学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

ツクシん棒は物静かに顔を出す

2023-03-17 16:34:35 | 日記
 朝起きて新聞を取りに庭に出たときに、その日の気温がなんとなく推量できる。最近は本当に冬の冷気がすっかりなくなって、春を肌に感じるようになってきた。冬の寒さが和らいで桜の開花時期が世間を賑わすこの時期は実はツクシが顔を出す時なのだ。現役の頃、大学の校内の駐車場に続く土手に生えてくるツクシ採りを何度か学生と楽しんだことがあった。ツクシは漢字では「土筆」と書く。筆の毛の部分が上にあって棒の部分が土に刺したように生えるからだという。ツクシが最近は目にすることがなくなってきた。近代化の波がツクシの生育の権利を奪い、陽光の当たる土手が各地で亡くなってきたのがその理由だと聞いた。郷愁を呼び起こす物は人によって違うだろうが、お浸しにして卵とじにしたりして食べたツクシが懐かしい。
 ウイル・ロジャースというネイティブアメリカン(チェロキー族の血をひくカーボーイ)は、映画俳優として、また社会評論家などとして19世紀後半から20世紀前半に活躍した人だが、以下のような名言を残している。“本当の文明は他の者(物)の権利を認めることを知って初めて成り立つ—-We will never have true civilization until we have learned to recognize the rights of others.”—-熊や猿が伐採による食糧不足で人の住む地域に出没するようになったと騒いでいる我々、考えてみればあまり気にも留めない声無きツクシの生育場所を奪っていることには更に気付いていない。都会とは“気付き”を失わせる所なのかもしれない。どうかどこかの田舎で生き延びてほしいと思う。「たかがツクシ、されどツクシ」である。

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