学びのプラスあるふぁ:日常の気付き

人の人生、それぞれが皆オリジナル。街を歩き人に話しかけることから「なるほど」と納得できる発見がある。

返ってきた年賀状

2021-02-05 17:24:10 | 日記
年賀状を整理していて思い出した。年末に「配達準備中に調査しましたたが、あて所に尋ねあたりません…」という赤い判が押された年賀状が一枚僕のもとに送り返されていたのだ。相手の友人からの年賀の住所を見比べてみるとどこにも間違いはない。それでは、と少し上から目線で郵便局に説明を求めて乗り込もうと勢いこんでいたのだが、寸前に女房に最終チェックを頼んでみたら、なんと僕の方に間違いが見つかった。住所の末尾の番地1001が僕が間違って1101にしていたのだ。再チェックしてもらって「よかった。ホッ!」と胸を撫で下ろした。歳のせいなのかダメだなー…、二枚を見比べてこんな数字の違いさえ見落とすなんて、と少ししょげていたらふと思いつくことがあった。郵便関係のこの種の間違い、僕の家に送られてくる葉書の郵便番号が全く出たらめの間違ったものなのにちゃんと配達されるのだ。さらに、先の友人への年賀状、僕はパソコンに打ち込んだ住所を使っているのでもうここ数年は間違った番地で配達されていたのだ。それなのに、なぜ今年はダメだったのだろう。係の人の対応なのか、余計なことなのだが何がこの配達の違いを作るのだろうかと頭の中に(?)マークがゆらゆら飛び交うのを覚えた。
僕の番地のパソコンへの打ち間違いは多分うっかりミスに当たるのだろう。間違いという漢字はなんとなく間が悪いという感が伝わってくる。字や数字を間違ったことは場所や位置の納まりが悪いというニュアンスが伝わってくるし、間違った方も間が悪いという感情が表現されているようにも思う。漢字とは本当に便利なものだ。送り返されてきたことで別に郵便局に怒鳴り込むつもりはなかったけれど、僕の頭のどこかに人のミスを上から目線で注意するというような邪念がなかったか、などと考えていたら不思議とモヤモヤが晴れてきた。パソコンは命令されたことを確実に実行するけれど、それ以上は何もできない。人間は命令するけれど間違っていることを命令することだってある。結局、どちらも不完全なものなのだ。やっぱり「完璧な人間や物はない」ということだ。ミスで悩んでいる世の中の人に伝えたい一言だ。

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