虹色教室通信

遊びや工作を通して 子どもを伸ばす方法を紹介します。

欠点の中で輝くかけがえのない個性と才能

2018-08-03 18:46:08 | 子どもたちの発見

小学1年生のAくんは、工作が大好きな男の子です。

ただ、「こういうものが作りたい」という自分の中の「好き」に対する思いが強く、

色、形、感触などありとあらゆる部分にこだわる完璧主義が災いして

制作過程は亀の歩み。

これではどう見積もっても、3日はかかる、という作り方をするのもざらです。

年長の頃は、ワニや大蛇を実物大に作るだけじゃなくて、

皮の質感をそっくりに作るのにそれは苦労していました。

 

最近のAくんのブームは、ポケモンです。

「ゼクロムが作りたいから、パソコンで画像を検索して!」と頼まれたので、

パソコンで画像を検索して、印刷することにしました。

いざ、画像を探し出すと、Aくんは、「これは向きがちがう」「これは色がおかしい」

「これはあんまりよくない」と延々と選び続けて、いっこうに作る作業に進めませんでいした。

あんまり何度もそれを繰り返すので、その都度、パソコンの操作方法を教えていると、

Aくんはその作業をすっかり覚えてしまって、

「マニューラ画像って検索して。それから、このタグの画像で開くって押して!

そう、そして、印刷を選んで!」

とわたしの背後から指示を与えるほどになっていました。

 ようやく画像を選び終えると、

今度は粘土の色付けです。教室では指が汚れにくい着色法として、水性ペンを

使って粘土に色を練りこむのが主流です。それが、Aくん、どうしてもそれだと思うような

ゼクロムの色が作れないというので、結局、絵具の黒や緑を使って手をどろどろにして

色付けました。

そしてようやく形作り。

本物そっくりに作るには、パーツごとに分解して、それらを合体してこしらえなくて

はなりませんでした。

羽根の部分は、対称になるし、刃物のような鋭敏さがいるというので、ハサミを使って細かく

細工をほどこしました。

対称に作るのが難しかったので、わたしから方法を習うのですが、そこで

時間をかなりのロスしてしまいました。そして、針金をニッパーで切って

差し込む際、「針金が飛び出るよ」とAくんが言うので、先を

まげて入れることに。

そうして羽根、身体、手、手のカバーと作っていくのですが、粘土が足りなくなって、

また1から色の作り直し。その工程のひとつも手抜きしません。

結局、算数のレッスン時間ぎりぎりまでかかって、

パーツの半分を作り終えただけで終わりました。

本来なら、あまりに完璧主義に陥って、延々と画像を選んでいたり、

いつまでも粘土の色作りをしていたり

する時に、時間配分についてアドバイスしておくのも

大事だと思うんです。

他の子にならそうしたかもしれません。

結局、この日は仕上がらず、家で続きをすることになりました。

 

でも、わたしはAくんに対しては、したいようにさせました。

選びたいだけ選ばせ、

満足いくまで色混ぜもさせていました。

なぜかというと、Aくんは、

ただ、優柔不断に「決まらない」から、長い時間、画像選びをしていたのでなくて、

どこがまずくてどこがいいのか言葉にしながら、

非常に洗練されたセンスで、一番良いものを選んでいましたから。

 

それに粘土の色を作り出す時も、色に対する確かな判断力を見せていました。

Aくんには完璧にしたい自分の気持ちを全うしきるほどの粘り強さがありましたし、

針金を扱ったり、難しい道具の扱いを習うことも嫌がらない学ぶ姿勢がありました。

それは、Aくんならではの個性であり強みです。

 

ですから、そうした個性的な強みを十分に発揮させてあげることは、

時間内に作る以上に重要なことだと感じたのです。

 それで、親御さんには、

「Aくんの気持ちはわかるけど、この場所では、好きなようにできないの、

時間内にできあがるようにしなさい、ひとつのことにいつまでもこだわらずさっさとしなさい、と、

追い立てて作業させる場や時間の方が圧倒的に多いと思うんです。

集団の場でしたら、そうしたことは、ぐずぐずしている、遅い、未完成、といった

マイナスにしかとらえられなかったり、より良い方法というのを

指導されることもあるはずです。

ですから、虹色教室では、Aくんらしさを

魅力的ですばらしいものと感じているということが伝わるようにしたいんです。

Aくんが自分の長所を現実の世界に出してみて、認められる、それをいい思い出として

記憶に残らせてあげたいんです」と話しました。

 

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下の写真はユースで小学3年生のCくんが作っていた巨大な体の一部です。

この作品、かなり巨大なもので、腰から下を作った時点で、親御さんが持参していた

粘土を何袋も使っていました。

Cくんの粘土の消費量があまりにすごいので、親御さんが、自分の作りたいもののために

材料がどのくらいいるかということも、ちょっと頭の隅に置いて

作っていくようにとアドバイスしていていました。

確かに、あったらあるだけ使い果たす、それでも足りないというような

豪快な材料の使い方をされたら、用意する側はたまったものじゃないですし、

自分の行動をメタな視点で眺める力も身に着けてほしいと思うのは当然です。

もし他の子であったら、「いくらなんでも粘土の使い過ぎです」と注意するところ、

Cくんに関しては、使いたいだけ使わせてあげて、作りたいものを限界まで

作らせてあげてはどうかと感じました。

幼稚園の頃から、Cくんがデュプロで作る駅や建物は、

非常に独創的で完成度が高いものでした。

線路を作るにしても、傍らにゴムを通した電信柱をどこまでも配置して

圧倒するような風景をこしらえていました。

工作では、段ボールを使って、さまざまな細工をこらしたビー玉転がしを作ったり、

箱やストローでおしゃれな建築物やモニュメントを作ることもありました。

 

そんなAくんに創作指導によって小さくまとまってほしくない、

枠からはみだすほどのエネルギッシュなものを生み出してほしい、そんな思いがあるので、

物の無駄使いくらいはむしろ応援してあげたい、と思ったのです。

あなたの作品に、あなたというものを感じました、

子ども時代のひとこまに、そんなメッセージを残したいと感じたのです。

 

 学校のような集団の場やフランチャイズの教育の場だと、

そこで教育されることによって、個性的な良い面を平凡なものへと整えられていく、

矯正されていく、ということもあると思うんです。

だから、子どもと個人的に出会える場では、

(集団の場での教育はさまざまな恩恵を得れることは認める傍ら)

そうした集団ゆえのしょうがなさから、

子どもの個を守ってあげるような関わり方をしてあげたいと思っているんです。

 

↑ 太陽系の見本と、粘土で作った惑星。

 


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