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学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

文句が多いのは齢のせい?

2024-07-12 16:27:09 | 日記
 テレビを見て1日を過ごす類の年寄りではないのだが、テレビを見ながらの文句が多くなってきた。歳のせいかもと思う理由は、若い人達はそんなことを考えている暇などないはずだから。
 お昼になると詳し過ぎる民放の天気予報、一般の人は天気予報士になりたいと思ってみているわけではない。簡単で的確な予報が聞けたらそれで大満足なのに、天気図から気圧の配置の理由、など詳し過ぎて”もういいよ”となる。夕方にはNHKのニュース番組、アイドルのような服装の女子アナ達、そして番組の終わりには軽装の出演者達のお辞儀が”丁寧過ぎ"て違和感を覚えたりする。時代が変化して僕らの時代とは違うのなら、にこやかに、手でも振って終わった方が親しみが湧いてくるのにと考えたりする。なにかがチグハグな感じがしてしかたがない。
 ところで、”過ぎる”、と言えば我が家にくる少し年配の宅配のおじさんは丁寧過ぎてこちらが恐縮してしまうほどの勢いだ。本当にありがたそうに「いつも利用していただいてありがとうございます」から始まって「またよろしくお願いいたします」で終わる。いやいや、そんなに言ってくれなくても…「ありがとう。ご苦労様です」と返事を返す。子供への過保護場合は「過」とは本人が望んでいないことを押し付けること、まさに、「過ぎたるは及ばざるがごとし」である。英語ではToo much is as bad as too little.となって、日本語訳は “(何事も)やり過ぎは何もしないことに等しく碌(ろく)なことはない” となるのだろうか。

頭の中で”はてなマーク"が交錯するとき

2024-07-09 16:14:42 | 日記
 アメリカの大統領選挙に関わるニュースを追っていて、バイデン大統領の高齢が問題になっていることを知った。もともと言い間違いや聞き間違い、舌足らずが多い人という定評があるようだが、確かにワールドニュースのインタビュウをみているとちょっと不安になってくる。アメリカの大統領となると体力的にかなり厳しいものがあることは想像に難くないのだが。
 歳をとるとひょんなことから昔のことを思い出す。バイデンさんの言い間違いや言葉不足で思い出したことがある。もう何年も前のことだが本当にあった話である。我が家から車で20分ほど走ったところの駐車場の脇の歩道に手書きの看板が立てられていて「ここは駐車場です。ここに車を止めないでください」とあったのだ。かなり車の往来が激しい道路に面した駐車場の前は平均的な歩道、その一角に建てられた看板である。あの看板の舌足らずというか言葉足らずというかを補足すれば、「ここは駐車場の入り口です。前を塞ぐ車の路上駐車はお控えください」となるのだろう。曖昧な言葉や、説明を必要とする言葉は誤解を招くことになることを学んだ看板だった。大学に通う途中にあった看板で、何度も看板の書き換えを提案しようとして胸がドキドキ、撤去されるまでの1ヶ月余り結局はなにもしなかった、そんな日々のことを思い出したのだ。街歩きで看板英語の研究をしている時期のことで注意していると面白い発見をすることも多々あった。「正解の逆、誤解とは頭の中を(?)マークが散らつく時に起こる」と定義できるかもしれないなどと考えていた。とは言え、誤解や間違いがあるから人生は面白いと思う時もある。

「ど忘れ」は信じられないほどの物忘れ

2024-07-05 17:50:09 | 日記
 ふっと自分の記憶から消えることを「ど忘れ」という。若い時からある現象でそれほど気にはならないけれど歳をとってこれが起こると急に認知症と結びつけたりしてなんとなくこころが落ち着かない。今朝は何をしにこの部屋に、と不意に忘れてしまった。元に戻って順をおって数分前を遡っていくと思い出した。あれこれついでにしておこうなどと横着をしようとするからこんなことが起こる。ま、それはいいとして昨日は漢字のど忘れで、国語辞典を引っ張り出した。それでも頭を整理して漢字を書き出せたから良い勉強になった。今週の街歩きは上六(大阪の人は上本町六丁目のことを”うえろく”と言う)にしよう。そのための”界わい”の下調べをメモに、と考えた途端に漢字が書けない。「わい」の寓のような形のイメージはあるけれど…
 取り出した身近にある国語辞典によると「ど忘れ」とはいつもははっきりと記憶していることを一時的に忘れてしまうこと、とあり納得。でも”忘れる”ことの前についている「ど」とはなんぞや、と新しい疑問。「ど」は接頭語、程度が甚だしい意味や後ろの単語の意味や調子を強める役があるという。そう言えば、どぎつい、ど真ん中、ど根性、ドケチ、ドえらい、などと「ど」を超えた(?)使い道があることに気がついた。「ど忘れ」、ちょっと辛(つら)いなぁ。辛いと言えば、運転中にトイレに行きたくなって火汗をかいたり、忘れられない昔の辛い人間関係に夢の中でも悩まされたり、人生に辛いことは数々あれど、一番辛いものは歳をとってすることがなくなった時だって…。ところで”かいわい”は界隈だったんだよ~、もぉ~、ドあほ!

年寄りに完璧な身体の持ち主はいない

2024-07-02 18:01:39 | 日記
 昔の友人達との会食の後、帰りの近鉄電車の優先座席が一つ空いていた。座れたことにホッと一息、と同時に隣の席の二人の男性年寄りに気がついた。僕より大分若く見える二人の会話がまわりに筒抜けである。理由は簡単、大声とは言わないまでもかなりのボリュームでの会話が弾んでいる。内容はサプリメント。「女房には次から次へとサプリメントは飲まされるし、テレビのコマーシャルはひっきりなしに年寄りの抱える問題を指摘するし…」と日常の不満というか困りごとが話題になっていた。ウ~ン、歳をとるとはこういうことを言うんだなぁ。
 腰痛、膝痛、神経痛、おまけに頻尿、肩こり、手足の痺れ、年寄りの抱える問題を挙げれば枚挙にいとまがない。健康とは財産、その財産は運動から、もっと簡単に言えば歩くことから手に入れることができるという。年寄りの幸せとは、歩けることが一番にきて、それから立ったり座ったり、食べたり、食べ物を味わえたり、人と握手したりすることも健康のバロメーター、医者から遠ざかるか近づくかは当たり前のことが苦もなくできるかできないか。「どこも悪いところがない?それじゃ、医者に行けば良い」などという冗談がある。完璧主義の医者がなんらかの身体の悪いところを見つけてくれるはずだというジョークである。もう一つ、外見が健康な人は内側の心が健康である証拠であるともいう。心の健康は笑い、歩くことと同じように笑いは最も基本的な幸せのバロメーターだということを忘れずに…と二人に声を掛け…なかった。