折れてくれないこと……。

とにかくジレンマを感じる場面に何度もぶつかるし、

考えてもみなかった事態に遭遇することもよくあります。

でも、それが、「どうしてもこれがやりたい!」という気持ちに駆り立ててくれるし、

退屈ついでの言い争いが、多少のことにくじけず、あきらめず、

どうすればいいのか考え続ける挑戦し続ける姿勢を作ってくれるのです。


私は毎日の子どもの生活に、退屈や無駄やけんかや、

大人から見ると「無意味で非効率的」なことがたくさんあるといいな~

と感じています。また、親の私が正しいと思う考えとは対極にあるものも

チラホラあるのがいいな~とも。

実際、子どもたちがかなり大きくなってみると、私が価値をおいていなかったものが、

子どもたちを鍛え成長させてくれていたことがよくわかります。


ふるまりさんの記事にもうひとつリンクさせていただいて↓

★「輪ゴムをひっかけてあそぼう」オモチャ


タロウくんが地団駄を踏んで、「これがしたいんだ~」「これじゃなきゃダメなんだ~」

と訴えて、その熱意におされて、しぶしぶ工作準備に手を貸す様子が描かれています。

これを読んで、そうそう~、もし最初から、

「お母さんはいつでもあなたの工作に手を貸しますよ、スタンバイしてますよ」

だったり、

「子どもに工作をしてほしいのは、本人よりお母さんかもしれない」って

状況だったり、

「工作教室で、きちっと材料が整っていて、今工作の時間ですよ」

だったりしたら、それほど工作に熱が入るのか……。

工作以外のことまで、貪欲にやりたいがんばりたいという気持ちが起こるのか、

疑問だな……と感じました。

こうしたところに、子どもをやる気にさせる、主体的にさせる原動力が生まれる

瞬間が潜んでいて、それは大人が「がんばって」作ろうとすると

すごく難しいことだなと感じるのです。

まず、本気で交渉すれば相手が動くという経験なり信頼感がベースにあって、

それでいて、まあまあ手ごわかったり、思い通りいかなかったりして、

軽いジレンマや、必死に、あの手この手でぶつかる時間があって……

つまり、時間に追われていないことが大事で、

その後、人と人との間で自分の思いが達成できたという満足感が残るという経験。

そうした繰り返しのなかでこそ、

自分の知力や、技術力や、体力や、精神力の限界が把握できるし、

自分が何がやりたいのか、内面から湧き上がってくるものを実感できるのですよね。


2歳くらいの子でも、新しいおもちゃを渡しても見向きもしなかったりするのに、

お友だちが持っていると欲しくなる、取り合うとさらに欲しくなって、

ものすごくやってみたくなる、

いつもならすぐに飽きてポイなのに、渡したくないからおもちゃに熱中するという

瞬間がありますよね。

そうやって人と人との間でジレンマを抱きながら、

自分の気持ちがワーっと湧いてくるから、

いろんなことに夢中になれるようになるのですよね。

もちろん勉強だって、大人の期待に応える形ではなく、

また級とか賞とか、プレゼントとか関係ないところで

「自分自身の心が強く強く何かを欲した経験」がベースになって、

がんばれるようになるのだと感じます。


うちの子たちの小学生時代のことを思い返すと、何が良かったのかって、

大人の価値観に真っ向から反抗して、好きなように無駄をやりつくして、

ひとつも「大人のため」が入っていない世界で、自分のしたいことをした、

やりたいことのエネルギーがいくらでも湧いてきたという経験なのでしょうね。

そこで、すっきりとゼロの自分になって、

自分の人生にどんな計画を思い描こう、

この人生に自分の知力、技術、体力、精神力の全てを投入して何をやってやろう!

って力が湧いてきたのでしょう。

そして、今度は、一歩、現実の世界にも足を踏み入れて、その力を勉強なり、

人との関係の構築なり、使い出すのだと思います。


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 9

2014-07-13 21:23:46 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

大人が思わず眉をひそめたくなるような『タブー』となっているものや

『悪』と認識されているものと安全な形で関わることが、

緊張が強くてなかなか周囲と打ち解けるのが難しい子を

外の世界との関係へと誘い出すのを、何度も目にしています。

それは、他の人の思いやルールを受け入れることにもつながります。

 

また、周囲はもちろん、自分自身も震え上がらせてしまうような攻撃性を

アウトプットしてしまったり、

「許されないかもしれない」と感じるほどのことをやってしまったりして、

叱られるには叱られたし、泣けるだけ泣いたりしたあとで、

大人のちょっとしたことで揺るがない強さや、地に足がついたどっしりした姿を

肌で感じたときや、

大人がさまざまな視点で物事を眺めていることや、子どもが思っているより

広い視野で考えていることに気づくときも、

子どもは固い殻を破って、自ら外へ歩み出てくるようです。

 

そうしたプロセスを、経験的にはよく知っているし、わかってもいるけれど、

うまく説明できないもどかしさに苦しんでいました。

そこで、助けを求めるように河合隼雄先生の『子どもと悪』を読み返しました。

 

河合先生が、「悪の問題を論じるのに、最初に『悪と創造』を論じるのは、

思いきったことのように感じられるかも知れない」と前置きした上で、

冒頭から、悪と創造の関係について語っておられます。

著書の一部を短くまとめて紹介しますね。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

悪には、文化差のようなものが存在して、個人差を強調しすぎるきらいがある

アメリカでは、子どもが他と異なる意見を言おうとするのを教師も応援しているし、

しっかり他人と同調すると「悪」の烙印を押されそうでもあります。

一方、日本においては、創造性が悪に接近して受け止められる度合いが高いのです。

「いい子」を育てようと、教育熱心な社会では、

子どもが創造的であり個性的であろうとすることが、悪と見なされることも

多々あります。


創造性は想像によって支えられていて、想像する力なしに創造はできません。

創造につながっているような想像というのは、表層的なものではなく、

自分の存在全体と関わってくるものです。

想像のレベルが深くなってくると、平素は抑圧している内容が含まれ出すので、

悪とかかわってくることもあります。


悪は大変な破壊性を持っているものだし、理屈抜きに許されない悪があるのも確かです。

しかし、悪とは一筋縄でいかないもので、排除すればいいというものでもありません。

教師や親が悪を排除することによって「よい子」をつくろうと焦ると、

結局は大きい悪を招き寄せることになってしまうのです。

 

悪は不思議な両義性を持っています。

それを端的に示す例が、「悪と創造性」ということになります。

悪は取り返しのつかない破壊力を持つ一方で、未知のものを秘め、活力に満ち、

古い秩序を解体して、新しいものを生み出そうとする力にもつながっています。


                    『子どもと悪』河合隼雄/岩波書店

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 

 


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 8

2014-07-12 22:23:35 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

緊張の強い子たちが、「何か悪さをしてやろう」とか「腹立ちまぎれに八つ当たりしてやれ」とばかりに、

自分の意思で動いた結果、叱られることは稀なのかもしれません。

たいてい、気づいた時には叱られていて、

叱られて初めて自分のしでかしたことに茫然と

してしまうという子がほとんどなのでしょう。

 

高まっていく不安にがんじがらめになって泣き叫んだり、

フリーズしたまま頑なに活動に参加しようとしなかったり、

テンションが上がってつい調子に乗り過ぎたりした揚句、

身近な人をイライラさせたり、がっかりさせたり、爆発させたりする

(緊張の強い子たちにとって日常茶飯事の)出来事は、

周囲の予想以上に子どもの自己肯定感を下げたり、自分と世界への信頼感を失わさせている

のかもしれません。

 

そのせいか、「悪さ」や「いたずら」や「嘘」や「汚いこと」といったダークな話題に敏感で、

先の4歳の子の武勇伝の話をした時ように、タブーとなっている事柄を

ユーモアを交えて、自由に言葉にできる雰囲気があると、

何ともいえないうれしそうな笑顔を浮かべたり、緊張を緩めてホッとしたような安堵の表情を見せたり、

いきいきと目を輝かせて話に乗ってきたりします。

遊びの世界でも、安全な枠を設けながら、

「これまでこうした失敗を繰り返して、傷ついたことがあるんだろうな」といったことを

自由にアウトプットできるようにしていると、ちょっと派目をはずしているな……という状態から、

だんだん内省的で落ち着いた状態に変化していって、周囲に打ち解けていきます。

そんな折に、ポロッと口にする言葉から、

「この子は自分はものすごく悪い子だと思い込んでいたんだな」とか、

「自分を信用できなくなっているんだな」と気づくことがあります。

 

次回に続きます。

 


緊張が強い子 と 心と心が近づく時、お互いの絆が生じる時 7

2014-07-11 15:31:42 | 自閉症スペクトラム・学習が気がかりな子

先日、初めて教室に来た4歳の男の子に

「棚の上のものを勝手に取ったら危ないよ。取りたいものがあったら、

先生に言ってね」と注意したところ、すっかりむくれてしまいました。

自分の服についているひもの先をつまんで、そうっとそうっとこちらに近づいてきて、

注射器でちくんと刺す真似なんでしょうけど、それをわたしの腕に押しつけてきました。

顔は「先生をこらしめてやるぞ」と真剣そのものなのですが、

ひもの先は丸いし、押しつけるといっても、そろりそろりとこちらが

気づかないくらいの力の入れよう。

あまりにも攻撃力がない武器に、あきれるやらおかしいやら……。

 

その話を教室に来た少し大きな子たちに話すと、

「先生が4歳の子にやっつけられた」と大受けで、

この男の子は「先生をこてんぱにやっつけた(子どもたちの言葉)武勇伝の持ち主」

として、話の上ですっかり人気者になっていました。

いろいろな年代の子らと、この話題で盛り上がっていたとき、

その反応にハッとする瞬間が何度かありました。

 

普段からちょっと緊張が強いAくんのお姉ちゃんのBちゃんが、

この話を小耳にはさむやいなや、「えっ?悪い子の話?Aのこと?」とたずねました。

内容ははっきり聞こえなかったけれど、

「ええー!先生、やっつけられたの?」「うわぁ、わっるー」という友だちの相槌を

聞いて、Aくんの話だと思ったようです。

 

Aくんはひねくれた性格でも乱暴でもなく、むしろ情に厚くて人懐っこい性質です。

でも、感覚が過敏だったり、力加減を調節するのが苦手だったりするので、

おふざけのつもりで始めた行為がついエスカレートしがちで、

対人面での失敗が多いのです。

Aくん、Bちゃんのお母さんは決して子どもを悪い子扱いする方ではありません。

これまでも子どもたちのことを、悪く言うのを聞いたことがないほどです。

でも、「悪い子の噂」と聞いて、Bちゃんの口に即座にAくんの名前があがったのは、

常に「Aくんが悪さをして注意を受けるかも……」というピリピリした思いが

胸の中にあるからなのかもしれません。

当のAくんは、Bちゃんに「えっ?悪い子の話?Aのこと?」と言われても、

「何でぼくが?」と言い返すわけでもなく、

「ちがうちがう。この間、先生が、おそろしくこわーい目にあったのよ。

実は全然、こわくないんだけどね。ほら、パーカーのフードの部分をキューッとしぼる

部分についているようなひもがあるでしょ。その先っぽは、とんがってもいないし、

固くもなくて……」というこちらの話に引きこまれて熱心に耳を傾けたあとで、

照れたように静かに笑っていました。

 

次回に続きます。

 

 


子どもの個性と才能に付き合うこと 3

2014-07-09 16:33:32 | 子どもの個性と学習タイプ

Aちゃん、Bちゃん、Cちゃんのレッスンで、

親御さんたちと、それぞれの子の個性的な才能について、話を交わしたことを

書きました。

Cちゃんが教室に来た2歳の頃から数年は、お母さんと離れるのが難しい

緊張の強い性質が目立っていました。

けれども年長となった今は、同年代の子といると、一つ二つ、年が上だと間違われる

ような、社会性の面でも知恵の面でも優れている凛としたお姉さんタイプに成長して

います。

いつの間にか、過敏なところは、細かいことまで正確に見極めて判断できる力になり、

慎重すぎる面は、自分がこれからすることを計画したり、ミスしないように

気をつけたり、よりよく考える姿勢に変わっていました。

お母さんによると、家でお友だちのことを悪く言ったことが一度もないので、

良い子を演じてがんばりすぎていないか心配なのだそうです。

でも、虹色教室で見るCちゃんは、いつも明るくて優しいのでお友だちから人気があるけれど、

自分を抑え過ぎたり、周囲に同調したり流されたりすることはまずなくて、

芯が強く、自分の思いをはっきりと言葉で表現する子です。

また困ったことにぶつかると、けんかをせずに

自分の知恵で解決を図る子でもあります。

今回も、いたずらっぽくCちゃんの粘土のパフェに保水材の玉を入れようとする

Aちゃんに対して、

「水で粘土が溶けたら嫌なの。きれいなケーキやパフェが作りたいのよ」と告げて、

「先生、できたのをこっちの誰も触らない場所に置いておいてもいい?」とたずね、

自分の作品を安全な場所に移してから、Aちゃんと楽しそうに遊んでいました。

 

Cちゃんは他の誰よりもわたしから新しい工作技術を習うのを楽しみにしていて、

完璧にできるまで何度も練習します。

そんなふうに、こちらの教えることをしっかり学びとろうとする一方で、

自分なりの色や形を工夫して美的なセンスが高い作品を作ります。

 

 

算数タイムにこぐま会の「逆対応」のプリントをしました。

5人に同じ量のジュースを配り、飲んだ後のコップを見比べて、

一番多く飲んだコップ、二番目に多く飲んだコップ……の順に異なる記号を書いていきます。

3人ともしっかり解いていました。