[2020 今年の場面] 私たちはいつか、また会える
お互いの大切さに気づかされた「距離取った」1年
それでもきっと終わりがあることを知っているから…
ハンギョレが選んだ2020年新型コロナの風景
昨年12月31日、中国湖北省武漢から世界保健機関(WHO)に初めて報告された新型の伝染病は、わずか1年で全世界人口の1%にあたる8000万人を超える人々を感染させた。資本と市場、そして貿易で甘い蜜を与えた「グローバリゼーション」は、猛威を振るう疫病という残酷な苦い味を十分に味わわせた。今世紀人類最悪の伝染病である新型コロナウイルス感染症(COVID-19)は、私たちの日常に浸透している。国境は閉鎖され、人的・物的交流も途絶え、世界中の経済が麻痺した。人々は集まることができず、お互いの表情が見られた顔には目隠しのようなマスクをつけなければならなくなった。楽園のような海辺で燃える夕日を眺めることも、古代人類が築いた偉大な遺物に感嘆することも、大地に係留され続ける飛行機の前では口惜しい夢にすぎない。赤い太陽の下でも、北風の吹きすさぶ厳冬雪寒の中でも、私たちは検査を受けるため列に並ばなければならず、一夜明けると増えている感染者数の前で医療スタッフらは疲れて果てている。意地悪な病原体は、他人を憎み、恨ませる。その隙を利用し、政治的利益を得ようとする「ストロングマン」たちが声を強めたが、彼らもウイルスの攻撃の前ではお手上げだった。共同の利益のために今日を犠牲にしようというお互いの約束は破れがちで、防疫の壁を崩した人々は非難され、頭を下げて詫びた。
ウイルスに対する最後の反撃、人類は自ら社会性を捨ててこれに対抗した。社会的距離措置、ソーシャル・ディスタンシング。人間って社会的動物だったんだっけ?と思わせるほど遠くなり、仕切りで仕切られた。先生と生徒が場を共にすることができず、信頼は仮想空間で成り立った。おばあさんと孫が会えず、列車に乗る家族も離れて座らなければならないという、信じられない光景が演出された。ウイルスは公平ではなかった。誰にでも広がる疫病は、誰かにとってはより大きな苦痛となった。苦しい状況でなんとか生きてきた特定階層の人々は、生活手段がなくなった。一夜にして職を失うこともあり、昨日まで配給していた無料給食所も閉鎖された。店の電灯が消え、扉は閉ざされた。町はうら寂しくひっそりした。
この1年間を巻き込んだ新型コロナの長いトンネル。私たちはまだその終わりがどこなのか知ることはできないが、ワクチンと治療薬が開発されて一筋の光が見えてきた。その光を見つめ、今日の厳しさに耐える。私たちがつくる日常がどんなに大切なのか、改めて感じながら。
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