日本で生まれ育った柔道韓国代表キム・ジス、
国籍を超えた和合のメダルを夢見る
在日韓国人の女子柔道選手としては初の韓国代表
柔道選手だった父親の影響で高校時代から頭角現す
「胸の上の太極旗見て父が涙を流した
日本の友達と五輪で頑張ろうと励まし合った」
東京五輪の柔道競技が行われる日本武道館は、日本の柔道の聖地だ。1964東京五輪で初めて五輪の正式種目に採択された柔道競技のために建てられたここは、五輪柔道の歴史で欠かせない場所でもある。日本武道館で太極マークをつけて金メダルを獲得するのを夢見る選手がいる。在日コリアン3世のキム・ジス(21、慶北体育会)だ。 鎭川(チンチョン)選手村で汗を流しているキム・ジスとインタビューを行った。
■韓国人だから、太極マークをつけた
キム・ジスは兵庫県で生まれた在日コリアン3世だ。柔道選手だった父親のキム・ドクジェさんの影響で、小学校1年生の時に柔道を始めた。やはり血は争えないのだろうか。キム・ジスは高校1年生の時から学校代表として全国大会で優勝を果たすなど、頭角を現わした。
日本高校柔道のスターに浮上したキム・ジスは卒業後、韓国に渡り、慶北体育会に入団した。住所地も父親と祖父の故郷である慶尚北道尚州(キョンサンブクド・サンジュ)に移した。「父も母も韓国人で、(自分も)日本で生まれ育ったがずっと『キム・ジス』という名前を使ってきた韓国人」なので、国を代表して五輪に出場するなら、太極マークをつけるのは「当然の決定」だった。
実は、昨年までキム・ジスの五輪出場は難しかった。しかし、新型コロナで大会が延期されてから、練習に打ち込める時間ができた。その間、2021アジアオセアニア柔道選手権大会で2位に上がるなど、柔道の主要大会でメダルを取り始めた。世界ランキングは57キロ級19位まで上がった。実力が急成長したキム・ジスはついに東京五輪の韓国代表に選ばれた。太極旗を胸につけた彼女を見て、父親は涙を流した。在日コリアンの女子柔道選手としては初めての代表入りだった。
■韓流のシンボルでもある武道館で「キム・ジス・フィーバー」を
キム・ジスにとって今回の五輪は特別な意味がある。「生まれ育った日本で開かれる五輪に韓国代表として出場するから」だ。「必ずメダルを取りたい」という決意に満ちている。「韓国と日本で私のために頑張ってくれた方々に恩返ししたい」という思いもある。高校2年生の時、体重で苦しんでいた彼女を励ましてくれた日本の仲間たちと、選手村に慣れるまで協力を惜しまなかった韓国の仲間たちに恩返しをしたいと思っている。いまや日本の代表的なスポーツスターになった高校の友達、阿部詩(52キロ級、世界ランキング3位)とは今年5月にロシアで会い、「2人ともオリンピックで頑張ろう」と励まし合った。
キム・ジスは現在、鎭川選手村で最後の調整に励んでいる。キム・ジスは「柔道の練習だけの日本と違い、韓国は体力訓練も一緒にするため大変だ」としながらも「コロナ禍で疲れた国民のためにも、オリンピックで良い成績を出したい」と語った。
東京五輪でキム・ジスはどのような活躍をみせるだろうか。韓国柔道代表チームのペ・サンイル監督は、「固め技と足技は韓国選手より安定しており、弱点を上手く補えば、東京五輪を超え、2024年パリ五輪まで可能性がある選手だ」と語った。慶北体育会でもキム・ジスを指導してきたキム・ジョンフン柔道代表チームコーチは、「まだ若いため若干の浮き沈みはあるが、絶好調の時は五輪金メダリストにも勝つなど、予測がつかないダークホース」だと述べた
柔道の聖地日本武道館は、韓国の蚕室(チャムシル)総合運動場に似たところがある。1964年の五輪のため体育施設として建てられたが、今では大規模な公演が行われる文化の中心でもある。特に2000年代に入って、武道館での公演が韓流スターの証とされるほどだった。そこには音楽で国境を越え、一つになった人たちがいた。キム・ジスが日本武道館で柔道を通じて皆が一つになる「五輪精神」を見せることができるだろうか。キム・ジスの輝く目は、すでに東京に向かっている。
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