虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

学校に通いだしたら、どんどん勉強嫌いになっていく? 1

2010-07-07 23:42:18 | 教育論 読者の方からのQ&A
『明後日(あさって)』の感覚って聞いたことがありますか?
アーティストの日比野克彦氏が、哲学者で大阪大学総長の鷲田精一氏との
対談中に使っておられた言葉なんですが、
目にしたとたん、
「良い言葉だな~」という感動を通り越して、
自分の生きてきた方法とか、やってきたこととか、考えてきたこととか、
そうしたもの全てに太い一本の芯が通って、
「あ~、私はこうした感覚を大事にしてきたんだ」
と納得したような気持ちになりました。


日比野氏が、

明日のことはある程度はっきりわかる。1ヶ月後のことは全然わからない。自分の絵の描き方やワークショップなどの共同作業は、
ちょうど、「明後日」のように、ぼんやりと大まかなところだけわかっている感じなんです。
……(中略)ある一つのアクションが次のアクションを生み、この人と出会ったから、このアクションにつながっていく。
いつもその連続です。
絵も同じで、大まかな方向性はありますが、「黒い線を描いた、この次はどうしよう」と、まず一手を描かないと次の一手を思いつかないものです。……(略)

と、アーティスト自身が先行きを正確に把握しないまま進んでいくプロジェクト
について、「明後日」の感覚という言葉で言い表したところ、

鷲田氏が、

そういうプロセスには、「新しい社会性」とでもいうものを模索していくヒントがあるような気がします……(続く)

といったこと答えておられるんです。

以前、教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 1
教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 2
教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 3
教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 4
教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 5
教育現場に必要な 『ブラックボックス』 という言葉 6
という一連の記事を書いて、教育の場に、『ブラックボックス』という言葉が必要なのでは?……といったことを書いたことがあります。
子どもたちが、ブラックボックス化する世界に生きていることを無視したまま、、パソコンや携帯ゲームや、○○○計算や○○時間といったよさげ~な方法だけ取り入れても、子どもたちが主体的に勉強していく方向には、
機能しないんじゃないかな?
という疑問を言葉にしたものです。
(多くの方が、同じようなことを考えていたそうでした)


日比野氏の『明後日(あさって)』の感覚という言葉に出会ったとき、村上陽一郎氏の『ブラックボックス』という言葉を目にしたときと同じような強い衝撃を受けました。
そして、この『明後日(あさって)』の感覚という言葉もまた、
「教育現場に必要な言葉じゃないかな?」
「子どもが意欲ややる気を取り戻すキーワードじゃないかな?」という
思いにかられました。

虹色教室で子どもたちに学ばせているとき、私には、
どうすれば子どもたちのやる気や意欲が盛り上がってきて、知りたい!調べてみたい!もっとがんばりたい!という気持ちになるのか、
だいたいのところ勘でわかっているんです。

それは、「自分は既存のきまったコースをなぞってるだけじゃないんだ」という感覚……というか、
「ある方向性はあるけれど、進んでいく先はガチガチに固まったもんじゃないんだ」
「自分のアイデアや考えや発言が、未来を変えてく影響力を持っているんだ」
という感覚でレッスンを受けているということです。

教室で、時々、にんじゃブームとか、日本全国のゆるきゃらを覚えようブームとか、宇宙の実験ブームとかが巻き起こるのですが、
最初の火付け役の子たちの時期には、
黒い布切れにもぐって宇宙気分を味わうことから、宇宙への興味が膨らんでいくような、教材は整ってないし、やることは見えてないしで、
言わばレッスンとしたら、「レベル低い!」状態なんです。
でも、そんなカオスな時期こそ、子どもたちは、「こうしたら?」「これしたい!」「なんでだろ?」と主体的に自分で動いて、それは熱心に学びたがるんです。
そのブームが飛び火して、他の子たちの興味も加わるにつれ、
私は子どもたちがワクワクして熱中していた学習課題を扱いやすい教材にして、
「宇宙」といったタイトルのついた箱の中に溜めていきます。

すると、大人の目には、箱を開けるだけでワクワクするような
教材パックができあがるんです。
もたつかずに、「わ~」っという感動や、
「そういうことだったのか」という知識を得るのも手っ取りばやくて、
大人は満足。
でも、最初の子たちに比べたら、ものすごく良い教育環境……のはずが、
後の子たちほど、しら~っとやる気がない状態に陥ってしまいがちなのです。
そこから、発展させて自分で調べてみようという気持ちになりにくく、
「見て、不思議でしょ?」と、笛吹けど踊らずという状態です。

同じように見えるけど、
むしろ、後の方がよっぽど魅力的なのに、
何がどうやる気や意欲を半減させるのでしょう……?

大人が何日も前から事前に準備していた魅力的なプロジェクトよりも、
下の記事のような3歳の子のふとした発見の方が、どうして子どもたちの探求心に火をつける場合があるのでしょう?

★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 1
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 2
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 3
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 4
★3歳の子の発見から、発明、研究、工作の輪 5

子どもの意欲ややる気の盛り上がりって、ランダムでその日のお天気で決まっているように見えて、
やっぱり言葉にして整理できる一定のルールが存在する気がしています。

うちの息子が、小学3,4年生の頃、
ビデオカメラ片手に友だちと映画を撮ることに熱中していたことがありました。
上映会というのに、引っ張っていかれて見たら、
期待以上の面白さで、
「今度、もっと良いのができたら、公募に応募したらどう?
映像作品の募集がないか調べてあげるわ」と言ったことがあります。
すると、息子は呆れたように、
「お母さんは、遊びってものがわかっていないな~。
何かのためとか、結果とか気にせず、自由にやるから遊びで、
だから面白いんだよ」
と言い返されたことがあります。

子どもって、もともと功利的じゃないんですよね。
「遊び心」が汚されていない場や時間の中ではじめて、
いきいきと自分を発揮できるし、
思いきりがんばれるし、頭をしぼりきって考えられるのでしょう。
それと、遊んでいる途中で、映画作りが、探偵ごっこに変わるかもしれないし、
まったく別の興味へと流れていくかもしれない
という未来が固定されていない感じが、
今の集中や全力投球を支えているのでしょう。

そういえば、昔、私が通ってた小学校や高校(中学は荒れてました)は、きちんと学校としての秩序は保たれていたけれど、日比野氏の言った
『明後日(あさって)』の感覚というものが、いろんな場の底流に流れていて、
私たちの好奇心を持続するのに役立っていたな~と思いあたりました。

まだタイトルの話題に達していませんが……
次回に続きます。


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