今朝もまた最初の行動は新聞を取りに郵便受けに向かうことだった。聞くところによれば、新聞はなぜか老人と結びつくらしい。特に理由などを考えたこともない習慣だったのだが、年寄りに新聞好きが多いという話を耳にしたのである。なぜだろう…ちょっと考えてみることにした。
新聞の素晴らしさというものは日本、そして世界で起こっている出来事の主たるものを約30ページの紙面に網羅していることである。情報の欠如から世間に置いてきぼりにされることを恐れる老人達は新聞を読むことである種の安心感を覚える。情報収集はテレビでもできるのだが、年寄りのペースではない。じっくりとフォローできるのは新聞なのだ。そこで、自分の興味を刺激した記事は切り抜いてノートなどに貼り付けるなどという作業を楽しむようになってくるというのが一般老人がハマる習慣であるらしい。気がついてみれば何か特別な理由があるわけではなく単なる癖と呼ぶ方が当たっているとさえ思える行動となる。(現役の人の新聞の切り抜きは仕事に関係する記事の収集などで老人のそれとは中身が異なる)次に考えられる新聞との付き合いは、忘れる傾向にある漢字を確認するということである。現在の世間の傾向や考え方を確認できるだけでなく漢字の反復練習にもなって今度は忘却という恐怖から少しは解放されるのである。
素直に年寄りの新聞との関わりを考えるとこういうことになるのだが、新聞にだって偏りがあることを忘れてはならない。それでも自分の意見の形成のためにはいろんな記事に露出されることは大切だ。老人と新聞、それは自分が生きているという確認の習慣なのかもしれない。