学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

自分だけの時間

2018-10-26 19:52:11 | 日記

僕はなぜ街歩きをするのだろうかとふと考えた。先日、大阪駅の周辺の変化を見たくて出かけてみた。大阪駅は何度も電車で乗り降りしているし、グラン・フロントだって知っている。友人と大阪で待ち合わせをそこで何度もしているからだ。でも、大阪駅の周りには足を踏み入れないところが本当にたくさんある。周りの変化に取り残されたくないという意識が僕のどこかにある。そして歩きながらかつて自分が若かった頃の名残りを辿りながらひたすら辺りの変わり様に感動を覚えながらスマホで写真を撮って楽しんだ。足首から下が歩き過ぎで痛みを感じていたのだが、それでも歩き続けた。

何が目的でそんなことをしているのだろうかと不思議に思うようなことに精を出す人がいる。アメリカを旅行した時、ひたすら歩道にチョークで絵を描いている人がいた。バス停の後ろの塀に街の景色の油絵を描いている老人がいたことも思い出す。誰もそんな行為をとがめる人はいない。お金にもならない趣味(?)の世界に生きようとする人が世の中にはたくさんいる。
彼らはなぜそんなことをするのかを考えてみるとやっぱり理由があって、彼らにとっては何よりも好きなことに没頭している時が一番居心地が良いのである。生活は出来ていても仕事は嫌であったり、給料明細書に追われながら生きていることに疑問をもって自分の好きなことに時間を使いたいと思っていたり…どこかに自分の本心との葛藤があるようだ。
自分の時間を使って幸せ感を持つには何か没頭できることを見るけることなのだろう。
なぜそれをするのか、というような理由は必要なのだろうか。自分が没頭できるものを見失なわないように、自分の好きなことをし続けることに意味があるのだろう。
次のような英語を考えてみた。
You don’t have to know the why, but you should keep your urge in sight.
 (理由を知る必要はない、でも自分がしたいという衝動は目の届く所に置いておくこと)